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僕の家は、家だけど家じゃない。僕は家を呼んでるけど、他の人がこれを「家」と呼んだり、発泡ス
チロール製の瓦を「瓦」と呼んだりしたとたんに、このイリュージョンの仲間入りをしたことになる。ママゴトの世界へようこそって感じ。

今日は早く目が覚めた。自分の家の窓を開けて外を眺めてみる。台風はまだ近くにいる。風は弱まっ たけど雨が強くなってる。カラスが蝉を捕まえた。蝉が鳴き叫んでいる。カラスはそれに構わず、ケ ヤキの木の枝の上で蝉を食べはじめた。
ツイッターで「酒田市か鶴岡市で家を置かせてもらえる所を探してます」って呼びかけてみたら岩手の瀬尾ちゃんが友達を紹介してくれた。ちょうど酒田市と鶴岡市のあいだに三川町っていう町があっ て、そこに同い年の男友達の実家があるらしい。お寺を出て三川町に向かった。
風が強くて家がギシギシと軋む。特に川を渡ったときは風が強すぎて今にも屋根が分解しそうで
「頼むからあと少しもってくれ」
って家に向かって語りかけながら歩いた。パニック映画の主人公みたいな気持ちだった。でもすぐ隣の車道では何百台っていう車が僕をどんどん追い抜いて行く。こんな風なんともないんだろうな。
途中でおまわりさんに
「仕事ですか?物騒な世の中だから気をつけて!」
と声をかけられた。あと車の中から子供が
「ホームレスですかー?!」
って叫びながら走り去っていった。あとバイクの後ろに「日本一周」って看板を掲げた男性にも出会 った。彼はなんとなく気持ちが高揚しているようだった。若い旅人ってそういう人が多い気がする。 彼と話して僕は「旅」っていう言葉が嫌いだってことに気がついてしまった。日常化のバイアスが既にその言葉に含まれてる。これまで何万人という人たちが日本一周という看板を自転車やバイクや 車やバックパックの背中にくくりつけて日本を一周して、そして「帰っていった」んだろう。遊牧民 に対して「旅ですか?」とか「どこまで行くんですか?」なんて問いは成立しないはず。僕は移動生活を 成り立たせたいだけだ。そしてその経験を、奴らのいう「将来の糧になるよ」とか「いい経験だね」 っていう言葉に回収されたくはない。確かに良い経験だと思ってやってるけど、僕が使う「経験」と 奴らが言う「経験」は全然意味が違う。あんな日常化のバイアスがかかった「いい経験」なんてちっ ともいい経験じゃない。 そして徹底的に見て回りたい。誰かの編集した情報を通して何かを知った気になりたくない。自分か ら数えて3番目の物語が見たい。僕でもあなたでもない、第3者の物語を直接見たい。これまでもず っとそれをやってきた。
三川町まで13キロ、ノンストップで歩いた。待ってる人がいれば疲れないもんだな。三川町の安達 家の全員が歓迎してくれた。特にその同い年の彼とは、夜中まで話し込んだ。日本酒と白ワイン(山 形はワインも美味しいらしい)とビールを交互に飲みながらいろいろなことを話した。瀬尾ちゃんあ りがとう。

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朝、お祭りの片付けを手伝って9時半頃には出発した。午後から風が強くなるという予報があったか ら。いつもなら絵を描いてから出るのだけど、午後3時の予想風速が10mだったので、早く行かな いと動けなくなると思った。

お昼頃に、酒田市の市街地に入った。道ばたでなんとか会っていう宗教法人の勧誘を2回うけた。こ のあたりは会員が多いらしい。1人目に勧誘してきた人は9年前から会員で、入ってからずっと人生 が幸せだと言っていた。良い事だと思った。でも年中無休でずーっと幸せってのもつまらなそうだな とも思った。
お寺がたくさんある地区を見つけたので敷地交渉を始めた。3軒くらいまわって全部NGだった。お 盆が近いのでどこのお寺も忙しいっていうのもありそう。町を歩いていて気がついたんだけど、どこ の家にも「身元調査お断り」と書かれたパネルがドアのそばに貼付けられていた。なんのことかわか らなかったんだけど、よく見ると「同和問題~~会」と書かれている。そうか、同和問題か。そういえば昨日のお祭りで焼き鳥を売ってる兄ちゃんは普通に自分たちの地区のことを「部落」と言ってたな。いいなあと思った。部落。かっこいいじゃん。

4軒めのお寺でOKをもらえた。
「忙しいから中で泊めてやることはできねえけど、一晩くらいならどこでも泊まってっていいぞ。台 風くるぞ」
と言ってくれた。もう風がかなり強くなっていて、台風前夜って感じの不穏な気候だったので本堂の 縁側みたいなところに家を置かせてもらい、そこで一晩台風をやり過ごすことにした。
なんか体調が悪い。鼻水がでてくる。肉とか食べて早く寝ようと思って、近くの焼き肉屋に入ろうと したけど、一人で焼き肉とは贅沢すぎるなあと思って、そばにあったセブンイレブンでご飯を買っ た。

