10月11日

遠藤一郎さんと再会した。もう十年以上の付き合いになるけれど、いまだに底がしれない。『芸術作品の根源』そのものみたいな人だ。
最近の彼が頻繁に言う「これは夢です」や「夢の方が本当だから」といったたぐいのせりふは、この現実とは別のところに軸をつくり、人々をそちらの方に引っ張ろうとする力である。目の前に広がっているこの世界は夢なのだと思うことは、一見現実逃避的でネガティブなようだけど、彼に言われると力が湧いてくるから不思議だ。まるで凧の糸を引くように、夢(叶えたいものとしての「夢」と、寝ている時に見る「夢」の二つの意味があるように思う)が現実のほうに引っ張ぱられて、二つが重なってしまう。
「これは夢だ」という感触は、確かにある。正確には「夢を見ているような感じ」は、特に最近、わかる気がする。
社会の変化が目まぐるしすぎて普段は認識できていないけれど、ふと冷静になって立ち止まると、まるでシュルレアリスムのような、とんでもなく支離滅裂な世界になっているじゃないかと思うし、僕自身にしても、結構な頻度で移動をして、知らない景色を見たり、新しい人に出会ったり、あるいは人と別れたりするこの日々は、ほんとうに夢を見ているようだ。過去と未来と現在がどろどろに溶けてしまって、ただただ「世界」が広がっているような感じというか。
「これは夢だ」という感触は、決して悪いものではない。創造的なアイデアと、それを実現する勇気を得る「場所」に行くための「世界認識の方法」のようなもの。
遠藤一郎が車にでかでかと描いている「未来へ」という言葉にも「これは夢です」と通じるものがある。というよりも、もう少し先に進めた概念かもしれない。
どんな状況の人間にとっても、「未来」には希望が存在しうる。そう考えると、どこか「死」すら感じさせるので、すこしこわくもあるけれど、息苦しいこの世界をさーっと抜けて、生と死も、時間の概念も全て飛び越えて、視界が開ける場所を目指すようなイメージが湧いてくる。
かつてシュルレアリストたちは現実を解体し、ある意味では夢と同化させようとしていた。そういう意味では遠藤一郎もシュルレアリストであり、僕も自分のシュルレアリスムを実践していきたい。時間も場所の概念も超えた景色を見たい。

Posted by satoshimurakami