村上の家(福島県二本松市米沢字下川原田)
近くに民家がないので、絵を描く相手を探すのが大変だったけど、そのぶん夕方や朝に犬の散歩をする近所の人が家のドアを開けようとしたり子供が来たりしないのが良い。
ただし一組だけ、犬を連れたおじさんが朝きて、中で僕が寝てるときにドアを開けようとしてきた。
床が芝生。
道の駅なのでトイレは24時間使える。徒歩2分。
テーブルと椅子がある休憩所も24時間あいてるので書斎になる。徒歩2分。
24時間営業のコンビニも道の駅の中にある。徒歩3分。
お風呂場が遠い。松川という駅まで30分くらいかけて歩いて、そこから福島駅まで15分電車に乗り、福島駅に直結してるスーパー銭湯「極楽湯」に入った。家から述べ1時間。入浴料600円。
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今日は丘の上に建ってる家のガレージを敷地に借りた。去年もお世話になったところ。
ハーレーを3台くらい持っている80歳のめちゃ元気なおじさんと、最近麻雀の勉強を始めた奥さんが住んでる。
おじさんの話
「ハタチのころは陸送の仕事をやってた。シャシーだけの車を走らせて運ぶの。運転席とそれが運転席とモーターしかなくて、モーターがリアモーターだから後ろが重くて、走ってると、前がちょっとした石とかで浮いちゃうんだよ。それでみんな俵を三つくらい前にくくりつけて走らせてた。帰りは汽車でかえってきた。
俺は25か26で結婚した。陸送の仕事は全国まわって、1週間も10日も帰ってこねえから。九州なんか行くと、10日くらいかかるからね。帰りは汽車で帰ってくるけど。
青森だって4日くらいかかったんだよなあ。
それで嫁さんに逃げられちゃ叶わねえと思って、商売変えなきゃいけないと思って。
陸送やめて、26のころは京浜急行のバスの運転手やってた。
京急っつうのはバスを10年なら10年やると、駅の方の試験うけられるのね。そうすると駅の助役になって、それから駅長になれるのね。試験で。ああ、じゃあこれ最後には駅長にでもなれるのかなあと思って(笑)
路線バスは蒲田から羽田までの路線バスやってたんだけど。あと東京駅の八重洲口から神奈川県の城ヶ島ね。これをやってた。川崎駅前から八重洲口とかね。
で、運転手やってるうちに、俺は全国を陸送やってたもんだから、道はよく知ってるっていうことで1年かそこらで観光課の方にまわされたんだよ。観光は東京の羽田にあった。
昔は長距離の観光バスなんてなかったからなあ。せいぜい長野とか福島とか。せいぜい一泊どまりで。秋田へ行くやつなんてなかったなあ。」
「年寄りはみんな退職したら田舎暮らしするんじゃないか。都会は遊びに行くにはいいんだ。さあ、田舎へ帰ろうっつって。やりたいことやって言いたいこと言って。さあ、帰ろうって。みんな「いいなあ」って言って。特にバイクなんか運転するとなると、どこでもさ、田舎の温泉はいけるし。好きなように。
それがいいよねえ。一生暮らすんなら、それがいいよなあ。のんびり温泉でも行って。あちこち見て。」
「あそこの庭に、除染した土が埋まってるの。埋めた業者は取りに来るって言って全然来ないんだ。土を集めるとこは決まったみたいなんだよ。富岡ってとこ。そこへ集めようって決まったみたいなんだけど全然来ねえ。嘘ばっかり言ってんだ。
福島も変な県になっちゃったなあ。原発のなあ。」
2015/6/27 いわきから郡山への道
志賀家のお父さんが家をトラックに積んで郡山まで運んでくれた。
福島県は浜通りと中通りと会津若松の三つの地域にわけられる、いわき市や原発がある浜通りから郡山市や福島市がある中通りへの道は、だいたいどこも似たような山道になってる。
遠野町。こんな山道にも生活がある。とんでもないとこに家が建ってて、おじさんが畑仕事をやってたり、女の人が犬の散歩をしてたりする。
