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朝、PARADISOの店内で目覚めてぼーっとしていたら。男の子が二人現れた。兄弟らしい。
「デュクシ!」
という擬音を発し、兄が弟にむかってパンチしていた。ああ、その擬音語なつかしいな。僕はわかるけど。なんでわかるんだろう。日本語圏じゃない人が聞いたらなんのこっちゃって感じの擬音だ。千葉からケータリングに来ている人の子供らしい。この店の2階はオーナーの別荘的なプライベートルームになっている。昨晩は結構な人数に人たちが2階で宴会をしていた。

いまそのオーナーが来ているらしい。昨日僕が話した人はオーナーじゃなくて店長だった。ここのオーナーはこの店以外に20軒ちかくの店を持っていて、波に乗るためにサーフボードをもって世界中まわってる人。
そこに来ていた僕より1つ年上のスケーターのにいちゃんがいろいろ話してくれた。そのオーナーの友達で60カ国以上を旅している人もいま来ていて
「その人はヤバいです。斜め上をいっててやばいです。」
と言っていた。別の人から40代後半で「エンドレスサマー」をテーマに車とか家とか電話とか全部売り払って解約して、サーフボードとパスポートで世界中を数年まわりつづけてる人の話も聞いた。いろんな人がいるなあ。ここにいると「自由」という言葉をよく聞く。自由と健康とお金を手に入れて世界中をサーフボードと一緒にまわりたいって人がいた。すてきだ。それが自由なのかどうかはわからないけれど。

店長が
「今日は雨だから明日出発にしなよ」
と言ってくれたので、今日は動かないことにした。家をお店の中にいれた。動かない日はたいてい踊りたくなる。だから砂浜におりて一人で踊った。夕方、日の沈む直前から沈んだ直後にかけて。僕の他に、その広い砂浜には誰もいなかった。恋のダイナマイトダンスという曲を聞きながら砂浜で裸足で踊っていたら、足跡がどんどん残っていくのが面白くてますます踊った。踊っていると、何かいまこの現実の表層よりもずっとずっと奥深くにある何かにアクセスできる。遠い場所に自分を飛ばせる。たまには踊って、あの場所にアクセスしないとだめになっちゃう。砂浜でみんなで踊って、その踊った足跡を写真に残して家に飾りたい。

茨城でウランが検出されたニュースで、今まで歩いてきて「今日の線量」みたいな看板が普通にまちなかに立てられてて「ああ、これだけ普通になるとそういう感じになるよなあ」って思ったり、もうどう飛んでいてどこに溜まっているのか全然わかんないんだろうな。違和感とか危機感とか不安とか疑問とか、ずっと慣れないままだと生きていくのに不便だから。慣れちゃいけないことも慣れてしまうようにできてるんだけど。忘れたくないことも忘れてはいけないことも忘れるように脳みそができているんだけど。でも絶対に忘れてはいけないことも慣れちゃいけないこともあるはずで。そういうものがあることはわかっちゃいるんだが、忘れてしまうし、慣れてしまう。そんなもんなんだ。忘れたくないと強く思っても、この事態には慣れちゃいけないとどれだけ強く思っても。福島で出会った彼らはそれぞれの放射能との付き合い方をしていた。そういうものなんだそれが生き残る戦略なんだから。「慣れるな」とか「忘れるな」っていう言い方だとどうも地に足がついてない感じがするんだ。人は慣れてしまうっていうことを前提に考えないといけないんだ。だって忘れるし、慣れるようにできてるんだから。
「自分はどんな酷い事態にも慣れるし、おおきな震災も事故もぜんぶ忘れる」ってことをまず引き受けないといけないな。
その上で、慣れて忘れたとしても、考えることをやめないためには、「自分がその事態に慣れている」ということを意識しつづけるためには、やっぱり変わりつづけるしかない。いつもと違うズレを、いつもの日常の中に取り込みつづけるしかない。変化することを日常にすることで、いま自分がどういう状況にいるのかを考えるくせをつけないといけない。そうやって日常を終わらせていくしかない。その変化が日常に取り込まれる前に逃げる。それを繰り返すしかない。

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寝室を持ち歩いて、敷地を交渉することで毎日違う間取りの家で暮らしているって、これ建築家を名乗っていいじゃないか。僕は毎日設計をしているのでは。建築設計ができないと思っていた自分としてはこれは画期的な発見だ。いいじゃん。

海水浴場のベンチですこし昼寝して午前中に瀬波温泉を出発した。とりあえず海沿いを西へ歩く。ネットでこのあたりのことを調べていたら、なんか20キロくらい西に「越後の里親鸞聖人西方の湯」というディープな温泉があるらしい。黒くて強烈な匂いのする温泉で、一部では有名とのこと。ちょっと行ってみたいのでとりあえずそこを目指してみる。

梅雨かよ、って感じの雨がずーっと降っている。雨が降ると道草の葉っぱが明るい黄緑色になる。僕はこういう雨は寝袋が濡れるし靴も靴下も濡れるしで大嫌いだけど、彼らは雨が降ってくれてなんとなくうれしそうに見える。歩道にはカタツムリがたくさん出かけてきてる。ヒルも何匹か。ふまないように。草の上では雨の中ジョロウグモが自分の巣の上で何やら作業してる。車道では大きなダンプカーがたくさん走ってる。あと12時過ぎごろ、お昼休みで静まり返った工事現場でショベルカーの練習らしきことをしている男の人を見た。運転席に座って、右に回転したり左に回転したりちょっと走ってみたりしてる。みんな忙しそうだな。

ずーっと同じような、しかも歩道がない区間も多いつまらん道(雨がふっているから不機嫌になっている)をずーっと歩いて、4時頃、大きな親鸞聖人の像が見えた。「温泉」と書かれた看板も掲げられている。けど門はロープが通せんぼしていて、今は開館してないっぽい。残念。

