2013年5月16日11時46分

一週間もあいだがあいてしまった。

数日前から、もうひとつのバイト「テナントビルの清掃」がはじまった。これは週5日で、基本的に朝7時~9時半、火曜のみ10時までのバイト。現場は四谷三丁目。駅から徒歩2、3分のところ。

 

椹木野衣さんが美術手帳に百瀬文さんの修了作品についての評論を書いたらしい。百瀬さんは僕と歳1つしか違わない。学年は同じ。まったく、僕は新しいバイトとビアガーデンのバイトに使う定期券を買ったり、トイレ掃除が目標5分のところを7分くらいかかってしまって「もうすこし早くね」と言われたり、ビアガーデンではハーフ&ハーフを自力でつくろうとしたところ、どうやら間違っていたらしく「わからないことは聞いてって、なんども言ってるよね」って怒られたり、チーフに好かれてないんじゃないかと心配になっちゃったりしているだけの、ただのフリーターである。ジュリアンカサブランカスも歌っている「むこうがわでは、誰も僕を待っていない。」さっきシャワーをあびながら考えていたんだけど「誰かに良く思われてないんじゃないか」っていう、完全に僕の損でしかない不安な気持ち、すごく久しぶりだな、と思った。高校生以来か、大学に入りたての頃以来か。

僕は、あのテナントビルや、ビアガーデンでは、何者でもないのだ。

毎日同じ時間に現場に行ったり、電車に乗ったり、店を開く準備をしたり、上司に怒られたりしているうちに、なんとなく気付いたことがある。

まったくこの社会は、"よくできている"。人間ていうめんどくさくて危険きわまりない生き物を、うまく社会のなかで納めるために、うまくできている、"うまくできているようにみえる"といった方が正しいか。

人がいる。あとからふりかえってみると、本当に、みんなかわいいなと思う。あのチーフは、あの支配人は、あの、僕に掃除を教えてくれたおっさんは、それぞれの世界でしかもはや生きていけない。ブコウスキーの短編小説の中にもこんなせりふがあった「チンケな人間でも、同じ所に長くいれば、ささやかな信望と力を獲得できる」。あの小さな世界の住人たち。それぞれ悩みがあり、恋愛とか性の事情があり、親が居て、故郷がある。どう転んでか、いまあの場所にあのように収まっているのだ。そしてみんな老いて死んでいく。僕も死んでいく。嫌だ。嫌だなあ。まだ数日間しか続いていないけど、毎日お金を稼ぐ為にでかけている。昨日がはたして、本当に昨日なのか、それとも一昨日なのかがよくわからなくなる。朝電車に乗り込もうとした時、このまま自分が本当に死ぬまでこんな調子なんじゃないかという"予感"のようなものが降りて来た瞬間があった。本当におそろしいことだ。でも、みんなそのように生きている。この社会では。お金が力を持っているこの社会。

もっとたくさん書きたいことがあったような気がしたけど、なんだか出てこないのでやめる。明日も五時半前には起きて、6時前の電車に乗り込んであの四谷のビルに向かわなければいけない。そのあと一回実家に帰ってきて、また1時前にビアガーデンに出かける。今日と一緒だ。

でも今日と違うのは、明日のビルの現場は、はじめて一人での仕事にのぞむという事だ。山本さんによる指導は今日までだったのだ。

2013年5月15日24時52分

既に詰んでいる。

原発はあぶないから、原発をとめている。そのかわり火力発電をつかっている。co2を排出している。

忘れていた地球温暖化が、また首をもたげる。とてもあぶないらしい。ぼくが忘れていたからと言って、その問題が存在しなくなるわけではないのだ。経済成長なんていらない。本当のことをいってくれ。