石川町。真ん中あたりにぽつんと立ってる大きな木は桜。そばの家にはカラスを飼っているおじさんが住んでる。おじさんはそのカラスが自慢で、桜を見に行くとカラスの話をしてくれるらしい。
玉川村。突然視界が開ける。ここには空港がある。昔は韓国からの客がたくさんいた。
バブルの頃に、韓国のパチンコ資本系の人達が一斉につくったゴルフ場に来るために韓国から観光客がたくさんきてた。この辺は雪が降らないので冬でもできる。でも震災後はぱったりと来なくなった。写ってる電車は水戸と郡山をつなぐ水郡線。
2015/6/26
次男の海くんに運転してもらって、最近開通した国道6号線で原発の近くまで行ってきた。バイク屋や歩行者はだめだけど、車で通り抜けることはできるようになった。
このへんの自治会で買ったけど最近はみんな慣れてあまり使わなくなったという線量計を持って出かけた。
いわき市錦町のこの家のキッチンで0.057マイクロシーベルト/h。
去年は富岡町までは行った。家はたくさんたってるけど人の気配がなくて、緑が茂りすぎていた。鳥がたくさんないていた。
今回は富岡町からもうすこし先まで行ってみた。もともと田んぼだったであろうところが広大な草原になってる。
大熊町のあたり。途中で止まったり国道以外の道に入ったりはできないようになってる。このあたりまでくると、国道沿いの全ての家がフェンスで閉じられている。
「ようこそ大熊町へ」「花と緑のあふれる合宿の里とみおか」「TOYOPET マークX」というありとあらゆる看板が、見てるだけでキツい。相変わらず緑がものすごく茂っている。「イノシシ衝突注意」と書かれた看板がたくさん立ってる。道路はたくさんの車が走ってる。ダンプカーや、大きなバス(たぶん作業員を運んでる)が多い。
ドラッグストアに寄ろうと思って駐車場に入ったら、そこはドラッグストアではなくて除染工事の集合場所になってたり、レンタルビデオ屋だと思ったら業者の事務所だったりする。あちこちでマスクをした作業員が草を刈ったりしている。
大熊町を通ってる時、締め切った車内で3.057マイクロシーベルト/h。このあと最大で7.9マイクロシーベルト/hまで上がった。
富岡町にある規制線の外で車を降りてちょっと散歩してみた。「ホットスポット注意」と書かれたコーンがアパートのベランダ下の茂みに置いてある。地面を観察してみると、アリがいる。なにか大きな食べ物を巣に運んでいる。川には透明な水が流れている。
景色の全てが、見てるだけでしんどい。気持ち悪くなってしまって、あまり長居はできない。
帰りの車内で、海君の中学や高校の同級生の話を聞いたりした。中学の同級生は工場等で働いてる。高校の同級生の多くは東京に働きにいったけど、いずれはみんなここに帰ってくるつもりらしい。いわきの高校生は可愛い子が多くて、海君の高校もかわいい子が多いけど、1学年ごとにアタリとハズレがきて、海君の学年はハズレだった。らしい。
家に帰ってきて、彼の部屋に入れてもらった。彼はシナリオライターになる勉強をしてる。
「公募ガイド」という雑誌が置いてあった。課題で書いたシナリオを3つくらい見せてもらった。笑えるホラー。面白かった。
あと最近買ったばっかりの『Red Dead Redemption』という洋ゲーもやらせてもらった。アメリカで作られたゲームで、アメリカの西部開拓時代が舞台。主人公は結婚していて子供もいるガンマン。狼に自分の馬が食い殺されたり、悪いことをしたら自分に懸賞金がかけられたりする。
志賀家は2011年の地震で横幅が5センチ伸びたらしい。その影響で家中の建具がすこしずつ開閉しにくくなった。
