いったい何と戦っているのか全然分からないけど、実家で休んでいる。実家にいると運良くカニが食べられたりする。昨日は1000円引き券の期限が今日までだからという父親のモチベーションで焼き肉を食べにいった。いろんな人に自分の症状を話して、アドバイスを聞いて、ひとつひとつ実行していっている。田谷さんの言う通り、寝る前にプロテインを飲んだりビタミン剤を飲んだり野菜酵素をとったら、今日はすこし調子が良い。田谷さんからは、ここからもっとダークサイドに落ちるか、持ち直すかの瀬戸際にいると言われた。お父さんは軽くお祓いをしてくれた。お父さんはもう還暦なので今年度いっぱいで退職するのでなにかプレゼントを考えたりしている。インターネットによると、還暦といえば赤いちゃんちゃんこらしい。あと家族みんなを大江戸温泉に連れて行くのはどうだろうと思った。あそこはとても楽しい。お風呂上がりの一杯が良い。水上さんのことを思い出した。そんで明日から京都。六甲にある家と一緒に軽トラに乗せてもらって京都までいく。できれば明日京都造形大の卒制をみたい。トラやんを卒制にしようとしてた下野さんのやつを見たい。あと5日に経済同友会の人たちを対象にしたパネルディスカッションに参加する。6日にはPARASOPHIAのオープニングに合わせて清掃員村上3を勝手にやる。8日には「とまらないひとをめぐる鼎談とホームパーティー」というトークイベントに参加する。あいまに絵の仕事をやる。そんで9日になおこと一緒に軽トラを借りて家ごと東京に戻る。今はあまり先のことは考えすぎないようにする。いまは横井正一さんの「無事がいちばん」という本と、宮城音弥さんという人の「精神分析入門」という本と、小さい頃通ってた塾の先生だった大竹稽さんの「ニーチェの悦び」という本を読んでいる。横井正一さんの話はヤバい。グアム島で、終戦に気づかず、みえない敵から30年近く逃げ続けていた人。足跡を消して歩いてた話とか、カタツムリと毒カエルとネズミがタンパク源だったはなしとか。「不況になっても大丈夫」っていうセリフの説得力もやばい。

昨日の夕方、一ノ瀬さんのところから宮崎港へ向かった。フェリーで神戸へ。いったん家を神戸に置いて東京に戻る。病院と整体にいく。僕は寝ているとき、寝返りをほとんどうってない気がする。たぶん、家がせまいから身体が寝返りをうたないように日々変化していってて、しかもこの冬は重い布団で結構ねることもあったりしたからだと思う。そしてこれは直感なんだけど、この異常な倦怠感とふらつきは、寝返りをうたないことと無関係ではない気がする。身体の軸が歪んだままで、それがそのまま気持ちと身体の不調に繋がっている気がする。寝返りを打つように努力しよう。次つくる家は寝返りをちゃんとうてるようにして、ちゃんと寝返りがうてる寝袋で寝よう。誰に教わったわけでもないけど、寝返りはとても大事だっていうことくらいわかる。希望をもちつつ、力をぬく。自分のことばかり考えない。人の役に立つ方に考える。ボランティアをする。悪い方には考えない。愚放塾の戸田さんには「力が抜けてて良い」って言われた。
一ノ瀬家を出る前にみんなで誕生日占いをやった。一ノ瀬夫婦の誕生日が、お互いに運命の人と書かれていて盛りあがったりした。その感じはとても良かった。新之助くんが前日から泊まりで出かけていて、出発のとき挨拶できなかったのがこころ残りだけど、まあまた会うだろうし大丈夫。だけど、僕が感じる1年と、彼が感じる1年の長さは全然違うんだろうと思う。フェリーには割とすんなり乗れた。荷物料も取られなかった。最初は他の一般客と同じ通路をぎりぎり通って乗船したけど、船員さんが「神戸の通路は宮崎のよりもせまいから、下船できないかもしれない」と心配してくれて、車両用の大きな入り口から乗船しなおした。家が船に乗ってる写真を撮り忘れた。
そんで今朝神戸に着いて、まずは六甲のカフェいろはに行ってゆりさんに会って、そんで僕が東京に行ってるあいだ1週間ほど家を置かせてもらう交渉をしに、いろはの目の前にある大きな神社に行った。宮司さんから「なんでこういうことをやってるのか。テントじゃだめだったのか」と色々と話を聞かれて、色々と話をしていたら。
「本来は絶対にそういうものを預かるなんていうことはしないんだけど、あなたは何故やっているのかという話をしてくれたので、預かりましょう」
と言ってくれて、シャッター付きの月極駐車場のあいてるところを貸してくれた。「3月1日までに取りにこず、連絡もつかなくなった場合、この家を処分してもかまいません」という誓約書を書いて預けた。

