一昨日の暴風がうそみたいに、昨日は全く風がない日だった。日本海側はこの時期は気候が非常に不 安定で、日常的に強風が吹く。面倒なのでもう海沿いを歩くのはやめる。新潟までワープすることにする。

昨日は新田さんがトラックをだしてくれて酒田市までワープさせてもらった。そして去年も敷地を借りた浄福寺に行って、また同じように敷地の交渉をした。去年ここに来た時は台風がせまっていたので、住職さんが風向きを考えて安全な場所を教えてくれた。おかげで台風をやり過ごせた。
今年も訪ねたら「いいですよ。ご苦労様です」とすんなりOKしてくれた。

浄福寺での間取りはトイレがとても遠い。コンビニまで行かなくちゃならないんだけど、10分くらいかかる。こういう時は緊急用トイレ(ペットボトルとか空き缶とか)をたくさん用意しないと大変 なことになる。
夜にスーパーでお弁当と缶ビールを買ってきて、家でご飯を食べる。ビールを飲んで しばらくするとトイレにいきたくなるので、さっきまでビールが入っていた缶に用を足す。そうする と、飲んだビールの量よりも多い小便がでてくることがわかる。不思議だ。缶に入りきらない分は、 空のペットボトルとかにする。缶ビールの中身が僕の体を通ってアルコールが分解され、小便になって缶にもどる。とても感慨深い。

今日・明日は北日本は大荒れの天気らしい。僕は逃げる。

浄福寺/山形県酒田市中央西町

   
土地

床下   
間取り

民家の離れ/秋田県にかほ市象潟町鳥の海

   

土地
 

床下

確かに朝は晴れてた。ちょっと風が強いなと思ったけど、まあこれくらい大丈夫だろと思って出発してしまった。まだ道の駅にしめでおとなしくしてればよかった。

1時間くらい歩いたところで、まったく唐突に海から暴風が吹いてきて、さらに滝のような豪雨も襲ってきた。足下が一瞬でびしゃびしゃ。窓からも吹き込んできて両腕も濡れた。あまりにも突然のことだったので 現実感がなかった。なにかを考える余裕もない。ただ気がついたらiPhoneを出して録画していた。

豪雨はすぐおさまったけど、風が突然強くなったり無風になったりする。風向きも不安定なのでたまったもんじゃない。よく耳をすますと、空の高いところからゴーっという音がする。風が通り抜ける音だ。発泡スチロールのでかい箱を抱えてる人には恐ろしい音だ。その風が時々、地上に降りてきて突風になる。

しかし僕が必死に風と戦いながらふらふらと歩いて(というよりほとんど飛ばされながら移動してい た)いるすぐ横を、自動車が風などないかのようにスーっと通りすぎていく。あれは恐るべき機械だ。

どうにか西目から仁賀保駅までたどり着いたけど、その次の町にいける気がしなかった。今日はこの町に泊まろうと思ってお寺や神社に敷地交渉したけど断られたり人がいなかったり。打つ手がなくなった。
去年象潟(仁賀保駅から10キロくらい先の街)で知り合った新田さんに「動けなくなっちゃいました。この辺に知り合いいませんか」と応援を要請したら、なんと彼の友達の斎藤さんがハイエースで駆けつけてくれた。彼らは消防署の救急隊員。僕は「救急隊がきた」と思った。さすが応援を要請してから対応してくれるまでがとても早くてありがたかった。本当に助かった。
家の屋根だけ外したらハイエース(恐るべき機械)に積めたので、象潟の新田さんの実家まで送ってくれた。

家の損傷
・屋根と屋根のてっぺんに被せてる板をつなぐハリガネがひとつはずれた
・ドアが風にあおられすぎて、片方のかんぬきがドアからはずれた
・担ぎ棒についてる滑り防止の縦棒が片方はずれた

道の駅にしめ/秋田県由利本荘市西目町沼田新道下

  
土地

 床下
 

 
間取り 

社会システムのなかにある「亜空間」を探すことだ。ネズミが町に住むように、社会のなかに住むことだ。
「横断歩道は、赤信号ではわたってはいけません」というルールがある。もともとは「自動車と歩行者の交通を整理するため」につくられたものだろうけど、「赤信号は渡っちゃいけない」と「車がきているかどうか」は実は全く関係がない。
見渡す限り1台も自動車が走ってきそうもない横断歩道で赤信号にぶつかったとき、僕たちは"亜空間"に放り出されている。ヴァニラアイスのスタンド能力みたいに。