夜中、喉が渇いて自動販売機に水を買いに行った。風はとても強いけど雨はあまり降ってない。水を 買って、自分の家に帰ろうとしてお寺に入るとぞっとしてしまった。こうして改めて見ると、僕はめ ちゃ怖いところに居を構えている。本堂はとっても大きくて迫力がある古い建物だ。そして真っ暗 だ。通りから本堂を見ると、暗くて中が全く見えない。自分の家がそこになかったら、絶対に近寄り たくない雰囲気。でも入っていくと目が慣れてくる。自分の家もちゃんとそこにある。自分の家がそ こにあるってだけで、この闇が怖くなくなる。闇を味方につけられる。この生活をして何度もお寺と かお墓のそばに家を置いて寝てきたけど、「こわい」とかまったく思わない。これがテントとかだっ たらまた全然違うと思う。自分の家があるってだけで、なんていうか幽霊とかそういうものが全て 「こっち側」にまわってくる。敵対するものじゃなくなる。

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今日もずっと曇り空でたまに雨が降る。そういえば台風が近づいてるらしい。新田さんが心配してく れている。今回もかなり強い奴で、日本を縦断して日本海まで抜けてくるらしい。嫌だ。

お昼頃に新田家を出発。軽トラックで次の道の駅まで送ってもらった。走ってたら山形県に入った。 道の駅で敷地交渉してみたら、ここもNG。キャンピングカーはいいんだけど、テントなどを張るの は禁止しているらしい。「どうしよっかなー」と思って歩いてたら、路上で男の人に
「どこまで行くんだ。昼飯のアテはあるのか?」
と言われた。
「今日は何もアテがありません」
「いま祭やってるんだよ。よかったら休んでいけよ」
祭か…。数日前に祭で追い出されたのを思い出して
「邪魔になりませんか」
って聞いてみたら
「みんな酔っぱらってて、気のいい奴ばっかりだから」
と言う。すぐ近くの公民館の前の広場で焼き鳥やら焼きそばやらかき氷やらを準備している。盆踊り 用のやぐらも建っている。みんな笑ってこっちをみている。なんか大丈夫そうだ。すぐに缶チューハ イと焼きそばを手渡される。
「今日ここ泊まっていっていいからな」
とみんなに言われる。
「ただし手伝わないとだめだぞ」
という感じで、僕は焼き鳥を焼く人になった。吹浦地区の西浜部落のお祭りらしい。僕の他にもう一 人焼き鳥を焼いてる兄ちゃんがいて、いろいろ教わりながら焼き鳥を焼きまくる。その兄ちゃんは僕 の1つ年上で、土建屋らしい。
「こっちの方言わかんないでしょ?」 「わかんないっすねー。特に年寄りはさっぱりです。この祭は昔からやってるんですか?」
「やってるよ。部落でやってるだけの小さな祭だけど、自分は幼い頃からこの人たちに世話になって んですよ。雨が降らなければ、他にも出店がたくさんあって、盆踊りもやるんだけど」
向かいのテントでフライドポテトを作ってるのが、その兄ちゃんの仕事の上司らしい。いいな。
お客さんはあんまり来なかったけど、お酒を飲みながら自分たちで焼いた焼き鳥やらフランクフルト やらを食べながらとても楽しそうに過ごしてる。ていうか途中からは誰が客で誰が店番なのか、焼き 鳥1本はいくらなのかとかがもう全然わかんなくなる感じになった。1本50円て書いてあるけど「3 本で100円だよ!」とか言い出す人がいたり。1本百円て書いてあるフランクフルトを売ってる隣の おじさんは
「1本食ってけよ」
って言って前を通る人に渡したりしている。いいなあ。みんなすっごく楽しそう。僕の隣にいた兄ち ゃんなんかいつの間にか居なくなっていて、かわりに別の兄ちゃんが座って接客してた。隣にかわい い彼女さんも座ってる。
となりのおじちゃんが町会長さんに
「こいつここ泊めていいですよね」
と言ったら、町会長さんは困っていた。 「一応公民館利用は22時半までということになってるし、なあ。誰か泊めてやれる人いないのか」 という。「いいよとは言えない」って感じが全面に出ている。
出店が終わってからも、公民館の中で宴会が続く。僕は途中で離脱して何時だったか覚えてない。気持ち悪い。また飲み過ぎた。。

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いま日記はその日の夜か、翌日の朝に書いてるんだけど、これもなんかおかしな話だな。出来事は過去のことなので、過去形になるはずなんだけど書いているうちに頭の中に蘇ってくるので現在形でもいけるようになる。そうすると過去形と現在形が混ざったような文章になる。書いてると、この過去と現在のせめぎ合いが絶対にあるんだけど、世の中の日記を書いてる人たちはみんなどうやって折り合いをつけるんだろう。

