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長野市松代町の「くらた食堂」という閉店した食堂の中で日記を書いてる。今日の7時半頃にここに着いた。飯山の道の駅から43キロ歩いてきた。11 時間くらいかかった。明日から展示作業をはじめる。今年でもう第13回になるらしい、まつしろ現代美術フェスティバルという展覧会。この閉店した食 堂が拠点になっているらしく、何人かの作家と運営の人たちの寝泊まりする場所にもなってるみたい。開催3日前の夜、作家や運営の人達がばたばたと準 備をしてる。久々にアートの空気の中にいる。みんな僕の家をみても全く動じない。さすが。
昨日の朝「めざましテレビアクア」という番組で僕のことが 放送されたみたい。朝4時50分から6分くらい。早いな。「そんな朝早くからこんなこと紹介されても頭に入らないだろうなー、どっちかというと深夜 番組のノリだしなあ」と思っていたのであんまり期待してなかったけど、反響としてはツイッターのフォロワーが3人増えた。

今日は朝8時くらいに道の駅を出発。一気に松代まで行こうと思い、荷物を事務局の人に車でとりにきてもらって僕は家だけ持って43キロ歩いた。昨日 の夜、栄村役場の人が3人車で僕を訪ねてきてくれた。そのうちの一人が
「村上さんは九州から出発して北海道をまわって、いま帰ってきてる最中なんですよね」
と言った。なんだそれ。どう伝わったらそうなるんだ。
「いや、なんすかその情報!全然違います。出発は東京だし、北海道には行ってないし」
「あれ、そう聞いたんだけどなあ」
噂は尾ひれがつくんだなあ。そういえば一昨日栄村の道の駅であったライダーの人には
「もう5年くらいやってるんですよね?」
と言われた。
「いや5ヶ月です。」
って言った。
今日は歩くことに徹したのであんまりまわりの景色とか見なかったし人とも話さなかった。ただまつしろから15キロくらい北にある須坂市というところ で、カメラをもったおばちゃんと出会った。コンビニで休憩がてらすこしお話したら
「うち、空き家が一軒あるのでそこいつでも好きなだけ泊まっていっていいですよ」
と言われた。なんでも、だいぶ前に亡くなったおばあちゃんたちが住んでた家がまるまる余ってるらしい。お金とって人に貸したりはしないんだけど、震 災の時に
「空き家があるから被災した人たちを受け入れられます」
っていう連絡を市役所にするような、粋なおばちゃんだった。市からは、被災者の住所をそこに移してしまうと手当がもらえなくなるだか、なんとかだかで断られたという。

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すごく明るい夜だ。満月らしい。高い所に薄く雲がかかって空が全体として白く光っている。月の本体もほぼ真上に見える。風がすこしだけある。空からの明かりで遠くの山々の輪郭が見える。その麓に町があって、白とオレンジと、時々赤い光がちらちらと見える。東京のような病的に密集した光じゃない。生活と生活が寄り添い合ってるような明かり。そういえばいつの間にか長野県に入っていた。ここ数日で急に夜が肌寒くなった。

今日はバイパスを26キロくらい歩いた。思い返してみるとたぶん歩行者とは一人もすれ違わなかった。車とは多分5000台くらいすれ違ったけど。すごいスピードで風を巻き起こしながら僕を抜き去って行くトラックやバイクを見ながら「編集された世界の住人」っていう言葉が浮かんだ。鉄道の駅や、高速道路を使うっていうのは、編集された世界を動き回ることだ。どこかに駅やインターチェンジをつくるっていうのは世界に対する編集だ。理由もなくイライラしていた。自分で編集ができない。わかりやすい物語になった話でしか価値判断ができないし感情移入もできない。自分で何が好きなのか何が面白いのかを本当に決められない。編集された世界でしか生きられない人。世界は生の状態だと扱いにくいものなので自分で編集するのが面倒なのだ。見ても痛くないような繭に包まれたイメージを享受して満足してしまう人たち。壊れるのを恐れるヤワな人たち。僕は壊れたい。現実よりもインターネットに多くの情報があると錯覚しがち。道を散歩するよりもインターネットのほうが情報がたくさんあるっていうのは錯覚なのだ。みたいなことを昔橋本が言ってた。それに対抗するには歩くしかない。僕が歩いてるこの道路。この上を歩くことも編集された世界を動き回ることにすぎないのかっていうとそうじゃない気がする。歩くっていうのは土地とダンスをすることだ。

途中信濃川のそばで「ダムの取水のしくみ」と書かれたとても分かりにくい絵を見ながら休憩したりして、夕方千曲川の道の駅に着いた。いろいろあって、昨日別れを惜しんだはずの例の経験値の高い彼女がまた車で迎えにきてくれて野沢温泉に行った。ほらまた会ったぞ。野沢温泉は12軒の無料の共同浴場があるらしく、そのうちの一軒に入った。地元の高校生らしき男子が2人で入りにきていて

「全部がそろった人ってのはいない。イケメンだけど頭わるいとか、スキーうまいし頭いいけど顔が、、」

とかそういう話をしていた。

そんで夜になった。今日もあっというまに終わるなあ。明日一気にまつしろまで行く。しかしこんなに良い月と寝られるなんて。秋の虫もあちこちで鳴いてる。蚊はいない。横になった途端、凄く幸せな気持ちがこみ上げてきた。本当に最高にちょうどいい気候で、頭の上には満月があってBGMは虫の声で、しかも今日は家が東屋の下にあるから雨が降ったら足を家の中に引っ込めなきゃとかそういう心配をしなくていい。過去の、大雨の中屋根のない場所に家を置いて雨漏りと戦いながら寝ていたあの夜に感謝したい。あの時のうんざりがあるからいま幸せな気持ちを感じられる。本当にこの生活をやっててよかったと思えた。いつも同じ環境に、安心安全便利快適な環境に寝てたらこんな激しい喜びは味わえないと思う。今日の満月を世界で一番堪能している。

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二度寝した。6時半くらいに一回起きて、近くのバス待合所にある水道で歯を磨いて戻ってきたら、 昨日の彼女がおにぎりとなすの漬け物とお茶が入った茶色い紙袋を持って現れた。今夜仕事が終わっ たら、車で温泉に連れていってもらう約束をした。そのあと絵を描いてたら眠くなったので二度寝した。
お昼過ぎに津南を出る。今日も警察官に職務質問をされた。新潟に入って2度目。
「数日前に同じ新潟県警の人からされたばっかりなんですけど、そういう情報の共有とかはされてな いんですか。」
と聞いてみたら
「仮に村上さんが消息を絶った時に、最後にどこで声をかけたかっていう情報としても役立つんです よ。」
と言う。そういうものか。それで
「歩道もない道もあります。くれぐれも気をつけて」
と言ってくれた。

