今日家は後輩宅に置いたまま。せんだいメディアテークの近くでレンタサイクルを借りて、海岸の方まで走っていってみた。2、3年前にも仙台から石巻にかけての海沿いを同じようにレンタサイクルで走ったことがあった。あれからどう変わってるのかちょっと見てみるために。

とりあえず海を目指して東に走ってるうちに、七ヶ浜というところに着く。海水浴場らしきところについたけど、あたりはごっそりと津波にさらわれたみたいで、いまは瓦礫も片付けられて原っぱのような感じになってる。基礎だけ残っている家とか、鉄骨だけ残っている何かの事務所らしきものもある。「津波でさらわれたあとの家を描く」のは、なんだか震災に便乗してるみたいでわざとらしいかと思ってたんだけど、再びその跡地を目の当たりにして「これは描かないといけないな」と思った。間違いなくそこにあった家。地面に固定されているから壊れてしまった。そして、まだ先行きが見えないまま敷地に草が生えて原っぱになってる。

考えてみたら描かないで避けているほうが不自然だ。僕は海岸線を歩いてるんだから。そしてやってみたら自然に描き始められた。海岸には家族連れが一組いる他にはひと気が無くて、ウミネコの鳴き声が人の声みたいに聞こえてすこし不気味。

 

夜、仙台に住んでいる大学の友達二人と飲む。

「動いている気がしないから、いまここも地元のような感じがする」っていう話をしたら「ずっと歩いてるから生活が地続きなんじゃない?」と言われた。そうかも。

いまや移動と言えば電車とか車とか飛行機にのるもので、乗り物に乗る前と降りた後では断絶がある。東京で電車に乗っていると、ある駅から次の駅へと景色が変わる様が、まるでテレビのチャンネルを変えているみたいに見えて、もはや移動はほとんど脳内で行われているんじゃないかと思ってしまうぐらい。どこでもドアはいらない。たけコプターが欲しい。体を外気にさらしたまま移動しないと、断絶がおこってしまうのだ。

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疲れてはいるけど、自分の無意識がこの移動生活に適応してきているのがわかる。英語圏の国に行ってしばらくすると頭で考える言語も英語になってくるみたいに。動いているという状態に落ち着きつつある。動いている状態に落ち着くっていうのが理想的なあり方だ。いま自分が仙台にいるということを、すこし頭を働かせないと思い出せなかった。自分がい る都道府県とか地名なんかどうでもよくなりつつある。どこかに「行っている」という気が全くしない。こんな気持ちになるのか。

昨晩からずっと雨が降っている。とうとう東北地方も梅雨入りしたらしい。寝袋がじめじめして嫌だ。 干せないし。
今日はマジシャンのナニーさん(「ナニソレナンデさん」の略称)が朝早くから出かけていった。古川というところでショーの仕事らしい。いかにもマジシャンていう感じの衣装を着て いた。お昼過ぎに帰ってきた。今日はかなり盛り上がったらしい。ナニーさんが自分で考えたというロゴマークはなかなか良い。
そして軽トラに家を積んで仙台まで運んでくれた。仙台に住んでる大学の後輩がいて、今日はそこに家を置かせてもらうことになっている。 仙台に着いて家をトラックから下ろしてナニーさんと別れたあとに、瓦が1枚無くなっていることに気がついた。たぶん来る途中に風で飛んでしまったのだ。考えてみたら時速60 キロの風を荷台の上で受けつづけていたのだ。飛んでも無理ない。でも家のパーツが紛失したのは初めてだ。新しい瓦を作らないといけない。でも1枚つくるのも結構手間がかかる からいつになるか。
後輩の家は2世帯住宅で玄関にインターフォンが2個並んでいて、どっちを押したら後輩家族のほうにつながるのかわからない。5秒くらい考えて、なんとなく右のを押した。それが正解だった。
後輩のお父さんは山登りをする人らしく、僕が家に入ったらすぐにビニールのピクニックシートを床に広げて「ここに荷物を置いて乾かしてください」と言ってくれ た。これがありがたかった。リュックの中も結構浸水している。描いた絵とスケッチブックが水気をすって柔らかくなっている。
後輩家族3人と一緒にご飯を食べる。 お父さんが「1年後の発表を見越して予定を立てて、それを実行していくこと」に感心したらしい。「サラリーマンをやっていたら一年後の自分のことなんて考えない」と。だから 僕の制作の計画が1年単位であることに驚いていた。僕はクリストを思い出した。彼は10年とか20年単位で1つの作品をつくっている。逆にピカソは膨大な数の作品を残してい て、1日に何点もつくることもあったはず。だからアーティストはそれぞれのからだや作風に適した時間感覚を見つけて制作をする。それが、サラリーマンをやっていると他の人と 同じ時間仕事をして、同じ曜日に休みをとるということになってしまうのだな。これはバイトしてたときに感じた時給制の不気味さと近いものがあるな。
僕の父とも年が近い。父ももうすぐ60歳になる。仕事を辞めたあとどうなっていくんだろうか、っていう話もした。僕は大玉村のハーレー乗りのおじちゃんの話をした。あのおじ ちゃんは今80歳だけど、横浜で仕事をしていた60歳までとは完全に別の人生を生きているように見えた。だからまだ20歳みたいなもんだ。彼は60歳でもう一度生まれなおし たのだ。こんな生き方が可能なのか、と思った。
夜はロフトのところで寝かせてもらった。