いまは8月9日。長崎に原爆が落ちた日。昨日のことを思い出して書いている。昨日もたくさんのことがあって、日記を書かないと頭が整理できないままだし、絶対わすれてしまうから日記にしないといけないんだけど、どうも書こうという気力がわいてこない。「できごとを記録する」っていう目的を持ってしまうと、途端に日記がめんどくさくなる。うまくいかないしつまんない文章になっちゃう。でも油断するとそうなっている。気をつけないと。昨日はお酒を飲み過ぎた。夜寝る時のことを覚えてない。夢がまた強烈で、そこから目覚めたら知らない暗い部屋の床で毛布を被っていた。目の前に犬の形に見えるシルエットがあって「うわ!」ってびっくりしたけどそれはテーブルの足とか置いてあるものがそういうシルエットを作ってるだけだった。「どこだ。ここは」って思って起き上がろうとしたら頭が痛くて「なんでこんな頭痛いんだ」って考えてみると、そういえば昨日はたくさんの人たちと一緒にバーベキューをして日本酒をしこたま飲んだんだった。そうだそしてここは、新田さんの家のトレーニングルームで、僕はみんなより早く寝たんだった。時間を見たら4時半だった。外に出るとバーベキューの跡地があった。僕の家もある。昨日教えられた場所で立ちションをして、自動販売機を探してお水を買っていっぱい飲んでまた寝た。

朝のことから思い出して書く。道の駅の休憩室で目が覚めたとき。
「家で旅してる人がいるんですよ。家もって歩いてるんすよ。ほらこれ写真」
「へえー。初めて聞いたな」
っていうふうに、他の旅人達が話してるのが聞こえてきた。
「雨の日も自分の家で寝るらしいっすよ。他の旅人から聞いたんすけど。」
と言っている。うわあ。ここで寝てますとは言いづらいなあ。と思った。そういう噂になってるのか。みんなどこで情報やり取りしてるんだ。
雨が降ったり止んだりしてる。涼しい。家の様子を見に行ったら、風で倒れていた。中に水がたまっていた。悪い事をしたなあ。ちょっと散歩して休憩室に戻ってきたら、小学生が宿題をしていた。道の駅の休憩室で、小学生が宿題をやってる光景はなかなか見られない。そのお父さんもいる。手帳に日記を書いている。夏休みに親子で旅をしてるっぽいな。しかも自転車らしい。それぞれの作業が終わったら二人で地図を広げて「ここは行ったな。ここは行ってないな」なんて話をしている。すごいな。

で、僕がその道の駅のベンチでカップラーメンのなんとかチキン味を食べてたら話しかけてくれたのが新田さんで、地元の消防署で働いている人。このトレーニングルームも、その体作りのためにあるらしい。成り行きで「今夜うちくるか。バーベキューするし」ということになって、いま僕はここにいる。バーベキューは職場の仲間の家族とか、イタリアのミラノで寿司屋をやってる人とか、大人と子供あわせて15人くらいの大宴会だった。よくこういう会をするらしい。すごくいい関係だなと思った。
子供達は僕の家を見て興奮していた。僕が
「これは仕事なんだよ。信じられないかもしれないけど」
って話をすると子供達は
「ええ?うそ」
って感じでぽかんとする。そしたらお父さんが
「そうなんだよ。じゃあお前これできるか?って言われても、できないだろ」
って言ってくれた。嬉しい。仕事って言葉はそういう意味だと思う。

で、僕はどうやら21時くらいには寝たらしい。後半のことをほとんど覚えてないけど、新政酒造の「ひのとり」って日本酒がすっごく美味しかったのは覚えている。ほんとおいしかったなあ。

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秋田県上空に雨を降らす前線が停滞しているらしく、天気予報がこの先一週間雨になっている。昨晩からずーっと雨が降ったりやんだりして、梅雨が また来たみたい。寝袋が湿っていて気持ち悪い。
なんとなく無気力になってる。腰も痛い。右の後ろがきりきりと痛む。一昨日母親から「父がぎっく り腰をやってしまいました」っていうメールが来てしばらくしてから腰が痛くなってきた。そういうことってあるよなあ。

マックスバリューというスーパーで弁当とサラダと牛乳を買って「お客様休憩所」というテーブルとイスがいくつか並べられたところで朝ご飯を食べ た。冷房が少し効きすぎすぎて肌寒い。お客様休憩所のそばに「嬉しい!楽しい!アイデア商品大集合」というコーナーがあって、そこに並べられた 6台のモニターからそれぞれの商品の紹介映像が流れている。6つの音声が混ざって耳障りなノイズと化しているそれを聞きながら、のり弁当を食べ る。

