1月17日AAF演出集中キャンプ
愛知県芸術劇場主催の「AAF演出集中キャンプ」にて、ナビゲーターの萩原雄太(かもめマシーン)さんに招いていただきゲスト講師として2時間のレクチャー&ワークをやってきた。けっこう手応えがあり、参加者からも満足度かなり高いです、という感想をもらった。行ったことを書いておく。
①まず僕が自分の作品や制作について説明する際にたびたび使っている装置と現場の図を用いて自分たちを取り巻いている環境についての話をする。
私たちは体を持った存在で、その体が話したり食べたりするといった実際の行為は「現場」という領域に属している。そこでの行為は、言語(日本語を話すということや、敬語で話すということなど)や慣習(服を着ているということや、参加者が黙って私の話を聞くことなど)など、目には見えないがとても強い力によって"作られて"いる。この力が属している領域を「装置」と呼ぶ。
現場と装置は「つくる」「つくられる」の関係があり、装置の側が私たちの行為をつくっているだけでなく、私たちもそれに従うことによって装置の力を強化しているし、または時折その力に逆らったり、合意のもとでルールを変えたりすることによって、装置をつくることができる。
その装置と現場の間に、私が「亜空間」と呼んでいる不思議な時空間が出現することがある。
例えば
「車がなどまったく通る気配のない横断歩道で、信号が変わるまで待ってしまう時間」
「運転教習の座学の際に過ごす謎の時間(自動車免許取得のために教習所で受けなければならない座学の時間がルールとして決まっているので、教官は時間を潰さなければならず、生徒もそれを眠るのを我慢して聞かなければならない)」
「風呂の追い焚きボタンを押してから、 「お風呂が沸きました」という音声案内が流れるまでの時間」
制作においては、この亜空間を見つけることや作り出すことが大事、という話。
②この図をもとに、私のこれまでの作品を説明する。特に大切なのは「広告看板の家」プロジェクトと「イメージと正体の調査員」としての活動である。
(看板というものの役割は情報の提示なので、ほんとうは物体である必要はない。ファミリーマートの看板は、そこがファミリーマートであることがわかればよいので、ロゴだけが空中に浮かんでいればいいはずなのだが、この世界に存在する以上は体を持たなければならず、結果として箱という形が与えられる。装置が力をもつためには現場の体が必要、という話。邪魔な体。イメージと正体の調査活動は、装置と現場の関係を、それぞれ「イメージ」と「正体」というかたちで端的に表している)
これらを踏まえた上で言葉の話をする。私たちは普段、文を読むときに声に出して読むことはしない。それは『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(伊藤亜沙)の中でのヴァレリーの主張によると、"もはや私たちは言葉を読んではおらず、眺めている"。声は空気の振動なので明らかに「現場」の側に属しているが、言葉はそうではない。印刷技術が普及し、皆が言葉を黙読するようになってから、言葉は眺められるだけのイメージと化してしまった。
③私が普段から収集している店舗チラシやお菓子のパッケージなどを見せる。この中に使われている言葉(例えば「軽快! サマーボトムス」「ハイセンスなデザイン」など)は人の目を引いて購買意欲を掻き立てたり、感情を煽ったりする役割を担っている。いわば資本主義という装置の力をまとっている。
④その力を無効化させる(あるいは言葉をイメージから「剥がす」)ためのワークを行う。まずは書き初めをする。机に広げたチラシやパッケージ、新聞のなかから好きなフレーズを選び、筆で半紙に書いていく。書いたら、順番に読み上げる。
⑤次に机を片付け、輪になって軽く運動をしながら、自分が選んだ言葉を順番に発語していく。まわりの人たちはそれを輪唱する。1周目は屈伸をしたり腕を左右に振ったりといった、準備体操のような動きをしながら。2周目は、両手を前に出してぶらぶらさせてみたり、すこし普段はやらないような動きをしながら。
3周目にはその場で上下に飛びながら発語したり。疲れてくるので、だんだん声が大きくなったりする。4周目は各自ばらばらに動いたりしつつ、もっと大きな声で、棒読みを心がけて発語する。
⑥5周目。その場に座って部屋の電気を消し、暗闇のなかで全員が目をつぶり、自分が選んだ言葉を発語する準備をしっかり整えてから、ひとりずつ発語する。いくら時間をかけても構わない。輪唱はせず、他人が発した言葉をちゃんと聞くことに専念する。6周目は言葉を変えてみる。自分の前の人が発した言葉を使う。7周目は発語もしない。ひとりずつ順番に、自分が選んだ言葉だけを考えるようにして、頭の中で強くイメージしたり、何度も(心のなかで)叫んだりして、満足したら次の人の肩を叩く。周りのひとたちは、その人をしっかりと観察する。
⑦最後に「発表」の時間。電気をつけて、一人ずつ立ち上がり、自分の言葉を発語する(終わったら一礼してもよかったかも)。まわりのひとたちは拍手をする。
という流れ。こういった行為を通じて装置と現場の間に隠れている「亜空間」を呼び込んでいく、というワーク。