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毎日、家を一晩置かせてもらう場所が決まったら必ず写真を撮る。その1枚1枚が、僕がその日一日の生活を完遂した、1日を生きのびたということの証明に なる。居場所を勝ち取ったことの証明になる。並べて眺めると元気をもらえるのだ。
なんだか最近精神的に高ぶっている状態が続いているせいか、からだが休 み方を忘れてしまったようでうまく休めなくなってる。自分の生活が人と比べられないので、どのくらい疲れたら休んだ方がいいのかわからない。今朝ちょっ と人に電話してみたら「お休みなさい」と言われた。休みは自分からとらないといけない、と。考えてみたら今まで「休むために時間を割く」ということをや ったことがない。それを覚えないと死ぬな。昨日お風呂に入ったあとなんかぐったりしてしまって、体が動かなくなった時間があって「過労死ってこういう感 じが続いても休まなかったらくるんだろうなあ」という感覚を覚えた。

今日はお昼ごろに銭湯の駐車場を出発。昨日路上で知り合ってやたら面白がってくれたマジシャン(芸名をのせていいか許可をもらうの忘れた)の家へ向か う。宮城の小京都と呼ばれている村田町というところに住んでいるらしい。ここから22キロ。そういえばいつの間にか宮城県に入っている。今日も国道4号 線を雑草を見ながら歩く。雑草は本当にすごい。トラックが通るたびに大きく揺さぶられるのに彼らは顔色1つ変えずにひょうひょうと生きている。アスファ ルトのちょっとした切れ目にもびっしり生えてる。「隙あらば生きる」って言ってるみたい。命への意志みたいだ。どんな小さな隙間にも死を許さない存在と いうか。雑草はかっこいい。
バイパス沿いのコンビニには、たいてい大型のトラックが何台もとめられて運転手たちが休めるような広い駐車場がある。トラックが本当にたくさん走ってい る。コンビニ前のベンチでカップラーメンをすすっていたら僕の前を30代後半くらいで短髪の見るからにトラックの運ちゃんて感じの人が、缶コーヒーとタ バコとあと何かが入ったビニール袋を持っ自分に活を入れるように頭をぶるぶるとふって通り過ぎた。自分のトラックの運転席に登っていった。歩いている最中にトラックに抜かされると腹が立つけど、 それを運転してる人たちはみんなかっこいい。彼らはその体1つで、長さが10メートル以上あるような巨大なトラックを手なずけて走らせてしまう。この社 会の物流を文字通り体1つで支えている人たち。あんなモンスターみたいな乗り物を動かすのは完全に職人技だな。

途中、大河原町のマックで休憩しようと中に入ったら、僕の前に高校生のカップルがテイクアウトで買っていった。それを、たまたま同じ店内にいた同じ高校の生徒 だと思われる男子2人が、塀に隠れながらカップルをちらちら見ている。良い。

夕方村田町に着いて、マジシャンと合流。奥さんもお子さんもいるパパだった。
「俺は人に応援されなかったから、なんにせよ一人でがんばってる人を見たら応援したい」
と言ってくれた。一緒に仙台の温泉に行って話をした。
「人が何か始めたら『やめたほうがいい。もっとましな仕事した方がいい』とか言う人が必ずいるんだけど。そういうの嫌いなんだよ。じゃあみんな同じよう な人になったらいいのかって。それじゃ世の中まわんねえよ」
「世の中まわんねえよ」っていうせりふの吐き方が印象的だった。
「家がせまいから、君を家に泊めてあげることはできないんだけど」
と言って、アパートの駐車場(やたら広い)に置いた僕の家を自分の車3台で囲って外か ら見えないようにしてくれた。

夜寝る前に、このあいだ放送されて僕も少し映っていたテレビ東京の「日曜ビッグバラエティ」のスレを2ちゃんねるで見つけたので見てみた。見るんじゃなかった。 本当にみんな好き勝手言う。見ていて落ち込んだけど、不思議と腹は立たない。 彼らは自分が何を言っているのかわかってない。自分がなんでこんなせりふを吐いてしまうのか、こういうものの考え方をしてしまうのかを考えたことがない のだ。無理もない。
しかし落ち込んでしまう、というのは問題だな。結構落ちた。。

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自分の家が壊れる夢を見た。目が覚めるまで夢だと気づけなかった。 夢の中で僕は山道にいて、壊れた家の4つの大きなパーツと細かいパーツを拾いながら「絶対つくりなおしてやる」って唇をかんでいた。 起きてすぐに思わず
「家がある」
と口走ってしまった。家がちゃんとあることに感激した。
10時頃保原の駐車場を出発。昨晩「このまま進むと何もない山道が何キロも続くよ」と脅されたので、より賑やかな4号線に乗るべく国見町の方へ向かう。

