福田さんの奥さんとお兄さんは写真をやってて、僕が出発したあと二人でしばらくついてきて、歩いているところを写真に撮りまくっていた。結構本気で走って僕の 前に回り込んだり、道沿いに咲いてた花と一緒に撮ろうとしたりして、二人とも夢中だった。きっとあとで新聞に投稿するんだろう。良いな。福田さんの旦那さんは は別れ際に
「また近くに来たら、いつでもいいから泊まってけよ。来年でも再来年でも10年後でもいい。」
と言ってくれた。

だんだん寒くなってきてる。早く南下しないと早々に上着を買うはめになる。本当は長野市から北西に進んでいって、富山県に入ったほうが短い距離ですむんだけ ど、そのルートは深い山道を数十キロ歩かないといけない。最近頻繁に近くでクマが出没したという噂を聞くってこともあって、山道を避けてここから新潟県の上越 まで北上して、そこから海沿いを西に進むことにした。須坂市から25キロくらい北に行った新潟県との県境近くに信濃町という町があって、そこに住んでる松田さ んという女性のアーティストと松代の展示会場で出会っていた。今日はその彼女の家に行く。彼女の母親は町で唯一の小学校の学童の先生をしていて、僕を先生とし てそこに招いてくれていた。

9時過ぎに学童について、何もわからないまま小学1~3年生十数人を相手に段ボールや紙の箱やら新聞やらで家づくりをはじめた。始めはみんなで壁を作ったり屋 根を作ったり柱を作ったりして、出来てきたらそれぞれ勝手にキッチンを作ったりテーブルを作ったり番犬(みぃちゃん)と犬小屋を作ったり、サインを作ったりし ていた。小さなビルをつくりはじめた女の子もいた。鎌と盾をつくって、僕が壁に貼付けた紙の鳥を狩りはじめる奴もでてきた。子供のエネルギーはすごい。そのエ ネルギーがすごすぎて疲れちゃうのでけっこう苦手なんだけど、このくらいの年の子達と一緒に何か作ったりするのは刺激的でもある。彼らは「今」の中に生きてる 感じがする。美術家の山本高之さんのことを思い出した。彼はこういう経験を繰り返して作品のアイデアを固めていったんだろうな。

お昼ご飯を一緒に食べたんだけど、そこで小学2年生の女の子が教室にスズメが入ってきた時の話をしてくれた。
「窓からスズメが入ってきて、窓のところにとまったんだけどね。剣道やってる男の子が足で床をドンッ!ってやったら、気絶しちゃったの。」

学童のあと、松田さんの家に行った。山のなかに大きな敷地を持っていて、そこに建てたログハウスに住んでいる。おなじ敷地内に他に3つぐらいログハウスがあっ て、それぞれ人が住んでるらしい。楽しそうだ。こんな生活のしかたもあるんだ。夕飯に近所から家族を二組招いてくれて、一緒にカレーを食べた。明日にはもうこ こを出るんだなあと思ったら、そのめまぐるしさにぞっとした。このスピード感すごい。また慣れるのにすこし時間がかかりそうだ。

長野で活動的な人たちの話をきいた。額縁屋さんがいて、その店の客は作家だ。作家が展示するためのレンタルスペースをしようとしてい る人もいてその人たちの客も作家だ。その作家の作品を多くの人に見てもらうように、買ってもらえるようにしないといけないのにそこまで考えてられてなくて、お 金が身内だけでまわってる感じがあるみたい。なんか悲しくなった。僕も歩いていて、出会う人からよく
「個展するなら場所代かかるだろ」
って言われて、道にいる多くの人はギャラリーと言えば貸画廊のことだと思っているところがあって、ため息をつきたくなるんだけど。作家から場所代としてお金とって どうするんだって思うんだけど。最近よくメールがくるなんとかマインドって会社も、イベントを企画して作家に数万円の参加費を払わせてやってるんだけど彼らは いったい何を考えているんだろう。それで発表したがる人がたくさんいるからいいのかもしれないけれど、けっこう腹だたしい。だけど面白いからメールは見るようにしてる。夕飯を一緒に食べた近所のお母さんで、駅とか大学とか会 社とかそういう公共空間にパブリックアートを設置する仲介のようなことをやってる会社に勤めている人がいて、こういう産業もあるんだなあ。