どうも無気力感に襲われて身動きがとれないので家でごろごろしてたら寝てしまった。12時頃起きて、今日も動かないで休むかって思ったあとすぐに「のまれちゃダメだ」って気持ちを切り返した。無気力なのも腰が痛いのも昨日から 動いてないせいだ。あと雨。そうすると腹が立ってくる。腰痛と雨のせいで無気力にされている状態を許しておくわけにはいかない。だから思い切っ て歩き始めた。ここからまた20キロくらい南に道の駅がある。そこまで行く。歩いていると前向きになる。 さっきまでいた道の駅は「いつまでも居られそうな場所」だった。そこに甘んじて動かないでいるとやる気がなくなってきて鬱っぽい状態になる。や る気がないから動かない。っていう悪循環に陥る。普通に家賃を払って暮らしてるときもこういうことがあった。まず動き始めないと。
5時半頃に道の駅についた。さっそく敷地の交渉をしてみたら、なんと泊まることは許可してないらしい。まさか道の駅でダメな場所があるなんて。
「でもテントとか張ってる人はたまに居ますからね。そういうのはまあ短期間なら黙認してるんですよ。だから今日1日くらいなら…。」
と言われた。 従業員の駐車場に家を置かせてもらって、家を夜モードにセッティングしていたらおじさんが話しかけてきた。埼玉から車で旅をはじめて今日で三日 目らしい。
「ここ家置いたらダメって言われたんですよ~」
と言ったら
「そりゃ聞かれたらダメって答えるよ。でもバイクとか自転車の旅人はこういう所では店のシャッターが閉まってからそこでテント張ったりしてる よ。夜はどうせ誰もいなくなるからね。」
と言われた。なるほど。みんなたくましいなあ。
また彼は
「あと一週間くらいしたら家に戻るかな」
とも言ってた。いい生活の仕方だなあと思った。「日本一周!」みたいに気をはらずに、何日間か車中泊であちこち動き回って家に戻ってくる。日々 の暮らしに新鮮な気持ちが保てそう。

夜寝ようとしたら突然すごい豪雨になった。ここまで降られるとあちこち雨漏りする。顔に水滴が落ちてきたりする。酔っぱらってるのもあって、雨 漏りしていることが楽しくなってくる。家に対して「そこもかよ」っていうツッコミを一人でいれる。でも寝れなくはなさそうだな~ってうとうとし てたら稲光がして、この家ごと雷に打たれるイメージが脳裏をかすめる。それは嫌だ。雷は嫌だ。迷ったけど、今夜は道の駅の休憩所で寝る事にし た。家には一晩がんばって耐えてもらう。休憩所では自転車の旅人(チャリダーという)らしき人達が5人くらい寝てた。なんだみんな寝てるじゃな いか。ほんとたくましい。

今日は動かなかった。天気がものすごく不安定で、突然雷雨になったりちょっと晴れたりする。
夏休みの自由研究で自分の家をつくりたいという小学生の少年とそのお母さんとおばあちゃんが訪ねてきた。少年は僕の家を見て目を輝かせていた。
「すげえ」
を連発していた。
僕は
「まず自分が寝るのに必要な広さを測って、家の大きさを決めるといいと思うよ。作ったらそこに一晩寝てみるといいよ。」
とアドバイスしてみた。彼は「ざいりょうははっぽうスチロール」とか「ボンドとガムテープとベニ ヤ」とかって熱心にメモを取っていた。最後に何度も
「ありがとうございました」
と言ってくれた。別れてしばらくして、道の駅の休憩室にいる僕を再びその親子が訪ねてきた。少年 はまた
「ありがとうございました」
と言って、僕に千円を差し出した。笑ってしまった。お金くれるのか。
母親が
「餞別をあげたいんですって」
と言っていた。嬉しいな。そして小学生ながらそういう経済感覚を持ってることに感激した。今日の銭湯代にします。

そういえば昨日は、4月に自転車で東京を出発して山口県まで行ったあと、日本海沿いを北上している旅人の女の子に出会った。大学を休学して旅をしているらしい。女一人旅なので、親との約束がいろい ろあるらしい。野宿はダメとか、毎日宿が決まってから連絡するとか。そういうのを守りながらもう 4ヶ月旅をしているという。えらいな~。
彼女はいったん別れたあと、数十分後に引き返してきて
「なんでこういうことやってるんですか?」
と聞いてきた。なので近くの芝生に座り込んで2時間くらい話した。今まで考えてきた事を思いつく限り話した。
「そういう事は考えたことがなかった。頭がパンクしそうです」
って言われて嬉しかった。それだけ僕の話にリアリティがあったってことなんだろう。また会いたいな。
夜、休憩室で絵を描いてたら今度は茶髪で日焼けした若い男の人に話しかけられた。彼は名古屋出発の自転車の旅をしているらしい。
「毎日絵を描いてるっていう人ですか?」
と聞かれた。そういう噂が流れてるのか。 彼は僕が家を持って歩いてることは知らなかったので説明してみたら、わっはっはと笑いながら
「変態ですね」
を連発していた。変態でもなんでもいいんだよ。彼からは
「なんでやってるんですか?」
という質問は来なかった。ははーん。

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この移動生活をしながら旅をしたらどういうことになるんだろう。この発泡スチロールの家をどこかに1ヶ月くらい置かせてもらって、僕はリュックだけもってどこかに行く。 旅が終わったら自分の家を置かせてもらっているところに帰ってきて、また移動生活を再開する。そうなってくるともう訳がわからないな。とにかくそうやってごちゃごちゃに して、日々の別の在り方を可能な限り想像したい。

