調布市のゴミ袋には、日本語中国語英語韓国語に加えて、ポルトガル語。

三鷹市のゴミ袋には、日本語中国語英語韓国語に加えて、タガログ語が併記されている。

現代ビジネスの少し前の記事で、福島から東京に母子で避難したお母さんが自殺してしまったという青木美希さんの記事を読み、復興庁は「避難者」の定義をしていないと書いてあってびっくりした。復興庁が各都道府県から避難者の数を聞いてその数を毎月ウェブで公開しているのだけど、参議院の議事録で吉田忠智さんという議員が首相に対して「復興庁が二〇一四年八月二十九日に公表した「全国の避難者等の数」には、「埼玉県については、今月から公的主体が提供している住宅に避難されている避難者以外も調査対象としたため、人数が大幅に増加しています。」との「なお書き」が付記されている。これは埼玉県においてのみ、避難者の定義が他の都道府県と相違していたという意味か?という質問をしていて、最近の統計の適当さはやっぱり以前からあったのかと思ったりしたのだけど、ルポを書いたり、避難者を救済するために動いている人たちのことを知ると、しかし自分はこんなことしてる場合なのか?自分は自分が面白い人になりたいだけなんじゃないか?

COCKROACHを久々に聞いて、高校生のころ、この歌を通していろいろな話をしたような気がしていたけど、コックローチなんて聞いてたのは僕だけだった。でも、たしかに濃密なコミュニケーションをしたような感じが記憶として残っている。音楽を通して、彼らとたくさんのことを話した、というか彼らを通して自分と話をしていたんだと思う。話し相手だったというか。自分の死後のことを歌うとは、なんてことを考えるんだとか、「純真の目」とか「孤独に輝く石」とか「食人欲求者の謝肉祭」とか、こんなことを言ってくれる人は彼らしかいなかった。ほんとうに不思議だ。ぼくは彼らと会ったこともなければ、ライブに行ったこともない。でも本当に彼らと話をたくさんしたような記憶として残っている。

日韓関係がうまくいってないという幻想を生きている人たちに対して、どう切り出せば波風を立てずにこちらの話をするかというところはほとんど永遠のテーマみたいに考えていかないといけないと思うのだけど、ビデオニュースで吉澤文寿さんの話を聞いて考えたのは「僕は韓国との関係うまくいってますよ」こう言えばいいんだ。最初の切り出し方としては。「だから僕と韓国の関係に水をさすようなことをいう政治家たちは、日本人でも韓国人でも、嫌だなと思います。」。じっさい観光客も文化交流もめっちゃあるわけで、なんか政府同士が上の方で勝手にやりあっているというのは事実だ。

僕はテニスや卓球などラケットを使うスポーツが好きだけど、インパクトや丸ノコなどの道具を使うことも好きだ。両者は似ている。どちらも、道具を介してすこしからだが延長する感じがする。僕の清掃員のプロジェクトも、移住を生活するプロジェクトも、これまでにやってきたほとんどのプロジェクトも同じだ。体の動きを「道具」を介して世界にすこしおしひろげる感じだ。

何を作っているのか。一体何を作っているのか。一瞬だけ使われるものを、作っていると言えるのか。あれを続けるのはきつい。ものづくり、とかではない。あの時間は一体・・

やはりバイトはきつい。時間を無駄にしているような気がする。とりあえず体を動かして死ぬのを待っているような気がする。しかしこの場所で30年以上も同じメンバーで、同じような仕事をやりつづけている人たちがいる。最中はただ面倒だけど労働の最中でない時にこの現場のことを考えると不思議と感動する。本当にすごい。

ここのところ、テレビ中継されるサッカーの試合で両サイドのゴールのそばの芝生の上に置かれて、テレビで見ると立ち上がってみえる絨毯ような広告をつくるバイトをやっているのだけど、毎日同じの会社の広告ばっかりつくっていて、これがサッカーの試合のさなかでテレビにうつると広告になるのにここで見るぶんには全然広告にならないどころか、毎日同じ生命保険会社の広告ばっかり作らされて、この会社の保険には絶対に入らんと思ってさえいる。広告には広告である時間とそうでない時間がある。広告はいつ広告なのかを考えるといいかもしれない。広告物という物体が、全く広告になっていない時間帯がある。広告が広告になる条件とは。お金を出して楽しませてもらっているという背景が透けて見えないと、広告は広告にならないのか?

「なおみちゃんのお姉さん、…..だっけ?」というふうに、社長が突然話し出すのを受けて、他の人が「…..ですよ」と受けていて、誰か知り合いの姉妹の話をしているのだろうなと思って聞いていたら、プロテニス選手の大阪なおみさんの話題だった。こうやってテレビでしか見たことをない人を、知り合いの親戚か近所の人のように突然話し始めるのをよく聞くのだけどそのたびにとても驚いてしまう。テレビを全然みないからなのか、違和感さえある。この感覚はわからない。