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秋田県上空に雨を降らす前線が停滞しているらしく、天気予報がこの先一週間雨になっている。昨晩からずーっと雨が降ったりやんだりして、梅雨が また来たみたい。寝袋が湿っていて気持ち悪い。
なんとなく無気力になってる。腰も痛い。右の後ろがきりきりと痛む。一昨日母親から「父がぎっく り腰をやってしまいました」っていうメールが来てしばらくしてから腰が痛くなってきた。そういうことってあるよなあ。

マックスバリューというスーパーで弁当とサラダと牛乳を買って「お客様休憩所」というテーブルとイスがいくつか並べられたところで朝ご飯を食べ た。冷房が少し効きすぎすぎて肌寒い。お客様休憩所のそばに「嬉しい!楽しい!アイデア商品大集合」というコーナーがあって、そこに並べられた 6台のモニターからそれぞれの商品の紹介映像が流れている。6つの音声が混ざって耳障りなノイズと化しているそれを聞きながら、のり弁当を食べ る。

どうも無気力感に襲われて身動きがとれないので家でごろごろしてたら寝てしまった。12時頃起きて、今日も動かないで休むかって思ったあとすぐに「のまれちゃダメだ」って気持ちを切り返した。無気力なのも腰が痛いのも昨日から 動いてないせいだ。あと雨。そうすると腹が立ってくる。腰痛と雨のせいで無気力にされている状態を許しておくわけにはいかない。だから思い切っ て歩き始めた。ここからまた20キロくらい南に道の駅がある。そこまで行く。歩いていると前向きになる。 さっきまでいた道の駅は「いつまでも居られそうな場所」だった。そこに甘んじて動かないでいるとやる気がなくなってきて鬱っぽい状態になる。や る気がないから動かない。っていう悪循環に陥る。普通に家賃を払って暮らしてるときもこういうことがあった。まず動き始めないと。
5時半頃に道の駅についた。さっそく敷地の交渉をしてみたら、なんと泊まることは許可してないらしい。まさか道の駅でダメな場所があるなんて。
「でもテントとか張ってる人はたまに居ますからね。そういうのはまあ短期間なら黙認してるんですよ。だから今日1日くらいなら…。」
と言われた。 従業員の駐車場に家を置かせてもらって、家を夜モードにセッティングしていたらおじさんが話しかけてきた。埼玉から車で旅をはじめて今日で三日 目らしい。
「ここ家置いたらダメって言われたんですよ~」
と言ったら
「そりゃ聞かれたらダメって答えるよ。でもバイクとか自転車の旅人はこういう所では店のシャッターが閉まってからそこでテント張ったりしてる よ。夜はどうせ誰もいなくなるからね。」
と言われた。なるほど。みんなたくましいなあ。
また彼は
「あと一週間くらいしたら家に戻るかな」
とも言ってた。いい生活の仕方だなあと思った。「日本一周!」みたいに気をはらずに、何日間か車中泊であちこち動き回って家に戻ってくる。日々 の暮らしに新鮮な気持ちが保てそう。

夜寝ようとしたら突然すごい豪雨になった。ここまで降られるとあちこち雨漏りする。顔に水滴が落ちてきたりする。酔っぱらってるのもあって、雨 漏りしていることが楽しくなってくる。家に対して「そこもかよ」っていうツッコミを一人でいれる。でも寝れなくはなさそうだな~ってうとうとし てたら稲光がして、この家ごと雷に打たれるイメージが脳裏をかすめる。それは嫌だ。雷は嫌だ。迷ったけど、今夜は道の駅の休憩所で寝る事にし た。家には一晩がんばって耐えてもらう。休憩所では自転車の旅人(チャリダーという)らしき人達が5人くらい寝てた。なんだみんな寝てるじゃな いか。ほんとたくましい。

今日は動かなかった。天気がものすごく不安定で、突然雷雨になったりちょっと晴れたりする。
夏休みの自由研究で自分の家をつくりたいという小学生の少年とそのお母さんとおばあちゃんが訪ねてきた。少年は僕の家を見て目を輝かせていた。
「すげえ」
を連発していた。
僕は
「まず自分が寝るのに必要な広さを測って、家の大きさを決めるといいと思うよ。作ったらそこに一晩寝てみるといいよ。」
とアドバイスしてみた。彼は「ざいりょうははっぽうスチロール」とか「ボンドとガムテープとベニ ヤ」とかって熱心にメモを取っていた。最後に何度も
「ありがとうございました」
と言ってくれた。別れてしばらくして、道の駅の休憩室にいる僕を再びその親子が訪ねてきた。少年 はまた
「ありがとうございました」
と言って、僕に千円を差し出した。笑ってしまった。お金くれるのか。
母親が
「餞別をあげたいんですって」
と言っていた。嬉しいな。そして小学生ながらそういう経済感覚を持ってることに感激した。今日の銭湯代にします。

