09181020
ニーチェ
ツァラトゥストラ(下)
賤民の出のものは、その回顧も祖父までしかさかのぼらないということだ、-祖父まで戻れば時間が終わってしまうわけだ。こうして一切の過去はいいなりにされる。つまり賤民 がいつかそうした支配者となるかもしれない。そしてすべての時間を浅い水たまりのなかに溺らせてしまうかもしれないのだ。 だから、おお、わが兄弟達よ。新しい貴族が必要なのだ。すべての賤民とすべての暴力的な支配者に対抗し、新しい石の板に、新しく「高貴」ということばを書く貴族が。
おお、わが兄弟たちよ、あなたがた貴族は、うしろをふりかえってはならない。前方を見るべきだ!あなたがたは、あらゆる父と祖父の国を追われたものであらねばならない! あなたがたは、あなたがたの子供たちの国を愛さなければならない。この愛をこそ、あなたがたの新しい貴族の資格とするがいい、-それは海のかなたにある未発見の国への愛で ある!
すべての過去を、こうして救済しなければならない!この新しい板を、わたしはあなたがたの頭上にかかげる!
09180941
GEZANがとても良い。「世界が何もわからなくても歌ってもいい」と歌ってる人がいて嬉しい。音楽つくってる人もこの問題にぶつかるんだ。
一昨日の夜、松本にあるgive me little moreっていうバーでマスターの新見君といろいろ話した。信州大学に金井ゼミという美術系のゼミがあるらしく、今回の「まつしろ現代 美術フェスティバル」の運営まわりの人たちはみんなその人からの影響で美術に携わるようになったらしい。フェスティバル代表の石田君も新見君もなおこもみんな金井先生に会 うまでは美術なんて興味なかったという。
「逆にいつ美術を知ったのか」
って聞かれて、いろいろ話しているうちに去年のバイト時代に自分がいかに追い込まれて八方塞がり状態だったかを久々に思い出した。この世界を脱出する方法としての死がある と思っていた。誰のことも責められないまま、世界中のみんなで破滅に向かっていく感じがしてた。当時の日記は今読んでも切迫感が伝わってくる。そんでニーチェに会って、彼 だけが見方のように見えた。自分を笑う目を持つことを忘れないこと。僕が家を持って歩いてるところを見た人がたまにする「家が歩いてるww」みたいな写真付きのツイートを 見ながら毎日必死で絵を描いたり考えたり日記を書いたりするようなこと。
富士山の話も久々にした。富士山を見に行こうと御殿場に行ったんだけど、いつまで歩いても富士山が見当たらない。諦めて帰ろうとしてiPhoneの地図を開いて、何気なく現在 地の標高を調べたら600mだった。既にそこが富士山の上だったんだ。僕は富士山は遠くにあると思って探してたんだけど、もう富士山の上にいた。これは衝撃だった。考えてみ れば山って、とりあえず呼びやすくするために便宜的に分けて名前をつけてるだけで、この日本の本州全部が富士山の上にあるっていう言い方だってできる。震災の後、被災地に 行って何かやろうと思って色々やったけど、どうもうまくいかなかった理由がここでわかった。被災地はどっか遠くにある場所なんじゃなくて自分の足下にあった。東京だって香 川だって被災地だし、僕自身が被災者だった。だから「自分がいる場所から離れて、自分じゃない誰かのためにやる」みたいな行動原理じゃ何も生まれない、自分の身近な問題に 引きつけて行動しないとうまくいかないのは当たり前だった。
あと昨日の朝、加賀井温泉に行ってきた。石けんやシャンプーが使えない、本当にお湯につかるためだけにある温泉で、露天風呂が混浴になってる。この露天風呂に2種類あっ て、ぬるいお湯と熱いお湯がある。それぞれ違う井戸からくみ上げているらしく
「ぬるい方のお湯が、すごく良いんだよ」
って、その風呂で一緒だった90歳のおじいちゃんが教えてくれた。温泉は茶色く濁っていて、舐めるとしょっぱくて錆びた鉄の味がする。「車いすで行った人がスキップして帰 って来る」と言われるくらい効果のある温泉らしい。僕は90歳のおじいちゃんから