7キロくらい歩いたところで長野県栄村に入る。足の裏の変なところにマメができて痛い。やっぱ靴 はそれなりに良い物を買わないとだめだって何度も思ったけど今日もずっと思っていた。道の駅があ ったのでもう今夜はここにしようと思った。この時お昼の3時くらい。道の駅の売店のおばちゃんに 事情を説明したら
「これ信州名物のお焼き。4つあるから4食分くらいにはなるかな」
と言って、あんこのお焼きと野沢菜のお焼きを2個ずつくれた。
暗くなるまで絵を描いて、暗くなったら音楽を聴きながら散歩した。山と山の間に信濃川が走ってい て、その川沿いに国道が通ってて、家が何軒かあるくらいでほとんどひと気のないところ。西日を受 けた山の木々の緑色は美しすぎて現実味がないくらいだった。何本も並んだ杉の木は細胞が分裂して いる最中のようにみえる。そしてとっても奇麗な月が出ていた。胸がざわざわした。 例の彼女から電話がかかってきて
「いまどこにいるの?」
と聞かれた
「栄村の道の駅にいます」
って言ったら
「近っ!」
って言われた。彼女は昨日の僕の日記を読んでいたらしく
「1つ物申していいですか。0型ですから!典型的なO型です」
と怒られた。
松之山温泉に連れて行ってもらった。その道中、長野県北部地震について話してくれた。僕はその地 震を知らなかった。2011年3月11日の夜、彼女は津南の家で東日本大震災の被害の様子をテレ ビで見ながら
「ボランティア行ったほうがいいかな」
なんて父親と話していたらしい。その翌朝、明け方近く。突然大きな揺れがあった。直下型で、部屋 の家具がみんな飛び上がって天井にぶつかって床に落ちてきたらしい(DJの機材もそのとき壊れた とか)。「日本終わった」と思ったという。あの東北の震災の映像を見て数時間に自分のいる新潟県 でそんな揺れがあったら、そりゃ日本オワタって思うだろう。長野県栄村から新潟県津南町にかけて 震度7クラスの揺れがあって、津南から松之山温泉に向かう途中に見える山がひとつ崩れたという。
「こっちも大変だったけど、東北の方なんかそれどころじゃなかったから」
と言ってた。調べてみたらこの地震で栄村で3人の人が亡くなってる。あの震災の裏でそんなことがあったのか。

松之山では中秋の名月を眺めながら露天風呂につかるという贅沢をかまして、温泉のあと僕の家のある道の駅まで送ってもらって別れる時に
「モノじゃなくて人で、こんなツボにはまりまくった人は初めてだわ。また会いましょう。」
って言ってくれた。僕が鼻をかんだら
「泣くなよ」
と言われた。
「いやいや全然。まったく泣きませんよ。どうせまた会うんで悲しくないです」
って言った。彼女は
「ふざけんなよ」
って笑ってた。ずっと動いてると、今生の別れなんて存在しないんじゃないかって気がしてくる。実 際全然さみしくなかった。動いてる限り、無理に再会しようとしなくても会う人にはまた会うのだ。

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老人ホームの前に「かわきた」という会社がある。そば作りとか田んぼとかをやってる会社で、ここ の皆さんにも×日町の時とってもお世話になったので出発する前に挨拶しにいった。社長の遠田さん はもう超かっこいいおっちゃんで、常に先を読むような鋭い目つきをしている。でもとても優しい。 この人もオキライのわいちさんと同じ公共の人なんだと思う。自分の活動の説明をしたら
「歩いてみないと、日本もわからんだろうなあ」
って言ってた。この台詞が最初に出てくる人は初めて会った。気持ちが高ぶって泣きそうになった。 ほんとそうなんだよ。
「そうなんですよ歩いてみないと知らないままの町がたくさんあるんですよ。知らないまま寂れてい った温泉郷とかたくさん見ました。新幹線と高速道路が発達して、移動するのにみんな寄り道しなく なっちゃったからっていうのが大きいと思います。」
「新潟も新潟市がおっきいからみんなそこまで行っちゃうなあ。人も減ってる。旧十日町だけで5万 人いたところが、今は合併して大きな市になってやっと5万人。幹線道路沿いにある町はまだいいけ ども、それ以外はなあ。」
この人の言葉は重い。十日町を背負っている感じがする。やっぱり会ってよかった。
「ひとまず健康に気をつけて」
と言ってくれた。
津南町方面に向かう。ちょっと気がかりなことがあってずっとそれについて考えていた。人生に関わ る大きな選択を突然迫られる場面を想像する。何があるか本当にわからない。とにかく面白がってい かないと参っちゃう。「いまは楽しむときだ」っていうのを人生全体で意識したい。深刻になるのは 死んでからでいいって思うようにする。歩いてたら車から女の人が声をかけてくる
「すいません。さっき歩いてるの見かけてネットで調べたんですけど、今日誕生日なんですか!?」
と言われる。「そこかよ」って思った。今日が誕生日って事実の話題性は、他のどんなものよりも結 構上にくるもんだ。

津南に着いたら祭だった。町のスピーカーから大きな音で民謡が流れてる。祭りの雰囲気はあるんだけど人が全然いない。
ここで面白い人に会っ た。DJでスポーツトレーナーでファッションモデルで、国家資格の必要な仕事もしてる人。会って すぐに意気投合して、その人のバイト先の飲食店(バイトもしてるんかいって思った)に家を置かせ てもらうことになった。 一緒にご飯を食べて「この人餓死とか絶対なさそうだなー」って思った。二十歳から自活して私立大 学の学費+生活費をバイトで稼ぎながら、DJもやって日々の色々を発散するっていう離れ業をやっ てのけて大学を卒業して。今もいろいろ副業をもちながら全国に友達がいるらしい。たぶんAB型だ。

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起きてキナーレの前で絵を描いていたら、昨日の彼女がふらふらとやってきて僕にビニール袋をわたしてきた。中には白いご飯と卵焼きが詰められたパックが入ってた。
「君は家庭の味を知らないからなあ」
と言ってた。そんなことは言ってない。だけど嬉しい。
「道の駅のところにいるから」
と言うので
「ちょっと今日は絵描いたりいろいろあるから相手できないっす」
って言ったら
「あらそう。じゃあね」
とふらふらと去っていった。卵焼き美味しかった。

