COCK ROACHというロックバンド

もう名前は忘れてしまったのだけど(「なんとかじい(さん)の音楽なんとか」みたいな感じだった気がする…)さまざまなジャンルの音楽をアルバムごとにレビューしまくっている個人サイトがあって、自分の好みと重なる部分が多かったので、高校のころはそれを参考に日本のロックバンドを片っぱしから聞いていた。そのサイトで絶賛されていたCOCK ROACHというインディー・バンドがあり、そのファーストアルバム『虫の夢死と無死の虫』が、奇跡的に文京区立図書館に在庫があったので借りてみたのが最初だった(音源はTSUTAYAで借りることが多かったけど、文京区立図書館にはCDも豊富に置いてあって、しかもインターネットで検索できたので、無料で聞けるならそれに越したことはないと、よく使っていた。のちに摘発されたwinnyも便利だった)。しかしそのジャケットからなんというか、煙たくて咳き込みそうな何かが漂っていて、これ大丈夫かなと、悪く言うとB級感があったので不安を覚えつつ聞いてみて、最初はよくわからなかったけど、「孔子の唄」を何度か聞いているうちにある日、どうも自分はとんでもなく深い闇を掘り当ててしまったかもしれないと思ったのだった。死をテーマにした日本語ロックのコンセプトアルバムなど当時の僕は他に知らなかったから、音楽はこんなことも歌えるのかという大きな発見をしたような気持ちというか、今思うとシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』のテキストに出会った時の感動に少し似ている。
すでにバンドは解散していたけど、すこしずつ手に入る音源と映像を集めた。セカンドアルバム『赤き生命欲』だけがどこにも置いてなくて、ずっと気にしつつ高校生活を送っていたのだけど、どこかのタワレコで偶然発見し、躊躇わず買ったのも記憶に刻まれている。騒々しい店内であの赤いジャケットを手にした僕の手は軽く震えていた。多分、新品として出回っていた最後の時期の、遺物のようなものだったじゃないか。Amazonで見ると今ではプレミア価格になっている。
それからなんだかんだずっと、僕の人生という部屋の片隅にはCOCK ROACHという存在があり、しかも人に「これめっちゃいいから聞きなよ!」と薦められるような代物ではなかったので(何度か友人に勧めたことはあるけど反応がイマイチで、というか人に薦めるという行為自体、なにか間違ってるんじゃないかと思わせる力が、COCK ROACHにはある)、ずっと一人で聞いていて、とうとう他に聞いている人に出会うことはなかったので、今回の水戸ライトハウスでの再結成一発目のライブ(その名も『静かなる虫たちの調べ』)の会場で順番待ちをしている黒いバンドTシャツを召したファンの群れ群れを見た時、こんなにも多くの同志がいたのかという純粋な驚きと、なんだか地球に送られて秘密裏に活動しているエージェントがお忍びで集まっているような感慨があった。
ボーカルの遠藤仁平がMCで「生きてましたか?」と聞いていたのが、とてもよかった。なにか、その場のことを言い当てていた。
コンサートについては言葉もない…素晴らしかった。演奏もうまいし、遠藤仁平の喉も強いので、ハードな曲ばかりでも聞いていて辛くない。気持ちがいい。不思議なことに音源で聞くよりも歌詞が耳に入ってきた。
COCK ROACHが再結成するというニュースを聞いたとき、不安を感じたことを思い出す。既発のアルバム三枚で、キャリアが綺麗に完結していたから。死ぬこと、生きること、命のことの次に歌えるものなんてあるのか、何を歌うのかと思いきや、4枚目のアルバムは『MOTHER』というタイトルであると知り、なんてこった、まだそこがあったかと。さすがです、と。ライブでは昔の曲で泣くだろうと思っていたら、新しいアルバムからの曲で思いがけず涙が出たのだった。ストレートな言葉選び。すべてを当たり前とせずに生きようとか、普通は恥ずかしくて言えないようなセリフをバンドで鳴らす。公式ブログで「音楽を仕事にはできない」と遠藤仁平は書いていた。刺さる。この言葉は楔にしたい。こういうことのために音楽はあるのだと、原点に戻る気持ち。音楽に限らず、表現とは、こういうもののことをいうのだと。
仕事にした途端、お金を稼ぐために、という意識がすこしでも入った途端に失われるもの。お金をもらう以上、なにか意義深いものをとか、人に伝わるものをとか、そういう余計な念が入り込んでしまうことによって失われる、ささやかながら取り返しのつかない損失。全てが商品にされ、全てが消費されていくこの環境下で、自分がよいと思うことだけをよいものとすること。そのラディカルさを失わないようにしながら、しかしそんな素朴で純粋なものだけがよいものではない、やるべきことはたくさんある、まずは少数でもいいから人に伝わらなければだめだと、ナイーブになりすぎない態度。この夜のことを忘れないようにしたい。他の感情に邪魔されたくないので、本も読まず、泊まりもせずにバスで帰っている。

しかし遠藤仁平氏、「カニバリズム・ン・カーニバル」を歌ってる時に、ペコちゃんの手提げ袋を思い出したとMCで言っていた。ぺこちゃんの目玉がぐるぐるまわる手提げ袋を学校の同級生が持ってきていて、それが気になって仕方なかったと。その怖すぎる目のくせして、キャッチコピーが「ミルキーはママの味」だから、これはカニバリズムもしくは近親相姦の気があるのではないかと。「海月」を歌ってる時に、エンバーミングした恋人の死体と共に何年も暮らした「カールおじさん」のことを思い出したとも。へんなひとだ…。
(05072220)

Posted by satoshimurakami