そのまま西に歩いてたら、前に車が停まって中からサーファーって感じの格好でサーファーって感じの顔つきををした兄ちゃんが出てきた。
「なにやってんですか!のどかわいてませんか」
「のど、ちょっとかわいてます」
「お茶どうぞ」
と言って彼はポットを渡してくれた。
「敷地を借りながら移動生活をしてるんです」
「もしよかったら、今日良い敷地ありますよ」
「えーどこですか?」
「この先に藤塚浜ってのがあって、そこのサーフショップが知り合いなんですよ。パラディソっていう。そこなら泊まれると思います。」
「いきます」
という会話をして、藤塚浜に向かうことに。親鸞聖人像からさらに4キロくらい西。

夕方5時半ごろそこに着く。お店の見た目からして面白いオーナーがやってる店に違いないと思った。PARADISOというお店で、ベースは白い建物なんだけど壁中にいろんな人が描いたであろうペイントが施してある。あちこちに飾りで流木もつけられている。サーフショップとカフェが一体になってるお店。人が何人もいて、笑顔で迎えてくれた。いつの間にか空は晴れていた。

横に広くて白い砂の奇麗な砂浜の目の前にあるお店で。オーナーの阿部さんが
「日没前に着けてよかった。この時期は佐渡島に沈む夕日が見れるんですよ。今日は沖の方がガスってて島がみえないけど」
と言ってくれた。まさにいま夕日が沈もうとしてる。
このお店は阿部さんが古い建物を自分で改修したらしい。いろんな人が来て絵描いていったりしてる。つい最近、リアカーをひきながら愛知から岩手へ徒歩で旅していた絵描きの女の子が何泊かしていったらしい。僕が到着してすぐ
「リアカーをひいてる女の子と出会わなかったか」
と聞かれたから、結構強烈な思い出として残ってるんだろうなと思った。
店は今年で3回目の夏で、1年中やってる。
「冬は常連客しか来ないけどね」
って言ってたけど。

今日の敷地は海の家の中。トイレもシャワーも水場も徒歩1分未満のところにある。電源もある。蚊を気にしなくていいうえに、海の音が聞こえる。さいこう。

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いまは8月26日の朝8時。瀬波温泉海水浴場ってところの更衣室のベンチに座って昨日の日記を書く。正面におおきく海が 見える。とても涼しい。水平線の向こうまで曇っている。海と空の境界はぼんやりしてる。人はほとんど通らない。すこし雨 も降ってきた。今着ているシャツが最後で、洗濯しないと着替えがない。いま服を洗っても乾かないだろう。やっぱり昨日晴 れてるときに洗濯しておくべきだった。できるときにしておかないとだめだな。

昨日はお昼頃まで近くのあずまやでお昼寝した。やっぱりお風呂に入らないと疲れがとれない。今日は長距離を歩くのやめよ うと思って、7キロくらい南下したところにある瀬波温泉ってところを目的地にして歩きはじめた。歩いてたら、一昨日会って 道を教えてくれたり笹川流れの民宿マップをわざわざ持ってきてくれたりした優しい青年に再会した。僕と同い年だった。最近 3つめの仕事を辞めてこれからどうしようか悩んでいるらしい。どれも自分に合わないと感じたらしい。彼は
「やりたいことをみつけられなかったんですよ」
と言ってた。僕も自分がやりたいこととか好きなことは未だに見つけられないけどやりたくないことはたくさんある。ってい うような話をした。やりたいことを見つけろとか、好きなことを仕事にしろっていう言い方やそれが正義みたいな見方は嫌 い。それは暴力だ。真面目に生きろとか人に優しくしろとかってのも暴力だと思う。人に優しくしてもしなくてもいいし、真 面目に生きても生きなくてもいいし、好きなことを仕事にしなくてもいいしやりたいことは見つからなくてもいいし、やりた くないことはやらなくていいし、嫌いな物食わされたら吐いてもいいし、人に頼ってもいい。 思ってもできないこともあるからややこしい。
「仕事して生きていかなくちゃいけないのってめんどくさいよね~。宝くじ当たれって思うよね」
って話もした。僕たちは生まれた時点で理不尽の中に投げ込まれているので、がんばらなくていい。死んだらみんな同じだ。 死んだらみんな同じところにいく。そんなの我慢できないので自殺はしたくない。生き続けるだけで違うところに居続けられ る。生きつづけるってだけで大変な大仕事で、運動し続けないとすぐ死んじゃう。呼吸をしつづけないと死ぬし、ご飯を食べ 続けないと死ぬし、寝ないと死ぬし、事故でも死ぬ。病気しても怪我しても死ぬ。やりたくないことを拒否できなくて自殺し ちゃうこともある。僕はいま洗濯しないと着替えがないけど、服を洗わないでずーっと着続けるだけで、衛生的に良くなくて 死ぬらしい。さらにめんどくさいことにこれら全てのことにお金がかかる。お金がかからないのは呼吸することくらいで、 寝るのにもご飯を食べるのにも、病気をなおすのにも洗濯するのにもお金がかかる。死ぬのにお金がかかることがある。死んだら死につづける必要ないのに、生きるには生き続けないといけない。大 仕事だほんとに。お金を稼いでる人も稼いでない人もどっちも忙しい。彼も忙しそうだ。昨日も忙しかっただろうし、明日も 忙しいだろう。おつかれさまです。

お昼過ぎに瀬波温泉につく。海水浴場もすぐ近くにある、大きな温泉街だった。お盆は賑わっていたんだろうけど、いまは人 もすくない。少ないけどそれなりにお客さんもいる。でも十和田湖周辺みたいに潰れたホテルの廃墟が目立つってことはない けど、なんとなく観光客も人口も減ってるんだろうなって雰囲気はある。それが普通で当たり前のことだ。まちのいたるとこ ろに煙突があって、白い煙がもくもくしている。龍泉という銭湯でお風呂に入った。露天風呂が3種類もあった。お風呂から でてロビーのベンチに座ってたら女性に
「違ってたらすいません。村上さんですか?」
と話しかけられた。びっくりした。彼女は、僕の家が銭湯の前に置いてあることにも気がついてなかった。いま僕が村上市に いるってことだけ知っていて、それで僕の顔だか服だかを見て話かけてきた。嬉しかったけど、「うわあ油断できないな」と も思った。聖籠町というところのぶどうを食べてみてと薦められた。
そこで敷地の交渉をしてオッケーをもらった。今日の敷地は温泉の駐車場だ。間取りは、トイレ(コンビニ)までは徒歩9
分、お風呂(ただし9時~21時)までは徒歩10秒、台所(海水浴場)までは徒歩10分て感じ。今日から間取り図を書いていこうと思う。

