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ここらは訛が強いながら、みんな共通語と使い分けながら話をしてくれる。昨晩泊まらせてもらった家で最年長のおばあちゃ んはもとは気仙沼の生まれなのだけど15年以上東京で客商売をしながら暮らしていた時期があるらしく、その間に方言や 訛が消えてしまったらしい。
でもこっちに帰ってきてから、近所の人たちに合わせるために必死で方言と訛をおぼえなおし たらしい。大変だな。

例のお姉さんが、ここから陸前高田までのあいだに狭いトンネルがあって危ないからと、家に軽トラを積んで高田まで送っ てくれた。運転しながら 「田舎の家って広いじゃない。だから壁の向こうが隣の家だなんてことは今ままで無かったから、仮設住宅に暮らしてると ノイローゼになっちゃうの。なるよねえ。」 と、すこし唐突に話し始めたの印象的だった。仮設住宅の壁は薄いから特に子供がいる家庭なんかは、隣に迷惑がかかって るんじゃないかと気にかけてしまうのだろう。そしてそういうことに慣れてない人がたくさん仮設に入ってるのだろう。い まだに。
陸前高田のコンビニでおろしてもらい別れた。「また会えるといいね」と言ってくれた。僕はこのときトラックが気仙沼 に戻るのを見送るかたちになる。いつもは見送られる側だから意識することがないのだけど、こうしてたまに見送る側にた つと、見送られる以上に寂しい気持ちになる。なんでだろう。見送る側の方が別れがつらい。すこし気を取り直すのに時間 がかかる。
しばらく休んで納豆巻きを買って食べた後、やっとコンビニを出発。陸前高田は1年半ぶりに来た。ここは津波 で町ごとさらわれてしまったような土地。広大な範囲が更地になっていて不自然なくらい遠くまで見通せる場所だったけ ど、すこし様変わりしていた。どうやら土地のかさ上げ工事が始まっていて、赤茶色の土があちこちで盛られていた。あと で聞いたのだけど、10メートルくらい地面を高くするらしい。話が途方も無さすぎて現実味がもてない。ここら一帯が1 0メートルも人の手によって持ち上げられるなんて。試験的に計画の高さまで盛ってみたのであろう場所が1区画あって、 とても高くみえた。あんなところまで持ち上げるのか。全然違う土地になってしまいそうだ。自分たちが住んでいた土地を 土に埋めるということだ。 でも何より目を引いたのは、地上から15メートルくらいのところを張り巡らされている白いパイプ。かなり広い範囲に渡っ てパイプが走っている。こんなメガ規模な空中の構造体は見た事がないので、どこぞの未来都市かと思った。本当にびっく りした。しかもこのパイプ以外はほとんどなにも構造物が建ってないのでやたら目立つ。これはどうやら、かさ上げ用の土 を山から運ぶためのパイプラインらしい。ダンプカーで土を運ぶのではなく、山から低地までパイプで繋いでしまってどん どん土を運んでいるみたい。とんでもないことを考えるなあ。頭の中で考えた事を、現実に寄せる段階を踏まないでそのま ま実現しようとしているような、なんとなくバベルの塔っぽい滑稽さがある。