歩いていて、昨日福島から保原まで歩いてる最中に呼び止めてきた人のことを思い出して急に腹がたってきた。 僕が絵を描きながら北上している旨を伝えたら、まずそのおじさんは
「君は北ではなくて東にむかっている」 と言ってきた。そんなことはわかっている。だって今は梁川に向かってるんだから。そんな常に北を向いているわけがないじゃないか。旅とかしたことないのか。 そのあと
「あと30キロがんばれる?」
と聞いてきた。こいつはなんでこんな偉そうなんだと思いながら
「30キロがんばったら何かあるんですか?」
と聞き返したら
「宮城県に入るからね」
と言う。宮城県に入るからなんなんだ。話しても時間の無駄だと思って立ち去った。 別れてから、彼は彼のこれまでの経験が世界の全てだと無自覚に思いながら話をしているのだなと思った。自分で偉そうにしていることにもきっと気がついてない。 自分のそれまでの経験だけでは及びもつかないような社会や覚悟や個人の生き方がこの世界にはたくさんあるのだということをいつも忘れないようにしないといけないなと思った。彼らの覚悟に対して、僕は簡単に口を挟む資格をもっていない。いつも想像力を働かせることを怠ってはいけないなと自戒する。
よく「どっから来たの」って聞かれて、無自覚に「東京です」って答えている自分も少し見直さないといけないなと思った。 前にも書いたけど、人が移動しているのをみて「~から来て~へ行く途中」っていう考え方をしてしまうのは、僕たちがひとつのドグマというかパラダイムというかそういうものに 縛られていることを意味しているのだ。家を出ることと、目的地があることは無関係なのだから。
歩きながらiPhoneで音楽をかけることを覚えた。イヤホンじゃなくてスピーカーから流す。家の中全体に音楽が響き渡るiPhoneの位置も発見した。 そうしたらトラックに抜かされることが余計に腹立たしいものになった。4号線はトラックの通りが激しいので、抜かされる時の「フォンッ!」ていう騒音と風圧でそっちゅう音楽 が途切れる。だからトラックに抜かされるときだけ自分で歌ってた。それが良かった。自分で歌えばトラックに勝てる。「これなら勝てる!」と心の中で叫びながら歌っていた。
歌いながら歩いていると、道路に生えている草花やせわしなく動き回っている小さな虫やトカゲがとても生き生きして見える瞬間があった。トラックに乗っているとこんなところに トカゲがいることにもコスモスが咲いていることにも気がつきにくいだろう。何本も同じ種類の雑草が生えているエリアがあったり、蟻が毛虫の死体に群がっていたりいろんな出来 事が起こっていることがわかる。前にも書いたようにこの4号線はバイパス道路なので歩道はあっても歩行者はほとんどいない。2時間歩いても一人もすれ違わないくらい。だから 車の通りは激しくても安心して歩けるし、こういう出来事を発見もできる。でも歩いてる人はほとんどいない。
「ここにこの雑草が生えていることが泣けてくるな」って考えだして泣きそうになるような、今考えると少しいきすぎた精神状態になったころ白石というまちについた。今日は25キロくらい歩いた。大きな銭湯があったの で、まず汗を流す。
そのままそこの駐車場に家を置かせてもらう交渉に成立。
近くのガストでご飯たべて歯磨いて、コインランドリーで洗濯して就寝。

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朝アサノさんに誘われて飯坂温泉に行く。福島在住の美術作家のはこいさんという人も一緒。この温泉はとっても温度が高くて (48度くらい)、外から来た 人向けに水が足せるようになってるんだけど地元の人は熱いままの湯につかるらしい。水をずっと入れながら入ったけどそれでも痛いくらい熱かった。
おひるごろ福島市を出発して柳川町に向かう。昨日の30キロ歩行が体に響いてるのがわかる。けっこう疲れている。そして今日も相変わらず車に抜かされ るたびに腹がたつ。ハーレーのサイドカーからタンポポを観察したのを思い出していたら、1つ作品になりそうなアイデアが浮かんでそれについて考えなが ら歩いていた。しかし目がとてもかゆくて集中できない。一昨日くらいからかゆい。結膜炎っぽくなってる。 歩きながら、眼科に行こうと決心した。
10キロくらい歩いて保原町というところのセブンイレブンに家を置いて休憩していたら女性に話しかけられた。家を置かせてもらえそうなところを探して いると言ったら、このコンビニのオーナーと仲良しらしく、かけあってくれた。そしたらオーナーの人が 「そこでよかったらいいよ」と即答。すごい。コンビニで家の置き場が決まったのは初めてだ。
結局コンビニに駐車場では目立ちすぎるので、近くの従業員向けの駐車場の一角を借りることに。よかった。
家を置いて即近くにある眼科をさがす。やっ ぱり結膜炎だったけどまだ軽い症状だからすぐに治ると言われた。 初診受付で自分の住所を「香川県」と書いたら「このあたりにお住まいではないんです か?」と聞かれたので、「いまちょっと出 先で。。」と答えた。診察カードも作ってくれたんだけど、もうこの病院に来ることはないだろう。基本的に病院 は家の近くにあっ て家から通うものなので、否応無しに診察カードが作られるのだ。そして初診料というのがやたらかかるな。
近くで銭湯を探したら岩之湯というところがあったんだけどつぶれていた。銭湯が減っているのは東京も地方も変わらないっぽい。観光案内所で聞いてみ たけど、徒歩圏内には無いって言われた。 しょうがないから今日は諦める。僕はもともと風呂好きな方ではなかったけど、お風呂に入るとからだの回復が全然ちがうことが最近よくわかる。
家に帰ってすこし散歩した。福島に来てから何日か経ったけど今夜は涼しいほ うだった。夜散歩するには七尾旅人さんの「ハミングバード」っていうアルバムが良い。常陸太田で教えてもらった。

