今日は、つくば市に住んでいる元映画看板職人の家の車庫を敷地に借りた。
車庫にも「タイタニック」や「無法松の一生」なんかの看板が置いてあったけど、家の中にも色々な看板や俳優のポートレイトが飾ってあった。最近の映画のものもある。静物画のような絵もある。

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「これは水性塗料です。水彩絵の具とも違う。看板の塗料ってのは一番安いんですよ。こういうものってのは、今はもうやってる職人はいないですよ。紙はザラ紙。新聞紙とおんなじ紙ですよ。真っ白に印刷してない新聞紙。それをベニヤに貼り付けて、結局は後から後から上に貼り付けていくから。糊と紙がベニヤみたいに厚くなっちゃう感じ。だからね、もう今はもうとてもじゃないけど覚えるまで辛抱できる人はいないし、その必要もないし、今の時代はね。何もかもコンピューターでパパッとやっちゃうから修行もなにもないですよ。
まあでもね、展示会なんかやるとみんな珍しいなって言ってくれるんですけど。今は映画のサークルやってて、昔の名画鑑賞会なんかやるんですよ。そういうときはそのためにポスター描いたりするんです。一日しかやんないですけど。
昔だったら1枚描くのに1日でやっちゃったけど。僕ら芸術家とか絵描きじゃないですから。職人ですから。パパっとやっちゃう。モタモタしてると映画終わっちゃうから。映画は2週間しかやらないですから。
そのかわりインパクトのあるような要領っていうか、遠くから見てもこれは高倉健だ美空ひばりだジョンウェインだってわかるように。早いっていうか要領がいい。芸術家じゃないから。
今は水彩画のクラブで、みんなと一緒に公民館の講座なんかでやってます。絵は好きですから。基本的に絵には変わりないんですけど、絵では食べていけないっていうのがあるから。昔は食べられたんですよ。映画の看板で。だけど今は映画館がないんだから。まあシネコンはありますけど。みんなポスター大きくしたものを印刷してて。だから描こうとしても映画館はないしお金にならないから。
看板屋は50年前までやってました。辞めてからは文字とか、デザイン関係のものに関わってやってきたんですけどね。だから文字も表彰状の文字からゴシック明朝全部やって。他に何もできないからそれで食べてきました。

賞状を書く仕事もやってました。ホームセンターで表彰状をつくる仕事。賞状の文字ってのは独特なんですよ。書道をやってる人の文字じゃダメなんですよ。書体は書道の文字とは別なんですよ。ホームセンターではペットコーナーの看板で犬とか猫とかグッピーを描いたりも。今はパソコンでやってるみたいです。

僕は月謝払って勉強したものはないです。絵も字も全部独学です。真っ白いチラシの裏が真っ黒くなるほど夜中までやった。ものすごい夢中になって、食べるために勉強したから。人に見せたり公募展の会員になるために勉強したわけじゃない。
僕はこれで食べてきた。一応扶養家族も養ってきた。ちょっと文字が人より上手だなくらいじゃダメなんです。お客さんに気に入られないと家族まで飢え死にしちゃう。看板の絵もそうです。夢中になってやった。生活かかってるってのはやっぱり凄い。とことんやった。今はもうやってないですけど。