10時頃に道の駅岩城を出発。次はまた20キロくらい南下して「道の駅にしめ」に向かう。このへんは道の駅がだいたい20キロごとにあって、しかも全てに温泉施設がつい てるからとても動きやすい。 今日もたくさんの車に抜かれながら国道を歩く。トラックが通るときに風がおこる。僕と家は、道に生えてる草花と一緒になって風に揺れる。なんか笑っちゃう。今日だけで3 ヶ所くらい、歩道に花束が置かれているのを見た。死亡事故があった現場なんだろう。花束を見つけるたびに手をあわせた。交通事故はかなしい。
車に轢かれた蛇の死体も今ま で何回も見てきた。それらに蛇の原型はなくて、ただ細長い楕円形をした平べったいものがアスファルトにはり付いているように見えるだけ。鱗や口元を見るとかろうじてそれ が蛇の死体だってことがわかる。ぐちゃぐちゃの死体だ。この蛇が轢かれた瞬間を想像してみる。自分が死んだ事もよくわからないまま死んでいったんだろうと思う。それは一 瞬の出来事だから。車を運転しているドライバーの方も「カタッ」っていうちょっとした衝撃を感じるだけだ。もしかしたら全く気がつかないまま轢いているかもしれない。そ の「カタッ」ていう取るに足らない些細な衝撃の瞬間、蛇の頭蓋骨や骨がグシャッと粉砕される。そんな瞬間を想像してみる。轢いた方も轢かれた方も気づかないまま蛇が死ん でしまったとしたら、それはあってはいけないことのように思える。だから蛇の死体を見つけたら、報告しなくちゃいけない。
「ここに蛇が死んでます!」
って。誰にむかって報告するのかわかんないけど、なんか空とか海とか、大いなるものに対して報告しなくちゃって思う。神聖な生き物だし。「蛇が死んでいるところ を確かに発見しました。蛇さんご苦労様です」って。そんで、僕はここで蛇が死んでいることを発見できて良かったと思う。
「この蛇を救いたかった」とか「車のせいで、道路のせいで蛇が死んでしまっ た。許せん」みたいな事は思わない。それは仕方のなかったことだから。ただそれを見つけたとき、「ここに蛇が死んでます!」っていう報告をしなきゃいけないんだ。何に向かって報告するのかはわからないけど。

「日本一周ブログランキング」なるものがあるらしい。登録してはどうかっていうコメントが寄せられていた。迷った。確かに見る人は増えそうだし、敷地交渉もすこし楽にな りそうだ。でも、そもそも僕はなんでこの日記をつけているのか考えた。以前も書いた気がするけど、出会った物事や考えたことを自分の中で完結させるために書いているってのが一番大 きい。ランキングとかに参加し始めたら、なんか他人に向けた文章になってしまうんじゃないかと思って、それはやっぱりやめようと思った。そもそも目的が「日本一周」とか では無いしな。結果的に本州を1周する形になりそうってだけだし、1周で終わるのかもまだわからないし。ためしに「日本10周」とかで検索してみたら、意外とヒットしなかった。

夕方「道の駅にしめ」についた。敷地交渉をしたらあっさりOKだった。
「どこか置いちゃだめなところはありますか?」
って聞いたら
「そういうのはありません」
とのこと。道の駅では敷地交渉を断られる事はまず無いと思ってよさそうだ。この駅は敷地内にお風呂とレストランとスーパーとカラオケと土産物屋がある。ここで暮らせるじ ゃないか。

今日も蒸し暑い。海に入りたい。昨日は泳いでる人けっこういたけど今日は数えるくらいしかいない。でも「ここは海水浴場ではあり ません」っていう看板が立っている。きれいな砂浜が広がっていて気持ちよく泳げそうだけどな。「海水浴場」ってなんだ。お昼に波 打ち際まで行って足を海につけてみたりした。

朝から晩まで道の駅にいた。ずっと絵を描いていて、たまに近くのコンビニにいってジャンプを立ち読みしたりした。道の駅にはいろ んな人が来る。家族連れが多いけど、カップルや老夫婦(道の駅にいる大抵の老夫婦はキャンピングカーに乗っている)もけっこうい る。バイクでツーリングしてるグループや、一人で走ってる人もいる。いろんな地名のナンバープレートの車がある。そういう人が休 憩室に入っては出て行くさまを見ながら、僕はずっと絵を描いていた。すぐに夜になっちゃった。21時になって、蛍の光が流れはじ める。休憩室や、温泉施設の大広間でごろごろしていた人たちがみんな帰っていく。外には犬の散歩をしている人もいれば、車のカー ナビに目的地を入力している人もいる。僕は彼らを見送るような気持ちになっている。さみしい。僕は今日一日道の駅の住人だった。 移動しつづける事と、道の駅に居続けることは似ている気がした。僕も明日にはここを出ていく。見送る人はいないだろうけど。
遠くの海が2ヶ所ぼんやりと光っている。漁火だと思うんだけどかなり遠くでぼやっと広範囲に光っていて妖しい。今日は少し風があ るので、風車が回っている。キィィィィィっていう高周波な音が鳴ってる。風車はすぐそばにあるので、気にしだすと結構うるさい。 そういえば十和田湖のグリランドのオーナーが、風力発電の風車による音が生態系に及ぼす影響があって、その調査の仕事もしてるっ て言ってたな。

