5月20日

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ミヤタと林を含む常陸太田の人たちが市内を案内してくれるというので、軽トラに家を積んで、もう1台の車に5人乗って夕方まで市内をぐるぐるした。鯨が丘や西山荘や里美地区やら。

アーティストがまちおこし事業の一環として町に雇われている、という状態について考えて悶々とする。どうやらこの常陸太田のレジデンスは市のまちおこし事業の一環として行われているようだった。最近は本当に国内あちこちで「アート」と「まちおこし」の単語がセットになって語られているのを聞くな。

美術の制作は基本的に個人の内的な衝動からおこる活動でしかあり得ないと思うから「まちおこし」という公共をつくりだす動きと相性が良い気はする。パブリックな動きをつくりだすためには、まず最初に個人の内的な衝動による働きかけが不可欠だと思うから。「一人の閉じた個人の活動」があるからそのまわりに「公共」が展開する、というようなことを前にも書いた。でもつくづく感じるのは役所の、特に「〜市役所〜支所〜課」みたいに、より町に近い人たちが動くときにはまず「上からおりてくる公の予算」が先にあって、それをどう使うかっていう頭になりがちで、予算の割当先が決まるまでが重要で、そこから先はもうよくわからない知らない、みたいなことになりやすいな。そこの順番が美術活動とは全然逆なので、協働したときに変なことになりかねない。

例えば公用車をだすためには「アーティストが子供と交流しているところを撮った写真」とか「まちの人と歓談しているところの写真」が必要になるんだろう。

それは「交流しているところを写真にとるための交流」が行われてしまうという変な事態になりえるし、あちこちでそういう事態になっているんだろうなと思う。そうやって使われるお金たちはさぞ無念だろうな。

Posted by satoshimurakami