夜、台所兼海水浴場を散歩した。とても暗い。海は見えないけど、波が立ったところが白くなるので、白い線が生まれては消 えていくのがみえる。砂浜で花火をしている若い男女のグループがいる。海の家の跡地(単管で組まれた屋根だけの大きな空 間)がたくさんあった。夏の終わりって感じがしてすこし寂しい。そのなかにひとつだけ、電気がついてるところがあって、言 ってみたら中で黒いタンクトップを着た人が寝転がってテレビをみていた。壁が一切無いので、僕が歩いてる波打ち際から丸 見えだった。彼の生活を劇場でみているような気持ちがした。
夜、寝室(家)に帰ってきて窓を閉めようとしたら、手にぬるっとしたものがあたってびっくりした。ナメクジだった。あと 屋根の上にはアマガエルがいる。中に入ってきて、寝返りうって潰したりしたら嫌だなと思って追い払った。昨日はコオロギ の子供がやたらたくさん家の中に入ってきて、たまに顔にジャンプしてきたり。いつもアリの行列の通り道には家を置かない ようにしているけど、その他の虫達がはいってくるのはどうしようもない。

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旅っていう言葉が嫌いなんじゃなくて、自分の旅っていう言葉の理解のしかたが嫌なのかもしれな い。旅と聞くと、過渡期的で未成熟な状態を連想してしまいがちで、生きる目的探しとか自分探しと 結びつけて語られがちだけど、本来は旅って目的そのものなんじゃないかと思った。何かを探すため にやるものなんじゃなくて。だからみんな老後にキャンピングカーを買ってあちこちいったりするの では?意外と仕事をする理由って、旅をするためだったりするのでは?他にやるべきことって意外と 思いつかないのでは?

朝、塩屋を出発しようとしたらランニングウェアを着た「走るアホ」を名乗るおっちゃん3人組に出会う。自分が喋る順番を待つのに精一杯って雰囲気の元気のいい人たち。
「歩く家で検索したら僕の日記とか出てくるので良かったら見てください」
と言ったら
「ああ、やっぱ歩きなんだ!走りはしないんだ!」
と言われた。さすが走るアホを名乗ってるだけある。そんなこと初めて言われた。

ここは村上市ってとこだ。僕の名字と同じだ。海沿いを歩いていくと、数キロごとに海水浴場があ る。日曜日で天気もいいので、どの海にも人がたくさんいて、泳いだりバーベキューをしたりしてい る。歩道を歩いていたら、前から海パン一丁の兄ちゃんが近づいてきて 「あ、ネットで見たことあります!休憩していきませんか。そこの海の家が知り合いなんです」 と話しかけられて、海の家で一息つかせてもらった。
「ハンドルついてるわけじゃねえんだろ」
といわれ、ビールを渡されたので飲んだ。他に5、6人いた。毎年このシーズンになるとここに集ま るメンバーらしい。
夕方、野潟海水浴場のそばの、のがたキャンプ場というところに着く。近くでバーベキューしていた 家族から
「もうお盆終わったらキャンプ場も商店も人いなくなっちゃうから。勝手に泊まっていいと思う よ。」
と言われる。彼らは新潟市在住らしく、僕の活動を面白がってくれた。「もう火消しちゃったんだけ ど、、」と言って、ウインナー二袋と飲み物とゼリーをくれた。タバコもくれた。そして
「来週末、ここから50キロぐらい西にある浜辺で同じメンバーでバーベキューしてるから。よかっ たら来てな!」
と言われた。

今日の敷地はキャンプ場だ。最寄りのトイレまでは徒歩2分、最寄りのお風呂までは8キロって感じの間取りだな。今日はお風呂は入れないなあ。ていうか、これって「間取り」なんじゃないか?
僕は家というより、寝室を持ち歩いてるだけで他のトイレはお風呂っていう機能はまちの中にある。
あの寝室を置いた周囲数キロが僕の家になる、って考えた方がいいんじゃないか?そう考えるととても楽しい。敷地が決まった時の「これから何しよう。お風呂か、ご飯か?」っていう高揚感の正体はこれか。あの発泡スチロールの寝室を置いたまわりに間取りが展開されていく感じ。例えば昨日はテレビがあったし、お風呂までは電車を使えば行けた。今日はトイレはあるけど、お風呂までは電車をつかっても1時間くらいかかる。毎日毎日違う家に生きている感じだ。

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お昼頃に鼠ケ関を出発。国道を歩き始めるとすぐに「新潟県にようこそ」っていう看板が出ていた。 暑い。あと風がしょっぱい。このところ海沿いの道路をずっと歩いているから、いつか買った熊よけの鈴とかがみる みる錆びていく。休憩しようと思って国道の歩道に座り込んだ。視線の低い国道の景色はとても新鮮 に見えた。そういえばバイパスの歩道に座り込んだのは初めてだ。それまでは足下にあった草が、い まは目の前で揺れていて、蟻が列を作っているのもよく見える。車が走っていく。どの車も、タイヤ が完璧にスムーズに回転している。背の高い車はその裏側まで見えそう。いつかバイパスの歩道をみ んなで歩くツアーをやりたいと思っていたけど、歩くだけじゃなくて座ったりほふく前進したり、昼 寝したりするっていうのも組み込めば楽しそう。

