今いるところから7キロくらい山の方に行くと「発電所美術館」てのがある。水力発電所を改修した美術館。ちょっと行ってみたいと話したら、敷地を貸してくれた美術 館の学芸員が招待券を一枚くれた。お昼頃まで学芸員と話し込んだりして、2時頃出発した。

富山はなんとなく、水の土地っていう感じがする。あちこちに水路が走っていて、その流れを利用して水車を回してる家もあった。水車の力で、庭の植木に水を与えて た。実際に使われてる水車を見たの初めてかも。美術館まであと2キロくらいのところで田んぼを広くする工事をしてたおじちゃんたちに話しかけられて、歩いてきたル ートを話したら
「親不知はどうしたん?」
って聞かれた。やっぱり危ない場所として有名みたい。
「普通に頑張って歩きました」
って言ったら大笑いされた。

発電所美術館では丸山純子さんという作家の展覧会をやっていたんだけど、休憩室にカタログが置かれていて、その中で丸山さんについて誰かが書いた文書で
「彼女は最初、コンビニ袋で花をつくるという作品やワークショップであちこち呼ばれるようになり、このままいけばこういう方向性でブレイクするかと思っていたら、 突然やめた。そして石けんをつかった作品づくりに邁進しはじめた。おそらく、同じような作品ばかりつくることによって他のことが出来なくなるのが嫌だったんだろう と思う」
みたいな一節があった。これはとても切実な問題なのだ。僕にとっても。同じ作家がつくる作品にはわかりやすい一貫性がないと評価されにくいみたいな空気が漂ってる 気がする。どうも。特にこんな悶々と文章を書いたりしながら制作してる僕も、端からは迷いがあって評価できないみたいに見られやすいと思う。僕は迷うし、目的とか もない。だけど「迷いをもつ」ということに関しては迷いがないし、目的とかいらないと思っている。目的はいらないけど志向性はすごく大事だと思ってる。この二つを 一緒にして考えるとわからなくなっちゃう。僕は自分の活動に強い志向性をもたせてるつもり。面白さや美しさは志向性の中に宿る。アクティヴィズムは転覆への志向性 そのものの中に宿り、転覆が成功したらそこで終わり。

美術館をみた後は入善ショッピングセンターに向かった。今日の敷地はそこの駐車場。昨日、歩いてたらこのショッピングセンターの事務局長さんが車で話しかけてくれ て名刺を渡してくれた。
「警備員にも言っとくから、いつでも来て勝手に寝ていいよ」
と言ってくれた。着いてみたら凄く大きなショッピングセンターで、めちゃ便利そう。コンビニもコインランドリーもソフトバンクショップもマックも本屋も徒歩5分圏 内にある。銭湯も歩いて15分くらいのところにあるっぽい。こんな好条件初めてかも。 家を置いて発泡酒を飲みながら銭湯に行ってるとき、その事務局長さんが僕の家を発見したらしく、わざわざメールをくれた。めちゃいい人や。

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歩きであんまり長距離を歩けないことによって、思いもよらない場所にとまることになる。そこで発見がいっぱいあるから面白いっていう話から、鉄腕ダッシュのソーラーカーの企画みたいだねといわれた。そんなのあったな。 日が暮れてバッテリーがなくなると動けなくなるやつ。でもあれは、彼らが本当に動けなくなってるわけじゃない。撮影クルーが他にいて、実は彼らの身の安全は保証されてる。仮にその地域で動けなくなったとしても「車が動けなくなったんだな」って、近所の人たちに理解されて終わり。想像の範囲を超えない。
テレビを見る人は、彼らが本当にマジで困るわけではないことを心の奥でわかってる。「そういう設定」でやってるってことを了承した上でそれを楽しんでいる。ネタとしてやっているというか。震災前はそれでよかったのかもしれない。僕も鉄腕ダッシュはよく見てたし。でも震災後は楽しめる気がしない。自分たちの生活を自覚的に見つめないといけないことがわかってからは、生活の範囲にまで表現を拡げていかないといけなくなったと思う。ネタをマジでやらないといけなくなった、というか。表現を生活に食い込ませるチャンスなのだ。

でもいろいろ言われて嬉しい。こうやって僕のやってることに対してある程度批判的に見てくれる人がいるから僕も対抗して自分の考えを再確認することができるし、じゃあリアカーじゃだめなのかとかいろいろ言ってくれるおかげで、自分も考えて
「車輪がついたら駐車場とかにおけるようになっちゃう。敷地を見つけるまで居場所がないってのが大事だと思ってる」
って答えることができる。なんでだめなのかを考えることができるので、結局のところ何を言われても何をされてもオールライトで、僕を面白がる人も面白がれない人も全員をリスペクトするのだ。死ななければいいだけだ。

