僕は家を出るとき、ドアを開けるとき「お前はどこにいくのだ」と自問してしまうドグマに縛られている。どこか具体的な目的地があることや、用事があることは、家をでることとは無関係のはずなのに、「まずどこに行こうか」と考えずにはいられなくなっている。漫画「今日の猫村さん」で、猫村さんが勤め先の家の不良娘に「どこにおでかけになるのですか?」と聞き、娘は「うるせーほっとけ」と答える。思い当たる人も多いだろうこの違和感は、どこから来ているのか。僕も、実家に住んでいた頃、無目的に家を出ようとするのを両親に見られるのが、なんだか苦手だった。とくに悪い事をしているわけではないのに、「どこに行くの?」と聞かれると、答えに窮してしまう。何か自分が悪い事をしているような気がしてしまう。僕は「散歩」と答えていたけど。でも僕の中では、言語化できない衝動があったし。完了できないことはわかっているけれど、歩き始めずにはいられない何かがあった。この違和感は、かつてのシチュアシオニストたちの活動ともなにかつながるような気がする。僕自身が学生時代にやってた「東京もぐら」と称した散歩活動とも。このあいだ「歩いている時、動いているのは僕ではなくて地面の方だとしか思えない」と書いたけれど、これは、いま書いた「お前はどこに行くのだ」という自問と、相対する考え方だと思う。「いま自分は移動中である」と「今自分は静止している状態である」という二項対立の考え方は、「目的地に行く最中なのか」と「目的地に着いている状態なのか」という僕たちの生活スタイルに起因しているような気がする。つまり僕たちは「動かない家」を出て、"自分が動きながら"「職場」に行って、時々、動かないスーパーや本屋や役所にも、"自分が動いていく"というこの生活のありかたに。細かく分業が進んだせいで、お金を稼ぐことが第一の欲求になってしまいかねないこのありかた。これは多分、逆なんだと思う。動いていないのは自分の方だ。だって、この間も書いた通り、僕は僕が動いているのをみた事がない。僕が歩いているとき、僕を僕と認識するこの主体のようなものは、"ここ"から離れる事がない。動いているのは地面の方で、僕は動いていないから。
最近佐々木中さんの「夜戦と永遠」を読んでいるのだけど、佐々木さんも言っているように「本を読む事」は、「知識の移動」なんていう受動的な物では断じて無いのだ、と本を閉じるたびに思う。僕は家で本を読んでいるとき、あきらかに能動的に動いている。「書き手と共に彼処にいきたい/いけない」のあいだで、常に動いている。でも、バイトに行く道中、歩きながらも僕は動いていない。動きの中で静止していたり、静止している中で動いていたりする。本当はたぶんそうなのだと思う。ただ「動いているのは人で、建物は動かないという事にしておこう」という取り決めの中に生きているにすぎない。そのほうが効率が良い(ということになっている)から。ただ「~ということにしておこう」という状態にすぎないことを忘れてはいけない。
学生時代にすごくお世話になった、師匠とでも呼びたいある人が、いま旦那さんの実家に嫁いで、義父母との関係がうまくいかず、精神的にすごく落ちている。ツイッターでその心情が垣間見えるのだけれど、あの鬼のように怖かった人が、窮屈な環境に置かれて、「耐える」とか「東京はよかった」とか「眠れない」とかツイッターに書き込んでいて、その"どうしようもなさ"が伝わってきてつらい。なぜこんなことになっているのか。ASEANの会食で日本の首相がAKBやらEXILEやらを呼んで「エンターテインメントを楽しみましょう」なんて発言がなぜできるのか。知り合いの母親が、旦那さんにとっては二度目の結婚相手ということもあって、近くに友達もいないし、特に「趣味」もないので、家でテレビなど観ながらずーーっと留守番をしているという生活を長いこと送っていた結果、重度の鬱になってしまった、ということがなぜ起こるのか。丸亀市の、あの怖くなるほど暗くて誰もいなくてシャッターしか見当たらない商店街がなぜ生まれてしまうのか。その元凶の多くは、さっき言ったことのなかにあるような気がしてきた。

