(09262301)9月7日にスウェーデンから帰国して東京で奈保子と合流。僕は馬喰町アートイート→渋谷のBESS本社→六本木で高松さんと飲むなど、奈保子は展覧会を見て回るなど、慌ただしく各々の予定をこなしながら2ヶ月ぶりに一緒に過ごす。その日は東京の実家に泊まり、翌日から奈保子は松本に戻る。僕は茨城県北芸術祭の制作手伝いのバイトをしに1週間常陸大宮市に滞在。ドイツのアーティストのミヒャエルとスウェーデン人のアシスタントのサムと先輩作家の太田さんと盟友の仲田さんと過ごす。それで東京に戻り、母親が近々手術を受けることを聞く。その時期は実家にいないといけないと思う。じいちゃんともちょっと話した。家族のことがもうすこし頭を占めてないとダメな気がする。自分は大丈夫なのかと不安になる。15日からは松本に戻って店を手伝ったり屋根の雨漏りを緩和させる試みをしたり。17日awaiとgive meの共同企画の中でトークをする。18日にはawaiで林友深のトークの相手をする。21日まで松本で過ごし、22の夕方に松本を出発して、23日まで名古屋にいて愛知トリエンナーレやMAT NAGOYAでの展示を見る。23日の夜は雑誌「棲」の人たちと飲んだり。24日には大阪に移動して、Tied debate05「定住と移動 建築は動くか」というイベントでドットアーキテクツの家成さんやTiedという大阪のグループの人たちと話す。とても楽しい時間だった。家成さんの仕事は、僕が話の中ですっとばしていた「つくりかた」のフェーズで立ち止まって考えられていた。具体的な工法、特にのこぎりやトンカチなどの簡単な道具で家を作れるようにするなどをよく考えながらやっていて、それがコミュニティが生まれるきっかけになったりしている。僕は自分がすっ飛ばして考えてもなかったことを思い知らされて反省した。そこを考えるのも大事なことだと思った。建築はやっぱり面白い。自分はいずれ建築家と名乗れるようになっていくかもしれないと思った。でも肩書きを名乗ることには基本的に抵抗がある。アーティストと名乗るのも抵抗がある。アーティストって、名乗った途端にアーティストじゃなくなるんじゃないか。肩書きを名乗った途端に失われるものは間違いなくあるけど、肩書きを通してしか人々が受け取れないこともある。そういう世界になってしまった。みんな抵抗なくアーティストとか言ってるのか。ある程度そういうことを感じながらも受け入れて名乗っているのか。Tiedの前川さんに「肩書きを作ればいいじゃないですか」と言われた。荒川修作はそうした。米粒写経の居島さんがドイツ語のザインとゾルレンの話をしてて、ザインは「在る」でその対義語にゾルレン「在るべき」て言葉があって、タモリさんが長らく自分のことを芸人とは言ってなかったこととか、江戸末期の堕落しきった武士達をみかねて、「武士とはあんなやつらのことじゃない」と新撰組が誕生したこととかを引きながら「将来はダウンタウンみたいになりたいとかいうアホみたいな若い芸人が多すぎて、そんなのサラリーマンと一緒じゃないか。そんなんでダウンタウンになれるわけない。彼らは全部ザインで、ゾルレンじゃない。ゾルレンは本質のことで、ゾルレンでなければいけない。」と言っていた。

トークイベントの会場のビルの屋上に白いなにも書いてない広告看板があって、それを使ってなにかやらないかという提案をもらったので何か考えたい。公共を立ちあげるようなことをやってみたい。デザインイーストを立ち上げたときの家成さんの話、Tiedの人たちの話を聞いて思った。一人で活動するのも良いけど、もっと意識的に人を巻き込んで公共的にやることを考えてもいいかもしれない。数年前は絶対に許せなかったことだけど、今はやりたいと思える。まずは掃除から始めよう。真っ白な大きな広告看板は、裏返したホワイトキューブみたいで面白かった。

