半径3メートルの人に届くように考えるとか、半径10メートルの幸せだけを考えるとかそういう話をよく聞くようになった。そういう時代らしい。でもそうやって割り切っちゃうのも駄目だと感じる。

考えてみたら、その人にとっては当たり前にできることをとりたてて「こうするときはこうする」ということを書きたてるのはそれだけで差別的になる可能性があるな。虫や魚を観察しているようになってしまって。

熊本市の現代美術館の裏の地下にある「珈琲人」という喫茶店のカウンター席にでパソコンを開いてる。店主がめちゃ良い感じのおじさん。昔からある喫茶店ぽい。僕が入った時はカウンターに常連客っぽい人が座っていて、その人が帰ったらすぐまた同じ席に男性の常連客っぽい人が座った。テーブル席がよかったのだけど店内が混んでいてカウンターしか入れず。今日は日曜日で街に人も多い。アーケード商店街には「シャボン玉に入ろう」というブースとかダンスをするステージみたいなのが組まれてて、ビデオを回してるお父さんやお母さんがたくさんいたりする。今日はとても涼しくて過ごしやすい。

熊本は初めて来た。市街地は時々屋根が崩れてたり壁のタイルが剥がれてたり、古い家は大きく傾いてて立ち入り禁止と書かれてたりする。建物の壁に青や赤の紙が貼られていて紙には建物の状態によって「危険」とか「注意」と書かれている。全体的には街並みは保たれてて、日本は地震に強い国だなあというのが率直な感想。でももっと東の方にいくと酷く傷んだ地域がある。

一昨日のお昼頃幼稚園の駐車場を出発して10キロくらい歩いたけどなんだか体が疲れてるのを感じて八幡の駅近くにある図書館の駐輪場に家を置いて、図書館のロビーに一人がけのソファがたくさん並んでてそこではリラックスした老人方がうとうとしてたので僕もそこに仲間入りして休憩することにした。気がついたら30分くらい寝ていて、もうここから家を動かすのもしんどく感じた。ダメもとで頼んでみようと思って、図書館の司書さんに家をここに一晩置かせてもらえないかと聞いてみた。そこで寝るのは無理だろうから僕はどこか近くのネットカフェとかで寝ればいい。

司書さんが事務所みたいなところに連れて行ってくれて館長に会わせてくれた。館長を見た瞬間「ここはいけるかもしれない」と思った。館長に「事情をお聞かせ願えますか」と聞かれたのでいろいろと事情を説明したら割とすんなりOKしてくれ、建物の裏の一般の人は来ないところに家を置かせてもらった。それから50分くらい歩いたところにあるネットカフェに行って寝た。

翌日朝9時ごろ図書館に家を取りに行って近くの公園に置いて100円ショップで買ったドライバーで家を解体して紐で縛り(解体して縛るのに1時間以上かかった)八幡駅から久留米行きの電車に家を乗せて出発。筑後草野という駅まで言った。電車を降りて家を再び組み立ててそこから15分くらい歩いたところにあるアーティストの牛嶋均さんの家へ。牛嶋さんは来年スウェーデンで参加するOpenArtで一緒になるアーティスト。鉄工所を経営してて公園の遊具などを作りながら制作活動をしている。受注した仕事としてやるのと同じラインで作品もつくるらしい。牛嶋さんのところに着いてしばらくしたら豪雨が降り出した。

豪雨の中、グラインダの回転音と溶接の音と、時々鉄と鉄がぶつかる音。

夜に焼き鳥屋に連れて行ってもらい(久留米は人口に対する焼き鳥屋の比率が日本で一番多い焼き鳥激戦区らしい)、帰ってからも夜中までいろいろと話した。とても良い時間。その日は牛嶋さんの家に泊まらせてもらった。

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出張の用事がいろいろできたので家をどこかに預けたかったのだけど、ありがたいことに牛嶋さんのとこで預かってもらえることに。朝には牛嶋さん家族と家と別れて、電車で熊本まできた。目当ては下関で毎日新聞の記者に教えてもらったオレンジというカフェに行くのと、上町郵便局の近くで展示されてる自分の作品を見るのと、熊本地震の跡を見るのと、人に会うのと。オレンジというカフェは今改装中らしく入れなかった。

 

とにかく街に人が多い。人口や駅の規模の割に街にいる人が多いと感じる。みんな外に出て話したり飲んだりするのが好きらしい。

マルショクという複合スーパーの休憩コーナーにいる。休憩コーナーは世界で一番面白い場所。

目の前に2台の飲み物の自動販売機と17アイスクリームの自動販売機がある。外との仕切りが全部ガラス戸で、この店の駐車場が見える。空は曇ってる。

隣にココカラファインというドラッグストアのエリアがあるんだけど、そこからcocokarafine-free-wifiというwifiが飛んでいてインターネットが使える。ドラッグストアでネットが使えるとは驚いた。まだ朝なのに眠い。さっき近くの幼稚園に家とともに突入して、「地震が来たらどうするんですか」「逃げます」「キノコが生えたらどうするですか」「食べます」「雷が落ちたらどうするんですか」「雷が落ちたら死にます」と幼稚園児から洪水のような質問を浴びまくった。しかもアベマTVのカメラが回っていた。アベマTVはテレビ朝日がやってるインターネット放送局らしい。昨日の昼過ぎからずっとついてる。