生きていかなくちゃいけない。

まさに八方ふさがり。

優先席があるからマナーがわるくなる。

発泡酒とビールの区分けはいらない。

僕のこの生活。生きていると生活がある。

ホーンテッドマンションで、案内人が最初に言った「諸君はこのへやから出る事ができるかな?私ならこうするがね」といって、首をつっている人を見せていた。死ぬという脱出。

ぼくはそれはしない。したくない。しかし生きていかねばならない。お金を稼がねば生きていけない。

生活しなければ生きていけない。

2013年5月8日(水)24時0分

昨日日記を書くのをさぼってしまった。

今日もビアガーデンバイトであった。今日で営業開始から二日目。すこし、やりかたがわかってきた。

思い知らされた事は、自分から他者への態度は、ほぼそのまま他者から僕への態度になって跳ね返ってくるということ。

僕自身が僕自身に自信があれば、他の人達も自然と僕を頼ってきたり

する。逆に、自信がないと、まわりの人達も不安になる。

大切なのは、自分を曝け出すことだ。かっこつけたり、斜に構えたり、思慮深そうな人間ぶったりすることじゃない。自分を曝け出すのが大事なのだ。そして、それがいちばん難しい。

僕は「やりたいこと」という言い方が嫌いだったけれど、それは認めるべきなのかもしれない。もっと自分が、大きな歯車にのせられている感覚というか、さも自然の法則のように、この世界に生きている事に対する、ごく当然の帰結として活動しているという感覚だったけれど、これは僕の思い上がりなのかもしれないと思う。僕は「じぶんがやりたいことをやっている」という素直な意識でいればいいのだ。

 

はやく出発して到着しろ。到着したら出発しろ。

離陸したらちゃんと着陸しろ。着陸したらすぐ離陸しろ。

2013年5月6日(月)24時04分

今日はビアガーデンのバイト研修最終日。

バイトをして、まわりの同期の人達を観察していると、例えばある男はだんだんリーダー的な立場になっていったり、ある女性は「みんなもっと返事をしよう」と周りに言うような感じになったり、ある人は「元気はいいけど言葉遣いがなあ」という感じになったり、そういう人柄のようなものが浮き上がってくる。これらは、その人が絶対的にもっているものではなくて、このバイトのこの集団だからこそ浮き上がってくる相対的な人柄でしかないのだ。たとえばリーダー格の彼は、はじめはそんなに目立つ感じではなかったけど、すこしずつまわりが見えてくると、代表的に上司に質問してみたり、指示を出したり、積極的に意見を言ったりして、そして、その意見や判断に自信がある。それは正しいとか間違ってるとかとは別の次元の問題なのだけど。そういう様子を見ていると、まわりも「このひとがリーダーっぽくなってきたから、こういうことはまかせよう」というふうになっていって、そしてだんだん彼のリーダー像ができあがっていくのだ。彼と、まわりがそう望むから彼はリーダーになる。

ということを思った。

 

 

AZUMA HITOMIちゃんの「フォトン」を買った。その特典DVDを見ているとき「夢と編集」について考えた。

例えばビデオで自分を撮る、カメラ(つまり、その映像を見る人)に向かって手を振る。そしてビデオを止める。

そうすると、編集していない映像には、カメラをつけるところから、手をふるところ、そしてビデオを止める所までうつっているはずだ。

それを、手をふるところで映像を終わらせるように編集する。

そして映像を見ると、ビデオをつけて、手を振ったところで映像が終わる。あたりまえである。あたりまえなんだけど、ここにすごくおかしな事がおこっているような気がする。映像が撮られたのは過去のことで、つづきがあるはずのことなんだけど、目の前の映像にはそれがうつっていないのだ。記録にのこっているのは手をふるところまでで、その後の手を振ってからビデオをとめるまでの一部始終は、本人の記憶の中にしかのこっていないのだ。

また、手をふったところで勝手にビデオが止まるようになっているわけないだろうから、この映像を初めて見た僕以外の人でも、「編集したんだな」ということはちょっと考えればわかる。でも、そこで何が切り取られたのか、どれくらい切り取られたのかはわからない。それは、ビデオをとった僕しかわからないのだ。

