01010430

実家にて1998年10歳の頃に書いた日記から大学時の殴り書きのエスキース帳やメモに書かれた、自分でも半分くらいしか解読できない文字を読んでみると僕は昔から「いっぱいいっぱい」だったことがよくわかり、ひどく安心した。We Are Dinosaurs!と可愛い恐竜のイラストが描いてある青くて薄いノートに書かれた10歳の日記には毎日「今日も学校に行けた」「今日も学校に行けた」とある。全く覚えていないが、人生の峠を一つ一つ越えているような必死さが伝わってくる。極め付けは最後の方、もう書くのも面倒になったのか「なしほんとはある」という一文だけが五日連続で書かれ、日記は突然途切れている。この時の気持ちを覚えている。書くのがもう面倒なので今日の出来事「なし」と書きたいのだけどそれでは嘘になってしまうと思った。だから「ほんとはある」と付け足した。エスキース帳の方には「3/25朝」に電車に乗ってきた「キチョウメンな男性」を観察した文章「メガネを取り、キチョウメンに上着の内ポケットにしまった。どうやらねる気らしい。目をつぶったはいいが、何か気になるのかしょっちゅう目を開けては体を動かしているそんな神経質な人が電車で寝られるわけがない」とか長々と記され、最後に「でもなんとなく僕はその人が好きになった。」と書かれていて、この一文がなぜかマルで囲まれている。他にも魚のシルエットのようなものや三角形が組み合わさった絵などがたくさん描かれ、おそらく建築の設計課題を検討しているページには「あいつが話をややこしくしている.」という一文がある。他に言葉は書かれていない。あいつとは誰で、なんの話をややこしくしているのか全く思い出せない。別のエスキース帳には「相手の精神にどううてるか」という一文の下に丸と線の繰り返しの図形を二重線で消したような跡。そして下に「何で僕はこうなってしまうのか」とあり、「ボウシとしたことが・・・・」「・ねてないから?」「・歩いたから」「・水」と続く。そしてもう一度「何でこうなってしまうのか?」と書かれ、こちらは赤いアンダーラインが引かれている。さらにその下に何故か「南方マンダラ」が描かれていて、「各々の線が交わるのは必然性によらない」とあり、「必然性によらない」の部分にアンダーライン、さらにその下に「必然性によらない」と再度強調している。また別のページには「会社をロックンロール退職した二人(ストロークスとの出会いがきっかけ) よってお金がない」とあり、その下に四角形を重ねたような、複雑な図形が二つ書かれている。昔からずっと、けっこうぎりぎりだったのだ。今に始まったことではないのだ。すぐに忘れてしまうなあ

Posted by satoshimurakami