久々に海沿いの道に戻ってきた。国道8号線。もうシーズンじゃないから海水浴客はいないけど、海水浴場はたくさんある。途中に「フィッシング センター」っていう入場料100円の沖に飛び出た堤防みたいな場所があって、その下に小さい公園があった。半分は海の中にあるような公園な のに、魚の形をした遊具がたくさんあったり海との境界に柵が設けられていたりしていて、海で遊ぶんじゃなくて陸上であそぶことを強制してて、 へんな公園だなと思ってよくみたら、入り口に「危険なので関係者以外立ち入り禁止」って閉鎖されてた。新潟県でも上越の海岸線は、下越や中 越のそれとくらべて山が近くてトンネルがたくさんあるように感じる。このあたりで越後平野が終わるんだろうな。トンネルを歩いてた時、反対 側の歩道で自転車を押して歩いてるおじさんがいた。それを見て、家も乗り物みたいなもんだなと思った。停める場所を探すのに苦労する乗り 物。自転車が駐輪場に停まるように、家は敷地に停まる。

ずっと歩道はあるんだけど歩く人がいないので草が生い茂っていて、家で草をかき分けながら進んでたら派手に蜘蛛の巣を壊してしまった。「やべ」って思ってたら、そのせいかわからないけど足が3本くらいになっちゃってるクモがよろよろと家の壁を歩いてるのをみつけた。取り返しの つかないことになってしまった。そいつは足が3本になっても、その足を必死で動かして糸をたぐり寄せて上へ登ったり下へ降りたりしててすごか った。草むらに返したけど、生き延びるのは厳しいだろう。ごめんなさいって思ったけど、こういう時ごめんなさいとか思うのって人間だけだよ なあと思ったらそれも偉そうだ。ただでさえこの家で寝てたら明け方とかによくクモの幻覚をみるのに。増えちゃうな。幼い頃カタツムリを不意 に踏みつぶしちゃって、そいつを眺めてたら涙がぽろぽろでてきたのを思い出した。

お昼過ぎに関西からテレビの取材が来た。リポーターとディレクターとADとカメラクルーが3人いた。以前から取材をしたいと連絡をもらってい て、それが今日来た。直江津から糸魚川方面へ向かう国道8号線を歩いているときにカメラが待ち構えていて、リポーターの人が僕を見つけて若干 大げさにリアクションした。リポーターと話しながら「派手な毛虫が歩いてるなあ」って思ってた。取材班はこれから夜、僕が敷地を見つけるまで 同行するらしい。「普通断るやろ」って思ったところ「許可もらえたんかい」っていう絵が欲しいみたい。
リポーターの女の人が僕と同い年で、 取材班のADが僕の1つ下でなんか感慨深いものがある。いつのまにか毛虫が踏みつぶされてた。 そっから4キロくらい西の名立っていう町までカメラとリポーターと一緒に歩いた。途中に良い滝の見えるスポットがあった。リポーターの人と 「良い滝ですねえ」って話をした。あと黄色い小さな花がたくさん咲いてる場所もあって「何の花かわからないけど、花が咲いてますねえ」って話 をした。彼女は
「歩いてみないとこういうのって気がつきませんね」
と言ってくれた。

5時くらいにはもう暗くなってきて、本当なら敷地の交渉をどんどんしないといけないんだけど、取材班と一緒に動いてるとどうも動きが鈍くなってしまって焦った。1軒目のお寺は留守で、そのお寺の近くにいた子連れのお母さんに交渉したけど
「うちは場所がない」
と言われ、3軒目のお寺でオッケーがもらえた。もう6時近くなってた。そのお寺の住職さんは、リポーターに
「最初この家をみたときどう思われましたか?」
と聞かれて
「いや別に何も。だってみんな家は持ってるじゃない。」
と答えててかっこよかった。そのあと近くの道の駅でご飯を食べて銭湯に行って、僕が寝るところまで撮って彼らは帰っていった。敷地を見つけるところまで人が一緒にいてくれたのは初めてで楽しかった。