昨日は台風も過ぎ去って良い天気のなか、長府のお寺を出発して関門海峡を目指した。途中、長州藩の大砲を見ようと思って下関市立博物館にいったけど、移転準備のために休館していた。目の前に「下関市立歴史博物館」という真新しい建物が建っていたのでこっちに移るらしい。それは11月18日オープンらしい。残念。

歩いてる途中でトラックに乗ってヘルメットかぶったおじさんと

「引っ越しですか?引っ越しされとんですか?」

「引っ越しです」

という1往復の会話。

関門海峡近くに来て、長州藩の前田砲台跡を見てたら近所のひとらしきおじさんが話しかけてきた。

僕の家をみて「これどこにつけるん」と聞いてきた。砲台跡のどこかに設置すると思ったらしい。彼は昔タンカー船に乗る船乗りで世界中の海を回る仕事をしていたけど、退職してから「どこに住もうかな~」と考え、この近くの海が見える家を買って住んでる。「なんで下関にしたんですか」と聞いたら「下関が発祥の地だから」と言ってた。

そのあと関門海峡につき、人道トンネル(下関と門司のあいだの関門海峡は短いところで700メートルしかなく、人が歩いて通れる海底トンネルが通ってる)の入り口まできたらそこで茶色い作務衣のような服を着たおじさんと会った。「そこで紙芝居やってるんだけど見に来ない?」と。「歴史体感紙芝居 “動けば雷電の如く・・・風雲児高杉晋作」という紙芝居。下関の観光PRとしてボランティアでやってるらしい。長州藩が攘夷のために連合軍に砲撃するところから始まり、奇兵隊が結成されたり、船に乗る坂本龍馬の後ろ姿の絵と共に薩長同盟が結ばれたりして、27歳で結核で亡くなるまでの高杉晋作を描いた紙芝居。途中でマイクの調子が悪くなっておじさんの声が車にかき消されてよく聞こえなくなったりした。おじさんの話し方や立ち振る舞いから、もう長いことここで紙芝居をやってることが伝わってきた。

紙芝居みてから人道トンネルを渡った。一緒に渡った男性の話によると、このトンネルは国道2号線で地下50メートルで長さ800メートル。ひたすらに一本道。この上に海があると思うとあまり長居はしたくないトンネル。途中で4、5人とすれ違った。トンネルと途中で山口県と福岡県の県境があった。海を境にして別れるんじゃなくて、海の中まで入っていって県境を決めている。このトンネルがどこか破損して、それが福岡県側だったら福岡の行政が直したりするのか。

門司港に渡ったところでアベマTVのクルーと合流して、わかしんさんという人とか菊池さんというタレントの人とかと話したりしてから小倉方面へ歩く。

途中でマックのドライブスルーを見つけてシェイクが飲みたいと思ったのでドライブスルーに家で行ってみるかと思い立ち行ってみたら、注文までは普通にして受け取る時に店員のお姉さんから「基本的には中でアレしてください」と言われてから渡された。中でアレしてください。とは

眠い。これを書きながら何度も寝そうになっている。休憩コーナーの後ろの席に座ってるおじさんが繰り返しくしゃみをしてる。

カメラの質問に答えながら歩いてるといつのまにか暗くなってしまって、門司駅と小倉駅の間で敷地を探すためにお寺を回ったが、どこも誰もいなかったり住職がいなくて判断できなかったりして、夜の住宅街の路上でTVのクルーの人たちと途方にくれてたら、通りすがりの女の人が家を見て「これはなんですか?」と話しかけてきた。事情を説明して「いま敷地を探してるんですよ」と言ったら、そこを通りかかったまた別の人にその人が話しかけて、いろいろやってるうちに、あとで通りかかった人が近くの幼稚園の園長先生で、その幼稚園の駐車場なら「寝てもいいですよ!」ということに落ち着いた。行ってみたらなんと隣がコイランドリーの最高の立地。家はそこに落ち着き、番組のディレクターの人と近くの「銀座カレー」という、超ローカルなのに入りやすくてしかも超安い最高のカレー屋さんで一緒いんご飯を食べ、ロケ車で3キロ戻ったところにある門司駅近くの「楽の湯」というスーパー銭湯に送ってもらってお風呂に入って歩いて幼稚園の駐車場に置いた家に帰って寝た。

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叩き起こされた。

「誰か入っとんかー」という声とともに家がバンと揺れてまた「誰か入っとん?」と声がしたから「はい!」と声を出したら「入っとんか」と行って去っていった。窓からみたら幼稚園の送迎バスの運転手だった。彼は幼稚園の人に「あれ何なん?誰かはいっとるけど」と聞いて、園の人が説明してくれていた。今は幼稚園の中の不思議なスペース。畳敷きの居間のようなところにいる。日本人形のようなものも飾ってあったりテレビがあったりタンスがあったりこたつがあったりするので、ここだけみると完全に誰かの家に居るようだけど、隣から幼稚園児たちのにぎやかな声が聞こえたり職員さんが話す声が聞こえる。スタッフのおばちゃんがご飯と味噌汁の朝ごはんを準備してくれている。ありがたい。

すっかり良い天気になり、風もだいぶなくなった。今日は動けそう。昨日家は移動させなかった。

家はお寺の山門を入ってすぐ左の小さなお堂の軒下に置いてあるんだけど、目の前が芝生になっていてそこに桜の木とか紫陽花など色々植えられている。中サイズの蜂らしきものが何匹も飛んでる。朝の陽の光を受けて、蜘蛛の巣がきらきら光ったりもする。昨日の台風の名残として、桜の木の枝が何本か地面に落ちている。植物と一緒に小さな灯籠が二つ置いてある。発泡スチロールの窓を開けると、ちょうどその灯籠が二つ並んで正面に見えて気持ちが良い。