僕が自分の活動の話をしたら、こっちの人がこのあたりのことを話してくれた。ここらでも海沿いの地域の人は言葉遣いが荒くて仲間意識が強い。そう いうところに外から嫁いだ人がびっくりするような感覚で近所付き合いをしている。例えば 「良いタコが捕れたから、あんたの家の冷蔵庫に入れておいたよ」 と言われて、帰って冷蔵庫を開けたら生きたタコが入ってたり。最初は信じられないと思っていたけど何年も住んでると慣れていったらしい。 ここは富山だけど、金沢の方に行くとまた全然違う。外から人が嫁いで来て家を新築すると、町の人がみんな家を見にくる。部屋をみるだけじゃなく て、タンスの中とか押し入れとか隅々までみてまわる風習がまだ残っているところがあるらしい。どんな家が建ったのかを見るというよりも、人が嫁い で来るということは嫁入り道具を持って来るということ。で、例えば持ってきた着物を見ると、その人の家がどの程度のレベルの家なのかがわかる。だ から、タンスの中にはそうやって人に見せるための服なんかをいれておく。そういう風習の名残がまだ残っているらしい。素直にそれはちょっと嫌だ。 それはちょっといきすぎているなあと思う。でもそれは嫁いできた人をちゃんと迎え入れようとする町の態度なんだろうとも思う。その態度のありかた は大切にしなくちゃいけないと思う。そんな隅々まで見てしまった以上、その人をよそ者扱いするわけにもいかないし、見られてしまった以上は町のコ ミュニティに入っていかざるをえないだろうと思う。 僕が大学卒業後の2年間浅草に住んでいた頃、お祭りがあった。路上で綿アメを売るのを手伝ったりしてたらすぐ近くのマンションの子連れの夫婦がで てきて
「お祭りが今日あるなんて今日知りました!参加したいんですけど、どうやったら参加できるんですかねえ」 って聞いてきた。僕はたまたま近所の人たちとの縁があって出店も神輿も参加できてたけど、そこへの入りかたがわからないせいで参加したくてもでき ない人もいるんだなと気づいた。そういうことが浅草でもおこっているのだ。タンスの中まで見るってのはいきすぎてるけど、祭に参加できないっての もさみしい。近所との付き合い方の距離は地域差が激しい。何か1つ絶対にうまくいく方法があるわけでもない。難しいな。

話してるうちに「自分探し」というキーワードがまたでてきた。嫌いな言葉。でも考えてみたらこういう日記を書いてることも、そういう自分探し的な、何か未成熟で過渡期 的なものと結びつけられる原因になるなと思った。大学時代に教授から
「迷いが無い人の方が強い。迷いをなくせ」 って言われた事も思い出した。「そうじゃないだろ」って当初思ったけどそれは今でも思ってる。自分のやりたいことを探している気もないし、好きな 事をやっている気もない。答えとか到達地点を見つける気なんて最初からない。みんな「これがわたしのやりたかったことだ」って結論をさっさとだし て考えるのをやめたがる。『自分には何かができる』って思った途端に何も出来なくなる。答えを出さず問いをたてつづける事の方が体力がいるのだ。 なんでみんなわからないんだろう。

ものすごい騒音のなかで目が覚めた。そういえば国道のそばで寝てるんだった。顔を洗いに外に出たら日本海の水平線が目に入って、それを見て いてロックバンドのU2の事を思い出した。たしかNo line on the horizonってタイトルのアルバムがある。水平線は自然界には存在しない。それ を見ている人がいるから存在する。人の数だけ水平線がある。同じように敷地の境界も存在しない。国境も。それを見ている人がいるから存在す るように見えるだけなのだ。

洞門というのは地名のことじゃなくて、トンネルのことらしい。よく山の道沿いにつくられてる、片方が外に開けているトンネルのことをどうや ら洞門と呼ぶ。親不知の町をでたあともしばらくその洞門が続いて道が危なかった。丸太を50本ぐらい積んだ超でかいトラックが自分の50cm 横を通り越していくのは生きた心地がしなかった。でもまた運のいいことに一部区間が点検中で片側交互通行になっていて、なんとか洞門区間を 乗り切った。途中、お腹がすいたけどしばらくお店も無いなあと思っていたら、最高のタイミングで京都の舞鶴から山登りに来た島田さんという 夫婦がアンパンとおにぎりを差し入れてくれたりして。

富山県の朝日町というところに着いたあたりのときにツイッターで「家の置き場を探しています」とつぶやいたら、先輩の美術作家から「前にそ の町の美術館で展示させてもらった事がある。連絡してみます」っていうメッセージが来た。そこに行ってみたら運良くその担当の学芸員が帰る ところに出くわして、事情を説明したら
「うちの駐車場ならいいですよ」
と言ってくれた。家を置かせてもらってスーパーにご飯を買いにいくころにはもう夜で、空をみたら赤くて暗い月があった。そういえば今日は皆 既月食だってツイッター上で騒がれていた。月が暗くなっているぶん星がよく見える。住宅街を通るとどの家もそわそわしてるうように感じる。 望遠鏡を出してみてるお父さんとか、一眼レフカメラを三脚に取り付けている若い男の人とか。