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朝、秋田温泉を出発。ここから26キロ南にある「道の駅岩城」にとりあえず向かう。温泉があるから。 今日も暑い日だ。風もない。汗がだらだら出てくる。何リットルも飲み物を飲みながら歩いた。海沿いの国道に出ると日陰もあまりなかった。でも僕の家の内部は、外よ りもずっと涼しい。日陰になるし風が抜けてくれる。この道、歩きの旅人は大変だろうな。Tシャツが汗でぐっしょりになって、高校の部活を思い出した。

夏祭りのシーズンで、歩いてる途中に子供がたくさん乗っている山車と出会ったりした。「すいませんすいません」って感じでさっさと通り過ぎる。あんまり神輿や山車のそばは通りた くない。水を差すような気がする。昨日の事も、水を差されたと感じた人がいたって事なんだろうな。

お昼頃、国道沿いにある個人商店の前に家を置いて休憩した。店に入ると、一番最初にサンダルが陳列された棚が目に付く。そのそばの棚にはパンが並べられている。 いい感じのおばちゃんが
「はいどうも」
って出てきた。僕はパンを眺めていた。そしたらおばちゃんが近づいてきて
「これはね、おいしいですよ。」
と説明をし始めた。
「ブルーベリーとかぼちゃとメロンがあります。あんぱんみたいに、クリームがひとつに固まってるんじゃなくて、パン全体に入ってるから食べやすいです。」
という。
僕は
「ああ、そうなんですか」
と答える。僕はもう笑顔がとまらなかった。自分で焼いたパンでもなんでもない、普通にスーパーとかでも流通している包装されたパンの解説を店のおばちゃんがしてく れているのだ。すっごく良い。
「じゃあブルーベリーとかぼちゃのパンをもらいます。あとこのジュースももらいます」
といってレジに持っていくと
「このカボチャパンの袋の写真がね、全然美味しそうじゃないでしょ〜」
と笑って言う。パッケージに写真が使われてるんだけど、それが黄色いカボチャの実の写真じゃなくて緑色のゴロっとしたカボチャそのものの写真だ。たしかに美味しく なさそうだ。
「でもパンはおいしいから大丈夫です。消費税はいらないから、370円です」
とおばちゃん。良いお店だったな。

道の駅に着いたのは5時頃。なんと、茨城から僕を訪ねて人が来てくれた。休みを利用して、青森で一泊してからここまで来たらしい。嬉しい。道の駅の休憩所で、今ま であった印象的なことやいま考えていることを話した。こういうこともあるんだな。水戸ナンバーの車はその人の他にはいなかった。
駅の事務所に行って敷地を交渉したら、オッケーしてくれた。
「ここは国の管轄だから基本的に自由に使えます。あんまり長期滞在じゃなければ大丈夫です」
とのこと。併設されている温泉がとっても良かった。日本海が一望できる。しかも日没の頃に入ったので、日が沈むのをみながら少ししょっぱい温泉につかった。
21時に突然町内放送があった。「ふるさと」が流れたあとで
「今日一日のお仕事おつかれさまでした。火の元、戸締まりにお気をつけておやすみください。」
って言ってた。
いま、海の近くのウッドデッキに置かれたイスに座って日記を書いている。蒸し暑い夜だ。風もない。道の駅のそばにある風車もまわっていない。寝苦しい夜になりそ う。海の上にちょうど半分の月が出ている。波打ち際のほうからは波の音と、時々人の笑い声が聞こえる。海のずっと遠くの方に漁火がいくつか見える。

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12時ごろ井川町を出発。ここにもまた来たい。
今日も暑い。路上で子供を二人連れたお父さんが話しかけてきた。彼は新聞を読んでいたらしく、ペットボトルの麦茶を差し入れてくれた。
「子供が、なんで家持って歩いてるのか聞きたがってるので、ちょっと教えてもらえませんか」
と言われた。返答に困ってしまった。
「普通に生活するのに飽きちゃって、もううんざりしちゃったんだよ」
とか言えばよかったのかな。それも理由の1つではある。そういえば水戸で出会った男の子が僕の家を見て
「僕ものりたい!」
って言ってた。「のりたい」って面白い言い方するなあ。移動するもの=乗り物っていう感じがするもんな。