ジョイフルHOTEL AZ店にいる。いかにも労働者という感じの男臭い男性が多い。出張でこのホテルに泊まってるみたい。みんなビール飲んでる。このあたりはブリヂストンの工場もある工場地帯で、たぶんそのどこかに勤めてる人だろうと思う。台風は今日の明け方に襲ってきた。かなりの風と雨で、家もすこし揺さぶられたけど、けっこうあっという間に過ぎ去っていった。朝になってからだったから助かった。夜だったら寝付けなかったかもしれない。台風が過ぎたあとは気温と湿度が上がり、家の中にいるのが辛いほど暑くなった。

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2016.10.5 山口県下関市長府金屋町

山陽小野田市の家に飼われていたうさぎの大ちゃんは、子供の誰かが外泊で家からいなくなったり風邪をひいたりすると、体調を崩して病気になってしまうらしい。また忙しくて餌をあげるだけの日々が続いてしまったりすると仮病をして寝床の家の中から出てこなかったりもする。頭が良くて、寂しがりやでうさぎを飼うのも色々と大変そう。

下関市の長府駅前のファミレスJoyfullのテーブル席に座ってる。隣の席には女子二人組が座って台風の話などをしている。明日台風がこのへんを通り過ぎるらしい。このへんも夜になって段々風が強くなってきた。向かいの席には男性二人組が座って話してる。

さっきまで関門海峡の目の前にあるレストランでご飯を食べながら毎日新聞の記者さんと話してた。彼は去年まで熊本にいたらしく「水俣病の担当」だったらしい。「石牟礼道子さんに一度会ってみたい」と言ったら、最近体調があまり良くないとのことだった。彼は一度会ったことがあるらしい。石牟礼さんも関係があるというorange 橙書店というカフェを教えてもらった。熊本は地震から半年たったけど未だに瓦礫撤去も進まなくて屋根もブルーシートが被ったままとのことだった。見なくてはいけない。

僕たちがローンを払ったり住民税を払ったりする税制上の家あるいはあらゆるところで求められる「住所」として家は、シェルターという機能としての家とは全然関係がないものだということに気がつくことができたのはこの生活をやったおかげだ。それに気がつけたのは大きなことだ。僕の発泡スチロールの家は、いかに見た目が瓦の切り妻屋根っぽい家に見えても、この世界では「家」とは認められないらしい。道路に置いて寝ようとしたら警察が来たりコンビニの駐車場に置いたら不審な目で見られるのはそのせいだ。1万年の定住生活のせいで僕たちは税制上の住所としての家のことを「家」だと思い込んでしまっているらしい。僕の家が新聞とかで紹介されたりするときかぎかっこ「」がつくのはそのせいだ。

関門海峡には下関戦争の時に長州藩がつくった砲台のレプリカみたいなのがあったり下関駅前にはコリアンタウンがあったりして、歴史と朝鮮半島との文化交流のにおいがぷんぷんした。ウィキペディアで下関戦争を調べた時に写真が出てくる「長府前田砲台」の跡が長府の海岸沿いに残っていて、下関市立長府博物館にはそのときの砲台がフランスの博物館から永久貸与(下関戦争で砲台は全部連合国に持ち去られた)されて展示されてるようなので見に行きたい。

今日は朝山陽小野田市の青年の家のキャンプ場で起きた。起きた時2箇所くらい蚊に刺されていた。蚊は夕方と朝に来る。よく夜間の蚊の心配をされるけど、彼らは意外と夜は襲って来ない。夜の方が動物が眠ってるから刺しやすいはずなのに不思議だ。でも青森の種差海岸の蚊は一晩中襲ってきた。波状攻撃だった。あれはあの辺の蚊の特殊能力なのか。

近くのセブンイレブンで焼きそばとブルーベリーヨーグルトを買って3席しかないイートインコーナーで食べて、そのあと12時ごろまで道路に座り込んで絵を描いた。そんで12時過ぎにキャンプ場を出発。青年の家は定休日で誰もいなかった。キャンプ場の使用料100円を払わなくてよかったのかはわからない。

昼3時ごろに毎日新聞の記者の人と会った。「下関で台風をやり過ごすための敷地を探してる」と言ったら「旧社屋が使えるかも」と色々電話をしてくれ、「今は誰も使ってないから立ち入り禁止のロープが張ってあって、そこも寝られるけど警察が来るかもしれない。だけどもし他に敷地が見つからなかったら使ってください」と言ってくれた。

そのあと夕方5時ごろ、長府駅を超えてすこし歩いたところにある山陽道沿いのお寺につき敷地の交渉をした。最初の2つは幼稚園が併設された綺麗なお寺で、両方とも「私の一存では決められなくて、役員とか色々なところに聞かないといけないからうちは勘弁してもらいたい」「うちはちょっと難しいですね」と断られた。3軒目のお寺で「いいですよ~」と言ってくれた。小さな子供がいる賑やかで風通しの良いところ。小さなお堂の軒下に置かせてもらって、ここなら明日の台風も乗り切れそう。

そのあと、記者さんと合流して車で関門海峡の前のレストランに連れて行ってもらい、ふぐ刺し(まさかふぐ刺しが食べられるとは)とか鯨の唐揚げとか寿司とかをおごってもらいながら小一時間話して別れ、下関駅前のコリアンタウンにある「霧島湯」というディープな銭湯に入って電車で長府に帰ってきた。

