朝、フラワーキッズの職員の村上さんという人(僕のことを事前にテレビで見た事があるらしい)が おにぎりを差し入れにきてくれて
「今日家の置き場所なかったら、うちに来ても大丈夫ですよ!」
と言ってくれた。
僕は基本的に、色んなところで寝てみたいっていう欲望があるらしい。今日は村上さんの家に行くことにした。

午前中に大分合同新聞の人が僕の取材をするためにフラワーキッズに来た。
人のよさそうなおばちゃんで、僕の話に反応して「私もねえ、」と言って自分の話をしてくれたりして面白かった。
「車や電車で、目的地まで一気に行ってしまうのはもったいない」
という話をしたら
「私も車が運転できないから、自転車をよく使うんですよ。そしたらあそこに菜の花が咲いてるなあ、とか、ここがこう変わったなあとか、っていう事に気づいて主人に話すんですけど、主人は普段 車で移動してるのでわからないんですよ。」
という話をしてくれた。

お昼から夕方まで津久見の町をずーっと散歩していた。ここは山には石灰石の鉱山(地元の人は「石山」と呼ぶ)があり、海にはセメント工場がある。鉱山施設から海まで太いパイプが走っていて、石 を運んでいる。歩いててとっても面白い。「セメント町」という名前の住所があったり、巨大な工場 が住宅地の中にあったり。

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暗くなる前に、僕の家を村上さんの家の車庫に移した。

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フラワーキッズに絵を描いてプレゼントした

村上さんと、その娘さんとお母さんと4人で 鍋をつつきながらお話した。僕も村上なのでややこしい。
2、3ヶ月前に3人そろって僕のことをテレビで見たらしく、そのときのことをお母さんが
「いかに自分の家の中に無駄な物が多いかっていうことを思ったわ。これで生活できるんや。ってなあ」
と話してた。

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朝、家の中で絵を描いたりしてたら、僕の家のすぐそばまで車がきて、ドアが開く音がして、人が近づいてくる足音がして
「すいません~」
という女の人の声がした。「またなんかイベント発生だな」と思ってドアを開けたら、蜜柑がたくさん入ったビニール袋を持った女の人が立ってて
「この近くにあるフラワーキッズっていう施設の者なんですけど、ツイッターで見て来ました」
と言う。
「もしこのあとお時間あったら、フラワーキッズまで来ていただけませんか」
と言うので
「行きます」
と答えた。後で聞いた話、彼女はこうやって訪ねる前にお寺に
「白い家はまだありますか?」
って電話したらしい。そんでお寺の人が
「ホワイトハウスならまだあります」
と答えたらしい。面白い。

なんかイベントの予感がした。わくわくしながらフラワーキッズに向かった。

ここはNPOが運営している児童施設で、発達の遅い子供とかを預かる保育施設でもあり、学童も兼 ねてるみたい。僕が行ったときはちょうどお昼ご飯の前の時間で、何人かのこどもはかなり興奮して 喜んでくれた。いきなり超ハイテンションになって飛び回る子とか、不思議な質問をしてくる子とか色々いて、家を持っている僕っていう存在もその中の一人みたいに思えたというか、楽な気持ちで接 する事ができた気がする。職員さん達も、いろいろな子供を見るのに慣れているのでかなりタフ。なにをやっても受け入れられるような器の大きさが皆さんにあるような気がする。

午前中は子供たちと遊んで、午後は絵を描きに出かけた。昼過ぎから雨が降ってきた。今日はこのま まここの敷地を借りることになりそうな雰囲気になった。

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昼は園長さんがお弁当を用意してくれて、職員や子供たちと一緒に食べた。ひろくんと、かなくんという二人の男の子が
「一緒にたべよう」と誘ってくれた。

夜にここの理事長さんと会った。かなり経験値の高そうな男性。
「これからお風呂に行きます」
と言って出かけようとしたら、車で送迎までしてくれた。

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行った「塩湯」っていう温泉がまたサイコーで、日帰り温泉と料理屋が一緒になってるんだけど、海鮮料理が安くて美味しい。僕は定食を頼んだんだけどこれで千円だった。

夜寝る前に、同じNPOが運営しててこの近くにある「パレット」という福祉施設の人が僕を訪ねて きた。
「日記を読んだんですけど、お寺が良く出てきて仏教の事が書いてあるので訪ねてみようと思いました」
と言って、僕にメモをくれた。なにやら今度の土曜日に「初期仏教」の勉強会が大分市のお寺で開催 されて、しかもその寺の住職さんがムサビの彫刻学科卒業らしい。僕の先輩にあたる。これは行くし かない。