家のすぐ近くに刑務所があって、そこに「刑務所作業品展示場所」という、誰でも入れるスペースがある。今日入ってみたら、全国のいろんな場所にある刑務所で作られた製品が展示販売されていた。いくつかは、既存のキャラクターものや、メーカーと共同でつくられたブランドものっぽい製品もあったけれど、ほとんどは、ただ「刑務所でつくられた製品」という事前情報のみで売り度されている商品だった。「
スケッチブック」と書かれたスケッチブック、革製の無地の財布、南部鉄器の鍋、碁盤、将棋盤、それっぽい模様が編まれている小物入れ、切り出した石に”可愛らしい感じの動物の絵”が描かれている文鎮、木製のテーブルなどなど。それらを見ていて、値段が「高い」のか「安い」のか判断できないことに気がついた。それらは、僕がお店で普段目にするような、事前の広告やパッケージのイメージがあって購入するものでも、口コミとかで購入するものでもない。純粋に、ただモノとしての商品。同じ物が別のお店で売っていて、こっちの方が安いからこっちで買う、なんてこともできない。たとえば財布があって、それがどれくらい丈夫で長持ちしそうかという基準だけで、値段が高いか安いかを判断することができない。製造する企業側の広告戦略とか、人気とか、そういう一切の情報がない、純粋な日用品。ちょっと前に、商品の値段は、その製造にかけられたコストによって決まるという話を、マルクスを解説しているような本で読んだけど、それで考えてみても、わからない。商品が買うに値するかどうかの判断基準はもはや、有用性とか、デザインの嗜好とか、いかに長持ちしそうか、とは別のところにあるような気がした。怪しい空間だった。普段目にしている、競争原理の中で作られている商品たちとは、完全に違う世界のもの。僕はどれも買おうという気にはならなかった。僕以外に誰も客はいなかった。これらはどのくらい売れるんだろう。ファンとかがいそうな気もする。ちょっと調べてみたら、刑務所作業製品の中で、函館で作られている「マル獄シリーズ」というラインナップがあった。円で囲まれた獄という字があり、その下に「prison」と描かれているロゴのシリーズ。スマートフォンのケースとか巾着袋とか前掛けとかがある。これらは、少し欲しいかもなあと思った。なんか自虐的なユーモアの匂いがして。メイドイン刑務所、という事を伝えるためにロゴを作り、消費者に買ってもらうためにわかりやすくシリーズ化している。面白い(というかマズイ)のは「欲しいかもなあと思った」その理由が、その商品の有用性とかでは全く無くて、「刑務所で作られている事を自覚してブランド化している」ということに対して思った、ということだ。こういうかたちで商品に接しないと、そのモノや買う価値があるのかないのかがわからなくなっている。こんなことは散々議論されていることだとは思う。「人々は、コーヒーやパソコンが欲しいのではなく、スターバックスでMacBookを開くというスタイル(イメージ?)を買うのだ」みたいなせりふも聞いたことがある。だけど、自分がそんな世界に浸りきって体質化しちゃってることに気がついて戦慄した。

山下達郎が実在するかどうかも、地球が丸いかどうかも、確かめたことがない。地球が丸いというのは間違っている。空気も水も閉じた世界の中で循環する有限のものなので、地球は裏返しで閉じている球体のようなかたちをしている。また、僕が歩くとき、動いているのは僕ではなくて地面の方だとしか思えない。僕を僕と認識して一と数えるこの主体のようなものは、いくら歩いても、この場所から動くことがない。僕が動くということは、世界が動くということになる、そうとしか考えられない。なので僕が変わるということは、世界が変わるということになる。世界を「変える」ことはできない。それができると考えるのは危険だ。ただ、世界は変えることができない上に、自分が生まれるはるか以前から、死んだ後のはるか未来まで、悲しいほどにながく、世界は続いていく、という事実を引き受け、絶望し、自分は何もしていないんじゃないか、何もできないんじゃないかという囁きに折れそうになりながら、もがいて、ふとした時に、世界が既に変わっている、と気がつくことができる。世界を変えるという言い方は適切ではない。世界は、気がついたときには既に変わっているという言い方ができる。