夕方ごろ「笹川流れ」という観光ポイントに着いた。道路沿いに「藻塩」と看板を掲げた店がいくつ
かあった。海水から塩をつくってるらしい。そのうちの一ヶ所で休憩しようと家を置いてぶらぶらし
てたら、お店のオーナーらしきおじさんがでてきた。
「なんだあれ。犬小屋か。犬でも飼ってるのか?」
と聞かれた
「いや、あれが僕の家なんですよ」
と言ったら
「ん?ん?」
と理解できないようなので
「あれをテント代わりに持ち歩いてるんですよ。敷地を借りながら寝泊まりして移動してるんです よ。」
と言ってみた。
「ん?移動手段は?車か?」
「いや歩きです」
「え?」
「歩きなんですよ。あれを担いで歩くんですよ」
そしたらおじさんは、にやっとわらって「おいおい冗談じゃねえよ」って感じで僕の肩をポンと押し た。
「いいよ。ここ使っていいよ」
と言ってくれた。まだ頼んでもないのに。でももう5時を過ぎていて、そろそろ敷地を探さねばと思 ってた。嬉しい。
「ていうか、この休憩所使っていいよ。鍵開けとくから。これ1つ食え」
と言って、おじさんは8畳くらいの休憩所の鍵を開けて、ポテチののりしお味をひとつくれた。

このあたりはほんとに道路しかない。一息ついてからお風呂に入ろうと思って最寄りの越後寒川駅ま で歩いて、電車で一つ前の勝木駅(「がつぎ」と読む)で降りた。歩いて数時間かかった道を電車で 数分で戻る。駅の前に、使わなくなった学校を宿泊施設に改装した施設があった。そこで温泉に入 る。この時間、電車は3時間に1本しかないので温泉を20分で出る。そんで家に戻ってきた。
日本海がすぐそばにある。暗くて海はよく見えないけど、激しい波の音がする。ずっと遠くに、粟島
という島があってそこの灯台が光っているのが確認できる。

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お昼、チットモッシェのオーナーさんと二人で話ができた。彼の本業は車屋らしいが、まちづくりの ために本業とは別に社団法人を立ち上げている。
「やっぱりあつみ温泉を再生したい。昔22あった旅館が今は7つしかねえ。でも必要とされてないも んを無理に増やしてもだめだ。うまくやんなくちゃいけね。昔の人は全部自分たちだけでなんとかし ようとしてた。行政とか、外の人間の力を借りることが出来なかった。」
チットモッシェは以前は市が持っていた施設らしい。それをいまこのオーナーさんが委託されて運営 している。
「30までは全部勉強だと思ってやればいい」
と言われたので
「がんばります」
と言ったら
「がんばるってのは死語だ。がんばんねくていい。普通にやれ」
と言われた。普通にやれ。かっこいいなあ。
このさきしばらく大きな町がなくて、コインランドリーなんか絶対なさそうだったので、もう水道で 水洗いすればいいやと思って、路上にある蛇口で服を洗って乾かしてからあつみ温泉を出発した。

出発した直後、黒いママチャリに乗って、普段着のしかもパジャマにも見えそうなゆるい服装の、若 い女の子が近づいてきて
「その格好でずっと歩いてるんすか?」
と聞いてきた。ママチャリの前後の籠にはリュックとかいろいろ荷物がごちゃっと入っていて、日よ けのために顔にタオルを巻いている。人のことは言えないけど「見た目が完全にやばいな」と思っ た。だけどかわいらしい女の子。
「そうですよ。旅人ですか?」
って聞いてみたら彼女は
「はい」
と答えた。18歳で、大阪から来たらしい。今日で5日目。すごい奴にあったと思っていろいろ話を
した。
「買い物帰りみたいな格好ですね」
って言ったら
「いやそれはないでしょ。買い物袋もってないし。」
と答えた。
「クロスバイクとかで、高いウェア着て、『日本一周』とかって書いた板を自転車につけて旅してる 人たくさんいるじゃないですか。ああいうの無理なんすよね。そういうアピールみたいな。この格好 でママチャリだからこそ旅ができるっていうか」
と言う。その気持ちは超わかる。
「昨日はどこで寝たの?」
って聞いたら
「昨日は道の駅のベンチで座って寝ました」
と言う。ますますすごい。18歳の女子とは思えない。ていうか、こうやって歩きながら話してると き彼女は車道を歩いていたんだけど、そのことにも全く抵抗がないように見えた。普通に車道を、し かも端のほうを小さくなって歩くとかではなくて、結構堂々と歩いている。こいつは生命力が強そう だなと思った。
「洗濯とかどうしてんの?」
と聞いたら
「服いっぱい持ってるんでまだ洗濯してないです」
と笑いながら答えた。旅の動機は「なんか青森行こーと思ったんすよ」らしい。
僕は南下していて、彼女は北上しているのであつみ温泉の国道の交差点に着いた時点で別れた。同志 としか思えないので、また会いたいな。

歩いているとき「子供の時にはただの「悩んだフリ」だったしょうもないことを、大人になって本気 で悩んでしまっている気がする」というようなことを思った。何かに悩んでいるとき、自分は悩んだ フリをしているんだって気づけるようになりたい。全部"フリ"に過ぎないことを忘れてしまいたくな い。

チットモッシェの2号店があるから寄っていけと言われていたので、鼠ケ関というところに行った。 着いたのが夕方だったので、今日はそこで一泊することにした。2号店は女性がやっていて、彼女も オーナーの社団法人のメンバーらしい。2号店の隣に寿司屋があって、そこの大将とチットモッシェ のオーナーが仲良しらしい。その大将もオーナーに似て勢いがあって築地で働いていそうな人で、面 白がってくれた。
「鼠ケ関の海水浴場のシャワー施設のそばだったら寝られる。なんかあったら俺の名前出せばいい」
と言ってくれた。この人は観光協会の会長もやってるらしい。絵を見せたら
「絵って、自分で描く気にならねえとダメだよな。人に描いてくれって頼まれてもだめだよな。自分 も仕事でいろいろ客に頼まれるけど、頼まれちゃうとうまくいかねえんだよなあ。」
って話していた。その感覚はすごくわかる。僕もよく絵を描いてくれといわれるけど、なんか依頼さ れちゃうと描く気が失せてしまう。
大将は新潟と山形の県境を案内してくれた。住宅街のまんなかに県境があるせいでいろいろとめんど くさいらしい。「なんであんなとこにしたんだ」って言ってた。隣り合ってる家で県が違うから、ゴ ミの収集日も子供が行く学校も違うという。変なの。
夜は大将が寿司をごちそうしてくれた。そこで1つ年上の男2人組に出会った。神主と大工らしい。 そのあとその大工の彼女も来て、何故か4人でラーメンを食べに行くなどした。

