映像の撮影をしようと思って移動しているのに、なかなかその気にならない。だめな人だ。ただの。どうしようもない。人の視線ばかりを気にして、自意識を膨らませている。英語が流暢に話したり聞いたりできないのが辛い。僕も、見られている存在ではなくて、見る主体にならないといけない。昨日、ストックホルムの路上の清掃員をずっと追いかけて観察していた。観察していると元気がでる。色々と発見があった。何も、ほうきやモップを動かすだけが清掃員ではない。ゴミ袋を縛ったり、路上のゴミ箱を開けたり、あちこちに視線を走らせてゴミが落ちて居ないかを探すのも「清掃員の振る舞い」だ。これはヒントになる。見る主体になっている時、なぜか元気になる。制作が心を救ってくれる。この自意識と煩悩にまみれた心を。しかし、ひどい。とにかく、英語は絶対に使えないとだめだわ。心に良くないわ。

AHLENSという、日本でいうマルイみたいな商業ビルがストックホルム駅の近くにあって、そこに入って清掃員を探したけど見つけられなかった。けど、なんとなく、行けそうな感じはした。こういう場で、一人でも撮影ができるような気持ちに、自分でコントロールして持っていければいいんだけど。でも撮影しようにも、まだ掃除用具を買ってない。「清掃中」の文字をカッティングシートで「CAUTION WET FLOOR」に変えた黄色い看板と清掃員ぽい服を持ち歩いてストックホルムのホステルにいる状態だ。このホステルは、ガムラスタンという観光地としても有名な古い町並みのど真ん中にある「CAESTENA」というホステルで、一泊3000円くらいだった。ホステルにしては高いかもしれない。でも他に空いてるところはなかった。人と同じ空間で寝るのは得意じゃない。自分の出す物音にすごく自覚的になるのが疲れてしまう。できればホステルじゃなくて個室に泊まりたいけど、直前に宿を探しても一泊1万円くらいのところしか空いていない。もう少し早くから探しておけばよかったと思いつつ、あまり早くに予定を決めてその通りに動くのも得意じゃない。どうしたもんか。でも、あまり得意じゃない人とのシェアでも、空港で寝るよりはだいぶまともに寝られる。僕の部屋は6畳くらいの部屋で二段ベッドが3つある。入ってすぐの所にあるベッドの下段を使っている。昨日の夜は荷物を全部おいて散歩して、ストックホルム駅近くのステーキ屋みたいなレストランで75clの生ビール(1000円くらい)とベーコンチーズバーガー(1400円くらい)を食べた。すげー高いなと思ったけど、量が多くて満足した。ただし、とても美味しいとかでは全然ない。基本的にスウェーデンは料理が美味しくない。今日の朝もこのホステルと提携してるっぽい(ラウンジに「ここで、このホステルのユーザーだと言えばブレックファストが食べられます」という張り紙がある)「Kladdkakan」というカフェに行って朝食をとったんだけど、ぱさぱさのパンにベーコンとレタスを挟んでラップで包んだ、まずいわけではないけど全然美味しくはないものと、コーヒーだった。コーヒーはさすがコーヒーカントリーなだけあって、美味しいと思う。この朝食で39SEK。だいたい500円くらい。松本の「まるも」ならこの5倍は美味しいパンとサラダが付いてきて同じ値段だ。

スーツケースが案外荷物に感じてしまって、移動が面倒になってしまっている。よくない。清掃員の看板を持ち歩く以上しかたないんだけど、でかい荷物と一緒ってだけで疲れる。

アーランダ空港の清掃員はみんなおしゃれな制服を着ていて、日本でよくみるいわゆる清掃員のような格好の人はいなかった。まあ日本でも空港の清掃員なんかはちょっと洒落た格好をしているのかもしれないけど。アーランダにはなぜかやたらたくさん清掃員がいて、みんなちゃんと清掃用具が満載されたリアカーを押していた。綺麗好きなんだろう。国際空港は玄関みたいなもんだから、多分どの国もここはとばかりに掃除に力を入れまくっているはずだ。

アーランダからSwebusでストックホルム市街へ。しかしSwebusが大失敗で、全然バスが来なくて1時間以上待った。時刻表には1時間に2本は来ると書いてあるのに。そのSwebusを待っているあいだ、隣のレーンにあるFlygbussarnaというバスのストックホルム行きがボンボンきてボンボン発車していくのを見送りまくっていた。こっちのバスは10分に一本出ていて、料金も同じだ。絶対にこっちの方がいいぞ。次からは。