家で日記を書いてたら
「うわ!家ってあれじゃね?」 という声が外から聞こえて。自転車に乗った男子高校生3人が近づいて「村上さーん」と呼んできた。出るべきか一瞬迷ったけ どドアを開けた。
友達がFacebookか何かでアップしていたのを見ていたらしい。何枚か記念写真を撮ったら、お茶とチョコレートと野菜ジュースをもらった。 帰り際に彼らが
「良い人だー」
っていうのが聞こえた。良い人なのはそっちだよ。
そのあとコンビニのオーナーとその友達の皆さんが訪ねてきて
「さっき高校生に絡まれてなかった?」 と心配してくれた。そうだな。そう見えるんだろうな。でもそう悪い高校生ばっかりでもないんだ。僕もドアを開け るときひやひやしたけど、話してみると良いやつらだった。
お友達の一人からチーズのスナック菓子をもらった。その後来客は無し。 9時半頃には寝ついた。

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10時頃にハーレー乗りのおじちゃん夫婦の家を出発。福島市の方へ向かう。20キロくらい歩いた ら福島市に入ったので、ツイッターで「福島市で家を置かせてもらえそうなところを探しています」 ってつぶやいてみたら10人以上の人がRTしてくれた。感激。
そしたら福島市で「建築以下の建築」をやっているアサノさんという人とつながって、その人の家に 一晩置かせてもらうことになった。ツイッターすげえ。そしてツイッターでの拡散がうまくいくかど うかでその日の生活が左右されるのも面白い。
結局大玉村から30キロくらい歩いて、着いた頃にはへとへとだった。アサノさんと会ってみたら、 前にも一度会っていたことと、共通の知り合いもたくさんいることがわかった。二人で福島駅近くの 沖縄料理屋でオリオンビールを飲みながら話す。僕もアサノさんも建築学科を卒業してから美術と関 わっているっていう共通のバックグラウンドがあって、初めて会った気がしない。
デモの話をした。福島市でもよく反原発のデモが行われているらしい。彼らの一部は町を行く人々に対して 「あなた達はなぜマスクをしていないんだ」とか「すぐにここから逃げるべきだ」なんていうらし い。福島市民としてはそんなのを聞くのはあまりよい気持ちじゃないと思う。「それでも福島に暮ら すことにした」っていう自分の選択を否定されたような気持ちになるのだと思う。前に僕も東京で反 原発のデモに参加したことがある。子供がいて、不安だから放射能から逃げたいんだけど逃げられな いもやもやを抱えたお母さんみたいな人が何人かいた。放射能さえなんとかなればいいんだけど「原 発反対」としか叫びようがない。そこまでふりきるしかないくらい追いつめられていたんだと思う。
いわき市の志賀さんは「側溝には近づかないようにして」「2メートル離れれば大丈夫」って言って た。ハーレー乗りのおじちゃんは「雨で流れっちまうから大丈夫なんだ」って言ってた。ここで暮ら している以上、人それぞれ放射能とのつきあい方があるのだ。そりゃそうだ。ここで暮らしていれ ば、天気予報を見るような気持ちで今日の空間線量なんかを確かめたりするんだろう。考えてみたら当たり前のことだ。そりゃあそう なるよ。それを外の人間がどうこういう資格はない。 各々の付き合い方を見ないまま「全員こうすべきだ」とか言ったら反発うけるのは当たり前だ。

そうだ選択肢はなるべく少ない方がいい。ひとつかふたつでいい。みっつ以上あると、選択すること がとても重要なことのように思えてきてしまう。僕は何かを選ぶのが苦手だ。夜アサノさんに「何食 べたい?」って聞かれたけど答えられなかった。居酒屋とかでメニューを選ぶのも得意じゃないと思 う。それを選択したかどうかではなくて、目の前に現れた状況に対してどう向き合うかが重要なの だ。いままで自分の意志を働かせて「こうしよう」って決定したことは大抵うまくいかなかった。
あと、最近見つけて「完全にかぶってんなー」って思ってた「旅する小さな家」っていう建築アイデ アコンペの話もして、応募してみることにした。審査員のみなさんに「ていうか今やってるんですけ ど」って手紙を書くようなノリで。

1時くらいには寝たかな。

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昨日の約束どおり今日はハーレーのサイドカーに乗っけてもらって、ハーレー会のツーリングに連れて行ってもらった。記念写真も撮ってくれた。もうわけがわからないな。

ハーレーのエンジン音は大きいんだけど、音に余裕があってかっこいい。福島県はバイク乗りが多いらしく、ツーリング中も何回か大型バイクの集団とすれ違った。すれ違う時に軽く手を挙げて挨拶をすることがあるんだけど、基本的に向こうがしない限りこっちからはしない。でも向こうがしたらこっちも返す。何かに似てる。僕を乗っけてくれたおじちゃんは80歳だったんだけど信じられないくらい元気で、攻撃的な運転をするのですこしひやひやした。車間距離が近いのだ。信号待ちのときなんか50センチくらいまで近づくし前の車が遅い時は3メートルくらいまで近づく。でもそんなおじちゃんが口癖のように言う「まあいろんな生活があるよ」とか「人それぞれの生き方があるよ」っていうセリフが良かった。