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2016.10.3 山口県山陽小野田市埴生

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2016.10.2 山口県山陽小野田市西高泊

エスタブリッシュかビルドというイメージで立ち上げる必要がある。システムと態度とを内包した何かの構築というか。作品制作とかじゃなくてもっと打ち立てるようなもの。この時代では砲台を作るのがいいかもしれん。みんなで広告看板を砲台に改造して花火を詰めて街に打ち込む。

最近居島一平さんという芸人を知ってYoutubeでよく聞いてるんだけどこれがとんでもない人で、膨大な知識とほとんど狂人みたいな話術で、聞いてると関ヶ原の合戦で爪を噛んでいる徳川家康や、市ヶ谷の駐屯地で演説する三島由紀夫が目の前に浮かび上がってきて、歴史の動脈に連れて行ってくれる。ここ2000年くらいの日本史・世界史の重要な出来事を、まるで現場で見てきたように歌うように話す。政治的な右とか左とかっていう立場をもはや解脱していて、ほとんど狂人。父親が朝日新聞の記者で、あさま山荘事件がきっかけで知り合い結婚した母親との間に生まれ、新宿のゴールデン街で育ち、小学校低学年のころから浅草演芸ホールに通い(ばあちゃんに連れていってもらったらしい)、小学二年生の時の読書感想文が松本清張という経歴で、戦後生まれの傷痍軍人というキャッチコピー。こんなやばい人が芸人をやっていて、テレビにあまり出てこないのは、これは絶対におかしい。

いま自分は“みちしお”という、温泉と良い食堂が一緒になってる海が見えるドライブインの休憩室にいる。食堂はかなりのグッドバイブス食堂で、家族連れやトラックのドライバーらしきおじさんやいろいろな種類の人で賑わっていた。店に入ったら好きな席に勝手に座って席に置いてあるタッチパネルで注文すると出て来るというスタイル。仕事帰りのいかついおじさんがたくさんいて、タバコを吸いながら味噌汁(みちしお名物「貝汁」)を飲んだりしていてめちゃ良い雰囲気の店。貝汁は本当に美味しかった。その後お風呂に入って畳の座敷になってる休憩室で日記を書いている。テレビが置いてあって「ガンにならない秘訣」みたいな番組がやっている。BGMがジョプリンのエンターテイナー。休憩室にはテーブルが5つあって、それぞれのテーブルに1人ずつ人が座ったり寝転んだりしているんだけど、みんなテレビの方を向いてる。でもテレビを真剣に見てる人はたぶん最前列のおじさん1人しかいない。僕以外は結構お年をめしたおじさんとおばさん。

昨日遊園地を出たところから遡って書く。10月2日の昼ごろ遊園地を出発。道の駅「きらら」で知り合って一緒にご飯を食べた家族の父親の実家が山陽小野田市(合併で生まれた変な名前)にあるからそこの駐車場を使ってくださいと言ってくれたのでそこに向かった。途中、村野藤吾の傑作だという渡辺翁記念会館を見ようと思って家を置いて建物に入ろうとしたけどミキプルーンの会社がセミナーで使っていて中には入れなかった。セミナー参加者の大量の車が会館の前に停まっていて、ミキプルーンは本当にすごいなと。会館の前で電話で話してるおばちゃんが「いやその人はね、最近病気になって始めたばっかりなんだけどね」みたいなことを言っていた。
お昼過ぎに通りかかった車屋の店員に声をかけられ、店を訪ねたらそこの社長がつい最近書いたばっかりの水門の絵を買ってくれた。
夕方ごろにその家に到着。小学生の子供が3人と大人が4人いて賑やかな家だった。到着してすぐにお茶が出てきたり、虫除けスプレーとムヒがでてきたり、家を雨から守るためのピクニックシートが出てきたりしてみんな優しい。長野に戻ったらここにも絵本を送ろう。
一緒にご飯を食べさせてもらったあと、長女の子が先週にやっという運動会のビデオを見せてくれた。兄妹みんな同じ学校で、ダンスやったり走ったりしてたけど「変な音楽」とか「変なダンス」とかいろいろと明確な意見を持ってやっていた。長女は六年生で組体操もあったらしいが、組体操が危ないとニュースになってるからあんまりでっかいのはやらなかったという。組体操の映像を見たら、3段ピラミッドが横一列にたくさん並んで、一瞬で全部ピラミッドになったり戻ったりするというのを音楽に合わせてやっているのがあって、それはとても綺麗だった。組体操は、でっかいピラミッド作らなくても演出の力でなんとでもなりそうだなと思った。本人は「練習のほうが楽しかった」と言ってた。
家のおばあちゃんが「今度来ることがあったら瓦そばを食べさせたい」と言った。昔この辺りでは屋根瓦に炒めた茶そばを乗せて食べたらしい。「へえ~」と言ってたら長女が「そうか、知らんのか」と意外そうな顔をしていた。
その後みんなで温泉に行った。帰ってきてからウサギ(ダイフクちゃん)を撫でさせてもらったりした。子供達はもっと遊びたがってたけど宿題をやってないからと家に帰っていった。僕はパティスミスを聞きながらすこし近所を散歩した。この家は山を切り開いて整備した宅地の一角にあって、猿や猪がたまに出るらしい。近くにコンビニはないけどホームセンターとパチンコ屋さんがあった。そういえばこの家のおばあちゃんが「小野田はパチンコ屋さんが多い」と言ってた。帰ってきて駐車場にある自分の家で寝た。

