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高松市美術館「高松コンテンポラリーアートアニュアル」

9月 05, 2019

 



キュレーターによる展覧会の紹介(artscape)

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8月 18, 2019

ワークショップをやってるときに、ボランティアで手伝ってくれてるおばちゃんが女の子の参加者に対して「女の子なんだから、」という言い方をしていて、それは言っちゃいけないよなあと思いつつ自分もうまく注意できなかったり、今日3331でワークショップを一緒にやったスタッフが、子供と一緒にいる保護者を、子供とどういう関係かわからないのに女の人だからという理由だけでお母さんとか読んでしまって、他に呼び方がないものかという話を後でしていて、女の子だから○○でしょうとか、一緒にいるっていうだけで保護者の人をお母さんかもわからないのにお母さんって呼ばないとか、そういう細かい言動や態度から伝わること、そういうスタッフの挙動のほうが、ワークショップで家を作りましょうとか、絵を描きましょうとか、そういうことよりもはるかに大きなことが子供達に伝わるのかもしれない。ワークショップにおいて一番大事にするべきなのはそういうことで、やる内容は家を作ろうでも絵を描こうでもろうそくを作ろうでも石鹸を作ろうでもなんでもよいのかもしれない。ただその工程や募集の過程の中でスタッフが人間に対してどういうスタンスを取るべきかということこそをデザインするべきなのかもしれない。

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8月 15, 2019

今の季節、セミの幼虫が歩いているのをよく見ますね。

セミの幼虫ってどんなやつかわかりますか?わかりますよね。茶色くて、目がくりっとしているやつです。ゆっくりとしか動けないので、昼だと取りに喰われるから夜に地表に出てきて羽化するんですが・・

小さい時、セミの幼虫をよく捕まえて無事に羽化ができるようにいろいろやってあげていました。そういうことが良いことなのかどうかはわかりませんが、今でも反射的に、人に踏まれそうなところを歩いてるセミの幼虫を見つけたら、つい拾って人目のつかない草地に話しています。もちろん羽化できる木があるようなところに。

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08151416敗戦の日

映画新聞記者を見た。全体に「ペンタゴンペーパーズ(邦題)」を思い出した。印刷機が動く様子を終盤に持ってくる感じとか、演出も似ている。ペンタゴンペーパーズは50年前の話だけど、これは現行の政権のもとでの新聞記者と官僚の葛藤を描いている。ペンタゴンペーパーズは、「運命の瞬間」のときは割と軽い感じの演出で描かれていたけど、この映画は全体に重たい演出だった。全体的にずっと重たい感じ、という意味では単調だったけど、内閣調査室のシーンの青い光の感じと、自殺した官僚の神崎さんの家の中の赤い色味というか、自然な色味が対照的で、その行き来はスリリングで面白かった。そして終わり方がペンタゴンペーパーズと違った。答えを出していなかった。つまり「立派な人間」とは「かっこいい」とはなんなのか、というのは映画の中で、それとなく描かれているけど、その勇気ある決断をした松坂桃李演じる官僚が、その後ハッピーエンドを迎えるようには描かれていない。わからない。唐突に終わる。ボールが突然こちら側に渡される感じ。それが現代の問題を扱う映画らしいというか、その決断がどんな帰結をもたらすのかまでは描いていない。原案があるらしいので、それを読んでみたいと思った。その終わり方が気になる。

主演の女優の方がとても良かった。最高だった。神崎の部屋で松坂桃李相手に言った「私たち、このままでいいんですか?」というセリフ、これがこの作品全体を象徴している。こちら側に指を指されるような感じ。「私たち」には、観客の側も含まれている。あと、多田さんという調査室のボスから卑怯にも匿名でかかってきた電話、しかも内容は「君のお父さんの記事、本当は誤報じゃなかったんだ」というだけの、ただの嫌がらせでしかない者に対して、これはむかつく!!さあ、どう返す?と観客の誰もが思ったであろう場面で、主役の記者が返した「あの、わざわざありがとうございます。という台詞は最高だった。誰よりも自分を信じ、疑えという父の言葉を背負って生きている人間と、自分の体と現政権とを一体化させて見事な思考停止に陥っている多田との、経験値と格の違いをたった十数文字で見せられて痺れた。