映画の看板は15歳から30歳までやった。好きだから高校行かないでやった。映画の看板はマニュアルもねいし芸大みたいなカリキュラムもないから。自己流で始まって、東京へいって東京で描いてる先輩と一緒に働きながらね。30で辞めたころは映画はテレビに押されてた。映画のピークってのは昭和35年です。そのころにテレビがバーっと普及した。それから映画は映画館じゃなくてテレビでみるというふうになって衰退してきたんで、このまま映画にかじりついててもだめだと思って。一緒に看板描いてた人はイラストレーターになったり、そういう人はいますけど、映写技師では自殺した人もいる。当時としては花形の仕事だったんだけど。映画がなくなっちゃったから。映画館の支配人なんかやってたのに。今は映画館のオーナー館っていうのはほとんどないですからね。シネコンはあるけど。
僕らは文字やなんかやってたから、あの当時東京の晴海の展示場でいろんな展示会やってたんですよ。今の幕張メッセのところ。あそこへ行っていろんな看板描いたり文字書いたりして。
だから文字と絵だけで生きてきた。一応男だからね、扶養義務というか責任感があるじゃないですか。好きな女性とかわいい子供を飢えさせたり路頭に迷わせたりっていうことはできないですもんね。だから僕は自分でも、夜も寝ないで勉強もしたし。
ゴシック明朝は早かったんですけど、表彰状の文字はね、ものすごい練習して。筆も筆屋に行って一番いい筆を買ってきてね。やっぱり弘法筆を選ばずっていうけど、僕は筆は選ぶ。いい筆といい腕といい紙、全部揃わないと良い仕事はできないから。

人にはね、芸大の教授とかにみてもらうんでない、一般の人が良いと思う絵をかきなさいって言うんですよ。誰が見てもパッと見て綺麗だなっていうものを描いたほうがいいと言ってる。そしてね、絵なんか目くじら立てて勉強しない方がいいよ、って。奥が深いからね。」

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隣にミノムシがいた

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カバキコマチグモかな

車に轢かれた蛇の死体を三回もみた。

今日の敷地は茨城県つくばみらい市にある建設会社の社員寮の正面玄関の前を借りた。去年社長夫婦にこのあたりの路上でたまたま知り合い、そのままつくば市玉取にある家に泊めてもらったことがある。その家は普段はあまり寝泊まりするのには使ってないらしいけど猫が3匹いて、その猫にご飯をあげるために通ったり、たまに泊まったりしているらしい。ほぼ猫の家になってる。

この社員寮はとても大きいのだけど、いま住んでる人は少ない。

昔はたくさんの人が住んでいて寮母さんのような人がいて泊まっている人のためにご飯を作ったりするくらいだったけど、みんな自分の家を建てたりして寮をでていった。でも建物は災害時の拠点として機能したり、研修の会場に使っていたり、バーベキューやったりなど色々活躍しているとのこと。

「建設業は年度末に工事が集中するから、寒い時期にピークがくるの。遠くから職人さんを呼んで現場に入ってもらうから、そういう時に寮があるだけで職人さんが『じゃあ行けるよ』って言ってくれるの。旅館手配したりなんなりっていうのは大変だからね」

今度長野の善光寺に社員旅行に行くらしい。
「善光寺に行ったら蕎麦食べなくっちゃねえ」
と言ってた。

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エビハウスでの会話
(*_*)「細胞って半年で全部入れかわるんでしょ。あれ。三ヶ月だっけ」
(°_°)「全然違うけど」
(・ω・)「なんで私の傷はずっと残ってるの」
(°_°)「マッサージとかすればいいのかも」
(・ω・)「あ、マッサージ。ガン細胞も育つらしい」
(u_u)「え。そうなの」
(・ω・)「おばあちゃんにマッサージしてたら、医者にあんまり良くないって言われた。『え、でも気持ち良さそうな顔してますけど』って」
(*_*)「短期的な快楽を取るか。死をとるか」
(°_°)「それでおばあちゃん死んじゃったらやだね。私がおばあちゃんを、、みたいな」
(・ω・)入れ替わった細胞を外に寄せてったら、自分がもう一人できる」
(°_°)「たしかに」

今日は流山から取手まで歩いて、茨城県取手市にある芸大生の友達が住んでいるシェアハウスの敷地を借りた。
ここは東京芸大の取手キャンパスに通う学生4人のシェアハウスで、3年前にここを借りて、それからずっとメンバーも変わらず一緒に暮らしている。「エビハウス」と名付けられている。
住人はそれぞれ、明後日学校に提出しなければいけない卒業制作のプロポーザルを書いていたり、韓国料理屋のバイトを辞めて新しくはじめたマンションの植栽を整えるバイトに行ったりしている。花壇に生えた雑草を抜いたりするらしい。