 

そして、夢のことを考えてみる。人間は睡眠時、浅い眠りと深い眠りを繰り返しているという。浅い眠りのときには、必ず夢をみているらしい。でも、そのあとに来る深い眠りでその夢を忘れてしまうらしい。だから、起きた時に夢をみたとわかるのは、深い眠りがくるまえに起きたから、それを覚えているというだけなのだ。これはとても不思議な事だと思う。

「夢をみている」まさにそのときの体験は、現在進行系で感じることができるものだ。でもそれは、変な言い方になっちゃうけど、"数分後に目を覚ましたときにその夢を覚えている"からこそ「夢をみている」という"現在進行形の体験"をすることができる。現在が未来によって担保されている、というか、現在が未来をつくるんじゃなくて、未来が現在をまさにつくっている、ということが起こっている。実際に起こっているのだ。

前々からこの夢と記憶がつくる時間のゆがみみたいなものは不思議におもっていたのだけど、今日、映像の編集でも、すこし近い感覚のことが起こっているんじゃないか、と思ったのでした。

2013年5月5日(日)こどもの日 09:06

椹木さんのツイッターをみていて、ふと思いしたこと。

むかし、幼かったころは、友達や親戚の家に泊まるのはちょっとした冒険だった。

まーちゃんの神奈川の家に泊まっていた記憶が強い。天井にワンピースのポスターがはってあるまーちゃんの部屋で、3人で布団を並べて寝たものだった。お母さんとお父さんは、その隣りの部屋で寝た。もうすこし大きくなると、村上家の4人は、玄関入ってすぐ右の部屋に寝たものだった。思い出した。そう、あのお泊まりは、僕にとっては冒険だった。

逆に、まーちゃんたち井上家の4人が、村上家に泊まりに来る事もよくあったな。泊まっていった井上家を見送るのは、井上家から帰るのよりも、寂しかった。あの強烈な絶望にも似た感覚はいまもよく覚えている。遠くなっていく井上家の車の赤いランプと夜のお花茶屋の景色、まだよく覚えている。

いつしか井上家も僕らもお互いに遊びにいく回数が減り、泊まらなくなっていった。

あのように家族で泊まり合うというのは、他の家庭でもやっていることなのか。それとも珍しいパターンだったのか。今考えると、ちょっと変わった事をしていたなあと思う。家族みんなで、犬もつれて泊まりにいくなんて。

泊まった夜のことはよく覚えているけど、昼間なにやって遊んでいたのかが、いまいち思い出されない。渓流釣りなんかはよくいったけどなあ。

2013年5月5日(日)23時45分

今日はバイトは無し。昼前に家を出る。まず、六本木ヒルズの映画館に行って村上隆の「めめめのくらげ」をみようとして、途中上野を歩いているとき、路上でお経を唱える修行をしているお坊さん(托鉢というらしい)を、はじめてじっくり見た。その向かいには「テレビでも紹介された話題の新商品」のパンを路上販売していた。

めめめのくらげは、なかなか良かった。子供向けのストーリー立てだけど、大人も見る事を見越して作っているような印象を受けた。良い意味で村上隆は「天才じゃないんだな」と思った。村上さんは、ただ必死に、日本を、美術を考えて制作しているのだ。

くらげの後は、SICFを観に青山のスパイラルまで歩いた。こばちゃんに会って、すこし話し込む6

そして、新宿駅まで歩いて、高田馬場に行って岡山から来ている赤田竜一さんと会って話す。その後早稲田松竹で黒澤明「羅生門」を見た。

こんな感じの一日であった。

明日からバイトが6連勤だと思うと、自然と、今日という休日を「なるべく無駄なく使おう」という気になってしまった。なるほど、「休日」とはこういう感覚なのか、と思った。仕事と休日の繰り返しで、世間の人々は知らず知らず年をとっていくのだ。