しかし、これがもしかしたら一番大事なのかもしれないけど、この映画は普通にエンターテイメントというか、楽しめる映画として見た。主人公二人の心情もよく描かれていて理解できたし、何回か泣いた。面白かった。武田砂鉄さんだったか、誰かも言っていたけど、この映画が「政権批判」みたいな感じでメディアに取り上げられることがあるらしいけど、それはちょっと神経症だ。普通に楽しめばいいのに、わざわざ自分の時間を割いて目くじら立てるような人間がいることに僕はリアリティがないけど、実際そういう神経症の人はいるんだろう。私のまわりには見当たらないけど。

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8月 11, 2019

ある作品を知ってしまったが故に、それまで長年うまくいっていた夫婦の間の意見の違い、好き嫌いの違い、価値観の違いが露呈し、知らなければそのままうまくいっていたかもしれない夫婦の仲を分断するようなことは、芸術作品にはあり得る。芸術は人を分断し得る。

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8月 08, 2019

平和の少女像は、制作というより生産されてきたものだということと、昔これそのものが美術館で展示中止になったわけではなく、模型が展示中止になった、ということから、企画者側に、なんらかの、表現の自由を問う以上の意図があったのでは。

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8月 06, 2019

脅迫のファックスに対して警察が警備を強化したり捜査をしなかったことがまず最大の問題なんだろう。その上で、この間書いたような、物事と距離をとること、そのうえで議論を促すようなこちら側の方法自体が、リベラルな態度であり、彼らから見たらそれ自体が偏った政治思想とあり、そこに腹を立てているんだろう。もちろん土台には乗ってこない。だからこちらの言葉で、議論を、などと呼びかけても。分断が埋まるようなことはない。

全部いっぺんに解決するのは無理なんだろう。俺は勉強して、韓国へ行き、一人の人間として発信する。それしかない。そうしていくしかない。一人ずつが。

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8月 05, 2019

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展 その後」の「平和の少女像」の展示が神経症の人たちによる病的な反発と脅迫のせいで中止になった。(神経症という言い方は宮台真司にならっている)

そしてこれが一番大事なのだけど、その結果その展示を俺が見られなくなった。どうしてくれる。俺は10月に見に行こうと思っていたのに。

過去に検閲を受けたり展示中止になった作品を、経緯とともに展示し、なぜそうなったのかを考えるのがこの展示で、ある場所で展示できなかったものを(外で展示しようとするのではなくて)、美術館という美術を見に来る人のためにつくられた箱のなかで見せるっていうことを通して、検閲について考える。そういうプラットフォームのためにあるのが美術という方法なのだろうけど、それができない、そういうことを普段考えていないがために物事と距離が取れなくなってしまった人たちによって、距離をとって考えようとしている俺が邪魔されている。彼らは物事に対して近距離で直接向き合うことしかできなくなっている。彼らの中には「自分か相手」しかない。自分の中にバッファーがない。プラットフォームがない。その結果神経症に陥っている。その上名古屋市長も、なんか知らんけど、人気を取るチャンスだと思ったのか、ここぞとばかりに前に出て展示の中止を求めていた。

政治家も神経症の人たちに合わせて振舞って俺のことを邪魔している。とても辛い。唯一、愛知県知事の記者会見がすこしだけ救いだった。

名古屋市長には是非、元パリ市長ベルトラン・ドラノエの「リベルテに生きる」を読んでもらいたい。

しんどい。ニュースを見過ぎた。

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7月 31, 2019

世田谷文学館で原田治展をみた後にオペラシティでジュリアンオピーを見た。同じ日にみてよかった。原田治は「抽象画を描きたかった」みたいことが描いてあって抽象画も展示してあったのだけど、抽象画とイラストレーションを別のものとして考えていた印象。

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7月 28, 2019

「みなび」の企画で、昨日山梨県立美術館に職員の人たちと三人で泊まったあとに話したこと。スウェーデンでは庭があることが、自分の家を外から眺める時間を作り、外壁を塗るという習慣を作り、それが「外から見た自分の家」を意識させる。もっというとそれが街としての共同体意識のようなものを育てているのかもしれないという仮説。「外壁を塗る」ということは一体どういうことなのか。家は自分が中で住むためのもなのに。自分の家の外壁を塗るとは?

