いまは朝の10時32分。エーレブルーの町中にあるホステルの庭のベンチに座ってパソコンを開いている。とても広くて素敵な庭で、地面はやわらかい芝生。ベンチや小さなテーブルが数組置いてある。テーブルには鉢に入った花が飾られてる。あと子供が遊ぶための小さなツリーハウスや、小さな泉もある。泉には噴水と、小さな滝もある。噴水から落ちる水の気持ちよい音が1日中聞こえる。道路に面して2階建の薄いピンク色のホステルの建物があり、建物の裏側にこの庭がある。建物の1階にオーナー夫婦が住んでいて、2階がホステルとして使われてる。ここには昨日着いた。

一昨日は家は動かさず引き続きトーマスの家の庭が敷地だった。僕が起きた時には家の人は誰もいなくて、ちょっと不安になるくらい静かだった。わずかな環境音とたまに車が通る音がするくらいで、庭の椅子に座って通りの方を眺めててもほとんど誰も通り掛からず、誰も住んでないのかと思っちゃうくらいの静けさ。夏休みでみんな出かけてるからなのか、もともとこういう感じなのかわからないけど、ゴーストタウンのようだった。どの建物も色が基本的に似ていて、道路に多少ゴミが落ちていても街全体からは綺麗な印象を受ける。ちょっと前に「奇抜な色の家を建てたりしたら法律違反なのか?」と人に聞いてみたら、「法律違反ではないけど、周りの人がとても怒る。『ここにふさわしくない』と。」と言っていた。

僕は日中絵を描いたり散歩したりふらふらとしていた。昼間に知らない番号から着信があり、出てみたら「寝る敷地を貸せます!」という男の人からの電話だった。Open Artのオフィスで僕が敷地を探してる話を聞いたらしい。そんで来週の月曜日に彼の両親の家の庭で寝ることに。彼もアーティストで「明日から個展があるから、よかったらそのオープニングに来て話をしよう」というので「いけると思う」と言って電話を切った。

夕方、近くのフードショップで、菓子パンのようなものと、サラダバーのようにパスタやサラダを選んで紙の容器に入れ、重さで値段がきまるやつ(これが結構いい。そんな安くはないけど野菜やパスタは新鮮で美味しい)と、ノンアルコールビール(買ってからノンアルコールだと気付いた)を買って庭の椅子に座って食べてたら息子氏が帰ってきて、「食べ物を買いにいく」というので今度はふたりで同じフードショップにいった。息子氏は「料理は得意じゃないけど、なにかパスタをつかってつくる」と言ってた。その後家で僕の分も夕食をつくってくれた。短くてツイストしたパスタにブロッコリーとベーコンを添えたシンプルなやつ。

早く寝るつもりだったんだけど、家に戻ってから息子氏に教えて貰ったWi-Fiがつながったので、奈保子に「無料で読める」と教えてもらった漫画「ブラックジャックによろしく」をネットで読みはじえてしまって、気がついたら明け方の4時になってた。どうも寝床でネットが使えてしまうのはよくない。こっちではネットが使えるのはWi-Fiがつかえるところだけだ。そのおかげで実感できたけど、1日のどこかでネットを使って何かしらを見ないと、禁断症状に近いようなものがでる。これはもう受け入れるしかないのか。しかしスウェーデンまできて人の家の庭で明け方までネットで漫画を見て起きてるというのはどうなのか。

そんで昨日は夕方4時頃にトーマスの家を出て、まずは電話をくれた彼の個展会場に行ってちょっと挨拶して、その後このホステルまできた。ここは、OpenArtのスタッフが探しだしてくれた場所。さっきオーナーに聞いたら、去年のOpen Artの参加作家の中に家族がいるらしい。

ホステルには僕の他におしゃれなおじさん4人組がいて、彼らは1週間くらい滞在している。ブリッジっていうカードゲームの世界大会がこのあたりで開催されていて、それに参加しにきているらしい。「とにかく多くの国から、めっちゃたくさん人がくるんだ」みたいなことを言ってた。僕はそのおじさんの一人にopen artを知ってる?と聞いたら「知ってるよ」と言ってた。

この人はみんなopen artを知ってるようだ。Open Artっていう名前を最初に聞いた時は「大丈夫か?」と思ったけど、こっちにきて、現地のアーティストやディレクターやスタッフやスポンサーになっている会社のCEOなどいろいろな人と会ってるうちに、みんなの生活の中にこの芸術祭が根付いていて、大事に思ってるのが伝わってきた。ローカルな芸術祭なんだけど、そのローカルさがとても自然だ。「自然にやろうとしたら、まあこういう感じになるよな」っていう、意表をつかれるところもある。ディレクターのラーズは、過去の作品写真を見せながら一つ一つ「こいつが面白いんだよ」と楽しそうに話す。この芸術祭の性格はラーズのキャラクタによるところがおおきいんだろうけど、ワンマンていう感じでもない。みんな自然に、楽しそうに、ある種のドライさをもって、ビジネスライクになりすぎず、力を抜きつつせっせとやるというか。日本にはたくさん芸術祭があるけど、芸術祭の運営もアーティストも、それがもう職業になっちゃってもはや量産体制の域に達しているけど、その話をこっちのアーティストにしたら「スウェーデンにはアートフェスティバルは全然ないよ。芸術祭はお金がかかりすぎるから」と言ってて、その言葉が眩しかった。

さっきまでホステルのオーナー夫婦が用意してくれた朝ごはんを一緒に食べて、そのあとオーナー夫婦は「take a little trip」と言って出かけていった。また「来年OpenArtで会いましょう」と言って別れた。相変わらず噴水が気持ちよい音を立てている。ここにこういう時間が流れているということを、これから生涯思いだすことができるだろう。いまこの瞬間も、この地では噴水が気持ちよい音を立てているはずだっていうふうに。

今日は午後からまた別の場所へ動く。

過渡期だ。みんな、自分がどこにいるかわからない。お前だけじゃないぞ。みんなわかってないんだ。だから自信を持ってやっている人を求めている。あぶない。自信を持ってやってる人を求めるのは危ない。このままでいいのかとか、ここで何をするべきなのかとか、意外とみんなわかってないんだ。まわりからそう見られてしまってるのに、自分はそうじゃないと言い続ける終わらない戦いのなかに全員が放り出されている状態だ。まじではんぱない状態だ。

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昨晩はopen artのオフィスを出発し、人に録画をしてもらいながら2キロちょっと離れた一軒家の庭まで歩いた。すれ違いざまにこっちから何度か通行人に「ハロー」と言ってみたけど、返事が返ってきたのは数人だった。もう少し通行人の反応があるかと思ったけど。日本の地方都市と似てるなあと思った。途中2人の人に話しかけられた。一人は男性で「あんたは家がないのか?」と言った。僕は「これが私の家なんです」と答えたら、彼はちょっと笑って「Oh」みたいな感じで去っていった。「家がないのか?」っていう声かけは日本でも度々あった。もう一人はおばあちゃんで「…かたつむり…」と言ってたけど、僕はsnailという単語しか聞き取れず、笑って去るしかなかった。(みんなまずはスウェーデン語で話しかけてきて、スウェーデン語がわからないというと、即座に英語に変換する。)

今日敷地を借りる家は先日open artスタッフが集まるパーティーで知り合った人の家で、快く貸してくれた。ただしこの家のオーナー夫婦はいま夏休み中(今の時期スウェーデン人の多くは夏休み中で、自分のサマーハウスに行ったり旅行に行ったりする)で、家にいない。着いた時家の庭にオーナーじゃない男性と女性がいて、彼らが僕を迎えてくれた。彼らは「オーナーは2階に住んでて、私たちは1階に住んでる」と言っていた。アパートみたいな感じなのかな。よくわからない。

しばらくして息子さんが仕事から帰ってきた。アート関係の仕事ではない。街の寿司バーで寿司を買ってきてくれた。一緒にご飯を食べて、少し話をした。彼は僕と歳が近い。「日本では、スウェーデンは治安の良さと福祉体制がしっかりしてるという良いイメージがある」と言ったら「彼はその通りだと思う」と言ってた。