いまその駐車場に置いてある家の中でこの日記を書いている。昨日と違ってすごく静かだ。やっぱ寝るのは静かなところがいい。虫が鳴いてる。 何種類かの虫がいて、各種一匹ずつ鳴いてる。オーケストラみたい。

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昨晩家を置いた場所が国道から1メートルくらいのところで、国道とはフェンスで隔てられているだけなのでものすごくうるさかった。深夜から朝までずーっと車の往来が止ま ない。家を置いた時点で気がついてたけど「昨日はお寺の境内で静かだったし、たまにはうるさいところで寝てみるのも面白い」とか思ってそこに決めてしまったけど甘かっ た。寝ようとしてるときに、数メートル横を通る大型トラックのうるささは尋常じゃない。昨晩はどうにか寝たけど、何日もああいう環境にいたらノイローゼになりそう。

境鉱泉という温泉の休憩スペースでこの文章を書いてる。富山の黒部峡という地酒を宣伝するチラシがテーブルにおいてある。もうここは富山県に入るらしい。でも、僕の 家はまだぎりぎり新潟県に置いてある。とってもいい温泉だった。シャンプーはないけど石けんは常備してある。地元の人が集まる温泉らしく、僕には聞き取れない方言 で話してる人がいる。
「ボケ防止にみんな……してひとつだけでも…」
みたいな話してる。

今日は、朝起きたら青空になってた。台風が過ぎ去って空気が澄んでる。まだ風は少し残ってるけど、お昼頃お寺を出発した。一昨日お巡りさんに言われたように、まず 糸魚川駅に行ってみた。洞門という地域の道路がせまくて危ないらしいので、電車で家を何駅か運んでもらえるか聞いてみた。若いお兄さんが対応してくれて、少し笑いな がら
「少々お待ちくださいね」
と言って奥に引っ込んでいった。5分くらい窓口の前で待ってたら
「待合室に暖房はいってるよ!サウナみたいになってるよ~」
っていう大きな声が窓口の中から聞こえてきた。良いもの見た気がした。しばらくして若いお兄さんが戻ってきて
「一応車両に持ち込める荷物の大きさが、縦横高さ合わせて2.5メートルまでっていう決まりはあるんですけど…。警察に言われたんですよね?」
「そうですね。乗せてもらえるならそうしなさいって言われました」
「あまり混んでる車両ではないので、車掌次第では乗せられると思うんですが…。どうしても他に方法がないのであれば…。」
「とりあえず家を持ってきてみます!」
そんで家を持ってもう一回来たら、その若いお兄さんが上司っぽい人(多分車掌さん)を連れて家を見にきた。そして 「思ったよりでかいっすね…」
と言った。その上司っぽい人は家を少し見た後、窓口の奥の方に入っていった。しばらくして出てきて
「すいません。ちょっと乗せるには大きすぎるので…。すいません。」
と僕に告げた。結局駄目だったけど楽しいやり取りだった。家を持って歩いてきちゃって、この先歩道がなくて危ない道があるっていう状況の僕をみてみんな一生懸命考 えて掛け合ってくれた。でも規則にはかなわないのだな。だから、その危ない道を通るしかない。というかあちら側へ行くにはここを通るしかないのに、なんでその道が 車は通れて歩行者が通れないような状況になってるのだ。
10キロくらい歩いたら洞門というところに来た。確かに危ない道だ。道幅が狭いトンネルがずっと続いてて、大きなトラックとかダンプカーがたくさん通っている。た だ運がいいことにたまたま工事中で、長い範囲に渡って片側ずつ通行になっていた。工事のおじちゃんたちがみんな協力して僕を誘導してくれた。僕を追い越す車の列 (道路の左側を通る)とすれ違う車の列(道路の右側を通る)が交互に来るので、それらと反対側の道の端を通るようにして歩いた。昔のゲームでこういうのあったよう な気がする。そうやってなんとか洞門をクリアした。工事していなかったら今まで歩いた中で一番危ない区間だったかも。