その日の夜、僕は泊まるところがなかったのでトークイベントをやった上町荘というところに泊めさせてもらえないか頼んだけど、他の会社も入っているシェアオフィスなので難しいとのことだった。そしたら家成さんがドットアーキテクツのスタジオ(?)のソファで寝ていいよと言ってくれた。行ってみるとそこは大きな工場で、一人で寝るのはちょっと怖かったけど嫌な感じはしなかった。蚊がたくさんいるのにおどろいた。

それで25日に今度は大阪から僕の家が置いてある山口県の防府市にバスで移動。途中、広島でバスの乗り継ぎがあって、ほんのすこし時間があったので広島のGalleryG界隈の人たちが素早く焼肉に連れていってくれた。それで夜23時ごろに防府のゲストハウス「REST Hofu Junction」に到着。オーナーの北嶋さんがワインを用意して到着を待っていてくれた。広島は暑かったが、防府は広島ほど暑くないと思った。久々に自分の家と再会した。スウェーデンでつくった家とくらべて屋根の存在感が大きいと思った。

シャワーを借りて、夜中1時過ぎまで北嶋さんと話す。僕がスウェーデンに行っているあいだを含めた、3ヶ月ちかくのあいだずっと家を預かってくれた。ここは1Fがレストラン(僕が大学生の時に上野で見て衝撃を受けたパフォーマーのユキンコアキラの親が防府在住の画家で、その人の絵が飾ってあった。)2Fがゲストハウスになっている。さらに最近3Fにスポーツジムをオープンさせたらしい。レストランでは絵の展覧会もやっているし、音楽のライブもやってる。ここが防府の文化を担っている。

そして今朝防府から移動して(防府天満宮にお参りする時間がなかったのが心残り)、いまは山口市内のガストにいる。22時38分。客は少ない。山口市は初めて来た。街の中心部が温泉街なのは意外だった。人口密度は少ない。もうすこし減ったらさみしい街になりそう。

家はYCAMの駐輪場に置いてある。YCAMは良い文化施設だから家を持って行っても敷地内に泊めさせてくれるだろうと思って突入したけど、思った以上に巨大な施設で、しかも山口市が持っていて、市の職員が常駐していて「泊まっていいですとは言えない」と言われた。これまでは市町村が持っている文化施設の敷地内にも何度か泊まったことがあるけど、大きな施設になると融通が利かなくなるというのがよくわかった。

何人かが僕の敷地探しのために、YCAMの関係者の家の庭や関係するお店やレジデンスなどいろいろ問い合わせてくれた。それでも敷地は見つからなかったけど、YCAMは目の前が巨大な芝生の広場になっていて、夜は人も通らないらしいのでなんとかなるかもみたいな感じになった。それも面白いかなと思い、今日はYCAM前にゲリラ宿泊してみる。ちょうど明日は定休日なので都合がよい。

YCAMの中には広くてテーブルと椅子が並んでるスペースがあって、そこで高校生が勉強をしているのがよかった。無料でいろいろな展示が見られるし、こんな施設がある街で育ってみたいと思った。2Fでやっていた「空族+スタジオ石+YCAM」の「潜行一千里」という展示がとてもよかった。来年公開されるらしい空族の新作「バンコクナイツ」もみないと。

移動のしすぎで認識が追いつかない。広島で焼肉を食べていたとき、僕の意識の半分くらいは大阪にあったし、今は意識が半分くらい防府にある。スウェーデンから帰国後の怒涛の2週間を終えてやっと戻って来た家も翌日には背負って歩いている。そろそろ来年の結婚式のための貯金とか車の免許とるのも考えないといけない。「(動く)家に帰れない問題」がこれから頻発しそうだ。どうやったらいいのか。そういえば日記も早いうちに本という形にしたい。しかし熊本にも行きたい。

ストックホルムのスコーグスシュルコゴーデンをみて「墓場は動かせない」と思ったけど、仏壇も動かしにくいものだと北嶋さんと話していて思った。移動を考えるときに仏壇を一緒に考えてみると分かりやすいかもしれない。定住することで僕たちは場所に色々な意味をもたせてしまっている。移動生活者にとってゴミや排泄物はそのへんに捨てていけばいいものだけど、定住者にとってはちゃんと管理しないと衛生的によくない。ゴミや排泄物を自分からどれだけ速やかに遠ざけられるかが定住のキモで、松本の家は築百年以上なだけあって、トイレの近くに謎のマンホールがあって、そこに汚物が一旦流れ込んでいた。そのせいで時々匂いがあった。近代が隠した匂い。なんのためにあったのかわからんけど塞いだ。