20140930-091936.jpg

20140930-091912.jpg

20140930-092549.jpg

今日からまた歩き始める。足が重い。松代に2週間以上留まった。自分の寝場所も家の置き場所も確保された状態での2週間で、展示に来たお客さんと話すのも他の作家と話すの も楽しかった。刺激的だけど、とても楽な日々だった。環境が安全すぎて飲酒量が増えたりして、いま僕は何もしていないから世界に存在していないなんて思い悩むこともあって、それはそれで辛くて、バイトしてたころの気持ちを思い出したりしたけれど。展示の撤収が終わってから昨日までなおこと松本で遊んだ。松本は彼女が7年くらい住んでた町 らしい。僕は半年以上前の彼女を知らない。行きつけの喫茶店とか知り合いのお店とか高校からの友達とかいろいろ紹介されて、紹介されるごとに 「どこにお住まいなんですか?」 って聞かれて返答に困ったり。そういうの全部が楽しくて、楽だった。楽しいと楽って同じ字なんだな。これからまた歩き始めるということに対して全然現実味がない。
それでも歩き出したらなんとなく軌道に乗っていくもので、松代から須坂市を目指して歩いてたら頭がすっきりしてきた。この2週間のおかげでやるべきことがすこしクリアにな った気がする。迷うことに対する迷いを消したいと思った。「答え」とかを出さないように気をつけようと思った。答えは出すよりも出さない方が難しい。考えつづける方が精神 力がいる。それに負けて何かとすぐに決めつけたり、迷いを消したりしようとしちゃうんだけど、そうならないように気をつけようと思った。だからずっと気持ち悪いし、表現と してはだめなのかもしれないけど。迷いとかあったら人に伝わらないのかもしれない。「これは間違ってる!」と言う方が「これは間違ってるかもしれないし、間違ってないかも しれない…」と言うよりも強くて伝わりやすいのかもしれないけれど。それでもいいと思った。
「これは間違ってるとも間違ってないとも言えない!!!」
と大きな声で言えばいいのだ。いま僕はそれをやっているつもりだ。

歩いてたら目が乾いてひりひりした。大嶽山が噴火したので、その火山灰的なものが空気中に飛んでるんだと思う。東京にいる友達も 「洗濯物ははやく取り込もう」
とつツイートしていてた。火山灰の影響があると観られるのは○○と△△です。みたいに報道されてたけど、そういうの見て安心しちゃいけないんだな。とそのツイートを見て思 った。彼は車に薄く粉が積もってるのを確認したらしい。ニュースを見て安心しちゃうとそういうことをやらなくなっちゃうな。なんとなく、新潟で出会った余命半年と宣告され たおじちゃんのことを思い出した。大昔のことみたいに思えるけど、まだ3週間くらい前の話だ。元気だといいな。

須坂の福田さんの家に6時ごろ着いた。いつの間にか日がとても短くなっている。6時にはもう真っ暗。福田さんは松代に行く途中のコンビニで出会った人で、親が住んでいた家 がまるまるあいてるからいつでも泊まりにいらっしゃいと言ってくれた人。あったかく歓迎してくれた。旦那さんの仕事は自動車工場で、趣味はミニカーを集めることらしい。数 百台のミニカーが寝室に並べられてた。ちなみに先祖は村上水軍らしい。僕のルーツもどうやら瀬戸内海なので、遠い親戚じゃないか。そう思ったら一気に親近感が湧いた。

空き家の2階に泊まらせてもらったんだけど、家具がなにもないのに生活感が残っている部屋の感じがちょっと不気味に感じちゃう。松代に行く前よりもサバイバル力が弱まってる。

