体調の良し悪しは、思っている以上に食事が原因になっている事が多い。今日は夜になったら、なんかいてもたってもいられなくなって、歩いて30分のところにあるスーパー銭湯に行ってみたら体重が少し落ちてた。ちゃんと食べてなかったことが原因だったらしい。このところずっと絵を描いたり文章を書いたりで滞在場所に引きこもっている。今井町は、短期で滞在するのにはちょっと息苦しくて居心地が悪い。こもって制作するのには向いてるかもしれないけど。

スーパー銭湯のあとでもまだなにか我慢できなくて、とにかく今日は外食するぞと思って、近くの夢庵てところに初めて入ってみた。メニューを見ると、明らかに美味しそうに見えるものとそうじゃないものがある。何が美味しそうに見えるかで、このからだに何の栄養素が不足しているかがわかる。

人になにかを伝えるためにつくるっていうのは、深海から海面近くに上がっていく感じに似ている。いま僕は絵本をつくっていることで、深海の生き物を、海上に出しても死なないようにする作業をしている。

深海に潜っていくと、みんなの足場がある。多くの人は海面の上でしかコミュニケーションをしない。深海に足場があることを知らない。海面の上でお互いが別れているようにみえていて、みんなそれしか信じていない。下にいくからには中途半端はいけない。みんなの足場がある深いところまでいかないといけない。

地球が何十億年とかけてつくってきたこの土、空気、海を放射能が一瞬でダメにする。それなのに僕たちは「かなしい」とか「かなしくない」とか、産業がどうとか、快適な暮らしとか、どうでもいいくだらないことばっかり話題にしている。こんなに他の生物に迷惑ばっかりかける生き物は本当にいなくなった方がいいかもしれない。荒川さんに会いたい。

岸井さんの「始末をかく」のなかで、川沿いを歩いてたら突然道端でにおいをかがれたときのゾクッとする感覚が未だにからだに残っている。あの時からだに感じた「落差」が、そのまま横浜の土地の高低差や立地によるヒエラルキーっていう落差と、いまなら通じる。

過去に外部からきた人間に嫌な思いをさせられたせいで、外から来た全員に対し て同じように排他的に振る舞ってしまうのかもしれないけれど、それでもそれは ダメだ。ビジターに対して排他的にふるまうことは、絶対にどこかで自分の首を しめることになる。なにが自分や町にとって結果的なプラスになるかわからない 以上、他者を最初から排するのはだめだ。大津の教会の神父さんはキリスト教批 判の勉強会をしていた。それを忘れたくない。もちろん最初から相手にするべき じゃない人もいる。特にネット上に。
アートで空き家活用とか、まちおこしとか、そういう名目が見え隠れするような ものはやっぱり違和感があるけど参加した以上は、楽しかったと思えるものにしたいのであれこれ考えているけど。敷居が低すぎるどころか、グランドレベルよりも 下みたいなとこで展示している感じがする。土足でずかずかとあがられてきてる 感じが、なんだかつらい。設営中ドアのところに「アートイベントの設営をして います。ご迷惑おかけしてます」と書かれていて、こっちとしては、呼ばれてや っているわけだけど「迷惑かけてもうしわけありません」と書かれている。この現象はなんだ。

展覧会に参加します。

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「作法のためのリマインダ」

日時:2015年10月24日(土)〜11月3日(火・祝)10:00~17:00
※10月24日(土)、30日(金)、31日(土)ナイトビューイングにつき~19:00

場所:元トウネ精米工場・中野町家 奈良県橿原市今井町

入場料:缶バッジ型入場フリーパス300円(中野町家は無料/他はならぁとキュレーター会場も入場可)

参加作家:
青田 真也
加藤 巧 (本展担当キュレーター)
宮田 篤
村上 慧

この展覧会は、「覚え書き」のようなものです。
形のあるなしに限らず、ものごとをつくるというときに「方法」や「ルール」ができることがあります。ものごとを上手に作ったり、たくさん作ったり、長い間続けていったり、時には考え直したりするための「方法」や「ルール」は、続けられ大事にされるうちに「作法」と呼ばれるようになることがあります。茶道をはじめ、伝統芸能にまつわるイメージのある「作法」という言葉ですが、あらためて見つめてみると「《作》る上での方《法》」と読むことができるかもしれません。
今回展示をするのは、「削る/描く/読む/住む」といったシンプルな動作について思索を続けるアーティストたちです。作り手それぞれの動作たちの中にもまた、作るうえでの方法やルール、つまり「作法」があります。この中世よりの自治都市・今井町で、生活を作り、関わりを作り、営みを絶やさずに町を作ってきたように、「作法」という言葉を場作りともの作りとの交点として、これからも私たちがものごとを作り続けていくためのいくつかの「覚え書き=《リマインダ》」を残してみることとします。