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そして翌日の今日、子供たちが学校に行くのを見送って(末っ子の男の子がえらく寂しがっていた)3時間くらい絵を描いて、お昼ごろに出発。家のおばちゃんが友人を通して情報を仕入れてくれた山陽小野田市の青年の家を目指す。キャノプ場があるらしい。すごく暑くて蒸す日。北九州市の方は午前中ですでに三十度を超えていたらしい。この温度と湿度。台風が来てるのを感じる。天気予報によると中心の気圧が915ヘクトパスカルの超強い台風が近づいていて、日本列島縦断ルートであと2日くらいで山口県にも直撃するらしい。

夕方5時前に青年の家についてキャンプ場の申し込みをする。えらく年季がはいった建物に職員さんが2人いて、僕の家を見て面白がっていた。「この施設よりお宅の家のほうが地震には強いと思います」と言ってた。
大量の蚊に食われながら家をキャンプサイトに設置して、歩いて15分くらいの「みちしお」に来て今。夕日が綺麗な日だった。

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2016.9.30山口県宇部市今村南

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遊園地の無料休憩所の野外席に座ってる。僕がパソコンを開いて日記を書いてるすぐ隣で「土日祝限定イベント・にがお絵500円」と看板を出して男の人が座っている。女の子2人組が「2人で一緒でもいいですか?」と話しかけた。「一緒でもいいですよ。20分くらいかかるけど」「大丈夫です」「じゃあそこに」とやりとりしている。

1人の女の子が「ほうれい線は描かないでください」と言った。「ほうれい線は書きませんよ。だいたいおばあちゃんのしわも描かないんだから」「あ、やさしい」「やさしいでしょ」とやりとりしている。遠くから動物園の猿の雄叫びが聞こえる。

30日、道の駅「きらら」をお昼頃出発。南西の方向へ。宇部市の中心を目指す。道中、おばちゃんに「カンパ」と言われ1000円もらう。13キロくらい歩いたところに「ときわ公園」という公園がある。そこは割と歴史が古い彫刻展「宇部ビエンナーレ」の会場でもあって、常時野外彫刻もたくさん展示してあって土屋先生の作品もあるとのことだったので寄っていこうと思い向かった。ときわ公園に入る交差点を右にまがってすぐに、ピンク色のポロシャツを着た男性に「すいません、この先にときわ公園ていう公園があるんですが、今日そこに泊まっていただけませんか?」と話しかけられた。まさか公園の方から来るとは考えてもなかった。「公園の方ですか?」と聞いたら「そうです。うちの局長から村上さんの捜索命令が出てまして、ぜひうちに泊まってもらえとのことです」と言う。奇特な人がいるもんだなと思った。僕は彫刻を少し見て、あわよくば「同業者です」と言って敷地も貸してもらえたらと思ってたけど、さすが彫刻公園なだけあって理解のある面白い人が内部にいるらしい。彼によるとときわ公園は東京ドーム何十個分クラスの大きな公園で、24時間あいてるし、夜中もポケモンGOプレイヤーがすごいらしい。「しばらくピカチュウがいなくなってたらしいんですけど、最近また帰ってきたみたいだからな~」と言ってた。ときわ公園にはピカチュウがいるらしい。

「なので寝るところは夜ゲートが閉まる遊園地がいいと思います。」と言われ、家は遊園地に置くことになった。

彼がときわ公園内を車で案内してくれた。湖を内包した大きな公園で、遊園地の他に植物園や動物園もある。来年開催される宇部ビエンナーレの公募で集まった模型展の直前で模型が展示された部屋をちらっと見た。

それで遊園地に家と一緒に戻った。家は「ときわの森ホール」という建物の軒下に置いた。ここは17時に閉まる。「あのオレンジ色の服着た人が遊園地の人だから。あの人たちがいなくなったらもう誰もいません。」

夜になって、BGM(ユーミンとかが流れていた)が止まり、照明も落ちて暗くなった。誰もいなくなった。もともと客も少なかったけど。誰もいない遊園地は不思議と綺麗だった。回転が止まった観覧車とか止まった小型のモノレールとかが佇んでいてとても静か。大きなものがすぐそこにあるのに音がしないのは不思議だった。

お風呂は徒歩30分くらいの「カッタの湯」という温泉施設。980円で温泉と食事がセットでお得感がある。

翌日、広島から「宇宙人アーティスト」の「美音異星人」が訪ねてきてくれた。

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彼は今年広島に滞在した時に知り合った面白い宇宙人で、地球人の時は絵画教室を広島でやってる。美音星から来た宇宙人で、美音星は重力が地球より小さい(というか無いらしい。社会的なしがらみとか、著作権とかも無いらしい)星なので「アーティスト養成ギブス」というものを全身につけて地球の重力になれる訓練をしている。最近は「われわれも宇宙人である」というテーマで制作していて、今回の訪問はのちに映像作品としてYoutubeにアップされるらしい。美音さんの他にマネージャーが1人と「ピンクダンサーズ」(美音異星人と一緒にパフォーマンスをしている人たち)が1人来て、4人遊園地の園内とか公道に出ていろいろ撮影した。美音さんがカセットコンロと鍋を持ってきていて、僕の家の中で鍋をやったり。美音異星人は美音さん1人だけど、撮影は他の2人が積極的にアイデアを出したりして、美音さんはトップにいるというより、3人がそれぞれ平等に権利があるチームという感じだった。