キナーレから数キロ歩いたところに、一昨年×日町をやった会場の老人ホームがある。お昼頃、絵を描き終わってからそこに向かって歩き出した。3ヶ月以上滞在してた 場所だから歩いていていろんなことを思い出した。×日町は本当にすごいプロジェクトだったと思う。あんまり知られてないのが悔しい。
歩いてて「なんか細長い家が多いな」と思った。十日町に限らず、新潟の多くの地域の家はだいたい屋根が急勾配で平屋は少なくて、車を完全に収納できる駐車場がつい てる。二階に玄関がある家も多い。瓦屋根は少ない印象。豪雪地帯なのでいろいろ工夫がされてるんだと思う。
老人ホームに着いてみんなに挨拶してまわった。2年ぶりになるのかな。歩き回る癖があって職員がよく追っかけまわしていた名物おばあちゃんが、車いすになっていて 話しかけてもほとんど反応しなくなっちゃってた。あんなに元気だったのに。でも他のおじいちゃんおばあちゃんたちはあんまり変わってない。なんとなくほっとした。 2年前に僕が似顔絵を描いたことをちゃんと覚えていてくれてる人もたくさんいた。9つくらいのユニットがあって、それぞれに10人弱のおじいちゃんおばあちゃんた ちが暮らしている。
「この部屋は入れ替わりが激しくて。ここ最近で5人くらい亡くなってどんどん入れ替わってるんですよ」
っていうユニットもあって、そこに住んでる人たちは僕はほとんど知らなかった。ここ最近、死にまつわる出来事とよく遭遇する。背筋が伸びる。ユニットを家と一緒に挨拶してまわってたら夕方になった。一人のおばあちゃんが、晩ご飯の時間になるのも忘れて
「すごいものがきたから、ついつい見ちゃうねえ。たいしたもんだ」
って言ってくれたのがとても嬉しかった。目をうるうるさせてたから。

明日誕生日だ。今日で僕が生きた四半世紀が終わる。

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朝起きたらもう隣のおじちゃんはいなかった。暗いうちに発ったらしい。

「もう帰らないつもりで出てきた。最後の場所にいく」

って昨日言ってた。重い言葉だった。

 

雨が降っている。もう服がない。洗濯したんだけど乾かない。洗濯物は乾かないし、iPhoneのUSBケーブルが断線して充電ができない。コードの中で切れたんじゃなくて、コードが文字通りぶちっと切れた。だから電池が切れたままになってる。裸の上に上着を羽織って、靴下をはかないで靴だけ履いて雨の中歩きはじめた。十日町方面へ向かう。iPhoneのマップが見られないので、道の駅で簡単な地図をもらった。考えたらこういうのは初めてだ。iPhoneの電池が入ってないってだけで結構不安な気持ちになる。iPhoneはすごい。絵をアップするのに必要なカメラ機能と日記をアップするのに必要なインターネットと、地図と電話とメールと音楽プレーヤーと、夜はライトにもなる。定規にもなる。マネージャーを失ったような気持ち。

 

新潟はほんとうに雨ばっっっかり。この雨が美味しい米をつくるのだろうけど。素足で履いている靴はもうびっしょりで気持ち悪いし蒸し蒸しするのに長袖をきて汗だくになってるしで、とてもいらいらしながら雨の中ずっと歩いて、十日町市に入ったばかりのところにあるカフェで休憩した。そこのマスターに

「このあたりの地図はありませんか?」

って聞いたら、彼はごそごそと探して

「こんなので役に立てば」

と言って、その地区の小学校の学区が示されている町内向けの地図を貸してくれた。こんなものなかなか見られない。地元の企業の広告がたくさんあって、地図には一軒一軒の家の名前が書かれていた。そうだった。僕からしたらいらいらしながら雨しのぎに入ったカフェのある町ってだけだけど、ここで生まれて仕事をして死んでいく人がたくさんいるのだった。

 

十日町の道の駅まであと5キロくらいのところで、女の人に話しかけられた。

「なにやってるんですか?」

「家をもって歩いてるんです」

「おお。音楽すきですか?何聞きますか?」

音楽?会ってすぐに音楽なにききますかって言われたの初めてだな。笑っちゃった。けど面白い質問だなと思った。たしかに好きな音楽の趣味で人柄わかりそうだし。

「道ばたで好きな音楽聞かれたの初めてですよ。音楽は好きですよ。」

「わたし音楽すきなんですよ」

といってMP3プレーヤーにスピーカーをさして尾崎豊やらさだまさしやらを流しはじめる。

「逆方向いく予定だったんですけど、案内しますよ」

といって、彼女はついてきた。なんかドラクエのパーティみたいだ。僕が通行人に挨拶すると彼女も挨拶する。彼女は歩きながら一人でずーっとずーっとしゃべっていた。僕が返事してもしなくても関係ない。たぶん名前をつけてしまえば多動性なんちゃらとか躁鬱病とか統合失調症とかいろいろあると思う。本人も

「わたしの病気はなんかよくわかんないらしいですよ。人格障害です」

とか言ってる。話しながら歩いてて、内容よりも、ほんとにぜんぜん話がとまらないなーってことが面白くて笑っちゃう。

 

十日町の道の駅のそばにあるキナーレにいって、2年前に十日町で×日町プロジェクトをやったときにできた知り合いと再会した。彼はめっちゃ面白がって

「鳥肌たった」

と言ってくれた。そこにとりあえず家を預けて、歩き通して高ぶっていた頭を冷やして、やることを整理した。iPhoneの充電と、コインランドリーにいくのと、お風呂にはいるっていう3つ。話がとまらない彼女も一緒にあーでもないこーでもないと言っている。頭がこんがらがる。結果的に、iPhoneは知り合いに預けて充電してもらえて、まずコインランドリーに行った。

コインランドリーの中型乾燥機が4つ全部まわっているのをみてるのが面白い。みんなそれぞれ持ち主が違うし、お洒落だったり値段が高かったりいろいろな服がはいってるんだろうけど、どれも同じように回されて乾燥させられてる。

なんだか、めざましテレビのネットの話題をとりあげるコーナーで僕のことをやってもらえるらしく、電話取材を受けた。服を靴を洗えた気持ちよさでテンションが高かったのでいい感じで話せたと思う。とても楽しかった。気がついたら40分くらい経ってた。今なら、気分が盛り上がってるときなら何時間でも話ができるような気がする。