その後5キロくらい歩いたら「親不知」っていう町に着いた。山と海に挟まれた国道沿いの細長い町。廃校になった学校の駐車場を、何かの工事関係者が拠点に使ってい た。1軒だけあるお寺で敷地交渉してみようとしたけど誰もいなくて、近くに道の駅があったからそっちに行った。最近の敷地は道の駅とお寺を繰り返している。なんだ かつまらない。 家を置いてすこし散歩してみた。ここらは翡翠の採掘地らしくあちこちにヒスイっていう文字が見える。今はやってなさそうな民宿がたくさん並んでいる。大きな海水浴 場があるから、海水浴シーズンには賑わうのかな。賑わってるイメージが全く湧かない。国道の反対側にある道の駅以外に、町に人が溜まる場所がない。これから冬にな っていくってのもあるんだろうけど、街全体にどんよりと寂しさが漂っている感じがする。国道と平行して走っている町の道路を歩いても人とすれ違わない。やたらと警 部服を着た色黒のおじさん達が目につく。何かの工事のために交通整理をしてるんだろうけど、他に人がいなさすぎるから、何か全員で僕を騙しにかかってるんじゃない かって妄想しちゃう。「親不知交流センター まるたん坊」っていう、宿泊と入浴ができる市営の施設があったからそこでお風呂に入ろうと思ったらドアに「定休日」と書 かれた札が下がってた。でもドアをあけてみたら開いた。インターホンを鳴らしてみたけど誰も出てこないのでちょっと靴を脱いであがってみた。ディズニーの「7人のこ びと」のキャラクターが「WELCOME」と書かれたボードを持ってこっちを見ている。それがこわい。なので入るのをやめた。
調べたら駅で二駅のところに温泉があるようなのでそこに向かう。親不知の駅から日本海と奇麗な夕日が高速道路ごしに見える。高速道路は景色を見るにあたっては邪魔 だ。見るためじゃなくて車を走らせるために作られているのだから当たり前だ。そんで越中宮崎っていう駅まで電車で行って、境鉱泉に来た。

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台風が近づいてるのがわかる。雨と風がだんだん強くなってる。近くのスーパーまで出かけてみたけ ど、強い風が急に吹いたりして傘があまり役にたたない。今日は家で歩くのは危ないと思ったので、 お寺の住職の奥さんに、もう一日居させて下さいとお願いしたらオッケーしてくれた。

服がもう無いので、近くのコインランドリーを探して雨の中歩いて行った。結果的に、そのまま一日中コインランドリーにいることになった。机と椅子があったので、絵を描いて過ごしてた。制服を着た人も私服の人 も、結構ひっきりなしに色んな人がきては洗濯機や乾燥機の中に各々服を入れてコインを入れて出て 行ったり、帰ってきて服を自分の籠やら袋やらに入れて持ち帰っていった。隣のピザ屋の店員さんも 来たし、車でたくさん服を抱えてきた主婦らしき人もたくさん来た。僕がいたからかもしれないけれ ど、不思議な事に洗濯が終わるのをコインランドリー内で待ってる人はいなかった。それなのに、洗 濯が終わったのを知らせる音がなってからだいたい5分以内にはみんなそれぞれの洗濯物を回収しに 戻ってくる。みんな忙しいんだろうなあ。今日はずっと雨が降っているので、洗濯物が乾かなくて 久々にランドリーに来た人もいるんだろうな。雨が降ろうが洗濯物がたまろうが、日々の生活はどん どん先へ進んでいくからな。暗くなってきた頃、用務員ぽいおじさんが来て窓の鍵を閉めたり電気を つけたりして帰っていった。いま五時半、ようやく雨が上がって雲が薄くなってきた気がする。もう 外は真っ暗。

雨が降り止まない。今日も留まっていようか迷ったけど、音楽を聴きながら絵を描いていたらエネルギーが湧いてきたので今日は歩くことにし た。家の中で
「よし。いくぞ。いくぞ。」 って独り言をつぶやきながら移動する準備をした。雨は降っているけど風はなさそうだった。でも台風の風は突然強くなったりするから油断でき ない。 僕は敵を攻撃するつもりで家の絵を描いている。あるいは距離をとるつもりで。細かいところまで小さな画用紙に描ききってしまうことはひとつ の攻撃になると思ってやっている。撮影することをshootというのと同じ。それはすごく地味な行為だけど。あからさまに攻撃を連想させるよう なことをしたほうがわかりやすいのかもしれないけど、家と個人(あるいは社会システムと個人)の関係はそんな単純じゃない。とても複雑で、 全てが全てに繋がっていて、人に向かって指した指が自分にはねかえって来るような状況になっちゃってる。だからひたすら、博物館に家の絵を 陳列させていくように描く。陳列することで距離が生まれる。陳列する対象を客体化できる。

インフォメーションのお姉さんにも今日発つ旨を伝えて、12時半頃出発した。引き続き海沿いの国道8号線を歩く。スズメバチの死んだやつを 最近よく見る。そういう時期なのかな。
今日はロードバイクのレースをやってるから、歩いてるとたくさんのレーサー達とすれ違う。みんな良い 表情をして、ニヤニヤしてこっちを見ながらすれ違っていく。
3時頃、歩道に家を置いて海が見えるセブンイレブンで休憩して出てきたら家のそばにパトカーが停まっている。久々なのでどきどきした。おま わりさんはにこにこしながら
「こんにちは。旅ですか」
と話しかけてきた。
「はい。職質ですか?」
と聞いたら
「そうですね。いわゆる、そうです。」
と答えた。いつも通り原付の免許証を出して、荷物検査をされた。一通りすんだあと、お巡りさんが
「ひとつお願いがあるんですけど、この先親知らずっていう町のあたりの道路がすごく危ないです。狭くて歩道もなくて、くねくねとしてる上に 大型トラックがバンバン通るから、その区間だけ電車をつかってもらえませんか?」
と言ってきた。
「これ電車乗りますかね?」
「これくらいなら、言えばのせてくれるんじゃないですかね」
と言う。そうしてみようと思った。