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昨日夜、漫画喫茶に行くために渡った橋を、朝逆向きに渡る。二匹が連結した赤とんぼが何十匹も河原のあたりを飛んでた。次のシーズンへの準備をしているのだな。どいつも羽に朝日を浴びて光ってすごく綺麗。

フリーWIFIが飛んでいるところでパソコンをいじってたら、従業員らしきおじさんから
「ちょっと話しかけてもよろしいですか」
と声をかけられた。
「あの家を背負ってらっしゃるんですよね。うちの者がテレビでみたことあると言っていて」
そういえば昨日も別の人から「テレビでみた」と言われた。でもめざましテレビアクアは関東ローカルのはずだし、新潟で見られるようなテレビに出た覚えがない。僕の知らないところでテレビに映ってるとしか思えない。そのおじさんは僕の話をものすごく低姿勢で聞いたあと、上越市の高田と呼ばれる地区が面白いかもしれないから行ってみてください、と地図を渡してくれた。雪が多く降る地区なので、家のひさしが全部つながって歩道に屋根をかけてるのが面白いと言っていた。

10時頃あらいの道の駅を出発して、おじさんが教えてくれた高田の方へ歩きはじめた。県道63号線の歩道でモンキチョウがたくさん飛んでいた。数メートルごとにいた。地面に倒れてるやつも数羽いた。倒れてて起き上がろうとがんばってるけどうまくいかないやつがいて、まわりを応援するみたいにパタパタと飛んでいるやつもいた。誰かと一緒に
「見て!チョウがチョウを応援してるみたい!」
って騒ぎたい気持ち。大学生時代にやってた散歩サークルのことを思い出した。「東京もぐら」というサークルで、歩数だけ決めて複数人で散歩をして、写真を撮りながら町をアテもなく歩きまくる。誰かがその歩数に達したらその日は終了。次回はまたそこから歩き始める。っていうルールで確か5回くらいやった。東京の実態がつかめないまま日々生きてる感じがして、駅から駅に移動するのがまるでチャンネルを変えてるみたいに見える。「たけコプター」よりも「どこでもドア」が欲しい社会になってるから息苦しいってのは、今でも思っている。今考えるとシチュアシオニストの真似をしてた。僕は当時からシチュアシオニストが好きだった。またみんなで東京をアテもなく散歩したい。そういえばこのあいだ松代で石田君からギードゥボールの最初の本の話を聞いた。本の表と裏の表紙がヤスリ仕様になっていて、本棚からその本を取り出すとき、両隣の本を破壊するようにできていたらしい。かっこいい。

道の駅のおじさんに教えてもらった高田という町のドラッグストア前のテーブルがある広場で、2人組の女子高生を眺めながら休憩した。すこし離れたところに男子高校生が一人で座っていた。彼はそわそわしているに違いない。そのあと3時頃に直江津のあたりまで来た。「七幅の湯」という銭湯を見つけたのですぐ入った。昨日お風呂に入れなかったから気持ち悪かった。

530円だった。温泉ではないけど、いろいろな種類のお風呂やサウナがあって楽しい。あと「サウナ室内で高温の熱風を浴びて大量の発汗を体験しよう!」みたいなやつとか色々イベントをやっていて、大きな休憩室もあって、銭湯の中が小さな町みたいだった。そこの店長に敷地の交渉をしてみた。

僕が写真とか見せながら説明してるあいだ、彼は1つも相づちを打たなかったので「ここはだめそうだなあ」と半分諦めながら説明し終わったら。一呼吸おいて彼はポカンとしながらも「ふふふふ」って笑い出して、僕もつられて「ふふふふ」って笑い出した。この感じは好きだ。
「個人的には応援したいんですが、わたし一人が許可を出したところでなあ。他の従業員が驚いたりしそうで。このあたりは朝までずっと明るいし、朝も早くから人が来はじめますけど、いいですか?みつかったら吊るし上げられると思いますけど(笑)」
と言われた。
「近くに似たような銭湯があって、そこのほうがまだいいのかなあ。うーん。どうしましょう。」
って感じで一緒に考えはじめてくれた。
「宿泊はちょっとなあ。家だけ預かるってことなら協力しやすいんですが。」
と言ってくれたので
「そしたら家だけ預けてもいいですか」
と言った。
「個人的には応援したいんですが…。すいません。そしたら家は預かります。」
良い人だなあ。