《関連イベント》
・11/3(火・祝)午前中〜15:00ごろ
宮田 篤「おとなもこどももあそべるぶんがく《微分帖(びぶんちょう)》」ワークショップ@中野町家
参加無料

・10/25(日)、11/1(日)、11/3(火・祝)10:00~17:00
持ち寄り鍋パーティー@中野町家(主催・村上慧)
鍋パーティをやっていますのでお気軽にお越し下さい

[Reminder for making methods] 24th Oct- 3rd Nov. 2015
@ “Tohne’s former rice milling plant" and “Nakano traditional town house" Imai Cho, Kashihara city, Nara pref.

Shinya Aota
Takumi Kato
Atsushi Miyata
Satoshi Murakami

(As parts of “Core" exhibitions in “HANARART 2015" Prefectural Art Festival in Nara)

 

http://hanarart.jp/2015/imai-toune

特にお金がもらえたりするわけではなく、誰かがみているわけでもないのに、とても重い荷物を背負い、誰も歩いてない道を一人でずっと歩いてたりすると、一体この重みは何なのかがわからなくなってくる。何のための重みなのか。そしてずっと誰とも話さずにいると、じぶんはいま「いつ」にいるのかが曖昧になってくる。頭の中身が外にどんどん流れていって、いつとか、どことか、誰とかっていうことの区分けが消滅していく。いまが何世紀なのか、ここはどこなのか、誰とは誰なのか、そういうことが問題ではなくなっていく。そして不安になってくる。不安が心地よいときもあるし、気持ちが悪くなる時もある。

気持ちが悪い時はラジオを聞く。ラジオは「いまは2時です。こんなニュースがありました。」ということを、教えてくれる。1年後にはみんな忘れてしまうであろうニュースをとりあげたりして話している。瞬間を刻んでいる。そうすると永遠の中に溶け出していた「いつ」「どこ」「だれ」という区分けが輪郭を取り戻していく。瞬間と永遠が僕のからだを媒介して結びつき、ぐっとチューニングが合ってくる。瞬間と永遠が、同時にからだの中に立ち現れる。そのバランスが保てると、自分がいまここにいるということに自信がもてるようになる。なんのための重さなのかとか、そういうことも問題ではないのかもしれない。自分はいまここにいるということに対して、自分で自信をもつということなのかもしれない。

昨日から東京に来ている。写真家の紋ちゃんに連れられて原宿にいった。金曜ということもあって、人がたくさんいた。人というより、何か空っぽでペラペラの膜のようなものがたくさん歩いていたように思う。原宿には肉体がないように感じた。重さもない。

道端の植え込みに座っている人がリアルだった。彼らは体の疲労を感じて座っているのだと考えると、とても安心した。その疲労感がこの街ではとても浮いて見える。

車や電車はタイムマシンのよう。5日かかるところを1日で連れて行ってくれる。歩きの移動が常態化してくると、時間と距離が同期されてくる。焼山は昨日の町、大湯温泉は今日の町、というふうに。だから今日車で大湯温泉に行ったりしたら、昨日に戻ったような感覚になると思う。というかある意味では交通機関はタイムマシンなんだと思う。歩くスピードはずっと昔から変わらないから、スピードが速くなるということは時間を飛ばすということになる。あまりに毎日のように車や電車に乗って移動しているので、タイムマシンであるという感覚を無くしてしまう。歩きのスピードはかわらないのに、僕たちに強いられるスピードは年々増していっている。日常的にからだに負荷がかかっているのだと思う。

 

今日はタイムマシンも併用して、大湯温泉から能代まで行った。「平山はかり店」と「夢工房咲く咲く」がある町。平山さんが指揮をとってる「まちなか美術展」というイベントが明日から始まるらしい。池田修三さんという秋田出身の版画家の作品を市から借りて展示したりしていた。借りる際の苦労話など聞いた。


去年はまだオープンしたてで品数も少なかった平山はかり店は、商品が揃えられてて平山さんのカラーがでてめちゃお洒落になっている。はかりの店なので、定規とか秤とか升とかはもちろんあるけどポストカードとか文房具とか色々ある。

今日の敷地は「夢工房咲く咲く」の駐車場

土地

 