奇麗な花畑のそばを通りかかった。そこで畑作業をしていたおばちゃんに「ご苦労様だこと」と声をかけられた。 そのままプレハブの事務所っぽいところに案内されて、たまたまお昼時だったのでそこでお昼ご飯をごちそうになる。震災 後こっちの方に引っ越して制作活動を続けてる友達二人の名前を出したら
「おー、あの二人の友達か。じゃあ息子同然のように扱わざるを得ないな」
ということになり、今夜はその事務所にいた男 の人の家に泊まることに。家の絵を見せたら
「ぜひ描いてもらいたい家がある」
と言って、すこし車で案内してもらうことに。もう一人の男性と合流して3人で車に乗って高田を走った。誰が誰とどうい うつながりなのかまったくわからないけど、人が親族関係や近所関係を超えたところでたくさんつながっているのはわか る。車の中で彼らはバスガイドのような口ぶりで津波の被害跡地を解説してくれた
「右に見えますのが、高田で唯一あった野球場のスタンドライトです。買ってから一回も使わないうちに津波で流されてし まいました」「ここらにも家があったんですよ~」
みたいな感じ。これは強さだなあと思った。とても親切に案内してくれた。海沿いを通りかかった時に 「壊れた堤防はこれからどうなるんですか?」と聞いてみたら
2人が同時に
「はい。12.5メートル」
と答えた。ハモってた。こうやって外から来た人によく聞かれるのだろうなあ。
「だから、今見えている景色は堤防ができたら全然見えなくなります」
とも言ってた。 しばらく走って、丘の上のほうにある大きな家に着いた。なんかよく事態が飲み込めないうちに僕はそのいえの絵を描くこ とになった。すごい立派な家だったけれど。 夕方また車で迎えにきてもらって、その男の人の家にいく。そこで久しぶりにテレビをみた。そういえばワールドカップや ってるのだな。

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昨夜「さっき言ってた家ってあれ?」ていう声が遠くから聞こえてきて、ドキドキしながら横になった。悪い事はしてないのだけどひそひそ話されると緊 張する。まだまだ神経が細いな。
気仙沼の方では豪雨だったらしいけれど、ここ本吉では全く降らなかった。20キロくらいしか離れてないのに。 あさ7時ごろ目が覚めた。午前中に近所で絵を描いていたら、知らない女性が
「もしかして噂の、イエの村上さんですか?」
と話しかけてきた。ついに家を被ってないときにも声をかけられた。なんでわかったんだ。そんなに浮いて見えるのかな。 昨日家が少し壊されたことも知っていた。話がひろがるのがはやい。また別のときに小さな子供が
「もしかして村上さんかなあ?」
とすこし遠くからわざとらしく声を出してこっちを見ていた。無視しちゃったけど。
11時頃に出発。気仙沼の方を目指す。歩き始めてすぐに昨日路上で出会った人から電話がきた。昨日歩いていたら突然道路の向こう側から山から帰ってきたよう な格好をしたおばあちゃんが
「ご苦労なこと!この先で休まん!」
みたいに声をかけてきてくれて、コンビニで買ったばかりらしい冷やし中華を僕に差し 出してくれた。自分が食べるために買い、ふたを開けて割り箸を割ったところで僕が歩いてるのを発見したらしく、あとは食べ始めるだけという状態の冷やし中華 をプレゼントしてくれたのだろう。いま手に持っているものを反射的に渡してくれたのだ。良いな。 道ばたの木陰の下に入ってそのおばあちゃんと娘さんと3人で、僕は冷やし中華を食べながら、おばあちゃんはパンを食べながら話をした。そのおばあちゃんは気 仙沼の仮設住宅で暮らしている。孫が14人いて、あんたも孫みたいなもんだ。と笑って話してくれた。一緒にいた娘さんのお姉さんが、これから僕が行く道沿い に住んでるから連絡してみると言ってくれていた。新聞記者も呼んでくれた。

歩きながら「これは家じゃなくて大きな傘みたいなもんだ」と考えてみる。雨とか道ばたの雑草から体を守ってくれる様子が傘みたいだと思った。ていうか家って 大きな傘のことじゃないかって考えてみると、基礎っていうものが家の機能からいかに浮いてるかがわかる。

夕方、例のお姉様の家に到着。人間が5人、犬が1匹、鶏が2羽、インコが1羽、あとたくさんのバイクがある賑やかな家だった。みんなで外でバーベキューした。楽しい。気仙沼はホルモ ンが美味しい事で有名らしい。本当においしかった。
「雨が降るかもしれないから、ここ使っていいよ」と、広い物置になってるスペースを貸してくれた。僕の家が誰かに盗られたりしないようにと、寝る前に3台の 車を動かしてガードしてくれた。

