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ただいま新岩国駅を通過。
という電光板の表示が目に入ってしまい、新岩国駅以外の、通過された何万という駅や家のことを想像させられた。やっぱり自分は新幹線が苦手らしい。これまで各地で散々新幹線の悪影響について聞いてきたからなのか、この速すぎるスピードがダメなのか、いろいろ複合的な原因があるんだろうけど、気分が悪い。体調が悪いせいもあるだろう。とうとう鹿児島に戻るまでに風邪を完治させられなかった。
さっきまで山陰にいて、今は山陽を走っている。あっちこっちで光が全然違う。山陽は明るい。色が鮮やかに見える。
前に日記を書いてから1ヶ月ちかくたってしまった。
10月26日の日記に、淀川の砂について書いてある。僕はその翌日、知人のFに自転車を借りて桜ノ宮のあたりまで行き、淀川の砂をとって販売している卸売業者をみつけた。神交産業という会社で、淀川の砂の卸売販売と、コンクリートの製造をやっているらしい。川沿いに工場があり、砂が積まれていた。大阪市のウェブサイトによると、淀川の砂をとってもらうことによって船の航行もスムーズになるので許可しているらしい。この砂の話はもうすこし掘り下げて考えてみると面白そうだ。
その話はいいとして、僕はFの事務所に26日に到着し、29日ごろに遠藤一郎さんの未来へ号バスに家ごとのせてもらって鹿児島に行った。未来美展という、彼の生徒や彼が見つけた良い表現者たちによるグループ展に呼ばれて参加した。みんな愛おしい人たちだった。僕は例によって反省点をたくさんかかえて終了した。展示をするといつも反省することになる。今回は、一郎さんの本気さを事前に感知しきれず、結果として自分の展示や展示にまつわることに詰めが甘い部分が生まれてしまった。また、一郎さんが先生として人に接しているのをみて、「自分の議論をしてしまう」ことと「先生として振る舞う」ことの境界線について、とても考えさせられた。あるいは言い切ることの責任と無責任について。俺は俺のやり方でしか前に進めないことを知っている。なので引き続きぶっちぎれるよう頑張るしかない。
未来美展が11月3~5日で、そのあと僕は鹿児島在住のソウルメイト橋口さん(久々に再会したと思ったが2年ぶりくらいだった)の家に自分の家を預け、7日にJETSTARで東京に行き、10~12日のあいだTERATOTERA祭りに5年ぶり2回目の参加。「看板図書館」という新作をやってみたが、ここでも反省した。3日間なので図書館としては日数が足りず、あまりまわらなかった。良いプロジェクトだとは思うんだけど。そのまま東京に1週間くらい滞在し、下見をしたりインタビューを受けたり人と飲んだりし、17日にANAのプレミアムクラスシート(1時間20分のフライトだったけど軽食サービスが付いている)で鳥取県に移動。倉吉市でひらかれる日本海新聞主催の「絵本ワールド鳥取」という素敵なイベントに呼ばれて”講演会”と”ワークショップ”を頼まれていた。鳥取は初めて上陸した。
こんにちは。
突然のお手紙で驚かせてしまったらすみません。お元気ですか?