ツーリングの最中に山奥にある美味しいそば屋さん(もう蝉が鳴いていた)にいって、そこで山菜の天ぷらを食べる時に線量大丈夫かなとか、ちょっと気にしてしまう。そういえばそのおじちゃんたちが住んでいる家のあたりは線量が高いらしい。家の庭は全部5センチくらい掘って除染して、その土は庭の下に埋めてある。業者が3年後に取りにくると言っていたけど絶対こないだろう。って言ってた。

サイドカーは地面との距離が近いので、走っているスピードの速さがよくわかる。5分もあればアスファルトで大根おろしが何十本も作れるなと思った。「速さ」が心に与える影響についてずっと考えていた。速く移動しているといくら地面に近くても、路上に咲いている花をみて「きれいだなあ」とか思うことはできない。80キロで走りながら路上に咲いているタンポポをみて「きれいだなあ」って思おうとしたけどうまくいかなかった。また、途中釣竿を持って歩道を歩いてるおじさんを追い越したんだけど、そのおじさんと僕とではスピードとか時間の感じ方の落差がとても大きいんだろうなと思う。速く移動しすぎると花や木や虫を愛でたりする事ができなくなる。あたりまえだけど。

でもそんなスピードで橋やトンネルを通り過ぎ、山から山へなるべく高度差のないように作られた道路を走り抜ける時のダイナミックな感動はまた別にある。

 

絵を描くことはとめてはいけないけど移動しない日があるのはあんまり問題じゃない。毎日移動してるものと思い込まれることが多いけど「いつも動いている」か「ずっと動かない」の2択じゃないはずだ。

 

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途中寄った喫茶店で「BOSS HOSS」という乗り物を見た。6000ccくらいあるらしい。こんな乗り物がこの世にあるのだ。

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東京を出て北上を始めてからよく「バイパス(新道)」と「旧道」という言い方をあちこちで聞く。どの地域にもまず最初に町と町をつなぐ旧道があって、そ れだけでは車を抱えきれなくなったから新しく道をつくるんだろう。だからバイパスのほうは歩いていてもあんまり面白くないことが多い。バイパスは車向け に作られた道路だから、道路沿いには車向けの大きな看板のチェーン店とか工場とかがずーっと並んでる。 そんな道を歩くっていう経験はやろうと思わないとできない。今度機会を見つけて何人か集めて「バイパスを歩く」っていうツアーをやってみたい。歩行者は ほぼいないのに歩道はちゃんとあって、車はものすごくたくさん走っている。バイパスを歩くと「スピードの落差」がすごくよくわかる。工業化されてスピー ドアップした社会の代名詞みたいな乗り物と、それにあわせて作られた道路を「徒歩」っていう人類が誕生して以来ずっと受け継がれてきた移動方法で歩く。 こんなわかりやすいことはない。たいていは砂埃と騒音と風圧ですごく疲れる。バイパスをつくらなかったら世界はもっとのんびりした良いものなってたのに って思うくらい、車の騒音と砂埃と風圧が腹立たしい。きっとバイパスっていうものを作ってしまったから、車での移動が一般化して色んな事がはやくなりすぎたのだ。

美術では稼げないことを前提として「絵じゃ食えないだろ」なんて言ってくる人がほんとうにたくさんいる。「面白いことをやっている」のは認めるのに「こ れじゃ食えないだろ」と言うのはちょっと違うというか、スタンスが受け身的すぎるというか。逆だろって思う。「これで食えるかどうか」ではなくて「これ で食えない世界がどうかしてる」っていう姿勢でいないとだめだ。「そっちがどうだろうと、こっちはこうとしか言えないんじゃ」って、まわりを跳ね返す力 というか。とにかく弱すぎる。自戒も込めて書く。
お茶美でもむさびの授業でも「食えるよ」って言ってきた。僕自身が食えてても食えてなくても「食えるよ。だからやんなよ」って人には言いたい。そしてみんな好き勝手やればいいんだ。「食えないでしょ」ってなんだよ。

今日は10時頃に郡山の神社を出て福島市に向けて歩き始めた。10キロくらい歩いたところで知らないおじちゃんに声をかけられた。事情を説明したら「ガ ッツあるなー」と言われてお昼ご飯を近くの食堂でごちそうしてくれた。奥さんと一緒に車で走っていたら家が歩いてるのを見つけて気にいったらしい。 「家をみて、たぶん東京の奴だろうなって思ったんだよ」
と言ってた。やっていることを説明したら奥さんの方が
「うちの庭先に家を置いていいよ」
と言ってくれた。その食堂からさらに6キロくらい北上した「大玉村」っていうところに住んでるらしい。 食堂で別れて、大玉村まで歩いて行った。かなり暑くて着いた頃にはふらふらだった。そしたら家の駐車場にハーレーの単車1台とサイドカー付きのやつが1 台とまっててびっくり。ここのおじちゃんはいま80歳らしいんだけど、ハーレーを3台もってて「福島ハーレー会」っていうのに入ってるらしい。福島はバ イク乗りが多いみたい。
「明日ツーリングの日だからよかったら一緒にいくか?」
って言ってくれて、ハーレーのサイドカーなんて乗れる機会なかなか無いので行く事にした。
暑くて疲れたので9時くらいには就寝。