そのあとキナーレのお風呂に入ってから、話がとまらん彼女が行くと言っていたパブに行ってみた。彼女はカラオケが好きらしく、宇多田ヒカルやら尾崎豊やらを歌いまくっていた。カラオケの合間に僕に「家庭を大事にしたほうがいい」とかいろいろと忠告をしてくれた。

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朝のうちに麻生の湯を出発。小千谷市の方面へ向かう。ちょうど道の駅が20キロくらいの間隔であるので最悪そこにいけばいいと思えて安心できちゃう。

歩いてたら、のむらサービスエリアっていう看板を道沿いに発見する。トイレのマークとかレストランのマークとかが書いてある。サービスエリアなんだけど個人がやってるみたい。初めてみた。だけどこれはロンドンでみたプライベートパークと同じだ。一人の人間が他の人間のために自分をひらく。公共空間の理想だと思った。いま思うと入って話を聞いてみればよかったな。そういうお店とかコンクリート工場とかがたまに道沿いにあるけど、だいたいは田んぼで、あちこちで稲の収穫をしている。農家の人も、やっぱりこのときが一番楽しいのかな。もう慣れてそんなこといちいち思わないかな。僕も家を背負って歩くことに慣れてきて、たまに忘れることがある。いや忘れてるわけじゃないんだけど、気がついたら意識してなかったことがある。そういえばこのあいだ、いくら話しても信じてくれない人がいた。「口ではなんとでも言える」って言ってた。嘘だろって思っちゃう生活って面白い。生活をもっとやばくしていって、ほとんどネタみたいな毎日にしてあとで面白く読み返したりできればもういい。でも展示は全く笑えない感じにしたい。蟻がミツバチの死んだのを運んでる。死んで地面に倒れても、こうやって運んで栄養にしてくれる生き物がたくさんいるんだな。原因が結果になって、その結果がまた別の結果の原因になる。みんな自分の種を保存するためにいろんな生存戦略をとってる。そんで、僕はここでこうして生きてるだけで、それはエネルギーがそこにあるということなんだなと気づいた。生きてるだけで、大きなエネルギーがここにある。

癌を患っているおじちゃんに出会った。彼は
「余命半年だから」
と言って、お腹にある大きな手術跡を見せてくれた。その瞬間、まわりの景色がすうっと遠くのほうに行ってしまった。「死」がリアリティをもって、目の前に立ち現れてきた。
彼は癌がわかってから、何度か車で旅をしている。マルコという犬と一緒だ。マルコは色はまだらだけど血統は立派な紀州犬で、おじちゃんが知り合いのブリーダーから「貰い手がいなかったら処分しなくちゃいけない。引き取ってくれないか」と言われて引き取ったらしい。
「自分が死んじゃうから飼っててもしょうがない。二回捨てようとしたけど、かわいそうでやっぱり引き返したら二回ともちゃんと捨てたところで待ってた。もう捨てらんないなー」
って言ってた。彼とは路上で出会った。彼は車に乗っていた。
「ちょっと休憩しませんか」
と言われて道路わきのちょっとしたスペースに家を置いたら、彼はレモンチューハイを持ってきた。
「ジュースが切れちゃってるから」
っと言ってた。それを飲みながら話した。自分の活動のことを説明したら
「そうか。君はこれからの人なんだな。わたしはもうおわった人だから」
と言う。僕は自分がこれからの人だなんて思っていない。今の人だと思っている。でもその反論はそのおじちゃんに対してはあまり意味がない気がした。
「余命半年ってどんな気持ちですか」
って聞いたら。
「もういいかなーって感じですかね。孫の顔も見れたし。」
と普通に答えていた。不思議と、全く気を使わずに話せた。一緒にいてすごく楽だった。そのおじちゃんがとても力を抜いて接してくれてるのがよくわかるからだと思う。

最初に出会った場所から4キロくらい歩いて小千谷の道の駅でもう一度会った。彼は車でそこに寝る。僕はその隣に家を置いた。一緒にご飯を食べた。彼は建築関係の仕事をしていた。1級建築士の免許を持っていて、宅地建物取引の免許も持っていた。合格率7パーセントらしい。その宅建の免許を
「もういらねえんだ」
といって燃やしていた。プラスチックが焼ける安っぽい匂いがした。

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グループ展に参加します。
9月13日から23日の10時から17時、山寺常山邸(長野県長野市松代町松代1493−1)にて展示してます。

会期中は毎日会場にいます。
今まで描いた家の絵は全部展示します。絵は買うこともできます。いくらか絵が売れてくれないとピンチです。

家の絵は、画像で一枚ずつみるよりも、同時にたくさんみるとすごく力があります。来てほしいです。

展覧会については以下のページを見てください(見にくいページですが)
mcaf.me

他に7人くらいの作家が展示してます。
13日の17時からオープニングパーティー
14日の17時からアーティストトーク
23日の14時からアーティストトーク&クロージングパーティー
もあります。

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フジテレビ「めざましテレビ」のちなみ探偵事務所というコーナーで取り上げていただけるようです

放送はまず
9月9日(火)「めざましテレビアクア」のちなみ探偵事務所(朝4時50分ごろ~約6分)
関東ローカルの放送で行われます。
そして同じ日の「めざましテレビ」の7時40分ごろ(全国放送)から、4分くらいに縮めたショートバージョンが放送される予定です。ただこちらはニュースコーナーなどの拡大でコーナーの放送が飛んでしまうことが多々あるため、何とも言えない状態です。

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敷地を探していると言われて思い浮かべる場所によって、外から来た僕とその人との適切な距離があらわれる気がする。例えば公園はよく提案されるんだけど、公園ってのはその当人の敷地でも知り合いの敷地でもないけど、その土地のものっていう距離感があるし、知り合いの駐車場を提案してくれる人とか「うち来ていいですよ」とかって言ってくれる人は、まあ悪い人じゃなさそうだしっていう直感とか話して感じた印象とかもあるんだろうけど、外から来た初対面の人間でも近い距離に置くことを許せる人なんだろうなと思う。公園じゃ遠すぎるし、自分の家は近すぎるしとかいろいろあるんだろうな。そうやって敷地を借りるのが前提なんだけど
「家を持ってきちゃったんですけど」
っていうこちらのボケに対して向こうが
「家かよ(笑)」
って思って、そりゃしょうがねえなって感じのやりとりが成立する。そうするとふつうは到底借りられないような敷地にも泊まれたりする。ホテルの駐車場とか、初対面の人の庭先とか、テント生活や車上生活では泊まれない場所に、ボケで突入していく感じだ。