僕は歩いて30分くらいの「快活クラブ」っていう漫画喫茶に行って寝ることにした。このパターンは秋田市のホテル以来。こういうときの間取りは面白いことになる。僕の家は銭湯にあるけど、寝室はそこから徒歩30分のところにある。じゃあこのとき銭湯に置いてある「家」ってなんなんだ。

いま快活クラブからこれを書いてる。店の中には、小さな音でBGMとして森の中っぽい感じで鳥の声が流れてる。もうこの鳥の声にも馴染んだ。

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ウッドデッキにシートを広げて森を見ながらお昼ご飯を食べた。焼きそばと蒸しパン。裏に住んでる母子とか近所の人も一緒にピクニックみたいに。長野は冬がながくて、その間は外 に出られないので、夏の間に少しでも日光を浴びときたいということでよく外で食べるらしい。
お昼に松田さんに軽トラで新潟県妙高市の道の駅まで送ってもらった。松田さんと別れたあと、家を置いて近くを散歩した。そんで虚脱感に襲われる。予想はしてた。今日から先はま た敷地の交渉をしながら歩かないといけない。まだお昼すぎだからここから歩くこともできるけどそんな気にならなかった。友部正人の「どうして旅に出なかったんだ」を聞きながら ずっと歩いてた。虚脱感から逃れられないまま、パラレルワールドについて考えながら歩いた。もし自分が高3の春に友達についていって美術予備校にいっていなかったら。とか、も し香川の家を出ていなかったら。とか、もしすでに死んでいたら。とか。歴史に「もしも」なんてあり得ないとかってよく言われるけど、そうやって今と違う自分を想像することによ って自分を相対化できる。死を意識することによって生きている自分に力を与えることができる。そういうこともできる。
帰ってきて、道の駅の清掃おばちゃん2人組と話した。
「今夜雨が降るみたいよ。あそこの屋根の下のほうがいいわよ」
と言ってくれた。
まわりをみたらあちこちの田んぼから煙があがっている。この時期は刈り取ったあとの田んぼの掃除のために野焼きをやるらしい。狼煙があがってるみたいに見えた。

今日は近くに日帰りで入れるお風呂がないから我慢する。おばちゃんの言う通り、日が落ちてから雨が降ってきた。
8時半には家の中で横になった。昔書いた「夢と編集」という日記のことを考えた。僕たちは寝ているとき、浅い睡眠と深い睡眠を繰り返しているらしい。浅い睡眠の時に夢を見てい るけど、その後の深い睡眠によって夢を忘れてしまうらしい。だから浅い睡眠のとき、夢を見ている最中に目覚めないと夢をみたことにならない。すごく不思議な話だ。夢を見ている 最中は、僕は現在進行形で夢の中にいる。でもその経験は『後で夢をみている最中に目が覚める』ということによって担保されている。じゃないと夢を見ていたことさえも忘れてしま うから。つまり現在進行形の体験が未来に依存していることになる。夢を見ているときは、現在と未来が同時に訪れていることになる。不思議だ。 同じように自分が死んだあとも、自分が生きていたころのことを思い出すことはできなくなる。まるで深い睡眠のせいで夢を忘れてしまうみたいに。現実も夢と同じよう な構造をしてる。

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福田さんの奥さんとお兄さんは写真をやってて、僕が出発したあと二人でしばらくついてきて、歩いているところを写真に撮りまくっていた。結構本気で走って僕の 前に回り込んだり、道沿いに咲いてた花と一緒に撮ろうとしたりして、二人とも夢中だった。きっとあとで新聞に投稿するんだろう。良いな。福田さんの旦那さんは は別れ際に
「また近くに来たら、いつでもいいから泊まってけよ。来年でも再来年でも10年後でもいい。」
と言ってくれた。