そういえば昨日は、4月に自転車で東京を出発して山口県まで行ったあと、日本海沿いを北上している旅人の女の子に出会った。大学を休学して旅をしているらしい。女一人旅なので、親との約束がいろい ろあるらしい。野宿はダメとか、毎日宿が決まってから連絡するとか。そういうのを守りながらもう 4ヶ月旅をしているという。えらいな~。
彼女はいったん別れたあと、数十分後に引き返してきて
「なんでこういうことやってるんですか?」
と聞いてきた。なので近くの芝生に座り込んで2時間くらい話した。今まで考えてきた事を思いつく限り話した。
「そういう事は考えたことがなかった。頭がパンクしそうです」
って言われて嬉しかった。それだけ僕の話にリアリティがあったってことなんだろう。また会いたいな。
夜、休憩室で絵を描いてたら今度は茶髪で日焼けした若い男の人に話しかけられた。彼は名古屋出発の自転車の旅をしているらしい。
「毎日絵を描いてるっていう人ですか?」
と聞かれた。そういう噂が流れてるのか。 彼は僕が家を持って歩いてることは知らなかったので説明してみたら、わっはっはと笑いながら
「変態ですね」
を連発していた。変態でもなんでもいいんだよ。彼からは
「なんでやってるんですか?」
という質問は来なかった。ははーん。

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この移動生活をしながら旅をしたらどういうことになるんだろう。この発泡スチロールの家をどこかに1ヶ月くらい置かせてもらって、僕はリュックだけもってどこかに行く。 旅が終わったら自分の家を置かせてもらっているところに帰ってきて、また移動生活を再開する。そうなってくるともう訳がわからないな。とにかくそうやってごちゃごちゃに して、日々の別の在り方を可能な限り想像したい。

10時頃に道の駅岩城を出発。次はまた20キロくらい南下して「道の駅にしめ」に向かう。このへんは道の駅がだいたい20キロごとにあって、しかも全てに温泉施設がつい てるからとても動きやすい。 今日もたくさんの車に抜かれながら国道を歩く。トラックが通るときに風がおこる。僕と家は、道に生えてる草花と一緒になって風に揺れる。なんか笑っちゃう。今日だけで3 ヶ所くらい、歩道に花束が置かれているのを見た。死亡事故があった現場なんだろう。花束を見つけるたびに手をあわせた。交通事故はかなしい。
車に轢かれた蛇の死体も今ま で何回も見てきた。それらに蛇の原型はなくて、ただ細長い楕円形をした平べったいものがアスファルトにはり付いているように見えるだけ。鱗や口元を見るとかろうじてそれ が蛇の死体だってことがわかる。ぐちゃぐちゃの死体だ。この蛇が轢かれた瞬間を想像してみる。自分が死んだ事もよくわからないまま死んでいったんだろうと思う。それは一 瞬の出来事だから。車を運転しているドライバーの方も「カタッ」っていうちょっとした衝撃を感じるだけだ。もしかしたら全く気がつかないまま轢いているかもしれない。そ の「カタッ」ていう取るに足らない些細な衝撃の瞬間、蛇の頭蓋骨や骨がグシャッと粉砕される。そんな瞬間を想像してみる。轢いた方も轢かれた方も気づかないまま蛇が死ん でしまったとしたら、それはあってはいけないことのように思える。だから蛇の死体を見つけたら、報告しなくちゃいけない。
「ここに蛇が死んでます!」
って。誰にむかって報告するのかわかんないけど、なんか空とか海とか、大いなるものに対して報告しなくちゃって思う。神聖な生き物だし。「蛇が死んでいるところ を確かに発見しました。蛇さんご苦労様です」って。そんで、僕はここで蛇が死んでいることを発見できて良かったと思う。
「この蛇を救いたかった」とか「車のせいで、道路のせいで蛇が死んでしまっ た。許せん」みたいな事は思わない。それは仕方のなかったことだから。ただそれを見つけたとき、「ここに蛇が死んでます!」っていう報告をしなきゃいけないんだ。何に向かって報告するのかはわからないけど。

「日本一周ブログランキング」なるものがあるらしい。登録してはどうかっていうコメントが寄せられていた。迷った。確かに見る人は増えそうだし、敷地交渉もすこし楽にな りそうだ。でも、そもそも僕はなんでこの日記をつけているのか考えた。以前も書いた気がするけど、出会った物事や考えたことを自分の中で完結させるために書いているってのが一番大 きい。ランキングとかに参加し始めたら、なんか他人に向けた文章になってしまうんじゃないかと思って、それはやっぱりやめようと思った。そもそも目的が「日本一周」とか では無いしな。結果的に本州を1周する形になりそうってだけだし、1周で終わるのかもまだわからないし。ためしに「日本10周」とかで検索してみたら、意外とヒットしなかった。