「昔、毎日ここでよく話してた88歳のおばあちゃんがいてな、ある日ひざの手術を受けてから歩くのが億劫になったみたいでな、あまり来なくなったんだ。俺は1週間に1回で いいから温泉入りに来いって言ってたんだけどな。来なくなって7日目で脳梗塞で倒れちまって、自分で何もできない体になっちまった。いま入院してる。」
なんていう話を聞きながら1時間くらい浸かっていた。彼は
「ここに週に一遍でも入りに来てれば、脳梗塞なんてならなかったんだけどなあ。そう思うんだけどなあ。」
と繰り返し言っていた。
09161058
僕は自分でWi-Fi等を持ってないのでパソコンは持ち歩いてるけどネットにはつながってない。ネッ ト環境をどうしてるかってのをよく聞かれるんだけど、日記はパソコンで打ったのをiPhoneに移し てそこから投稿してるし、パソコンをネットにつなげたい時はコンビニでできる。セブンイレブンは 一日60分×2回まで、ファミリーマートは一日20分×3回までメールアドレス登録すれば無料で Wi-Fiが使える。道の駅でフリースポットがあるところもあるし結構なんとでもなる。香川に住んで た時もネットは契約してなかった。近所のファミマに通ってた。
展示会場に在廊していると疲れる。観光地なので観光しに来た人に説明するのがとてもめんどくさい。いつもと違う疲れ方をする。絵を4つ描いた。
0914
会場の山寺常山邸のボランティアスタッフのおばちゃん二人が事務所でずーっと話している。町の話 とか人の話とか「女の子ってそうよねえ」みたいな話とか。一人じゃなくて二人ってのがミソだな。 観光地を管理するっていう名目で町の人が二人一組になって、丸1日一緒にいるってのは情報交換に もなるだろうし、楽しみにもなるだろうな。こういう場所が町にあるのは羨ましいな。彼女達はお客 さんが来ても事務所から出てこないこともあるし、気が向いたら「どうぞごゆっくり」って感じで対 応したりもする。この力の抜き具合もいい。お客さんが来るか来ないかは対して問題じゃない。仮想 の客を設定するだけでいい。町の人が二人ずつ交代で毎日そこに集まるってのが大切なんだろうな。 ここは全部で15人くらいボランティアスタッフがいて、シフトを組んで当番をまわしてるらしい。 ただし必ず「男男」か「女女」って組み合わせになってるっぽい。「男女」はない。リアルだ。
今日もほとんど自分の展示会場にいた。会場にいるとそわそわしちゃって、絵を描いたり日記を書い たりっていう作業が全くできない。僕のサイトを見て、新潟から車で展示見に来てくれた家族がい た。あとすぐちんも岐阜から来てくれた。
夜アーティストトークイベントがあって、その後下の絵のような感じでみんなでご飯をたべた。
0913
僕のウェブサイトを見ている人が、長野市内から展示見に来てくれたり東京からわざわざ来てくれたりしてとても嬉しかった。
観光名所になってる屋敷の玄関で展示してるので、展示を観に来るお客さんよりも観光にくるお客さんの方が圧倒的に多い。だからみんな意表を つかれたように
「なにこれ」
っていうリアクションをする。他の会場も何ヶ所かは観光地になっていて同じような状況になってると思う。ギャラリーとかでやるのと全然違 う、キャプションとか、作品の説明文を会場に置いといても大抵読まない。美術館で作品を見るとき会場の説明文とかは読まない人もいるけど、 そこにあるものを作品として受け取ろうとして入場するので、そこで何かを受け取ることができる。その心構えが作品から何かを受け取るために 必要だったんだなと思った。展示されている作品1つ1つのキャプションにも、展覧会の導入にある説明文にも書かれてない、そのもっと前にあ る前提というか、見に行く側の人間の姿勢というか。だから展示がすこし空間に押され気味になってるのかもなと思う。今回は空き家が会場にな ってたりもするけど観光名所に絞って会場を借りて展覧会を企画したりしたら、作家にとっては負担かもしれないけど面白いことが起る可能性が あるなと思った。