http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2013/12/14/32akb/
都内でasean首脳の方々を招いて開いた夕食会で、首相はakbやexileをステージに招き「エンターテイメントを楽しみましょう」と言ったらしい。ことの経緯は知らないけれど「エンターテイメントを楽しみましょう」なんて言葉が、よくも言えたものだ。何様だ。すごく嫌悪感を抱いた。ちょっと吐き気さえ覚えた。akbもエグザイルも全然好きじゃないけれど、こんな噴飯ものの場違いなところで「エンターテイメントを楽しみましょう」なんて紹介のされ方でパフォーマンスさせられて、かわいそうだと思った。「エンターテイメントを楽しみましょう」。こんな言葉を平然と言ってのけるなんて。こんな「エンターテイメントを楽しみましょう」なんて言葉が、すくなくとも「先進国」とされている国の首相が。どんな国だよ。「エンターテイメント」「楽しみましょう」なんて言葉が生まれてしまう、このありかた。もう何度も同じ事を書いてきたような気がするけれど。定住とか鬱とか自殺とか暇とか、そういう言葉をかすめていく例のアレ。仕事して、家賃を稼いで、光熱費を稼いで、仕事場への交通費と保険料を稼いで、残りをわずかな享楽のために使って、日々の営みをこなしていくこのありかた。この「アレ」。ひとつのヴァージョンにすぎないかもしれないのに、いま猛威をふるっているアレ。これを超えていけますように。岩手の仮設住宅で泣きながら話をしていたあの人の。大変な思いをしつつ、いつも笑顔を見せているあの人の、服従、畏怖、憧れを独占しているアレを。僕にそれができますように。

大学生の時に、高知県立美術館で観たニコラ•デ•マリアの「Gloria」という絵をもう一度観るために、また、中塚を「ひろめ市場」に連れていくために。あと沢田マンションを一目見るために。10日から11日まで、中塚と二人で高知に行ってきた。
「Gloria」という絵は、僕が大学2,3年生くらいのときに、寝袋と共に四国周辺をふらふらしていて、たまたま寄った高知県立美術館で、企画展を観た後に館を出ようと思ったら、ドアの上にかかっていたその絵に出会った。青と緑と黄と赤の極彩色しかつかっていないような絵で、左上につたない字でGROLIAと描かれている。当時学んでいた建築設計への不信感があり、自分はどうなっていくべきなのか何がしたいのかよくわからない時期だったこともあり、その絵を観たとき衝撃波をくらい、一枚の絵にこれだけの力があるのかと感動した記憶が、たびたび僕を救ってくれていた。もう一度観たいと、ずっと思っていた。またひろめ市場とは、高知市内にある、飲食店のデパートみたいなところで、ここに夜来ると、必ず誰かしらと相席になり、自然に会話がはじまるような、しかも日本酒や焼酎やビールやカツオの藁焼きやらと、高知のおいしいものがたくさん飲み食いできる。
Groliaの方は、なんと展示してある館が夜まで閉まっていて、観る事ができなかった。。ものすごく残念だったけれど、まだ時期じゃない、と絵に突き放されたような気もする。まだ観てはいけない、と。企画展の草間彌生「永遠の永遠の永遠」とシャガールのコレクション展を観た。草間さんのアクリルで描いた何十枚もの連作が凄まじかった。この人も、精神病院に毎日通いながら、ぎりぎりの状態で描き続けている。絵が良いとか悪いとか、きれいとか汚いとか、そういう話ではない。草間さん自身の生命維持の線の瀬戸際で描かれた異形の絵たちだった。ものすごく勇気づけられた。なぜか、展示室の床が、誰もいないのにパチパチなっていた。美術は、売買の対象にするため、美術史へのコミットの仕方を競う、という側面以上に、その人自身の切実さをいかに注ぎ込めるか、いかに生き延びるか、っていう、祈りのような側面を持っていなくてはいけない。関連映像ということで、草間さんのドキュメンタリーが上映されていたのだけど、そこで彼女は「わたしはピカソもアンディも出し抜いて、トップの作家になりたいんだ」と言っていた。