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絵を1枚完成させたら疲れた。時々発作的に「なんか知らないけどめっちゃ死にそうなんですけど状態」になって、もう笑わないとやってられない。何かの病気だと思いたい。いよいよ志布志までいくのをやめて、宮崎からフェリーに乗って神戸に行く事にした。取材もキャンセルさせてもらおう。いろはに行って長坂さんに会おう。そんで一旦東京で休んだり病院に行ったりしよう。それから3月の京都にのぞみたい。今日は鹿児島の橋口さんが今日ワークショップの手伝いで宮崎に来るので、かなり迷ったけど橋口さんには会ったら元気をもらえそうな気がしたので行ってみた。戸田さんという人のワークショップの手伝いで、戸田さんは小豆島で愚放塾という場所を開いてるめちゃかっこいいおっちゃん。ワークショップには間に合わなかったので、その後の飲み会に混ざった。戸田さんは、会った瞬間から緊張がなかった。「この人の前では何も構えなくて大丈夫だ」っていうのが初見でわかった。ぼくが「寒い夜がくると分かっていたとき、新聞紙が断熱材として目にうつった」という話や「コンビニは何かを買う場所というよりトイレとWi-Fiがある場所だと思っている」っていう話をしたら、そうやって世界を再編していくことが生きることだ。普通の人からしたら世界はとまっている。と、ハイデガーが言ってると教えられた。橋口さんは宮本常一が好きで、僕の活動を「各地を歩いて、各地の家の絵を描いて回ってる人」っていう民族学的な見方もできる。って言ってた。これは嬉しい言葉。

お昼に湯浅家から宮崎港の方へ移動。風はあまりない。3ヶ月くらい前から僕にメールで「宮崎に来た際はうちへ来てください」っていう連絡をしてくれてた一ノ瀬さんっていう人が、宮崎港の近くに住んでる。そこへ行く。湯浅家から1時間ちょっと歩いたところ。歩いてる途中、車からクラクションを鳴らされた。久々にやられた。腹が立った。車から歩行者にクラクションを鳴らすのはなんか強いものが弱いものを一方的にやっつけるみたいで、やったらだめだと思う。僕は車に対してクラクションを鳴らしたいと思ったけど、そういうクラクションはない。考えてみたらおかしな話だとおもう。遅いものが速いものに対して鳴らすクラクションがない。そこをどけ!っていう意味でのクラクションはあるのに、危ないだろ!っていう意味で鳴らすクラクションがない。必要だと思う。歩行者用の、対自動車クラクションをつくろう。可能な限り大きな音が鳴ったらいい。
吉村町のあたりは新しく開発された土地らしく、真新しい家とか大きなパチンコ店とかドラッグストアが並んでる。一ノ瀬さんと合流して、駐車場に家を置かせてもらった。4人+ワンコが2匹の家。一ノ瀬家のお父さんが、僕に会いにきたらしい他の人や家族の人たちに
「たのむから"どこから来たんですかー"とか、いままで村上さんが歩いてきて何百回もされたであろう質問はすんなよ。いままで一回もされたことのない質問をしてみろ」
って繰り返し言ってて、僕のかわりに、僕の日記をかなり読み込んでるらしいお父さんがどんどんしゃべってくれて、僕はほとんど話さずにすんだのがとても新鮮で嬉しかったし、楽な気持ちでその場にいられた。
「日記に全部かいてあるから、それを全部読んでから、それでも何かあったら質問せえよ」
って言ってて、感激すらした。こういう言い方をしてもいいなと思った。自分で調べてから聞いてください。って言えばいいのだ。ぼくはたぶんいちいち丁寧に答えすぎている。

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歩行者は、車からクラクションを鳴らされっぱなしで、逆のことができない。歩行者が車に対して鳴らすクラクションが必要だ。遅いものが速いものに対して鳴らすクラクションがない。