床下

 

間取り

休屋のバックパッカーズから23キロほど離れた大湯温泉というところに向かう。休屋からちょっと歩くと秋田県に入る。「熊出没注意」という看板を見かけるようになる。森は紅葉が始まっている。

大湯温泉は、個展に一番客で来てくれた文太郎君がいる町。彼は父親のガソリンスタンドを手伝っていて、去年初めてあった時は「ここで一生を終える」と言っていた。

 

寒さの割に装備が貧弱すぎるので、今日はいずみ荘というところで宿をとることにした。そしてあしたは電車も使って一気に能代まで向かう。紋ちゃんの撮影があるので明後日の夜には東京にいかないといけない。この付近で家を預かってくれそうなところは能代の人たち以外に思いつかない。


土地


床下

乙女の像という、何が良いのか全く分からない彫刻作品が十和田湖畔にあって、付近にはあちこちに「乙女の像はこちら」という看板が出てる。観光客もけっこうその像を訪れている。お店の人に「乙女の像はどっちですか」と聞いてるところもよくみる。店の人は慣れた感じで「右です」と答えている。僕も看板がでてるから観にいってみたけど、人が次々に訪れては写真を撮っては帰っていくのを眺めてるうちに絶望的な気持ちになった。これはもうどうしようもないなと思った。

家族や親族何人かで、低い建物が多く、淀んだ空気が漂っている町(かつて被差別部落だったであろう町)を歩いている。

そして父親に「ここは○○(聞き取れなかった)という土地だから、手で印くらいは結んどいた方がいいぞ。○○(聞き取れなかった。「キツネ」という単語が入っていた気がする)の印、知らないの?」

と言われる。父は手で、ちょっと複雑な印を組みながら、それぞれの印とその流れが持つストーリーを教えてくれる。最初は、なにか恐ろしい物に対して矢を放つという話だった気がする。

 

そしたら突然、道の左側から大きな猫みたいなものが、金属のフェンスをやぶって飛び出してきた。全体的に白い毛だけど、傷や汚れがたくさんあったように思う。そして、左側の目だけが確か3個ついてた。目は完全にイッてた。

 

僕たちはいつのまにか、その化猫から走って逃げている。誰かがそいつに矢を放ったが、その一発目の矢は口でキャッチされ噛み砕かれる。二発目の矢を、何かまじないをかけて放とうとしているときに目が覚める。

十和田湖温泉郷から十和田湖畔にあるボートクルーズの店「グリランド」を目指して奥入瀬渓流のなかを歩いた。温泉郷のほうは閑散としていたのに、渓流のほうはハイキングやツーリングやらの自然散策の客でけっこうにぎわっている。歩いてたらデンマーク人のカップルに英語で話しかけられた。

「何をやってるんだ?」と聞かれたので簡単な英語と身振りで、絵も見せながら一生懸命説明したら、何かが伝わったらしく大変感心して「絵をひとつ売ってくれ」と言われた。

そして

「なんのためのアートなんだ?」「art  for…?」

という質問をされた。うまくこたえられなかったけどart forという言葉は焼き付いた。なんのためのアートなのか。せめて生活の方法、建築の方法のためのアートだと答えたかった。考えがうまく通じないのが大変悔しい。

男性に「いつまで歩くのか?」と聞かれたので「わからない」「I don’t know」と答えた。

すると「ok.nature knows」と言われた。

グリランドは去年と変わらない空気が流れている。RIBボート(主に軍用,レスキューに使われるボート)で十和田湖ツアーに連れて行ってくれるお店で、去年何度か乗せてもらった。奥入瀬渓流もそうだけど、十和田湖畔はずっと昔から人の手が入っていない原生の森で、おまけに湖は水深320メートルある。恐ろしいほど静かで妖しい湖。自殺スポットでもある。特に日が落ちてから暗くなるまでの時間が最高に美しい。

 

そしてグリランドは社長さんが面白い。話を聞くと出生地も明らかじゃないらしく、多分青森市だけど秋田市という説もあると自分で言ってた。そしてサーカス団の血筋らしい。生活に関する細かいことはあまりできない感じだけどギャンブラー気質で、話がよく飛躍する。独特の空気をつくる。冬は経営してないので、毎年4月から11月ごろまでやってて、その時期だけそこにスタッフが集まって来る。そのメンバーは年によって変わったり変わらなかったりする。けっこう彼を慕って集まって来るひとも多いと思う。