5時前に糸魚川駅近くについて、出発したときからずっとアテにしていた銭湯に行ってみたんだけど、なんと無くなっていた。銭湯はやっぱり生 き残りが厳しいんだろうなあ。なので、まずは敷地を確保しようと近くでお寺を探した。敷地の交渉はいつまで経っても慣れない。緊張で震え る。 敷地を貸してくれると言うことは、ある程度は僕のことを受け入れてくれたということだ。それはとても嬉しいけど、受け入れてくれる人しかい なかったらつまらない。だけど受け入れられる人のとこにも受け入れられない人のとこにも、どちらにも関係なくとまりたい。ハエがどこにで もとまるように。カバコフのハエのように。人にとっては、それが新鮮な果物か犬の糞かって違いは凄く大きいけど、ハエには両者が同じよう に見えている。ハエは世界をそのように見ているはず。カバコフはハエをそのような存在として考えていた。ハエになればいいのだ。 こう考えていくと、敷地交渉に失敗しても成功しても同じようなもんだと思えるので少し楽になる。
1軒目は
「うちはちょっと。。このあたりたくさんお寺あるので他をあたってみてもらえますか。すみません。」
とやんわり断られた。
2軒目で
「敷地だけでいいの?どこに置くかだな」
とオッケーしてくれた。家を置いたら即お風呂に向かった。こっから電車で次の駅の「姫川」ってところまで行って、そこに日帰り温泉がある。 2日ぶりの風呂。
温泉に入りながら
「いろいろあったなあ」
「いろいろあったからなあ。今温泉が気持ちいいなあ」
「これからもいろいろあるんだろうな。そして気持ちいい温泉に入るんだろうなあ」
って独り言が口から自然に出てきた。
返ってきて寝ようとしたけど思ったより雨が家の中に浸み込んでくるので、ひさしのある場所に移すことに。一旦寝る体制になってから家を動か すのは結構大変なのだ。しかも雨が降っているし夜だから暗い。まずは寝袋と銀マットを丸めて先に移動先に持っていく。それから戻って家の中 でリュックを背負って前方の窓だけあけて、目を凝らしながらお墓のそばをあるく。この作業を東京で強固な屋根の下にいるなおこと電話しなが らした。彼女はホテルの中にいて
「雨の存在を感じない」
と言ってた。こっちは雨で一大事だ。家を移動させながら「すごい人生だな」と思った。誰かドキュメンタリー撮ってくれたらめちゃ面白いと思 うんだけどな。

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「これ、人寝てんのかな?あ、鍵かかってるわ」
って声で目が覚めた。僕の家のすぐ前でがちゃがちゃって音がしたから郵便受けからのぞいてみたら、男の人が自転車を組み立ててた。
「ここなら風こない」
ってセリフを繰り返し言っていた。 外に出てみたら、なんかロードバイクに乗った人が何百人もいて、駐車場のところで行列になってた。「8時からスタートです」みたいなア ナウンスもきこえる。今日はレースがあるみたい。みんな派手なウェアをきて自分の順番が来るのを待ってる。ずっと楽しみにしていたんだ ろうな。雨合羽を来てるレーサーもいた。いまは曇り空でけっこう寒い。雨が降りそうだけど空はなんとか持ちこたえている感じ。

昨日は移動してない。5日か6日動きつづけると、動きたくなくなる日が来るらしい。風も強くて雨も降ってるからなおさら。朝起きた時 点で「今日は歩くのやめよう」って結論した。ネット環境があるので、ちょっと漫画を読んでみたり散歩したり、絵を描いたりして過ご した。土曜日なので駐車場もいっぱいになってる。どうやらここらは釣りスポットらしく、朝か堤防で釣りしてる人が何住十人も列になっ て立ってた。 雨が降る中、片道30分くらいのスーパーまで行ってパンとか買ってきたら靴が濡れた。靴が濡れたら行動するのが億劫になる。合計でパ ンを5個たべたけど夜にはお腹がすいてきたので、もう早く寝ようと思って6時半には家の中で横になった。道の駅で1日すごすとなんと なくさみしい気持ちになる。僕がベンチに座ってパソコンを見てる最中も親子連れとか夫婦とかカップルとかたくさんの人が来て、お土産 を買ったりご飯を食べるお店を選んだり地図を見たりして、最後にはみんな帰っていった。

あと一郎さんからメールがきた。
「さとしーーー。いまどこだーーー。まだ東北にいるのかーーーー」
ってきたから
「いまは新潟県の能生町ってところにいます」
って返した。またお風呂に入れなかった。