それにしても、最近映画やら演劇やらをけっこうみている。本も読んでいる。

ここ一ヶ月くらいで

本は

「友愛のポリティクス1/ジャックデリダ」冒頭だけ

「存在論的郵便的/東浩紀」1/3くらい

「逃走論/浅田彰」半分くらい

「面白ければOKか/三浦基」半分くらい

「色彩をもたない多崎つくると~/村上春樹」読了

「雁/森鴎外」もうすぐ読了

あと漫画の「寄生獣」を読了した。

 

劇場映画は

「演劇1」

「演劇2」

「フラッシュバック・メモリーズ」

「ドラゴンボールZ 神と神」

「ライジング・ドラゴン」

「めめめのくらげ」

「羅生門」

 

演劇はひとつ

「この生は受け入れがたし/青年団」

 

美術館博物館系展示は

「グレートジャーニー人類の旅/国立科学博物館」

「ラファエロ/国立西洋美術館」

「フランシスベーコン/国立近代美術館」

「フランシスアリス/東京都現代美術館」

他に

ムサビ優秀展や、熊倉の銀座の展示や、SICFなんかに行った。

2013年5月4日(土)24:30

今日もビアガーデンの研修だった。4日目。「ロールプレイング」と呼ばれる、ガーデン営業中を模したデモンストレーションのような研修をひたすらやった。スタッフでお客様役と従業員役で別れて、来店→案内→注文→会計→帰る→来店…のくりかえしである。ビアガーデンなので、当然お店は外にある。そして今はまだ5月なので、夕方近くになって陽があたらなくなるととても寒くなる。周辺には高層ビル(文部科学省とか)がいくつもそびえているうえ、すぐ近くに皇居があるので、強風が吹く条件が整っている。とても寒いのだ。毎年夏は超満員らしいけれど、いまは人影もまばらで、大勢で賑わっている様子がいまいち想像できない。

このバイト仲間に前田君という人がいる。彼は26歳で、カメラマンのフリーアシスタントらしい。彼はどうやら飲食店のバイト経験者らしく、お客様へのサービスを模した研修も慣れた様子でこなしている。男連中からは「神」と呼ばれている。

僕の彼女も、ちょっと前にターザンでカメラマンのアシスタントをやっていたから、話をよく聞いたけど、カメラマンの出す指示を先読みしながら、指示が出される前に行動しないといけないらしい。だから、彼女に僕の制作を手伝ってもらった時、その気のまわしように驚いた事が何度もある。だから、カメアシの経験者は、飲食の接客業とか、オールラウンド的な能力が要求される仕事に向いているのかもしれない。

僕は全然だめである。自分で「これほど変われない人間だったか」と、情けなくなるくらいに。思うに僕は、どこかで変な「プライド」を持っているのだろうと思う。

こういうバイトなんかでまだ出会って日が浅い人達と会話をするとき、僕は言葉を発する前に、それを心の中で呟いて、相手がどんな反応をするか、この場の空気にふさわしいか、それは僕が言うべきことか(他の誰かでもいいんじゃないか)、僕が言いたい事はほんとうにこれなのか、等などといろんなことを考えてしまうので、会話がテンポよくいかない。これは昔からその癖があったから知っていたつもりだった。でも、それが僕の持ち味であり、キャラであって、この特製が僕を育ててくれたと思ってた。でもこんな風にバイトをしていると、これは一歩間違えたら「プライド」になりかねない、と思う。プライドは、ただ邪魔なものだ。成長を阻害するもの。変化を止めてしまうものだと思う。