ひろめ市場では、中塚が相席の人たちとよく話して飲んで、夜気持ち悪くなって大変そうにしてた。彼女の気質からして、ひろめ市場みたいなところにきちゃうと、人との話がはずんでしまって、飲みすぎてしまうのだと思う。
帰ってきたその日の夕方からまたバイトだったのだけど、スタッフがみんなピュアすぎて、にやにやしてしまう。たとえば先日の例の兄貴分の彼とのやりとりは、店を閉めるころになると、リセットと呼ばれる、メニューやテーブルをアルコールで拭く作業があるのだけど、僕はいそいでやれと言われていたのもあって、メニュー(クリップで何枚かがまとめられている)を拭くとき、クリップを外さずにさらっと拭いていたら、彼がやってきて「いま見とったけど、それじゃあやっつけ仕事や。やってないのと一緒や。ちゃんと(メニューをとめているクリップも)外して、メニューのカドからカドまで、しっかり拭いていこうや」というようなことを言われた。何かの研修ビデオに出てきそうな台詞だ。衝撃だった。この間も彼は「中途半端は絶対あかん」と言っていた。彼にはそういう信念があるのだ。かっこいい。また、梅酒のロックをつくるのに、ロックグラスを取り出して、先に梅酒を入れ、後で氷を入れていたときに、その場にいた古株スタッフから「それ梅酒ですよね。先に氷じゃなくて梅酒入れるんでしたっけ?」と聞かれて、「え?どっちでもいいんじゃないんですか?」と答えたら「どっちでも良くないと思います。」といい、その人はどこかに行ってしまった。少し経ってから別の人(この人は社員)が来て「梅酒ロックのときは、先に氷いれてから、梅酒な」と言われた。なんじゃその順番縛り。と思いながらも、すいません、と謝った。終わってから店長に(僕はまだ研修中なので、毎回終わりに、今日はどんなことで困ったか、話をする時間がある)、梅酒の件を話してみたら、店長の方は「氷の上から梅酒を入れると、氷が溶けて滑って、お酒の中に氷が落ちてくれるけん、その方が確実なんやけど、梅酒の後に氷入れても、ちゃんと氷をまわして、お酒に落としてくれれば(これは僕も教わっている)、結果的にできるものは同じやから、どっちでもいいと思うんやけど、伝わらんなー。」と言っていた。さらに「全部店長が悪いんやけどな。」「人に伝えるって難しいなー」と言って、少し深刻に考えはじめる店長がいた。人によってやりかたも違うし考え方も違うのだけどみんな、どこかで無意識のうちに、自分のやり方が間違ってないと、思っている、祈っている。だから、人から言われたことを、読み込むというのは、とても難しいことなのだ。店長がぼやいていたのもそれなのだ。佐々木中さんも言っているじゃないか。人が書いた本なんて読めるわけがない。読めたら気が狂ってしまう。でも、それでも、読まなければいけない。取りて読めと。
ただそんなレベルの話とはもう完全に圧倒的に無関係に、バイト生活には既にうんざりしている。苦悩のために生きているっていうショーペンハウアーの言葉がいつも頭のどこかにある。これで本当に最後になんとかしたい。あれだけバイトしたのに、中塚との引っ越しやらいろいろと積み重なった結果、なぜかもうお金が無くて、でもどんどん税金とか奨学金とかいろいろな支払いはどんどん降り掛かってきて、免除申請を出し忘れてた期間滞納してた年金の支払い催促の電話もなる。悪夢だ。祈るんだ。早く過ぎされ。

今年ももうすぐ終わる。2013年を振り返ってみると、大学を卒業してからの2年間、2011年、2012年に比べると、圧倒的に何もしていない時期だった。1月から2月は、フジテレビでの展示の撤収後、空鼠で吉原関連のことをずっとやっていた。3月に六本木アートナイトに参加してから、5月くらいまでの記憶がほとんど無い。5月から9月末までは1日12時間働いていたバイトの記憶がほとんどで、そのあいまに、ランドセルを作品にした記憶がぼんやりと浮かんでいる、という感じ。そしてイタリアに行き、大分のプロジェクトに参加させてもらって、高松に越して、そしていまもバイトをしている。何をやってるんだか。今年みたものとしては映画「立候補」の印象が強くのこっている。終盤のマック赤坂のスピーチと踊り、そして息子の叫びがいまも記憶にやきついている。