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昨日留守だった二つのお寺はそもそも無人らしい。無人のお寺ってあるんだ。住職が途絶えてしまったということなのかな。 朝、ここの住職さんからおにぎりとお餞別をいただく。そして
「もしできたら山門を描いてくれないか」
と聞いてきた。かっこいい山門だと思っていたし時間もあるので
「やってみます」
と答えた。船の材料を転用して建てられた山門らしい。お昼頃までかけて描いた。またいくらかお金をもらった。たまにこういう風に予想外 の収入がある。
お昼に、住職さんと小学3年生くらいの男の子と一緒に本堂でそばを食べさせてもらう。お寺には住職さんに他に奥さんと若い夫婦がいたの で、この子供は夫婦の子供かと思ってたけど違った。住職さんは「外孫」だと言っていた。夏休みをつかって1ヶ月間くらい親元を離れてお 寺で生活しているらしい。いいね。そばの他に枝豆も出てきた。山形の家庭はどこに行っても枝豆が出てくる。一人大皿一杯分くらい枝豆を 食べる。ここでもそうだった。
お昼頃出発。ミネラルウォーターのペットボトルに麦茶をつめて、キャップに手書きで「麦」と書いてある物を持たせてくれた。良い「麦」 の字だなと思った。今日はあつみ温泉のあたりを目指す。ここから25キロくらい南西にある温泉街。

今日も道ばたでどこまで行くんですかとか、どこから来たんですかとか、本当によく聞かれるなあと思うし、答えたところでなんなんだって 思ってたけど、考えたら僕も旅人に会った時同じことを聞いていた。答えてくれたからといって「そうですか」「おお~」みたいな反応しか できないことはわかってるのに、ほぼ反射的に聞いてしまうこの質問はなんなんだろう。この反射には、自分の中になんか根深い原因がある 気がする。今は「移動している気がしていない」ということにして自分を保っているけど、ちょっと油断すると、というか、どこかで何かの スイッチが入ると不安に襲われる。「えらい遠くまで来てしまった気がする」ていう漠然とした、輪郭が見えない不安。それは「このさき人 生どうすんだ」っていう不安とセットで襲ってくる。この不安のスイッチが入ってるときと入ってないときで「移動していること」に対する 感じ方が違う。この二つの感じ方。なんなんだろう。

「村上まで行くの?」
と聞いてきたおばさんがいた。
「村上は僕の名字です」
と答えた。

「日本一周ですか?」
と聞いてきた男性もいた。僕は
「日本一周っていうか、日本十周です」 と言った。彼は目を丸くして「え?」って感じで驚いていた。日本十周っていう言葉の、なんかぶっ飛んでる感じは気に入った。

少し暗くなってからあつみ温泉に着いた。あつみの人に
「寝られそうな敷地を探してるんだけど何かありませんか」
って聞いてみたら
「グランドホテルの廃墟があるからそこなら絶対大丈夫だ」
と言われて、ちょっと面白そうだから行ってみた。大きなホテルで、倒産したあと建物がまるごと残っている。もう日も暮れていたのでその 大きな建造物は心霊スポットにしかみえなかった。めちゃめちゃこわい。「ここは嫌だなあ」と思って引き返して歩いてたら、めちゃお洒落 なカフェを見つける。足湯に入りながらお茶ができる。看板に「足湯カフェ」って書いてある。なんかクリエイティブな匂いがしたので、こ このオーナーなら面白がってくれるんじゃないかと思って入ってみた。 「チットモッシェ」というカフェで、方言で「ちょっとおもしろい」って意味らしい。僕は勝手に30代で細身の都会的なオーナーがやって るんだろうなと想像してたら、とても元気なお父さんって感じの人だった。なんとなく築地の魚屋で働いていそうな感じ。そのオーナーを含 め、カフェでは8人くらいの飲み会が開かれていた。酒屋のオーナーとか、ホテルの支配人とか、あつみ温泉の経営者達が集まって酒を酌み 交わしていた。旅行の計画を立てているっぽかった。地域の経営者同士で意識的につながりを保ちながらまちをみんなで支えていこうという ような意志が感じられて、あつみ温泉は昔と比べて寂れてきてはいるらしいけど、今まで通ってきて悲しい気持ちになったいくつもの廃れた 温泉街と違ってなんとなく活気があるなと思ったのは、こういう人たちがいるからなのか。 チットモッシェのオーナーはすごく面白がってくれて
「こういうバカなことやってる奴が大好きなんだ。俺もバカだから」
と言ってくれた。
「警察になんか言われたことあるか?」
と聞かれたので
「もう職質は20回以上あります。通報も2回くらいされました。」
と答えたら
「そうだよなあ。こういう世の中だから。負けんなよ」
と言ってくれた。
「負けないっす」
と答えた。
「俺はここを宣伝するつもりで歓迎するんじゃないからな。あんたを気に入ったからやったんだ。インターネットとかにのせなくていい」
とも言ってた。
夜、チットモッシェの前に家を置いて、家を夜モード(窓閉めたりマット敷いたり)に切り替えてたら、飲み会に参加してたおじさんに
「ここらは治安が悪いから気をつけな!」
と言われる。僕は驚いて
「え、治安わるいんすか?!」
と聞き返した。彼は
「見りゃわかるじゃん」
と言う。その直後、別のおじさんが突然
「おい村上い!刺すぞ!」
と言いよってきた。なんだこのおじさん同士のコンビネーションの良さは。
夜、近くの共同浴場(200円の寄付金制)に入ってたら、お風呂に入ってくるひとがみんな
「ばんわ~」
ってぼそっと挨拶することに気がついた。そしたら中にいる人は
「うい~」
って返事をする。出るときは
「お先でーす」
と挨拶して、中にいる人はまた
「うい~」
と返事をする。僕も出るとき
「、、す~」
くらいの小さな声で挨拶してみたら中にいた人が
「うい~」
っと返してくれたのが、とても嬉しかった。