夜から明け方4時くらいまで池田さん松本さん津田さんと4人で美術とか表現についての話をした。津田さんは、美術は本当に人と関わるきっか けでいいっていうスタンスをとってる。でも人と関わることを作品化するのは違う。って思ってるみたい。アーティストとして呼ばれたらアート をやるし、そば屋として呼ばれたらそば屋をやる。「業者」になりたいって言ってた。批評はいらないと言っていた。でも作品は批評や展示って いう関門をくぐらないと強くなっていかないと思う。 町のおばあちゃん達がやってる油絵の展覧会とかがすごく良いんですよ。って話を津田さんがして、でもそういう「良い」って『発見』をしてそ れをこういう仮にも「現代美術フェスティバル」とタイトルが付けられた展覧会の参加作家相手にそういう話ができるってのは自分がその「まち のおばあちゃん達」のなかにはいないってことを自分で自覚できるからやれる話じゃないか。そんでそういう発見をして
「発見しました!」
って声高に言うことは批評なんじゃないかとか。町のおばあちゃんたちの油絵の方が例えばリヒターの絵よりも良いってことを言うのは勇気と覚 悟とそれなりのロジックがいると思うしレベルの差はあると思うし。だからそうやって作品について色々言ってくれる人とか、いろんな作品をみ てる人の目に耐えられるかどうかとかはとても大切で、簡単に「批評とかそんなのはいらない」って言っちゃいけないと思うんだけど、でもそう 割り切れたら楽なのかなあとか、とにかくこの問題に関してはずっと前から常に悶々としている。
0912
今日もずっと設営してた。もう明日からスタートなので他の作家もスタッフも目がギラギラしてる。なんとなく内向きの輪のイメージが頭に浮かぶ。 ちょっと油断すると、作品そのものよりも作品の写真写りが良いかを大事だと思ってしまうし、その作家が誰とつながっているかを気にしがちだ。東 浩紀さんがツイッターかなんかで「美術も思想も、閉じた輪の中で行われていて、それでいいんじゃないか。その輪に入っていける人もいるし、ずっ と入れない人もいる」って言ってた。この「閉じた輪に入っていこうとする」ってのが面白いところで、あからさまにそれっぽい形で入ろうとすると 入れないし、かといって最初っから入る気がないと全然入れない。みたいな。よくわからないけれど、ここでみんながんばっているように見える。そ れは閉じた輪で全然良いのだと思う。
夜、友達でBOMBORIのドラマーの銀河君から電話がかかってきた。彼はバンドのフランスツアーに向けて、テレアポのバイトをしているらしい。
「テレアポやってる人は、ナンパが自然にできる人です。テレアポやってるからナンパ師になるか、ナンパ師がテレアポやるかのどっちかです。」
って言っていた。あとGEZANというバンドがやばいということを教えてくれた。
絵も描いた。いま展覧会スタッフの拠点になってる「くらた食堂」の絵。山寺常山邸のボランティアのおばちゃんが
「あそこも長いこと定食屋やってたんだけどねえ、主人が体調壊しちゃって。カツ丼がとっても美味しかったらしいわよ。わたし食べたことないんだ けど、カツ丼が美味しいって言うわよ。」
と言ってた。
0911
今日から「まつしろ現代美術フェスティバル」の展示作業がはじまった。丸一日設営してた。僕の会場は山寺常山邸という江戸後期の武士の住宅で、観光名所になってる。その玄関に僕の家と今まで描いた全 てと家の絵を展示する。今まで描いた家の絵を一枚ずつファイルから取り出すたびに、描いた時の心境とか天候とか、その土地の人たちの顔が思い浮かぶ。山寺常山邸には常に地元のボランティア のおじちゃんorおばちゃんが2名常駐していて、その人たちも今回の展覧会には理解があるみたい。もう今年で13回目になるんだからもう地元の人からしたら恒例行事になってるんだと思う。
平日だけど観光客はけっこういる。信州大学の大学院生と、もう一人なんか金髪の納さんって言うボランティアスタッフ2人に手伝ってもらって、今日一日で絵は全てはり終わった。その玄関が土 壁で空間としてとても良い場所で主張が強いのでちょっと押され気味な感じが否めないけど、良い展示にはなると思う。お金がピンチなので絵がいくらか売れてほしい。
