0622勉強堂にて
コットを持ってくればよかった。あれがあれば、本堂の中で横になって休めた。
昨日のよる友人宅で急遽カードゲームをすることになり5人で楽しく深夜1時まで遊んだ結果勉強堂に戻ってきたのが3時前で、朝8時にはもう車内が暑くて目がさめた。曇りだったらもっと寝ていられたがあいにくの快晴で、ごろごろしているうちに刻一刻と車内の温度は上がっていく。ほんとうに秒刻みで上がっていく感覚。後部座席の、網戸にした窓を締めて(窓開けたまま車を走らせると風で網が剥がれてしまう)、ぱっと運転席に移り、エンジンかけてコンビニへ。顔を洗って、朝ごはんのマフィンを買って車に戻りつつ、どうしようかと考える。寝不足なので、鼻の調子が悪い。このまま作業を始めたら大変なことになる。もうすこしやすんだほうがいい。本堂はまだ工事中だけど版築の壁のおかげが、外気温より3度くらい低くて、わりと快適である。休みたいところだけど、床は木くずだらけで物が散乱している。コットを持ってくればよかった。
車に乗るけど、暑くて一分もじっとしていられない。日陰が必要だ。太陽光が、あらゆるところに降り注いでいることを恨めしく思う。まんべんなくあたりすぎだ。車で横になりたいけど、どこもかしこも太陽光が降り注いでいる。文字通り、どこもかしこもだ。安息の場所はない。ただし、車ごと日陰に入れるところが、ひとつだけある。さんぶのもりこうえんの駐車場。何台か、木陰になる駐車スペースがある。行ったらさいわいひとつ木陰スペースがあいてた。車をとめて横になる
太陽光があたるところとあたらないところで、その場に存在することの経験がぜんぜん違う。別の国、別の季節にいるみたいだ。太陽光から逃げられる場所はないかと車を走らせるのは、小説三体で、死の太陽から生き延びる道を探す文明みたいだ。
1時間くらい昼寝できた。今日の作業はもっと陽が傾いてからにしようと決めて、図書館に涼みにいった。空調が効いていて、頑張ってなにかを食べたり飲んだりしなくても居てよい場所というものが、図書館のほかにない。しかし図書館は寒いかった。寒すぎる。人はほとんどにいない。日曜日なのに。クールシェアという言葉を最近よく考える。ぜったいに、空調が効いた部屋は何人かでシェアした方がいいに決まっている。地球のためにも、エネルギー節約のためにも。空調が効いた、テーブルと椅子とソファがあるだけの空間をシェアすればいいだけなのに、そんな簡単なことを、なぜ私たちは実現できないのだろう。共同体が失われたから? なにか食べるか飲むか読むかしないと、空調の効いた部屋にいることは許されない。図書館は何かを読んでないと、居心地が悪い気がしてしまう。なので、横山光輝三国志の2巻を読んだ。劉備たちが地方の警察署長に任命されるあたりのところ。三国志はどうしてこんなに面白いんだろう。それは、登場人物がみんな愛すべきアホばかりだからだ。みんな思い込みが激しくて、どうしようもないところがあって、読んでいると虫籠の昆虫を観察しているような気持ちになる。あっちで喧嘩してるとか、こっちは元気ないな、とか。
ランドロームでお寿司食べて、アーリウスでマンゴーラッシーだけ頼んで机を借りた。アーリウスに初めてパソコンを持ち込んだ。
インド人シェフの青年が「社長、ライトいる?」を天井を指して聞いてくれる。「ああ、いらないいらない」と断ったけど、その言い方が、なんか社長っぽく響いてしまってちょっと後悔した。ビリヤニ頼んでないのに、今日もサラダを「サービス」と言って持ってきてくれた。生野菜食べてないからありがたいような、とはいえ量が多すぎて余計なような・・・
しかし暑い。梅雨はどこにいったんだと思ってたら、梅雨前線は消えてしまったらしい。天気アプリによると32度ある。作業を始めてしまえば気にならなくなるのに、始めるまでが遠い。PC作業をやる。
アーリウスまたしても社長におごってもらってしまった。「だめだよ〜」と言ったのだけどいいからいいからまたお願いしますと、お金を受け取ってもらえなかった。
太陽光すごすぎる。陽が沈むとホッとする。魔神が襲来するみたいに、陽がのぼると一気に地上の気温が上がり、車内の温度は上がり、私はその場所にいられなくなる。もちろん壁もそうなんだが、「屋根」の偉大さを毎秒感じる。人間が、この大地で生きるにあたってその体を死なないようにしておくために立ち上げる、最も根源的なシェルター。