日本でも大きなテロが起こる日はくるかもしれないし、もしおこったときにそこに居合わせるかどうかはただの運だと考えると、いよいよ目を覚まさないといけない時代が来たのだなと思う。僕たちは普通に過ごしているつもりでも、どこかで加害者になっているのかもしれない。原発事故や脱線事故や自殺に加えて本気で考えなくちゃいけないことが増えたけど、これらの問題はどこかで全て繋がっていると感じる。
アイエスは先進国の若い人の登用に成功しているらしい。彼らに感染してしまう人が先進 国の中にもたくさんいるということ。考えてみるとユダヤ人虐殺もほんの70年前だ。ヒトラーが生 まれたことと、今回アイエスのようなものが生まれたことが無関係とは思えない。 でも絵本作家のユリーシュルヴィッツは第二次大戦中の迫害を逃れてあちこち転々とする壮絶な青年 期をすごして、その後「よあけ」という素晴らしい絵本を作り出した。「よあけ」には明らかに、青年期の壮絶な経験が反映されている。だからこそすごい本になっている。 
僕たちはすこやかに暮らしたいと他人には言いつつ、危機感・刺激もほしがるやっかいな生き物だ。 いつも「いまより幸せになりたい」と思っている。もっとお金があればとか、あいつが自分より幸せで憎い、とか日常的に思ったりする。パリで銃撃事件をおこしたのは自分かもしれない。「足るを知る」のはこんなにも難しい。 

パリで銃撃をおこしたのは自分だったかもしれない。僕たちはアクシデントで、引き起こされるのを待ってるのかもしれない。どこに導火線があるかもわからない爆弾を抱えている。自分についてる導火線が誰ともわからない他人につながっている。終わりも逃げ場もない。勝ちも負けもない。敵も味方もない。

「道の駅岩城」から21キロ歩いて「道の駅にしめ」へ。去年とまったく同じ道のり。景色も覚えて る。道の駅にしめに着いたら、家を目立たないところに隠すように置き、事務所に挨拶に行った。
所長さんに「今年も来ました。また敷地にお邪魔します」と伝えると「はい。どうも。寒いから気い つけて」と言ってくれた。まだ2回目なのに慣れたもんだ。
挨拶をすませたら自分の家に戻る。家はトイレの建物の裏側に置いてある。家のまわりには室外機な どが置いてある。一般の客が入るところではない。そんな家に戻るとき、なんだかネズミみたいだなと思った。トイレの建物には大きなガラス窓があって、一部が曇りガラスになってるというものの、一般の客はトイレに入る時にこの家も目に入っているはず。でもほとんどの人は窓越しのこの家に気 づかない。僕はそういう隙間に住んでいる。

家にいくとき、清掃員の控え室の窓の前を通る。窓越しに掃員のおばちゃんがちょっとびっくりす る。清掃員の控え室のすぐ近くに僕の家があるっていうのも、偶然とは思えない。 清掃員は労働者の鏡のような存在だと思う。人々の足下へのアプローチとして最高にエキサイティングな仕事だ。朝、誰もいないオフィスに入り込み、誰もみていないところで床やトイレを掃除して、誰も出社していないうちにゴミとともにオフィスを出て行く。もっと足下を見なければいけない。荒川修作も足下をつくりこんでいた。

先週パリで起こったテロのことが、ようやく頭に入ってきた。「20世紀は戦争の時代だった。そのときの大きな犠牲の上で成り立っている21世紀は、テロの時代であるということを認めざるをえな いんじゃないか」と、インターネット放送でジャーナリストが話していた。そして2020年には東京でオリンピックがある。僕たちはもうただの被害者ではいられない。僕たちのこの"豊かな"生活の裏 には大きな犠牲・搾取・不安・憎悪がこれまでもあった。それを見ないようにして生きることはもうできない。この問題には終わりがない。

「もっと今を、この場を楽しまなくちゃ」というような強迫観念に近いものにとらわれてる人。今を楽しむってのは素敵な事だと思うけれど、意識的に今を楽しもうとめちゃくちゃ頑張っているのをみるのは辛い。インスタグラムやフェイスブックをみてたまに思うことと近い。

道の駅岩城/秋田県由利本荘市岩城内道川字新鶴潟

  
土地

 
床下

  
間取り

時間が溶け出している。秋美の学生が集まるアラヤイチノに滞在して、毎晩のように学生たちと宴会をしてた。学生たちは各々に黒いモノを心に抱えていた。これが美大かと思った。

アラヤイチノは、昼間は誰もいないことが多い。夕方になると学生がだんだん集まって来る。最近は毎日来ているという学生の振本君は、毎日「これから来るかもしれない不特定多数の学生」のために晩ご飯をつくっている(もちろん他の学生たちも一緒にやっているのだけど)。 僕がいるあいだは鍋、鶏肉のトマト煮、ポトフをつくってた。そして集まった人から200円とか300円とか材料費を徴収する。そうやって毎晩のように宴会が行われてる。振本君は毎日ものすごい労働をして いる。自分も食べたい「晩ご飯」をつくることを通してやっていることがすごい。この家を借りた藤浩志さんもすごいけど、振本君も欠かせない。