いまここに書いているこの文章。これは僕はネット上にはのせないつもりだから、好きに書きまくっているけど、これを、このままネット上にあげられるか、考えたら、いま僕はそれができそうにない。僕のウェブサイトは母親や実家関係の知り合いもたくさん見ているようだから、なかなか恥ずかしくてアップなんてできない。でも、それはただのプライドなんじゃないか、僕には、かっこつけたり変にキャラを作ったりしていない、ただこうやって好きなように書いた文章を垂れ流しつづけるような、そんな「曝け出し」が足りないんじゃないか、と思う。これが僕の決定的な弱点なんじゃないか。僕のウェブサイトは、ここ一ヶ月近くほぼ更新していない。カウンターは増え続けているから、更新を待っている人はいるはずだ、と思う。でも、僕はいま作家としての僕を「沈黙」させている。だから、なんだか簡単に更新しちゃいけないような気がしてしまう。でも、「こういう理由で、"沈黙"します」と言う勇気もない。これが多分僕の弱点なのだ。僕は、もっと体ごと、社会にダイブさせなければいけない。

2013年5月3日23時58分

今日はバイトだった。研修三日目。あらためて、僕はこういう接客業、特に、あるマニュアルに従って自分を変えながら(というかダマしながら)動かすタイプの仕事は向いてないのだなあと思う。僕はまだ24歳だから、「声が小さい」とか「もっと自信をもって接客して」みたいなアドバイスも、まあかわいい感じに見られるけれど、これが30とかになったら、もう惨め以外の何者でもない。

研修三日目にして、「おれはこんなところで何をやっているのだ。あっというまに死んでしまうぞ」という、かなりヤバい感じになってきてしまっている。まあ狙っていた通りなのだけれど。いざそれが目の前に襲いかかると、そんな「狙い通り」とかそんなこと考えていられない。ただ重い闇が体にのしかかってくるだけだ。

しかし、そう、働くというのは、お金を稼ぐというのは、こういう作業を経なければ成し遂げられないものなのかもしれない。バイトをしている時の僕は、何者でもないただの「村上慧」という記号の着いた男性である、それだけであって、これまでの僕のアーティストとしての活動歴だとかはもう全く、悲しいくらいに関係ないのだ。自分の何者でもなさ(+人よりも飲み込みの遅い、自信のない、陰気な人間ときてる)を、改めて再確認させられる。多くの人々は、こういう作業を通して、すこしずつ「この社会で生きていくとはどういうことか」を理解して、歳をとっていくのかもしれない。

最近、僕の両親が家の外壁にネットを張って、そこに黄色い薔薇を這わせて育てている。いまちょうど時期なので、薔薇は見事に咲き誇っていて、公園からみると結構すごい事になっている。今日は、僕が岩手から持って帰ってきた単管を使って、一日かけてネットをかけるための土台をつくっていた。高さ6m、幅4mくらいのおおきなものだ。お父さんは「お母さんがここに薔薇が欲しいっていうから」といってるけど、それは多分照れ隠しで、本当は作業が楽しくて(+他にやることもないので、という感覚で)やっているのだと思う。お父さんは、手先は器用だし大工も得意だけど、単管を扱った事はないので、帰ってきた僕に「ここはこういうところで苦労した」とか「ここはこれで大丈夫だと思うか」という話をしてくれる。そうやって父親と話が出来るのは嬉しい。こういうわかりやすい共通の話題がないと、なかなか話せるものではない。むかいのひろくんの家(湯本家)の駐車場にも、なんだかパイプで天井がつくられて、そこになんかの植物が這わせてある。休日、やることが、こういう事しかないのだろうなあと思う。それも、土地と家を持ってしまったが故の「暇つぶし」「退屈しのぎ」なのだろうなあ思う。僕は、こういう生き方はしたくないなあと思う、今の所は。

でもそうやって生きている人達のことを、誰が悪く言う資格があるだろう。だれが「つまらない日常、たいくつな人生」みたいにののしる事ができるだろうか。

弁証法的な思考は、個別の事情を取りこぼしてしまいがちだ。

悪く言うことができるだろうか。

アートナイトでやった作品の反響がインターネット上にたくさん上がっていたので、メモとして残しておきます。

 