家を置かせてもらったところの写真撮るの忘れた。

20140929-154739.jpg

20140929-155211.jpg

自分が考える合理性が絶対のモノだと無意識のうちに思い込んで、他者に対してそれを強要し「君に もこんなふうに考えてほしかった」って考えたり、あるいは「そんなの君らしくない」とか言うの は、自分の内面を他者に投影しているだけで、他人について考えてそうに見えて実際は自分の世界し かみえていない、とても幼い思考をしている。生後六ヶ月からやりなおせって感じ。僕が六本木アー トナイトに出品したとき「村上君らしくない」とかって言われたのも同じだ。彼らの考える『村上 君』は僕じゃない。家をトラックに載せてもらって運ぶと聞いたときに「ずるい」と言ってくる人達 も同じだ。自分の理想を他人に投影しないでほしい。

松代の町を散歩してたら大きな緑色のカマキリが民家の塀にとまっていて、何か黄色い物を捕まえて食べてた。カマキリはかっこいい。狩ったその場が食 卓になるのだ。サバイバーだけど、食事をしている姿はとても上品に見える。近づいてみるとそいつは首を150度くらいまわしてこっちを見た。完璧に目があった。目があった途端、それまでもぐもぐしてた口の動きを止めて、ゆらゆらと揺れだした。あのカマキリ独特の動き。風に揺れる葉っぱに擬態し てる気なんだろうけど、そんな思い出したようにやっても意味ないだろと思った。かわいいやつだな。で、何を食べてるのか知りたかったけどびっくりし てせっかくの食料を落としたら悪いなと思って近づくのはやめた。何かわからないけど皮は茶色で中身が黄色いものだった。カメムシかも。それを必死で むしゃむしゃと食べているのを見て、カマキリも何か特定の栄養素が不足したりするんだろうかと考えた。

昨日で「まつしろ現代美術フェスティバル」の展示が終わって、今日撤収作業をやった。池田卓馬さんとか津田翔平さんとか、会期中仲良くしてもらって いた作家たちもみんな帰っていった。とても濃い10日間で、こうやって作家が集まって展示したり、夜になると美術のことやら生活のことやらをあれこ れ話したりするのはすごく面白くて、そういえばとてもいろいろ話したんだけど日記にする気にはならなかったのは、たぶん思ってることを発言しちゃっ てるからなんだなと思う。今はとてもさみしい。それぞれの日常がまた始まるのだ。すごく当たり前のことなんだけど、ほんといろんな人がいるよなあと 思う。多様すぎて笑えてくる。みんなそれぞれ違いすぎてタイプ分けできない。こんな色んな人が居てよくやってるよなあ。こんなにいらないだろwって 思っちゃって、ほんと面白いな。
そういえば昨日、紙芝居を個人で作ってデイサービスセンターなんかで発表しているというおばあちゃんと展示会場で出会った。彼女は10年前から紙芝居を作っていて、なんで作り始めたのか聞いたら
「認知症の家族が二人いて、介護に疲れてるときに人にすすめられて。自分で没頭できるものを探さないと振り回されちゃうから」
と言ってた。母親から聞いた話や、松代の昔話や、自分が小学校のころいじめられたけど路上生活者のおじさんに助けられた話なんかを紙芝居にしてた。初めたきっかけがとても切実で、話を聞いてて泣きそうになる瞬間があった。

撤収作業のあと自分の家をずっと補修してた。錆びた蝶番を新しい物に交換したり、ペンキのはがれた部分を奇麗にしたり黒い線を書き直したり、車検に 出してるような気持ちでやった。