最近、私は鳥取に行く機会がありました。夜の日本海沿いの道路を、車に乗せてもらって走りました。風がとても強くて、雨がすこし降っていました。海は、ガードレールの向こう側に見えているはずなのですが、実際には暗闇が広がっているだけでした。窓を開けてみると音が聞こえました。波打ち際の大きな音が、暗闇の中から聞こえました。私は恐怖を覚えました。あまりにこわかったので、ずっと窓を開けて聞いていることができませんでした。しかし、あの恐ろしい海からおいしい松葉ガニが獲れるのです。もうすぐ松葉ガニの季節だそうです。鳥取の人に聞くと、「今はまだ高いけど、もうすこしすると小さくて安いカニが出回るはずです。それと、足が1本無いやつとか、そういうのはちゃんとしたところでは売れないんで、市場なんかですこし安く買えます」と言っていました。足が一本ないカニが安く食べられるのは、産地の特権ですね。松葉ガニ食べたいです。
すっかり寒くなってしまいましたね。豚汁や甘酒が美味しい季節になりました。
喉風邪が流行っているようです。私はすっかりやられてしまいました。かれこれ1週間、咳が続いています。私の周りにも数人同じ症状の人がいます。どうぞお体にお気をつけください。
18日に講演会。”講演会”だ。笑ってしまう。会場では「たくさんのふしぎ 家をせおって歩く」を読んでいるという人がたくさんいて驚いた。僕は自分の絵本の紹介をしたあと、東京から鳥取まで飛行機だと1時間20分だが歩きだと700キロなので50日間くらいかかるという話をし、さらに鳥取から鹿児島までも50日間かかるという話をし、なぜこんな高速で移動しなければいけないのかという話をし、もし2日間のイベントのために100日の移動をしていたらどっちがどうなんですかという話をして、”最初の目的からずれていくのが面白い”という話をし、むしろ目的が先行しすぎるのは悪いことだという話をし、”分業進みすぎ問題”の話をした。本当はバックミンスターフラーやミヒャエルエンデやお金や労働や、虫の話もしたかったし、そういう原稿も用意したんだけど、原稿を用意しすぎたために話に魂が入ってないということを話しながら発見してしまい、早い段階で質問を受けることにした。その質問の時間に、軒を深く出すことが、雨の室内への吹き込みを防ぐということにおいていかに効果的なことか。かつての日本の家屋がいかに工夫にとんでいたかという話ができたのはよかった。
話のあと夕書房の本「家をせおって歩いた」の販売会とサイン会があった。肝心の「家をせおって歩く」はどこも売り切れてしまって、増刷もハードカバー化もまだまだなさそうなので残念そうにする人がたくさんいる。悲しい。
18日の夜、”たみ”というスペースに遊びに行き、そこで「鳥取市内にあたらしくオープンする洋食屋の改装を”パーリー建築”の
人たちがやっている」という話をきいた。パーリー建築の宮原君とは小豆島で会った。「そして今日そのオープニングフェスがある」というので、久々に会いに行こうと思い、車で連れて行ってもらい、彼等が改装したその店の綺麗さとお洒落さにびっくりして倉吉に帰ってきた。
19日にワークショップをやった。最初のプランでは、牛乳パックや紙や段ボールで子供たちに一人につき一つ、自分のサイズの家を作ってもらい、それをみんなで担いで外に出て行進して、公園や路上にその家を建てて街にしてしまい、公共空間を占拠してしまったら面白いだろうと思ったんだけど(それで警察が来て子供達が居住権を主張したら良い)、会場が大学のキャンパス内で、しかもちょっと山の上にあったので”公共空間に置く”という感じにはならないことがわかり、またスタッフの人たちが集めてくれた大量の牛乳パックをみて僕自身がすこしテンションがあがってしまい、ワークショップ開始時間の1時間前から畳3畳分くらいの、壁構造とラーメン構造を組み合わせた大きな家を作り始めてしまったらワークショップ開始時間になっても全然間に合わず、ワークショップのために集まってくれた子供達にそれを手伝ってもらうことになり、(しかし子供達はみんなものすごく楽しそうにしていた。あんな大きな空間を手作りで立ち上げるという経験がなかったんだろうと思う)結局それを最後まで作った。しかし途中参加の男の子が自分で小さな家を作り始めたので、おかげで最終的に二つの家ができた。それをみんなで神輿みたいに担いで外に持って行き、外の芝生に建てて一通り遊び、またみんなでもとの場所に戻した。
ここも楽しい現場だった。鳥取はまたゆっくりまわりたい。そして今日のお昼過ぎに倉吉を出発。姫路経由で鹿児島に戻っているその新幹線の車内でこれを書いている。これを書いているうちに気分が回復してきた。明日からまたしばらく九州をみてまわろうと思う。橋口さんと一緒に行動するか、一人で家と一緒に歩き回るかはまだ決めていない。
最近頼まれ仕事が続いている。自分発の制作ができていない。焦っている。どの現場も楽しかったし学ぶことはあったが。
新幹線はもう熊本に着こうとしている。速い。