宮崎県宮崎市 橘通3丁目交差点

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今日も快晴。お昼頃、僕は家を置いて、湯浅家から宮崎駅のほうまで歩いてふらふらと出かけてみることにした。宮崎市内に漫画喫茶はあるかという問題に対して、湯浅さんのお父さんがタウンページを開いていたのをみて、小さい頃を思い出した。確か僕が小さい頃は、タウンページには土地の事が何でも書いてあるという感じで何かと開いていたな。歩いてる途中、大淀川という大きな川をまたぐ橋を渡るときに強い風が吹いてた。散歩したりスタバに入って本を読んだり絵の仕事をしたりする。ツイッターで宮崎在住の人から「村上さんに会いたい」という連絡が来て、スタバで会ったら地元のラジオ局のレポーターだった。次の火曜日の生放送のネタを探しているとのことで、もし火曜にまだ宮崎県内にいたら取材に来るらしい。夜、ファミレスに入ってご飯を食べてたら橋口さんから電話がくる。橋口さんは大学時代に知り合った「竹で大きなものを作るのが好きな人」。いま鹿児島に住んでる。今週末に宮崎大学に何かワークショップをするために来るらしい。そこで会う約束をした。ファミレスのテーブルで本を読んでいたら、不意に闇がきた。急いでファミレスを出て、大きな音で音楽を聞きながら歩いた。そうしたらすこし回復した。22時半頃、湯浅家の庭に置いてある自分の家に戻ってきた。湯浅さんのお父さんが厚手の寝袋を譲ってくれた。数十年前に買って、あまり使わずにしまわれていたものらしい。最高のタイミングで出会った。

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湯浅さんの家に「夜と霧」があったので、読んでいる。初めて読んだけど、このタイミングで出会えて良かったと思う。
強制収容所での生活のなかのユーモア、芸術、自然、愛のことを書いた部分がある。「ユーモア」は、周辺と距離をとり自分の魂を保つための力。「芸術」(ここでは演劇のことを言っていた)は収容所生活を送る上で、何かをいっとき忘れるために極めて有用だったこと。極限状態で見る夕焼けは美しく、ただ日が沈むのを見逃すまいとするためだけに、疲れた身体をひきずって外にでたこと。また疲労困憊してぼろぼろの体を引きずりながら、労働現場に向かって歩くとき、強い想像力で愛する人を出現させることができたこと、その愛を感じる上で、その人がそばにいるかどうか、あるいは生きているか死んでいるかどうかなど、全く問題ではなかった。ということ。フランクルは繰り返し書いている。
「妻が生きているか死んでいるかなど、その時は全く問題ではなかった」
人間は目の前の苦しみから逃れるために、心をどこまでも遠くへ飛ばすことができる。やっぱり芸術は本質的にはテクネーと呼ばれた技術のことを指すのだと思う。夜と霧を読んでいて強く思った。狂った環境のなかで、自分の魂を正気に保つために行われる工夫が文化活動なのだと思う。血液検査をしたときのことが重なってくる。このからだに満ちている「生きたい」っていう意志は強くて無自覚で、狂気じみている。とにかく思うのは「健康」とかを過度に考えすぎるのは身体の可能性を潰すことになるということ。僕は芸術のテクネーとしての側面をちゃんと継承していきたいと思う。そういえば2008年の「新建築」何月号かに、磯崎新さんのインタビューがのってて
「"商品としてのアート"という言葉を使ったら、国内のキュレーターからバッシングをくらった。自分は国際的な美術の状況をみて、常識を言っただけだ」
というようなことを言ってた。

ポンちゃん絵画教室に家を残したまま、僕のからだは昨日、宮崎市の街中にある湯浅さんの実家に運ばれた。「来た」というよりは「運ばれた」という感じ。湯浅さんのお父さんが車で僕を迎えにきてくれて、その時にポンちゃん絵画教室の島嵜先生が僕を指して「彼をよろしくお願いします」というようなことを言った。僕は自分がバトンになったような気持ちがした。

