0407
・最近の国会前のデモ。改憲と戦争加担への反対デモ。気になりつつぜんぜん行けてない。決して居心地の良い場所ではないが頭数にならなければと何度か足を運んでは若干の虚しさを感じつつ帰るというのが型みたいになっているデモ参加だけど、最近ペンライトを持って参加するという流れができているようで、たったそれだけのことなのだけど、是非とも自分も自分の光を持って参加したいという気になるのはどうしてか。夜に大勢の人が光を手に町に集まるのは綺麗なんだろうなと思える。体と声と小さなプラカードだけで参加するときよりも、光と一緒のときの方が、より参加したという実感が得られる気がする。無理に声を出さなくてもよい、と思える。ここに光があって、この光は夜景みたいに、風景を作ってくれるという確信があるから。もともとは韓国で始まった流れみたいだけれど、これは発明だと思う。
・ふと道端の掲示板を目にするように読む(書く)文と、道を歩くように読む(書く)文がある。掲示板の文には情報が書いてある。〇〇は〇〇です。なぜなら〇〇だからです。道の文は、読み手(書き手)と一緒に進む。道を歩くことが文を読むこと。小説は道なので、書き手は一緒に歩かなければいけないし、読み手を歩かせなければいけない。
書き手と読み手が同じ道を歩いているような感覚。ポッドキャストも同じだ。書き手も語り手も、読み手も聞き手も、歩き始めたときはみんな、その道がどこに続いているのかを知らない。でも書いているうちに、話しているうちに、読んでいるうちに、聞いているうちに、それが道であることがわかってきて、道中色々な発見をしつつ、最後はどこかにはたどり着く。作り手も受け手も、じつは同じように道を進んでいる。進むことができる。