「スウェーデンで一番問題になってることはなに?」と聞いてみたら「大きな問題が二つあると思う。」と言って「一つは、格差が大きくなってること。もう一つは、スウェーデンはいま多くの移民を抱えていて、彼らが財政を圧迫していると言って、よく思ってない人がいる。EUを抜けるべきだという人もイギリスやフランスほどじゃないけどいる。ヨーロッパの他の国と同じような状況だと思う」と、つかえながら話してくれた。彼も僕に英語で伝えるのが時々辛そうだったけど、大雑把な言い回ししかできないぶん、大胆に話ができることもある。言葉を細かく使うのをたまにはやめてみてもいいかもしれない。

あとテレビを見せてもらった、夜の8時台で日本でいうとゴールデンタイムっていうやつでどの曲もバラエティをやってタレントが出まくってる時間帯だけど、こっちではそんなバラエティみたいな形態は存在しないようだった。真面目な番組しかやってない印象。アメリカのドラマとか、なんかよくわからないけど森の中で人がカメラに向かって話してる番組とか。日本のテレビみたいに、話してることをそのまま字幕にするようなことはない。英語の会話だけ、スウェーデン語の字幕がついてた。あと馬に2つの車輪がついた乗り物を引っ張らせてレースをする番組が。これは日本でいう競馬のようなものらしい。「なぜ彼らは馬に直接乗らないんだ」と聞いたら「いろいろとある」みたいなことを言ってた。

「日本ではテレビが人々を馬鹿にしていると思う」って言ったら彼も「スウェーデンも一緒だ。難しいことを簡単に扱おうとする」と言ってた。でも難しいことを扱っている時点でレベル高いじゃないか。彼はテレビはほとんど見ず、ほとんどインターネットらしい。インターネットで何を見てるんだと言ったらちょっと考えて「ツイッターはよく見てるかもしれない」と言ってた。そのあとシャワーを借りて歯を磨いて「僕は家に戻るけど、夜の間はドアに鍵をかけて大丈夫。僕はポータブルトイレを持ってるから」と言って家に戻った。ポータブルトイレというのは空のペットボトルのことだ。この「家に戻ります」と言って玄関をでて庭に置いてある自分の小さな家に向かう瞬間が好きだ。なんか笑ってしまう。

ここらは静かな住宅街(エーレブルーは中心街以外はだいたい静かな住宅街だけど)だし、おまけに地面は芝生だし、寝るためのマットも日本で使ってるような銀マットじゃなくて、もっと厚手のしっかりしたやつだし、家も大きいので快適に過ごせてる。明け方に少しだけ雨が降ったけど雨漏りはなかった。

当面は、open artのスタッフに場所を探ってもらい、その場所をまわりながら生活するというスタイルになりそうだ。関係者やその友達の家であれば、僕が交渉するまでもなくすんなりと敷地を借りることができるだろうし、公園とか広場もopen artのスタッフからあたってもらえば借りることは難しくないだろうと思う。現にソフィアが、ある公園に電話で掛け合って、泊まってもいいという許可をとってくれた。公園で許可がもらえるなんて日本では考えられない。公園ていうものの考え方が日本と違うこともあるだろうけど、なにより、この芸術祭が街に受け入れられてる証拠だと思う。

でもopen artのスタッフを介さず、できればopen artというキーワードも出さずに「この家を置く敷地を貸してもらえませんか」という交渉だけでいずれ敷地を借りたい。今日歩いてみて、なんとなく教会だったらいけるんじゃないかっていう直感があった。

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昨夜はOpenArtのオフィスで寝てみた。新しい家のトライアル。スウェーデンは日本よりもずっと道路が広く、歩道も広く、家も大きい。アパートも広い。こっちに来て二人のアパートに入れてもらったけど、両方とも中に入ってからの奥行きの深さに驚いた。あと、靴は玄関ぽいエリアで脱ぐ。この「玄関ぽいエリア」にはマットが敷いてあったりする靴箱が置いてあったりするけど、別にマットの上じゃないところで脱いでも差し支えないし靴箱に入ってなくてもいい。「このへんで脱いで、このへんで履く」っていう大雑把さがある。ストックホルムのホステルでは、みんなロビーやら玄関やらを裸足で歩いてたり、かと思えば靴で歩いてたりして「どっちだよw」と思った。

とにかく基本的に土地が広いで僕ものびのびできるように日本の家よりもすこし大きく作った。さて今日から歩き始める。こっちにきてまだ3週間くらいで日本とどのくらい勝手が違うのか、まだ見えないところがたくさんあるので緊張はあるけど、ストックホルムに行って色々見て、もう向いてるのが前なのか後ろなのかもわからんがやるしかないということになった。前か後ろかはわからんが、とにかく中心はここにとりもどさないといけない。1日という時間が目の前にそびえ立っている。子供の頃に感じた夏休みの1日が始まる前のような感じが。毎日同じ事をしていたらどんどん遠のいていくあの感じが。

今日は朝8時半ごろにOpenArtスタッフのソフィアが出勤してきてせっせと掃除を始めて、仕事にとりかかっていた。僕は彼女たちの話し声で目覚めた。朝ごはんにソフィアが、「Just swedish food」と言って、ドライブレッドとチーズとバターを買ってきてくれた。こっちではチーズが安くて、ハードなパンにバターを塗って、専用の器具(最初僕はこれを、ジャガイモの皮むき機だと思った)で薄く切ったチーズをのせて食べるっていうスタイルが一般的らしい。あとみんなコーヒーを飲むのが好きだ。コーヒーを飲む時間を大事にしてると思う。コーヒーブレイクのような時間のことを彼らはフィーカと呼んだりするけど、街中で「フィーカを持ち歩こう」みたいなキャッチコピーで食べものが売ったりしているので、使い方はあまり厳密じゃないっぽい。

あらゆる建物が石でできていて、それぞれに歴史が蓄積されてるようだ。ほとんどの建物がゆうに築百年以上はたってるだろう。やっぱり地震がないのが大きいのだと思う。ストックホルムで見た陸橋の柱は細くて強度が不安だなと思った。街を歩く人は荷物がみんな少ない、現金を使わずにカードを使う。とにかく身軽に歩いている。僕たちは遊動生活と引き換えに身軽な体とクレジットカードを手に入れたんだろう。ここにいるとよくわかる。

僕が泊まってるホステルは狭い部屋に2段ベッドが3つ置いてあるドミトリー形式なんだけど、僕が最初に来たときから同じ部屋に大きめのバックパックを背負った若い男子(ヨーロッパだろうけどどこの国かはよくわからない)二人組がいて、僕が土曜の15時にホステルに着いたときにはベッドでごろごろしながらiPhoneをいじってて、土曜日の夕方17時過ぎにホステルに戻ってきたときもベッドでごろごろしながらiPhoneをいじってて僕は「出かけろよww」と思った。

日曜日は友達に勧められたスコーグスシュルコゴーデンに行った。これが素晴らしかった。教会やビジターセンターの建築も良かったけど、ひとつひとつの墓地にそれぞれ花だったり置物だったりが並んでいる風景を見たとき、建築的な体験と、カルチャーショックが相まって鳥肌がたった。とてものびのびしていて、お墓がこんなに清々しくなるものなのかと。学生時代、建築のアイデアコンペに出すため、お墓に町の寄り合い所の機能を持たせる設計をやろうとしたことがあったけど、そのときに見ておきたかった。100年くらい前に、ストックホルムで墓地が不足したことから計画され作られたもの。木々や小道のランドスケープと建築とがひとつになってる。僕は伊勢神宮を思い出した。

お墓にはひとつひとつにだいたい一人の名前(多いやつもある)があって、それぞれの石に花だったり、猫の置物だったり、小さな灯りのようなものだったりが添えられてる。何も置いてないお墓もある。また墓石もひとつひとつデザインが違って、ただの大きな石に名前を彫ってあるようなやつもあった。日本のお寺のお墓よりも「ここにいる感じ」がある。多分一番動かせないのはお墓だ。墓石を動かしたとしても、お墓が動いたことにはならないだろう。歴史的な建築物の移築はよくあることだけど、お墓は動かせないだろう。それはたぶん生きることは動くことで死ぬことは止まることだから。墓は動かないだろう。