晩ご飯を、展覧会の作家やら実行委員やら7、8人で宴会みたいに食べた。僕は白いご飯にイカの塩辛をのせて食べた。イカの塩辛がとてもおいしかった。久しぶりに美術っぽい人の輪の中にい て、変な違和感がある。なんだろう。落ち着きすぎて不安になる感じだ。参加作家の津田翔平さんとか池田卓馬さんとかと話せた。こうやって地域に滞在して他の作家と一緒に制作するのは去年の 大分以来だけど、あのときはずっとフリーターだったところから突然制作現場に投げ出された感じで「こういう現場でどうやって振る舞ったらいいんだっけ」とか考えてしまって、やたら緊張して 挙動不審になってそれがそのまま作品に現れた感じだけど、今回はとてもリラックスして現場にいられる。
「家を担いで歩いてると、道ばたで何度も『なにやってるんですか?』って聞かれるんですよ」
って言ったら、どう答えるのが面白いかを津田さんが一緒に考えてくれた。
「こういうスポーツがあるんですよ」
って答えるやつが優勝。
みんなが僕のことを「家を担いで歩いてる人」じゃなくて「歩く家」っていうふうに認識しちゃうのは、昨今のゆるキャラブームの影響なんじゃないかっていう話をした。街にはあまりにもたくさ んの着ぐるみが溢れて飽和状態になってる。そこでもう一個、曽根裕さんの映像作品ばりに素晴らしいプロジェクトのアイデアが生まれた。 「人が被れる大きなケーキ」を発泡スチロールとかで作る。白いクリームで赤いイチゴがのっていてろうそくが何本かささっているオーソドックスなやつがいい。なるべく細かく、とびきりハッピ ーな感じで作り込む。そんでそのケーキから足が生えて歩いてるかのようにして人が入る。それで道を歩く。それで
「なにやってるんですか?」
って聞かれたら
「今日ぼく誕生日なんですよ」
って笑顔で答える。楽しいね。
0910
長野市松代町の「くらた食堂」という閉店した食堂の中で日記を書いてる。今日の7時半頃にここに着いた。飯山の道の駅から43キロ歩いてきた。11 時間くらいかかった。明日から展示作業をはじめる。今年でもう第13回になるらしい、まつしろ現代美術フェスティバルという展覧会。この閉店した食 堂が拠点になっているらしく、何人かの作家と運営の人たちの寝泊まりする場所にもなってるみたい。開催3日前の夜、作家や運営の人達がばたばたと準 備をしてる。久々にアートの空気の中にいる。みんな僕の家をみても全く動じない。さすが。
昨日の朝「めざましテレビアクア」という番組で僕のことが 放送されたみたい。朝4時50分から6分くらい。早いな。「そんな朝早くからこんなこと紹介されても頭に入らないだろうなー、どっちかというと深夜 番組のノリだしなあ」と思っていたのであんまり期待してなかったけど、反響としてはツイッターのフォロワーが3人増えた。
今日は朝8時くらいに道の駅を出発。一気に松代まで行こうと思い、荷物を事務局の人に車でとりにきてもらって僕は家だけ持って43キロ歩いた。昨日 の夜、栄村役場の人が3人車で僕を訪ねてきてくれた。そのうちの一人が
「村上さんは九州から出発して北海道をまわって、いま帰ってきてる最中なんですよね」
と言った。なんだそれ。どう伝わったらそうなるんだ。
「いや、なんすかその情報!全然違います。出発は東京だし、北海道には行ってないし」
「あれ、そう聞いたんだけどなあ」
噂は尾ひれがつくんだなあ。そういえば一昨日栄村の道の駅であったライダーの人には
「もう5年くらいやってるんですよね?」
と言われた。
「いや5ヶ月です。」
って言った。
今日は歩くことに徹したのであんまりまわりの景色とか見なかったし人とも話さなかった。ただまつしろから15キロくらい北にある須坂市というところ で、カメラをもったおばちゃんと出会った。コンビニで休憩がてらすこしお話したら
「うち、空き家が一軒あるのでそこいつでも好きなだけ泊まっていっていいですよ」
と言われた。なんでも、だいぶ前に亡くなったおばあちゃんたちが住んでた家がまるまる余ってるらしい。お金とって人に貸したりはしないんだけど、震 災の時に