今日はパティオにいがたを二時半頃出発して長岡方面にすすむ。途中、セブンイレブンで休憩してたら「ドリームロード」と名付けられた国道を横断するための地下歩道があった。なにを根拠にドリームを謳っているんだろうと思った。
そんでセブンを出発しようとしたら男の人に話しかけられた。その人は「まともな仕事しないの?」とか「露店の仕事やってて、いま祭の時期だからバイトとして使ってあげてもいいけど?」とか「きみんち金持ちなの?」とか「暇なんだねー」とか、そういうえげつない言葉遣いをしまくる人なんだけど、僕が「バイトとかはやりません」とか「これが仕事なんですよ」と言ってふりきろうとしても結構食い下がってきて、言葉はアレだけど心から面白がってくれてる感じが伝わってきた。最終的に電話番号を交換して、別れた後差し入れを持ってきてくれたりした。こんな人もいるんだなあ。

夕方になって、麻生の湯という日帰り温泉施設があったのでそこで敷地の交渉をしてみた。いつもこういう温泉施設に交渉するときはお風呂に入ってからするんだけど、もう6時過ぎててここでアウトだったら即次の場所を探さないといけないので、今日はお風呂に入る前に敷地の交渉をする。マネージャーさんと話して、僕が説明をしてるとき微笑だにしなかったので「ここは厳しいかなあ」と思ってたけど返事は
「いいですよ。ただ警察の巡回とかもあるんで、そちらで対応してください。」
だった。お礼を言ってお風呂に入った。茶色く濁ってて温度もちょうど良い。とてもいい湯。

温泉からコンビニに行った帰り道。長岡の中心市街地の明かりが、広大な田んぼのずっと向こうに見える。このへんはちょっとした山あいにある集落で、麻生田町というらしい。真っ暗な道で小学校の体育館だけオレンジ色の明かりがついてて、中で青いウェアを来た人たちが何人か動き回ってるのが見える。なんとなく安心した。

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河川敷で起きた。起きて家を出るときちょっと緊張した。朝6時頃は散歩してるおじちゃんおばちゃんなんかよく通るんだけど、9時過ぎたくらいからほとんど人をみなくなった。起きて、寝袋をたたんでたらいつのまにか毛虫がTシャツにくっついてた。ここ最近すごくよく見る白いやつ。アメリカシロヒトリってやつかな。びっくりしたけど、前に十和田湖で靴下にでかい毛虫がついてたときほどじゃない。慣れたのかな。Tシャツの裏からそいつをデコピンで弾き飛ばす。一回じゃ落ちない。何回かやって地面に落とす。こういうとき、彼らは地面に落ちてからしばらくは動かない。びっくりするのかなんなのか。とにかく一定時間じーっとしてから、ニョキニョキと動き始める。
歯を磨こうと思って、台所と名付けた水道があるところにいく。水がすっごく茶色い、そんで変な匂いがした。川の水なのかな。。歯を磨いたら新鮮な気持ちがした。そのあとミネラルウォーターで口をゆすいだけど。

お昼ごろ河川敷を出発。見附市方面に進む。新潟はだいたいが田んぼと農道でできてる。田んぼはもう黄金色になってる。カバキコマチグモの巣を探しながら歩く。そいつは毒グモで、噛まれても一回に注入される毒が少ないから患部が痛む程度ですむんだけど、小さい頃にその存在を知ってから一度見てみたいとずっと思っていて、ここ最近その巣をずっと探してるんだけど全然見当たらない。草を折って結んだような巣を作る。ただの怖いもの見たさだけど、いつか見てみたい。通りすがりのおじさんから
「どこまでいくんだ?」
と聞かれた。この質問が一番多い。あまりにもよくその台詞を聞くので、それが哲学的な深い問いかけのように思えてくる。答えに困る。だいたい「決めてません」と答える。答えた後に、なんか悪いことしたような気分になる。決めてなくてすいません。っていう申し訳ない気持ちになる。これは病気だ。目的地を決めると移動がただの作業になる。まだここか、とか、もうここまで来たぞ、とか思っちゃう。それはだめだ。いまは展示があるから長野が目的地になってしまってるけど、気をつけないと、移動が作業になっちゃだめだ。意識の持ちようだ。カバキコマチグモの巣を探してると思って歩くのだ。

14キロくらい歩いて、見附市の「パティオにいがた」っていう道の駅についた。とっても奇麗な道の駅。大きな芝生がある。デイキャンプ場もある。ここいいなあ今日はこのへんに住むかーと思って、道の駅のインフォメーションにいたおじさんに敷地の交渉をしてみる。
「芝生の方は、ドクターヘリの発着場になってましてダメなんですよ。駐車場のほうだったら大丈夫だと思うんですけど。家を持ってきてっていうのは前例がないものでね。ちょっと管理室のほうに聞いてみますかね」
でしばらく電話して
「車一台分の大きさを超えなければ大丈夫です」
とのこと。よかった。さあやっとあの邪魔な家が置ける。と思うと、毎日のことだけどわくわくしてしょうがない。適当な場所に家を置いて、まずは風呂だろうと思ってiPhoneのグーグルマップで「銭湯」と検索して出てきた一番近くの銭湯まで歩いていった。20分くらい歩いたんだけど、そこは銭湯じゃなくて岩盤浴の店で『入浴料 大人2200円』と書いてあって「冗談じゃねえや」と思ってまたもう一ヶ所のほうに行ってみた。そこから5分くらい。そっちは銭湯でもなんでもなくて、なんか奇麗な民家だった。銭湯はどこにあるんだ、と思ってもう一回検索したら、東三条駅の方にあるとという結果が出てきたので、見附駅まで歩いていった。30分くらい歩いた。そっから電車に乗って東三条駅について、さらにそこから10分くらい歩いていくと煙突が見えた。「やってますように潰れてませんように」と思ってどきどきしながら正面まで行くと、明かりがついてた。嬉しさがもう溢れ出してきてすごかった。風呂までの冒険がおわった。昔懐かしい銭湯って感じで、おかあちゃんとおばちゃんのあいだくらいの年齢の人が番台に座ってた。えらく腰の曲がったおじいちゃんが更衣室に入ってきて、Tシャツの背中は汗でびっしょり。なんか裏で作業してるんだろう。そのおじいちゃんにむかって番台のかあちゃんが
「~は綺麗にした?」
みたいに話してる。葛飾区にいるかと思った。

