朝、那須を出発しました。すこしずつ体が原付の運転を覚えてきました。

通りかかった那須高原の公園に、空間線量を表示している看板が。

ぼくは「へえーここはこんなもんなんだ」と、思ってしまいました。そういう世界になってしまったのだなあ。

 

「私の美術館」という個人美術館。此木三紅大さんという作家さんのコレクションとか、ステンドグラスとかが展示してある。このフクロウの門はすごかったです。

美術館がこんなところにあって、たまたま通りがかりでもしないかぎり、絶対に観ないタイプの作品をたくさん観ました。

 

 

で、夜には仙台に着きました。那須(ちょっとさむい)→福島(とても寒い)→仙台(わりと暖かい)という気温の変化が、原付で走っているとよく分かりました。

駅前のイルミネーション

今日の昼前くらいから、東京から岩手に向けて原付で出発しました。岩手でやろうとしている新しいプロジェクトのためのリサーチです。

原付免許を数日前にとったばかりの身で、いきなりの長距離旅行です。

いまこの記事は、栃木県の那須塩原にある漫画喫茶からかいています。

東京から岩手までの道を景色を見ながら走っていこうと思っていたのですが、たぶん今日は一日目ということもあって、あんまりまわりを見る余裕がありませんでした。風も強くて、かなり運転に集中しないといけなかったし。

逆によく見えたのは、道路(国道4号線)に落ちているいろんな種類のごみが、よく見えました。

なんだかよくわからないひしゃげた鉄板(1m×1mくらいある。あぶない)とか、長さ50cm位の垂木とか、コンバースのスニーカーの片方とか、ゴムのチューブ(これはたくさんあった)、軍手の片方、空き缶と空きペットボトルと空き瓶(これらはたぶん車から放り捨てられたものだと思う)などいろんなものが、落ちてました。掃除する人がいないのか、こまめにやっていないだけなのかわからないけど、だいぶ前に捨てられたと思しきものがたくさん残っていました。原付にのって、道路にごみを捨てる人への敵意が強くなりました。あぶないんだもん

あと、当たり前かもしれないけど、北上するにしたがって気温も下がっていきました。

最近東京も寒い日が続いていたけれど、此処はたぶん東京に比べて、もう少し寒いです。

あともう少しで福島県に入ります。僕はガイガーカウンターを持っていないけど、このあたりは東京よりも線量は高いのかな。わからないけど。

明日は仙台あたりまでいけたらよいなあと思っています。

途中で「りんどう湖ファミリー牧場」と「私の美術館」によってみようと思っています。りんどう湖ファミリー牧場はだいぶ昔に何かの遠足で行ったことがあるので、どんな場所だったか思いだすために行ってみます。

昨日映像作品を1つ撮りました。上の写真はその1シーンです。

撮影は阿部圭佑君です。

これを「みっけるフェス!」というイベントにゲスト出品させていただくことになりました。

http://www.mikkedojo.com/uploads/9/5/0/4/9504907/010.pdf

もしよかったら観に来てください。

 

「椿本さんと、僕の両親と、野村くんの部屋があるビル」

画用紙にボールペン

250mm×350mm

2012.11.23


「あなたから3番目の話 練習2」

165×115(mm)

ラミネート紙にマッキー、コピック/ラミネート加工

2012/11/22

「あなたから3番目の話 練習1」

120×160(mm)

ラミネート紙にマッキー、コピック/ラミネート加工

2012/11/20

art itの「連載 田中功起 質問する 7-6:片岡真実さんから3」

http://www.art-it.asia/u/admin_columns/TH0tOK4LpPr1fkQDhW7J/

というところを読んでいて、キュレーターの片岡真実さんが"均衡"という言葉を使っていました。

「均衡」について

僕はいつも作品をつくったり、アクションを起こす時に"主体を複数化したい"という欲求があることに最近気がつきました。それはどうしてなのか、考えてみたら、それはもしかしたら1つの理由として

僕は小学生の頃、寝る前に布団で、自分が死んだときのことをイメージしていたら、(いま生きているという実感も、いまどこにいるという認識も、自分がなにものであるという意識も全部なくなって、永遠の暗闇のような"無"の中に放り出される感覚)その事実に耐えきれなくなって「死ぬのがこわい」と母親に泣きついたことがあります。最初にこれをやったときの恐怖は、いまでも覚えています。

そして死ぬときのことをイメージするのは、いまでもときどきやっています。

それをすると「生きている自分」というものが相対化され、「いま生きている、これからも生きていくという意志」につながってくるから。ともするとだらけてしまいそうになる自分を、相対化するために「死」に対抗しうる唯一の手段としての「生」を、「生者としての自分」を「死者としての自分」と"均衡させる"ような感覚です。