「空き家があるから被災した人たちを受け入れられます」
っていう連絡を市役所にするような、粋なおばちゃんだった。市からは、被災者の住所をそこに移してしまうと手当がもらえなくなるだか、なんとかだかで断られたという。
0909
すごく明るい夜だ。満月らしい。高い所に薄く雲がかかって空が全体として白く光っている。月の本体もほぼ真上に見える。風がすこしだけある。空からの明かりで遠くの山々の輪郭が見える。その麓に町があって、白とオレンジと、時々赤い光がちらちらと見える。東京のような病的に密集した光じゃない。生活と生活が寄り添い合ってるような明かり。そういえばいつの間にか長野県に入っていた。ここ数日で急に夜が肌寒くなった。
今日はバイパスを26キロくらい歩いた。思い返してみるとたぶん歩行者とは一人もすれ違わなかった。車とは多分5000台くらいすれ違ったけど。すごいスピードで風を巻き起こしながら僕を抜き去って行くトラックやバイクを見ながら「編集された世界の住人」っていう言葉が浮かんだ。鉄道の駅や、高速道路を使うっていうのは、編集された世界を動き回ることだ。どこかに駅やインターチェンジをつくるっていうのは世界に対する編集だ。理由もなくイライラしていた。自分で編集ができない。わかりやすい物語になった話でしか価値判断ができないし感情移入もできない。自分で何が好きなのか何が面白いのかを本当に決められない。編集された世界でしか生きられない人。世界は生の状態だと扱いにくいものなので自分で編集するのが面倒なのだ。見ても痛くないような繭に包まれたイメージを享受して満足してしまう人たち。壊れるのを恐れるヤワな人たち。僕は壊れたい。現実よりもインターネットに多くの情報があると錯覚しがち。道を散歩するよりもインターネットのほうが情報がたくさんあるっていうのは錯覚なのだ。みたいなことを昔橋本が言ってた。それに対抗するには歩くしかない。僕が歩いてるこの道路。この上を歩くことも編集された世界を動き回ることにすぎないのかっていうとそうじゃない気がする。歩くっていうのは土地とダンスをすることだ。
途中信濃川のそばで「ダムの取水のしくみ」と書かれたとても分かりにくい絵を見ながら休憩したりして、夕方千曲川の道の駅に着いた。いろいろあって、昨日別れを惜しんだはずの例の経験値の高い彼女がまた車で迎えにきてくれて野沢温泉に行った。ほらまた会ったぞ。野沢温泉は12軒の無料の共同浴場があるらしく、そのうちの一軒に入った。地元の高校生らしき男子が2人で入りにきていて
「全部がそろった人ってのはいない。イケメンだけど頭わるいとか、スキーうまいし頭いいけど顔が、、」
とかそういう話をしていた。
そんで夜になった。今日もあっというまに終わるなあ。明日一気にまつしろまで行く。しかしこんなに良い月と寝られるなんて。秋の虫もあちこちで鳴いてる。蚊はいない。横になった途端、凄く幸せな気持ちがこみ上げてきた。本当に最高にちょうどいい気候で、頭の上には満月があってBGMは虫の声で、しかも今日は家が東屋の下にあるから雨が降ったら足を家の中に引っ込めなきゃとかそういう心配をしなくていい。過去の、大雨の中屋根のない場所に家を置いて雨漏りと戦いながら寝ていたあの夜に感謝したい。あの時のうんざりがあるからいま幸せな気持ちを感じられる。本当にこの生活をやっててよかったと思えた。いつも同じ環境に、安心安全便利快適な環境に寝てたらこんな激しい喜びは味わえないと思う。今日の満月を世界で一番堪能している。
0908
二度寝した。6時半くらいに一回起きて、近くのバス待合所にある水道で歯を磨いて戻ってきたら、 昨日の彼女がおにぎりとなすの漬け物とお茶が入った茶色い紙袋を持って現れた。今夜仕事が終わっ たら、車で温泉に連れていってもらう約束をした。そのあと絵を描いてたら眠くなったので二度寝した。
お昼過ぎに津南を出る。今日も警察官に職務質問をされた。新潟に入って2度目。
「数日前に同じ新潟県警の人からされたばっかりなんですけど、そういう情報の共有とかはされてな いんですか。」