今日はいくつかの教会と宮殿などをみてまわるなど。とにかくやるしかない。ストックホルム大聖堂は700年くらいの歴史をもつゴシック調の大聖堂。これでもかっていうくらいに装飾された説教壇とかをみてると、彫刻や建築や絵画は、ある時代では力を見せつけるために利用されていたことを思い出す。ここに入ったときの「うお!なんかすげえ」っていう感動によって小さな自分と大きな力の差を植え付けられる。今はそこに観光客がたくさんきて写真を撮りまくって帰っていく。説教壇とかはもはや凄みを見せるものじゃなくて、その形だけがのこってて、それをみんな写真にとりまくる。観光客っていう視点はある種の成熟の証なんだろう。こういう大聖堂を舞台にしてブラックな歴史をつくりまくってきたキリスト教だけど、人間はすこしは前に進めたのか。今でもしかしキリスト教にはまんまとやられているな。人間は遊動生活時代には頭を他のことに色々と使っていたので余力をぶちまける対象なんてなかったんだろうけど、定住生活にシフトした余力でこんなすごい大聖堂とかをつくったり、フェイスブックやツイッターをやって人の投稿に嫉妬したりして自殺したり人を殺しまくったりするんだから本当には何がなんだかわかってないな。

もうわかった。もうこりゃあだめだ。怒りをぶちまけるぞ。それも、ちょっとひねる。もううだうだやっていてはだめだ。もうよくわかった。噂には聞いていたけど、もう完全にうんざりとよくわかった。ねじまがった人と、ねじまがった人を無意識に作り出している世界と、幸せとかお金のこととか、もう本当になんにも話にならん。何かが閉じてるだとか、表面的だとか、もうどうでもいい。適当なことも言っていいし、調子にのってもいいぞ。不完全で不平等でどんどんお金が入ってくる人もいればどんどん死んでいく人たちもいて、犬とか猫とかもどんどん殺されていて、虫たちもどんどん殺されていて、日々DNAをいじくる人もいて、目の前の仕事でいっぱいいっぱいの人もいれば、そんなにいっぱいいっぱいじゃないのにおなじようにご飯を食べて暮らしている組み合わせもある世界だ。東京で営業で成績が取れなくてデスクを上司に蹴られる会社員もいれば、年収300万円以上の人との結婚は考えられないという会話で盛り上がる人もいれば、ストックホルムでお金を路上でせびるおっさんもいれば(5クローネくれと言って2クローネしかもらえないと不満げに去っていく。しかもそのお金でタバコを買う)、タバコを奪い取る女(たばこが入った箱をテーブルに置いておくと「タバコをくれ」といって勝手に中から何本も取り出して持って行こうとする)もいる。おとなしく平和に生きてるつもりで、目の前の敵にも気づかないでやっていると、やられるぞ。声を上げないとまずい。やられる。なんでも使ってなんでもやる。中途半端では生殺しだ。朝に殺されるってのはこのことか。

昨日の夜22時半くらいからKulturhuset Cyklonenというクラブに行って夜中の2時過ぎまで踊ってきた。Emilはペインターである他にXÄCKSECKSという名前でDJもやってて、かなりハードコアな感じらしいのでそれを聞きに。あと最近踊ってないので。Cyklonenはストックホルム中央駅から15分くらい地下鉄に乗って、さらに10分くらい歩くとちょっと森の中っぽいところにいきなり出現する。 

 最初何かの倉庫かと思ったけど、中の照明が透けて見えたのとすごい音が聞こえてきたので、ここがその箱なのだとわかった。Emilの出番は夜中の1時からなので、それまで踊りつつ、ビールを飲みつつ(入場10クローナ、さらに缶ビール3つで10クローナ)まわりの人たちを見てた。ここは結構コアな場所だと思うけど、来てる人たちはみんな良い人たちで、純粋に踊りを楽しみに来たという感じだ。日本のクラブだと、場所によると思うけどナンパっぽくなったりするんだけど、すくなくともこの箱は全然そういう感じじゃない。みんなお互いに一定の距離をとりつつ、思い思いにただ踊ってるだけ。男たちは盛り上がってくると上半身裸になっていく。時々、スタッフが音量計のようなものを空中に上げている。こんな感じの箱なのに、どのくらい音がでてるのか結構気にしているっぽい。素敵だった。Emilまでの人たちは、結構四つ打ちを交えた踊りやすい感じだったけど、Emilはブレイクコアという感じで、スーパーハードなDJをしてくれた。そんで2時過ぎに箱をでて、ホステルに帰った。ストックホルムの地下鉄には終電がない。一日中運行している。



ちなみにスウェーデン人は信号をどんどん無視する。そこに車が来てなければ無視する。電車の中でサッカーのサポーターっぽい集団が突然合唱し始めたりもする。それをみんな「しょうがねえな」って感じで笑って見ている。

いまはストックホルムの、なんていう名前かわかんないけど結構町中の交差点のそばにあるespresso houseというコーヒーショップでパソコンを開いている。espresso houseはスウェーデンのあちこちにあるチェーン店ぽくて、エーレブルーにもあったけどストックホルムの中にもたくさんある。wifiが使えて電源も使える。今朝7時半のバスでエーレブルーからストックホルムにきた。格安のホステルを2泊とって観光。お昼まではストックホルム近代美術館に行って、草間彌生の個展を見てた。まさかストックホルムで草間作品を見ることになるとは。どうもスウェーデンでは草間彌生が人気らしく、今月末に開催されるstockholm music&artsという音楽フェスにも草間の作品が展示される。近代美術館の個展はそれなりに規模が大きいもので、草間が松本にいた頃(多分22歳~28歳くらい)の水彩作品から、26歳の時にジョージアオキーフに初めて書いた「日本を出たい」という手紙も展示してあり、60年代のハプニング作品とか、さらに最近のアクリルの正方形のペインティングもあった。60年代の映像作品群は、裸の男女がたくさんあつまってお互いの体にペイントしたり音楽で踊ったり、時々セックスしてたりするところも映ってる映像で、ちゃんと草間さんのこういうところも見せていて偉い。松本市美でこういうかたちでコレクションしてほしい。僕が行った時、初期の水彩作品の前では親子向けのレクチャーのようなものが行われてて、絵の前で先生らしき人が、時々子供を名指しして意見を求めながら草間作品を紹介してた。

黒澤さんが「27歳はとっても大事な年齢だ」と言ってたのを草間さんとジョージアオキーフのやり取りをみて思い出した。26歳の時に書かれたであろう草間さんの手紙は「日本ではあなたの作品を面白がるペインターが少ない」「私は日本を出たいんと思っているが、どうしたらいいか」と、かなり切実な内容で、文面から気持ちが痛いくらいに伝わってきた。自分がどこに向かっているのか、何がなんだかわからないけど、とにかく頑張ろうと思う。問題だと感じるもののリアリティは、意外とよそではなく、自分の心の中にある。なぜそれが問題なのかを探るためには、自分の心から探したほうがいい。この自分の心から探すプロセスが人を打つのだと思う。

近代美術館は常設展もけっこう充実してて、百年くらい前の作品から、現代の作家までを年代順に紹介している。日本だと村上三郎とか、河原温とか。素晴らしいのが常設展が入場無料で、さらにThe New Humanというもう一つの企画展も入場無料。こっちの企画展が若い作家の映像作品多めの展示で、政治的な主題が多くて面白かった。Robert Boydという作家のディスコみたいな空間の中で、ミラーボールが回っていて、踊りやすい四つ打ちのエレクトロポップな歌が流れながら、世界の新興宗教の儀式やヒトラーの演説や内戦や紛争やキノコ雲やミサイルのショッキングな映像が流れ続ける。人が撃たれて死ぬ瞬間の映像や虐殺の映像や、かなりえぐいのもある。若干安直じゃないかという感じもするけど、これ以外にやりようがない気もする。後でみたら「ショッキングな映像です」って入り口に書いてあったんだけど気が付かなかった。あとSuperflexの映像も気になった。