風呂からの帰り道、もしこの街の近くで原発事故があったらあの光景もここにはなくなっちゃうんだろうなと思った。ていうか最近帰った自分の地元でなにかおおきな災害がおこったとき、自分たちも近所の人も全員住めなくなっちゃうことを考えてみる。移住せざるを得ない状況に追い込まれること。離れたくないまちを離れなくちゃいけないこと。あのおじいちゃんも両親も、向かいに住んでる家族も、あの場所から移住するには相当なエネルギーがいることが簡単に想像できる。福島の富岡町の景色を思い出した。

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朝起きてごろごろしてたらおばあちゃんが訪ねてきて
「わたしら稲刈り行くんで、お昼まで帰ってこないです」
と言う。コシヒカリではない、収穫が早い種の稲刈りらしいけど、もうそんな時期かーと思った。しかもその時期の訪れを農家のおばちゃんから聞けるなんて贅沢だな。茨城県の常陸太田市にいるころ、田植えしたばかりの田んぼが奇麗だなあと思った記憶がある。いつのまにか収穫できるまでになってたのか。

お昼頃まで絵を描いたり日記を書いたりして、12時ごろに出発。国道8号線沿いに歩いて燕市の方を目指す。今日も暑い。すぐに汗をかく。歩きながら、これは僕の感覚を僕自身の側に取り戻していく活動だなと思う。僕の肌や耳や目を返せ返せ返せと思いながら歩いてた。なにが悪くて何が良いのかとか、道徳とか、正義とか、下手したら「疲れた」とか「楽しい」とかそういう感覚も社会によって刷り込まれたものだって考えることもできる。だから自分の無意識が一番こわい。僕は僕の生活を送ることによって生まれる疲れならいくらでも我慢できるし、自分が自分に下した命令なら素直に応じることが出来る。

8号線はうるさいので川沿いを歩いてたら、黒い日産のキューブが前に停まって中から良い感じにガサツそうな兄ちゃんがでてきた
「なにやってんすか?!」
って感じのテンション高めで絡んできたので色々説明してたら
「アツいっす!村上さんアツいっす!」
って感じになったので
「今夜の敷地を探してるんですけど、家の敷地とか貸してもらえませんか?」
って聞いたら
「うーん。うちはちょっとなー。どっかあるかな…。もうちょっと歩くと、県央大橋っていう橋の下に広い公園があります。そこならいけると思いますよ。俺らもよく集まってスケボーしたりしてます。」
と言われた。
「とりあえずそこに向かってみます」
と言ったら
「着いたら電話ください!友達も呼ぶんで、今日は宴会しましょう!」
というノリになったのでこっちもなんか楽しくなって。
「あい!」
って感じで、今日は宴会になりそう。彼は何回も
「いやーアツい人会ったなー」
と一人でつぶやいていた。

夕方、その県央大橋に着いた。想像した通りの河川敷にある大きな公園って感じ。さっきの彼に電話したら車で来てくれた。
「風呂おごりますよ!」
ということで家をそこに置いて車で一緒にお風呂に行った。車の中でいろいろ話した。YASSANていうMCネームでフリースタイルのラップもやっているらしく、新潟大会で優勝した経験もあるらしい。僕はヤッサンと呼ぶことにした。絶対年上だと思ってたら、1つ年下だった。彼は僕のことを「アニキ」と呼ぶ。
「平日のこんなときに、とんでもない人と出会っちまったぜ。ラインで仲間に連絡したんすけど、もう呼び名が『村さん』になってますからね!」
と言ってた。とにかく気のいい兄ちゃんだ。実家が歴史のある食品店で、それを継ぐつもりらしい。見た目は赤いキャップ帽を被って髭をはやしてて、しかも口がわるい。近所に良い温泉があると教えてくれた通りすがりのおばあちゃんがいて、その温泉に向かってたんだけど道に迷ってしまって(というか彼は、行ったこともないその温泉に、何も調べずたどり着こうとしていた。もちろん無理だった)
「あのババアまじわけわかんねえこと言いやがって」
とか言う。
「いや、あのおばあさんは全然わるくないでしょ」
と僕が突っ込む。そんな口の悪さなんだけど、絵を描くのも好きだという彼のスケッチブックを見せてもらったら、実家の店のためにつくったロゴみたいな絵がたくさんあった。家のためにいろいろ試行錯誤して絵を描いてるみたい。えらいな。
「ホントは村上さんをうちに泊めたかったんすけど、実は昨日親父とケンカしちゃったんすよ。しょーもないケンカなんですけど。店から家に帰る時、家にいる父親におこわを持っていくように母親に頼まれて。でも返りにコンビニでヤンマガ立ち読みしてたらそのこと全部忘れちまって。家に帰って寝てて、二時間後母親が帰ってきて
『おこわどうした』
って言われて。それで思い出して
『忘れてたー』
っつって。
『なにやってんのよ。車の鍵はどこ?』
て言われて
『二階にある。めんどくせー』
っつったらそこで親父が
『めんどくせえじゃねえだろ!』
て怒ってきたんで
『なに切れてんだよ』
つって逆ギレして。しばらく睨み合いになって。そしたらおばあちゃんの
『速くご飯食べなさいよ』
っていう一言でひとまずおさまったっていう。おこわ事件すよ。そんなことがあったから、家に泊めたいんすけど、ちょっと無理なんす。」
と話してくれた。
「最初村上さん見たとき、24時間テレビ終わったことに気づいてない人がやってんじゃねえかって思って、もう48時間突入すっぞっ感じで」
と、さすがMCやってるだけあって話がうまいしずっと喋ってる。温泉いったあと彼の友達と合流してご飯を食べた。そのあと彼の行きつけのバーにも行った。1時くらいまで飲んでた。バーにはヤッさんの兄ちゃんもいた。その兄ちゃんがまた面白いというか、ヤッサンとのやりとりが漫才みたいですげー兄弟だなと思った。ヤッサンは
「今度一緒になんかやりましょう!」
と言ってくれた。燕市に最高のマイメンができた。夜は河川敷の公園に家を置いて寝た。これは許可をとったとは言いがたいけど。ヤッサン達と出会ったからオールオッケー。