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お昼前、僕の家をトラックに積んで庭師の志賀さんちを長男と次男と僕の三人で出発。滝桜や張り子人形で有名な三春町を目指す。出発する前にお母さんが、郡山は線量が少し高いこと。セシウムなんかは土に付着しやすいからなるべく土の上では寝ないこと。2メートル離れれば大丈夫だということを教えてくれた。生活の中での放射能との付き合い方が自然に身に付いてる感じがした。

お父さんの勧めで、バイパスではなくて山あいを走っている旧道から向かった。持っていた韓国海苔(勿来町のおばちゃんからもらった)のパッケージがどんどん膨らむので標高が高くなっていくのがわかる。とても深い山道なんだけど、ずっと走っているとあちこちに家を見つけるし、ときどき町にも出る。当たり前だけど、こんなところでも住んでいる人がいるんだって思う。ここで生まれて、一時期は都会に出て、ここに戻ってきて故郷で人生を終えるような幸せもあるのだ。

山道に一軒だけぽつんと建っていた家を通り過ぎるとき、男の人が白い車を洗車しているのが見えたのが良かった。洗車といえば休日にやるものだし多分仕事が休みなんだろう。今にも崩れそうな家もたくさん見た。こういう山奥でいまにも崩れそうな家を見るのは、なんていうかとても自然な感じがした。人がいるところでは空き家がほったらかされるのは許されないけど、山のなかではわざわざ解体される方が不自然というか。人が減っていって、社会のコントロールを逃れて自然の成り行きのなかに家が解体されていく感じというか。

三春町で張り子づくりをすこし見学してお話を聞いたあと、再びトラックで郡山まで行く。駅近くで志賀家の息子二人と別れる。「個展観に行きます」って言ってくれた。なんだか初対面の気がしない家族のみなさんだった。北上を始めてからずっとさみしい別れが続いているけど生きてれば毎日朝はくるし北に向かわなきゃ行けないし家の絵を描かなきゃいけない。時間が経つのが本当に早くてどうかしちゃいそうだけどどうかしてる暇もないくらい時間が経つのが早いという状態で、今日もあっという間に夜になってしまった。

今夜の家の置き場を探さなくちゃいけなかったから、お寺を探していたら自転車屋のおじちゃんから声をかけられた。自転車屋の中でコーヒーをいただいていたら、店の前を男の人が通り過ぎた。おじちゃんはその人に向けて「オウ!」と言った。その男の人はこっちも見ないで通り過ぎていった。

おじちゃんは

「だめだな。娘の同級生なんだけど、挨拶もできねえ。ここに同級生のお父さんがいることはわかってるんだよ。だからこっちから声をかけたのにな」

と言っていた。その店は借りてやっている場所だから家を置かせてやることはできないと言われたけど、近くの神社とお寺を紹介してくれた。

そしていまその神社の境内からこの日記を書いている。神社の人が「一晩なら」とオッケーしてくれたのだ。

さっき郡山駅近くの「まねきの湯」という銭湯でお風呂に入ってきたところ。ここはいわき市よりも暑い気がする。

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福島県双葉郡富岡町。原発まで7.5キロくらい。

昨日立ち入り禁止区域まで行ったのをあんなさらっと書いてしまってよかったのか。一生で二度とないような強烈な体験だったはず。もう一度思い出しながら書いてみる。ひと気がなくて異様な雰囲気だったということは昨日書いた。植物がしげっていて、家はどれも崩れたり瓦が落ちたりしていた。鳥がやたらたくさん鳴いていた。この鳥たちの鳴き声がまた気持ち悪かった。変わった鳴き方をしているとかじゃない。実家近くの公園とかでふつうに聞いたら「奇麗な声だなー」とか思うんだろうけど、ここでは異様な響き方をしていた。

街全体が木々の緑色に覆われていて、そこに西日があたってとても奇麗。セシウムなんかは目に見えないので、頭で気にさえしなければなんてことないのだ。でもそれは間違いなく飛んでいるし、草木や土の至る所に付着している。目に見えない物がまちを覆っていて、そのせいで人が逃げていて、家はほっとかれて崩れている。そしてそんな目に見えない物なんて気にしない植物や鳥や虫たちが人の代わりに暮らしている。それは物理的に在るものなのに、頭で感じるしかない。見えないし匂いもないし音も出さない。そこにあるってことを忘れてしまったら、あるいは知らなかったら無いも同然。

なんかうまく言葉にできないけど、とにかくかなり不自然な状態。あってはいけない状態のまち。

 

今日も引き続き昨日の家(庭師のお父さまの家)に家を置かせてもらう。というのも、明日まで待ってくれればトラックの車検が終わって、三春町のあたりまで家ごと運んでくれるらしい。ここから郡山まで80キロくらいあって、あいだはずっと山道らしい。とても助かる。お父さまがぜひ三春町は訪ねて欲しいとおっしゃるのでそういうことになった。放射能のせいで海岸線が通れないのが本当にうざったい。

この家はとっても広い。門をくぐって切りそろえられた草木のあいだを歩いていって、玄関までで15メートルくらいある。僕は10畳間を一部屋まるまる使わせてもらっている。

