あらゆる瞬間のものごとに、永遠の相を見ること。

人との関係ほど不可逆なものはないのかもしれないな。一度崩れたらエントロピーは増大する一方であり、考えてしまうのは過去に自分が発した言葉、態度のことで、あのときにああしておけばなにか変わっただろうかとか。しかし、いくら考えても原因はわからない。というか相手のせいにも、自分のせいにもしたくない、するべきではない。世界はそういうものではない。スピノザならこう言うだろう。すべては必然的におこるのであって、他のありようなどはいっさい存在しないのだと。あなたがその状況に陥った原因などは、誰にもわからない。ものごとは、気の遠くなるような数の必然の連鎖でできているから、その原因をまるごと理解することなどできない。わたしたち人間はただ、「結果」を知らされるのみ。自分自身の感情の原因すらわからないのだから。相手も同様に、自分の感情の原因などわからない。そもそも、わたしたちがものごとを考えることができているのは、思考の解像度が荒いからである。それが起こった真なる原因などわからないからこそ、それにまつわることを考えることができる、できてしまう。だから自分がこうやってあれこれ考えてしまうのは、解像度が荒いからなのだと、自分に説明することで感情を癒すしかない。「説明する」ことで、能動性を取り戻すしかない。説明することで、自分も相手も赦すこと。これがあなたには足りなかった。だから破裂させてしまった。ゆるしなさい。はい、ゆるします。わたしは、すべてをゆるします。もうひとつ、素晴らしい過去のことを、負の感情とともに思いだすこと、そういう類の考え方をシモーヌ・ヴェイユはこう糾弾する。それは、その輝かしい過去すらも葬り去っていることになる、と。あなたの大学の恩師は「記憶は過去にはない。現在にあるのだ。過去を思いおこすとき、それは現在なのだから」と言っていた。この考え方は故人を懐かしんだり、遠く離れた恋人のことを思うときには、救いになる。だけど今回のあなたのような、誰かとの関係が壊れてしまったケースでは危険かもしれない。なぜなら過去のことを思い起こすのをやめたとき、つまり「現在のことを考えている現在」に戻ってきたときに、過去から呼びだした記憶と、現在との落差にがっかりすることになってしまうから。この落差が堪えがたいのなら、過去は現在に呼び起こすべきではない。ではどうすればいのか。過去の出来事を、過去のものとしてそのまま大事にすること、これしかない。ものごとは現在にしか存在しないという覚悟を決めること。覚悟を決めさない。けっして比べないこと。自分と他人、過去と現在を、けっして比べないこと。そして、あらゆる瞬間のものごとに、永遠の相をみること。

Posted by satoshimurakami