夕方「道の駅にしめ」についた。敷地交渉をしたらあっさりOKだった。
「どこか置いちゃだめなところはありますか?」
って聞いたら
「そういうのはありません」
とのこと。道の駅では敷地交渉を断られる事はまず無いと思ってよさそうだ。この駅は敷地内にお風呂とレストランとスーパーとカラオケと土産物屋がある。ここで暮らせるじ ゃないか。

今日も蒸し暑い。海に入りたい。昨日は泳いでる人けっこういたけど今日は数えるくらいしかいない。でも「ここは海水浴場ではあり ません」っていう看板が立っている。きれいな砂浜が広がっていて気持ちよく泳げそうだけどな。「海水浴場」ってなんだ。お昼に波 打ち際まで行って足を海につけてみたりした。

朝から晩まで道の駅にいた。ずっと絵を描いていて、たまに近くのコンビニにいってジャンプを立ち読みしたりした。道の駅にはいろ んな人が来る。家族連れが多いけど、カップルや老夫婦(道の駅にいる大抵の老夫婦はキャンピングカーに乗っている)もけっこうい る。バイクでツーリングしてるグループや、一人で走ってる人もいる。いろんな地名のナンバープレートの車がある。そういう人が休 憩室に入っては出て行くさまを見ながら、僕はずっと絵を描いていた。すぐに夜になっちゃった。21時になって、蛍の光が流れはじ める。休憩室や、温泉施設の大広間でごろごろしていた人たちがみんな帰っていく。外には犬の散歩をしている人もいれば、車のカー ナビに目的地を入力している人もいる。僕は彼らを見送るような気持ちになっている。さみしい。僕は今日一日道の駅の住人だった。 移動しつづける事と、道の駅に居続けることは似ている気がした。僕も明日にはここを出ていく。見送る人はいないだろうけど。
遠くの海が2ヶ所ぼんやりと光っている。漁火だと思うんだけどかなり遠くでぼやっと広範囲に光っていて妖しい。今日は少し風があ るので、風車が回っている。キィィィィィっていう高周波な音が鳴ってる。風車はすぐそばにあるので、気にしだすと結構うるさい。 そういえば十和田湖のグリランドのオーナーが、風力発電の風車による音が生態系に及ぼす影響があって、その調査の仕事もしてるっ て言ってたな。

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朝、秋田温泉を出発。ここから26キロ南にある「道の駅岩城」にとりあえず向かう。温泉があるから。 今日も暑い日だ。風もない。汗がだらだら出てくる。何リットルも飲み物を飲みながら歩いた。海沿いの国道に出ると日陰もあまりなかった。でも僕の家の内部は、外よ りもずっと涼しい。日陰になるし風が抜けてくれる。この道、歩きの旅人は大変だろうな。Tシャツが汗でぐっしょりになって、高校の部活を思い出した。

夏祭りのシーズンで、歩いてる途中に子供がたくさん乗っている山車と出会ったりした。「すいませんすいません」って感じでさっさと通り過ぎる。あんまり神輿や山車のそばは通りた くない。水を差すような気がする。昨日の事も、水を差されたと感じた人がいたって事なんだろうな。

お昼頃、国道沿いにある個人商店の前に家を置いて休憩した。店に入ると、一番最初にサンダルが陳列された棚が目に付く。そのそばの棚にはパンが並べられている。 いい感じのおばちゃんが
「はいどうも」
って出てきた。僕はパンを眺めていた。そしたらおばちゃんが近づいてきて
「これはね、おいしいですよ。」
と説明をし始めた。
「ブルーベリーとかぼちゃとメロンがあります。あんぱんみたいに、クリームがひとつに固まってるんじゃなくて、パン全体に入ってるから食べやすいです。」
という。
僕は
「ああ、そうなんですか」
と答える。僕はもう笑顔がとまらなかった。自分で焼いたパンでもなんでもない、普通にスーパーとかでも流通している包装されたパンの解説を店のおばちゃんがしてく れているのだ。すっごく良い。
「じゃあブルーベリーとかぼちゃのパンをもらいます。あとこのジュースももらいます」
といってレジに持っていくと
「このカボチャパンの袋の写真がね、全然美味しそうじゃないでしょ〜」
と笑って言う。パッケージに写真が使われてるんだけど、それが黄色いカボチャの実の写真じゃなくて緑色のゴロっとしたカボチャそのものの写真だ。たしかに美味しく なさそうだ。
「でもパンはおいしいから大丈夫です。消費税はいらないから、370円です」
とおばちゃん。良いお店だったな。

