4月7日

20140405-191959.jpg

吉原芸術大サービスが終わった。それまでは展示場所に当然のように置かれていた僕の家も、展示が終わったとたんに居場所じゃなくなる。なので動かなくてはいけない。

今日は「動きはじめの日」になる。『移住を生活する』とは「移動の中に留まる」ことを試みること。これから発泡スチロールの家を「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」のように担いで歩き、国内を移動しながら生活する。動きながら、各地の民家の絵を描き溜める。

そうして最終的に「たくさんの地域の家のペン画」と、「僕の家」を同じ空間に展示することを目的とする。僕の家のデザイン、白い壁に黒い線が入っているのは、「家のペン画」と対応させるため。それぞれの地域で土地に固定されている「家のペン画」と、発泡スチロール製の僕の「ペン画のような家」を展示する。その展示のイメージがずっと前からある。

移動しながら生活する方法は以前と同じ。道路や公園に家を置いて寝るのはどうやら違法行為らしいので、誰かの敷地に家を置かせてもらいながら寝泊まりして、移動していく。

移動の予定は未定だけれど、これから暑くなる夏にかけて東北のほうまで北上し、そこが寒くなる前に南下していく、という感じで動きたいと思ってる。

以前のように映像を撮ったりはしない。「コミュニケーション」を目的とするようなことでもない。以前とは問題意識が違う。もっと根源的に、この定住と貯蓄を前提としたこれまでの僕自身の生活を対象化し日々の生活のために日々の生活をこなしていったような、あの閉じきった生活からの脱出を試みる方法。

東京や香川でバイトしていたときにずっと思っていた。この社会は、人の知性と欲望をちょうど良く満たしながら、世の中が発達していくように、とってもよくできているように見える。とってもできているようにみえるけれど、店員が客に対して無条件に敬語を使わなくちゃいけないのはなぜなのか。雨が降ってすぐに中止にすべきビアガーデンでテーブルを拭きつづけるという修行のような時間を強いられるのはなぜなのか。僕たちの生活、日々の労働は行き過ぎているんじゃないか。コンビニを24時間営業にするために、家から職場まで10分で行けるようにするために、自然資源とお金の量は、本当は対応していなくちゃいけないのに、僕たちは、お金をただただ無限に増やしていくために、そんな行き過ぎたもののために一生懸命働いているんじゃないか。その結果、電車は脱線し、原子力発電所は爆発してしまったのではないのか。生まれた時点で戸籍に登録されて、住所のある自分の家にお金やモノを蓄えることに幸せを見いだしてしまうことは、事態をもっと悪化させることに加担していることになるんじゃないか。

縄文時代に縄文土器が発達し、増えた土器を移動させるのが面倒になった結果、定住が始まったという話に衝撃をうけて、僕たちがモノを蓄えるということを覚えたのはそこからだろう、ならばモノをもつことを、あるいは使わずに蓄えることを許されないあり方は可能かと考えた時に、「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」のアイデアが全く違うものに見えてきた。

 

そんな経緯ではじめてみます。お金はほんのすこしだけ貯めたけれど、これから描きためていく家の絵を売ったお金でこの生活が続けられたら良いなと思っています。よろしくお願いします。

 

今日は、吉原での展示で知り合った川田君に誘われて、蟻鱒鳶ルの岡さんたちがやってる花見にいくために、吉原から三田へ向かった。

(歩いているときに、昨日岸井さんと話した「家の壁の外側は公共」だという話を思い返していた。「公共」は、未分化な状態の場所を壁で囲うことによって「プライベート」がつくられ、その後に結果的に生まれるものにすぎない。と考えてみると、「公共をつくりだそうとすること」じたいがナンセンスなんじゃないかと思った。「公共空間」だけをつくることはそもそもできない。これは北川フラムさんがやった越後妻有芸術祭がうまくいったせいで、そのあとにその「アートプロジェクト」という部分だけを抜き出してやろうとしてもうまくいかない事態に関係がありそう。あるいは、被災地における、伊藤豊雄さんと川俣正さんの活動方法の違い。伊藤さんは、最初から「公共のもの」をつくろうとした。川俣さんは「自分が勝手に始めたあとで、公共は生まれる」ということを知っていた。僕の家は歩くことによって常に公共を動かしているようなものになる。「動くプライベート」というよりも「動く公共」と言った方がしっくりくる。だって、僕の家は、壁の外側だけよく作り込んでいて、内側に関してはまったく無頓着に、ガムテープやビスやらがむき出しになっているのだから。)

向かってたら、道の途中でカメラをもったお兄さんに話しかけられて、事情を話したら、なんだか花束をプレゼントしてくれた。

IMG_0913

これテレビ東京の企画らしく、 5月4日の19時54分から22時くらいまでやってる「日曜ビッグバラエティ」で放送されるらしいからよかったら見てください。

そして三田に着いたのだけど、時間が早すぎて持て余して、家を道路において体をほぐす運動とかしていたら、近くの大学に通っている水上さんという人に話しかけられる。

事情を話したら、がんばってと言ってくれて、僕の名前と電話番号とウェブサイトを書いた紙を渡して別れる。

そのあと、ツイッターで「近くにいます」と連絡してくれた、近くの大学に通ってる石山と連絡をとって、1年ぶりくらいに再会して、スタバでお茶をはじめる。スターバックスなんて普段ほとんど行かないけれど、家を置けそうなちょうどいいスペースがあったのが決め手。

二人で話していたら、知らない番号から着信。でてみると、さっき声をかけてくれた水上さんだった。

「帰って村上のウェブサイトを見たらもう一度会いたくなった」らしく、スタバで合流。

僕と、石山と、水上さんという面白いメンツのお茶会がはじまる。

IMG_0919

水上さんにもらった差し入れ。

水上さんは、けっこうハードな登山家らしく、僕の家の中にあった銀マットを見て「なんかグッときた」らしい。僕は何も聞いてないのに、「良いコインランドリーがある」という話をしてくれて、わかってるなーと感心した。

そのあと、もう一人石山と同じ学校の久保田(これも数年ぶりの再会)が スタバに合流し、4人でお話していると、僕を花見に誘ってくれた川田君が現れ、「みんなで花見いきましょう」と、5人でぞろぞろと花見会場に向かう。

 

 

image

僕の家と蟻鱒鳶ル(川田君が撮ってくれた写真)。

 

 

IMG_0926

 

岡さんは、急に現れた僕たちのこともかなりオープンに迎えてくれた。みんなとお話。いろいろな人が集まってる。水上さんも普通に混じって話しているのも面白い。岡さんは、感覚が開ききったまんま固定されているような人で、かっこよかった。

そのあと、水上さんの家に家を置かせてもらい、寝る。

IMG_0927

Posted by satoshimurakami