ニュースサイト

六本木アートナイト:音、映像、一夜限りのパフォーマンス/毎日jp

六本木が一夜限りの"アートの海"と化し、灯台や船、港が街を彩った「六本木アートナイト2013」/マイナビニュース

個人のブログ

オシャクソイベント六本木アートナイトに突撃! 少年アヤちゃんの東京散歩 

手羽ちゃんのドキドキ潜入レポート – 六本木アートナイト2013後編-

六本木アートナイト.☆°•/水たまりへジャンプ!

居酒屋と「他人のトンネル」。/ここまでおいで

六本木アートナイト2013 (後編)/関東近辺の美術館めぐり ~美術・美景・美味を楽しむブログ~ 

六本木アートナイト2013/kei@memo たとえワタシが死んでも。

カルチャー通信☆/ラコ Larcoのブログ

夜明け前の六本木ヒルズで・・・/BOYS AND GIRLS

ツイッター検索

 

  1. アートナイト超楽しかった。村上慧さんの「他人のトンネル」が印象的。あと「期待して当たり前なんだし。」のワクワク感が半端ない。ESでお気に入りの1枚について紹介してって、言われたらあの写真つかうな。来年は1日中いたい!

  2. @meg1515 他人のトンネル面白かったね(*´▽`)ノ ショップも草間とかニナミカさんの作品少し見れたし楽しかった╰(*´︶`*)╯♡

  3. 六本木アートナイト2013楽しかったなあ〜『他人のトンネル』すき pic.twitter.com/Twm3zb6liy

  4. ZARAの前にインスタレーション「他人のトンネル」があり、ちょうど人が途切れたので試してみた!やる気満々だったのだけど「他人」のお兄さんがとてもシャイなかんじで…エヘヘー☆と笑うにとどめました…

  5. @0426yuki 村上慧の”他人のトンネル”って作品の中で出会う人にMMMチラシや自分の名刺を渡すと高確率で受け取ってもらえるよ。

  6. 他人のトンネルっていう美術作品ですれ違ったお姉さんに「よい一日を!」と言われた。あーあのお姉さん綺麗だったな。彼氏と楽しそうに会話してました。

  7. @326588 ごめん、あたし全然そういう観点で見てなかったよ…笑 ご飯食べるついでにふらーっとアートナイト回って、なんか行列あったから並んでみたら、他人のトンネルだったんだよね。他人と急に短時間話す感じがただ単に緊張した。。そんでもって、それ以外あんまり見なかったんだよなー。

  8. 友人に誘われて六本木アートナイトへ。他人のトンネル、超どきどきした。名乗って握手までしちゃったぜ。桜がきれいでした。お花見のタイミングがーーーー。。。いや、ぶっちゃけ花はどうでm…ryお弁当。。 pic.twitter.com/7O3bNs2fpn

  9. 「どうぶつたちの一週間」と「他人のトンネル」、白雪姫のやつときゃりーぱみゅぱみゅミュージアムが面白かったなぁ。

  10. 村上慧≪他人のトンネル≫。「個」が失われがちな都会(日本?)の現状の打破を促す体験型アート。

  11. 僕は結構「モダンアート(笑)」って感じの人間なんだけど、それはいわゆる似非コンセプト病、作品に背負わせた大袈裟なコンセプトと出来上がった作品につり合いが取れてないものが多すぎるからです。あと判断観客にゆだねすぎ。プライドないんかと。でも「他人のトンネル」はよかった

  12. 六本木アートナイト楽しかった。一番印象に残ったのが村上慧さんの「他人のトンネル」。人間は個人の集団で、それってすれ違うだけでドラマだ。これは常設展示するべきだよ。

  13. 村上慧「他人のトンネル」 トンネルの中を知らない人どうしですれ違う作品。中で何するかは自由。 Boy meets Girl http://instagram.com/p/XNZA4HLXZA/ 

  14. 他人のトンネル、かわいい子じゃなかったから挨拶だけで終わっちゃったww

  15. 他人のトンネル絶妙!考えたひとスゲー!!