エビハウスにはサンルームもある。
「晴れた日には、『乾燥機かよ』っていうくらい早く乾きます」
と言ってた。

「ちょっと手伝って欲しいことがあるんですけど」
と言われて、半年分くらいたまった瓶を住人二人と一緒に捨てに行った。買い物カゴに溢れるくらいの量を手分けして持って出た。
エビハウスの前には狭くて急な石の階段があって、おまけに暗い。二人の住人はいつものことのように懐中電灯を持っている。僕はその明かりを頼りに歩いた。
ゴミ捨て場に着いてみると三つの箱があった。箱には他の瓶はあまり入ってない。大量の瓶を、透明と黒と緑それぞれの色に分けて捨てた。一本だけ青い瓶があった。
「これは緑だ」
と言ってそれは緑の箱に捨てた。
二人の住人は、溜まっていた瓶がなくなって嬉しそうにしていた。

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取手駅近くのガスト。向かいの席に若い男の子が一人座っている。なんとなく緊張しているのが伝わってくる。テキパキと店内を動きまわっていた男性の店員が彼に近づいて紙を2枚渡す。たぶん家から職場までの交通手段や、週何日出勤できるかとかを書く面接票。1枚は見本らしい。
男の子は男性の店員(たぶん店のマネージャー)が去った後、その面接票らしき紙と向かい合っている。時々筆を迷わせている。店内ではマネージャーを含めた全ての店員がせわしなく動いている。

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敷地は去年もお世話になった真言宗豊山派の寺院「光明院」の境内を借りた。尋ねた時住職さんはいなかったけど、奥さんが僕のことを覚えてくれていて
「もうすぐ子供達と一緒に帰ってくると思いますよ。どうぞどうぞ」
と境内に迎え入れてくれた。去年と同じ位置に家を置かせてもらった。

このお寺は200年ほど前に建立された寺院で、現住職は25代目の椎橋友都さん。婿としてこのお寺に入って、3年ほど前に亡くなった先代の跡を継いで住職になった。3人の子供と奥さんと義理の母親と暮らしている。次男は三ヶ月ほど前の朝から、お父さんと一緒にお経の真似をするのが好き。

近くに「一茶双樹記念館」という建物がある。小林一茶のパトロン的存在だった双樹という人(大金持ちだったらしい)がいたのもあって、一茶がよくこのあたりに来ていたという。月曜日は休館日で記念館には入れなかった。

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JR馬橋駅東口前。看板が光っている。FAMILY MART、くつろぎの里 庄や、居酒屋 はなの舞、備長 しちりん。電車から降りてくる人たちの波がくる。駅前の小さなロータリーには乗用車が数台停まっていて、誰かを待っている。目当ての人を迎えたらどこかに走っていく。

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中川沿い。埼玉県の三郷中央駅の近くに気持ちの良い緑地がある。静かな住宅地のなか。
川に橋がかかっている。橋の下にルアーで釣りをしている男の人がいる。全然釣れてなさそうな様子。魚を釣るというより、練習のために竿を降っている様にもみえる。
橋の上をピザの宅配バイクが通る。ママチャリに乗った6人くらいの家族連れが橋の上で停まって下を覗き込む。お母さんらしき人が子供に
「いる?」
と聞いた。子供は
「いるよ!」
と答えた。そしてみんな通り過ぎていく。
川をずっと見ていると、ときどき鯉が水面近くまで浮かんでくる。すこし強い西日がさしている。
向こうに高速道路がみえる。車の音が聞こえるけどうるさくは感じない。