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地元の駅を朝8時半に出る電車に乗った。新幹線で新潟まで帰る。駅のホームに、統一模擬試験の受 験票を握りしめて電車を待ってる女の子がいた。たたかう前って感じの顔立ち。彼女は電車の中では イスに座らないで窓際に立って古文の単語帳を開いてる。イスに座ると眠くなっちゃうもんな。僕も 高校生のとき同じ駅から試験会場に向かって、彼女と同じように窓際に立って単語帳を開いてた。な んでもないことだけど良いものを見た気がした。
久々に家族や親戚と話して、みんなのことを自然に 一人の人間として見ることがすこしできるようになった気がした。弟もこれから人生どうするかにつ いて悩んでいる模様。いとこのまーちゃんは
「もう仕事しながら生きていくしかないっていう覚悟は決まった」
と言ってた。みんなそれぞれの人生で、自分のふるまい方をみつけるのに忙しい。

新幹線は速い。日記かいてたらちょっと酔った。酔いをさますために外の景色を見な がら、行きのバスとおなじことを思った。このスピードのせいで見過ごしてしまうものがたくさんあ る。このスピードにのりながら、路上に咲くコスモスを愛でたり蛇の死体を見つけたりすることはで きない。さびれた温泉街をみつけたりすることもできない。そういうことをじっくり考える余裕も与 えられない。1時間半で新潟駅についちゃった。

お昼頃、新潟駅ちかくの友達の実家で自分の家と合流して、長岡方面へ歩き始める。暑い。でも新潟 は天気が変わりやすい。すぐに曇ったり雨が降り出したりする。15キロくらい歩いて「引越」とい う変わった地名の場所に着いた。近くに温泉旅館があったのでお風呂に入った。茶色いお湯で温度は 低め。もう今日はこの辺で敷地を借りようと思って「旅館だから厳しいだろうなあ」と思いつつ、そ こで敷地を借りられないか交渉したらやっぱりNG。
「それ、よく聞かれるんですけど同じ敷地に土建会社もあるもんですから。すいません。近くにトイ レも水もあるとても良い公園があるからそこなら大丈夫だと思います。聞かれたらよくそこを薦めて るんです」
って言ってた。公園はちょっとなあと思って、どうしようかなとうろうろしてたら神社を通りかかっ て、そこでたくさんのおじさん達が宴会をしてた。そのなかの若い人から
「なにしてんすかー!」
って呼び止められて
「酒飲めますか?いま祭やってんすよ。寄ってってくださいよ」
という感じであれよあれよというまに、僕は神社の中でたくさんのおじさんに囲まれながら紙コップ を持たされて瓶ビールを注がれてた。ほんの5分前までけっこう絶望的な気持ちで「今日の敷地どう しよう」なんて考えてたのに。毎度のことだけど、めまぐるしすぎる。一回実家に帰ったぶん、まだ 体がこのスピード感に慣れてない感じだった。おじちゃんたちはみんな酔っていて声がでかい。質問 が同時に3つくらい飛んできて、それに答えてるあいだにまた別の質問が飛んでくる。そんな感じで わいわいやって
「ホラ貝吹いてみろ」
と言われてやってみたらちょっと音が出て
「おおー!」
とかなって盛り上がったりしたんだけど、ある瞬間に突然みんなが片付けはじめて、あれよあれよと いう間に飲み物も食べ物も片付いて人がどんどん減っていった。なんの合図でみんなが片付けはじめ たのか全くわからなかった。僕を呼び止めた若い人が
「今日うちきていいよ」
と言ってくれたのでついていく。
「なんか突然みんな帰りだしましたけど」
って聞いたら
「一応村の長がいるんだ。なんか合図があったんだろうな」
って言ってた。彼の家は3世代で、彼の両親と奥さんと二人の子供がいた。突然現れた、家を担いでる僕をみて(しかももう日も暮れているので、相当怪しい感じに見えていたと思う。それでも)「な んだなんだすごいな」って感じでにこにこして迎えてくれた。出会ってまだ1時間くらいしか経って ないから、僕自身も処理が追いついてないのに、そこのおばあちゃんなんかすぐ
「離れに泊めるのね。敷き布団がないから持っていかなくちゃ」
といって準備しはじめた。すごい反射神経。
呼んでくれた彼が
「鳥食いにいこう」 と言って女友達(アニメオタクらしい)を一人呼んで、3人でご飯食べにいった。彼は旅人を見ると よく声をかける人らしい。好きな美術家などの話をしたとき、彼が
「その人たちはお金を稼ぎたくてやってるわけじゃないんだよな。俺なんか稼ぎのためにしか動けね えからな。なんのために生きてんだろうなあ」
って独り言を言ってたのが印象的。

今朝は実家にいたなんて信じられないな。

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自分が生まれ育った町なのに久しぶりに来ると目がまわる。やっぱり東京は超圧倒的な大きさの、他の地方都市なんか足下 にも及ばないくらいのメガシティだった。新潟で目を引く大きなビルがあって
「あれが新潟県庁だよ」
と教えてもらったサイズのビルがあちこちに建ちまくってる。そして空気に匂いがある。あんまり良いにおいじゃないと感 じだけど、十分くらいで慣れてしまった。

おじいちゃんの米寿祝いは、昔からお祝い事があると行く上野のお店で、村上家の他にいとこの家族と、父方のおばちゃん 夫婦が来ていた。久々に血縁の輪の中でご飯を食べたり話したり。幼い頃のことをたくさん思い出した。父方のおばちゃん 家族ととても仲が良くて、正月とかお盆になると必ずその家族が実家に遊びにきてた。いとこが二人いた。一泊か二泊かし て、車で彼らが帰るのを見送る時、明日からの元通りの日常に思いを馳せて、ものすごく絶望的な気持ちになったのをよく 覚えてる。いとこの一人にはもう子供がいて、その子が幼い頃のぼくに良く似てる。僕はここで生きてたんだなと、普通の ことを改めて思った。 その祝いの終わりがけに、おじいちゃんが挨拶をした。おばあちゃんが亡くなったとき、いつもは感情を全く表に出さない ようつとめてる感じのおじいちゃんが、とても悲しんでいたのをよく覚えてる。あれからだいぶたっていて、いまそのおじ いちゃんが88歳になろうとしている。挨拶の言葉の裏に、なんとなく背負っている孤独を感じた。またそのおじいちゃん は僕がやっている具体的なことはわかっていないと思うけど、体に気をつけて、自分の考えがあんまり偏りすぎないように 気をつけなさい、という鋭い言葉をもらう。父の挨拶もあった。自分にとって絶対的な存在ではなくて、一人の人間として の父親をみているような気がしてなんとなくさみしくなった。久しぶりに会ったってこともあるんだと思う。