だんだん寒くなってきてる。早く南下しないと早々に上着を買うはめになる。本当は長野市から北西に進んでいって、富山県に入ったほうが短い距離ですむんだけ ど、そのルートは深い山道を数十キロ歩かないといけない。最近頻繁に近くでクマが出没したという噂を聞くってこともあって、山道を避けてここから新潟県の上越 まで北上して、そこから海沿いを西に進むことにした。須坂市から25キロくらい北に行った新潟県との県境近くに信濃町という町があって、そこに住んでる松田さ んという女性のアーティストと松代の展示会場で出会っていた。今日はその彼女の家に行く。彼女の母親は町で唯一の小学校の学童の先生をしていて、僕を先生とし てそこに招いてくれていた。

9時過ぎに学童について、何もわからないまま小学1~3年生十数人を相手に段ボールや紙の箱やら新聞やらで家づくりをはじめた。始めはみんなで壁を作ったり屋 根を作ったり柱を作ったりして、出来てきたらそれぞれ勝手にキッチンを作ったりテーブルを作ったり番犬(みぃちゃん)と犬小屋を作ったり、サインを作ったりし ていた。小さなビルをつくりはじめた女の子もいた。鎌と盾をつくって、僕が壁に貼付けた紙の鳥を狩りはじめる奴もでてきた。子供のエネルギーはすごい。そのエ ネルギーがすごすぎて疲れちゃうのでけっこう苦手なんだけど、このくらいの年の子達と一緒に何か作ったりするのは刺激的でもある。彼らは「今」の中に生きてる 感じがする。美術家の山本高之さんのことを思い出した。彼はこういう経験を繰り返して作品のアイデアを固めていったんだろうな。

お昼ご飯を一緒に食べたんだけど、そこで小学2年生の女の子が教室にスズメが入ってきた時の話をしてくれた。
「窓からスズメが入ってきて、窓のところにとまったんだけどね。剣道やってる男の子が足で床をドンッ!ってやったら、気絶しちゃったの。」

学童のあと、松田さんの家に行った。山のなかに大きな敷地を持っていて、そこに建てたログハウスに住んでいる。おなじ敷地内に他に3つぐらいログハウスがあっ て、それぞれ人が住んでるらしい。楽しそうだ。こんな生活のしかたもあるんだ。夕飯に近所から家族を二組招いてくれて、一緒にカレーを食べた。明日にはもうこ こを出るんだなあと思ったら、そのめまぐるしさにぞっとした。このスピード感すごい。また慣れるのにすこし時間がかかりそうだ。

長野で活動的な人たちの話をきいた。額縁屋さんがいて、その店の客は作家だ。作家が展示するためのレンタルスペースをしようとしてい る人もいてその人たちの客も作家だ。その作家の作品を多くの人に見てもらうように、買ってもらえるようにしないといけないのにそこまで考えてられてなくて、お 金が身内だけでまわってる感じがあるみたい。なんか悲しくなった。僕も歩いていて、出会う人からよく
「個展するなら場所代かかるだろ」
って言われて、道にいる多くの人はギャラリーと言えば貸画廊のことだと思っているところがあって、ため息をつきたくなるんだけど。作家から場所代としてお金とって どうするんだって思うんだけど。最近よくメールがくるなんとかマインドって会社も、イベントを企画して作家に数万円の参加費を払わせてやってるんだけど彼らは いったい何を考えているんだろう。それで発表したがる人がたくさんいるからいいのかもしれないけれど、けっこう腹だたしい。だけど面白いからメールは見るようにしてる。夕飯を一緒に食べた近所のお母さんで、駅とか大学とか会 社とかそういう公共空間にパブリックアートを設置する仲介のようなことをやってる会社に勤めている人がいて、こういう産業もあるんだなあ。