そのあとホステルにチェックインして、Yan Restaurantっていう中華料理屋でご飯食べて、でいまはコーヒーショップ。

昨日までのことを書き出しておく。おとといまではずっと制作に没頭してたけど、19日にキュレーターの黒澤さん、アーティストの塩田さんがエーレブルーにやってきて、20日にはOpenArtの関係者がたくさん集まって昼食会があった。湖のほとりの素敵なレストランで、10人以上が集まってご飯を食べたり外でコーヒーを飲みながら喋ったりした。僕のプロジェクトから、ヨーロッパでの移民問題の話になって、エーレブルーの地域性の話になって、とても面白そうだったのだけど、僕は多分4割くらいしか聞き取れてなくて、話すとなると思ってることの1割も伝わらない。とにかく英語はベーシックなものとして使えないと話にならないな。次にエーレブルーに行くまでには自然と話せるように、絶対になってるようにする。考えたら英語の映像が観れたりするようになったらどれだけ広がることか。もう本当にうだうだとやっている場合ではない。21日にはニーナっていうOpenArtスタッフの家でホームパーティーがあるので、そこで家をお披露目するために急いで完成させて、ギリギリに家がほぼ完成して、その後街中を30分ほど歩いて、ホームパーティ会場でみんなにお披露目。ヨーロッパでの最初のwalkingはとても緊張したけど、日本とあまり変わらないなという感じもする。ストックホルムにきてよくわかったけど、エーレブルーは地方都市で、スウェーデンのクリーンな面が強く出ている。なんとなく、松本と似てるかもしれない。ストックホルム-エーレブルー間はバスで2時間半くらい。東京-松本間は3時間くらいで、どっちも同じくらいの料金。ストックホルムはエーレブルーよりもいろいろな人種が町中を歩いていて(近代美術館では日本人の家族連れも見つけた)路上生活者もそれなりにいる。ダークな面もライトな面もよく見える。中心街だと、いきなり家を背負って歩いてる人とすれ違っても東京で見るよりも驚かないかもしれない。上半身裸でリュックを背負って歩いてる人がいたり、なんか不思議な乗り物に乗ってる人がいたり、顔と髪の毛がカラフルな粉だらけになって歩いてる人がいたりする。この感じはエーレブルーにはない。落ち着く。

昨日はお昼まで寝てて、ネットでバスとホステルをとって、夕方に制作場所を掃除して、散歩して1日が終わった。

都知事報酬無料で働きますとか、NHKの人件費が高すぎますとか、心がどんどん狭いところにいってしまう。何か作ったりやったりするのはお金がかかることだから、それで良いものを作ってくれればそれでよくて、それをおおざっぱに一般化して全部いりませんとか言うとどんどん小さく小さくなっていく。僕たちはいま前代未聞の情報との戦いを強いられている。情報と距離をとって、直撃をうけないようにしないといけない。自分の情報の防空壕をつくってそこに逃げられるようにしないといけない。味方と相談して情報に対して反撃しないといけない。情報の直撃をくらうと、人はたぶんどんどん劣化していく。こっちにきて日本は共感性が強い風土なんだなと実感できた。誰が、今頃どうしているかを気にしすぎている。それが共同体を作ったのかもしれないけれど。もうすこしドライにいけないものか。みんなじとじとして、もじもじして、おどおどしている。

僕が寝泊まりしている部屋は、南北に長い長方形で、東西の壁はそのまま切妻屋根の裏側になっていて、断面図にすると三角形の部屋。壁も屋根も白い。床と東西の壁は木の細長い板材のシンプルな仕上げで、南北の壁はモルタルっぽい、全部白いペンキが塗られている。頭上にはスポットライトと蛍光灯が並んでついている。南北の壁にはそれぞれ窓が一つずつある。北西の角にキッチンが付いていて、冷蔵庫や水道がある。コンロは電気コンロで、コンロの下にはオーブンもついている。コンロはBOSCH製。そのすぐそばにテーブルがあって、まわりに銀のパイプに緑の座面が付いた椅子が4脚おいてある。そこにパソコンをおいてこの文章を書いている。北側の窓の下にはコンポにヘッドホンジャックが付いたものがおいてあって、そこにアイフォンをつないで音楽を流すと結構良い音で聴ける。さっきまでSOUL’d OUTを流していた。

南側の東の角にはイーゼルとかパイプ椅子とかがたくさんおいてある。イーゼルは地面に積まれていて、パイプ椅子は壁に掛けられている。あと服をかけられるパイプが東の壁側につけられていて、今はそこに僕の洗濯物が干してある。西側の角にはベッドが置いてある。南の壁に開けられた窓とベッドの間はカーテンで仕切られているけど、北側との仕切りのカーテンは無いから、このキッチンのそばのテーブルからはベッドが見える。カーテンの仕切りのすぐそばが、1階へ降りる階段になっている。ちなみに階段の下のスペースをつかって1階にはトイレがつくられている。

 

こっちでひとつ料理を開発した。ここ数日はそれを作り置きしてそればっかり食べている。この部屋のキッチンにはフライパンがひとつと、小さな鍋が二つある。スプーンやフォークはたくさんあるけど箸は無い。こっちに来た最初の日、豚肉とキャベツなどをかって、あと調味料にレッドワインソースだけ買って炒めて食べてみたら全然味がしなくてぱさぱさで味に深みがなくて美味しくなくて、それでもしばらくレッドワインソースだけを調味料に豚肉とか野菜を炒めて食べてたんだけど、食べ物が美味しくないってのがけっこうきつくて、これはやっぱりなんとかしなければと思い、数日前にフードショップで塩と醤油(JAPANESE SOYAと書いてある)を買ってきて、あと鶏のイラストが描いてあるスープの素みたいなやつも買ってきた。スウェーデン語は何が書かれているか全くわからないけど、なんとなくパッケージの感じや、売り場の雰囲気からそれがスープの素であることがわかった。同じように歯磨き粉も見つけて買った。

まずは鍋に水を張ってお湯を沸かし、スープの素を入れて、そこにソーセージを一口サイズに切ったもの(こっちのソーセージは一本がでかい)を入れて、キャベツを刻んだものをいれて、パスタ(ツイストした一口サイズのやつ)も入れて、あとチーズも多めに入れる。しばらくゆでる。そんで塩と醤油を味見しながら入れる。そうすると、パスタ入りのスープのようなものができて、これがなかなかいける。それを基本食にして、トマトを添えたりサーモンを焼いたりする。あと野菜ジュースと水。これでしのいでいる。もう少し余裕がでてくればレシピを教えてもらって作ってみたいものや。

ギターをひけた最初の喜びを今でも体現しつづけているキースリチャーズのように、英語でうまくコミュニケーションができない今の状態を、未完成な状態としておくんじゃなくてこの状態で完成しているものとしてとらえて自信を持ち、だからこそ生まれるコミュニケーションもありえるということを忘れないようにしたい。

思うにいまの日本のダークムードは、生活が苦しいとか、景気が悪いとか、待機児童がたくさんいるとか(これはなんか全国的なこととして捉えられちゃう勢いだけどじつは東京だけの問題っぽい)、投票率が低いとか、あれもダメこれもダメってそういう日々の報道や後ろ向きな情報やみんなの話ぶり(昔はよかった、みたいな。「この商店街も昔は賑やかだった」)とかそういうものが、逆に現状を生きてる人々に影響を与えちゃって「なんか俺たちってダメらしい」みたいなムードを作っちゃって、ほんとにダメになっちゃったりすることはあると思うし、僕はよく政治とか社会のニュースとかを聞くようにしてるけど、あんまりききすぎるとどんどん自分も落ち込むこともしっているからほどほどがいいとおもう。都営住宅に住んでる人たちへの取材から、貧困問題を取り上げてる番組があって僕はそれをずっとネットで聞いてたら「月々に払わなくちゃいけないお金は~円で、うけとれるお金は~円で、このままだと~円たりない」みたいな話をずっとしていて、こころが「うっ」と苦しくなって聞くのをやめてしまったことがあった。

ここにはテレビがないから、スウェーデンがどんな感じのテレビを報道してるのかとかはわからない。し、あっても聞き取れないだろう。なんか画面の感じから「楽しそう」「深刻そう」くらいしかわからないだろう。僕がいま聞けるスウェーデン社会の話は、実際に会える範囲の人の口からしか入ってこない。それも全部聞き取れてるわけじゃないので、完全に入ってきてるわけではない。とってもざっくりとしたものしか入ってこない。はからずも、この情報の遮断が心に及ぼしてるものは大きいように思う。

いま何よりまずいなのは、この世界を支えてるのは(あるいは社会を回してるのは)俺たちの日々の労働であり、食事であり、生活だ。俺たちはやれている!これからもやれるだろう!みたいな自信がないことかもしれない。忌野清志郎も言ってたけど。まずは現状に自信をもつこと(しかしこれが後ろ向きな現状肯定のようになってもいけないのだけど)。これがまず最初にくるべきだ。