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さあ今日でお盆休みは終わりだまた絵を描き、歩き始めないといけない。ときどき歩き方を変えたり休んだりしたほうがいいな。変化をつくらないと目に留めるべきものが何か、考えるべきものが何かわからなくなる気がする。
朝、三川町の安達君の家に僕の家を取りに行った。おばちゃんとおじちゃんがいて、そうめんをいただいた。休みの間に田麦俣の多層民家をみてきたという話をしたら
「このあたりの家もすこし前までは茅葺き屋根だったんけどねえ。赤川に茅場(かやば)があってね。今はもうなくなっちまったけど」
と話してくれた。茅場という単語があることを知らなかった。おばちゃん達が若い頃は、近くの川に茅がたくさん生えていて、それを刈って屋根にしていたんだ。家の材料を近所で調達するってだけのことなんだけど、その話はすごく新鮮で魅力的だった。そしてそれはとても自然なことのように思えた。自分の家の木材はどこの山のものを使っているのかとか、考えたら全然知らないな。そういえば実家を建てた大工さんの顔も名前も覚えてない。実家が建てられるところは幼い頃にみたけど、どこからともなく木材やらなんちゃらパネルやら建具やらカーテンやらがどんどん運ばれてきて、男の人たちが何人かでカンカンやってあっという間に家が建っていた。どんなカーテンにしたいかとか、外壁の模様はどうしたいとかっていう選択肢はたくさんあった気がするけど、そのカーテンはどこで誰が作ったものなのかとかそういうことはよくわからなかった。あれは「つくる」というより「組み立てる」という感じだった。僕は何の中で暮らしてきたんだろう。

正午ごろに三川町を出発してとりあえず加茂あたりを目指す。ここから15キロくらい。グループ展に参加するために9月13日までに長野につかないといけないのだ。調べたら330キロあった。ちょっとやばいかもしれない。これに間に合うかどうかが当面のおもしろポイントになるな。今日は歩いていて、カマキリかバッタのちぎれた足をよく目にした。あとイナゴがやたらいるポイントがあって、踏まないようにがんばったけど、一匹も踏んでいないという確信はない。
4時頃加茂について、お寺で敷地交渉を始めようとしたら突然雨が降ってきた。2軒くらいあたったけど留守で、3軒目の住職さんが
「なんもかまわんでもええんだろ。場所だけで。いいですよいいですよ。」
と言って快くオーケーしてくれた。そこは入り口のところに「一人の力で生きると思うな 大きな力に支えられている」という言葉が掲げられていたので「お、ここはいけるかもな」とか思った。
銭湯は近くにないかと聞いたら、住職さんが車で湯野浜まで送ってくれた。いまその銭湯の休憩所でこの日記を書いている。そういえば今日夜はおにぎりしか食べてないな。

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今日からまた一人だ。なぜかいま僕は仙台に居て、電車で昨日まで居た鶴岡にむかっている。5時間くらいかかる。もう朝だ。今日は出版社の人と鶴岡で話し合って、明日からまた歩き始める。なおこにはまた会える。20日ほどすればもう長野での展示準備がはじまる。それまでに到着しないといけない。もう6日間も絵を描いてない。これからまた新鮮な気持ちで描けそうだな。年に数回は手をとめる時期があってもいいかもしれない。お盆に入る前は絵を描くことがもうただの作業になってた。それはいいことなのかもしれないけど、あまり面白いことではない。絵がうまくなりすぎてもだめだと思う。あと、この5日間は移動がずっと車か電車だった。車輪による平行移動だった。それは上下に揺れることがないうえとっても速い。ここからまた歩く日々に戻ることで何か発見があればいい。
僕は一次情報を自分で処理できない人間になりたくない。テレビやニュースや誰かが書いたレビューや人の噂を通して自分の評価を決めたり変えたりするような人間になりたくない。何が面白くて何が面白くないか、何が嫌で何が嫌じゃないかくらい、自分で判断できるようになりたい。なんか投票率が低い問題にも根っこでつながってそうだけど、生活をおくるのに精一杯で、ほかのことを考えられないというのはすごくわかるけれど、でもテレビや新聞の編集された情報しか処理できない、自分で考えたり判断したり情報収集したりできないというのは、なんか動物みたいで嫌じゃないか。

なおこは朝電車で帰る予定だったけど、仙台まで二人で一緒に行って、彼女は夜行バスで東京に帰ることに。彼女の青春18切符があと三回分あるので、二人で仙台に行って明日朝僕は一人で仙台から帰ってくればいい。新庄駅での待ち時間に喫茶店に入ってご飯を食べた。そこで僕は財布の中が0円になった。彼女は500円になった。
仙台をすこしぶらぶらして、彼女は23時半出発の夜行バスで東京に帰っていった。見送る側は辛い。僕は仙台駅東口近くにある漫画喫茶に泊まった。

