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『現代詩手帖2026年2月号』ギャルース・アブドルマレキヤーン(イランの詩人)インタビュー

シャフラーム・パールサーモトラグ(聞き手)/中村菜穂 訳

 

アブドルマレキヤーン「知性が文節化するのとは異なり、想像力は組み合わせるのです」

 

ここで言われている「知性が文節化する」という一節は、語源を考えるとわかりやすい。

○日本語の「分かる」の語源は、動詞の「分ける」

○英語のscience(科学)の語源も「切る/分ける」を意味するラテン語の「scindere(シエンデレ)」

○ラテン語のintellegere(知性)も「間」を意味する「inter」と「選ぶ/集める」を意味する「legere」が合わさった言葉で、物事を整理する能力を指す

→人間は、ものごとを切り分けて整理することで世界を理解してきた。(「なんか土が盛り上がってるところ」を「山」と名づけることで景色が整理できる)

また人間は、分業によって社会を発展させてきた(ひとりが野菜を育てて獣を狩るよりも、農家と猟師にわかれたほうが効率がよい)

想像力には、分かれているものを組み合わせる力がある。そして想像力は芸術の主要な構成要素のひとつなので、芸術には(ものごとを切り分けて整理することで発展してきた)社会への反逆という側面が常にある。

 

またアブドルマレキヤーンさんは、「詩の究極的な存在理由は知ることにある」と言っている。

「仮に世界が非常に大きな闇の球体で、私たちがその真ん中にいると想像してみてください。……この世界におけるあらゆる経験は、他の経験では照らすことのできない一部分を照らします。私たちの活動や経験の一つ一つは、その球体の中で私たちが位置しているある一点から、さまざまな方向に投げかけられる光なのです。……詩は、それぞれが固有の旅であり、それを通して、他の仕方では発見することのできないこの暗闇の一部が明らかとなるのです。ゆえに詩とは世界を知る方法の一つだと言えます」

 

ここから読み取るべきなのは、「知ること」と「分かること」は違うということ。さらに言えば、芸術はそもそも「分かる」という行為とは相反するものであるということ。芸術は世界の一部を照らす光に過ぎないが、そこになにがあるかを「知る」ことはできる。

Posted by satoshimurakami