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京都にいる。室町通りという道にある1つの町家を縁あって訪ねた。向かいにはマンションが建っていて、両隣も新しい建物が建っている。この建物 だけ取り残されているという感じ。
昔は呉服屋さんが並んでいた。今は呉服屋さんはほとんどなくなってしまっている。向かいのマンションも昔は一軒の呉服屋だったとい う。この家も広いけれど、この通りはどの家もマンションがひとつ建っちゃうくらい広かったらしい。いまではこの町内だけでマンションが5つ建 っている。この家にも三日ごとくらいに、建設屋さんがチャイムを押してくるらしい。
裏には大きなホテルが建っていて、庭からそのホテルと、ホテルの立体駐車場になっている背の高い塔も見える。
「昔の人は、縁側に映り込んだ緑とか空の青を見てたんですね。すごいなあと思って。いまはホテルで空の青があんまり映り込まないですけど。」
「この家も古いから下水道が土管で、最近それが壊れちゃって、割れたというか、水が漏れるようになっちゃって。それで全部変えたんですよ。あと 屋根も、瓦の下に土が敷いてあるもので、このあいだその土が落ちてきて。ぜんぶ葺き替えたらいくらかかるものか。」
ここの主人はこれからもこの家を使って行きたいと思っている。
京都はジャンル問わず多くの店が"町家風"を観光客向けに売り出している。それは外向きに作られたもので、宮崎に行ったらわざとらしくヤシの木が街路樹になっているのと近い。そして昔からずっと今まで使われ続けてきて、人が住ん でいる本当の町家には「マンションにしませんか」っていう声がかかる。

「この家にも人格があるような気がする」
この言葉は繰り返し言っていた。

最後にこんな話を聞いた。
「大工さんが、庭の灯籠のところに犬がいるって言うんですよ。犬が見えるって。これはこの家の守り神だから大事にせないかん、って言ってて。難 しいこといいはるなあと思ったんですけど。」
確かに灯籠のそばの岩の一部分が犬に見える。犬が岩に隠れているように見える。

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人の話をもっとちゃんと聞こうね

7日の夜。吉原の実行委員4人と、柴田剛さんと友達のリッシーさんとのサイコーな飲み会の席で橋本匠が、人にはそれぞれの形があって、その形と形がはまった時にグッドバイブスが生まれる。「自分でやったことを自分で展示する」ということは、そのことを考えていないんじゃないか。というようなことを言ってた。僕は個展と吉原芸術大サービスとももも展と立て続けに展示をやってみて、自分は素材なんじゃないかと思うことがあった。人に編集される方が自然だと思うことがあった。

もう残り1日になってしまいましたが東京都台東区で行われている「吉原芸術大サービス」に参加しています。
「移住を生活するからだ」というタイトルで展示しています。コーヒーをだしたりもしています。よろしくお願いします。

2015年第3回「吉原芸術大サービス G.W.〜ゲイジュツ・ワッショイ〜」
会期:2015年5月4日(祝月)~6日(祝水) 3日間
会場:東京都台東区千束3・4丁目周辺

http://yoshiwaraart.iiyudana.net

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吉原芸術大サービスの岸井大輔さんの「吉原の起源」という作品。地味に見えるけど、実はすごく狂ったことをやっていて、それでいてど真ん中ストレートなことをやっている。吉原神社のなかで「吉原御免状」という本をひたすら回し読みして奉納するというもの。観客はみんな奉納する側になって、神様が客になる。蛇の死体問題に通じる。蛇の死体を見つけた時に、「大いなるもの」に報告しないといけない気がするという問題。大いなるものを積極的に設定しないとまずいという気持ち。

北川貴好さんに誘われて参加した「みっけるフェス2012in台東区」で発表した「雷門」という映像作品をアップロードしました。個展と一緒に観ると面白いと思います。

雷門 from satoshi on Vimeo.

展示物としてのからだがそこにあって、そのからだから話をきく場所。そのからだに自分の話をするという場所。

大事なことに気がついたので、個展のタイトルを変えます!