と聞いてみたら
「仮に村上さんが消息を絶った時に、最後にどこで声をかけたかっていう情報としても役立つんです よ。」
と言う。そういうものか。それで
「歩道もない道もあります。くれぐれも気をつけて」
と言ってくれた。
7キロくらい歩いたところで長野県栄村に入る。足の裏の変なところにマメができて痛い。やっぱ靴 はそれなりに良い物を買わないとだめだって何度も思ったけど今日もずっと思っていた。道の駅があ ったのでもう今夜はここにしようと思った。この時お昼の3時くらい。道の駅の売店のおばちゃんに 事情を説明したら
「これ信州名物のお焼き。4つあるから4食分くらいにはなるかな」
と言って、あんこのお焼きと野沢菜のお焼きを2個ずつくれた。
暗くなるまで絵を描いて、暗くなったら音楽を聴きながら散歩した。山と山の間に信濃川が走ってい て、その川沿いに国道が通ってて、家が何軒かあるくらいでほとんどひと気のないところ。西日を受 けた山の木々の緑色は美しすぎて現実味がないくらいだった。何本も並んだ杉の木は細胞が分裂して いる最中のようにみえる。そしてとっても奇麗な月が出ていた。胸がざわざわした。 例の彼女から電話がかかってきて
「いまどこにいるの?」
と聞かれた
「栄村の道の駅にいます」
って言ったら
「近っ!」
って言われた。彼女は昨日の僕の日記を読んでいたらしく
「1つ物申していいですか。0型ですから!典型的なO型です」
と怒られた。
松之山温泉に連れて行ってもらった。その道中、長野県北部地震について話してくれた。僕はその地 震を知らなかった。2011年3月11日の夜、彼女は津南の家で東日本大震災の被害の様子をテレ ビで見ながら
「ボランティア行ったほうがいいかな」
なんて父親と話していたらしい。その翌朝、明け方近く。突然大きな揺れがあった。直下型で、部屋 の家具がみんな飛び上がって天井にぶつかって床に落ちてきたらしい(DJの機材もそのとき壊れた とか)。「日本終わった」と思ったという。あの東北の震災の映像を見て数時間に自分のいる新潟県 でそんな揺れがあったら、そりゃ日本オワタって思うだろう。長野県栄村から新潟県津南町にかけて 震度7クラスの揺れがあって、津南から松之山温泉に向かう途中に見える山がひとつ崩れたという。
「こっちも大変だったけど、東北の方なんかそれどころじゃなかったから」
と言ってた。調べてみたらこの地震で栄村で3人の人が亡くなってる。あの震災の裏でそんなことがあったのか。
松之山では中秋の名月を眺めながら露天風呂につかるという贅沢をかまして、温泉のあと僕の家のある道の駅まで送ってもらって別れる時に
「モノじゃなくて人で、こんなツボにはまりまくった人は初めてだわ。また会いましょう。」
って言ってくれた。僕が鼻をかんだら
「泣くなよ」
と言われた。
「いやいや全然。まったく泣きませんよ。どうせまた会うんで悲しくないです」
って言った。彼女は
「ふざけんなよ」
って笑ってた。ずっと動いてると、今生の別れなんて存在しないんじゃないかって気がしてくる。実 際全然さみしくなかった。動いてる限り、無理に再会しようとしなくても会う人にはまた会うのだ。
0907
老人ホームの前に「かわきた」という会社がある。そば作りとか田んぼとかをやってる会社で、ここ の皆さんにも×日町の時とってもお世話になったので出発する前に挨拶しにいった。社長の遠田さん はもう超かっこいいおっちゃんで、常に先を読むような鋭い目つきをしている。でもとても優しい。 この人もオキライのわいちさんと同じ公共の人なんだと思う。自分の活動の説明をしたら
「歩いてみないと、日本もわからんだろうなあ」
って言ってた。この台詞が最初に出てくる人は初めて会った。気持ちが高ぶって泣きそうになった。 ほんとそうなんだよ。
「そうなんですよ歩いてみないと知らないままの町がたくさんあるんですよ。知らないまま寂れてい った温泉郷とかたくさん見ました。新幹線と高速道路が発達して、移動するのにみんな寄り道しなく なっちゃったからっていうのが大きいと思います。」
