2013年9月26日(木)
2013年9月26日(木)バイト先のビアガーデンにて
僕がこのバイト先で感じていたことは、とても深い問題につながっていた。常々「お金」と「商品」は等価であり、「交換」するものであるはずなのに、「お金」を払う方が立場が上であるかのような風潮があるなと思っていた。たぶん大きな企業になればなるほど、お店よりはお客さんに対して弱くなる。クレームを極端に恐れる。
なぜこんなことになってしまったのか。エンデの遺言を読んでいて、それは「プラスの利子」という考え方が一般化しているからかもしれないと思った。
お金は本来、その共同体の人々の共有の道具であって、市場に流通している状態が自然なのだ。
お金は、物々交換ではいろいろと面倒だから発明された道具だ。一人で家を造り、パンを焼き、畑を耕すのではなく、大工が家を造ることに集中し、パンを焼くのはパン屋で、畑を耕すのは農家の人々、という風に分けた方が、「より生きやすい」から、分業がはじまり、分業にはお金という道具が欠かせなかった。お金はそうやって発明されたもので、生活をおくる、ということが優先事項であり、自然資源や、誰かが(自分の代わりに)担ってくれたサービスと交換する、というのが目的だった。
しかし現代、お金は「貯める」ことができる。使わなければ永遠に持ち続けることが可能になっている。そして、多くお金を貯めた者は、人に貸し付けることができる。しかも、人に貸したお金は、貸した額よりも大きくなってかえってくる。これはプラスの利子という制度のせいだ。この制度によってお金はそれ自体商品になり、自己増殖を続けることができる。本来の目的であった「商品(つまり自然資源)との交換」を置き去りにしている。自然資源は有限だけど、お金はそれだけで無限に自己増殖していく。
「お金を貸し付けることができる。しかもプラスの利子をつけて」という事実は、お金を多く持っている者の方が、少なく持っている者よりも立場を上にする。これは、お金を多く持つことが、生きる目的であるかのように錯覚しやすい世界になっている。これが、「お金を払う者の方が、商品を提供する者よりも偉い」みたいな風潮を生み出す原因になっていると思う。
もう一度みんなと出会うために僕は僕のベストをつくそう。