墓場や仏間も同じように考えられるかもしれない。亡き者がずっと隣にいるから、ちゃんと弔わないといけないと考える。そうやって葬式の儀式がどんどん大きなものになっていく。自分の結婚式をどうするかを色々考えている。神様の前で色々儀式をやる「神前式」という形式は、キリスト教の結婚式を真似て、明治維新後に日本風に作りあげたものらしい。つくられた伝統の一つ。それでいいのかと思いつつも、作られた伝統だから何が悪いのかと思ったりもする。結婚式は儀式なので、その場の人たちがその瞬間にそれをやってそれっぽく盛り上がるということだけが大事なことなので、あまり難しく考える必要はないのでは?だいたいつくられてない伝統なんてものが一つでもあるのか。かといって人前式もフェイスブック的で嫌な感じもする。人の集まりだけを相手にして儀式をするより「大いなるものに誓う」ことは大事な気もする。このへんはもっと話し合わないと。

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(09271848)向かいの席にフランス語を話す男性3人がいてメニューをみて色々議論している。日本語は全然話せないっぽくて時々携帯を見て日本語の意味を確認している。荷物が少ないから多分どこかに泊まってる旅行者か。ボタンを押して、店員に「英語はなせる?」と英語で聞いていて、店員はノーと答えていたけど、結局うまくやりとりしていた。今日も昨日と同じガストにいる。席も同じ。

昨日の夜は、夜中に人がこない場所を吟味して最終的にYCAMと駐車場の間にある細い通路に家を置いて寝たんだけど、思いがけず夜中に駐車場にくる車が時々あって、そのなかにはそのまま駐車場で話し込む若い人たちもいた。その声で起こされた。彼らはただ話しているだけで、家を揺さぶってきたりはしなかったぶんエーレブルーの教会よりはずっとマシだったけど。他に朝ドアを開けようとする人が数人いた。今回はあまり良い場所を選べなかった。次に生かしたい。起きてからはしばらくやる気がでなかった。とりあえず今は熊本に着くまでのプロジェクトとして続けてみることにする。日記も続けて書いていく。家を動かしていると同じ空間にいながら、違う世界を生きている。それにもすっかり慣れた。

昼頃にYCAMから宇部方面に歩きはじめた。宇部まで二日かけていけばちょうどいいと思ったので、ちょうど中間にある上嘉川という町で敷地を探した。上嘉川のあたりにくるとあちこちに野焼きの煙が立っていた。ちょうど稲刈りを終えたくらいの時期らしい。まだ稲が残っている田んぼもある。山口から上嘉川までの道は意外と建物が途切れなかった。田んぼと山に囲まれた村がずっと続いているような感じ。旧道沿いにあるお寺で敷地の交渉をした。やさしそうなおばちゃんがでてきて、最初は「ここは公園だから、子供たちみんなびっくりするでしょ」と言って断られるかと思ったけど「なんでこういうことをやってるの?」と聞かれたのでほんの少し話をしたら「あっちのフェンスのあたりなら子供たちがいても大丈夫かも」と言ってくれた。「ただし蚊がすごいから覚悟はしてください」と言われた。そこからの眺めはとてもよくて、町を見渡すとあちこちに山というか丘がぽんぽんと置いてあって、線路が近くを線路が通っていて、田んぼと家が道沿いに広がっている。公園にトイレと水場があって便利だけど、お風呂場がない。ネットで調べたら銭湯は宇部のほうまで行くか、山口まで戻らないと無い。(お寺のおばちゃんに聞けばいいのかもしれないけどお風呂を使わせてくれと言っているみたいで嫌だ。それに現代では普段銭湯に行く人が少ないので知らないことも多い)あとご飯を調達する店は歩いて10分くらいのコンビニ。「道の途中の土地」という感じ。新潟とか富山の日本海沿いの町を思い出した。