という感じで土曜まで津久見に滞在することになった。

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7時半頃、和尚さんが朝ご飯に招待してくれた。

ここは臨済宗(禅宗)のお寺で、息子さんはお寺を継ぐために神戸で修行中らしい。
禅宗なので、和尚になるには座禅の修行をする必要がある。みんなだいたい3、4年の修行を積んで終わるんだけど、息子さんは8年くらいやってるらしい。 20代をほとんど修行で過ごしてる。すごい。

その修行の話がまた凄まじい。一ヶ月に一週間くらい、ほとんど1日中座禅をして過ごす期間があって、そのあいだはご飯は他の人が支度してくれるから、そ れ以外の時間はずっと座禅をしていて、夜は23時くらいまでやって寝て、翌日3、4時には起きてすぐ座禅をするという。
12月は8日にお釈迦様が悟りを 開いた日なので、1~8日の8日間は布団も取り上げられて、ひたすら座禅をするという日々。

修行中は托鉢の時と、ちょっとした買い物のための数時間以外は外に出る事もできない。ある程度、外の世界の情報からも遮断されるだろうと思う。そういう 日々を過ごす事は、この時代にとても切実に必要な気がする。

僕たちは人の手によってわかりやすくまとめられた情報だけを大量に消費する日々を過ごしている。情報というものは暴力なので、自分で善し悪しを判断する 感性を、多分僕たちは奪われている。その修行の日々に20代の8年間を息子さんは費やした。本当にすごいことだと思う。

正午過ぎにお寺を出発。和尚さんと奥さんが見送ってくれた。今日はここから10キロくらい南東にある津久見市まで行く事にした。道が2種類あって、くねくねとした旧道(山道)をいくか、2キロのトンネルがあるバイパスを行くか。旧道の方はバイパスの2倍くらいの距離がある。
長距離歩くのは嫌だけど、トンネルもすごく嫌なので、もう和尚さんに決めてもらおうとおもって聞いてみたら
「新しい道の方がええな。旧道の方は倍時間がかかる。トンネルがながくてしんどいけどな。」
と言われたのでバイパスを通る事にした。この和尚さんは長距離を歩いて旅(もしくは托鉢)した経験があるんだろうな、と思った。距離が倍あるっていう推 測の正確さとか、トンネルを通るのが辛いっていうのは経験した人じゃないと分からない。

そのトンネルには歩道が申し訳程度にあって、しかも幹線道路なので、でかいトラックとかタンクローリーとかが僕のすぐそばをすごい音を立てながら通り過 ぎていって、もう緊張しっぱなしで、本当にもう勘弁してくれという感じだったけど、歩道に残ってる足跡や自転車の跡とかを見て「先人たちは生きてここを 通過したのだ」と思って自分を励ましながら歩いた。 長いトンネルを抜けると生まれ変わったような気持ちになる。生まれる時に産道を通るイメージと似てる。

トンネルを抜けたところですぐにパトカーに声をかけられた。通例通り職質が終わったら、警官が
「これじゃ轢かれるよ~」
と言って、細長い反射板を2枚くれた。

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途中、いきなりラブホテルの廃墟が現れた。

津久見市に入ってすぐに見つけた「解脱寺」というかっこいい名前のお寺で、敷地の交渉をしたらまたもやあっさりOKをもらった。ここでも住職さんに
「何日おるの?」
と聞かれて
「1日です」
「あ、今晩だけか。ええよ」
という会話をした。

「解脱寺」という名前から、ここも禅宗のお寺かなと思ったけどやっぱりそうだった。丘の上に建っていて、津久見の町が見下ろせる。

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朝、渡辺さんがおにぎりとお弁当を作って持ってきてくれた。
11時頃までジョイフルの店内で何も注文もせずに水を飲みながら絵を描いたり日記を書いたりしてた。

店内には他に客がいないので、店員さんの話し声が聞こえてきた。メニューの入れる向きについて話し合ったり世間話をしたり。そういう話を聞くのはとても気持ちが良い。
僕は土地の話が聞けるのが嬉しい。自分の話をするよりも、その場所での人間の話を聞くのが楽しい。ふらっと入ったファミレスでバイトの面接やってるのを見たり、高校生同士がだべってるのを聞 いたりするのが嬉しい。 そういう話声の全てが、生きてる事への讃歌のように聞こえてくる。それは自分が移動しているから だと思う。