こういうことがあるから面白い。湯浅さんというのは「ポンちゃん絵画教室」を紹介してくれた大学の同級生で、たしか3年の設計の授業の時に、僕と彼女とで共同設計をすることになったが、お互いに我が強くて共同作業が全然うまくいかず、提出2週間前で関係が破綻した。っていう強烈な思い出がある。
卒業して以来連絡をとったことなかったけど、彼女は僕のこの日記を読んでくれていたらしい。それを聞いたときとても嬉しかった。いま彼女はドイツに住んでるのでここにはいない。ここには湯浅さんのお父さんとお母さんと僕がいる。
お父さんが、僕の体調を気遣って僕に連絡をくれて、迎えにきてくれた。お母さんは宮崎名物だという「チキン南蛮」や「冷や汁」や「がね(これは鹿児島)」をつくって食べさせてくれたり、お父さんは焼酎を飲ませてくれたりする。自分でもよく分からないうちに、みんながとても良くしてくれる。僕はただ感謝をしながら、あまり深く考えずに成り行きに任せるようにする。そうして時々「面白いなあ」と思ったりする。

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「チキン南蛮」と「がね」。「がね」はサツマイモとにんじんのかき揚げ。かき揚げの姿がカニに似てるからガネ(鹿児島弁でカニのこと)というらしい。本当にカニのことを言いたい時はどうするんだろう。

いま宮崎市佐土原のビジネスホテルにいる。
一昨日、川南町(この町の名前が既に懐かしい)のガソリンスタンドから、宮崎出身の友達が紹介してくれた「ぽんちゃん絵画教室」というところに家を移動させた。

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絵画教室の中は天井が高くてびっくりした

夜は何人かでお酒を飲んだり炭火焼き鳥を食べたりした。ぽんちゃん絵画教室の島嵜先生が集めてくれたメンバーで
「宮崎市のクリエイティブ関係者が羨ましがるようなハードコアなメンツ」
らしい。漆芸家と彫刻家と、なんか段ボールで作品を作っているらしい面白い兄ちゃんが集まって深夜まで話をした。僕も色々喋ってたら、帰り際に漆芸家の人から
「人前で言葉に出すっちゅう事は、覚悟が必要やからな。俺はそういうの覚えてるからな。がんばらなあかんぞ」
というようなことを言われて背筋がのびた。

その会はとても楽しかったのだけど、やっぱりどうにも体調がよくない。
整理するために書き出してみる
○朝起きるときに身体が重くて、歩くとふらつく感じの軽いめまいがある
○起きた瞬間から寝付く瞬間までずっと頭が興奮していて、横になっても休まらない感じがする
○37.0度前後の微熱がある。
○ときどき人と一緒にいる時に、座ってじっとしていると、なんか知らないけどきつくて死にそうになる
でもお酒を飲んで夢中で話してる時は全然元気だったので、これは精神的な原因だろうと思う。すこし一人になって休んだ方がいいような気がしたので、ホテルをとるに至った。この移住生活で初めてホテルをとった。今夜で二泊目。
本当は街中がよかったけど、なにやら今はプロ野球のキャンプシーズンでホテルがどこもいっぱいになってて佐土原のビジネスホテルでようやく一部屋空いていた。
今日は一応病院に行ってみようと思って、宮崎市内の総合病院の内科を受けて血液検査をしてみたんだけど、どの数値も正常値で「内科としては問題ない」と言われた。安心した。この移動生活の中でも血液検査で問題ないだけのバランスは保てているらしい。この血液検査の結果表がおもしろい。全然飽きない。

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僕の血の1マイクロリットルの中には白血球が4810個いて、赤血球は499万個いるらしい。血液の総量は体重の8%らしいので、僕のからだには4.7リットルくらいの血が流れている。1リットルは100万マイクロリットル。つまり僕のからだ全体で、200億個以上の白血球が、からだに入ってきた敵や不要なものを排除する仕事を日々行ってるらしい。これらの運動は、無意識に行われている。ちょっと狂気を感じる。


闇に飲み込まれそうになる時は、中島らも師匠の落語をみる。

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歩いてる途中にもらった。「宮崎で一番有名なチーズケーキ」らしい。とてもおいしい。
午前中に道の駅日向を出発して、20キロくらい南下したところにある川南町というところにあるガ ソリンスタンドの店員さん達が話しかけてきた。
「ラインとかフェイスブックで、すっごい話題になってますよー」
と言われた。僕はそんなことは知らなかった。
「敷地を探している」 と言ったら社長さんが 「そのへん使っていいよ」 と言ってくれて、あっさり決まった。
夜まで、ガソリンスタンドの休憩室で絵を描いてた。僕が絵を描いている同じ部屋で、ここで働いて いる人同士が世間話をしている。九州を南下するに従って方言がきつくなっている気がする。聞いて てもあんまり聞き取れないのでBGMみたいになってる。