ここにいるといい意味でなんとでもなれと思える。これは言葉の力がとっても大きいのだと思う。人と話してもうまく伝わらないフラストレーションが常にあって、それが逆に別の方法のコミュニケーションに駆り立ててくれる。言葉以外でコミュニケーションが、いかに多くを伝えるかを思い出させてくれる。僕のこれまでの活動が僕を支えてくれる。僕の過去の制作物や、スケッチや、日々のふるまいが、言葉の「代わり」に僕の思考を人々に伝えてくれる。すべての人間がそれぞれ独自の言葉をもって一緒に住んでいる世界を想像してみる。というか、世界中のあらゆる言語圏から、母国語しか話せない人を一人ずつ連れてきて、みんなが死ぬまで同じ時間をすごしてもらう。そこで流れる時間について想像してみる。逆にいつも以上に相手のことを理解しようとがんばりそう。現実に今生きているすべての人は、生まれることを選んで世界に降りてきたわけではないので、だからみんないきなり連れてこられたようなものだと思うと、同じ言葉を話しているからこそ起こる不幸もありそうだ。

向かいのアパートの1階の部屋と2階の部屋のテレビが同じチャンネルを映している。この二つの部屋が同じチャンネルを映してることを知ってるのは世界で僕だけだ。仮想のアパートのようなものを想像する。人々は一人一人それぞれの部屋をもっていて、部屋と部屋は電話やインターネットやテレビやラジオでつながっている。もちろん、部屋を出て直接他人に会いに行くことはできるけど、自分の部屋がなくなることはない。そんでアパートの向かいにもアパートがある。人々は向かいのアパートに住む人々を見て綺麗だとか、汚いだとか、いろいろなことを思う。でも自分のアパートを向かいの建物からみたときのことは全く想像できない設定とする。自分の隣の部屋も見えない。こうやっておこる不幸もありそうだ。

 

昨日は夜1時くらいまで起きてて、今日は朝10時前くらいにおきて、しばらくごろごろとしていて、11時前にいっちょ起きるかと決心してバスタオルと着替えをもって向かいのアートカレッジの建物までシャワーを浴びにいったら、そこでピーターにあった。ピーターとはメールでやりとりしていたけど、会うのは初めてで、彼は僕が来る前に制作のための材料を用意してくれていた。もう一人背中に鬼とか竜とか日本的なモチーフのタトゥーがでかでかと入った(スウェーデンではタトゥーは結構一般的にみんなやってる)キャップ帽をかぶった男の人がいて、ピーターと話していた。多分彼はここの生徒なのだと思う。グラフィティアートのようなテイストで鉛筆のドローイングをしている人だった。タトゥーのデザインもやるらしい。

そのあとしばらく作業をして、13時過ぎにラーズが来て彼のスタジオに連れて行ってくれた。パートナーのAguirreと一緒に「スウェディッシュサマーランチ」を準備してくれていて、一緒に食べた。日本でいう手巻き寿司みたいに(彼らは「のり」という単語を知っていた)、魚の漬物みたいなやつやトマトやサワークリームのようなものやゆで卵にキャビアをのせたものを、好きに組み合わせて食べたり、ドライブレッドのようなもの(スウェーデン語でなんというか忘れたけど、大きなパサパサしたパンというかクッキーのようなもの)に乗せて食べたり、皮をむかないでも食べられる茹でた小さなジャガイモに乗せて食べたりする。これはスウェーデンではベーシックなスタイルらしい。みんなで食材を持ち寄って、公園や湖畔にでかけて広げて食べるのがみんな好きらしい。

 

彼らは4月に日本に行った時、まちを歩くビジネスマンがみんな同じスーツをきて行進してたことにショックを受けたと言っていた。スウェーデンでは銀行とかをのぞいて、制服のようなものはなく、銀行ではみんなスーツを着てるけど色々なカラーのものをきていると。学校にも制服がないらしい。「自分のことは自分で決めるんだ」とラーズは言う。

あと、飲み会でお酒を他人のコップに注ぐ風習も面白がっていた。「あれは良い」と言ってた。「あれでみんなが同じように酔っ払う。お酒から逃げられない。こっちでは、お酒の席で水しか飲んでない人がいても誰も気にしない」と。ちなみにお酒は18歳からバーとかで飲めて、21歳からお店で買えるようになるらしい。

ランチのあとちょっと作業したけどなんだか疲れを感じて、ベッドでちょっと寝て、また作業を再開して、夜になった。今は21時53分だけど外は日本の18時半くらいの明るさ。めちゃくちゃ静かで、例のカラスみたいな鳥の声とウミネコのような鳥の声と、ヴーという冷蔵庫の音しか聞こえない。時々通りを車が通る音もする。向かいのピザ屋はもう閉まっている。

ちなみに同じチャンネルを映している部屋があるアパートは、ピザ屋とは反対側の「向かい」にある。僕がいる建物の二階には北と南に一つずつ窓がある。どっちの窓も人が通れるくらい大きい。で、どっちの窓の下にも道路がある。向かい合った窓が両方とも道路に面しているっていう環境は結構レアかもしれない。アパート側の窓にはよく鳥がくる。車はめったにこない。ピザ屋側の窓には鳥はこない。

今日は朝10時くらいからひたすら制作をしていた。いまは22時。21時半くらいまではやってた。お昼過ぎにフードショップに行って、3種類の瓶ビールと、昨日ラーズたちとのフィーカで食べたパンのようなクッキーのようなぱさぱさした食べ物とチーズとはちみつと野菜ジュースとレッドブルとソーセージを買ってきて一人フィーカ(ただしコーヒーではなくレッドブル)をやって休憩したり、途中一瞬ラーズが訪ねてきたりしたけど、それ以外はずっと一人でもくもくと、ネットで日本のラジオを聴きながら作業してた。作業スペースがアートカレッジの木工工房で、色々と工具や機械が揃っていて、広くて、床にぼんぼんゴミを捨てられる(ただし後でまとめて掃除をする必要がある)環境なので、とっても作業がはかどる。

おとといラーズが工房に初めて来た時「もうすこしテーブルが必要なんじゃないか」といって一緒にテーブルを出して組み立ててくれて「これでスピードが何倍にもなるだろう」みたいなことを言ってて、僕は「広いテーブルは作業スピードのアップには大事かもしれない」ってことを無意識的に知ってはいたけど、彼は「広いテーブルがあれば作業が早くなる」ってことが身にしみてわかってるんだなと思った。

 

スウェーデンのフードショップはソーセージが豊富(エミル曰く、スウェーデン人はみんなソーセージが好きらしい)で、あとチーズも安くてたくさんある。日本はチーズが高いんだな。あとビールの種類も豊富。ただしお店ではアルコール度数が2.8パーセントのビールか3.5パーセントのビールしか見当たらなかった。

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昨日OPEN ARTのキュレーターのラーズと初めて対面した。メールで一番最初にやりとりした人。眼鏡をかけた知的なおじさんという感じで、僕はとても好きになった。彼は「19日に東京から君を紹介してくれたキュレーターが来るから、それまでに家の制作をおわらせておくのがいいと思う。それがグッドアイデアだと思う」と言い、僕はとりあえずトライしてみるということになり、のんびりとやっているわけにいかなくなった。あと1週間ちょっとしかない。

でもラーズがいうならそうしてみるか、という感じになる。彼はまた「物事は2回聞け。2回聞けばお互いにわかる。」と言ってた。僕はそれをききながらにやっとしてしまった。「2回聞け」の「two times」の言い方が印象的だった。「ここで一番安いビールは何か、良いレストランはどこか、なんでも気になることは聞いてくれ」とも言ってくれてとても楽になった。

今日はオープンアートのオフィスに言って、ラーズともう一人の女性と3人でコーヒーを飲みながら話した。このコーヒーブレイクの時間をフィーカという。スウェーデンではフィーカを午前と午後の1日2回とると言ってた。

そこでラーズが繰り返し「これはアイデアにすぎない」「可能なアイデアを増やしていこう」「すこしずつ決めていこう」「いますぐに決めなくていい」「すこし考えたほうがいい」というような言い方をしてた。このラフさを言い切る感じが面白い。根詰めて考えるようなムードになりにくい。また、英語で細かいニュアンスを伝えられないので、その分はっきりざっくりとした言葉の掛け合いになって、対立意見もあっさりいえそうな良い空気を生むこともあるもんだと思った。