11時半頃にジョイフルを出発して、臼杵方面に向かった。途中ながいトンネルがあって緊張したけど歌を歌いながらなんとか通過した。トンネルを歩くのはいつまで経っても慣れない。音が反響して不気味だし、空気も淀んでいる。一人で1時間いるだけで気がおかしくなると思う。

今日は道中3人の知らない人からそれぞれ「デカビタC」と「アクエリアス」と「おばあちゃんのぽたぽた焼き4枚」を差し入れにもらった。

4時前に臼杵市の熊崎駅というあたりに着いた。グーグルマップで「寺院」って検索してでてきた一 番近くのお寺に行って敷地の交渉をしたらあっさりオッケーをもらった。住職さんと
「いいけど、何日間おるの?」
「1日です」
「そうか。なら大丈夫です。」
「明日は二時から人がたくさん来るからそれまでにな」
という会話をした。

坂の多い住宅街で、歩いてて楽しい。しかも静かなのでぐっすり寝れそう。お寺は丘の上に建ってて 眺めがいい。新しくて立派な本堂で、住職さんもめっちゃ良い人だった。

夜は電車で一駅行ったところにある銭湯に行って、帰りにマクドナルドに寄って帰宅。ハンバーガーと、ジョイフルの大海さんにもらったカロリーメイトとソイジョイと、あとぽたぽた焼きが晩御飯。

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イスラム国の戦闘員と日本人がツイッターでやりとりしたという内容をネットで読んでて涙が出そう になった。本当に知らない事がたくさんあるんだな。悔しい。生まれる前から、問題の当事者になる ことが決められている。生まれたばかりの赤ちゃんは、真っ白で罪のない存在ではない。生まれた国 と時代と家庭環境によってあらゆることが事前に決まってしまっている。生まれた瞬間から業を背負 っている。逃げる事はできない。基本的にこの世界には正義vs正義っていう構図しか存在しない。でも日本人として生まれた以上、どんな事情があろうと敵にならなくちゃいけない相手がいる。そういうことが、ツイッターでのやりとりににじみ出ていて、胸に突き刺さる物があった。これは相手方の戦略で、僕はまんまとはまっているだけなのかもしれないけど。

朝9時前に、ジョイフルの渡辺さんから「店においでなー」という電話がきたので、すぐに家ごと向 かった。
着いたら4人くらいに歓迎されて、しかも店長がモーニングをご馳走してくれた。財布には 61円しかないのに、有り難い話で昨日の夜から食べ物に困ってない。

今日は夜までずっと雨の予報で、渡辺さんが
「今日は歩かないでここにおったら」 と言うので、そうすることにした。店長も許可をだしてくれたので今日の敷地はジョイフルの駐車場に決 まった。ファミレスの駐車場で寝るのは初めて。

朝9時過ぎにジョイフルに入ってから夜10時半ごろまで、僕はずっと同じテーブルに座って絵を描 いたり日記を付けたりぼーっとしたりしてて、その間にスタッフのシフトが2回くらい変わった気が する。ファミレスに1日中いるなんて贅沢だなーなんでも出来るなーと思ってたけど絵を描いてたらあっという間に暗くなった。

夕方になると、渡辺さんと大海さんと、他に2,3人の店員仲間と、さらに店長の奥さんとその子供 までが僕の家とか絵をみにやってきて、
「家を担いでみたい」
というので、みんなで家を担いで歩い たりしてたら、そのとき働いてたスタッフ2人と全然関係ない3人組のお客さんも混ざって、家を担ぐのをみて
「やっぱお前は担ぐのうまいなー」
とか言い合ったり写真を撮りまくる祭みたいになった。

帰り際に、大海さんは食べ物、渡辺さんは靴下と歯ブラシとタオルを差し入れてくれた。けど歯ブラ シとタオルは断った。
またありがたい話で晩ご飯も渡辺さんたちが食べさせてくれて、僕は今日1円も使っていない。

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ジョイフルの前の海

実に1ヶ月ぶりの移動。フンドーキンマンションを11時頃に出発した。ここに家を置きながら、目の前の店でバイトしたり、年末は東京に帰省したり、年始は京都に出張に行ったりして、半定住みたいな状態になってた。
そのせいでどうやら土地に根が生えてしまって、出発前に覚悟を決め直す必要があった。でも歩き出すと以前の感触をすぐに取り戻した。