  16. 【アートナイト振り返り】長くてまっ白いトンネルの中に、両側から知らない人同士が入っていく「他人のトンネル」。入口が開いた瞬間のドキドキと、向こうからくる人の顔が見えたときの照れ臭さ、それからすれ違う瞬間のちょっとした寂しさ。ほんの15秒ぐらいの体験なのに、すごく鮮明に覚えてる。

  17. 他人のトンネル」って作品が良い。この視点好き。

  18. 他人のトンネルやってきた~うっちーさんが案内してくれた(^-^)相手男の人で脱いでいいですか?って聞かれた

  19. 村上君の作品「他人のトンネル」を発見・・http://satoshimurakami.net/   オレも そこに入って他人とすれ違って来た・・  pic.twitter.com/3FsB7nku9P

  20. 他人のトンネル” 見ず知らずの人と、すれ違う pic.twitter.com/sSeCobJmiV

  21. 他人のトンネル並んでる

  22. ウエストウォークの『他人のトンネル』が地味に楽しかった。一番心臓がドキドキした。相手男の人だったし…///

  23. 今回アートナイトで一番いいなって思ったのは、『他人のトンネル』だった。布で区切られた細い通路の両端からそれぞれ一人づつ入って真ん中くらいですれ違う。ただそれだけのものだったけど、一人づつしか入らないから、絶対に互いが認識する。だから、すれ違う時どうするかとか考えるのは面白かった

  24. 他人のトンネル、待ち

2013年5月2日(木)22:10

今日からフリーターである。

一昨日の夜から、国分寺の詩織の家に泊まっていて、さっき実家に帰ってきた。詩織は、大学の卒業単位が足りなかったので、あとすこし学校に通わなくては行けなくなって、いまも大学近くのアパートに住んでいる。僕は、今年の春には、詩織と一緒に西の方に移住をしようとぼんやり考えていたのだけど、詩織が大学に残るので、僕も東京の実家に半年くらい住んで、バイトをしてお金を貯めようとしている。バイトはもう始まっている。虎ノ門の駅前にある恵比寿バーのビアガーデン。

どんなバイトをしようかネットを見ていた時に、「ビアガーデン」の文字を見てピンときた。なんだか、わくわくさせるものがあった。

夏の間だけ、十五人くらい一斉にバイトを起用して、そのチームでビアガーデンをやりぬく。なんだかアートプロジェクトみたいだと思う。仮設のコミュニティ。いつか解散する事が分っていて、それでも集まっている人たち。

僕は、3月をもって、制作活動を止めた。つくりたい欲求はあるし、日々思う事はたくさんあるけど、いまは、かつてのようにそれを安易にアイデアに落とし込んだりしないで、ただもやっとした状態のまま心に漂わせているような感じでやっている。ぼくは大学を卒業してから2年間、浅草にシェアアトリエを借りて、ノリと勢いで「現代美術家」として活動してきた。後半は、それだけで生活できそうになっていたけど、このまま制作活動を続けると、自分が小さくなってしまうような、そこそこの作家で終わってしまうような、そんな恐怖があったから、東京を出ようと思ったのだった。そして、いまは制作の手を止めている。ちいさな仕事はすこしあるけど。

ぼくは、これまで、人生をなめていた。と思うようになる。詩織と、いよいよ2人で暮らしていくとなったとき、社会的な責任は大きくなり、なんとか稼ぎながら、家賃を払ったり、光熱費を払ったり、買い物をしたりして、やりくりしなくてはいけない数十年間が目の前に表れた、そのとき、僕は甘かった、と思った。

それまでも、うすうす感づいてはいたし、噂では聞いていたけど、

 