20140925-013807.jpg

展示中に知り合った作家のパフォーマンスがあるというので出かけてみたけど、あまりにもつまらないので見てる途中で帰ってきた。昨日銀河が東京から来てくれた。銀河も ここ1年でいろいろあったようだけど今は実家に住んでいてバンドのフランスツアーのための資金をバイトで貯めているらしい。なんかスピード感が足りないんですよねって言 われたので、実家は出て行った方がいいそんなところにいたら腐ると言った。というか、今の僕にもスピード感というか切迫感が足りてなくて、こんなんでいいのかと思う。 今すぐに展示を撤収して出て行きたいという気持ちと戦いながらここに留まっている。これじゃあ全然だめだお遊びだ。僕の展示をみて
「『あの家で生活してる』っていう、そういう体裁で絵と家を展示してるのかと思いました。」
と言う人がいた。はあ。そういう体裁ってなんだ。なめるなと思ったけど
「ああ。そういうテイって思っちゃうんですねえ」
みたいにしか言えなかった。とにかくここにいたら腐るというか飲酒量が増えてどうしようもない。毎日安心なので、日記を書こうという気持ちにならない。危ない。
まつしろの象山というところに地下壕がある。第二次世界大戦の末期、日本政府が極秘で政府機能やら天皇の家やらをそこに移そうとして酷い条件で人を働かせて穴を掘らせ ていたけど、完成する前に終戦になって結局掘るだけ掘って穴だけのこったみたいな、延べ10キロの地下壕が一部公開されてる。労働環境が悪くて労働者が何人も崩落やダ イナマイトに巻き込まれたり、栄養失調になったりで亡くなったりしていたらしい。結局何にも使われずに穴だけ残ったんだけど、それがいま観光スポットとして公開されて いて中に入れるようになっていて、彼らが掘った穴を人が通ってるってのは良いことだと思う。なんとなく僕の展示場所の山寺常山邸とも被る。観光地だから管理するのに人 を常駐させなくちゃいけないという名目で地元の人が当番制でボランティアをしてる。人がそこに居て、集まって何か話したりにするっていうことのために色々と理由をつけ てる気さえする。地下壕を銀河と一緒に歩いたあとは
「戦争は嫌ですよねえ」
「戦争は嫌だね。戦争だけは嫌だね」
なんて会話をした。

ニーチェ
ツァラトゥストラ(下)

賤民の出のものは、その回顧も祖父までしかさかのぼらないということだ、-祖父まで戻れば時間が終わってしまうわけだ。こうして一切の過去はいいなりにされる。つまり賤民 がいつかそうした支配者となるかもしれない。そしてすべての時間を浅い水たまりのなかに溺らせてしまうかもしれないのだ。 だから、おお、わが兄弟達よ。新しい貴族が必要なのだ。すべての賤民とすべての暴力的な支配者に対抗し、新しい石の板に、新しく「高貴」ということばを書く貴族が。

おお、わが兄弟たちよ、あなたがた貴族は、うしろをふりかえってはならない。前方を見るべきだ!あなたがたは、あらゆる父と祖父の国を追われたものであらねばならない! あなたがたは、あなたがたの子供たちの国を愛さなければならない。この愛をこそ、あなたがたの新しい貴族の資格とするがいい、-それは海のかなたにある未発見の国への愛で ある!
すべての過去を、こうして救済しなければならない!この新しい板を、わたしはあなたがたの頭上にかかげる!

GEZANがとても良い。「世界が何もわからなくても歌ってもいい」と歌ってる人がいて嬉しい。音楽つくってる人もこの問題にぶつかるんだ。

一昨日の夜、松本にあるgive me little moreっていうバーでマスターの新見君といろいろ話した。信州大学に金井ゼミという美術系のゼミがあるらしく、今回の「まつしろ現代 美術フェスティバル」の運営まわりの人たちはみんなその人からの影響で美術に携わるようになったらしい。フェスティバル代表の石田君も新見君もなおこもみんな金井先生に会 うまでは美術なんて興味なかったという。
「逆にいつ美術を知ったのか」
って聞かれて、いろいろ話しているうちに去年のバイト時代に自分がいかに追い込まれて八方塞がり状態だったかを久々に思い出した。この世界を脱出する方法としての死がある と思っていた。誰のことも責められないまま、世界中のみんなで破滅に向かっていく感じがしてた。当時の日記は今読んでも切迫感が伝わってくる。そんでニーチェに会って、彼 だけが見方のように見えた。自分を笑う目を持つことを忘れないこと。僕が家を持って歩いてるところを見た人がたまにする「家が歩いてるww」みたいな写真付きのツイートを 見ながら毎日必死で絵を描いたり考えたり日記を書いたりするようなこと。