youtubeでラジオ体操をしたあと、おばこの里というところで朝風呂に入る。至る所に温泉がある。午前中、加茂水族館がほぼクラゲ専門の水族館として生まれ変わった、クラゲドリーム館を見た。クラゲドリームはとてもいい名前だ。閉館寸前まで追い込まれた水族館が、クラゲの展示数を増やしていくことで持ち直し、大逆転を果たしたっていう物語も含めて観客は見に来るんだと思う。すごい人だかりだった。スカイツリーを思い出すほど。中身もとても見応えがあって良かった。1日1000匹も栽培され他のクラゲの餌にもされるというミズクラゲ。彼らは自分が生まれてきて、生きて、そして死んでいくということが自分でわかってるのかな。
午後は羽黒山に登った。山岳信仰の歴史上とても重要な山らしい。五重塔で有名な山だ。五重塔はすごかった。それは縦一直線の杉の巨木が何本も生えている林のなかにぽつんと建っている。使われている木材はまわりの色合いと完全に同化している。ながいながい年月をこの杉林と一緒に超えてきたことが見て取れる。山の標高は低いけど細かい階段が2300段もあるせいでとても疲れる。完全に修行だった。頂上にあった本堂の茅葺き屋根が見たことないくらいの厚みがあった。下山して、鶴岡のカフェでパフェ等を食べて、酒田に向かう。ドライブ中にすっごく奇麗な夕日が見られた。ずっと曇っていて夕焼けが見られなかったのでその分奇麗に見えた。酒田の安いビジネスホテルに泊まる。喫茶店が併設されていて、旅人がよく来るようなところらしかった。いい雰囲気だった。

鶴岡の名物花火大会らしい、赤川花火をすごく近くで見れた。終盤半ばヤケクソに打ち上げられまくってずっとクライマックスみたいな状態が続いてけっこう凄まじかった。ちょっと流行ものなBGMがうるさいけど。花火大会のあと、コインランドリーで洗濯待ちをしているあいだ、ショッピングセンターの大きな駐車場を散歩した。外灯の下に置いてある石のちょっとした隙間で蟋蟀が鳴いてる。銀色の灰皿の下にできた隙間でも蟋蟀が鳴いてる。のぞいてみると何匹もいた。力強い。居場所をみつける野生の力というか。彼らは草むらが駐車場になろうが居場所を見つけてしまう。いろいろ不都合はあるんだろうけど。すごい。もう秋みたいな気候だ。すずしい。

1日ずっとねむかった。ほとんど寝ていたような日。最上川沿いにあるチェリーランドという道の駅の芝生で昼寝をしようとしたら、そばにあったトルコ館から流れてくるトルコ(?)の音楽のヴォリュームがやたら大きくてうるさい。ほんと不自然なくらい大きい。でもすこし寝た。そこで食べたさくらんぼのソフトクリームがおいしかった。道の駅あつみで車中泊してみた。コンビニでフリーペーパーを何冊かもらって、外から車内が見えないように窓ガラスに目張りする。小さな車だけど意外と寝れるもんだ。

待ち合わせの間、鶴岡駅の待合室で宮沢賢治を読んでいる。藤田さんという人からメールがくる。藤田さんがしっている旅人のことをいろいろと書いてくれている。「経験」として日本一周するっていう旅人じゃない。毎年1年のうち8ヶ月は歩いている根っからの旅人2人組や、農ライフなるものを広めようとしている人や、たまにモンゴルのパオに住んでる人や、いろんな人がいるんだな。そういうつながりができるのは予想外だったけど嬉しい。彼らは志を近しくしながら群れずに行動している。

本を読んでたら、下はジャージを履いて上はTシャツ、手には傘と紺色の小さなビニール袋をもった男の人が入ってきた。目つきがなんとなくやばい。もうひとり、既に待合室に居た赤いタンクトップを着てるおじさんとすこし言葉を交わしてから、彼は待合室内にある自動販売機のおつり返却口に手を入れて小銭が残ってないか探っている。旅行案内のチラシを手に取り読むふりをしながら、ちらちらと周囲に目をやってる。なんだろう。まるでサバイバルをしているような目つきだけど、振る舞いがあんまりかっこよくない。でも気になってしまうのは、僕の中にも彼のようにおつり返却口をあさってまわりたい部分があるからなんだろうな。共感できるからなんだろうな。待合室を出て行ったのでちょっと後をつけてみた。彼は外にある自動販売機もひと通りあさったあと、缶ゴミを捨てるゴミ箱のふたを開けてあさりだした。アルミ缶を集めてるんだろうけど、あんまり本気でもなさそう。彼は捨てられたジュースの缶を取り出すと、中を確認してわずかな残りを飲み干した。すごいな。全く人目を気にしていない。しかも、それをやったところでわずかでも喉が潤うわけでもないだろうに。全然わからない。いくつかそれをやったあとフタをきっちりと、ほんとにきっちりと閉めてゴミ箱を去った。今度はベンチに座ってそばにすわっている人に話しかけている。いつのまにか口にタバコをくわえている。自分のものなのか、隣の人からもらったのかわからない。こうやって駅の待合室と、外のベンチを往復するのが日課なんだろう。これを続けている限り彼はボケなさそうだなって思った。

後をつけるのにも飽きたので「双子の星」の続きを読もうと思って駅近くのミスドに入ってみた。270円でアイスティを頼んでテーブルについた。店は混んでいる。みんながそれぞれの相手と夢中に話している。ここにはさっきみたいな紺色ビニールおじさんとか赤タンクトップおじさんは絶対入ってこなさそうな気がする。お洒落結界がはられている。20代半ばくらいの若い女子5人組がいて、空間がそれだけで華やかになる。5人集まってお茶をしているところを自分たちで写真に撮ったりしてる。ほんと、いろんな日々の過ごし方があるなあと思う。

お昼ごろなおこがレンタカーに乗ってやってきた。定食屋で定食を食べて花火大会を見に山形市に向かう。途中大きなダムを通る。農道に車を停めて、田んぼの中で花火大会を見る。地元の人たちが道路に座り込んでお酒等飲みながら花火を見ている。農道にはたくさんの車が停まっていて、もう無法地帯みたいになってる。毎年こういう状態になるんだろうな。
ここいらのラブホテルは、一部屋ごとに駐車場がある。車のナンバープレートが見えないように目隠しの板があったり、シャッターがあったりする。小さな町だと車種やナンバーから個人が特定されるんだろうな。