今日は、新しいクルーザーを仕入れたいのでボートを売るという決断をして電話をかけてた。けっこう大きな額。

「来年はFM33(クルーザー)で稼げればいいべ。もしだめだったら津軽海峡いってマグロ釣ればいいべ」

と言ってた。

今日の敷地はそのグリランドのガレージみたいなとこ。

土地


床下

tbsラジオのポッドキャストで、ベビーカーの男の子をおっさんが突然殴ったというニュースを聞きながら、家を背負って歩いている。長い時間の中で考えなければいけないこの活動と、今この瞬間しか流れないであろうこのニュース。この分裂した関係を、僕のからだが媒介している。そうやってこの場所を歩いている。最近は音楽よりもラジオを聞きながら歩くほうがしっくりくる。うまくバランスがとれるのかもしれない。こうやって歩いたり生活したりする日々をちゃんと生き、自分の生活を守ることも大切な活動だと感じる。食べて、歩いて、考えて、書いて、描いて、人と話す日々を守るという政治活動だと感じる。

 

十和田市内から十和田湖温泉郷(焼山)に歩いた。昨年訪れて温泉街の廃れ具合に衝撃をうけたので、特に期待もなくというか、マイナスなイメージを強めて突入した。すっかり暗くなってしまってから町に入った。思ったよりも人の声があり、会話もあちこちである。なんだかんだ観光地で、旅館の駐車場には県外の車もちらほら。ただ商店や食堂は、地元の人らしき客しか入っていない。けっこう入りにくい。去年もいった食堂「上高地」に入ろうとしたら、中から出てきた客にじろっと見られた。見ない顔の人が食堂に入ったりするのはそうとう珍しいらしい。

その人たちが出て行ったら、店内の客は僕だけになった。イスに座ったらおばちゃんが

「そっちテレビみれないですけど…」

と声をかけてくれた。僕は席を変えた。牛バラ焼き定食を注文した。この「牛バラ焼き定食」は前回のB-1グランプリというやつで優勝した、十和田といえばコレという一品らしい。

まず牛バラ肉と刻んだ玉ねぎが鉄板に乗ってでてきた。混ぜながら自分で炒めて、できあがったころにご飯とみそ汁と漬け物がでてくる。めちゃ美味いし、量も多い。おばちゃんに観光できたのか、仕事できたのかと聞かれる。説明は面倒なので「どっちもですね」と答えた。おばちゃんは笑った。

 

家は去年と同じhakocco(観光案内所)の敷地に置いた。これから暴風がふくらしい。まだ静か。22時くらいには寝てしまった。

 

そんで夜中の1時過ぎに風で起こされる。ものすごい風。家が吹き飛びそうな風がいつのまにか吹いてる。iPhoneで調べたら十和田市は風速6メートルとでてきたけど絶対15メートルくらいはある。そのままツイッターとかみたけど、誰も風について書いている人はいない。こういうとき、何かを深く考えたりすることができない目の前の家が風で飛びそうだから。家が飛ばないように中から手で抑えながら片手でiPhoneを握っている状況。笑うしかない。もうすこし風のこないところ(そんな場所があるなら)家を動かしたほうがいいと思ったりもするが、自分のからだというおもりをとってしまったら一瞬で家は吹き飛ばされそうな風速。なのでそれもできない。

しかし家を抑えてさえいれば、家は僕を風や雨から守ってくれる。盾を持つ戦士のような気持ち。山奥の駐車場で一人で盾を持って踏ん張っている気持ち。これを乗り越えたら焼肉がたべたいと思った。風はなんでおこるのだろう。不思議だ。こんな強いエネルギーが気圧の違いだけでうまれるのか。神秘だ。これからますます強まるということだったので、公園のテーブルを二つ倒して家の前に置いてセルフ防風林をつくった。そしたらいくぶんかマシになった。そのままうとうとしながら朝まで風とバトルしていた。 そしたらhakoccoの人から起こされた。

「一応公園なので、テーブルやなんかはもとに戻したいんですが」

とのことなので、一緒に戻した。10時過ぎに、すこし風がよわまった感じがする。でもあまり寝れないまま昼までごろごろしてた。

hakoccoはとてもせまい観光案内所。でもフリーのWi-Fiがある。去年勤めていたからだの大きな男の人は辞めちゃったらしい。その人には良くしてもらって、その後ツイッターでも連絡をとったりしてたので残念。代わりに語気が強い年配の男性と、そのすこし年下くらいの女性が二人で店番をしてた。かなりビジネスライクな対応で参った。

 

土地

間取り

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