富士山の話も久々にした。富士山を見に行こうと御殿場に行ったんだけど、いつまで歩いても富士山が見当たらない。諦めて帰ろうとしてiPhoneの地図を開いて、何気なく現在 地の標高を調べたら600mだった。既にそこが富士山の上だったんだ。僕は富士山は遠くにあると思って探してたんだけど、もう富士山の上にいた。これは衝撃だった。考えてみ れば山って、とりあえず呼びやすくするために便宜的に分けて名前をつけてるだけで、この日本の本州全部が富士山の上にあるっていう言い方だってできる。震災の後、被災地に 行って何かやろうと思って色々やったけど、どうもうまくいかなかった理由がここでわかった。被災地はどっか遠くにある場所なんじゃなくて自分の足下にあった。東京だって香 川だって被災地だし、僕自身が被災者だった。だから「自分がいる場所から離れて、自分じゃない誰かのためにやる」みたいな行動原理じゃ何も生まれない、自分の身近な問題に 引きつけて行動しないとうまくいかないのは当たり前だった。

あと昨日の朝、加賀井温泉に行ってきた。石けんやシャンプーが使えない、本当にお湯につかるためだけにある温泉で、露天風呂が混浴になってる。この露天風呂に2種類あっ て、ぬるいお湯と熱いお湯がある。それぞれ違う井戸からくみ上げているらしく
「ぬるい方のお湯が、すごく良いんだよ」
って、その風呂で一緒だった90歳のおじいちゃんが教えてくれた。温泉は茶色く濁っていて、舐めるとしょっぱくて錆びた鉄の味がする。「車いすで行った人がスキップして帰 って来る」と言われるくらい効果のある温泉らしい。僕は90歳のおじいちゃんから
「昔、毎日ここでよく話してた88歳のおばあちゃんがいてな、ある日ひざの手術を受けてから歩くのが億劫になったみたいでな、あまり来なくなったんだ。俺は1週間に1回で いいから温泉入りに来いって言ってたんだけどな。来なくなって7日目で脳梗塞で倒れちまって、自分で何もできない体になっちまった。いま入院してる。」
なんていう話を聞きながら1時間くらい浸かっていた。彼は
「ここに週に一遍でも入りに来てれば、脳梗塞なんてならなかったんだけどなあ。そう思うんだけどなあ。」
と繰り返し言っていた。

僕は自分でWi-Fi等を持ってないのでパソコンは持ち歩いてるけどネットにはつながってない。ネッ ト環境をどうしてるかってのをよく聞かれるんだけど、日記はパソコンで打ったのをiPhoneに移し てそこから投稿してるし、パソコンをネットにつなげたい時はコンビニでできる。セブンイレブンは 一日60分×2回まで、ファミリーマートは一日20分×3回までメールアドレス登録すれば無料で Wi-Fiが使える。道の駅でフリースポットがあるところもあるし結構なんとでもなる。香川に住んで た時もネットは契約してなかった。近所のファミマに通ってた。
展示会場に在廊していると疲れる。観光地なので観光しに来た人に説明するのがとてもめんどくさい。いつもと違う疲れ方をする。絵を4つ描いた。

20140916-110457.jpg

20140916-110506.jpg

20140916-110531.jpg

20140916-110556.jpg

会場の山寺常山邸のボランティアスタッフのおばちゃん二人が事務所でずーっと話している。町の話 とか人の話とか「女の子ってそうよねえ」みたいな話とか。一人じゃなくて二人ってのがミソだな。 観光地を管理するっていう名目で町の人が二人一組になって、丸1日一緒にいるってのは情報交換に もなるだろうし、楽しみにもなるだろうな。こういう場所が町にあるのは羨ましいな。彼女達はお客 さんが来ても事務所から出てこないこともあるし、気が向いたら「どうぞごゆっくり」って感じで対 応したりもする。この力の抜き具合もいい。お客さんが来るか来ないかは対して問題じゃない。仮想 の客を設定するだけでいい。町の人が二人ずつ交代で毎日そこに集まるってのが大切なんだろうな。 ここは全部で15人くらいボランティアスタッフがいて、シフトを組んで当番をまわしてるらしい。 ただし必ず「男男」か「女女」って組み合わせになってるっぽい。「男女」はない。リアルだ。