道の駅に着いたのは5時頃。なんと、茨城から僕を訪ねて人が来てくれた。休みを利用して、青森で一泊してからここまで来たらしい。嬉しい。道の駅の休憩所で、今ま であった印象的なことやいま考えていることを話した。こういうこともあるんだな。水戸ナンバーの車はその人の他にはいなかった。
駅の事務所に行って敷地を交渉したら、オッケーしてくれた。
「ここは国の管轄だから基本的に自由に使えます。あんまり長期滞在じゃなければ大丈夫です」
とのこと。併設されている温泉がとっても良かった。日本海が一望できる。しかも日没の頃に入ったので、日が沈むのをみながら少ししょっぱい温泉につかった。
21時に突然町内放送があった。「ふるさと」が流れたあとで
「今日一日のお仕事おつかれさまでした。火の元、戸締まりにお気をつけておやすみください。」
って言ってた。
いま、海の近くのウッドデッキに置かれたイスに座って日記を書いている。蒸し暑い夜だ。風もない。道の駅のそばにある風車もまわっていない。寝苦しい夜になりそ う。海の上にちょうど半分の月が出ている。波打ち際のほうからは波の音と、時々人の笑い声が聞こえる。海のずっと遠くの方に漁火がいくつか見える。

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12時ごろ井川町を出発。ここにもまた来たい。
今日も暑い。路上で子供を二人連れたお父さんが話しかけてきた。彼は新聞を読んでいたらしく、ペットボトルの麦茶を差し入れてくれた。
「子供が、なんで家持って歩いてるのか聞きたがってるので、ちょっと教えてもらえませんか」
と言われた。返答に困ってしまった。
「普通に生活するのに飽きちゃって、もううんざりしちゃったんだよ」
とか言えばよかったのかな。それも理由の1つではある。そういえば水戸で出会った男の子が僕の家を見て
「僕ものりたい!」
って言ってた。「のりたい」って面白い言い方するなあ。移動するもの=乗り物っていう感じがするもんな。

歩いていると一歩踏み出す度に、両肩にリュックと家の重さがのしかかる。その重さは今の生活の全ての重さで、それを感じながら歩くということは、何か僕の存在を自分で肯定 しながら進んでいるような気がした。
歩いてたら、路上でキャップ帽を被った男の人から
「新聞みたよ。いま祭りやってんだ。寄ってけよ」
と話しかけられた。着いていくと小さな公園にいくつかの出店があって提灯が飾られている。町会単位でやるような小さなお祭り。今考えると、家を無神経に公園に入れたのがち ょっとまずかったのかもしれない。家を置いて、キャップ帽の人がおにぎりとフランクフルトを持ってきてくれるのを待っていたら
一人の男性が
「おたくはなんですか?」
と、強めな態度で聞いてきた。たぶん不審に見られている。僕も呼ばれてきた身なので、意表をつかれた。そうかこんなパターンもあるのか。
「あの人に呼ばれてきたんですよ」
って説明したら、彼はキャップ帽の人に
「お知り合いなんですか?」
と聞いた。キャップ帽の人は
「いや家担いで全国歩いてるって新聞に載ってたじゃないですか。~~」
と説明している。聞いた人は
「いや、外の人はいれないってルールがあるから、、」
というようなことを言っている。そういうルールがあるのか。これは招かれざる客ってやつだなあと思ってやりとりを見ていたら別のおばちゃんが会話に入ってきて
「いいじゃない、いいじゃない。来てくれたんだからそんなこと。いいのいいの」
と言っている。そのおばちゃんが場の空気を支配した。とりあえず僕は家から出て挨拶をしてまわった。 キャップ帽の人が町会長を連れてきて、僕のことを説明してくれた。町会長は丁寧に自己紹介をしてくれた。僕もお辞儀をして名乗った。町会長はテントに招待してくれて、パイ プイスをすすめてくれた。良い会長で良かったなと思って、僕はとにかく一生懸命自分の活動を説明した。町会長は「そうですか」と聞いてくれる。そしてババヘラアイスのこと を説明してくれたりする。
そしたら近くにいた女性が「ちょっとちょっと」って感じで寄ってきた。僕と会長が話し込んでいるのが気に入らないらしい。
「いま会議の時間でもないんですから、あんまりそうやってないで、こっちのことをやってもらわないと。時間もないんですから。(僕の家を指して)ああいうものをここにおく のだって、あっちゃいけない事なんですよ。やっぱり町にきたんだったら町のルールは守ってもらわないと。とにかくねえ」
という感じで、なんかしらないけどめっちゃピリピリしてる。僕も連れてこられた身なんだけどなあ。でもここはあんまり長居したらヤバそうな雰囲気だ。町会長さんは「うんうん」と女性の話を聞いて、すこし間をおいてから
「少し休んだら、出発していただけますか?」
と言った。僕はキャップ帽の人に
「あんまり長居するとまずそうですね」
と言って出て行く準備をする。彼は
「そうだな」
と答えた。彼もなんとなく不満そうな感じ。僕はすぐ出発した。怒りに近い感情は多少あったけど、なにより呆然としてしまった。誰かが「日本人は身内に対しては優しいけど外 からきた人間にはやたら厳しい」みたいなこと言ってたけど、その教科書的な出来事が目の前でおこった。こういう人って、本当にいるんだなあと。
なんでこういうことになるんだろうなあ。あの場には3種類の人がいた。僕を祭に受け入れようとする人と、少し離れて見ている人と、僕を祭からはじきだそうとする人。そんで 「受け入れる力」よりも「はじき出そうとする力」の方が強くはたらくように思う。今までもこういう扱いはあったし、もう落ち込んだりはしないけど、外から来た人に対してア タリが強いのはもう民族性なんだろうなと思ってしまう。そんなんで楽しいのかなー。ご苦労様ですって感じ。
そういえば昨日僕を泊めてくれた人も、隣の家の人から「なんなの、なんなの」って感じで説明を求められていた。一生懸命説明してくれたけど、そのあと 「あなたのことを『親戚です』って紹介した方がよかったのかな」
って言ってた。そうだな。たぶん親戚だって言われたらすぐに納得しただろうな。