昨日
「敷地を貸してくれることになった後に、色々世話してくれる人もいるわけじゃないですか。そういう人と敷地を貸してくれただけの人を比 べてしまったりってことはないんですか。」
と聞かれた。それは考えたこともなかった。でも大事な問題だなと思った。比べたところでその現場が何か変わるわけではない上に、そん なことやり始めたらお前は何様なんだって感じになる。しかも、例えば家の中にいれたり、世話をすることが必ずしも良いこととも限らな い。ほんとに家の置き場だけ貸してくれた方が良い時もあるしそうでない時もあるだろう。それは僕がどうこうする問題じゃない。敷地を貸 してくれただけでそれはとても大切な協力者で、神様みたいなもんで、そこに良いも悪いもない。僕はただ目の前の状況を、そういうもんだ と受け入れてその中で工夫するだけ。与えられた環境やシステムを破壊しようとかは全然思わない。ナポレオンみたいに状況からつくろうと は思わない。状況の中でいかに遊ぶかってことだけ考えるようにしている。どんな革命家も革命が終わったらみんな保守主義者になっちゃう って、確かハンナアーレントが言ってた。

今日は朝からずっと雨が降ってる。じめじめとした雨で、空気からは潮の匂いがする。僕の家から5分くらいのところにある道の駅の休憩室 で絵を描いてたら、知らないおばちゃんが突然
「わたし新潟なんですけど、村上の方とか通るとよくお宅にあうんですよ。松之山の方でも見ました。」
って話しかけてきた。挨拶とかなしに、話の始めから「わたし新潟なんですけど…」だった。まるで知り合いみたいで新鮮。僕のことを「お 宅」と呼ぶのはまさにそうだなあ。

朝10時半ごろには名立を出発したけど、台風が近づいてるせいか海からの風が強くて歩みが遅い。なんだか体調もあんまり良くない。1 0キロくらい歩いたところに能生という町があって、そこにまた道の駅があった。今日はここでいいやと思って道の駅のインフォメーション のおねえさんに僕の活動を説明したら面白がってくれて
「うちの建物、来年の四月で建て替わっちゃうんですよー。25周年なんです。描いてくださいよっていったらどうします?」
といわれた。
「家しか描いてないんです。すいません。あとこの建物は大きすぎてちょっと無理です」
と答えたらすんなり
「ああ、そうなんですね。」
と理解してくれた。彼女も床に紙を敷いて何か描いてたから
「貴方も何か描いてますね!」
「わたしは文字を描いています。」
と言うので見せてもらったら「豊漁大感謝祭」というイベントのための広告を手書きで絵の具で描いてる。そのうしろ姿から、何となく職 場への愛が垣間見える。良い。

夕方には雨が止んだので「今だ」と思って、公衆トイレの水場で服を手洗いして近くにあった手すりに干した。乾かしてるあいだに夜の町を 散歩。知らない夜の町を手ぶらで歩くのはとても気持ち良い。能生町はコンビニとスーパーが1軒ずつあるくらいの小さな港町で、国道8号 線の道沿いにある。車の通りは多い。大きなトラックが何台も凄いスピードで僕を追い抜いていった。僕は音楽を聴きながら空を見てた。 とても高くて薄い雲を透けて半分の月がみえる。潮風が気持ちよくて体も軽くて、音楽も聴いてたから自然にスキップになった。気がつい たら、昨日名立で出会ったお母さんから「また名立に来てくださいね!」と応援メールがきていた。

洗濯物も、雨が降る前までに乾かすことに成功した。

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久々に海沿いの道に戻ってきた。国道8号線。もうシーズンじゃないから海水浴客はいないけど、海水浴場はたくさんある。途中に「フィッシング センター」っていう入場料100円の沖に飛び出た堤防みたいな場所があって、その下に小さい公園があった。半分は海の中にあるような公園な のに、魚の形をした遊具がたくさんあったり海との境界に柵が設けられていたりしていて、海で遊ぶんじゃなくて陸上であそぶことを強制してて、 へんな公園だなと思ってよくみたら、入り口に「危険なので関係者以外立ち入り禁止」って閉鎖されてた。新潟県でも上越の海岸線は、下越や中 越のそれとくらべて山が近くてトンネルがたくさんあるように感じる。このあたりで越後平野が終わるんだろうな。トンネルを歩いてた時、反対 側の歩道で自転車を押して歩いてるおじさんがいた。それを見て、家も乗り物みたいなもんだなと思った。停める場所を探すのに苦労する乗り 物。自転車が駐輪場に停まるように、家は敷地に停まる。

ずっと歩道はあるんだけど歩く人がいないので草が生い茂っていて、家で草をかき分けながら進んでたら派手に蜘蛛の巣を壊してしまった。「やべ」って思ってたら、そのせいかわからないけど足が3本くらいになっちゃってるクモがよろよろと家の壁を歩いてるのをみつけた。取り返しの つかないことになってしまった。そいつは足が3本になっても、その足を必死で動かして糸をたぐり寄せて上へ登ったり下へ降りたりしててすごか った。草むらに返したけど、生き延びるのは厳しいだろう。ごめんなさいって思ったけど、こういう時ごめんなさいとか思うのって人間だけだよ なあと思ったらそれも偉そうだ。ただでさえこの家で寝てたら明け方とかによくクモの幻覚をみるのに。増えちゃうな。幼い頃カタツムリを不意 に踏みつぶしちゃって、そいつを眺めてたら涙がぽろぽろでてきたのを思い出した。