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今日からまた歩き始める。足が重い。松代に2週間以上留まった。自分の寝場所も家の置き場所も確保された状態での2週間で、展示に来たお客さんと話すのも他の作家と話すの も楽しかった。刺激的だけど、とても楽な日々だった。環境が安全すぎて飲酒量が増えたりして、いま僕は何もしていないから世界に存在していないなんて思い悩むこともあって、それはそれで辛くて、バイトしてたころの気持ちを思い出したりしたけれど。展示の撤収が終わってから昨日までなおこと松本で遊んだ。松本は彼女が7年くらい住んでた町 らしい。僕は半年以上前の彼女を知らない。行きつけの喫茶店とか知り合いのお店とか高校からの友達とかいろいろ紹介されて、紹介されるごとに 「どこにお住まいなんですか?」 って聞かれて返答に困ったり。そういうの全部が楽しくて、楽だった。楽しいと楽って同じ字なんだな。これからまた歩き始めるということに対して全然現実味がない。
それでも歩き出したらなんとなく軌道に乗っていくもので、松代から須坂市を目指して歩いてたら頭がすっきりしてきた。この2週間のおかげでやるべきことがすこしクリアにな った気がする。迷うことに対する迷いを消したいと思った。「答え」とかを出さないように気をつけようと思った。答えは出すよりも出さない方が難しい。考えつづける方が精神 力がいる。それに負けて何かとすぐに決めつけたり、迷いを消したりしようとしちゃうんだけど、そうならないように気をつけようと思った。だからずっと気持ち悪いし、表現と してはだめなのかもしれないけど。迷いとかあったら人に伝わらないのかもしれない。「これは間違ってる!」と言う方が「これは間違ってるかもしれないし、間違ってないかも しれない…」と言うよりも強くて伝わりやすいのかもしれないけれど。それでもいいと思った。
「これは間違ってるとも間違ってないとも言えない!!!」
と大きな声で言えばいいのだ。いま僕はそれをやっているつもりだ。

歩いてたら目が乾いてひりひりした。大嶽山が噴火したので、その火山灰的なものが空気中に飛んでるんだと思う。東京にいる友達も 「洗濯物ははやく取り込もう」
とつツイートしていてた。火山灰の影響があると観られるのは○○と△△です。みたいに報道されてたけど、そういうの見て安心しちゃいけないんだな。とそのツイートを見て思 った。彼は車に薄く粉が積もってるのを確認したらしい。ニュースを見て安心しちゃうとそういうことをやらなくなっちゃうな。なんとなく、新潟で出会った余命半年と宣告され たおじちゃんのことを思い出した。大昔のことみたいに思えるけど、まだ3週間くらい前の話だ。元気だといいな。

須坂の福田さんの家に6時ごろ着いた。いつの間にか日がとても短くなっている。6時にはもう真っ暗。福田さんは松代に行く途中のコンビニで出会った人で、親が住んでいた家 がまるまるあいてるからいつでも泊まりにいらっしゃいと言ってくれた人。あったかく歓迎してくれた。旦那さんの仕事は自動車工場で、趣味はミニカーを集めることらしい。数 百台のミニカーが寝室に並べられてた。ちなみに先祖は村上水軍らしい。僕のルーツもどうやら瀬戸内海なので、遠い親戚じゃないか。そう思ったら一気に親近感が湧いた。

空き家の2階に泊まらせてもらったんだけど、家具がなにもないのに生活感が残っている部屋の感じがちょっと不気味に感じちゃう。松代に行く前よりもサバイバル力が弱まってる。

家を置かせてもらったところの写真撮るの忘れた。

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自分が考える合理性が絶対のモノだと無意識のうちに思い込んで、他者に対してそれを強要し「君に もこんなふうに考えてほしかった」って考えたり、あるいは「そんなの君らしくない」とか言うの は、自分の内面を他者に投影しているだけで、他人について考えてそうに見えて実際は自分の世界し かみえていない、とても幼い思考をしている。生後六ヶ月からやりなおせって感じ。僕が六本木アー トナイトに出品したとき「村上君らしくない」とかって言われたのも同じだ。彼らの考える『村上 君』は僕じゃない。家をトラックに載せてもらって運ぶと聞いたときに「ずるい」と言ってくる人達 も同じだ。自分の理想を他人に投影しないでほしい。

