北川貴好さんに誘われて参加した「みっけるフェス2012in台東区」で発表した「雷門」という映像作品をアップロードしました。個展と一緒に観ると面白いと思います。

雷門 from satoshi on Vimeo.

展示物としてのからだがそこにあって、そのからだから話をきく場所。そのからだに自分の話をするという場所。

大事なことに気がついたので、個展のタイトルを変えます!

とにかくそわそわしていた。そわそわで気が狂いそうになった。そわそわの原因を考えていくと、自分の生活そのものに対する目を新鮮に持ち続けないといけないという必要性に迫られた。そのために生活そのものを制作しようと思った。なぜなら原発事故によって、僕たちがつくりだした放射能というものがどういうものなのかがすこし分かったから。彼らは10万年を生きる。僕たちはせいぜい100年程度しか生きられないし、とても飽きっぽくて、現状に慣れるようにできていて、昔の事をすぐに忘れてしまう。そんな僕たちよりも遥かに長い時間を生きる敵をつくりだしてしまっている。そして制御できなかった。原発事故によって、放射能という生き物との永遠に近い戦いが、すでに始まっていたということに気づかされた。彼らにどう対抗しうるか。このような事態にあっても可能なことは何かを考えたとき、自分の生活を制作するという態度しかなかった。
それによって、自分の日々のあらゆる振る舞いは「これは作られた生活である」という、上空からの視点を獲得する。だらしなくのびていくアメーバのような僕たちの生活に輪郭ができる。

「歴史の動脈」を通ってない表現たちは低音が鳴ってない音楽みたい。ヘッドホンからの音漏れみたい。そんなへぼいシャカシャカ音で、皆が楽しそうに踊ってるように見える。非常に不気味。低音が鳴ってないと僕は踊れない。