生まれてきた以上、死ぬまで生き続けなくてはいけない。寿命か、病気か、事故か分らないけど、何らかの力で自分の心臓が止まるまで、生き続けなくては行けない。この事実から逃げ出す事はできない。(自殺しないかぎりは)。そして、生き続けるためには、この高度に発達した、資本主義社会ではお金を稼がなくてはいけない。稼ぎ続けなくてはいけない。これは「自分がそこそこの作家で終わってしまうような気がする」という話とはまた違う次元の話だ。たとえ僕にそこそこの作家で終わってしまうような才能しか備わってないとしても、それでお金を稼ぎ続けなくてはいけない。現状に不満なら、死ぬか、自らを飛躍させるかしかない。飛躍できなければ、死ぬしかない。これは比喩ではなく事実であって、もう認めるしかないのだ。

 

昔の事をよく思い出すようになる。みんな過ぎ去っていった。とよく思うようになる。とくに、未だに詩織の家に行くため、ムサビ近くを通る時に。かつての気楽な学生生活(といっても当時は全く気楽ではなかったし、毎日必死に生きていた、だけどそれでも)は過去の出来事になったし、僕が卒業してからも残っていた後輩達も、いまではほとんどどこかの会社に勤めている。あれほど、馬鹿でだらしない人達だったのに。そんなことを言っている僕は、いまはもはやフリーターである。恥ずかしくなる。

ときどき「いつまでアーティストやっているの?」と、友達に聞かれる事がある。

僕は「そうか、そういう感覚なのか」と、かなり残念な気持ちになる。僕は、自分で思っている以上に、「社会」では「不適合者」なのかもしれない。

美術なんて何の役にも立たないのかもしれない。経済をまわしている彼らに比べたら、僕は何をやっているのだろう、とまで思うこともある。(それは間違っているのだけど)。でもあいにく、僕はこの道に深く入り込んでしまった。僕はこの道を「選んだ」わけではない。気がついたら深く入り込んで夢中になっていた。僕は「好きなことをやっている」意識はない。ただ死ぬまでに、なんとかしなくてはいけないって、それだけ思っている。

あの気楽で楽しい日々は思い出のものになってしまった。銭湯にいったり、夕日を見たりするとすぐにそんなメランコリックな気持ちになる。そしてときどき、かなりふかい闇がふってくる感覚がある。絶望に似た感覚。こんな風にして、あっという間に死んでしまうだろうという予感。

 

このあいだ、形成上野駅の地下通路で、清掃員のような服を着た人が、「作業中」みたいな言葉が書かれた黄色い看板を右手で持って、うつむいたままその腕を延ばして、振り子のように看板をブラブラさせていた。はじめその光景を見た時はすごくゾッとした。まるで、人が、可動部分が1か所しかない安いロボットになってしまったような、そんな恐ろしい光景だった。それはよく見ると、床に大きな案内のシールを貼ったばかりで、看板で風を送って乾かしているところだった。でもそれが分った後も、その光景は恐ろしかった。でも考えてみると、駅を行き来している人達は、みんなそんな風に、可動部分が少ない安いロボットのように、毎日を消化しながらも、そのなかで幸せを見つけているのかもしれない、と思う。この社会で生きるというのはもしかしたらそういうこと、それを受け入れるところから始めなくてはいけないのかもしれない、と思う。

 

とはいっても、僕は、いま戦略的にこれを書いている。ぼくは、可動部分が少ない安いロボットのようにはなりたくない。しかし、それを受け入れるところから、いったんは始めなければいけない。自分の限界をおしあげるには、いまのところこれしか思いつかない。社会的責任が強くのしかかる程、その表現に説得力が生まれてくるのだろうと思う。僕はまず、安いロボットになることを経験しなくてはいけない。この資本主義経済を微力ながら動かすロボットに。そこで孤独になって、深く絶望しなくてはいけない、と思う。