夕方なおこと電話して、ポケモンGOがアメリカでリリースされて大変な反響を生んでるらしい。このアプリの最初のPVが初代ポケモンのワクワクを思い出させてくれる素晴らしいビデオだ。最初のポケモンの衝撃は本当に凄かった。「全く新しいものが突然リリースされた」という感じがした。当時の151匹のポケモンは、現実の動植物へのリスペクトを感じる、とてもリアルなデザインだった。みんな個性的で、見ていて全然飽きない魂がこもったデザインだった。RPG要素もあり、集める要素もあり、他人と通信できるようをもある。なんであんなゲームが作れたんだろう。なにかモデルがあったのかな。なんていう話をした。これだけ離れていてもインターネットのおかげで、良い音声でしかも電話代がかからずに通話できるのは本当にすごい。

 

労働者は雇い主を失っても死ぬことはない。彼らは働き続けることができる。しかし雇い主は、労働者を失ったらお金を得ることができなくなる。よって雇い主のほうが労働者に依存しているということになる

今日作業しながら、労働について考えてたらこの意味がなんとなくわかったような気がした。たしかエンデの本でみたフレーズで、当時の僕にはよく意味がわからなかった。

スウェーデン人はほとんど現金を持ち歩いてないらしい。みんなカードを使って支払っている。ラーズはスウェーデンは変わった国だと言って、現金を持たない、ポストカードもない、CDも持たない、音楽は全部携帯で持ち歩いてると言ってた。ラーズからいくつか美味しいビールを教えてもらった。スウェーデンには何百というマイクロブリュワリービールがあるらしく、彼はそれが好きだと言ってた。大きな工場で作ってるようなビールは絶対に買わないと。

 

こちらのホームセンターでは発砲スチロールはとても安く、木材も安い。そんで種類が豊富。ペンキは日本と同じくらいか日本より高いけど、色がものすごくたくさんある。

ケルヒャーの掃除機を前に、おそらくどれを買うか悩んでいる夫婦をみて笑ってしまった。ここにも生活がある。この愛おしさはどこからくるんだろう。僕の滞在してる部屋の向かいのアパートの二階の部屋では、夜になるとテレビがつく。昨日はサッカーをみてた。時々チャンネルを変えてるのがわかる。仕事してメシ食って寝るっていう毎日の営みは世界中どこでもやってることで、いろんなバリエーションでそのディティールを想像すると愛おしさがわいてくるけど、この愛おしさはどこからくるのか。いつかこのへんを探ってみたい。トイレを流し忘れた兄ちゃんを怒る妹とか、ホームセンターでどの掃除機を買うか迷ってる夫婦とか、സഗംരാの്ദതംസലാからの帰りを待つസര്がൈല്と一緒にാസംജതതをしてるところとか、まあなんでもいいんだけど、この愛おしさは変わらない気がする。

 

スウェーデンの人はみんなDIYが好きそうな感じがする。こっちの家の寿命を聞いたら100年くらいじゃないかと言ってた。みんな綺麗で新しく見えると言ったら、みんな建ててから日々のケアをしてる、年々コストを増やしながらも家を綺麗に丈夫に保つと。日本には廃墟や空き家がたくさんある。なぜスウェーデンではそうならないのかと聞いたら、私たちは空き家を必要としているからだ。建てるのはお金がかかるから空いてる部屋を使う。みたいなことを言ってた。しかし日本では空き家があっても持ち主がわからなかったり、行政が捕捉できてなかったり、持ち主がいても貸してくれないという事情がある。このへんはまた掘り下げて聞いてみたい。

昨日はビールを飲みすぎて店を出てから歩いて帰ったのはなんとなく覚えてるけど、家に着いてから寝るまでをほとんど覚えてない。エミルと、その友達でアーティストのAlexとJohanと4人でバーに行って、途中から一人で飲んでたおじさんも合流して、僕はスヌースというかぎたばこをそのおじさんからもらって吸わせてもらった。そのあとあんまりおぼえてなくて、エミルの恋人とその友達が来たのはなんとなく覚えてるけど、そのへんから彼らもスウェーデン語の会話になっていっ僕はぼーっとしていた。突然豪雨になったのは覚えてる。エーレブルーの中心街には、野外席があるバーとかレストランがめっちゃあって、だいたいの席に屋根がちゃんとある。店内席よりも野外席が人気で、店内はけっこうガラガラでも野外はほとんどいっぱいになってるという時間もあった。僕たちが飲んだのはビショップっていうイングリッシュパブで、スウェーデンではけっこうポピュラーらしい。エミルは「日本でいうとHUBみたいなものだ」と言ってた。ビールは一杯6~9クローナくらいで、日本だと700~1000円くらい。HUBよりもちょっと高いか。昼間にはエミルとJohanと一緒にWadköpings medeltida marknadというフェスティヴァルを見学したりもした。制作は2時間くらいだけ。

今日はお昼の12時くらいに起きて、日本の参議院選挙の速報をネットで見ながらこの日記を書いている。日本は国政選挙の投票率は毎度50パーセントくらいだけど、スウェーデンは基本的に80パーセント以上はあるらしい。

制作は今日はまだ何も手につけてない。どうもいまいちまだ乗り切らない。からだがまだだるい。時差ボケのせいだと思いたいけど、今後もこれは改善しないかもしれない。この状態で前に進むしかないのかもしれない。こっちではとにかく、全方位にあけっぴろげに接しないといけないと感じる。言うべきことを探しているときも、携帯から何かを探し出そうとしているときもwaitとかlet me seeとかいいながらやる感じ。昨日バーでもエミルと恋人はあけっぴろげにキスをしていてベタベタしていたけど、全くいやらしい感じにはならない。みんなも気にしていない。他人の心境を察して行動するというよりは、現実に現れる言葉や行動だけを見てコミュニケーションをとるという感じのドライさがある。でもこのドライさは冷たさとは違くて、各々の個人の振る舞いをお互いに尊重し合うという感じがある。Alexが一番陽気な人で(でも彼はまるで首をつったみたいにぶらさがった足元だけのショッキングなペインティングを描いてる)、途中から隣の知らない人のテーブルに割って入っていってた。しかし特にそれを気にするようなことは誰も言わない。食べ物も気候もコミュニケーションもドライな感じ。そんであけっぴろげ。ここに何か秘密があるようなきがする。僕はしっとりとした食べ物が食べたい。日本の食べ物は、マジで安くて美味しくてレベルが高いなとつくづく感じる。こっちで食べた既製品で美味いと思ったのはチョコレートぐらいで、パンはぱさぱさだしお米(タイ米みたいなやつ)は味がないし、エミルに勧められて買ったレッドワインソースも全然味がしない。味覚がやばい。

日本を遠く離れたところで選挙速報を聞いてて不思議な気持ちになる。今回の参議院選挙は改憲の発議が可能な2/3に届くかっていうのが大事なことが決まる選挙なのは間違いないけど、日本にいるときよりもずっと冷めた気持ちで見ていられる。距離をとるっていうのは大事なことかもしれない。NHKの世論調査で「あなたは改憲に賛成ですか・反対ですか」というのをやってて、反対派がわずかにおおいというようなことを言ってたけど、この質問自体があほくさすぎて、そんな二択を迫られても困るっていうのが当たり前だと思うし、こういう質問の仕方で調査をすることが、みんなのレベルを下げちゃってる。

過渡期だ。またゆっくりと一人で考える時期が来るのかもしれない。今さっきノーマン先生がこの部屋に入ってきて、僕の近くのテーブルで黙々と制作活動をしている。景色が白黒で印刷された紙を切り貼りして、コラージュ作品を作っている。隣で僕は選挙速報をみている。今はノーマン先生が誰よりもラディカルな存在に見える。

何が良くて何が悪いとか、何が新しいのかとか、何が面白いのかとか、何が自分にとっての正義なのかっていうことはすべて、すべて歴史の動脈を通して考えないとわからない。そんな当たり前のこともわからずに、その場の気分だけで人に文句を言ったり、投票したり、人に振り回されたり、騙されたり、ネットで炎上に加担したりする人が多分たくさんいるのだろう。歴史の動脈を通らないと、何が知性なのかがわからないし、未来のイメージも描けない、希望も描けない。すべてその場の気分で物事が決まってしまい、過去の過ちからも何も学べない。「自分はこう思う」で終わってしまって「自分がなぜこう思うようになったのか」っていう自問ができない。

食べ物が圧倒的においしくない。全てがぱさぱさしていて味がない。今日はJapanese Soyaと書かれた醤油のようなものを買ってきて、でっかいソーセージも買ってきて切って、キャベツとジャガイモと一緒にしてスープにしたやつの味付けに使ったら、少しマシな食べ物になった。