歩きながら思ったんだけど、僕は自分の生活に「移住を生活する」っていうタイトルをつけることによって「生活をつくる」っていう意識を持とうとしている。「自分の生活 にタイトルをつける」っていうのは、日々を自覚的に生きるためには効果的なことだと思う。これは人間にしかできないはずだ。社会はつくられてできたものだし、つくれな いものはない。つくるためにはタイトルをつける。タイトルは各々が好き勝手つけていい。村上という名前の人を佐々木って呼んでもいい。

出発時、財布に300円くらいしかなかったけど、日曜日だからコンビニでお金おろすと手数料を取られると思ってお金をおろさずに出発した。あとで後悔した。

大分から海沿いに臼杵まで歩こうと思って東に向かった。途中、3人の女性から「写真とってもいいですか」と声をかけられて、1人の男性から蜜柑を7個もらった。
坂ノ市 という町を超えると建物をあまり見かけなくなる。コンビニも見なくなって「この蜜柑が晩ご飯ていうことになるかもな」と思った。

23キロくらい歩いて、夕方4時半ごろ「佐賀関」という道の駅があったのでそこを敷地に決めた。わざわざ交渉して断られたらもう退路がなさそうな環境なので、もう勝手に 敷地にした。海の目の前にある小さな道の駅。売店では「くろめ」という食べ物を大プッシュしていて、客はみんな「くろめソフトクリーム」というものを食べていた。

この道の駅はなんもない道路にいきなりあらわれるタイプで、その道には歩道がないので夜歩くのは危ない。その上一番近い店までもかなり距離があるし、海も 1時間くらいで見飽きたので、夜7時くらいになって「何もすることがない」と思ったので寝る事にした。
夜中に人が来なさそうな、海と道の駅の間にある公園みたいなところを選んで家を設置した。

でもごろごろしはじめてすぐに足音が聞こえてきて、しかもまっすぐにこっちに向かってきた。ひやひやした。そして懐中電灯が僕の家を照らしてきた。同時に「こんばんは ー」っていう声も聞こえた。なんだなんだと思ってドアを開けたら人が二人立ってて
「差し入れ持ってきました」
と言ってきた。二人とも大笑いしてた。

二人は渡辺さんと大海さんと言って近所のジョイフル(ファミレス)の店員だった。路上で家が歩く様子を目撃して僕のツイッターの「今日の敷地は道の駅です」っていう投稿をみて、車で駆けつけてきた。渡辺さんはやたらテンションが高くて面白い。差し入れを届けることを旦那さんから止められたらしい。
「そういう人は、自分の思いがあってやってるんだから、他人が手を出すものじゃない」
と言われたらしい。とてもいい台詞だと思った。

その人はおにぎりを二つとお茶と、お湯を入れたどん兵衛(肉うどん)を持ってきてくれた。僕の財布にはもう61円しかなかった。奇跡がおこったのだ。

二人とも気さくですぐ仲良くなって 「明日の朝はジョイフルにおいで!モーニングおごったる。」
と言ってくれた。

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できるかじゃない。やるんだ。やれ。お前はやるんだ。
圧倒的な強さで。圧倒的な誠実さでやれ。
このための日々があったのだ。エスカレーターに乗るのがすこし怖いのと似てる。きっと乗ってしまえばなんともないんだけど、みんな途中で降りてしまうから。もう一度乗るのがこわくなるんだ。
向き合え。この日々と。あの日々と向き合え。
お前が責任を取るんだ。あの日々の責任を取れ。
覚悟をきめろ。覚悟を決めろ、ってあの時も言ってた。あんなもんじゃないぞ。まだ足りないんだ。あの話し合い。あのお昼ご飯。あの飲み会。あの夜。あの朝。あの昼下がり。あの全ての日々。いのちを燃やすんだ。大丈夫だ。

日本人二人が人質に取られたニュースは「中東の問題って、そういえば身近な問題だった」っていう事に気づかされる衝撃的な出来事になるはずです。あのへんの話って、正直地球の反対側の遠い話という印象になりがちなんだけど、シリアやイスラエル-パレスチナやイラクの国境線の直線具合とかを見たり、日本も敗戦国であることを思い出したりすれば、すぐに自分たちにとっても身近な問題として捉えることはできるはずです。これだけのことがあっても問題を自分の身に引き寄せられないともうどうしようもないと思うんだけど。

