9月21日

15時34分

高松市美術館の展覧会に参加してからまだ三年しか経っていないのだと思うと、これからもまだまだ人には出会えるだろうと思える。連載を書籍化できなかった喪失感は大きいが、これもやがて反転してなにかになるだろう。消化できなかったものが体にくすぶることは、制作する私にとっては必ずしも悪いことではない。ただ問題は、この顔面の住人である。これからやるぞ、と気力がわいているときに、こいつが邪魔をしてくるのがほんとうにうざったい。さっきからずっと鼻水がとまらないのである。

 

18時55分

まさかぶどうの房と、メガネを取り間違えることが起こるなんて想像もしなかった。

風呂上がり、一時間ほど前に爆速で食べ終えた、皿にのったぶどう(ナガノパープル)の房を、そのとなりにおいていたメガネと間違えて手に取り、指先の感触で「ん?」→「これはメガネではない」→「ぶどうの房である」となった。しかし、このふたつが醸し出すオーラは似ているかもしれない!細長い感じとか、なにかが左右に飛び出している感じとか。大きさ感とか。

 

19時20分

世界ぜんたいをまるごとふんわりつつむほどの大きさがありながら、世界の中でたったひとりの人と他の人が対立してしまうようなことが起こるとき、その間に入って緩衝材として機能し、傷をやわらげてくれるような、すべてを包みながらもすべてのあいだの隙間をうめていくような、水のようなスピノザ。この先世界でなにがおこっても、それはすべてスピノザによって説明されていると思ってしまうような強さ。

Posted by satoshimurakami