0612
朝から昼まで二時間半のオンラインミーティング。ほとんど発言していないのだけど、なんだか疲れた。いつも疲れてしまう。オンライン会議において、自分は発言のハードルをとても高く設定してしまっているらしい。たくさんの議題があるので、普通に思ったことを話してしまうと、議題が消化できなくなるという恐怖がある。話すことで会議が長引くのが面倒だ、と思ってしまっている。オンラインは発話のタイミングが難しい。人の息遣いとかが感じられないから、別の人とバッティングしてしまうことも多い。会議はたくさんあるし、いつもながくなる。なんでこんなにたくさんの会議をしているんだろうと思う。なぞだ。なにかが進んでいるという感じもあんまりない。同じことを昔話したような気がするんだけど…というパターンもある。終わった頃にはぐったりしてしまった。ほとんど発言してないのに。
午後、涼ちゃんと一緒に本郷さんの田んぼの補植の手伝い。捕食というのは、苗の束を携えて田んぼに入り、田植え機が植え損ねたところ(「欠株/けっかぶ」と呼ぶ)に手作業で苗を挿していく作業。歯抜けみたいに抜けているところがたまにあり、まれに10本くらい植えられていない「連続欠株」もある。最初長靴で入った瞬間、ズボッと深くまで入ってしまって焦った。でも、それが普通の状態であることがすぐにわかる。田んぼの柔らかさにびっくりした。足を取られて転ばないように注意しながら、ゆっくり進む。とにかくズボズボ足が入っていく。足がズボッと入り、苗を植え、ズボッと引き抜いて次の一歩を踏み出し、またズボッと入り、またズボッと引き抜いて……の繰り返し。楽しい。作業はとても単調なのだけど、水が張られた田んぼのなかを歩くのは、一歩一歩がまるで違う。私がいま植えた苗は食べ物になる、確実に、この作業には意義があるということがわかっているので、オンライン会議とはまるで違うやりがいがある。やらないほうがいいんじゃないかとか、やったほうがいいかわからないことのほうが多い日常のなかで、これは数少ない、やったほうがいいと断言できる作業である。そのことが元気をくれる。一枚終えて、休憩。ピクニックシートを広げておいしい草餅と、ふきと瓜の漬物を食べてお茶を飲んで、2枚目へ。2枚目の方が大きい。今度は長靴を脱いで、みんな裸足になった。裸足で田んぼに入る。水口(みなくち/田んぼに水を入れるポイントのこと)のあたりは冷たいけど、基本的に田んぼの水は暖かくて気持ちがいい。足がズボッと田んぼの中に沈み、やがて石っぽいところを足裏が感知して、沈み込まなくなる。そこに体重を預けて、2歩目を踏み出す。一歩目の足裏が、ちょっと痛い。この痛さがきもちいい。足裏が、ものすごく敏感になる。触れている石の硬さや大きさ、とんがり具合がよくわかる。自分の足って、こんなにいろいろわかるんだ、ということが新鮮。泥の表面は暖かいけど、沈み込んだところはちょっと冷たい。裸足だと、自然に歩き方がわかる。長靴ではわからなかった。つま先から着地することが、自然にできる。田んぼにはアメンボ、おたまじゃくし、おたまじゃくしの卵、ヤゴなどいろんな生き物がいて、苗を植えるたびにそれが目に入る。細くて小さくて赤茶色のヒルがくねくね泳いでるのも見かけた。僕は(たぶん)噛まれなかったけど、たまに噛まれるという。「ぜんぜん痛くないんだけどね、気持ち悪いよね」と本郷さんが言ってた。風が水面に波を作り、そこから緑色の苗が産毛みたいに整然と生えている。目を上げれば木崎湖と、山がある。遠くには、別の田んぼで同じ作業をしている山本さんたちがいる。なんて、ぜいたくな時間なんだと思う。転ばないように必死になって歩き、体は疲れているはずなのに、心がどんどん元気になっていく。サラリーマンを辞めて田んぼを始めるひとの気持ちがわかったような気がした。夕方には2枚目を終えて、またピクニックシートで休憩して、僕たちは家に帰った。温泉に行った。高瀬館。何度も来ているけど、この温泉のすごさを僕は知らなかった、と思った。露天風呂から出たくない、と思った。いつも、どんな温泉にいっても割と早く出てしまうので、こんなことは初めてだった。世の中のほとんどの人は、「温泉」を知らないとさえ思った。あなたが温泉だと思っているものは、温泉ではないかもしれない。さっきまで田植えをしていたから、源泉掛け流しの温泉につかる体験と、田んぼでの体験が重なる。どちらも、水が循環し続ける川に体を浸している感覚。何本もあるパイプからどぼどぼ温泉が出てきて、水面で鳴らす音の、なんと心地よいことか。りょうちゃんが帰りの車で、人間は海から陸に進出したけど、そのときに体の中に海をたくわえたんじゃないか、と言っていた。人間の7割は水分だとかいうけど、それは海から出てくる時に体のなかに残した海なんじゃないかと。だから、水に浸かるのは気持ちがよいのだ。特に、溜まっている水ではなく、流れ続けているそれに。大崎清夏さんの『湖まで』を思い出した。体のなかみ湖がある、という話。その湖は海であり、温泉であり、本郷さんの田んぼだった。