バスから外を見ていて思ったのだけど、森や木を見ているときになんとなく違和感がある。なんというか所在のない感じがする。自然のものって、どこで見ても自分の故郷のようなものだと思っていたけど、どうもこの国の木々は、自分に属していないきがする。一つ思い当たったのは、葉の緑の色のバリエーションがとても少ない。日本は緑色に色々なバリエーションがあって、それが見ていて落ち着くのだろう。こっちの木々はだいたいみんな明るい緑色で、樹種も少ない。町の風景を見ていても、所在がない。やっぱりどう考えても、清潔過ぎるというか、明る過ぎるというか、うまくできすぎているというか、そんな感じがする。ヴェネチアやロンドンに行った時は、多分感じなかった。これから2週間、ドイツとスイスとイタリアをまわるから、そういう雰囲気があるかどうか、感覚を研ぎ澄ませていたい。さっきまでModerna Museetに居て、Josef Frankという建築家の展示と、コレクション展を見ていた。数日前までマリーナアブラモビッチの個展をやっていたらしい。残念。この美術館、企画展以外は全部無料で入れて、それが素晴らしい。ただし企画展の入場料は120SEKもする。そこでアブラモビッチのCounting riceという、作品があって、それがどうも、多分すごく良い作品なんだろうけど、ちょっと死んで見えた。この国の美術館でパブリックな問題を扱う作品を展示するのは、うまく言えないけど、他の場所よりも難しいかもしれない。絵画や写真をみているときには起こらない違和感。なんだろう。どうしても見せかけのものにみえてしまう。特にこの国では。高山明さんの実践を知ってしまってからは、どうしても共同体とかの問題を美術館でやっているというのは見せかけの何かにしか見えない。アブラモビッチのも、すごく良い作品で、たぶん米を数えるパフォーマンスをやるんだろうけど、それをみたらとても感動するだろうとは思うんだけど、でも、しかし。手放しで感心できない。なにかの視座がごそっと抜け落ちてるような感覚。解明しないといけない。これは、僕は自分がどんどんやっていくしかない。

アーランダ空港のSKYCITYという、土産屋とか服屋とかカフェとかレストランがたくさん集まっている広々したロビーのような場所で、電源がある丸いテーブルに座ってこれを書いている。向かいにはコーヒーとパンを傍らにパソコン作業をしているメガネの白人のおじさんが座っている。

朝の7時前。快適な空港だ。とても優秀な無料Wi-Fiがあるし、電源もある。もうここに住める。昨日は結局、この電源テーブルの近くの木のベンチを寝床に定めた。結局人がよく通りそうな場所の方が安全なのだ。こういうところでは。22時くらいに横になった時は、僕の他に一人だけ横になってる人がいるのみで他の人たちは普通に座ってそれぞれ、たぶん飛行機を待っているような雰囲気だった。その横になっている人も、荷物が少なくて、まじで寝てるという感じじゃなくて、なんか昼寝をしているような感じだった。

僕は木のベンチに靴を脱いで横になり、リュックを枕にして、スーツケースはベンチの下に入れて、そのスーツケースにちょっとだけ手をかけるような感じ(一応盗難防止のため)で、横になって気がついたら、0時をまわっていて、そしたら周りのベンチほぼ全部で人が寝ていた。仮眠者。とりあえず仮眠者と呼ぶ。やっぱり読みどおり、ここは仮眠スポットだった。数えたら仮眠者は20人くらいいた。仲間が。床から天井(上と、その上の階まで吹き抜けになっていて、多分10mくらいの高さがある)まで、というか全面ガラスみたいな壁をコの字で囲うように木のベンチがいくつも配置されていて、そこにみんなでねている。コートをかけたり、フリースを着たりしてそれぞれ防寒対策をしている。まくらをもってる人もいた。僕もちょっと寒かったので、いつもの黒いダウンを着て、もう一度寝ようと思ったがトイレにいきたくなったので、一応リュックだけはもってトイレに行った。トイレからの帰りに気がついたのだけど、用務員っぽいスタッフの男性が、なぜか仮眠者達の近くの椅子にずっと座っていて、僕らを見張ってくれているような雰囲気さえあった。

その後もう一度ねて、シャカシャカした音楽の音で目が覚めた。さっきの用務員さんが、何やら作業を始めるらしく、シャカシャカした音楽を鳴らす何かを携えながら、僕たちのスペースに入ってきた。4時過ぎくらいだった。そばにあるカフェはもう営業を始めていた。用務員の彼は掃除ロボみたいな黄色い乗り物にのって掃除を始めるらしい。彼は乗り物を動かす前に、わざわざ丁寧に通行の妨げになりそうな、床に脱ぎ捨ててある仮眠者の靴をベンチのしたに入れたりしていた。やさしい。

文化庁に提出する書類を作ってメールしていたらこんな時間になってしまった。しかし僕はあれこれ気にしていたが、結構みんな電源テーブルにパソコンとか繋ぎっぱなしでどっか行ったりしている。無防備すぎる。まだ寝てる人が二人いる。うち一人は、僕が寝ていたところを使っている。