松代の町を散歩してたら大きな緑色のカマキリが民家の塀にとまっていて、何か黄色い物を捕まえて食べてた。カマキリはかっこいい。狩ったその場が食 卓になるのだ。サバイバーだけど、食事をしている姿はとても上品に見える。近づいてみるとそいつは首を150度くらいまわしてこっちを見た。完璧に目があった。目があった途端、それまでもぐもぐしてた口の動きを止めて、ゆらゆらと揺れだした。あのカマキリ独特の動き。風に揺れる葉っぱに擬態し てる気なんだろうけど、そんな思い出したようにやっても意味ないだろと思った。かわいいやつだな。で、何を食べてるのか知りたかったけどびっくりし てせっかくの食料を落としたら悪いなと思って近づくのはやめた。何かわからないけど皮は茶色で中身が黄色いものだった。カメムシかも。それを必死で むしゃむしゃと食べているのを見て、カマキリも何か特定の栄養素が不足したりするんだろうかと考えた。

昨日で「まつしろ現代美術フェスティバル」の展示が終わって、今日撤収作業をやった。池田卓馬さんとか津田翔平さんとか、会期中仲良くしてもらって いた作家たちもみんな帰っていった。とても濃い10日間で、こうやって作家が集まって展示したり、夜になると美術のことやら生活のことやらをあれこ れ話したりするのはすごく面白くて、そういえばとてもいろいろ話したんだけど日記にする気にはならなかったのは、たぶん思ってることを発言しちゃっ てるからなんだなと思う。今はとてもさみしい。それぞれの日常がまた始まるのだ。すごく当たり前のことなんだけど、ほんといろんな人がいるよなあと 思う。多様すぎて笑えてくる。みんなそれぞれ違いすぎてタイプ分けできない。こんな色んな人が居てよくやってるよなあ。こんなにいらないだろwって 思っちゃって、ほんと面白いな。
そういえば昨日、紙芝居を個人で作ってデイサービスセンターなんかで発表しているというおばあちゃんと展示会場で出会った。彼女は10年前から紙芝居を作っていて、なんで作り始めたのか聞いたら
「認知症の家族が二人いて、介護に疲れてるときに人にすすめられて。自分で没頭できるものを探さないと振り回されちゃうから」
と言ってた。母親から聞いた話や、松代の昔話や、自分が小学校のころいじめられたけど路上生活者のおじさんに助けられた話なんかを紙芝居にしてた。初めたきっかけがとても切実で、話を聞いてて泣きそうになる瞬間があった。

撤収作業のあと自分の家をずっと補修してた。錆びた蝶番を新しい物に交換したり、ペンキのはがれた部分を奇麗にしたり黒い線を書き直したり、車検に 出してるような気持ちでやった。

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展示中に知り合った作家のパフォーマンスがあるというので出かけてみたけど、あまりにもつまらないので見てる途中で帰ってきた。昨日銀河が東京から来てくれた。銀河も ここ1年でいろいろあったようだけど今は実家に住んでいてバンドのフランスツアーのための資金をバイトで貯めているらしい。なんかスピード感が足りないんですよねって言 われたので、実家は出て行った方がいいそんなところにいたら腐ると言った。というか、今の僕にもスピード感というか切迫感が足りてなくて、こんなんでいいのかと思う。 今すぐに展示を撤収して出て行きたいという気持ちと戦いながらここに留まっている。これじゃあ全然だめだお遊びだ。僕の展示をみて
「『あの家で生活してる』っていう、そういう体裁で絵と家を展示してるのかと思いました。」
と言う人がいた。はあ。そういう体裁ってなんだ。なめるなと思ったけど
「ああ。そういうテイって思っちゃうんですねえ」
みたいにしか言えなかった。とにかくここにいたら腐るというか飲酒量が増えてどうしようもない。毎日安心なので、日記を書こうという気持ちにならない。危ない。
まつしろの象山というところに地下壕がある。第二次世界大戦の末期、日本政府が極秘で政府機能やら天皇の家やらをそこに移そうとして酷い条件で人を働かせて穴を掘らせ ていたけど、完成する前に終戦になって結局掘るだけ掘って穴だけのこったみたいな、延べ10キロの地下壕が一部公開されてる。労働環境が悪くて労働者が何人も崩落やダ イナマイトに巻き込まれたり、栄養失調になったりで亡くなったりしていたらしい。結局何にも使われずに穴だけ残ったんだけど、それがいま観光スポットとして公開されて いて中に入れるようになっていて、彼らが掘った穴を人が通ってるってのは良いことだと思う。なんとなく僕の展示場所の山寺常山邸とも被る。観光地だから管理するのに人 を常駐させなくちゃいけないという名目で地元の人が当番制でボランティアをしてる。人がそこに居て、集まって何か話したりにするっていうことのために色々と理由をつけ てる気さえする。地下壕を銀河と一緒に歩いたあとは
「戦争は嫌ですよねえ」
「戦争は嫌だね。戦争だけは嫌だね」
なんて会話をした。