今日もほとんど自分の展示会場にいた。会場にいるとそわそわしちゃって、絵を描いたり日記を書い たりっていう作業が全くできない。僕のサイトを見て、新潟から車で展示見に来てくれた家族がい た。あとすぐちんも岐阜から来てくれた。
夜アーティストトークイベントがあって、その後下の絵のような感じでみんなでご飯をたべた。

20140915-110657.jpg

僕のウェブサイトを見ている人が、長野市内から展示見に来てくれたり東京からわざわざ来てくれたりしてとても嬉しかった。
観光名所になってる屋敷の玄関で展示してるので、展示を観に来るお客さんよりも観光にくるお客さんの方が圧倒的に多い。だからみんな意表を つかれたように
「なにこれ」
っていうリアクションをする。他の会場も何ヶ所かは観光地になっていて同じような状況になってると思う。ギャラリーとかでやるのと全然違 う、キャプションとか、作品の説明文を会場に置いといても大抵読まない。美術館で作品を見るとき会場の説明文とかは読まない人もいるけど、 そこにあるものを作品として受け取ろうとして入場するので、そこで何かを受け取ることができる。その心構えが作品から何かを受け取るために 必要だったんだなと思った。展示されている作品1つ1つのキャプションにも、展覧会の導入にある説明文にも書かれてない、そのもっと前にあ る前提というか、見に行く側の人間の姿勢というか。だから展示がすこし空間に押され気味になってるのかもなと思う。今回は空き家が会場にな ってたりもするけど観光名所に絞って会場を借りて展覧会を企画したりしたら、作家にとっては負担かもしれないけど面白いことが起る可能性が あるなと思った。

夜から明け方4時くらいまで池田さん松本さん津田さんと4人で美術とか表現についての話をした。津田さんは、美術は本当に人と関わるきっか けでいいっていうスタンスをとってる。でも人と関わることを作品化するのは違う。って思ってるみたい。アーティストとして呼ばれたらアート をやるし、そば屋として呼ばれたらそば屋をやる。「業者」になりたいって言ってた。批評はいらないと言っていた。でも作品は批評や展示って いう関門をくぐらないと強くなっていかないと思う。 町のおばあちゃん達がやってる油絵の展覧会とかがすごく良いんですよ。って話を津田さんがして、でもそういう「良い」って『発見』をしてそ れをこういう仮にも「現代美術フェスティバル」とタイトルが付けられた展覧会の参加作家相手にそういう話ができるってのは自分がその「まち のおばあちゃん達」のなかにはいないってことを自分で自覚できるからやれる話じゃないか。そんでそういう発見をして
「発見しました!」
って声高に言うことは批評なんじゃないかとか。町のおばあちゃんたちの油絵の方が例えばリヒターの絵よりも良いってことを言うのは勇気と覚 悟とそれなりのロジックがいると思うしレベルの差はあると思うし。だからそうやって作品について色々言ってくれる人とか、いろんな作品をみ てる人の目に耐えられるかどうかとかはとても大切で、簡単に「批評とかそんなのはいらない」って言っちゃいけないと思うんだけど、でもそう 割り切れたら楽なのかなあとか、とにかくこの問題に関してはずっと前から常に悶々としている。

今日もずっと設営してた。もう明日からスタートなので他の作家もスタッフも目がギラギラしてる。なんとなく内向きの輪のイメージが頭に浮かぶ。 ちょっと油断すると、作品そのものよりも作品の写真写りが良いかを大事だと思ってしまうし、その作家が誰とつながっているかを気にしがちだ。東 浩紀さんがツイッターかなんかで「美術も思想も、閉じた輪の中で行われていて、それでいいんじゃないか。その輪に入っていける人もいるし、ずっ と入れない人もいる」って言ってた。この「閉じた輪に入っていこうとする」ってのが面白いところで、あからさまにそれっぽい形で入ろうとすると 入れないし、かといって最初っから入る気がないと全然入れない。みたいな。よくわからないけれど、ここでみんながんばっているように見える。そ れは閉じた輪で全然良いのだと思う。

