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早島町のお寺から17キロくらい歩いて、今度は玉島という町にきた。ラジオとPODCASTを聞きながら歩いて た。ラジオは今この瞬間にフォーカスしたメディアなので、聞きながら歩くと気持 ちのバランスがとれる。 昨日も思ったけど、岡山県は側溝がとても多い。しかもその幅が広くて底が深い。 よそ見して歩いてると落ちちゃいそう。
今日もお寺から敷地交渉を始めた。1軒目のお寺は歴史の古そうな立派な寺院で、 人のよさそうな男性が、「まあそこにお座りになってお待ち下さい」と丁寧に対応してくれた。
「いま住職と電話で相談したのですが、ここ最近賽銭泥棒が出てまして、昨日も夜 泥棒と鉢合わせて、大きな賽銭箱をひっくり替えされていて、見つかったら走って 逃げていくという感じで、物騒なので、申し訳ないんですが何かあったときに責任 も取れないので……」

とのことで断られた。
2軒目に行ったのは神社で

「そういうのは、ここではできませんから。許されなくなってるんです…」

と手短に断られた。最後に呟くように「許されなくなってるんです…」と言ってた のが印象に残った。
ちょっと気が萎えたが、次のお寺に行こうと歩き出したところ、 という川沿い に立っている焼き鳥屋のそばで

「お兄さん。それなにやってるんですか。イベントですか」

と男性に声をかけられた。

「イベントというか、まあ一人でイベントやってる感じなんですが…」

とか言って 事情を説明して、敷地を探していると伝えてみたら

「この店の駐車場とかは?ちょっとマスターに聞いてきてあげる」

と言ってくれて、その百萬両の常連らしき男性がマスターに代理交渉してくれた。 すぐに出てきて

「OKだって。まあ、そこにおいてゆっくり休みな」

とのこと。助かった。毎度思うけどこの瞬間が一番嬉しい。このとき夕方の5時半ごろ。


岡山県倉敷市玉島中央町

家を置いて、明るいうちにと思ってすぐにその路上で絵を描いていたら、マスター が出てきて「えらいこと始めたなあ」と言って出てきて。 「あんたがよく寝れないと嫌だから」と蚊取り線香を差し出してくれた。思慮深そ うな良いおじさんだった。「蚊取りのスプレーをもってるんで大丈夫です」と断ったのだけど、あとで聞いたらこの蚊取り線香は、僕が到着してすぐにマスターが買いに走ってくれたらしい。
夜、常連に混じって百萬両でご飯とお酒をいただいた。ここはもともとマスターの 親が始めた八百屋だったらしいのだけど「朝は市場までいくから早いし、夜は遅い し、野菜も残ったやつは腐っちゃうし、これではいかん」と思って30年くらい前 に焼き鳥屋を始めたらしい。 いまでは川の向かい側で喫茶店も経営していて、常連のおじさん曰く「毎日朝から 晩まで働き詰め」。

集まってくる乗船の人たちもみんな顔なじみらしく、良い人ばっかりだった。みんなから「先生」と呼ばれてる常連のおじさん(散髪屋さん)に

「玉島ってきいて何か思い出すものはありますか?」

と聞かれて
「ないです。玉島という町を知らなかったです」
と言ったら

「そうでしょうね。良寛っていう人はわかりますか?玉島は良寛が若いころ十三年 くらい住んでいた町なんです。晩年は越後に戻ったけど、それまでに住んだ町では 玉島が一番長かった。それで私は越後に通っていて、向こうの人と相談して、玉島 や越後の人たちに、玉島と越後の素晴らしさをしってもらう活動を始めようと思っ てるんです。東京ばっかりが良いというわけではないと。こんな人も玉島にいるっ ていうことを知っておいてもらえれば」
と話してくれた。

お風呂場は歩いて40分くらいかかるスーパー銭湯みたいなところに行った。トイレ と洗面は、すぐ近くに公衆トイレ(常連のおじさんたちいわく「半月くらい前にで きたばっかり。おれもまだ使ったことがない」らしい)を使った。
いまは若干急いで広島を目指してるからっていうのもあるけど、この生活は時間が 距離に置き換わる。僕の中では早島町は「5月21日の町」で、玉島町は「5月22日 の町」ということになっている。

Posted by satoshimurakami