「おまえらそんなエネルギーあるなら、立候補してみろよ!」というあの叫びが。これは参議院議員選挙での三宅洋平の言葉と記憶の中でセットになる。ランドセルの作品を作りながら、iPhoneで三宅さんの演説を初めて聞いたときの革命前夜の感じは、三宅さんが気づかせてくれたあの感じは、今もたしかに続いている。また想田監督の「選挙2」ともつながる。そんな「革命」なんて言葉とはまるで無関係であるかのような、清掃員とビアガーデンのバイトの雰囲気もよく覚えている。朝6時に、ふらふらと起き上がって、電車内でブコウスキーを読んで、ウディ•ガスリーや友川カズキを聞きながら清掃現場まで行き、9時ごろまで働いたら家に帰り、すぐに昼寝をして、1時ごろにはまたバイト先のビアガーデンに出かけ、23時半ごろまで働いて、缶ビールを飲みながらかえってくる。それの繰り返しが5ヶ月間。あの時間は結局なんだったのだ。でもそのおかげで、ブコウスキーとちゃんと出会えたのもよかった。彼もアメリカ中を転々としながら、その毎日の生活、うんざりするような日雇い労働と、まちで会うさまざまな女たちとの刹那的な情愛のなかでエネルギーを貯め、その切実な文体を磨いていった。ブコウスキーは言っていた。「すべての時間を無駄にしてはならない」と。ずっと集中を持続させるのは不可能なことだ。2時間の集中をつくりだすために、8時間は無駄にしないといけないかもしれない。晩年彼は、日中は競馬に出かけ、夜家に帰ってきてからワープロ(もしくはタイプライター)の前に座る。という生活をしていた。友川カズキさんのライブにも行ったのだった。黒い衝撃波が伝わってくるすごいライブだった。展覧会は、ベニスビエンナーレがやっぱりすごかった。ウォルターデマリアの作品と、大竹さんのスクラップブックと、イスラエル館のインスタレーション、あとまちのギャラリーでやっていた小さな展示の、小泉めいろうさんの作品をよく覚えてる。ホテルのそばのBar Piccoloのあのご主人は今日もいつも通りの顔をしてるだろうか。演劇はあんまり観られなった。二日連続で遊園地再生事業団とキャラメルボックスという組み合わせをみた記憶は強くのこっている。作品の内容以上に、その振れ幅を。観客に「完成品をみせつける」ような、大衆向けのエンターテイメント志向のものと、観客を「べつの場所に連れて行こうとする」ような、解釈される事を逃れ続けるような志向のものとの振れ幅。その両者の「わかりあえなさ」からくる寂しい気持ちをよく覚えている。

例えば、住む地域を変えてみる。模様替えをしてみる。屋上や庭で寝たりしてみる。旅に出たり、情報との距離の取り方を変えたりしてみる。
そのとき身体や精神が、新しい環境に適応するために変態する。これまでと何が違うのか、何が足りないのかを考え、試しながら、必死で変態する。生きのこるために。
そして生き続けるために、その変態を繰り返す。ある場所と別の場所の往復運動をするように。
自分はいまどのような環境において、どのような状態で生きているのか、まわりをとりまく物事を俯瞰する目を持つために。より「良く生きる」ためにはどうしたらいいか、思考を常に働かせ、比較できるようにするために。ある状態に落ち着いたとしても、そこでなにか問題が発生した時 に、逃げられるようにするために。

高松は寒い。なんだか東京よりも寒く感じる。東京より南に位置してるから暖かいと勝手に思っていたけど、そうでもないみたい。
昨日、特定秘密保護法案が参議院本会議で記名投票の末、賛成多数で可決、成立したらしい。国会前ではデモが続いていて、僕の知り合いもたくさん現場にいっているみたい。なんだか、東京から距離的に離れているというだけでそんな出来事たちが、すこし自分からは遠いことのように感じてしまう。この距離でこうなんだから、中国とか、ロシアとかで言ったら、田舎のほうに住んでいる人たちが、首都で起こってることを、我が身のように感じるのは大変なことなんだろうなあ。