「大きい家ですね」って言ったら

「このあたりでは普通です。ぼろぼろだし」と言われた。

家が大きいせいか、至る所に「電気を消す!」「奇麗に保つ!」というような張り紙が張ってある。良いな。聞いてみたらお母さんが貼ったものらしい。シェアハウスみたい。

 

外で家の絵を描いていたら近くのスーパーの駐輪場から

少年A

「いまってなんじ?」

少年B

「えーっとね。ちょっと待ってね。いま何時ですか?」

ベンチに座っていたおっちゃん

「二時半。二時半」

少年B

「ありがとうございます!」

少年A

「ありがとうございました!」

少年B

「二時三十分!やった!まだあと一時間遊べる!」

という会話が聞こえた。少年Bの「ありがとうございました!」ていうのが良い。子供の頃の1時間は今よりもずっと長かった。毎日「朝から夕方までの1日」っていう、確固たる量の時間があった。いまそれを感じることができなくなった。1日が過ぎた後に「1日があった」ってかろうじて思えるくらい。それもそのうち思わなくなっていく気がする。だんだんのびて1週間になって1ヶ月になって、時間の単位が人生っていう時間に溶けていく感じがする。

どれだけ良いことを言ったとしても、それで何かを言った気になっちゃいけない。どんな簡単なことでも「自分には何かができる」って思っちゃいけない。「これができる」って思った瞬間にそれはできなくなる。面白さや美しさは志向性のなかに宿ると思う。何かに向けて運動することそれ自体に美が宿る。早い話がいい気になっちゃいけない。答えを出してはいけない。自分の居場所を定めてはいけない。ここでこういう事を言ってそれで良しとしてもいけない。うまいこと言ったとか思っちゃいけないし、この文章を信じてもいけない。

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今日家を置かせてもらった民宿は海の目の前だったけど津波は床上浸水ですんでいた。このあたりは津波の被害はほとんどないように見える。なんでかおばちゃんに聞いてみたら、勿来町は海岸線が一直線だったかららしい。一直線だから津波が大きくならずにすんだという。すぐ近くに火力発電所があるんだけど、そこのあたりは車も家も流されちゃったという。そこは海岸線が曲がった湾になっていたから津波が大きくなってしまったんだとか。

 

ある場所を訪れた時に

「人生何十年もあるんだから、1、2年こういうことやってもいいのよ」

と人が話しているのが聞こえた。それで合点がいった。これまで「若いからできていいわね」とか言われてなんか違和感があったのは、あの人たちに日常化のバイアスがかかっているからだ。彼ら彼女らの中には何か不動で確固たる「日常とはこういうものだ」という無意識の思い込みがあるのだ。「いま目の前でこんなことをやっている人がいるのはある種の非日常的な"勢いにのって"やっているからだ。彼もいずれ若くなくなり"私たちと同じようなこの日常"に取り込まれていく。だから私がこの日常にいることは間違ってない」と自分を納得させるためにそういうことを口走る。

 

昨日も書いたとおり、今日は田谷さんが紹介してくれた人の家に家を置かせてもらう。そこには僕と同い年の長男と3つくらい離れている次男がいた。長男の方が原発事故で立ち入り禁止になっているところまで車で連れていってくれた。

一度見てみたかった。それは好奇心もあるし、また主にいま海岸線を歩いているのでこのまま北上するといずれ立ち入り禁止区域にぶつかる。だからどこかで郡山にむかう道にそれなくちゃいけないんだけど、それは立ち入り禁止区域にぶつかってから引き返すというやりかたでも大丈夫そうか、あるいはもっと早い段階で道を逸れたほうがいいのか、実際みてみないとわからない。調べてみるといまは7キロ圏内くらいのところまで近づけるらしい。大丈夫なのか。

距離が近づくにつれて、体がこわばって緊張してくるのがわかった。15キロ圏内あたりからはほとんどひと気が無かった。なにか作業をしている人はたくさんいるんだけど、生活の気配がなかった。犬の散歩してるひととか、畑仕事をしてるおばちゃんとか、自転車にのってる主婦とか、子供とか、窓から人影が見えるというような無かった。ほとんどの家は窓にカーテンがかけられていて、地震で落ちた瓦なんかはそのまんまになっていた。今にも崩れそうな家もいくつかある。

規制線がはられている直前で車を降りて、歩いて近づいてみた。福島第一原発まで7キロくらい。

「島根県警」と書かれたマスクをしたおまわりさんが二人近づいてきて

「なにしてるんですか」

と聞いてきた。僕たちは

「ちょっと友達が来たんで連れてきたんです。中には入りません」

とかなんとか言ってやりすごす。どうやら全国の警察が交代で規制線をみはっているみたい。

「ごくろうさまです」

と言って別れる。

家の絵を2時間くらい描いてもいいかと長男の方に聞いたら

「いくらでも待つよ」

と言ってくれたので、すこし探索して家の絵を描き始めた。探索してる最中にも一回おまわりさんに職質された。

はじめ雨が降っていた。雨が降るなか、画用紙に落ちる水滴を払いながら絵を描いていた。やがて雨があがると、わずか数分のうちに足を何十カ所も蚊やブヨに刺される。なんでこんなにたくさんいるんだ。経験したことのないスピードで刺された。足がものすごく腫れた。それでも描いていた。ここの家の絵だけは現場で描ききらないとダメだと思っていた。あたりはあちこちからやたら元気な鳥が鳴く声がする。人影は全くない。やたらと植物が茂っている。日差しが強くて足はまだ刺されつづけて熱をもってきた。なぜか心拍数があがってきてだんだん絵に集中するのが困難になる。そしたら下腹部が痛くなってきてその後、うまく言えないんだけど急に突然精神的な限界がきたのを感じて「これ以上いたら頭がおかしくなる」と思いいそいでスケッチブックをたたんで立ち去った。30分くらい現場でがんばったけれど無理だった。その家を写真に撮り、あとで書き加えることにした。