 

美音さんはお昼すぎまで撮影し、広島に帰っていた。また夜になった。遊園地はまた誰もいなくなり、静かで動かなくなった。僕はまたカッタの湯に。(カッタというのは昔ここらで有名だったペリカンの名前らしい。)

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2016.9.29山口県山口市阿知須

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2016.9.27山口県山口市嘉川

(09282011)宇部市の東新川駅近くにあるコインランドリーデポというコインランドリーにいる。ここのところずっと雨が続いていて、今後も1週間以上雨が続くという予報。なのでランドリーの店内は混み合っている。ほとんど男性客。女性は1人だけ。洗濯機は4つしかなくて、乾燥機は12台くらいあるランドリーなんだけど、僕が入ったとき洗濯機は一つしか空いてなかった。それも容量27キロで1000円かかる大型のやつ。300円の小さい洗濯機が空くまで待とうと思ったが、その洗濯機の目の前には服が詰まったカゴが置いてあり、「次は俺の番だ」と言わんばかりだった。途中、洗濯をしに来たらいっぱいなので諦めて帰っていったおじさんもいた。3人組の現場の仕事帰りっぽい男グループが乾燥が終わった服を軽トラに積んだりしている。店内には本棚が一つだけあって、週間少年ジャンプ(割と最近のやつっぽい)が数冊置いてある。クラシックギターの静かなBGMが鳴っている。300円の洗濯機の隣にある500円の洗濯機が先に終わり、300円洗濯機の前に置かれた服は持ち主によって500円洗濯機につっこまれた。予想外に300円の洗濯機が空いたのですかさず自分の服を突っ込んでお金を入れた。

昨日はガストを出て、湯田温泉駅に行く途中の住宅街でサックスの練習する音が聞こえたり、湯田温泉が詩人の中原中也の出身地であることを知ったりした。家を置かせてもらってるお寺の最寄駅の新山口駅についたあたりで雨が降り始めた。すぐに強くなったのでコンビニで傘を買った。お寺まで30分くらい歩くんだけど、その途中で遠くの山の上に稲妻をはっきりとみた。こわくなって電線の下に移動した。電線の下は何もないところよりは安全らしい。

お寺に置いてある家についたころには靴も結構濡れていた。雨でじめじめしていたのもあり、お寺の山門のシルエットがインドネシアの高床式のバンブーハウスのように見えた。インドネシアのどこかの森の中にいるみたいだと思った。自分の家を見たら、お寺のおばちゃんの張り紙があった。「雨がふりだしたら観音堂のえんをお使いくださいませ」と書いてあった。他にマウントレーニャのパックの甘いカフェオレとリンゴとオレンジと梨が一つずつはいった袋も差し入れられていた。

今の家は雨漏りはほとんど防げるけど雨が降ってると足が伸ばせないので、ありがたく観音堂の縁に家を移動させて寝た。今日起きても雨は降り続いていた。お昼にお寺の娘さんと、そのママ友が訪ねてきた。「道で背負って歩いてるの車からみたんですよ!まさかうちにきてるとは。帰ってきたらその家がうちのお寺にあってびっくりしました」と言われた。自由帳にサインを3枚書いてくださいと言われた。娘さんは「すいませんお迎えにいかないといかないので、、」と出かけて行った。僕は自由帳に3つの絵を描いて、それを置いて家を片付けて荷物をまとめてお昼過ぎにお寺を出発した。阿知須という町にある道の駅を目指して歩く。

お昼頃に阿知須に着く。遠くに綺麗な稜線が綺麗に見えるけど阿知須はひらべったい町。「きらら」という道の駅があるエリアは埋め立てで作られたエリアで、道の駅のほかに「自然観察公園」とか白い大きなドーム「きららドーム」がある。きららという名前は面白すぎ。本気で名付けたのか。名前に反して、道の駅の中は土地の野菜とかおいしいお弁当とか売ってて、良さげなレストランまである良いとこ。かぼちゃのソフトクリームを売ってる売店もある。気になる。

お弁当を選んでいたら隣で同じくお弁当を選んでいたおばちゃんから「ここのお弁当は美味しいよ。オムライスがおいしい。たくさん入ってるしね。」と話しかけられたのでオムライスにした。

敷地を借りる挨拶のため受付に行ったらめちゃくちゃ愛想のいいニコニコしたお兄さんが応じてくれて「お疲れ様です。そこを出て左に行くと、屋根がかかってるところがあるのでそこなら良いかと思います。雨も降ってますしね~」と言ってくれた。なのでそこに家を置いた。家を置いたらすぐ、お父さんと女の子の親子に話しかけられた。「めっちゃ探しました」と言われた。「なにか飲み物かなにかいりませんか?ここのカボチャソフト良いですよ。このへんのカボチャを使ってて美味しいです。」というので「カボチャソフトが気になっています」と言ったら買ってきてくれた。その後すこしだけ話して親子と別れる。

(09291230)町の観光案内看板を見ていたら、作業服を着た先輩後輩コンビがやってきて僕の家のほうに行き、家を見つけた。後輩のほうが「なんだあれ」って感じで僕の家に近づいていくのが見えた。彼はドアを止めてあった石を外し、ドアを開けた。中に置いてある寝袋とか服とかを見て、慌てて閉めていた。彼は先輩の方に行って何か話していた。彼らがこっちに戻ってきた。