それがもしかしたら、相対化とか、相対化をもっと推し進めた"複数化"というかたちにつながってくるんじゃないかなと思った。暴論かもしれないけども。

“生"を複数化させるには、"死"を提出することに加えて、他の「"生"たち」と相対させないといけないような、それがお互いに均衡しあうような。そんな感覚。

先日アトレ吉祥寺でやった作品「家主リレー」のpart8の映像を公開します。

これは「テラトテラ祭り」の参加企画として行われました。ぜひ観てください。

セラの「行為」と「もの」の関係

リクリットの

「人間」と「人間」の関係と、加えて、横浜トリエンナーレ08の「demo station」のような「時間」の扱い方

が、「家主リレー」に影響として表れている。ように思う

あと、最近みたいくつかの演劇と

もちろん10月24日の記事に書いたような、伊勢神宮の式年遷宮が基底のような気がするけれど。そんなことがあるかもしれないなあというメモ

チョコバナナパフェを食べながら、メロンソーダを飲みたいです。

 

こういう"喫茶店アイテム"的なもののリアリティというか、共通認識っていつから定着したのだろう。

日本的なもの。とか、わたしたちのリアリティ。とか
昨日地点の「光のない。」を観て、「わたしたち」とは誰かを考え直さなくちゃいけないなと思った。

“アート"とは、西洋で生まれた1つのジャンルで、言ってしまえばヨーロッパの人達の「私達が世界の中心であり、価値基準である」というような態度のもとに普及しているものです。これまではそう思っていました。

これに対抗したのがスーパーフラットという運動だったと認識しています。村上隆さんは、「もう欧州中心の世界ではない」という言説を唱えるのも、結局ヨーロッパの人達であるという事実。結局世界はある一定の方向に進歩しているもので、その最先端に居るのが私達であるという、結局ヨーロッパが世界の中心である、という考えから離れられない、救いようのない病的な体質に対しての怒りを、「私達日本人は、彼らからしたら人間扱いされていない、怪物である。怪物であるが故の表現者であるということを提示する」という衝動がスーパーフラットであったと思っています。

それは、"彼ら"のアートワールドの中に自らを投げ入れて戦う方法。そうして"西洋の美術の文脈に日本的なカルチャーを投げ入れることによって、ヨーロッパの美術を(逆説的に)相対化する"というやりかた。

それは例えば、日本の相撲界にモンゴルやらロシアやらの力士がたくさん入ってきて、彼らが国内で(時に日本人以上に)力を発揮する。というようなこと、を狙ってのこと。のような気がします。

そうして生まれたものは「わたしたち日本人のリアリティ」ではないかもしれませんが、1つの存在証明のかたちであったような気がします。

あと、他に、うまく言えませんが「そこから逃げる」ような態度が考えられるかなあと思います。それは、"わたしたち日本人には、わたしたちにとってのリアリティがあればよいのだ"という考え方。純粋に"面白いもの"を探していけば良いのだ、という態度。そこまで振り切ってしまうと、それまでの歴史によってその存在が担保されて、ここまで発達して来た"美術"に対しての背信行為のような気もしていまって、僕はどうにもそこに振り切る事ができません。あと、それはひとつの引きこもりのような態度にも見えてしまっていました。

それは例えばモンゴルとかで、相撲から発展したような"なんらかの競技"が生まれたとして、それをモンゴル国内でどんどんレベルを高め合っていくような。感じですか。ちょっと違うかな。考えてみれば、わざわざ"相撲"というルールに乗っ取って、日本の中に飛び込んで戦うようなことはしなくても良いのではないか。とも思います。"そこに迷いがでてきてしまったのであれば"

でも、昨年、地震があって、津波がきて、原発の事故が起きてしまって、放射能という、見えない不安がまき散らされてしまったこの世界において、そもそも"わたしたち"って誰なのか。ジャンルとか国籍とか、そんな区分けとは無関係にあちこち飛び回る"見えない不安"が現実の世界に表れてしまった以後の、この世界において"わたしたち"とは誰を指せば良いのか。それが分からなくなってしまったというか、"わたし"とか"あなた"とかっていう区分け自体、最初から存在しなかったんじゃないか、と思いました。