家を安達家に預けて、僕はお盆休みする。東京からなおこが遊びにくる。4泊で山形旅行をする。もし僕がいま新潟にいたら新潟旅行だっただろうし、秋田にいたら秋田旅行だっただろう。その間はちょっと絵を描くのをやめて、日記だけ書ける時に書こうと思う。
安達家のおかあさんの実家を出て大山駅に行き、鶴岡駅まで電車にのった。電車は1時間に1本くらいだった。久々に電車に乗って、やっぱりこの平行移動とスピードはすごく画期的だなと思った。ただ、移動している感覚はあまりない。窓の外をいくら睨んでも、風景が変わって行く様はただの映像のようで、この肉体が動いて行く実感は全然無い。空気の匂いや、気温や、草が揺れて擦れる音や風などが全く感じられない。ちょっと不気味でさえある。電車じゃなくて歩いてる自分を想像してみる。大山駅から鶴岡駅は7キロくらい。歩いたら1時間半くらい。ノンストップで歩けるけど、汗はたくさんかくだろう。途中で誰かに出会うかもしれないし、蛇の死体を見つけるかもしれない。1時間半歩くということ。その時間の長さや辛さや足がどのくらい疲れるかみたいなことがいま僕にはなんとなくイメージできる。こちらの気分次第で、歩いてるうちに多くの発見もあるだろう。でも電車では数分でつく。何の曲を聞こうか迷ってるうちに着いちゃう。冷房が効いてるから汗もかかない。当然僕は今家と一緒じゃないので電車を選んだ。汗をかいて、たくさんの発見をしながら1時間半歩くよりも、190円払って一滴の汗もかかずに動いてるのか動いてないのかわからない数分間を過ごすことを選んだ。何故なら僕はいま家をもってないから。電車に乗れるから。家をもってたら電車には乗れないので歩くしかない。僕は弱い人間だから、どうしても便利快適で速い電車を使ってしまう。早く着いたとしても何にもならないのに。今日は予定なんか特にないのに。
でも僕は自分が弱い人間だということを知っているから家をわざと分解できないように作った。歩くしかない、動くしかない環境に自分を放り投げるというやりかたをした。そうすることでたくさんの発見があった。人は弱いから、ほっとくとどうしても便利な方に流れてしまう。思考がとまってしまう。電車にのることによって、どれだけ自分が損をしているかを知らない。どれだけ自分が馬鹿になるかを知らない。だって、歩くよりも電車のほうが快適だから。汗をかくよりは、馬鹿になってでも快適な道を選ぶ。そういう生き物。

鶴岡駅の近くにショッピングモールを見つけたので入ってみる。本屋を見つけて、なんとなく最近「農民芸術概論」が気になっていた宮沢賢治を読みたくなったので文庫本を買ってドトールに入る。こういうカフェにも久しぶりに入った気がする。店の内装とかメニューとかは東京と変わらないけど、客のおばちゃんは方言で話していて何を話してるのかよくわからないのが良い。

鶴岡駅についた。目をキラキラさせて口元から笑みがこぼれている外国人のバックパッカーが、ホームの階段を駆け上がっていった。僕は彼を見て、自分がむすっとした顔をしていることに気がついた。

結局なにも変わっていない。あの震災は日常を変えるチャンスだったはず。日々の生活について、消 費や生産や労働や社会のシステムについて見直していけるはずだった。だけどなんか知らないけど、 どんどん元に戻っていく。僕自身も、ふと気がつくとまるで何事もなかったかのように以前の生活に 戻っていこうとしていた。あんなことがあっても何も変わらないのかと思うとぞっとした。日常が終 わらないのが悔しい。いつまでもおんなじことばかりで、いつまでたってもなんにもかわらない。み んな戻っていく。あんなに、何かが変わる気がしたのに。結局全てが消費に回収されていく。 他人に対して「お前の日常を終わらせろ」なんていうことはできない。「それでその人が幸せならい いじゃないか」この言葉にもずっと苦しめられている。 僕は、他の誰でもない僕自身の日常を終わらせないといけない。日常を終わらせるために、家を出て いかなければならなかった。当時の彼女と二人で借りたばかりの家を出ていく必要があった。家を借 りた当時は、そこで彼女と二人で生活を築いていくつもりだった。いまでも思い出すと引き裂かれそ うな気持ちになる。でもそれまでの日常を捨てて、別の日常をつくりだす必要があった。「出ていき たい」「出ていきたくない」とかそういうレベルの話じゃない。そうしなければいけなかった。他に 方法が見当たらなかったし、他に方法はないと自分に言い聞かせていた。この日常を終わらせる。日常を終わらせるんだよ。

無愛想なお姉さん達が接客しているという、近くの病院の内部にあるパン屋さんのメープルパンを食 べた。おいしい。
「いつもはこんなにたくさん買ってこれない。」
って安達家のおかあさんが言う。とっても人気があっていつも売り切れてしまうらしい。
家を安達家に預けて、今日僕は安達母の実家に泊まらせてもらうことになった。鶴岡市の大山町とい うところ。行ってみると、ここもなかなか高齢化と人口減少がやばそうな町。その家はおばあちゃん とおじいちゃんが二人で静かに暮らしてる家だった。おばあちゃんは家の窓のどこが開いていてどこ が閉まっているのかを把握しているようだ。6時過ぎに早めの晩ご飯を食べながら話をした。
「この町が鶴岡市に合併されてから高校がなくなっちゃって、さみしくなっちゃったの。やっぱり 高校がないとさびれちゃうのね。若い人がいないと。」
「若い夫婦とかが引っ越してきたりはしないんですか?」
「このあいだ、子供が4人いる夫婦が引っ越してきて事件になったの。みんなに大歓迎されて。子供 会も四人も増えたって喜んでね。鶴岡市内から、家賃が安いからって越してきたみたいだけど」

夜7時半頃僕が散歩から帰ってきたらもうおじちゃんは寝ていて、おばちゃんは一人でテレビを見た り書き物をしたりしていた。僕が隣の部屋で絵を描いてると、ときどきおばちゃんの笑い声が聞こえ てくる。もう何年も、こうして夜を過ごしているんだろうなと思った。昨日まで僕が名前も知らなか ったこの町で、もう何年もこうして夜を過ごしてきたんだろうな。