10100719
昨日じいちゃんが亡くなった。母から電話があったとき、私は愛知県の尾張瀬戸駅近くの歩道を歩いていて、国際芸術祭「あいち」2025のラーニングチームのメンバーとして、今月から瀬戸で始まる関連展覧会の会場の設営作業の買い出しから帰る最中だった。電話を切ったあと、バッグに入れていた100円ショップで買ったブックエンド30個がとても滑稽なものに見え、そしてすこしだけ重たくなったように感じられ、じいちゃんが出てくる記憶をいくつか辿りながら、1分ほどその場に立ちすくむくらいにはショックを受けたけど、実家を出た10年前からはそれほど頻繁に顔を合わせることもなくなったし、もう97歳だったし、ここ数年は認知症も進んでときおり問題も起こしていたので、実は覚悟ができていたのかもしれない。とはいえ生まれてから大学を出るまで20年以上一緒に暮らしていて、私が小さい時はとても大きな存在で、思い出もたくさんあるはずなのに、正直それほど落ち込んでいない自分にまたショックを受けている。まだ顔を見ていないので、実感が湧いていないせいもあるかもしれないが。
今年の何月だったかもう覚えていないけれど、最後に実家で会ったとき、これからはもう施設に入るから、この家でおじいちゃんをみるのは最後かもしれないな、と、別れたあとで気がついて、写真を撮っておけばよかったなと後悔したことを思い出した。そのときは施設で家族写真が撮れたらいいかなと思ったけど、それも叶わなかった。とても急な話だった。
でもまだ認知症が進んでいなかったころ(10年くらい前か→いま過去の日記を読み返したら2016年11月7日だった)、お花茶屋駅近くの居酒屋みたいな店で二人で向かい合って晩御飯を食べながら、おじいちゃんが生まれた北海道の村の話や、父に連れて行かれたアイヌのお祭の話、最初は馬喰で、そのあと旅館を経営した両親(つまり曽祖父と曽祖母)の話、淡路島に住んでいたおじいちゃん(つまり高祖父)の話を聞けたのは、ほんとうによかった。いまのうちに昔のことを聞いておこう、と当時の私が思うことができて、それをちゃんと聞けてよかった。そしてその話を『再生』の中で、思い出すように書くことができてよかった。『再生』にまた手を入れることで、もう一度思い出したい。そしていつか紙に印刷して、本としてこの世に存在させておきたい。