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7月 26, 2019

山梨県立美術館の学芸課の通路のところに寝る。夜9時以降は外に出れない。トイレと自販機が近くにある。

警備の人に聞いたら「出るってよー。本館は大丈夫だけど、南館の収蔵庫はやばい」って。

電波が入らないのが良いと思った。

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7月 20, 2019

近代西洋美術を専門とする地方美術館の学芸員の人たちと飲んだ。これからは駅とかでポスターをよくみるような絵画展の印象が変わりそうだ。

アクチュアリティと言っていた。よく。地方美術館で、集客を求められる中で何ができるか、みんな考えている。なんで日本でこんなことやってんだという疑問も脳裏をかすめる。

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人はスマートフォンを手にしたことによってロバに近づいていると思ったら、路上ライブを聞いていただけだった

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7月 15, 2019



京都nowakiで個展をやっています。新作を含むドローイングと、新しいZINEと、「村上家に泊まるワークショップ」のドキュメントなどを展示しております。よろしくお願いします!29日は在廊します。

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村上家に泊まるワークショップのお知らせ

6月 04, 2019


フライヤーデザイン:内田涼

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5月 31, 2019

番組に手紙を送ったことがきっかけで、先週23日にライムスターの宇多丸さんがやってるtbsラジオの番組「アフターシックスジャンクション」のカルチャートークというコーナーに出させてもらってきた。

https://radiocloud.jp/archive/a6j/?content_id=58284

「ウィークエンドシャッフル」時代の「俺の黄金コース特集」というコーナーが大好きで、今でもラジオクラウドで聞き返していて、僕の活動と共鳴するものがあると勝手に宇多丸さんに共感してたんだけど、宇多丸さんも同意してくれた。やっぱりこの特集はヒップホップという宇多丸さんの地盤があって生まれたんだと思う。

僕の「移住を生活する」には間取り図っていう考え方があって、僕の家にはトイレも風呂もないので街から見つけないといけなくて、銭湯を風呂って読んだり、カフェをオフィスって言ったり、コンビニをwi-fiスポットとして使ったりして、街を大きな家に見立てて暮らすのだけど、そうやって既にあるものを自分の見方で別のものに変える力というか、自分に合わせて読み換えていくのは、まさに「俺の黄金コース」だ。誰しも同じ景色を違うように見ているのだから。この辺のことを宇多丸さんはスケーターのカルチャーを絡めて話してくれた。彼らは例えば街中にある手すりをアトラクションとして使ったりするという読み替えをやっている。

「俺の黄金コース特集」が素晴らしいのは、「俺の」といってるので、それはとても個人的な楽しみなんだけど、それを街のなかでやっているから、その人一人の楽しみで終わらないところだ。ストリートで行われることだからみんながイメージできる。

家とか暮らしかたとかは生まれる前から決められてる。自分で決めたわけじゃないのに、生まれた以上、そのうえでゲームを始めなくちゃいけないじゃないですか。だったらやることは一つで、「俺の黄金コース」ですよ。与えられたもののなかでいかに遊ぶかということです。

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5月 29, 2019

大学セミナーハウス「ぐるぐるつくるワークキャンプ」に約十年ぶりに参加して、吉阪隆正への見方がクリアになった。

・住むことと家がどんどん離れている。

・家は自分の体の延長である。その設計を人に頼むのはおかしな話だ。

吉阪が言っていたこのあたりのことは、僕が大学の時から思っていた「人の家を自分が設計する資格があるのか」ということの延長にある。

住宅のプランを作るには、一つ思考を飛躍させる必要がある。それは「人が住む家を、他人である私がつくる」ことへの壁を乗り越えないと、住宅の設計はできない。この壁は僕にとってはとても高くて、僕は「私的な行動は公共へのアクションになる」という発見ができたこの壁を迂回することができた。個人的な営みでも社会的なアクションになるというロジックを使い、そこから看板や経済の話に結び付けているけど、吉阪さんの言葉を読むと、その壁はやはり無視してはいけないというか、「他人の家を設計する資格なんてあるのか」という違和感は至極まともなものなんじゃないかと思えてくる。みんな無自覚に人のものを作りすぎている。人が使うものを作ったり、人に影響を与えたりすることへの奥ゆかしさみたいなものがない。下品だ。吉阪さんもそこにひっかかっていたのだ。吉阪自邸によく現れている。建築家は人工地盤と屋根だけつくり、中身のパーティションはそこに住む人に任せるべきだという考え方。住む人が変わったり時間が経ったりすればパーティションも変わっていく。という住宅のありかた。

これは、吉阪さんなりの「ここまでは踏み込める」という建築家としての態度の現れだったのだと思う。「本来自分の家自分でつくるべきだ。でもそうも言ってられない、だから、床と屋根だけはつくる。私ができるのはここまでだ」ということだ。