もしかしたら、これから先何か1つのものが"わたしたち日本人としてのリアリティ"として提示されるなんてことはないのかもしれません。例えば宇川直弘さんとか、坂口恭平さんがやっていることは、いわゆる西洋発祥のアートワールドとしての"美術"の範囲には収まらないかもしれないし、"わたしたち日本人にとってのリアリティ"とは言い切れないけれども、とても面白いと思うし、新しいと思うし、歴史に対して目をつぶっているような態度にも見えない。それは、彼ら本人のキャラクターによるところが大きいと思いますが。

うん

オーストリアの作家イエリネクが昨年の東日本大震災をうけて、書き下ろした戯曲を地点が演出した「光のない。」を観てきました。池袋芸術劇場。

 

凄まじい衝撃をくらってしまいました。いま見終わってから3時間半経っているのですが、まだ頭の体勢が崩れていて、うまく感想を書けるか分からないのですがやってみます。

 

まず、席について、ちょっと「おかしいぞ」とおもったのが、舞台の幕が、鉄みたいな重い質感をしていて、あれはなんだ。と思い、その時はあんまり気に留めなかったのですが。。これは後で書きます。

 

基本的に5人の役者(うち2人はダイビングスーツを来てヒレを付けてぺたぺた歩いてる)が身振りと言葉で劇を進めていきます。なにか筋道のたったストーリーがあるわけではありません。

「わたしたちー」という呼びかけから舞台は始まりました。「みなさーん」と呼びかけるかのように。「わたしたち−」と。もうこの瞬間から、ほぼ終幕まで鳥肌がたちっぱなしでした。

そこで、この演目で大切なテーマの1つは「当事者性」とか「主体」「客体」ということだと。わたしはあなたであり、あなたたちはわたしである。

放射能は目に見えないもので、耳にも聞こえないもので、味もしないし、匂いもしないけど、わたしたちはそれに"時間"を奪われてしまいました。とおい未来まで、ながい時間を奪われてしまいました。"その瞬間"から、わたしたちの過去も、現在も未来も、何か違う世界に連れて行かれてしまいました。

この放射能の問題は、いま、言ってしまえば"ホット"な話題であり、下手に扱うととんでもなくシラけたものになってしまう危険があると思うのですが、扱わずにいるのも難しいというか、かなりジレンマがあると思うし、そもそも「これはこういう問題である」と1から10まで認識するのも不可能なことだと思います。それを舞台に"あげてみせた"という感じがしました。

いや「あげられてしまった」と言う方が正しいかもしれません。そして「迷うことを迷わない」という意志を感じました。

全編にわたって、アクセントをズラされた言葉と、傾いた舞台と、ダイビングスーツとで演出された舞台は、「宙に浮いている」ようでした。そこでは、敵とか味方とか正義とか悪とか、"あなた"と"わたし"の区分けもなく、何があるか強いて言うと"時間(音楽)"と"運動"だけが現前して、舞台にたっていた5人の役者は、もはや"人間"ではなく、ではそれは"放射能"だったのかあるいは"他者性そのもの"だったのか、わかりませんが、ただあれは間違いなく、"人間"ではなく、最後の方なんか特に。「あれはなんだ」と目をこらしてみてしまうほどに。役者と、舞台と、演出と、戯曲と、音楽が、もはや奇跡的に舞台上で結晶していて、演劇が可能な表現の射程距離の広さを見せつけられた、というか。

そして最後、ものすごい空気が高まって最高に気持ちの良いときに、ゆっくりと幕が(気がついたら半分くらい降りていた、という感じに、静かに、でも容赦なく)おりて、舞台は終わります。あとで調べたら、このカーテンは、鉄製の防火シャッターだったのです。

僕と言う観客にとって、もはや"希望"にも見え始めた、舞台上の輝く(綺麗な光が満ちて、本当に輝いていました)"世界"が、防火シャッターによって隔たれてしまい、会場は真っ暗になり、人々の声(歌)がしばらく余韻のように響き、閉幕します。

凄まじい体験をしてしまった、という感じです。なんというか、デザインの力に頼りすぎず(例えばチェルフィッチュは、舞台上の空間を"デザインする"ような作風だと思います)、演出によって役者の個性が奪われてしまうようなこともなく、"奇跡的な"作品(あるいは"奇跡的に成り立っていると見せるような")だった。そんな気がします。

 

ああ、すごかったー。

アトリエの前に転がっていた缶に「収集できません」のシールが貼ってあった。たまたまゴミ収集場所に転がって来ただけで、こんな結果になるのか!と思いました。

 

このあいだ、F/Tの

「たった一人の中庭」/ジャン・ミシェル・ブリュイエール

を観てきました。もともとフランスで敢行されたものを東京用にすこしつくりかえて持ってきたもののようです。ヨーロッパにたくさんあるけどマスメディアからは"ないものとされがちな"「移民キャンプ」を再現しているような展示/パフォーマンスです。