とにかくそわそわしていた。そわそわで気が狂いそうになった。そわそわの原因を考えていくと、自分の生活そのものに対する目を新鮮に持ち続けないといけないという必要性に迫られた。そのために生活そのものを制作しようと思った。なぜなら原発事故によって、僕たちがつくりだした放射能というものがどういうものなのかがすこし分かったから。彼らは10万年を生きる。僕たちはせいぜい100年程度しか生きられないし、とても飽きっぽくて、現状に慣れるようにできていて、昔の事をすぐに忘れてしまう。そんな僕たちよりも遥かに長い時間を生きる敵をつくりだしてしまっている。そして制御できなかった。原発事故によって、放射能という生き物との永遠に近い戦いが、すでに始まっていたということに気づかされた。彼らにどう対抗しうるか。このような事態にあっても可能なことは何かを考えたとき、自分の生活を制作するという態度しかなかった。
それによって、自分の日々のあらゆる振る舞いは「これは作られた生活である」という、上空からの視点を獲得する。だらしなくのびていくアメーバのような僕たちの生活に輪郭ができる。

「歴史の動脈」を通ってない表現たちは低音が鳴ってない音楽みたい。ヘッドホンからの音漏れみたい。そんなへぼいシャカシャカ音で、皆が楽しそうに踊ってるように見える。非常に不気味。低音が鳴ってないと僕は踊れない。

京成線に乗ったら、行商のおばちゃんが一般の客と混ざって何人か乗っていた。行商のおばちゃんは、専用車に乗るイメージがあるので、不思議に思って調べたら、京成電鉄の行商専用車は去年廃止されていた。利用者が減ったかららしい。
関東大震災による物資不足や不況よる家計圧迫など、それぞれに色々理由はあったんだろうけど、千葉でとれた新鮮な野菜を、その収穫者が直接都心に売りに行くっていう戦前からの素敵なムーブメントだった。
野菜などが入ったたくさんの荷物を車輪のついた道具等を一切使わずに、全てその身に抱えて徒歩で移動し、一般の電車に乗る。生産と流通と販売をすべて一人でやっているたくましい人たち。農家のおばちゃんが自分の野菜をトラックに積んで、都心のスーパーに搬入して、そのスーパーのレジもやるようなもの。かなりロックンロールだと思う。

展示用に過去の写真を整理しながら日記をちらちら読み返していた。どうも内省的なことを書かないとダメだと強く思い込んでいたのがわかる。今度はもっと、行った先々で聞いた会話を採集するような気持ちでまわってみたい。それを素直な風景の描写と一緒に記録していきたい。どんどんたいらになっていくこの世界の中でも、まだまだ情報や知恵は、各地の村や町に、まだらになってある。あるいは津波でなんもなくなってしまった町もあって、各々の土地に住む人が知恵や工夫を絞りながら、複雑な人間関係のなかで生活している。それをもっと聞いていきたい。市井の知性を聞き取りながら、自らも生活を営んでいきたい。常一と折口を飼う。

昨日の夜、京都から東京の実家へ家を動かした。軽トラックを借りて、奈保子がずっと運転してくれた。

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今日からとうぶんは、展示の準備や、本の出版のために手や足を動かしたりという日々にする。出版社が全然みつからない。なんだか焦っている。はやく形にしたい。

 
京都での滞在がきっかけになって、すこし意識が変わった。僕は宮本常一をもっと具体的に自分の中に召還する必要がある。PARASOPHIA的なモノを自分の中に飼い、それをもっと押し進める。この世界にバラバラに点在している市井の知性や、交わらない問題意識をなに1つとりこぼさないように統一して、なに1つ取りこぼさないように自分の身体に内面化して、語ること。人からの話を、自分の経験として語る。そのためには民族学的な視点の持ち方が重要になると思う。原広司のような態度も。より具体的な問題意識をもち、なるべく「例え」で語ること。それらを実践するためには外への目が必要になるけど、それは「内への目の反転」としてのものでないといけない。内への目を反転して外への目にする。内省を反転して社会へのアクションにする。

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