10月6日

さすらい姉妹『むすんでひらいて』を信濃大町の美麻遊学舎跡地で観た。観たというか、体験した。三つの焚き火と、開演前のそわそわした雰囲気、出演者がせりふを忘れていることに笑ったり、ぜんぜん何を言っているのか聞き取れないのになぜか泣けてきた公演本番、公演後の赤飯のおにぎりと豚汁、たくあん、でかい鍋のきのこ汁の炊き出し、「いっぱいあるから食べてくださいね〜!」と呼びかけるスタッフか客なのか曖昧な人たち、火の前で酔っ払ってアコギで歌う人、踊る人、すべてが渾然一体となり、世界に、こんな場所がまだ残っていたのか…涙…という、なぜか懐かしい気持ちに。
せりふを忘れていること自体が芸になるという現象、これはなんらかのアイデアのヒントになりそうだと思った。

「せりふをぜんぜんおぼえてねえやつはあっちいけ!」
「せりふ覚えられなくても、来年も出してちょうだい!」

公演後の炊き出し、その場にいる誰に対しても、「食べてくださいねー!いっぱいあるから!と声をかけていた。なにか、光りかがやくものが溢れていた。反プロフェッショナル、反資本主義を地でいくという態度が貫かれていた。本当の反資本主義は、資本主義社会のなかではそう簡単に浮び上がらないという、ごく当たり前のことを思いだした。

「もう忘れてしまったというのだろう」

という出演者の合唱が頭の中でまだ響いている。
彼らはあくまで「出演者」であって、ここで「役者」という言葉を使ったらなにか大事なものを取りこぼしてしまう。彼らは各々に仕事をしながらこの公演に出演している人たちであって、役者が本業ではないらしいから。プロの役者は一人もいないらしいから。
「地べた音楽祭」を観たあとでここに来れてよかった。それぞれに違う、このめちゃくちゃな現状に対してのアプローチはあるのだ。遠くにきたなとおもえる場所であり、親戚が集まるような場所でもあった。

Posted by satoshimurakami