まず、ものすごいお金がかかったことが予想される大規模な展示でした。あと、「移民」や「強制送還」というキーワードがたくさんでてきました。もともと"アクティビスト"であったという作家の思想的な背景がよく反映されていました。

とても新鮮な経験でした。いま僕が住んでるこの国の表現は、この場合でいう移民キャンプや、中国でいうと天安門事件や共産主義に対するシニカルな視点なんちゃら、のような、とりあげるべき大きなテーマを正面から扱うことをあまりしない(というかできない?)ような状態にあると思います。そんなテーマ見当たらないのかもしれないけど、3月11日の震災以降も、それを語ること自体も、なんていうか「日々」みたいなものに回収されてしまっているように感じていた僕の目には、この作品はとても新鮮に映りました。

この作品は、社会問題をかなり正面から扱うことからスタートしていました。そして、それがその社会問題の枠を超えて、リアリティに訴えかけて来ました。たとえば、移民キャンプで黒人の生活を管理している(役を演じている)人達が来ている白衣が、最初の瞬間「防護服」に見えてしまいました。それに気付いてから、この作品は、移民キャンプを一義的に扱っているのではなく、おおきくこの社会というか、人の営みを捉えようとしているのだと思いました。

 

「明らかに社会問題ですよ」みたいな題材で、ある種の「弱者」に属している人たちのことを"使って"、このように"表現"するのは、いかがなものかという疑念も沸きました。

この作家は、アクティビズムと芸術について、インタビューでこんなふうに言っています。

ア ク テ ィ ビ ス ト は 、『 何 も し な い と い う こ と を 拒 絶 す る 』 目的 に達 す る た め に 行 動 し ま す 。ま た ア ク テ ィ ビ ズ ム に お い て は 、終  わ り な き 行 為 、 行為そのものの本質的価値が重要であり、それ以上の目的 はありませ ん。アクティビズムはこうした観点からすればすでに成功した行 為の 総体なのです。問いと結果の乖離によって、アクティビズムを的確に 区 別することができるでしょう。もしも、ある行為が具体的な目的を 持 っ て い  た ら 、そ れ は ア ク テ ィ ビ ズ ム で は あ り ま せ ん 。   例 えば シリア の 反  体 制 派 を アクティビスト と 見 なす 人 はいないでしょ う。彼らは、独裁者 を退け自由を取り戻すという、極めて明確な目的 のために行動しているので す。彼らは目的に到達するまで絶え間ない 危険に身をさらしながら行動しま すが、彼らはアクティビストではあ りません。

一方、今年のアヴィニョン演劇祭では、アサド大統領の独裁と 犯罪に対す る抗議のために何人かの演劇関係者が集合しました。感 動的な告発文を作成 した者もいれば、それにいち早く署名した者も いました。そのうち最も栄養 状態の良い 4、5 人は、炎天下のもとハン ガ ー ス ト ラ イ キ を し て プ ー チ  ン や イ ラ ン 、中 国 に 対 し て の 嘆 願 を 行 な い ました。こうした行為が 具体的な結果に結びつく確率は遥かにゼロ以下 で し ょ う が 、誰 が そ ん な  こ と を 気 に す る で し ょ う か ?   芸 術 は 、終 わ り な き 手 段 、ま さ に そ  の も の で す 。 芸 術 に は 終 わ り が な く、芸 術 をするということ 以 外 の  目 的 はありません

 

これを読んで、「"結局のところ芸術はお金持ちの道楽だ"という見方をされてしまう事から逃れられないな」と思いました。これを考えはじめると、いつも落ち込む一方になってしまうのですが。アーティストは、世界を変えるために活動するけど、世界が本当に変わってしまう事は望まない、何か目的をもった途端に芸術ではなくなってしまう、という矛盾の中で活動しなきゃいけない、と思います。

そして美術の役割は、僕達の社会やあなたという個人をなんとか相対化する。相対化する事で多様性を認め(同時に相対化した対象を批判して)ていく。ということだと思いました。

 

あと今日、AI KOWADAギャラリーに丹羽良徳さんの個展「時代の反対語が可能性」を観に行きました。

映像作品「首相官邸前から富士山山頂までデモ行進する」がものすごい良かったです。鳥肌がたちました。夜、風の強い富士山の山道を、「反原発」と書かれた赤い旗をもってもくもくと歩く丹羽さんの後姿は、同時に僕自身や、官邸前でデモ行進している人達の後姿でもあるように思えました。

 

あと映像の編集と見せ方が良くて、参考になりました。