夜、友達でBOMBORIのドラマーの銀河君から電話がかかってきた。彼はバンドのフランスツアーに向けて、テレアポのバイトをしているらしい。
「テレアポやってる人は、ナンパが自然にできる人です。テレアポやってるからナンパ師になるか、ナンパ師がテレアポやるかのどっちかです。」
って言っていた。あとGEZANというバンドがやばいということを教えてくれた。

絵も描いた。いま展覧会スタッフの拠点になってる「くらた食堂」の絵。山寺常山邸のボランティアのおばちゃんが
「あそこも長いこと定食屋やってたんだけどねえ、主人が体調壊しちゃって。カツ丼がとっても美味しかったらしいわよ。わたし食べたことないんだ けど、カツ丼が美味しいって言うわよ。」
と言ってた。

20140913-105210.jpg

今日から「まつしろ現代美術フェスティバル」の展示作業がはじまった。丸一日設営してた。僕の会場は山寺常山邸という江戸後期の武士の住宅で、観光名所になってる。その玄関に僕の家と今まで描いた全 てと家の絵を展示する。今まで描いた家の絵を一枚ずつファイルから取り出すたびに、描いた時の心境とか天候とか、その土地の人たちの顔が思い浮かぶ。山寺常山邸には常に地元のボランティア のおじちゃんorおばちゃんが2名常駐していて、その人たちも今回の展覧会には理解があるみたい。もう今年で13回目になるんだからもう地元の人からしたら恒例行事になってるんだと思う。
平日だけど観光客はけっこういる。信州大学の大学院生と、もう一人なんか金髪の納さんって言うボランティアスタッフ2人に手伝ってもらって、今日一日で絵は全てはり終わった。その玄関が土 壁で空間としてとても良い場所で主張が強いのでちょっと押され気味な感じが否めないけど、良い展示にはなると思う。お金がピンチなので絵がいくらか売れてほしい。

晩ご飯を、展覧会の作家やら実行委員やら7、8人で宴会みたいに食べた。僕は白いご飯にイカの塩辛をのせて食べた。イカの塩辛がとてもおいしかった。久しぶりに美術っぽい人の輪の中にい て、変な違和感がある。なんだろう。落ち着きすぎて不安になる感じだ。参加作家の津田翔平さんとか池田卓馬さんとかと話せた。こうやって地域に滞在して他の作家と一緒に制作するのは去年の 大分以来だけど、あのときはずっとフリーターだったところから突然制作現場に投げ出された感じで「こういう現場でどうやって振る舞ったらいいんだっけ」とか考えてしまって、やたら緊張して 挙動不審になってそれがそのまま作品に現れた感じだけど、今回はとてもリラックスして現場にいられる。

「家を担いで歩いてると、道ばたで何度も『なにやってるんですか?』って聞かれるんですよ」
って言ったら、どう答えるのが面白いかを津田さんが一緒に考えてくれた。
「こういうスポーツがあるんですよ」
って答えるやつが優勝。

みんなが僕のことを「家を担いで歩いてる人」じゃなくて「歩く家」っていうふうに認識しちゃうのは、昨今のゆるキャラブームの影響なんじゃないかっていう話をした。街にはあまりにもたくさ んの着ぐるみが溢れて飽和状態になってる。そこでもう一個、曽根裕さんの映像作品ばりに素晴らしいプロジェクトのアイデアが生まれた。 「人が被れる大きなケーキ」を発泡スチロールとかで作る。白いクリームで赤いイチゴがのっていてろうそくが何本かささっているオーソドックスなやつがいい。なるべく細かく、とびきりハッピ ーな感じで作り込む。そんでそのケーキから足が生えて歩いてるかのようにして人が入る。それで道を歩く。それで
「なにやってるんですか?」
って聞かれたら
「今日ぼく誕生日なんですよ」
って笑顔で答える。楽しいね。