お前の場合は、自分の足跡だけをみて行動するくらいでちょうどいい。もしカサビアンが丸太小屋にバンドメンバーだけで籠って制作をしてなかったら、あの謎の無敵にかっこいい音は絶対に生まれてなかった。もし都会のスタジオで練習してレコーディングして、まわりの人たちの評判を伺いながら、そこそこかっこいい音楽を奏でてそこそこの評判を得て生きてたら。あの無敵の音はこの世になかった。自分の足跡だけをみて行動するのは、生み出すためには必要なことだ。ボブディランは若い頃、金持ちの知人の家から無断でレコードだかテープだかを大量に盗んで聞きまくっていた。そして後に彼は「良い音楽を生み出すためには必要なことだったんだ」と言った。あんまり良い例じゃないけど、人の目とか気にしてたらなんも生まれない。これはマジだ。もっと作品を解放していい。考えないでどんどんやっていいし、もっと狂っていい。エーレブルーに来て、いまのところまだ一人もアジア系の人を見かけてない。背が高くてサングラスが似合うスウェーデン人ばかり見る。これほど自分の見た目や、生い立ちや、使ってる言語を意識するとは思ってなかった。彼らはたまたまスウェーデンに生まれてサングラスが似合う人になってるだけであって、同じように僕もたまたま日本に生まれて髪の毛が黒い人として生きてるだけなのだと自分に言い聞かせている。同じようにたまたまシリアに生まれる人もいるんだろう。

 

僕が滞在してるワークショップスペースの向かいに大きなアパートがあって、そのベランダで女の人2人が水着で椅子に座って日光浴をしていて面食らった。町を歩いてる人はみんな荷物がすくなくて着てる服もシンプル。老人も歩いてるけど日本の住宅街で見る数よりもずっと少ないと思う。犬の散歩をしてる人がたくさんいる。スーパーのレジの人は笑顔が素敵。タバコは基本的に野外はどこでも吸っていいらしくあちこちに捨ててある。スズメもいる。あとカラスのような不思議な鳥がたくさんいる。鳴き声が高くて気味が悪い。

今日はアートカレッジの本校のほうでパソコンをいじってたら、自転車にのった男性の老人がのっそりと入ってきた。白髪で白いひげをたくわえたおじいちゃん。昨日からこの建物を使わせてもらってるけど、人が入ってきたことがなかった。彼は自転車ごと建物の中にゆっくりと入ってきて、僕の存在に気づいてないように見えた。「ハロー」と声をかけたら、ゆっくりとこっちを見て喉を震わせながら「ハロー」と返してくれた。魔法使いみたいだと思った。彼は自転車を置いて、ゆっくりと歩いてきて、手を差し出した。僕も手を差し出して握手をした。彼は自分を指差して「ノーマン」とゆっくり言った。僕は「アイムサトシ。フロムジャパン」と言った。彼は僕のことを聞いていたらしく、ようこそスウェーデンへと言ってくれた。彼はこのアートカレッジの先生(フィロソフィーを教えていると言ってた。君のような日本人や韓国人の生徒も教えたことがある、というようなことを言ってた)であり、作家でもあるらしい。今日は紙のコラージュ作品をつくりにきたらしい。「私も同じテーブルを共有するけど、気にしないでくれ。コーヒーが飲みたかったらいつでも言ってくれた。」と言ったあとすぐに「あ、鍵を忘れたんだった。すまない。私は頭がバカになっている」みたいなことを言った。彼は話す時に、右手をすこし震わせながら、声も震わせながら話す。会ってすぐにわかったけど、全く気を使わなくていい人だった。

ノーマンと別れてワークショップスペースに戻って制作をしてたら、エミルの友達のペインターのアレックスという人が訪ねてきた。エミルと明日バーに行く約束をしていて、友達も呼ぶと言ってたんだけどそれが彼だった。「スウェーデンはお酒は全部高い」と言ったら彼は「世界で一番高いかもしれない」と言ったすぐ後に「いや、ノルウェーのほうが高いな。でも彼らはリッチだ」と言った。「スウェーデン人もリッチだと思うけど」と言ったら「うん。でも彼らの方がリッチだ。彼らにはオイルがある。」と言ってた。僕はこの「うん」にちょっとびっくりした。

こっちにきて何人かの人にあったけど、彼のような人とかノーマンとか、何かを作ってる人とは言葉が多少通じなくても何かが通じてる感がある。

 

もうすぐ日本では参院選の投票日だ。考えたら毎日同じ場所に通ったり、同じ人と会い続けて一年を過ごすっていうような経験を、6歳のときからさせられている。子供にとって一年はとっても長いから、自分が他の人とすこし違う感じ方をしてるって気がついても、このメンバーでこれからも仲良くし続けないといけないって思ったら、それを口にできないのも無理がない。それには勇気がいる。その勇気を絞って自分の気持ちを口にしたとしても、得られるものがなければ、だんだん口にすることもやめていくだろう。言い方が悪いが「こんな人はいつでも縁を切れる。嫌になったらすぐにこんなところは出て行けばいい」という態度で接した方が、逆にその人と仲良くなったりしちゃうということがある。不思議と。本当は誰の評価も気にしたくないし、フェイスブックもやめたい(奈保子もそう思っている)。でもどこかで人の評価を気にしてしまうことがあるし、フェイスブックもいろいろ理由をつけてやめずにいる。そのうち気にならなくなるのか、逆なのか。これに関してはもうすこしでふっきることができそうだ。そこまでいけるか。

体調があまりよくない。昨日はここについてすぐに寝てしまった。いまもすぐにでもベッドに倒れこみたい気分だけど、ちょっと日記を書いておきたい。さっき夕方から昼寝して、起きたら4時間くらい経ってたのにまだ疲れている。時差ぼけの影響だと思いたい。昨日の孤独感の強さに比べたら、いまはだいぶマシになった。

2ヶ月くらい前にスウェーデンでの滞在制作が決まり、6日の朝に東京の家を出て、電車で1時間飛行機で12時間バスで2時間半かけてエーレブルーという町に来た。着いた時はこっちの時間で21時を過ぎていたのに空は明るくて、夜という感じが全くしなかった。

エミルがバス停まで迎えに来てくれて、「さとし?こんにちは。よろしくお願いします」と日本語で話してくれた時、本当にほっとした。飛行機やバスで聞こえてくる人のスウェーデン語の会話が全く意味不明でそれが耳に入るたびに孤独感が増すのを感じて、言葉の壁はここまで高いのかと思っていた。日本語をきかなくなってせいぜい数時間しか経ってないのに、バス停でエミルが発した日本語が、もう久しく聞いていない言語のような気さえした。大げさにも。エミルはこれまで7回くらい日本を訪ねたことがあり、1年間住んでいたこともあったらしい。プロフェッショナルのペインターで、日本でも展示をしたことがあると言ってた。

彼は今日も朝から昼過ぎまでずっとエーレブルーの町を案内してくれた。彼も日本語がそんなに話せる訳ではなく、基本的に英語で話をする。一緒にいる時間が長くなると、聞き取りやすくなることもあるもんだ。エミルによると、スウェーデンでは8歳のころから10年間、テレビのプログラムや他様々なところから英語を学び、ほとんどの人が英語を話せるらしい。世界でも最も英語を話せる割合が高いと言っていた。「日本人は全然英語を話さない。僕の友達が日本に住んでいて苦労している。君の英語は良いよ。」と言ってくれた。でもいま僕はエミル以外の英語が全然聞き取れない。エミルが言ってることも全部聞き取れているわけではないけど、言霊のようなものが伝わってきて意味が理解できることもあるのだと知った。数年前にイタリアに旅行に行った時は、買い物をしたりレストランに入るのも勇気を振り絞っていたけど、今では肝が据わったのか鈍くなったのか、割と気軽に買い物くらいはできそうな気がする。エーレブルーは多分イタリアのヴェローナやロンドンの街よりも白人の割合が高い。歩いてると若干視線を感じる(でもこれもそのうち気にならなくなるだろう。そう願う)。今日は4時間くらい歩いたけど僕以外にアジア系の人は一人も見かけなかった。エミルによると、ストックホルムに行けば中国人やタイ人や韓国人がたくさんいるし日本人も住んでると言ってた。