お腹が空いた。なにか食べたいのだけど、またパスタかピザかパンか。寿司もあるけど馬鹿みたいに高くて、たぶん美味しくない。こうやって文章を書いてると、自分がスウェーデンにいるということを忘れる。「忘れる」というか「思い出さなくなる」ということはつまり、文章を書いてないときは、いつも何かと思い出しているということだ。思い出し続けることによって、自分がどこにいるかを認識するのかもしれない。文章に限らず、何か制作をするということは、自分の中にひとつ場所があって、そこに行く感じなので、だから、いまこの体が座標としてどこにあるかは問題じゃなくなる。のかもしれない。これって、「つまらない」と紙一重だ。インターネットの影響もあるんだろうけど、僕たちはあまりにも、世界をフラットに感じることに慣れすぎてしまった。どこに行っても、インターネットで日本語の文章を見ることができる。僕は今回の旅のために日本語の本を3冊持ってきた。「ベルカ、吠えないのか?」「その日暮らしの人類学」「文学的なジャーナル」。インターネット以前は、こうやって国外に持ち出した本が、母国語が読めるものとして、とっても頼もしく思えたに違いない。今以上に。しかし、もう現状こうなってしまっているので、なぜこうなったのかじゃなくて、なぜこれじゃダメなのか、っていうところから、考えないといけない。いつも通り。

さっきこの文章を書いてから1時間半近くたってるなんて信じられない。その後僕はピザマルゲリータを食べ、ビールを飲み終わった。それぞれ90SEKくらいして、二つで180SEK。2000円くらい。高い。ピザが1200円くらいするのはまあ良いとしてビールが高い。500ccで800円とは、買うのに迷ってしまった。でも空港だから高いってのもあるんだろう。迷ったけど、とにかくお腹が空いていてフライトで疲れていたので勢いで買ってしまった。持ってきた現金は日本円で5万9千円くらい。そのうち1万円をさっきSEKに変えた。1万円は680SEKくらいになった。

今日は宿を取ってないが、明日はストックホルムのガムラスタンにあるホステルを取ってて、そこは270SEKくらいだった。あと一本ビールを飲めば一晩の宿代に届いてしまう。

空港内をうろうろして一晩越せそうな場所を動物的に探す。今日は空港で仮眠をとって、明日の朝バスでストックホルム市街地の方に向かうことにした。僕もいつのまにか頼もしくなったというか、度胸がついたもんだと思う。スウェーデンはなんとなく雰囲気を知ってるからかもしれないけど、空港で寝てもなんとかなりそうだなと思える。sleepinginairportというウェブサイトがあって、そこには寝るのに良い場所やワイファイの環境やシャワーの有無など色々な情報が載っている。そのサイトの「夜を快適に過ごせる空港ランキング」によると、アーランダ空港はTOP10に入ってる。わからんがなんとかなるだろう。売店はもう閉まり始めている。

しかしもう20時半なのに、外は完全に明るい。空の色の質が日本と違うから比べにくいけど、感覚的には17時くらいの明るさ。こんなに明るいと、全然夜になったという気がしない。でもこの体はもう20時間近く起きているので疲れている。眠い。いま、寝るのにちょっと良いかもしれない硬くて細長いベンチにあぐらをかいてこれを書いている。もうすこし良い場所がないか探した方が良さそうだ。

成田空港からコペンハーゲンまでの飛行機で隣になったアラブ系の男女ペアが二人とも貧乏ゆすりの使い手で、ちょっとまいった。特に女性のほうがすごい。僕と女性の間にはその相方の男性が座っているんだけど、女性が貧乏ゆすりをしてると座席の振動が伝わってくる。飛行機の揺れと一緒になってあんまり気にならない時もあるけど、しかし。あれはすごかった。

今は18時57分。日本時間だと夜中の2時前だ。ストックホルムのアーランダ空港の店でマルゲリータピザを注文してテーブルで待っているところ。アーランダ空港をこのパソコンで変換するとあー乱打空港と出てくる。しかもあーが顔文字で😩に変換されるので😩乱打空港になってしまう。それをスペースキーを何回か押してアーランダというカタカナ表記に変えている。要するにこのパソコンにとってそのくらいの距離感の場所ということだ。この空港にくるのは2度目だ。

僕は500ccのEriksbergというビールも注文していて、それを飲みながら書いてる。このへんのローカルなビールかと思ったら、ラベルを見るとcarlsbergの会社が出してるものらしい。

しかしもう20分くらい待ってる。と思ったらベルがなった。

participating with new artworks in

Open ART Biennale 2017(Örebro/Sweden)

18 June, 2017 > 10 Sep, 2017

Overview:

This summer, Orebro will once again be transformed into art’s urban playground. OpenART, Sweden’s largest biennial for contemporary art in public space, celebrates its sixth exhibition this year. Once again, the city centre will open up for a public encounter with art, long awaited by many. For three months, the urban space will become a forum for exciting creativity, magical experiences, and exhilarating ideas. The focus countries 2017 are Japan and Colombia.

The three regions of the world spotlighted in the exhibition – Asia, Europe and Latin America – form a triangle of ideas.
Already during the planning stage, Orebro’s OpenART Biennale is drawing energy from the exciting meeting between Asia’s thoughtful wisdom and Latin America’s colourful vitality. A triangle of different cultures that helps us let go of what we take for granted so that we can achieve something bigger here in Northern Europe.

On 18 June 2017, OpenART Biennale will come into full bloom with about 100 works by 60 artists in Orebro’s city centre.

OpenART runs until 10 September.