車で帰ってる途中もしばらく下腹部は痛くて落ち着かなかったけど、だんだん離れるに従っておさまっていった。精神的なものが原因なんだろうけれど、こんな状態になるなんて予想してなかった。二度と行きたくない。というか行かなければよかったとさえ思ってしまった。でもいまは落ち着いて、行ってよかったと思える。

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規制線のあたり

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僕はここには感じたことをなるべく正直に書こうとしている。なんで日記を公開するのかって言われたこともある。自分の精神状態をしずめるためにこれを書いているんだけど、それを公開する必要はあるのか。自分でもなんでかよくわからないけど、ひとつは自分が「移住を生活する」という生活そのものを含めた作品をつくっている以上、公と私の境界線があってはいけないという強迫観念に近いものがあるからだと思う。

ここに書くのは誰かに嫌な思いをさせるかもしれないような内容のこともあるし、あとで「あいつあのときこんなこと考えてたのか」って驚かれるようなこともある。でもほとんどの場合、それはそのときに思ってたことじゃない。それは「あのときこう思った。それをいま思い出しながら書く」という作業ではなくて、あとでこうやって文章を書きながらそのときのことを思い出して「あのときに感じたことはこういうことだろう」というように後から付け足されるものを言葉にしていくという作業に近い。簡単に言っちゃえば「あのときこんなふうに思ったことにしよう」というもの。

僕はそんな風にしてしか自分のなかで出来事を完結させることができない。こんな風に「あのときこう思ったことにしよう」を書いておかないと、自分の中でいつまでも出来事が終わってくれなくて気持ちが悪い。だからこの場所は「あの時こう思ってたけど言えなかったことをここで書く」というような愚痴の場では断じてない。なんでそんなようなことをわざわざ書くのか。僕は何もないところから「これをつくりたい」とは思えない人間だし「美術史に自分をのっけて新しいものを打ち出していく」というようなこともできないことも最近よくわかってきた。日々過ごす中で感じた違和感とか誰かの言葉とかに対して、自分を過敏に反応させて考えをめぐらしてアイデアを落としていくような作業のなかからでしか作品をつくることができない。そしてそれは言葉にされなくてはいけないし、公開されてなくてはいけない。だから「こんなこと書いたら嫌がられるかな」とどこかでは思いつつ、作家である以上こんなふうに書くことしかできない。

また「受け取る」ということは能動的なことだと思う。言葉を受けたり、誰かの作品を見てなにか思ったなら、それがその言葉や作品の意図だし、それが意味だ。それこそがその言葉や作品の存在価値だ。話し手や作り手の意図を第一とするのは良くないと思う。

 

昨晩からずっと雨が降っている。そういえばこの家で雨の中寝たのは初めてかも。ごくたまにどこから漏れてるのかわからない水滴が顔に落ちてくる以外水漏れはなかった。ただ底のぬれた靴の置き場に困るな。

新座でしりあった銅版画作家の田谷さんからメールがきた。いわき市のこのあたりに知り合いが住んでて、連絡したら僕に会いたいといってるらしい。自分の現在地を伝えたら、その人が親子で訪ねてきた。そして車で山奥の美味しいカフェまで連れていってくれた。その人の家は僕の家があるところから数キロ北にあって「うち来てください」と言ってくれたので明日はそこに家を置かせてもらうことにする。こんなのんびりペースで大丈夫なのか不安だけど。

その人は山をみながら「奇麗なところなんですよ。線量さえなければ」といっていた。ここは原発から60キロくらい。近くの海水浴場は去年から海開きをしていて、泳いでいるひともたくさんいるらしい。 カフェからの帰り道、突然車がパンクした。道路の脇に車をとめて、迎えが来るのを待つ。それまで僕たちを運んでいた車はパンクしたとたんに荷物になった。道の真ん中で立ち往生したときに不思議な感覚があった。普段は通り過ぎるだけの道に突如落とされて、動くこともできなくて、仕方なく道に生えてる花とか虫とかを観察してみたりして。

今夜は昨日知り合ったおばちゃんがやってる民宿に家をおかせてもらう。今日は客もいないから部屋に泊まっていいよ。サービスしてやっから、と言ってくれた。ありがたい。おばちゃんに「旦那はアルツハイマーだから、気にすんな」と言われた。

民宿に入ると旦那さんが大声で迎えてくれた。
「ほんと立派なもんだ。いまの社会ってもんは悪徳業者ばっかりでしっちゃかめっちゃかだからな。あんたみたいな人がこれから社会を支えていくんだからな。俺はもう頭がダメになっちまった」
と言ってた。おばちゃんはまた
「アルツハイマーだから」
って言っている。
いまこれを自分の部屋で書いてるんだけど、ときどき旦那さんが怒鳴る声が聞こえる。おばちゃん大変そうだな。