「新潟も新潟市がおっきいからみんなそこまで行っちゃうなあ。人も減ってる。旧十日町だけで5万 人いたところが、今は合併して大きな市になってやっと5万人。幹線道路沿いにある町はまだいいけ ども、それ以外はなあ。」
この人の言葉は重い。十日町を背負っている感じがする。やっぱり会ってよかった。
「ひとまず健康に気をつけて」
と言ってくれた。
津南町方面に向かう。ちょっと気がかりなことがあってずっとそれについて考えていた。人生に関わ る大きな選択を突然迫られる場面を想像する。何があるか本当にわからない。とにかく面白がってい かないと参っちゃう。「いまは楽しむときだ」っていうのを人生全体で意識したい。深刻になるのは 死んでからでいいって思うようにする。歩いてたら車から女の人が声をかけてくる
「すいません。さっき歩いてるの見かけてネットで調べたんですけど、今日誕生日なんですか!?」
と言われる。「そこかよ」って思った。今日が誕生日って事実の話題性は、他のどんなものよりも結 構上にくるもんだ。
津南に着いたら祭だった。町のスピーカーから大きな音で民謡が流れてる。祭りの雰囲気はあるんだけど人が全然いない。
ここで面白い人に会っ た。DJでスポーツトレーナーでファッションモデルで、国家資格の必要な仕事もしてる人。会って すぐに意気投合して、その人のバイト先の飲食店(バイトもしてるんかいって思った)に家を置かせ てもらうことになった。 一緒にご飯を食べて「この人餓死とか絶対なさそうだなー」って思った。二十歳から自活して私立大 学の学費+生活費をバイトで稼ぎながら、DJもやって日々の色々を発散するっていう離れ業をやっ てのけて大学を卒業して。今もいろいろ副業をもちながら全国に友達がいるらしい。たぶんAB型だ。
0906
起きてキナーレの前で絵を描いていたら、昨日の彼女がふらふらとやってきて僕にビニール袋をわたしてきた。中には白いご飯と卵焼きが詰められたパックが入ってた。
「君は家庭の味を知らないからなあ」
と言ってた。そんなことは言ってない。だけど嬉しい。
「道の駅のところにいるから」
と言うので
「ちょっと今日は絵描いたりいろいろあるから相手できないっす」
って言ったら
「あらそう。じゃあね」
とふらふらと去っていった。卵焼き美味しかった。
キナーレから数キロ歩いたところに、一昨年×日町をやった会場の老人ホームがある。お昼頃、絵を描き終わってからそこに向かって歩き出した。3ヶ月以上滞在してた 場所だから歩いていていろんなことを思い出した。×日町は本当にすごいプロジェクトだったと思う。あんまり知られてないのが悔しい。
歩いてて「なんか細長い家が多いな」と思った。十日町に限らず、新潟の多くの地域の家はだいたい屋根が急勾配で平屋は少なくて、車を完全に収納できる駐車場がつい てる。二階に玄関がある家も多い。瓦屋根は少ない印象。豪雪地帯なのでいろいろ工夫がされてるんだと思う。
老人ホームに着いてみんなに挨拶してまわった。2年ぶりになるのかな。歩き回る癖があって職員がよく追っかけまわしていた名物おばあちゃんが、車いすになっていて 話しかけてもほとんど反応しなくなっちゃってた。あんなに元気だったのに。でも他のおじいちゃんおばあちゃんたちはあんまり変わってない。なんとなくほっとした。 2年前に僕が似顔絵を描いたことをちゃんと覚えていてくれてる人もたくさんいた。9つくらいのユニットがあって、それぞれに10人弱のおじいちゃんおばあちゃんた ちが暮らしている。
「この部屋は入れ替わりが激しくて。ここ最近で5人くらい亡くなってどんどん入れ替わってるんですよ」
っていうユニットもあって、そこに住んでる人たちは僕はほとんど知らなかった。ここ最近、死にまつわる出来事とよく遭遇する。背筋が伸びる。ユニットを家と一緒に挨拶してまわってたら夕方になった。一人のおばあちゃんが、晩ご飯の時間になるのも忘れて
「すごいものがきたから、ついつい見ちゃうねえ。たいしたもんだ」
って言ってくれたのがとても嬉しかった。目をうるうるさせてたから。
明日誕生日だ。今日で僕が生きた四半世紀が終わる。