お店から帰ってきて実家で話し込んでいるとき、いとこが「清掃員村上2」の映像を見て衝撃を受けたと言っていて、自分 の会社で働いていた人が別のライバル会社のスパイだったことがあるという話をしてくれた。僕の映像を自分の身の回りの 話に結びつけて話してくれたことが嬉しかった。僕はいつのまにか自分の制作活動や作品はこの家庭環境とか親戚関係と切 り離して考えていて、作品の話は通じないだろうと思い込んでたけどそんなことは全然なかった。その壁は自分で勝手に作 り出してた。これは大きな発見だ。

いとこの家族が帰る直前、実家の音楽室でぷち発表会が行われる。最初におばさんがピアノで2曲弾いて、いとこが1曲弾 こうとしたけどうまくいかず、そのあと僕の父親の伴奏で母親が歌を歌った。おじいちゃんがすっごい嬉しそうな顔をして それらを聴いてた。

午前中、新潟市西区にあるツルハシブックスってところに行ってみた。埼玉の田谷さんに導かれたお 店。置かれている本のラインナップも良いんだけど、面白いのは電気のついてない地下室があって、 懐中電灯で足下を照らしながら本を「発掘」できる。そこで見つけた本は1日1冊まで、格安で購入 できる。発掘した本の値段は本によって違うんじゃなくて、買う人の年齢によって変わる。オーナー さんは不在だったけど手紙を残してきた。

明日、祖父の米寿のお祝いがあるということで家を友達の実家に預けて体は東京に行く。久々の東 京。新潟から東京へは1時間に1本高速バスが出ていて、新潟駅から池袋まで300キロを5時間で いける。久々の長時間の高速移動。お昼2時に新潟駅からバスにのった。新潟駅で日本酒の飲み比べ をやってから行った。新潟はほんと日本酒がうまくて、そんで手軽に飲める。駅で飲み比べできるん だからすごい。

高速バスは意外と混んでいて空席は2つくらいしかなかった。田んぼがずーっと遠くまで見える。日 本の米はぜんぶここでつくってるんじゃないかってほどに、一面の田んぼ。東京は建物がずーっと遠 くまで見えるんだろう。100キロで移動してるのに、その実感がまったくない。外ではすごい風が 吹いて、いろんな細かいちりとかが高速でとびかっているはずなんだけど、あまりにもなめらかに移 動していく。これはやっぱりやばいような気がする。移動してる感覚がなさすぎる。5時間で東京に つく。そのぶん一瞬一瞬の負荷は大きいはずなんだけどその感触がない。肉体が移動していく感覚が 全くない。景色は移り変わっていくけど。この気持ち悪い感じはなんなんだろう。考えるほど堪え難 い。あと5時間もこれに乗ってないといけないのか。歩いたら数週間はかかるみちのりだ。このスピ ードのせいで見落とすものがたくさんあるということを知っているので、そのスピードに乗っている のが気持ち悪い。なんでこんなのに、歩くのよりも多くお金を払わないといけないんだ。速く行ける 乗り物ほど安くするべきだ。これは苦痛でしかない。たまに道路の段差で車体ががたがた揺れるのが 救いだ。酔っぱらわないと乗ってられない。

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僕は箱を持ち歩いてるけど、敷地は持ち歩くことができない。土を削ってそれを持ち歩いても敷地を持ち歩いてることになら ない。面白い。

藤塚浜のパラディソを朝8時ごろ出発して30キロくらい西にある友達の実家を目指す。僕が新潟市 を通るタイミングで実家に帰るから、いろいろ話そうって言ってくれた人。始めは雨が降ってたけ ど、午後になって晴れてきた。道は相変わらず歩道が少なくて同じ景色でつまらないけど、風がなく て雨が降ってないだけましだ。路上に汚い布切れが落ちてると思ったけどよく見たらなにかの動物の 死体だった。タヌキかなんかだと思う。布切れだなんて思ってしまってすいません。

お昼過ぎ、河原に家を置いて休んでいたら近くに車が停まって、中から派手な服装で金髪のおばちゃ んが出てきた。
「なんなのこれ。さっき歩いてるの見かけて、写真撮らなきゃと思ってiPadもってきたのよ。でもロ シア人だったらどうしようかと思って。写真とっていいかしら」
とテンション高めに話しかけてきた。このあたりは貿易業がさかんでロシア人がたくさん住んでいる らしい。彼女は動画を撮りながらぼくにいろいろと質問をしてきた。僕はこの生活を始めて5ヶ月た ったこととか、東京から始めたこととかいろいろ話した。そしたら彼女が
「ちょっと失礼だからやめよう」
と言って動画を撮るのをやめた。嬉しい。反射神経の良い人だなと思った。 「なんか足りないもんある!?」
と聞いてきたので
「特にありません」
と答えたら
「なんかないの。軍資金は?ちょっと失礼だけどお金渡してもいい?」
と言う。失礼だけどお金渡してもいいかなんて言われたの初めてだ。でもその「お金渡すことが失礼 だけど」っていう感覚を持ってる人で嬉しかった。「それでも渡したい」って言うんだからやっぱり 反射神経がいい人だなと思った。笑っちゃった。
「じゃあください」
と言ったら、彼女は財布からお金を出して
「じゃあこれ。がんばってね」
と言って渡してきた。2万円だった。
「いやこんないらないですよ」
と言ったら
「いいのいいのいいの」
と言ってもう車に戻っていった。僕は自分の名前とかウェブサイトとか連絡先を紙に書いて渡そうと おもってリュックをごそごそしていたら、彼女は
「なんか勇気もらったわ。ありがとう」
といって車でさっさと走り去っていった。名前も聞けなかった。

5時半頃、友達の実家に到着。その家は父親と母親とおばあちゃんと年寄りのワンコの3人と1匹で 住んでる家。加えて今日は友達も東京から帰ってきてる。みんなとても暖かく、そんで面白がって迎 えてくれた。おばあちゃんの髪の毛が紫色だ。亡くなったおじいちゃんは絵を描く人で、おばあちゃ んは書をやる人みたい。孫が幼い頃に描いて何かのコンクールで特賞をとった絵を楽しそうに見せて くれた。その孫である友達はとても恥ずかしがっている。いいな。 「なんか、実家に友達連れてきたって感じだね」
と言ってた。おばあちゃんが笑って
「生きてるあいだにこんな人に会えて良かったわ」
と言ってくれた。

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