エーレブルーは徒歩で回れる小さな町(でもスウェーデンで5番目に大きい街らしい)だった。でも一軒一軒の家は大きい。散歩してると、休みの日の上野公園のような感じを街中からうける。僕が滞在しているところは住宅街で、とっても静かで、このへんは静かな通りなんだなーと思ってたけど基本的に街中がこういう感じだった。中央のほうに行くとカフェとかバーとか服屋とかマックとかH&Mとかもあって賑やかだけど、みんなゆったりと歩いていて、知らない人とすぐちかくですれ違うようなこともあまりない。とにかくなんか全体的に「休みの日」という感じ。この空気はどうやって出してるんだ。いまは何割かの人にとっては夏休みの期間でもあるんだろうけど、年中こういう感じなんだろうなという予感もする。道を歩いてる人の服装もみんな控えめでシンプルで、カラッとした空気も相まって、とにかく「休日感」がすごい。路上をみるとタバコの吸殻とか結構落ちてるんだけど、雰囲気がきれいというか、東京みたいにドロドロしてないというか。これはどこから生まれるんだろう。

 

今僕はエーレブルーアートカレッジのワークショップスペースで寝泊まりしている。2階建ての一軒家で、2階部分はワンフロアで30畳以上ある。ここは普段はアートカレッジのデッサン用の部屋らしく、椅子とかイーゼルとかが部屋の隅にいくつかおいてある。今学校は夏休み中で、期間は3ヶ月半あると言ってた。クリスマスにも休暇がある。またアートカレッジの生徒数は30数名しかいなくて、だから「普段は教室として使っている」と言っても実際にどのくらい使われてるのかはわからない。2階にはキッチンもある。キッチンのそばにひとつだけ一畳サイズのテーブルがある。そこに座って、パソコンで日記を書いている。イーゼルとかが置いてある別の隅にはベッドが一つおいてあって、そこで寝ている。1階にはトイレと洗濯機と工房スペースがある。明日からはそこで制作をすることになる。あと1週間くらい休んでから制作を始めたい気持ちだけど、意外と時間がない。この建物の向かいには学校の本校のような建物があって、そこにはいくつかの教室とギャラリーと工房とシャワーがある。ネットもここで使えることがわかった。いまは夜中の1時19分。外はようやく暗くなったけど、まだうっすら明るい。

今朝、エミルと散歩に出かける前に窓から外を見たら日差しがとっても強くて暑そうだと思い、室内で着ていた長袖のシャツを脱ぎすてて出かけたんだけど、外にでた瞬間涼しさにびっくりした。日差しの強さの割に涼しすぎる。風が冷たい。エミルは暑そうにしてるし、街にはTシャツやタンクトップの人がほとんどだけど、僕にはTシャツだとちょっと寒かった。いまの時期スウェーデンは22時過ぎくらいから暗くなり始める。数週間前までは白夜で、ずっと明るかったらしい。

「日本ではスウェーデンはソーシャルケアが充実した良い国だというイメージがある」と言ったらエミルは「その通りだ」と言ってた。こちらでは65歳を過ぎると全員に住む家(老人で集まって住む集合住宅のようなものらしい)が与えられ、政府からお金が支給され仕事はする必要がなくなるらしい。また子供が一人できると、2年間は仕事をしなくてもお金をもらえて一緒にいることができるという。だからスウェーデン人は子供をたくさんつくるという。保育園のようなものはないらしい。人口も基本的に少しずつ増えている。病院も無料でいける。ただし税金が高い。日本でいう消費税は30パーセント以上あり、タバコやお酒にも重い税がかかってる。エミルは喫煙者でラッキーストライクを吸ってるけど、一箱買うのに900円くらいかかる。お酒も普通の店では売ってなくて、ナントカっていうお店にいかないと買えないらしい。ナントカの名前は忘れた。ただしフルーツと野菜が安い。スーパーでびっくりしたけど、ジャガイモが1キロ100円くらいで買える。りんごも。僕は見てないけど、エミルによるとスイカも一玉100円くらいで買えると言ってた。

 

日本では人口減少と少子化と格差の拡大と諸々の影響で暗いムードが漂っていると言ったら、「僕の日本人の友達も日本に住むのがしんどいと言っていた」と言った。

起きても静けさがきつい。たまに車の音が聞こえるけど、ほとんど人の声とかは聞こえない。いま休みなのだからかもしれないけど。

スウェーデンの滞在施設についた。24時間くらい起きっぱなしだ。久しぶりの強烈な孤独感。ここではインターネットがつながらない。いままでインターネットがさみしさを緩和していたのを感じる。静けさがきつい。

本当の意味で「いきるためのアート」を考えるんだったら、そこには誰が誰よりどうだっていう見方はなくなってくるんじゃないか。

過去に同じことをやった人がいるかとか、それが”多くの人にとって”リアルかどうかとか、技術の違いとかでレベルの差は出てくると思うけど、それはひとつの見方であって、本当に、自分ではない一人のある人間が、自分が生き残るために絵を描いたりしているという事実を心から考えたらそこには他の人間と比べてどうか、っていう見方は消滅するんじゃないか。

昨日のすき焼きを食べながら気になることを話す会は、途中から14人くらいで人数が落ち着き、気がついたら始まってから4時間経っていた。会場のギャラリースペースは冷房が届きにくいところで暑くて、終わったあとはみんな顔にうっすら汗を浮かべていた。持久走を完走したような感じ。それも良いと思った。会場にいた人はお互いに知らない人もたくさんいて、そんなメンバーですき焼きをつつきながら、全員で話す。内容はこれから長野で始まる「北アルプス国際芸術祭」と、その同じエリアで7年前からやっている「原始感覚美術祭」の関係から始まって「おしゃれで無菌な空気のイベントは社会の成熟の形なのか」っていうテーマを経て最後は選挙とか政治とか、歴史を学ぶことについて、というような話に至った。

最初は会話そのものがぎこちなくて、みんながこの会の進め方を模索しながら話をしたり聞いたりしていたと思う。最後のほうはみんなが自然に話をしあうような空気になっていたと思う。当然、よく話す人もいるし全然話さない人もいる。でも途中で抜けた人はいなかった。よく話す人もあまり話さない人も同じ空間にいて、とりあえずはみんなの話に耳を傾けているという状況は、ちょっとむずがゆい感じもある。でもある種こういう「マジメな話」をみんながあきらめずに続けていった先にようやく、誰かと意見の違うことがわかったりその違いについて「なんでそうなんですか?」と聞いたりできるということがあった。よく話す人も、あまり話さない人も、何かに意見をもっている人も、持っていない人も、自分と意見が同じ人や違う人とも、同じ空間で会話を共有して「いろんな人がいるんだな」っていう単純なことを実感としてわかるためには、こういう場をあえて設定し、むずがゆさを乗り越えていかないと生まれないのかもしれないとも思った。

 

でも僕は最後まで全員で会話をしていることの違和感が拭えなかった。なにかにやらされているような感じを受け続けた。この違和感がどういう原因でおこるのかはわからない。これまで初対面の人と鍋を囲んだり、知らない人だけを集めて飲み会をするような会は何度も開いたことがある。けど「気になる話をする」という設定をして、全員で話そうとしたのはこれが初めてだった。みんなで一つのことを「うまく話しあう」には、段取りや司会のしかたが重要になることを学んだ。僕は主催者ではあるけど、みんなの話を誘導するようなことはあまりしたくなかった。でもある程度は取り仕切った方が良いムードになるということはわかった。ただ「とても良い司会者」がいて、彼がみんなに話をふったりして「うまく話し合いができた」と思えるものにすることにどういう意味があるのかはよくわからない。でもこういうことを作品にしてしまうアーティストもいる。

 

川村さんは、安保関連法案が国会で可決されたとき腹が立って、この怒りをどうしようと思い、味噌を仕込み梅酒をつけたらしい。生活で権力に抗うっていう理屈はなぜか理解できる。政治的な怒りをデモにいってぶつけたり、人に話すことでぶつけたりするんじゃなくて、味噌を仕込むことで解消するっていう考え方は、僕の移住を生活するプロジェクトと近いものを感じた。最近は選挙にいくと白紙票をいれているという女の子もいた。若い人が選挙にいかないと言われてることへの反発と、入れたい人がいないんだっていう意見の表明らしい。これも、味噌を仕込むことと近いものを感じる。こうやってパーソナルな行いでパブリックに反発することと、今回すき焼き会でやったような「人があつまって全員で話す」ことは両立できないものか。