先輩「だから開けるなっていうたやんか。住んどるんやから。~~~・・・」

後輩「マジすか。あんな立派なのに住んでるんですか?」

先輩「あんなでなくても、ブルーシートで作った立派な家に・・・・」

と言いながら去っていった。

いまは施設内のテーブル席に座っている。テーブルが3つあり、それぞれに椅子が4つずつ置いてある。席は全部埋まってる。ソファもある。インフォメーションカウンターが僕の正面にあり、右前に店内で買った弁当が温められる電子レンジが置いてある。右上には壁の高いところにテレビがついてて「中井貴一のサラメシ」という番組がやっている。大きなクレーン船を操縦する船乗りを紹介していて「長い時で3ヶ月くらい家に帰れないこともある。子供は2人いる。22歳と23歳だっけ。あれ23と24だっけ。忘れちまった」と笑ってるおじさん。清々しい。そのテレビをみながら、金髪で長髪の派手なおばちゃんと黒髪のおばちゃんの二人組が

おばちゃんA「だいたい”ひるおび”を見て、~~~をみて、”ミヤネヤ”を見てっていう感じ。」

おばちゃんB(金髪)「あ、やっぱり?~~~は?」

みたいなことを話してる

B「なんか最近の子ってすごいひどいこと言うね~」

A「ラインは家族だけよ。こわいよ。知らんヒトから来たりするから。制限かけてんの。写真とかアップするでしょ?そしたら知らないヒトから”どこに行ってたん?”て来たりするの。こわいよ~。だから家族だけ。」

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(09301040)「きらら」の近くには銭湯がないので、一昨日の夜のお風呂は電車で東新川駅という駅まで行って「友恵湯」という銭湯に行ってきた。僕が入った時ひとり客のおじいちゃんがいたが、彼が帰ってからは男湯は無人になった。女湯にも1人か2人いるみたいだけど静か。このあたりは工場地帯。昔は銭湯もたくさんあったらしいけどいまではこの友恵湯だけになってしまったみたい。ネットで見つけた四年前の訪問記にはドライヤーが使えたと書いてあったけど、ドライヤーはぱっとみた感じ無かった。多分今まで日本で100カ所以上の銭湯をまわってきたけど、ここはその中でもかなり危ない(このままでは閉店が時間の問題な)お店だと思う。頑張ってほしい。友恵湯の後、一昨日の日記に書いた「コインランドリーデポ」に行った。

昨日は家を動かさずに道の駅とその周辺で過ごした。すこし離れたところに茶色いレンガ模様のかわいい家が4つ並んだ建物がある水門が見えたのでそっちの方まで歩いていった。寒かったので上着を羽織って。小雨が時々降ったりおさまったりしている天気。水門まできたら、その川沿いの砂辺に小さな船がいくつか並んでいて、そのすぐ上に家が並んでいて、それがとても美しい。

その水門のすぐ近くに謎の大きな駐車場があって、そこで小雨のなか白バイの訓練をしている人たちがいた。大声でなにか号令をかけられながら赤いコーンを避けながら何台も白バイが走っていた。夜も近所をぶらぶらと。湯田温泉のサックスに引き続き、こちらではピアノの練習が道中の家の中から聞こえてきた。

今はガラスの屋根がかかったテラスっぽい野外席に座ってさっき買った「長州わかめむすび」とただの「むすび」というおにぎりを食べている。ふたつともラベルに「地産弁当」と書いてある。席は6つあるけど僕以外には誰も座っていない。駐車場が正面にあるんだけど、絶えず車が来ては出て行く。車から出てきて携帯を見ながら道の駅に歩いていく女性とか、タバコを吸いに喫煙所に向かう男性とか、買い物のビニール袋をもって車に戻っていく夫婦とかおばちゃんグループとか。タバコを吸いにくるのは圧倒的に1人の男性が多い。スーツ姿の人はほとんどいない。時々宅急便のトラックが止まってダンボールを抱えた配達員が小走りに店内に入っていったりする。

スズメが、ガラスの中から外に出ようとしてガラスにぶつかった。しかも二回。ぶつかったあと、ちかくの梁にとまって首をふりながらじっとしている。何が起こったのかよくわかっていないらしい。子供らしい。たくさんいる。飛びかたが幼い。鳴き声も。大人のスズメはちゃんとガラスを避けている。

昨日、かぼちゃソフトを買ってくれた人からフェイスブックで連絡がきた。娘のテニスがあって「きららドーム」に行くので、そのあとよかったら温泉と食事でもどうですかとのお誘い。「行きますか~」と返事をしたら昨夜8時ごろにその人が家族を引き連れて迎えに来てくれた。その人とその奥さんと娘と息子が乗る車に同乗して近くの日帰り入浴ができる「アジススパホテル」に行った。温泉は無色透明で無臭。中途半端な温度のサウナもある。温泉のあと、ホテルに入ってる居酒屋でみんなでご飯。不思議な楽しい時間だった。その人は学校の先らしい。小学5年生の息子は「先生に見えないですよね~」と言っていた。息子は僕にお酒もついでくれた。彼はサッカーをやっていて、将来はサッカー選手として有名になるらしい。今の所ガンバに入りたいと言っている。女の子の方は卓球選手になりたいらしいけど卓球はやっていない。彼女は「村上さんに会ったのを自慢したいけど、自慢したらいじめられるからな~」と言っていた。彼女は僕のことを「有名人」だと思っている。彼女自身も「有名になりたい~」と言っている。店は9時半閉店だった。「9時半閉店ですので」と店員に追い出されるようにみんなで店を出て、その後「きらら」で写真を撮ったり楽しくやった。子供たちに「うちに泊まって欲しい~」と言われて嬉しかったけど別れた。彼らの家は10年くらい前に新しく建てたばかり。ここからすこしだけ山口市よりに戻るとあるらしい。s「明日雨がふったら家に行くよ」と約束した。別れたあと寝る準備をして、横になってからけっこう酔ってることに気がついた。すぐ寝た。