道の駅岩城にある温泉「港の湯」の脱衣所で、やたらお金の事を気にする小学生くらいの男の子をみた。彼は父親と
「ここの食堂の○○はいくらだっけ?高いな〜。二人で千円越すじゃん」
などと話していた。その後食堂に行ったら彼の母親も一緒になっていた。彼と父親は食券機のところで僕の後ろに並んでいた
「もうさ、白ご飯3つとみそ汁1つでよくない?そしたら380円ですむし」
と言ってた。僕は550円のカツ丼のボタンを押すのを一瞬ためらってしまった。でも、お金はもっと大きなところでめぐっているのだ。と自分に言い聞かせてボタンを押した。

家の絵をホワイトボードに描くことにする。データなら重くないしかさばらない。絵がたまるごとにどこかに送る必要もない

  


「そんなもん持ち込んじゃダメだろ。営業時間始まってるんだよ。そんなもの持ち込まれたら、景観が壊れる。失せろ失せろ!」
と怒られながら道の駅を出発。景観が壊れるとはどういうことだ。
23キロ南下して、友達からの紹介で秋田市新屋にある秋田公立美術大学に突入。アラヤイチノと呼 ばれている滞在施設(秋美学生のたまり場でもある)に家を置かせてもらった。夜は学生も交えて、 教授の藤浩志さんが鍋パーティーを開いてくれた。 藤さんは日本のあちこちに家を借りていて、それぞれが土地の交流場所になっていると言ってた。み んなのいえ。このアラヤイチノも藤さんが借りてる。こういう場所があるのとないので全然違う。学 生にとっても、たぶん町にとっても。 夜遅くなってから町の町会長も来て宴会にまざっていた。ギターをひきながらOASISを熱唱してる 僕たちを、町会長はめっちゃ暖かい目で見守っていた。「まちにこういう場所があるのをどう思いま すか」と聞いたら「ひやひやする」と笑ってた。

   
土地

 
床下

イスとテーブルが足りない。道路がおおすぎる。通り道ばっかりがある。通り道以外のところはだいたいお金がかかる。なので通りすぎる しかない。本当どうかしてる。今日は家は移動させずに、絵を描いたり散歩したり。秋の秋田は全体的にススキ色でうら寂しい風景なんだけど、西 日になってくると驚くほど鮮やかな色合いの風景に変わる。でもその鮮やかな風景もすぐに終わる。4時半にはほとんど夜と呼べるくらいの暗さになる。
家を置いたところはあまり人も通らないので、家のなかで絵を描いたりぼーっとしたり、ゆっくりできた。
この敷地はよくトンボが飛んで来る。家にいると、発泡スチロールの壁をすかした向こうに影が見える。まわりにもアキアカネがたくさん飛んでる。あとハチもよくくる。ミツバチが2 回、ジガバチ(だと思うんだけど、お腹が赤くない)が1回家の中に入ってきた。

夜には東京から写真家の紋ちゃんが写真を撮りに来た。その紋ちゃんも一緒に、道の駅の職員さんに誘われて近くの居酒屋に飲みにいった。この駅はもともと花の種苗センターだったのを道の駅として営業しているらしい。今週末にはシクラメンのフェア、その次にはポインセチアの大きなタワ ーがつくられるらしい。インターネットで「ブルーメッセあきた ポインセチア」と検索すると見事なタワーの写真がいっぱいでてくる。

雨の時に歩いてると、何故かいつも左の靴のつま先の上から濡れ始める。前に履いてた靴もそうだった。左からすぐビショビショになる。足の動かし方が左右で微妙に違うのだと思う。目で観察しても全然わからないけど。

 今日は歩くのやめようと思ってたけど昼過ぎから天気が回復してきたので歩くことにした。秋の秋田は奇麗だ。

 

 車修理屋の駐車場から南に向かって6キロくらい歩いたとこにある道の駅に突入。道の駅は久々。この生活の一番の現場はどこかというと、土地を交渉しているところだった。

今回のお風呂場「田屋の湯」が素晴らしかった。寝室から徒歩15分くらい。グーグルで調べて行ったけど看板とかは特に出てなくて、普通の家かと思ったけど窓の隙間からそこが銭湯であることを確信して入った。小さな銭湯だけど温泉で、底が見えないくらい真っ黒いお湯。

  
土地
  
間取り

  
床下