お昼過ぎに関西からテレビの取材が来た。リポーターとディレクターとADとカメラクルーが3人いた。以前から取材をしたいと連絡をもらってい て、それが今日来た。直江津から糸魚川方面へ向かう国道8号線を歩いているときにカメラが待ち構えていて、リポーターの人が僕を見つけて若干 大げさにリアクションした。リポーターと話しながら「派手な毛虫が歩いてるなあ」って思ってた。取材班はこれから夜、僕が敷地を見つけるまで 同行するらしい。「普通断るやろ」って思ったところ「許可もらえたんかい」っていう絵が欲しいみたい。
リポーターの女の人が僕と同い年で、 取材班のADが僕の1つ下でなんか感慨深いものがある。いつのまにか毛虫が踏みつぶされてた。 そっから4キロくらい西の名立っていう町までカメラとリポーターと一緒に歩いた。途中に良い滝の見えるスポットがあった。リポーターの人と 「良い滝ですねえ」って話をした。あと黄色い小さな花がたくさん咲いてる場所もあって「何の花かわからないけど、花が咲いてますねえ」って話 をした。彼女は
「歩いてみないとこういうのって気がつきませんね」
と言ってくれた。

5時くらいにはもう暗くなってきて、本当なら敷地の交渉をどんどんしないといけないんだけど、取材班と一緒に動いてるとどうも動きが鈍くなってしまって焦った。1軒目のお寺は留守で、そのお寺の近くにいた子連れのお母さんに交渉したけど
「うちは場所がない」
と言われ、3軒目のお寺でオッケーがもらえた。もう6時近くなってた。そのお寺の住職さんは、リポーターに
「最初この家をみたときどう思われましたか?」
と聞かれて
「いや別に何も。だってみんな家は持ってるじゃない。」
と答えててかっこよかった。そのあと近くの道の駅でご飯を食べて銭湯に行って、僕が寝るところまで撮って彼らは帰っていった。敷地を見つけるところまで人が一緒にいてくれたのは初めてで楽しかった。

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昨日夜、漫画喫茶に行くために渡った橋を、朝逆向きに渡る。二匹が連結した赤とんぼが何十匹も河原のあたりを飛んでた。次のシーズンへの準備をしているのだな。どいつも羽に朝日を浴びて光ってすごく綺麗。

フリーWIFIが飛んでいるところでパソコンをいじってたら、従業員らしきおじさんから
「ちょっと話しかけてもよろしいですか」
と声をかけられた。
「あの家を背負ってらっしゃるんですよね。うちの者がテレビでみたことあると言っていて」
そういえば昨日も別の人から「テレビでみた」と言われた。でもめざましテレビアクアは関東ローカルのはずだし、新潟で見られるようなテレビに出た覚えがない。僕の知らないところでテレビに映ってるとしか思えない。そのおじさんは僕の話をものすごく低姿勢で聞いたあと、上越市の高田と呼ばれる地区が面白いかもしれないから行ってみてください、と地図を渡してくれた。雪が多く降る地区なので、家のひさしが全部つながって歩道に屋根をかけてるのが面白いと言っていた。

10時頃あらいの道の駅を出発して、おじさんが教えてくれた高田の方へ歩きはじめた。県道63号線の歩道でモンキチョウがたくさん飛んでいた。数メートルごとにいた。地面に倒れてるやつも数羽いた。倒れてて起き上がろうとがんばってるけどうまくいかないやつがいて、まわりを応援するみたいにパタパタと飛んでいるやつもいた。誰かと一緒に
「見て!チョウがチョウを応援してるみたい!」
って騒ぎたい気持ち。大学生時代にやってた散歩サークルのことを思い出した。「東京もぐら」というサークルで、歩数だけ決めて複数人で散歩をして、写真を撮りながら町をアテもなく歩きまくる。誰かがその歩数に達したらその日は終了。次回はまたそこから歩き始める。っていうルールで確か5回くらいやった。東京の実態がつかめないまま日々生きてる感じがして、駅から駅に移動するのがまるでチャンネルを変えてるみたいに見える。「たけコプター」よりも「どこでもドア」が欲しい社会になってるから息苦しいってのは、今でも思っている。今考えるとシチュアシオニストの真似をしてた。僕は当時からシチュアシオニストが好きだった。またみんなで東京をアテもなく散歩したい。そういえばこのあいだ松代で石田君からギードゥボールの最初の本の話を聞いた。本の表と裏の表紙がヤスリ仕様になっていて、本棚からその本を取り出すとき、両隣の本を破壊するようにできていたらしい。かっこいい。

