京都にいる。室町通りという道にある1つの町家を縁あって訪ねた。向かいにはマンションが建っていて、両隣も新しい建物が建っている。この建物 だけ取り残されているという感じ。
昔は呉服屋さんが並んでいた。今は呉服屋さんはほとんどなくなってしまっている。向かいのマンションも昔は一軒の呉服屋だったとい う。この家も広いけれど、この通りはどの家もマンションがひとつ建っちゃうくらい広かったらしい。いまではこの町内だけでマンションが5つ建 っている。この家にも三日ごとくらいに、建設屋さんがチャイムを押してくるらしい。
裏には大きなホテルが建っていて、庭からそのホテルと、ホテルの立体駐車場になっている背の高い塔も見える。
「昔の人は、縁側に映り込んだ緑とか空の青を見てたんですね。すごいなあと思って。いまはホテルで空の青があんまり映り込まないですけど。」
「この家も古いから下水道が土管で、最近それが壊れちゃって、割れたというか、水が漏れるようになっちゃって。それで全部変えたんですよ。あと 屋根も、瓦の下に土が敷いてあるもので、このあいだその土が落ちてきて。ぜんぶ葺き替えたらいくらかかるものか。」
ここの主人はこれからもこの家を使って行きたいと思っている。
京都はジャンル問わず多くの店が"町家風"を観光客向けに売り出している。それは外向きに作られたもので、宮崎に行ったらわざとらしくヤシの木が街路樹になっているのと近い。そして昔からずっと今まで使われ続けてきて、人が住ん でいる本当の町家には「マンションにしませんか」っていう声がかかる。

「この家にも人格があるような気がする」
この言葉は繰り返し言っていた。

最後にこんな話を聞いた。
「大工さんが、庭の灯籠のところに犬がいるって言うんですよ。犬が見えるって。これはこの家の守り神だから大事にせないかん、って言ってて。難 しいこといいはるなあと思ったんですけど。」
確かに灯籠のそばの岩の一部分が犬に見える。犬が岩に隠れているように見える。

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人の話をもっとちゃんと聞こうね

7日の夜。吉原の実行委員4人と、柴田剛さんと友達のリッシーさんとのサイコーな飲み会の席で橋本匠が、人にはそれぞれの形があって、その形と形がはまった時にグッドバイブスが生まれる。「自分でやったことを自分で展示する」ということは、そのことを考えていないんじゃないか。というようなことを言ってた。僕は個展と吉原芸術大サービスとももも展と立て続けに展示をやってみて、自分は素材なんじゃないかと思うことがあった。人に編集される方が自然だと思うことがあった。

もう残り1日になってしまいましたが東京都台東区で行われている「吉原芸術大サービス」に参加しています。
「移住を生活するからだ」というタイトルで展示しています。コーヒーをだしたりもしています。よろしくお願いします。

2015年第3回「吉原芸術大サービス G.W.〜ゲイジュツ・ワッショイ〜」
会期:2015年5月4日(祝月)~6日(祝水) 3日間
会場:東京都台東区千束3・4丁目周辺

http://yoshiwaraart.iiyudana.net

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吉原芸術大サービスの岸井大輔さんの「吉原の起源」という作品。地味に見えるけど、実はすごく狂ったことをやっていて、それでいてど真ん中ストレートなことをやっている。吉原神社のなかで「吉原御免状」という本をひたすら回し読みして奉納するというもの。観客はみんな奉納する側になって、神様が客になる。蛇の死体問題に通じる。蛇の死体を見つけた時に、「大いなるもの」に報告しないといけない気がするという問題。大いなるものを積極的に設定しないとまずいという気持ち。