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いわき市で造園業を営んでいる志賀さんの家の客間にいる。今日の敷地はこの家の庭を借りた。造園家の家なので色んな木が生えてる。広くて綺麗な家で、トラという白くて声が低い猫がいる。元々野良猫だった。
ここには去年もお世話になった。年が僕と近い息子が二人いて、一人は東京でアニメーションの仕事をしてる。とんでもなく安い給料で働いてる。個人の建築事務所と同じか、それ以上に酷い。アニメーターにお金が降りないってのはよく聞くけど、本当だった。
ここに来るまでに、勿来の民宿から1時間くらい歩いた。僕が到着したらここのお母さんが「ここ自由につかっていいよ。用意しといたから」と言ってくれた。
「なんでこんなしんどいのを続けようと思ったの?」
と聞かれた。続けようという意志を働かせたわけじゃない。よくわからない。しんどさはある。うまく説明できない。
いま僕はこの生活のマニュアルを作ってる。この家のつくりかたと、日々の過ごし方、細かいディティールを他の人向けに説明しようとしている。このマニュアルは当然、とても長いものにならないといけない。この生活にはたくさんの登場人物が居るし、たくさんの町がでてくる。この生活は、マニュアルが完成したら一区切りできたと言えるかもしれない。その時に初めて「建築すること」について少しは何かを話せるようになるかもしれない。
2015/6/24 いわき市勿来関文学歴史館
勿来は「来る勿かれ(くるなかれ)」という意味で、かつて有名な関所があったところ。その勿来の関跡の近くに、文学歴史館というヤバい施設があった。
勿来の歌を詠んだ歌人の資料を収集展示している施設らしい。
常設展示の一つ目の部屋「歌枕なこそ」。
木をつなぎ合わせた攻撃的な天井があって、句碑をイメージしたかのような白い柱のようなものがたくさん立っている。中央に謎の球体がある。
部屋の中では結構な音量で、女性や男性の声で歌が詠まれたり、 海の音や嵐の音がサラウンドで流れている。かなり怖い。
写真で見えている左側の4つのモニターでは全て同じ映像が流れている。右側にも4つモニターがあり、やはり同じ映像が流れている。海や夕日の映像をバックにして、勿来にちなんだ歌がテロップで流れる。
球体の中には昔の勿来の関の模型らしきものがあるけど、木のせいでよく見えない。
一つ目の部屋から二つ目の部屋へ向かう通路。新聞の見出しみたいなものが印刷されたデカい板がある。精神が分裂する。
これが二つ目の部屋「不思議タウンなこそ」。天井にお札がめっちゃ貼ってあると思ったら寄付金の目録だった。
「のぞくべからず」とわざとらしく書かれた井戸がある。覗いてみると女の人の声がする。「覗くならもっとちゃんと覗きなさい」と言われる。その通りに深く覗くと、いきなりライトがついて顔の写真を撮られる。
井戸で撮られた写真は、別のところにある。「手配書」みたいな板で使われている。
「鼠小僧次郎吉 窃盗百二十二回 金高三千両余により獄門の刑に処す」
と書かれている。
これは「厠(かわや)」。人のシルエットらしきものが浮かび上がっている。
「覗くんじゃないよ。覗くなら隣にしな」
という女の人の声がする。隣を覗いてみるとセンサーが反応して、厠の底にあるモニターがついて、ウンコに目がついてるかわいらしいキャラクターが登場して
「かわやエコロジー」
という短い番組が始まる。アニメーションの雰囲気がものすごくポップで、他の展示物と様子が全然ちがう。
「江戸時代は、うんこもお金に替えられていた」というような話を教えてくれる。番組はなかなか面白かった。
他にも妙にインタラクティブな仕掛けがたくさんあって楽しい。入場料は320円。
2015/6/24
今日の敷地は勿来町にある海の目の前の民宿の庭を借りた。