7時ごろ「秋田温泉」という温泉郷に着く。「まずはお風呂に入りたい」その一心でここまできた。日帰りだけの入浴施設があれば一番良かったんだけど、なかったのでホテルで 敷地の交渉をしてみた。オーナーが不在だったけど、とっても丁寧に対応してくれて、電話で連絡を取ってくれた。 結果はだめだった。「セキュリティのこともありますし」
とのこと。まあ予想はしていた。そもそも宿泊施設だしな。 でも7時を過ぎていて外はもう暗くて、またイチから敷地探しをはじめる気力もないので、普通に部屋を借りて泊まろうと思って
「今日お部屋ってあいてますか?」
と聞いてみたら
「明日からお祭りがはじまるので、今日は全て埋まってしまっているんですよ。申し訳ございません」
と言われる。そうか、そうか。いよいよやばいかもな。お礼を言って出ていって、どうしようかうろうろ考える。「家だけ置いていけばいいんじゃね?」と思い、もう一回ホテル にいって聞いてみると
「何かあっても責任はとれませんが、それでもよろしければ」
とのこと。よかった。このとき、ふっと心の荷がおりたのを感じた。泊まるのはダメだけど、荷物として駐車場に置いて行くのはオッケーてパターンは初めてだ。でも、家さえ置 かせてもらえれば、体だけ寝る場所はなんとでもなる。今日はまあしょうがない。秋田駅まで行けば満喫とかあるだろう。 ただの荷物になり下がった僕の家は、駐車場に置かれてなんとなく寂しそうに見えた。
すまないなあ。

めっちゃ蒸し暑くて、雨が突然降ったりする日だった。あんまり急いでもしょうがないので、今日は 動かなかった。東京の夏に似た日だ。秋田もこんな蒸す日があるのか。
近くに彫刻がたくさんある公園があると聞いたので行ってみたけど、ちょっと歩いただけで汗がだら だら出てくるのであんまり長く見る気にもなれない。人物のブロンズ彫刻があって、その服の中でス ズメが巣をつくっている。めちゃ暑そう。
夜、また宴会に呼ばれる。昨日と別メンバー。新しい人が二人いて、とても良い感じに受け入れてく れた。以前も一人旅をしている女の子を同じ空き家に泊めたという話を聞く。若い女の子だったらし く、自己防衛のためにハンマーを持ち歩いていて、それが役にたったこともあるらしい。
僕を呼んでくれた人が
「そういう旅人をよく連れてくるんだよこの人は」
と言われている。その人は
「でも楽しいでしょ。自分では声かけないけど、私が声かけた人との宴会には来てるじゃない」
と返す。そういう役割がそれぞれあるんだろうな。受け入れる人と、それに乗っかる人と。