いま流行っているビッグバン説でいくと宇宙は138億年くらい前に生まれたとされているけど宇宙に始まりをつくろうとするのはキリスト教的な考え方に寄っていて、本当は宇宙には始まりも終わりもなく、宇宙は無限の過去から無限の未来に続いているとする定常宇宙論と呼ばれている説がある。仏教的といってもいい考え方。さらに我々の祖先はバクテリアらしいというところまではだいたいみんな合意しているけど、そのバクテリアがどのようにして生まれたのかわかっていない。地球上でなんらかの原因で生まれたと考える人が多いけど、DNAのらせん構造を発見した「ワトソンとクリック」のクリックが、パンスペルミア(地球上の生命は宇宙から飛んできたとする説)を科学的に考えようとしたスウェーデンのアーレニウスという学者の考えを受けて書いた「directed panspermia」という論文の中で、地球以前に存在した高度な文明をもった星が、宇宙船にバクテリアを詰めて宇宙に解き放ち(高度な生物では無くバクテリアなら、水と二酸化炭素と太陽光があり環境を整えれば100万年は生きることができる)、長い旅を経て地球に辿り着き、それが進化したのが我々である可能性があると言っている。これは「意図的パンスペルミア」と呼ばれるものだけど、意図的でなくても、生命が繁殖した星の小さな生命の胞子が、風力や電気力の助けを借りて宇宙に飛び出し、それが宇宙空間で光の放射圧を原動力に(あるいは彗星に乗って)宇宙を長い間旅して、どこか遠い星にゆっくりと着陸する可能性はある。現実に、月に送り込まれた探査船が数年後に地球に戻ってきた際、探査船に付着していた微生物が生きていたという報告があるらしい。行った先が月なので、生命が繁殖することはなかったが、火星にも探査船はいっている。なので地球からの微生物が火星にすでに持ち込まれ、そこで進化が始まっている可能性すらある。さらに定常宇宙論で考えると、宇宙は無限の時間を持っているので、どんなに小さな可能性も1にすることができる。宇宙のなかで、生命を生みだす何らかの奇跡が成功するのに1000兆年かかるとしても、宇宙が無限の寿命をもつのならその確率は1になる。

生命は宇宙からきた可能性がある(「宇宙から来た」という言い方もおかしい。地球も宇宙に内包されているし、絶えず隕石は落ちてきているし、絶えず太陽のエネルギーは地球に降り注いでいる。地球と宇宙は絶えず関係し合っている。僕たちの思っている以上に、地球は宇宙に対して開かれている可能性がある)。そう考えると、宇宙のすべての生物はお互いに関わりを持つことになる。そうするとバックミンスターフラーの「宇宙船地球号」という考え方も実感出来る。生命は増殖し、進化する。最初の一粒の胞子が誕生するのに成功したら、あとは自らを増やしていくことができる。その生命のネットワークが宇宙全体で出来上がっている可能性がある。宇宙を旅する生命の胞子がこの地球に落ちてきて、たまたま進化してヒトになった。僕たちは胞子に姿を変えていずれこの地球を出て行く、あるいはもう出て行ったものがいるかもしれない。その胞子はまた新しい星で進化するかもしれない。宇宙は無限に続いているから。

こう考えていくと林友深のテーマや荒川修作が言っていたことやバックミンスターフラーが言っていたことやミヒャエルエンデが言っていたことを大きな輪でつなぐことができる。僕たちは何かを所有できる気になっているがそれは幼稚な勘違いで、このパソコンやiPhoneや家や車はもちろん、この体でさえ自分のものではない。この体(iPhoneも同じようなもんだ)を構成する元素はすべて地球上に膨大にある元素の一部であり、それがヒトゲノム(アップル社の設計図)によって設計され組み立てられ、人(またはiPhone)の形をしている。死んだらゲノムは崩壊して元素に戻る。大事なのはモノではなく、その機能あるいは設計図である。僕たちはこの体を、ゲノムという設計図を通して借りているにすぎない。(ちなみにゲノムの大部分は、ヒトの構成には関係ないウイルス由来のものらしい。進化の過程で、ウイルスがヒトのゲノムの中に入り込みそれがそのまま残ったという。そしてウイルスもまた宇宙から飛来してきた可能性がある。宇宙からの何らかの作用によって地球の生物の進化が影響を受ける。それは例えば隕石衝突による恐竜絶滅説も同じ考え方だ)

地球が生まれてから46億年。最初の生命であるシアノバクテリアが生まれてから30億年くらい。それが進化しヒトの形になったのが10万年前。そのヒトが農耕・定住を始めてからは1万5千年しか経っていない(ラスコーの壁画がそれより前だとされているのは面白い)。産業革命からは2百年くらいしか経ってない。定住することにまだまだ慣れていないし、自分で生み出した道具の使い方や資源の扱い方やヒト同士の共存の仕方にも全然慣れてない。所有という考え方に完全にやられてしまっている。こんなにプリミティブな世界に生きている。

/「スリランカの赤い雨ー生命は宇宙から飛来するか/松井孝典」