昨日のおばあちゃんの友達が経営していて、去年もここに泊まらせてもらったことがある。「あ、そうなのー」という相槌が特徴的なおばちゃん。
昭和45年からやっている民宿で、20年くらい前は夏のピーク時に1日で60人くらいの宿泊客を受け入れていた。高校生のバイトを住み込みで3人くらい雇って乗り切った。ここの他に2つ宿舎があったらしい。
海の家も海水浴場を埋め尽くすくらいにザーッと並んでたけど、今は2,3件になってしまった。50件くらいあった民宿も今は7,8件になった。後継者がいないのが主な原因らしい。民宿やってるなら嫁にはいけないと言われて、民宿をたたんだ人もいた。
「孫が中学2年生。サッカーやってっから、忙しいのね。だからお母さんは継ぐ気はねえと思うよ。他もどこもないの。あと継ぐ人。やっぱし親やってること見てて、嫌だと思うんだろうね。朝早くて夜は遅い。仕事っつーとね、原発作業の人ら泊まりに来た時は朝4時に起きるでしょ。そうすっと、5時半に食事なの。こっから原発まで行くのに結構時間かかっから。原発仕事の人もここ泊りに来るの。もうあっちは一杯で。5時45分には出かけるから。帰ってくんのはね、やっぱし6時っくらいになっちゃうね。それが、5月に帰った人らが6月にまた来ますっていうから、来んのかなって思ってたら、10月になっちゃったの。1回来たら2ヶ月くらい泊まってく。」
震災前は夏になると小さい子供を連れて家族で何泊かする客はいたけど、震災後は海に泳ぎに来る人がほとんどいなくなった。夏に数組くるぐらい。客層は仕事の人ばっかりになった。震災で来る人たちの種類がかわった。
2015/6/23
今日の敷地は福島県いわき市勿来町にある「健康センター関の湯」の駐車場の端を借りた。ここでは寝ずに、去年この町で知り合ったおばあちゃん(ポカリ飲みな、と電話をくれた人)のマンションに泊まらせてもらった。
僕の他におばあちゃんの風呂友達(銭湯で知り合ったらしい)のおばちゃんもマンションに一緒に泊まった。二人とも80歳近い歳だけど元気で、短歌を詠んだりなどしている。
おばあちゃんは旦那さんを亡くしている。僕に「タバコはやめたほうがいい」と言った。
旦那さんは愛煙家で、それで血管がつまって倒れちゃった。特に習ったこともないけど、無我夢中で心臓マッサージをしたら息を吹き返した。救急車を呼んだけど、旦那さんは「おれはだいじょうぶだ」と言って乗りたがらなかった。
なんとか救急車に乗せて病院に行ったら、医者に
「一人で倒れてたらもう駄目だったなあ」
と言われた。それ以後、血管の詰まりをなおすために5回くらいカテーテルを入れた。そして6回目のカテーテルの時、たまたま専門の先生がいなかった。代わりにインターンシップの若い先生がやってくれたけど、それが失敗した。血がたくさんでたけど、意識は普通にあった。そのあとたくさんの機械を体につけられて、ベッドで安静にしてる旦那さんから
「孫の手を持ってきてくれ」
と言われた。おばあちゃんは孫の手を取りに家に帰った。車のガソリンも少なくなったのでガソリンを入れた。それで時間がかかってしまった。
「あの時、孫の手を何に使うのか聞いとけばなあ。取りに帰ることなんてなかったのに」
と今でも少し後悔してる。病院に戻ったときには、旦那さんの病室に心臓の電気ショックの機械が運び込まれているところだった。
おばあちゃんは小学校と中学校の同期会に定期的に行っている。
「それがねえ。一人一人と減ってくんだわ。酔っ払って男の人が
『十年後もやるか』って言ってね、『ばか十年後誰が生きてんだよ。おめえひとりでやれ』って言われてね。『そうかあ。もういい歳だなあ』って言ってね」
寝室は一つしかないので、おばあちゃんと風呂友達のおばちゃんと僕の3人で3組の布団を川の字に並べて寝た。こんな事は体験したことがない。新しすぎる。