なので例によって家を置いて電車で山口まで戻ってきた。電車には学校帰りの高校生がたくさん乗っていた。電車に乗ってる高校生を見ると、どの町にも暮らしてる人がいるということが鮮明にイメージできる。彼らは音楽を聴いたりうとうとしたり、友達としゃべったりしているだけだけど、不思議な力をもっている。

昨日「温泉街」と書いたところは「湯田温泉」という温泉街だった。湯田温泉という、大きな白い狐のオブジェがある駅がある。その駅前はたくさん人がいて意外だった。良いオーラが漂っている駅だった。

昨日は清水湯という温泉銭湯にいったけど、今日は亀乃湯という銭湯。清水湯よりも観光地の真ん中にあるので、観光客もたくさんくる町の銭湯という感じ。ティッシュとドライヤーが使える珍しい銭湯。

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大阪のトークイベントで話します

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Tied Debate 05
「定住と移動 − 建築は動くか」

■日時:2016年9月24日(土)16:00~19:00
■場所:上町荘 〒542-0062 大阪市中央区上本町西4丁目1-68
■主催:Tied(前川 歩 / 舩橋 耕太郎 / 志水 良 / 山口 陽登 / 中村 昌平)
■参加費:1,000円(1ドリンク付)(座席40席)
■アフターパーティ:1,000円
■ゲスト(順不同):
◉建築家 家成俊勝(dot architects http://dotarchitects.jp/)
◉アーティスト 村上慧(http://satoshimurakami.net/


現在、都市や田園につくられ続けている多くの建築は、コンクリートの基礎や鋼製の杭で強固に土地に括り付けられ、動くことはゆるされません。それは当然のこととして、動かないことに疑問がもたれることはほとんどありません。
しかし、本当に建築は土地に深く根付いてよいのでしょうか。

私たちの生活は動くことによって成り立っています。生きるために動きます。であるならば、建築も動くことが自然となる状況もあり得るでしょう。事実、これまでに多くの動く建築がつくられ、使われてきました。床店、屋台、芝居小屋、もしくは曳屋という技術等々、多くの動く建築とその技術が生活を支えていました。

また、近年は、多拠点での生活、もしくはタイニーハウスや自作の小屋、モービルホームといった、自らの手が届く範囲での仮設的な建築での生活など、固定された建築からはうまれない新たな生活スタイルの広がりを世界的にみることができます。

一方、固有の場所に根付き、その場所ならではの建築のすがたに、もしくはそうした建築や場所と一体となった人々の生活にも、私たちは心を奪われます。固定され、動かないことでうまれる豊かさも当然あり、動くことを両手ばなしで賞賛することも難しそうです。

今回のディベートにおいては、ゲストスピーカーとして建築家の家成俊勝さんとアーティストの村上慧さんをお呼びし、建築が動く/動かないことで可能となる新しい世界について模索したいと思います。

https://www.facebook.com/events/687960924689722/

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怒涛の週末がおわって静かになって雨が降っていてさみしい。あづまさんは本当はもっとノイジーでスーパーハードで誰もついていけないクレイジーなものがやりたいのかもしれん。どうしてもエンターテイナーになってしまうのかもしれん。ステージ上で狂った彼女をいつか見たい。ともちゃんはとてもピュアに制作していてあまりつっこむことができなかった。ピュアに自我にまみれながら制作している。彼女の作品についてのトークがフェイスブックの話になったのは自然な流れだった。みんなが各々の自意識に邪魔されながら生活しているフェイスブックの世界。スーツを着て神社の結婚式に参加したときに感じた違和感が近い気もする。つぎはぎというかそういう文化なのか。日本が敗戦国であることをあんなに意識したのは初めてだった。自分がどう見えるかを考えてしまう「自意識」と日本が敗戦国であることを思い出してもやもやしてしまう気持ちは近い。自意識は争いをおこしたりする。「日本を取り戻す」とかっていうフレーズからも自意識を感じる。キリスト教会での結婚式に対応させるために、「神前式」というものを開発して「日本式の結婚式」っぽいものをつくったのは、明治以降に日本を西洋化するためにつくられた伝統だという話を昔どっかで聞いた。それは自意識とは遠く離れたものに感じる。ともちゃんの絵はそのへんと戦ってる。