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秋田県には東京の蒸し暑さはない。日中日差しが強くて暑いことはあるけど、朝晩は冷え込むくらいになる。夏は北に来て正解だった。
お昼ごろに加藤さんの家を出て、今度は井川町というところにむかう。ここから20キロくらい南下
したところにある。数日前に知らない人から
「よかったら泊まっていっててください」
というメールが突然来た。僕のことを新聞で知ったらしい。そこに向かう。
夕方、ちりとりの角を使って家の前の道路にこびりついたゴミを掃除しているおじさんのそばを通り
過ぎたあたりから井川町に入った。「日本を、取り戻す」と書かれた自民党のポスターを見つけた。
メールをくれた人と合流して、一軒家に案内された。その人の姉夫婦が住んでいた家らしいけど、二 人とも亡くなってしまって今は空き家になっているらしい。
「ここ自由に使っていいよ」
と言われた。鍵も渡してくれた。こんな事初めて。話を聞いてみると、これまで旅人を何人か泊めた ことがあるらしい。勤め先が国道沿いなので、よく旅人が通りかかる。それに声をかけたりするとい う。で、その度に仲間を集めて宴会をするという。
僕も夜は宴会に呼んでもらった。6人くらいい る。奥さんの地元で暮らすために長崎から移住してきたという人がいて
「こっちの人の言葉、何言ってるかわかんねえべ」
と言ってた。その人と僕以外はみんな「こっちの人」だ。「何言ってるか、わかんねえよな~」って 笑っているとき、なんか泣きそうになる瞬間があった。こういう違いを笑い合えるのって素敵だな。

しかし昨日の加藤さんといい今日の人といい、本当に色んなひとがいるなと思う。もし僕が歩いてな ければ出会う事はなかった。最近つくづく思うけど、毎日発見がたくさんある。あぶないあぶない、 と思う。歩かないと気がつかないことは本当にたくさんある。この生活にこんな側面があったなんて 想像できなかった。この歩きをベースにした生活にこれだけ発見があるなんて。ほんとどうかして た。狂っていた。僕は「~から~まで」行くっていう脳みそになっちゃってい る。
彼女とデートするにしても、遊びに行くにしてもまず「どこにいくか」を考えてしまって、「そ こまで行く」ことが大事だと無自覚に思っていた。その道の途中にこそ、それまで知らなかった事、 面白い事があることを考えもしなかった。 もっと言うと、そうやって行った先で「写真を撮る」ことが大事だと思い込んでいる。素早く目的地 までたどり着くために飛ばした時間と空間の中にもたくさんのまちや人がいることを考えもしない。
バイパスをたくさん歩いてきた。バイパスでは車がたくさん通り過ぎて行った。その名の通り 「パス」していった。僕はそのバイパスの路上にコスモスが生えている事を知っている。アリの巣が ある事を知っているし、人知れず車に轢かれた蛇の死体があることを知っている。車が時速70キロ で通り過ぎて行った土地を、僕は時速4キロで歩いていったから、それらを知っている。1日何千台 もの車に抜かされるけど、そのたびに思う「僕の方がずっと遠くに行ける」って。

歩かないと気がつかないまちがある。知らないまま通り過ぎる無数のま ちがある。あたりまえだけど、知らなかった。僕はいま井川町というところにある空き家にとめさせ てもらっている。持ち主が亡くなった空き家。ここにも物語があった。昨日までそんな名前の町があ ることすら知らなかった。それがいまはどうだ。壁と天井を持った大きな空間が目の前にある。現実 に目の前にある。これがどれだけ大発見かは体験してみないと絶対にわからない。

これまでいくつか「観光地」をみてきた。ほとんどは、空き家とつぶれたホテルとシャッターのしま った商店でできていた。かなしい景色だった。大きな灰色の悲しみがまちの上に浮かんでる気がし た。「昔は賑わったんだよ」って話をきくと泣きそうになった。もう見たくない。通り過ぎた土地にもたくさん町があることに想像を働かせないで目的地まで行ってしまうことは、ひとつの暴力だと思った。僕はこれまで無自覚にそういう暴力を働いていた。あぶないあぶない。

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海水浴場で大きな砂像を作って展示する「サンドクラフト」というイベントがあるらしい。朝、ここの職員さんが連れて行ってくれた。トマトを6個くれた人。 海についたらまずでかい風車が目についた。小学校の工作で作るようなモノをそのまま大きくしたかたち。大きなハネがゆっくりまわってる。かっこいい。 サンドクラフトは、ふなっしーとかドラえもんとか風の神様とかそういうモチーフが多いなか、地元の建設組合が「建設機械」というタイトルでブルドーザーを作ってたのが 良かった。ちゃんとKOMATSUというロゴも入ってる。ぐっときた。
お昼頃「ゆうぱる」を出て、加藤さんという人の家に向かう。昨日の夜ここのオーナーさんが
「この近くにも芸術家がいる。明日はそこに行ってみるといいですよ」
といって、僕のことをその人に紹介してくれている。ここから2キロくらい離れたところに住んでいるらしい。
遊園地みたいな家だった。敷地の中に家と、あずま屋が1つと、犬小屋が1つと、小屋が二つ建ってる。 二つの小屋はそれぞれステンドグラス工房と、そば打ち工房になってる。 またこのあたりは温泉が通っていて、月5000円で使い放題らしい。プライベートの露天風呂があった。 加藤さん本人もすごい人。
「退職後に遊びではじめたんだ」
って言ってるけど、つくるものの完成度がとっても高い。ステンドグラスとそば打ちと木彫とハンコと俳句と果実酒(61種類もある)作りと書をやってる。昔盆栽もやって たらしい。
集中力は何時間も続くわけじゃないから、例えばステンドグラスに飽きたら木彫をやるっていうふうに一日を過ごしているらしい。
「退屈することがねえ」
って言ってた。これも生きる力だ。
毎週新聞に投稿する俳句が選ばれてるか見るのを楽しみにしていて
「明日の新聞にも俳句載ってたらいいなあ」
と言ってた。
「そんな何回ものるわけないの。ねえ?」
と奥さん。良いな。