歩いていると一歩踏み出す度に、両肩にリュックと家の重さがのしかかる。その重さは今の生活の全ての重さで、それを感じながら歩くということは、何か僕の存在を自分で肯定 しながら進んでいるような気がした。
歩いてたら、路上でキャップ帽を被った男の人から
「新聞みたよ。いま祭りやってんだ。寄ってけよ」
と話しかけられた。着いていくと小さな公園にいくつかの出店があって提灯が飾られている。町会単位でやるような小さなお祭り。今考えると、家を無神経に公園に入れたのがち ょっとまずかったのかもしれない。家を置いて、キャップ帽の人がおにぎりとフランクフルトを持ってきてくれるのを待っていたら
一人の男性が
「おたくはなんですか?」
と、強めな態度で聞いてきた。たぶん不審に見られている。僕も呼ばれてきた身なので、意表をつかれた。そうかこんなパターンもあるのか。
「あの人に呼ばれてきたんですよ」
って説明したら、彼はキャップ帽の人に
「お知り合いなんですか?」
と聞いた。キャップ帽の人は
「いや家担いで全国歩いてるって新聞に載ってたじゃないですか。~~」
と説明している。聞いた人は
「いや、外の人はいれないってルールがあるから、、」
というようなことを言っている。そういうルールがあるのか。これは招かれざる客ってやつだなあと思ってやりとりを見ていたら別のおばちゃんが会話に入ってきて
「いいじゃない、いいじゃない。来てくれたんだからそんなこと。いいのいいの」
と言っている。そのおばちゃんが場の空気を支配した。とりあえず僕は家から出て挨拶をしてまわった。 キャップ帽の人が町会長を連れてきて、僕のことを説明してくれた。町会長は丁寧に自己紹介をしてくれた。僕もお辞儀をして名乗った。町会長はテントに招待してくれて、パイ プイスをすすめてくれた。良い会長で良かったなと思って、僕はとにかく一生懸命自分の活動を説明した。町会長は「そうですか」と聞いてくれる。そしてババヘラアイスのこと を説明してくれたりする。
そしたら近くにいた女性が「ちょっとちょっと」って感じで寄ってきた。僕と会長が話し込んでいるのが気に入らないらしい。
「いま会議の時間でもないんですから、あんまりそうやってないで、こっちのことをやってもらわないと。時間もないんですから。(僕の家を指して)ああいうものをここにおく のだって、あっちゃいけない事なんですよ。やっぱり町にきたんだったら町のルールは守ってもらわないと。とにかくねえ」
という感じで、なんかしらないけどめっちゃピリピリしてる。僕も連れてこられた身なんだけどなあ。でもここはあんまり長居したらヤバそうな雰囲気だ。町会長さんは「うんうん」と女性の話を聞いて、すこし間をおいてから
「少し休んだら、出発していただけますか?」
と言った。僕はキャップ帽の人に
「あんまり長居するとまずそうですね」
と言って出て行く準備をする。彼は
「そうだな」
と答えた。彼もなんとなく不満そうな感じ。僕はすぐ出発した。怒りに近い感情は多少あったけど、なにより呆然としてしまった。誰かが「日本人は身内に対しては優しいけど外 からきた人間にはやたら厳しい」みたいなこと言ってたけど、その教科書的な出来事が目の前でおこった。こういう人って、本当にいるんだなあと。
なんでこういうことになるんだろうなあ。あの場には3種類の人がいた。僕を祭に受け入れようとする人と、少し離れて見ている人と、僕を祭からはじきだそうとする人。そんで 「受け入れる力」よりも「はじき出そうとする力」の方が強くはたらくように思う。今までもこういう扱いはあったし、もう落ち込んだりはしないけど、外から来た人に対してア タリが強いのはもう民族性なんだろうなと思ってしまう。そんなんで楽しいのかなー。ご苦労様ですって感じ。
そういえば昨日僕を泊めてくれた人も、隣の家の人から「なんなの、なんなの」って感じで説明を求められていた。一生懸命説明してくれたけど、そのあと 「あなたのことを『親戚です』って紹介した方がよかったのかな」
って言ってた。そうだな。たぶん親戚だって言われたらすぐに納得しただろうな。

7時ごろ「秋田温泉」という温泉郷に着く。「まずはお風呂に入りたい」その一心でここまできた。日帰りだけの入浴施設があれば一番良かったんだけど、なかったのでホテルで 敷地の交渉をしてみた。オーナーが不在だったけど、とっても丁寧に対応してくれて、電話で連絡を取ってくれた。 結果はだめだった。「セキュリティのこともありますし」
とのこと。まあ予想はしていた。そもそも宿泊施設だしな。 でも7時を過ぎていて外はもう暗くて、またイチから敷地探しをはじめる気力もないので、普通に部屋を借りて泊まろうと思って
「今日お部屋ってあいてますか?」
と聞いてみたら
「明日からお祭りがはじまるので、今日は全て埋まってしまっているんですよ。申し訳ございません」
と言われる。そうか、そうか。いよいよやばいかもな。お礼を言って出ていって、どうしようかうろうろ考える。「家だけ置いていけばいいんじゃね?」と思い、もう一回ホテル にいって聞いてみると
「何かあっても責任はとれませんが、それでもよろしければ」
とのこと。よかった。このとき、ふっと心の荷がおりたのを感じた。泊まるのはダメだけど、荷物として駐車場に置いて行くのはオッケーてパターンは初めてだ。でも、家さえ置 かせてもらえれば、体だけ寝る場所はなんとでもなる。今日はまあしょうがない。秋田駅まで行けば満喫とかあるだろう。 ただの荷物になり下がった僕の家は、駐車場に置かれてなんとなく寂しそうに見えた。
すまないなあ。