この法案の中身は(たくさんの人が何度も言っているように)特定機密の定義と、秘密取り扱い責任者(みたいな感じのやつ)の決め方が曖昧だと思うし、施行されてから、どの程度の威力を発揮するのかわからないところがものすごく不気味なのだけど、正直、一昨日の特別委での強行採決といい、なんでわざわざ今更、しかもこんなにも急いでするのか、(アメリカに対する歩み寄りの表現とかいろいろ言ってる人いるけど)よくわからないというのが正直なところで。なんだかここ1,2ヶ月で突然「秘密保護法」という言葉が浮上したような印象で、それがあっという間に決まってしまったていう、着いていけない感じ。すべて僕の無知と無関心が招いた結果なのだけど。だから(デモには参加したい気持ちはあるけど)、いまさら成立したからといって、落ちこむこともしないし、ただひたすら不気味だ。これは、前回の参議院選挙とか衆議院選挙が招いた結果(もっというと今年の初めにも日記で書いた、フジテレビに並んでいたあの大勢の人たちが招いた結果)。
国会前が、秘密保護法案採決反対デモで盛り上がっている最中、この歴史的な日に、僕はバイト先で、「なんちゃらほっとチョコ」というデザートの作り方で「マグカップに先にチョコを入れてからココアを入れるべきところを、先にココアを入れてからチョコを入れようとしてしまった」のが理由で怒られていた。僕は、怒られながら、秘密保護法のことを考えていた。そしてちょっと笑いそうになっていた。この落差に。バイト先の兄貴分の彼は「自分の中では、(最終的に正しい形にさえなれば)どっちの作業を先にやるかは、関係無いと思うかもしれんけどな、みんなおなじ手順でやってるんや。こまかいこと言うようやけど、ここで中途半端にしたら、お店全体がそうなってしまうやろ」「中途半端はぜったいあかん」と言っていた。このマグカップへ注ぐ物の順番が、鉄壁の法則であるかのように語る人と、それほど厳密には気にしていない人と、秘密保護法を審議をすっとばして強行採決する人たちと、この国にはいろんな人がいる。この職場には、この店で働きながら、自分のお店を最近オープンさせた(ずっと夢だったらしい)人もいる。とてもすてきな事だと思う。みんなそれぞれの生活を営んでいる。
そんなことを考えていると、選挙で施政者を選ぶ、ということ、「投票をする」責任を引き受けるということは、当然かなりの勉強が必要なわけで、ふだんの生活(チョコレートとココアの入れる順番とか、お店の掛け持ちとか)だけで大変なことなのに、その上、民主主義を正しく運用するためには、勉強と情報収集(政治と選挙の文脈の勉強とか新聞やテレビや本やインターネット上からの情報収集、しかも1つの発信源だけではいけない、偏ってしまうから)が欠かせない、というのは、無理がある、というか、何か根本的に間違ってるような気さえしてくる、というか。今、高松で暮らしていて、日々のお仕事とかお洗濯とかお料理とか買い物とか近所付き合いとかゴミ出しとか子守り(僕は子供は居ないけど)とか、を、繰り返し繰り返し行う、というのはすごいことだと毎日思っているし、父が昔たまに「仕事行きたくねえ~」とこぼしていたのをよく思いだす。家庭は文字通り「築く」ものなのだなあ~と思う。これを、大昔から人が繰り返し繰り返してきて、政治や宗教も、その営みにあわせて変わりながら、不完全ながらも発達してきて、いまはまたその革命期に入っているのだなあ。と思う。僕は僕自身の救済のためにやるべきことをやるのみで、毎夕バイトに行く道中で感じるあの絶望と憂鬱と無力感と、昨日、橋の上で遠くの鉄塔を見ながら足下からこみ上げてきた熱を忘れないように日々仕事をこなしていくのみだと。このバイト先、人数が多くて規律が細かくて厳しいぶん「新人に対して厳しい目を向けること」によって、お店のバランス(新人に厳しくする事で、自分たちへの自戒にもしている)が保たれている感じがある。僕はその役を、僕の望む通り「嫌な気持ちになりながら」受けてたっているわけなので、考えてみればオールライトなのだ。