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今まで大体15社くらいの新聞社からの取材をうけたけれど、僕は言う内容はほとんど変えていないのに書かれる記事の内容が微妙に違っている。新聞の記者って、取材した内容を速攻で記事にしないといけないから、それぞれの記者は「記事にする方法論」みたいな装置が頭の中にあって、取材したことをどんどんそれにかけて記事にしていくんだろうな。その装置が人によって違うんだろう。記事を本人に確認してから載せる、ということはしない。そんな暇はないんだろうな。新聞は毎日新しいものが発行されて、ニュースはどんどん更新されていく。記事の厳密な正確さとかを求めるよりもとにかく素早く紙面にしていく。ってのが新聞の役割なんだろうな。そして読む人も、例えば小説を読むように記事を読み込むということはあまりしない。そういえば新聞を「みる」とはいうけど「読む」とはあまり言わないな。そうやって書かれた微妙に違う内容の記事を見るのは面白い。

 

ハイロウズでマーシーが「誰かが予言してるほど良くも悪くもないのだ」って歌ってる。地球上の全員が完全に狂っている、思考回路がストンと落ちてしまっている可能性をいつも考えないといけない。

秋田県能代市の、とある家のベランダに洗濯物が干してある。たしか東京都杉並区の家のベランダにも洗濯物が干してあった。岩手県大船渡市の仮設住宅の窓にも洗濯物が干してあった。どこにいってもある。ほんとどこにでもあるから笑っちゃう。どこの家にも洗濯物は干してあるし、どこの家でも換気のためにあけた窓でカーテンが揺れてる。どんな山奥の家でも海沿いの家でも何十坪もある大きな家もワンルームの小さなアパートもおなじ。ぜーんぶ同じ。「生活」ってのは全てのものごとの下にまわりこむ。どこのお墓にも花は生けてあるし、草刈りをやってるし、飲み物を自動販売機で買う。どの街にも犬の散歩してる人はいるし、街角では挨拶が交わされている。そしてどこの道端にもクローバーやら黄色と白の小さな花やらが咲いていて、アリは行列をつくっている。このへんのアリはやたらデカイけど。洗濯するといえば洗濯機だし、移動といえば車、都会では電車とかバスとか。そんな土台の上で、みんな一生懸命仕事をしたり、一生懸命仕事をしなかったりしている。好きなことで忙しい人もいれば、そういう人に乗っかるのが好きな人もいる。特に好きじゃないことで忙しい人もいるだろう。実家のガソリンスタンドを継いで一生を終える覚悟を決めた人もいる。路上では雑草が勢力争いをしている。背の高いやつとか葉の大きなやつとか、それぞれ生き残るためにいろいろな戦略をとっている。眺めていたら風が吹いた。そのとき全ての草が、全体として揺れた。突然原っぱとしての、雑草としての「全体」があらわれた。いろんな形の葉をもった雑草が、同じように風に揺れているのを見て思った。俺は希望がつくりたいんだ。そういうことはいままで考えた事がなかった。でも「希望がつくりたい。そこまでは言える」と思った。世の中を明るくとか、希望とか夢とかそういう言葉はあんまり好きじゃない。友川カズキだって言ってる「言葉に意味はなくひとつの輪郭にすぎない。絆っていう字書かないと、そういう絆っていう感覚持てないの?」って。世のため人のためとかではなく、自分に向けて希望がつくりたい。そこまでは言っても大丈夫だ。たぶん。そしてそうやって歩いてると、考えたことがどんどん後ろに流れていく。一瞬一瞬がどんどん過ぎていく。前向きにならざるを得ない。音楽を聴きながら歩いていると、前向きにならざるを得ない。

 