ニーチェ
ツァラトゥストラ(下)

賤民の出のものは、その回顧も祖父までしかさかのぼらないということだ、-祖父まで戻れば時間が終わってしまうわけだ。こうして一切の過去はいいなりにされる。つまり賤民 がいつかそうした支配者となるかもしれない。そしてすべての時間を浅い水たまりのなかに溺らせてしまうかもしれないのだ。 だから、おお、わが兄弟達よ。新しい貴族が必要なのだ。すべての賤民とすべての暴力的な支配者に対抗し、新しい石の板に、新しく「高貴」ということばを書く貴族が。

おお、わが兄弟たちよ、あなたがた貴族は、うしろをふりかえってはならない。前方を見るべきだ!あなたがたは、あらゆる父と祖父の国を追われたものであらねばならない! あなたがたは、あなたがたの子供たちの国を愛さなければならない。この愛をこそ、あなたがたの新しい貴族の資格とするがいい、-それは海のかなたにある未発見の国への愛で ある!
すべての過去を、こうして救済しなければならない!この新しい板を、わたしはあなたがたの頭上にかかげる!

GEZANがとても良い。「世界が何もわからなくても歌ってもいい」と歌ってる人がいて嬉しい。音楽つくってる人もこの問題にぶつかるんだ。

一昨日の夜、松本にあるgive me little moreっていうバーでマスターの新見君といろいろ話した。信州大学に金井ゼミという美術系のゼミがあるらしく、今回の「まつしろ現代 美術フェスティバル」の運営まわりの人たちはみんなその人からの影響で美術に携わるようになったらしい。フェスティバル代表の石田君も新見君もなおこもみんな金井先生に会 うまでは美術なんて興味なかったという。
「逆にいつ美術を知ったのか」
って聞かれて、いろいろ話しているうちに去年のバイト時代に自分がいかに追い込まれて八方塞がり状態だったかを久々に思い出した。この世界を脱出する方法としての死がある と思っていた。誰のことも責められないまま、世界中のみんなで破滅に向かっていく感じがしてた。当時の日記は今読んでも切迫感が伝わってくる。そんでニーチェに会って、彼 だけが見方のように見えた。自分を笑う目を持つことを忘れないこと。僕が家を持って歩いてるところを見た人がたまにする「家が歩いてるww」みたいな写真付きのツイートを 見ながら毎日必死で絵を描いたり考えたり日記を書いたりするようなこと。