めっちゃ蒸し暑くて、雨が突然降ったりする日だった。あんまり急いでもしょうがないので、今日は 動かなかった。東京の夏に似た日だ。秋田もこんな蒸す日があるのか。
近くに彫刻がたくさんある公園があると聞いたので行ってみたけど、ちょっと歩いただけで汗がだら だら出てくるのであんまり長く見る気にもなれない。人物のブロンズ彫刻があって、その服の中でス ズメが巣をつくっている。めちゃ暑そう。
夜、また宴会に呼ばれる。昨日と別メンバー。新しい人が二人いて、とても良い感じに受け入れてく れた。以前も一人旅をしている女の子を同じ空き家に泊めたという話を聞く。若い女の子だったらし く、自己防衛のためにハンマーを持ち歩いていて、それが役にたったこともあるらしい。
僕を呼んでくれた人が
「そういう旅人をよく連れてくるんだよこの人は」
と言われている。その人は
「でも楽しいでしょ。自分では声かけないけど、私が声かけた人との宴会には来てるじゃない」
と返す。そういう役割がそれぞれあるんだろうな。受け入れる人と、それに乗っかる人と。

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秋田県には東京の蒸し暑さはない。日中日差しが強くて暑いことはあるけど、朝晩は冷え込むくらいになる。夏は北に来て正解だった。
お昼ごろに加藤さんの家を出て、今度は井川町というところにむかう。ここから20キロくらい南下
したところにある。数日前に知らない人から
「よかったら泊まっていっててください」
というメールが突然来た。僕のことを新聞で知ったらしい。そこに向かう。
夕方、ちりとりの角を使って家の前の道路にこびりついたゴミを掃除しているおじさんのそばを通り
過ぎたあたりから井川町に入った。「日本を、取り戻す」と書かれた自民党のポスターを見つけた。
メールをくれた人と合流して、一軒家に案内された。その人の姉夫婦が住んでいた家らしいけど、二 人とも亡くなってしまって今は空き家になっているらしい。
「ここ自由に使っていいよ」
と言われた。鍵も渡してくれた。こんな事初めて。話を聞いてみると、これまで旅人を何人か泊めた ことがあるらしい。勤め先が国道沿いなので、よく旅人が通りかかる。それに声をかけたりするとい う。で、その度に仲間を集めて宴会をするという。
僕も夜は宴会に呼んでもらった。6人くらいい る。奥さんの地元で暮らすために長崎から移住してきたという人がいて
「こっちの人の言葉、何言ってるかわかんねえべ」
と言ってた。その人と僕以外はみんな「こっちの人」だ。「何言ってるか、わかんねえよな~」って 笑っているとき、なんか泣きそうになる瞬間があった。こういう違いを笑い合えるのって素敵だな。

しかし昨日の加藤さんといい今日の人といい、本当に色んなひとがいるなと思う。もし僕が歩いてな ければ出会う事はなかった。最近つくづく思うけど、毎日発見がたくさんある。あぶないあぶない、 と思う。歩かないと気がつかないことは本当にたくさんある。この生活にこんな側面があったなんて 想像できなかった。この歩きをベースにした生活にこれだけ発見があるなんて。ほんとどうかして た。狂っていた。僕は「~から~まで」行くっていう脳みそになっちゃってい る。
彼女とデートするにしても、遊びに行くにしてもまず「どこにいくか」を考えてしまって、「そ こまで行く」ことが大事だと無自覚に思っていた。その道の途中にこそ、それまで知らなかった事、 面白い事があることを考えもしなかった。 もっと言うと、そうやって行った先で「写真を撮る」ことが大事だと思い込んでいる。素早く目的地 までたどり着くために飛ばした時間と空間の中にもたくさんのまちや人がいることを考えもしない。
バイパスをたくさん歩いてきた。バイパスでは車がたくさん通り過ぎて行った。その名の通り 「パス」していった。僕はそのバイパスの路上にコスモスが生えている事を知っている。アリの巣が ある事を知っているし、人知れず車に轢かれた蛇の死体があることを知っている。車が時速70キロ で通り過ぎて行った土地を、僕は時速4キロで歩いていったから、それらを知っている。1日何千台 もの車に抜かされるけど、そのたびに思う「僕の方がずっと遠くに行ける」って。

歩かないと気がつかないまちがある。知らないまま通り過ぎる無数のま ちがある。あたりまえだけど、知らなかった。僕はいま井川町というところにある空き家にとめさせ てもらっている。持ち主が亡くなった空き家。ここにも物語があった。昨日までそんな名前の町があ ることすら知らなかった。それがいまはどうだ。壁と天井を持った大きな空間が目の前にある。現実 に目の前にある。これがどれだけ大発見かは体験してみないと絶対にわからない。

これまでいくつか「観光地」をみてきた。ほとんどは、空き家とつぶれたホテルとシャッターのしま った商店でできていた。かなしい景色だった。大きな灰色の悲しみがまちの上に浮かんでる気がし た。「昔は賑わったんだよ」って話をきくと泣きそうになった。もう見たくない。通り過ぎた土地にもたくさん町があることに想像を働かせないで目的地まで行ってしまうことは、ひとつの暴力だと思った。僕はこれまで無自覚にそういう暴力を働いていた。あぶないあぶない。