美術について、バイト先の人たちに説明したあとの、「はあ」みたいな顔をされたときの無力感が尋常じゃない。この感じ、久しぶりに味わった。「デザイン」と同義語だと思っている人もいた。まあそんなもんなんだろう。僕がいくら「いま美術家として個人事業主になっていて、4月までにお金がいるから、ここでお世話になっている。」という話をしても、基本的にみんな「将来は画家になる人」みたいな認識から逃れられない。彼らの言う「将来」は多分いつになってもこない。その人が何者なのか、を考えるときに「それだけで生活費を稼げるか否か」という基準を多分無意識に適用しちゃっていて、いま現に目の前に「作家」を自称している人がいるのに、「将来は~」という風になってしまう。その人がアーティストかどうかって、「それだけで食っているか否か」では、断じてなくて、その人が、自分は作家であるという自覚を持って社会と向き合っているかどうかで決まるものなのに。でもみんなに悪気があるわけでは全くない。こっちの人は、東京人と全然人柄が違って、みんなとってもピュアで、他人の心配事を、自分のことのように考えられる人ばっかりだ。すくなくとも僕が今のところ会ったひとたちはほとんどそうだった。例えば職場のある人が、新しく仕事をはじめようとしていて、そのために、まず先方にお金をいくらか(それも小額ではない)振り込まなきゃいけない、という話をききつけたみんなが「それは絶対に怪しい」と、心底心配そうにアドバイスしているのをみて、僕は最初「そりゃー痛い目みそうだなー」くらいに思っていたくらいだけど、なんだかみんなといるうちに「俺ももっと心配した方がいいのか」という気持ちになる。ということがあった。とにかく、みんな、東京の人々のようには毒されていないという感じがする。最近、佐々木中さんの「切りとれ、あの祈る手を」という本を読み始めたんだけど、それが、その冒頭あたりに


ジル•ドゥルーズの力強い言葉がありますね。「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落なのだ」と。ハイデガーも、「情報」とは「命令」という意味だと言っている。そうです。皆、命令を聞き逃していないかという恐怖に突き動かされているのです。情報を集めるということは、命令を集めるということです。いつもいつも気を張りつめて、命令に耳を澄ましているということです。

そこで「命令など知らない」ということはできないのでしょうか。命令を拒絶することはもはや不可能になったのでしょうか。

目配りがいいということに価値を置かないし、知っているということにも価値を置かない、情報を遮断する。すると、端的に何をしていいのかわからなくなる。どこにいくのかもわからない。命令を聞かないんだから何に従っていればいいのかわからない。かといって自分の命令というのは聞けない。誰とも知らない他の誰かの情報に、すなわち命令に従っていれ楽なんです。何故なら、その命令は自分では変えられないから。自分からの命令というのは自分で変えられる。所詮自分ですからね。すると当然はっきりとした目標に向かって真っ直ぐに進むということができなくなる。地図なしで異国の森をよろめきながら彷徨っているようなものです。どこに行くのかもわからず、ぴしりと足下で鳴る小枝の音を心細く聞き、不意に茂みからけたたましい声とともに飛び立つ鳥たちの羽ばたきに狼狽するーみっともないし心許ないし情けない。どころか苦しいわけです。外部の基準が何もないということは、要するに他人から見ると何もしていないということになります。この時代に何もしないで呆然としているというのは、許されないことをしているのではないかという罪悪感にも似た何かに責められることになる。


とある。
読み始めた瞬間から、心底「いまこの本を読めて良かった」と思った。東京にいると、どんどん新しいものが入ってきて、それを見聞きするたびに、僕の中だけで育っていた何かが「軌道修正される」感じがあった。いろんなイベントや展覧会や飲み会やインターネット(いま住んでいる家にはインターネットを引いていない)や町に響く声や広告や景色あらゆるものが情報となって、「そっちじゃないよ。こっちだよ」という風に、僕に向かって「命令」してくる感覚が、確かにあった。自分以外の判断基準を失い、善も悪も右も左も分からなくなるくらい没入するためには、そういう命令、というか雑音を遮断しないとだめなのだと思う。このあたりのことは、ドゥルーズの思想にもヒントがあるっぽい。今度読んでみる。