富士山の話も久々にした。富士山を見に行こうと御殿場に行ったんだけど、いつまで歩いても富士山が見当たらない。諦めて帰ろうとしてiPhoneの地図を開いて、何気なく現在 地の標高を調べたら600mだった。既にそこが富士山の上だったんだ。僕は富士山は遠くにあると思って探してたんだけど、もう富士山の上にいた。これは衝撃だった。考えてみ れば山って、とりあえず呼びやすくするために便宜的に分けて名前をつけてるだけで、この日本の本州全部が富士山の上にあるっていう言い方だってできる。震災の後、被災地に 行って何かやろうと思って色々やったけど、どうもうまくいかなかった理由がここでわかった。被災地はどっか遠くにある場所なんじゃなくて自分の足下にあった。東京だって香 川だって被災地だし、僕自身が被災者だった。だから「自分がいる場所から離れて、自分じゃない誰かのためにやる」みたいな行動原理じゃ何も生まれない、自分の身近な問題に 引きつけて行動しないとうまくいかないのは当たり前だった。

あと昨日の朝、加賀井温泉に行ってきた。石けんやシャンプーが使えない、本当にお湯につかるためだけにある温泉で、露天風呂が混浴になってる。この露天風呂に2種類あっ て、ぬるいお湯と熱いお湯がある。それぞれ違う井戸からくみ上げているらしく
「ぬるい方のお湯が、すごく良いんだよ」
って、その風呂で一緒だった90歳のおじいちゃんが教えてくれた。温泉は茶色く濁っていて、舐めるとしょっぱくて錆びた鉄の味がする。「車いすで行った人がスキップして帰 って来る」と言われるくらい効果のある温泉らしい。僕は90歳のおじいちゃんから
「昔、毎日ここでよく話してた88歳のおばあちゃんがいてな、ある日ひざの手術を受けてから歩くのが億劫になったみたいでな、あまり来なくなったんだ。俺は1週間に1回で いいから温泉入りに来いって言ってたんだけどな。来なくなって7日目で脳梗塞で倒れちまって、自分で何もできない体になっちまった。いま入院してる。」
なんていう話を聞きながら1時間くらい浸かっていた。彼は
「ここに週に一遍でも入りに来てれば、脳梗塞なんてならなかったんだけどなあ。そう思うんだけどなあ。」
と繰り返し言っていた。

僕は自分でWi-Fi等を持ってないのでパソコンは持ち歩いてるけどネットにはつながってない。ネッ ト環境をどうしてるかってのをよく聞かれるんだけど、日記はパソコンで打ったのをiPhoneに移し てそこから投稿してるし、パソコンをネットにつなげたい時はコンビニでできる。セブンイレブンは 一日60分×2回まで、ファミリーマートは一日20分×3回までメールアドレス登録すれば無料で Wi-Fiが使える。道の駅でフリースポットがあるところもあるし結構なんとでもなる。香川に住んで た時もネットは契約してなかった。近所のファミマに通ってた。
展示会場に在廊していると疲れる。観光地なので観光しに来た人に説明するのがとてもめんどくさい。いつもと違う疲れ方をする。絵を4つ描いた。

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会場の山寺常山邸のボランティアスタッフのおばちゃん二人が事務所でずーっと話している。町の話 とか人の話とか「女の子ってそうよねえ」みたいな話とか。一人じゃなくて二人ってのがミソだな。 観光地を管理するっていう名目で町の人が二人一組になって、丸1日一緒にいるってのは情報交換に もなるだろうし、楽しみにもなるだろうな。こういう場所が町にあるのは羨ましいな。彼女達はお客 さんが来ても事務所から出てこないこともあるし、気が向いたら「どうぞごゆっくり」って感じで対 応したりもする。この力の抜き具合もいい。お客さんが来るか来ないかは対して問題じゃない。仮想 の客を設定するだけでいい。町の人が二人ずつ交代で毎日そこに集まるってのが大切なんだろうな。 ここは全部で15人くらいボランティアスタッフがいて、シフトを組んで当番をまわしてるらしい。 ただし必ず「男男」か「女女」って組み合わせになってるっぽい。「男女」はない。リアルだ。

今日もほとんど自分の展示会場にいた。会場にいるとそわそわしちゃって、絵を描いたり日記を書い たりっていう作業が全くできない。僕のサイトを見て、新潟から車で展示見に来てくれた家族がい た。あとすぐちんも岐阜から来てくれた。
夜アーティストトークイベントがあって、その後下の絵のような感じでみんなでご飯をたべた。

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