集中力が切れそうになっている。僕の集中力は10ヶ月が限度らしい。もう既に頭が4月の展示向けに切り替わりつつある。
あと夜がどうしても寒い。新しい寝袋を買おう。やっぱり冬はあまり移動したくない。来年の冬は移動せずにどこかに留まって何か別のことをしたい。

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朝起きて自分の家を出て、「寒い寒い」と小さく呟きながら道の駅のトイレに入って顔を洗おうとしたときに、水道からお湯が出てきて
「うわ、お湯がでる!」
って一人なのに声を出してしまうほど感動したり。
行く先々でインフルエンザ感染者やその家族に会うので
「テレビとかのニュースでよく"インフルエンザが全国的に猛威"みたいな話を聞くけど、マジで流行ってるんだな」
って思ったり
「今夜は冷え込むから、晩ご飯を一杯食べておかないとまずいな」
と思って温泉に併設されてるレストランに行って特製カレーを食べたり。(この「冷え込むからたくさん食べておかないと」っていう発想って、自然なものだけどなかなか普段でてこない)
そんで帰ろうとしたら今日の新聞がレジのそばに置いてあったので「これを丸めて服に入れれば暖かいのでは」と思って
「これもらっていっていいですか?」
と聞いたら
「いいですよ。もう閉店なんで」
と言ってくれて「いらない新聞紙をもらえたことでこんなに嬉しかったことはない!」と思ったり
きついこともあるけれど、こういう日々のサバイバルをこなしていくことで、夜に眠るというなんでもないことが最高のご褒美になる。全ては後から考えると「楽しかったなあ」って思えることだ。 しかも、そういうこと1つ1つが全て自分の身をもって経験していることなので、僕はこの毎日をパ ーフェクトに信用する事ができる。
テレビとかツイッターとか新聞とかを見て右往左往しちゃうことはよくあるし、そればっかりに気を取られて何も分かんなくなっちゃってる人もいるけれど、自分で経験したことは、すべて信用する事 ができる。この体験してきた日々に確信がもてる。
そうやって嘘でも又聞きでもない日々が積み重なっていく。これをつきつめていくと人生を肯定できるような気がする。

宮崎県都農町

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空にトンビが飛んでいた

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2014年4月から制作してきた「移住を生活する」を発表する展覧会の詳細が決まりました。
およそ一年間の生活じたいを展示する試みです。僕はこの展覧会をあらかじめ想定して、一年間の生活を営んできました。

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村上 慧『 移住を生活する 1~182』

会期:2015年4月17日(金)‒ 4月29日(水・祝)[*22日(水)のみ休廊] 12:00 ‒ 19:00
オープニングパーティ:4月18日(土)17:30-
アーティストトーク:4月25日(土)17:00-18:30
ゲスト・岸井大輔(劇作家)

会場:Gallery Barco|ギャラリー バルコ
〒125-0061 東京都葛飾区亀有3-27-27 LA CAMERIA 1F
[常磐線(千代田線接続)亀有駅南口よりアリオ亀有方面に徒歩 3 分 ] 入場無料
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ぜひお越し下さい。1軒目の家が古くなったため、展示期間中2軒目の家を公開制作します。

以下はプレスリリースのPDFです。
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“TAMASHII NO KATAMARI / KATAMARI NO TAMASHII
February 04, 2014 at 11:24 PM
I think, “魂(TAMASHII)”is just like “塊(KATAMARI)”."

http://sekimanami.tumblr.com/post/75587840999/tamashii-no-katamari-katamari-no-tamashii

この生活にシフトしてから、2度体調を崩して熱を出してるけど、どちらも原因は"人の家の屋内に 泊まった"か"人がたくさんいる建物の内部に泊まった"からだと思う。自分の家で寝てる限りでは、 そういうことが今のところおこってない。体調を崩したら屋内で寝るのが普通だと思うんだけど、こ の生活の場合は屋内で寝たら体調を崩す事があるみたい。逆になってる。(僕の家の中も"屋内"だと 言いたいんだけど、とりあえずここでは言わない) 同じように、僕は移動をしてる方が食べ物をもらったり仕事をもらったりしてお金がかからない。同 じところに留まっているとお金が減っていく。 でもみんなは「普通は移動するのにお金がかかるもんだ」と言う。これも逆だ。