藤森照信さんも言ってたけど、吉阪さんの作品(というと、齊藤先生に怒られそうだ。吉阪さんは一人で設計を進めのではなく、模型を囲んでU研究室のみんなで進めていくという方法を取っていた。それが今『吉阪作品』として語られてしまう)には、かっちりと固めたものを打ち出すというよりも、「途中でやめている感じ」がある。これは吉阪自邸にも現れている、ここまではやるけど、ここから先は私は踏み込まない。という思想があらわれている。

砂場で遊んだり砂浜で像を作ったりするように場所を作るもんだから、ここからはある人の所有地で、ここからは別の人の場所で、ここからが自然で、ここからは吉阪作品だ、みたいな区分けが曖昧になっている。

また齊藤先生が言っていた「今和次郎に会った吉阪は、コルビュジェに会わなかったら建築家にはなっていなかっただろう」という話も興味深い。

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山梨県立美術館で年齢層様々な人を相手に話をして思ったこと。何か意義のあることをやっているという説明の仕方をせねばという強迫観念があるかもしれない。

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ブランクラスのたくみちゃんのパフォーマンス。なぜわざわざ人を集めて見せるのかについての作品だった。

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ツイッターの問題は、人を選択させるということにある気がする。フォローする、しないという選択をさせることだ、人の価値判断をするという地平に連れて行かれる。

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4月28日代々木公園にて行なったモバイル喫煙所(仮)の写真

4月 29, 2019



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(撮影:三木仙太郎)

 

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硬軟企画「超絶縁体」

4月 04, 2019

https://mobile.twitter.com/Kounann_H_S/status/1111452305788829696

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4月 03, 2019

昨日は江戸川アートプロジェクトのメンバーと花見をしてきた。余村さん、望月くん、そして鈴木諒一さん。大変にもりあがった。飲み会であんなに話せたのは久しぶりだ。だいたいいつも話せないで聞く側に回ってしまう。

プロジェクトは面白くなりそうな着地点を見つけられた。公共機関が、「作家がやりたいから」という免罪符なしに、自主的にやるプロジェクトとしてこれが実現できたら結構画期的かもしれない。

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330日朝に恵比寿のナディフアパートを出発し、丸の内丸善本店まで家をしょって歩いていったのだけど、丸善に着く直前に路上でお兄さんから「アメリカの不動産投資にありませんか?」と声をかけられた。つい反射的に「あ、興味あります」と言ってしまった。「よく僕に話しかけましたね」と言ったら「なんか面白いなと思って。自分、大阪から来たんですよ。だからなんかこういう感じ、懐かしいなとおもって声をかけちゃいました」と言っていた。やはり大阪の人は違う。ボケに対してボケをかぶせてきた感じだ。そんな冗談ぽい感じで話しかけられたのだけど、話は結構真面目で、メールアドレスだけでも教えてもらえないかなどいろいろと言われた。オープンハウスという会社の人で、アメリカでの不動産への税金のかかりかたは日本のものと違うらしく、申し訳ないことに、せっかく一生懸命説明してくれていたのに、細かいことはあまり聞いていなかったのだけど、どうも新築から時間が経って価値が下がったりいろいろしたときに、かかってくる税金が日本とアメリカで全然違うらしい。まさに先日の佐藤先生のシンポジウムで出てきた「消費財」という話だ。家は消費財なのだ。

メールアドレスを渋っていたら、リーフレットだけでももらってくれないかと言われたので、最終的に「アメリカに、家を持とう」と書かれたリーフレットと名刺をもらった。

丸善でワークショップ(1時間でできることは、とても限られている。だからいま僕は自分のワークショップを考えている)をやって、そのあと僕の家は丸善には置きっぱなしにはできなかったので車で福音館書店の地下の倉庫まで運ぼうとしたら車に屋根が入らず、家の本体は車で向かって、屋根は別でタクシーを止めて無理やり詰め込んで運んだ。そして福音館書店の駐車場で合体させていまはそこにおかせてもらっている。いよいよわけがわからない。こんな運びかたをしたのは初めてだ。僕はつつじヶ丘にいる。移動生活に入りたい気持ちもあるのだけどなんだかんだやることが多くていまはそっちがおもしろい。



丸善で絵本のパネルを作ってくれていて嬉しかった


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3月 30, 2019

広尾を過ぎたあたり

警察官から

こんにちは。これ何してるんですか

と聞かれたので

これを家にして歩いてるんです

と言ったらすぐに

あ、これを家にして歩いてるんですか。了解です

と返ってきた。のみこみがはやい。

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