今日は能代市を出て森岳温泉郷というところに行った。18キロくらい。能代市でもたくさんの人と出会った。ここもまた来たいな。平山さんの同級生の紹介で、森岳温泉の「ゆうぱる」っていう浴場の敷地に寝かせてもらえることになった。夕方に着いて温泉にいれてもらえた。とってもいい感じのお店。ここの温泉はすっごく透明でしょっぱい。この森岳温泉郷も、けっこうさびれてしまってる。かつて10軒以上あった旅館も今は2軒しかないらしい。ストリップ劇場もあったという。大きなホテルがつぶれてそのままになってる。旅館の跡地は老人ホームになってる。大湯温泉でも同じ事が起きてた。大湯温泉なんか、主要産業は老人ホームって言ってる人もいた。わかりやすいなあ。

「交通手段が発達すると、昔のようにどこかに寄って行こうという客がいなくなった」

って話を聞いた。そう目的地までいっぺんに行こうという意識になっちゃうんだ。目的地とか目的とか、つまんない言葉。

 

今夜はゆうぱるのオーナーの気遣いで、大広間みたいなところに寝かせてもらえることになった。ありがたい。

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今日も動かない。ずっと絵を描いていた。近くのイオンにボールペンを買いにいったりした。イオン はどこにでもあるな。夢工房咲く咲くの能登さんは本当に朝から晩まで動き回っているような人で、 よく手がまわるなあとおもう。いま日記を書いている工房でも、毎日のように何らかの先生を呼んで 何らかの講座が開かれてる。自分で始めたことで忙しくしているのはとてもいいな。
夜、平山さん夫妻に近所の「ひさや大食堂」という中華料理屋に連れていってもらった(平山さんは 一昨年新潟で知り合った羽鳥さんに似ているし、近いオーラを感じる)。「超美味しいから」と言わ れてから行ったけど、本当に美味しかった。シュウマイと酢豚が最高。しかも、そこの店長はむかし 武蔵美の近くにある居酒屋「風神亭」の店長をやってたらしい。学生時代よく行ってた店だ。こんな とこでそんな人と会えるなんて。何があるかわからん。
平山さんが、冬の能代の話をしてくれた。ここらは雪は降るけど風が強いのでそんなに積もらない。 だから空は晴れていて風が強いとき、地吹雪という状態になる。地面にすこし積もった雪が、風で舞 い上がるらしい。風速20メートルなんてよくある話だという。だから昼でも車のライトはつける し、つけていても対向車がよく見えない。毎年冬は戦のような気持ちで日々を過ごすらしい。厳しい 冬の話をしているけど、平山さん達の表情はとっても生き生きしている。
「冬はすげえんだぞ。地吹雪体験してみな~。でも夏の暑さは、これ以上の暑さを知らねえから。暑 いのは駄目だ」
と話してた。「冬の厳しさなら負けねえぞ」って感じだ。
「でも北海道には負けるけどな。あすこは死人が出るからな」
とも言ってた。

まちを歩いてる時に見つけたかっこいい壁画

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毎週日曜日は朝市の日らしい。9時頃から「夢工房」の駐車場に人が集まってきて野菜などを売る準備をしている。僕はそのそばで 日記を書いている。
だいぶ腰の曲がったおばあちゃんが
「おら、一月にひ孫が生まれんだ。彼女柔和な人だ。よかった」
と話しかけてきた。彼女はいま87歳で、1月にひ孫がうまれるらしい。僕のおじいちゃんと同世代。
「やっぱ彼女つくんねとだめだ。子供生まれねんだもん」
訛がつよい。上の台詞までは聞き取れたけどそのあと
「とうちゃんがな、けいさのっであぐなのっであぐなってな。でもやまのはたけのほさはのっでな」
という感じで話されて、全然意味がわからない。なんとか意味を汲み取ろうとして聞き返していくと
「旦那が(もう年だから)、軽(自動車)に乗るな乗るなってな。でも山の畑へは乗っていくけどな」
っと言ったみたい。これも定かではないけど。
他に男の人に「旅のお方、食べてくれ」ってトマトもらったりした。「旅のお方」なんて台詞はドラクエでしか聞いたことない。外 からお祭りの山車が通りすぎる音が聞こえる。

今日はコインランドリーに行ったあと、ずっと絵を描いていた。昨日の疲れが足に残っている。風がとっても強くて、晴れたかと思 えば突然強い雨が降ったりする。夜は、はかり店の平山さんが家に呼んでくれた。彼女は地域の養護学校の生徒たちがつくった絵な どを町のあちこちで展示する「まちなか展覧会」なども企画しているらしい。今年で6回目になるという。「はかり店」でやる企画 として何か面白いアイデアがないかと一緒に考えたりした。
オキライの潮目の話をした。
「こっちも震災の影響で、スーパーから商品が無くなったりして大変ーって思ってたけど、そういうのが恥ずかしくなるね」
と言ってた。