切られたばかりの木の影

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お弁当を食べてる工事現場の交通整理の人

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19日に京都から大分に帰ってきた。そんで3月にPARASOPHIAのオープニングに合わせてまた京都に寄ることになった。

描いた絵に自分のサインを入れる時にいつも違和感を感じる。サインを入れちゃうとその作品に「自分を表現しました」みたいなメッセージが生まれるような気がする。「制作」は「自分を表現すること」ではない。市場で美術が取引されるずっと前から、もっと言うと「わたし」「あなた」という区別が生まれるずっと前からヒトは作品を作っていたはずなので「作品にサインを入れる」ことに違和感があるのは仕方がない気がする。林友深ちゃんが言ってた「自我を超えたい」っていうのはこういうことを言っているのかなと思った。

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京都で絵の仕事をしていて、絵を描くとき「線を1本描く」っていう行為はとても素朴ですぐに終わる作業だし、それをやっているときは「全体のうちのこの部分を描いてる」なんて考えてない。ただ、1本の線を引くっていうことだけに集中している。でもそれを繰り返し繰り返しやっていくうちに(知らず知らずのうちに)全体像が浮かび上がっていく。そのことが、僕の移動とよく似てるなと思った。

これまで僕は家を連れて東京から青森まで行って、そっから大分まで来た。こう書くとすごく長距離の移動をしているんだけど、1回1回の移動は「長い散歩」くらいの移動しかしてないし、その移動をしているときは「今日の移動は、日本をまわっているうちの一部分」なんて考えてない。でもそれが知らず知らずのうちに膨大な移動距離を生み出し「日本をまわる」という行為が浮かび上がってくる。

似たような事を前に誰かに言われたような気がするんだけど思い出せない。

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美術作品のリースをしている京都のアルトテックと村上の共同で、パラソフィア(京都国際現代芸術祭)を広報する企画が始まってます。
アーティストが描いた家や建物の絵に派手な看板を合成でくっつけてポスターとかステッカーにするというものです。面白いです。

http://ouchinoirasutokakimasuyo.tumblr.com

昨夜、武蔵美生時代の師匠だった横山さんと京都で久々に話して、良いワークショップの話をきいた。
それは神戸の震災以降20年ずっと続いているワークショップで、美大生と震災経験者と神戸の子供 たちがみんな一緒になって、震災当時のことを話して体験を共有しながら布絵をつくっていくという もの。とてもいい作品の写真をたくさん見せてもらった。でも大事なのはそれらの作品が良いかどうかよりも、一緒に話をしながらつくったっていう体験が参加者の中に残ること。

京都はめちゃくちゃ寒い

仕事を頼まれて急遽京都にいくことになった。1週間くらい滞在する。家は大分に残していくので出張っていう形になるのかな。こういう滞在もいい。こういう移動もやれるときはやって
「これは旅なので村上のからだはいつも家と一緒にいる」
みたいな理解を宙づりにしたい。僕はただの「家が動かせるひと」だ。

iPhoneで新幹線の窓から外を撮ったとき、縦に撮ると普通に撮れるのに、横にして撮ると柱とかが 斜めに歪むという新たな発見

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何日か前に近所(ながいこと大分市中央町に居るので「近所」っていう言葉が自然にでてくる)で、カラフルな服を来た兄ちゃんと知り合った。彼は
「別府で店始めたんです」
と言ってヤバいチラシをくれた
これはいかねばならん、と思って今日行ってきた。

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サイコーな店だった!オーナーは僕と年が1つ違いだった。彼は基本的に旅人で
「ずっと"基地"が欲しいと思っていた」
と いう。別府にいい物件を見つけて、今年の元旦にオープンさせた。店内はクロマニヨンズとかオアシ スとか友部正人(?)とかがBGMでずっと流れてて、漫画喫茶でもあるし、カフェでもあるし、オ ーナーが描いた絵とか紙粘土の作品も展示してあるし、なんかいろいろな小物が並べられて展示されたりもしてる。
甘酒がサイコーに美味しかった。「朝見汁」っていう豚汁風の食べ物もいただいたん だけど、食べたら日頃の栄養不足が全部解消された。

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太陽の塔をあらゆる角度から撮った写真が大量にあったのも印象的

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暗くなるまで雑誌とか、ハンターハンター(ネテロがメルエムと戦う巻)を読んだりして過ごした。