道の駅のおじさんに教えてもらった高田という町のドラッグストア前のテーブルがある広場で、2人組の女子高生を眺めながら休憩した。すこし離れたところに男子高校生が一人で座っていた。彼はそわそわしているに違いない。そのあと3時頃に直江津のあたりまで来た。「七幅の湯」という銭湯を見つけたのですぐ入った。昨日お風呂に入れなかったから気持ち悪かった。

530円だった。温泉ではないけど、いろいろな種類のお風呂やサウナがあって楽しい。あと「サウナ室内で高温の熱風を浴びて大量の発汗を体験しよう!」みたいなやつとか色々イベントをやっていて、大きな休憩室もあって、銭湯の中が小さな町みたいだった。そこの店長に敷地の交渉をしてみた。

僕が写真とか見せながら説明してるあいだ、彼は1つも相づちを打たなかったので「ここはだめそうだなあ」と半分諦めながら説明し終わったら。一呼吸おいて彼はポカンとしながらも「ふふふふ」って笑い出して、僕もつられて「ふふふふ」って笑い出した。この感じは好きだ。
「個人的には応援したいんですが、わたし一人が許可を出したところでなあ。他の従業員が驚いたりしそうで。このあたりは朝までずっと明るいし、朝も早くから人が来はじめますけど、いいですか?みつかったら吊るし上げられると思いますけど(笑)」
と言われた。
「近くに似たような銭湯があって、そこのほうがまだいいのかなあ。うーん。どうしましょう。」
って感じで一緒に考えはじめてくれた。
「宿泊はちょっとなあ。家だけ預かるってことなら協力しやすいんですが。」
と言ってくれたので
「そしたら家だけ預けてもいいですか」
と言った。
「個人的には応援したいんですが…。すいません。そしたら家は預かります。」
良い人だなあ。

僕は歩いて30分くらいの「快活クラブ」っていう漫画喫茶に行って寝ることにした。このパターンは秋田市のホテル以来。こういうときの間取りは面白いことになる。僕の家は銭湯にあるけど、寝室はそこから徒歩30分のところにある。じゃあこのとき銭湯に置いてある「家」ってなんなんだ。

いま快活クラブからこれを書いてる。店の中には、小さな音でBGMとして森の中っぽい感じで鳥の声が流れてる。もうこの鳥の声にも馴染んだ。

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ウッドデッキにシートを広げて森を見ながらお昼ご飯を食べた。焼きそばと蒸しパン。裏に住んでる母子とか近所の人も一緒にピクニックみたいに。長野は冬がながくて、その間は外 に出られないので、夏の間に少しでも日光を浴びときたいということでよく外で食べるらしい。
お昼に松田さんに軽トラで新潟県妙高市の道の駅まで送ってもらった。松田さんと別れたあと、家を置いて近くを散歩した。そんで虚脱感に襲われる。予想はしてた。今日から先はま た敷地の交渉をしながら歩かないといけない。まだお昼すぎだからここから歩くこともできるけどそんな気にならなかった。友部正人の「どうして旅に出なかったんだ」を聞きながら ずっと歩いてた。虚脱感から逃れられないまま、パラレルワールドについて考えながら歩いた。もし自分が高3の春に友達についていって美術予備校にいっていなかったら。とか、も し香川の家を出ていなかったら。とか、もしすでに死んでいたら。とか。歴史に「もしも」なんてあり得ないとかってよく言われるけど、そうやって今と違う自分を想像することによ って自分を相対化できる。死を意識することによって生きている自分に力を与えることができる。そういうこともできる。
帰ってきて、道の駅の清掃おばちゃん2人組と話した。
「今夜雨が降るみたいよ。あそこの屋根の下のほうがいいわよ」
と言ってくれた。
まわりをみたらあちこちの田んぼから煙があがっている。この時期は刈り取ったあとの田んぼの掃除のために野焼きをやるらしい。狼煙があがってるみたいに見えた。

今日は近くに日帰りで入れるお風呂がないから我慢する。おばちゃんの言う通り、日が落ちてから雨が降ってきた。
8時半には家の中で横になった。昔書いた「夢と編集」という日記のことを考えた。僕たちは寝ているとき、浅い睡眠と深い睡眠を繰り返しているらしい。浅い睡眠の時に夢を見てい るけど、その後の深い睡眠によって夢を忘れてしまうらしい。だから浅い睡眠のとき、夢を見ている最中に目覚めないと夢をみたことにならない。すごく不思議な話だ。夢を見ている 最中は、僕は現在進行形で夢の中にいる。でもその経験は『後で夢をみている最中に目が覚める』ということによって担保されている。じゃないと夢を見ていたことさえも忘れてしま うから。つまり現在進行形の体験が未来に依存していることになる。夢を見ているときは、現在と未来が同時に訪れていることになる。不思議だ。 同じように自分が死んだあとも、自分が生きていたころのことを思い出すことはできなくなる。まるで深い睡眠のせいで夢を忘れてしまうみたいに。現実も夢と同じよう な構造をしてる。

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