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夏だから北の方が涼しいと思って北上しているって話をすると、だいたいどこに行っても

「いや、とはいってもこっちも暑いよ〜」

という反応が返ってくる。そりゃそうだ。その土地で1年暮らしていたら夏は暑く感じる。沖縄の人が冬にマフラーを巻くのと同じだ。むかし冬に沖縄行ったとき僕はかなり薄着で飛行機を降りたんだけど、現地の人達はマフラー巻いてた。面白いな。暑さとか寒さって相対的なものでしかないんだな。

昨日の夜、十和田市で写真屋さんをやってるという人が訪ねてきた。森ランドのお母さんの知り合いらしい。今日はまずその写真屋さんを目指す。ここから8キロくらい。森ランドのお母さんもとっても親切にしてくれた。また来ないとな。途中、家の軒先で洗濯機の蓋を取り外して丁寧に洗ってる女の人を見た。ゴム手袋をつけて洗剤をスプレーで吹き付けてとても丁寧に洗っていた。なんとなく良い光景。

2時間くらい歩いて写真屋さんに着く。で、その隣の家の人が庭に僕の家を置かせてくれることになった。よかったなあ。最近は「敷地早く決まってよかった〜」という感じじゃなくて「敷地早く決まってよかったなあお前」と家に向かっていう感じになっている。自分の力で動けないもうひとつの生物と一緒に行動してるような気持ちになっている。

ラーメン屋でお昼を食べて(十和田はラーメンの激戦区らしく、たくさん店があった)十和田市現代美術館に行ってみた。十和田もやっぱり商店街が錆びついてきてる。シャッター街になりつつあるというか。けっこうやばい。あとで聞いたけどお店をやるにも家賃が高いらしい。それと、まちのあちこちに馬のモチーフがある。彫刻とか道路のタイルとか。馬の産地だったらしい。

美術館は、ロンミュエクのスタンディングウーマンって作品がもう圧倒的だったな。展示を見てたら美術館のコンシェルジュという係の人が僕の家を見てちょっと話を聞きたいというのでちょっと話した。やっぱり話すと自分でも整理されて良い。

「津波で家が流されてる映像をみてショックだった。あれは家というよりも生活が、その家主がそれまで蓄えてきた人間関係とかお金とかキャリアとかそういう事が流されていく映像だった。生活は家の壁にはり付いてると思うんですよ。壁に何か貼ったりぶら下げたり、タンスとか机を壁ぎわに置いたりするでしょ」

っていう言葉が口をついて出てきた。最後に「貴重なお話ありがとうございました」って言われてさみしい。「お話」になっちゃうんだな。まあそういうもんなんだろうけれど。。まだまだこの感じを切実に伝えられてないんだ。

夕方ちょっと写真屋さんとお話する。なんだかんだ創業100年以上たってるお店らしい。小さい頃から店番をしていて、将来この写真屋を継ぐことに対して疑問がわかなかったという。良いな。いま写真業界は本当に大変そうだ。みんなカメラもってるし現像も家でできるし。技術はカメラがやってくれるから、写真のお店をやるためにはセンスだって言ってた。

夜に散歩していて、1人で賑やかだった。他から見たら僕は一人なんだろうけど、もう一人の何かが自分の中に生まれる瞬間がある。自分が自分の話し相手になる瞬間が本当にある。そしたら、なんとなくもう何があっても大丈夫だって思える。それは自分の殻に閉じこもるとかそういう感覚とは違う。自分以外の全ての他人が、もう一人の何かとして自分の中にあらわれる。そしてそれには音楽が欠かせないんだ。そうだ何度も言ってるけど、これは僕自身の問題なんだ。他からどう見えるとかそういう問題じゃない。社会実現とか評価を得るとかそういう事じゃない。この移動生活が普通の事に僕自身が思えたとき、「自分が移動生活をしてるんじゃなくて、他の人が移動生活をしてない人たちなんだ」って思えたとき、すっごく面白い景色が見える気がする。逆転する形勢は、自分の外ではなくて中にある。忘れないようにしないと。

Posted by satoshimurakami