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昨日泊まらせてもらったところは敷地内がまだ工事中で、朝から何人かの職人さんが忙しそうにして いる。僕には聞き取れない方言(というか訛なのかな)が大声で現場に飛び交っている。笑っちゃう くらい聞き取れない。良いな。
日記を書いたり絵を描いたりして11時半頃に出発。気仙沼市の本吉 というところをとりあえず目指して歩く。このあたりからもうリアス式海岸が始まっていて、たいて い岬のほうではなくて湾んになっているところに町がある。岬をひとつ超えるのがだいたい20キロくらいで、1日で歩くにはちょうど良い距離。ちょうど良い距離なんだけど、歩道が無いところが何ヶ所もある。歩道は突然終わる。「歩道ここまで」みたいな標識など一切ない。もう何度思ったかわか らないけど、なんで歩道がないところがあるのだ。歩道が無いから車道を歩くしかないじゃないか。 そして車道を歩くと、時々ぶっきらぼうなトラックとかダンプとかがすぐそばを猛スピードで通り越 していって、突風と砂煙を浴びせかけてくる。歩道が無いことが腹立たしくて頭が変になりそうにな る。考えてみたら道路には「~キロ以下で走ってはいけません」って言う制限はないな。ないのにみ んななるべく速く走ろうとしている。遅いと嫌がられる。必要なのは速さ、速さだけが正義みたいな 走り方しやがって。腹が立つ。こんなところ歩いている方が悪いと言われたらそうなのかもしれない けど、歩くことによって車の異常なスピードがよくわかる。
そういえば今日ひとつ発見した。どうや ら「歩道があるかないか」と「携帯電話の電波が良いか悪いか」は比例する。

いつのまにか気仙沼市に入ったらしい。気仙沼に入ったからといってなにか突然風景が変わるわけで も道路の状態が変わるわけでもない。そこにずっと暮らしていたらそういう行政区分は大切なんだろ うけどこの生活にはほとんど関係ないな。曜日感覚もない。洗車している人が多かったら休日なのだ なあと思うくらいで、自分自身にはほとんど関係ない。大事なのは、空はあとどれくらいで暗くなる のか、風は強いか、敷地は見つかっているか、そこは電源が使えるか、シャワーかお風呂に入れそう なところはあるか、スーパーかコンビニか自動販売機が近くにあるかとか、そういう事ばっかり。
5時頃に本吉に着く。「はまなすの館」というところの敷地なら多分寝られるという情報を歩いてる 途中に教えてもらっていたのでそこに行って交渉したらすんなりOKしてくれた。過去に震災ボラン ティアを名乗る人が1ヶ月くらいここにテントを張っていたらしい。 敷地が決まってほっとしていたら子供を連れた女性が寄ってきて、僕にクレヨンとスケッチブックを 差し出して
「絵描きさんなんでしょ、何か描いてよ」
と突然言われた。「は?」と思った。絵描きをなんだと思ってるんだ。なんでそんな誰ともしらない 人に絵を描いてプレゼントしなくちゃいけないんだと思いつつ、なんか断りきれずに適当に描いて渡 した。こんな人もいるのだなあ。
でもその人はその後、そのぶっきらぼうな態度はそのままに、差し入れを持ってきてくれたり、近く にある体育館のシャワーを使わせるように交渉してくれたりした。ああこの人は嫌いじゃないなあと 思った。
「はまなすの館」に着いて家を置いた直後はいろんな人(主に子連れ。家を一部壊された。)が寄っ てきてああだこうだいって凄い凄いと言ってくれたけど、そうやって言うだけ言うとみんな帰ってい った。でもこの人は違った。スケッチブックを突然渡されたときはびっくりしたけど、結果的にその 人が一番深く関係を持とうとしてくれたのだ。良いな。
その人が絵を描いて渡したあと、フライドポテトと食パンを持って再び現れた。
「これ差し入れ」
と言ったすぐあとに
「絵、もうすこしかわいく描いてよ。あれもかわいいけど、もう1枚(ちゃんと)描いて」
と言ってきた。うわーこの人やるなあと思った。
そういえばここ最近、食べ物飲み物の差し入れをたくさんもらうようになった。東北に入ってからほ とんど毎日誰かに何かをもらっている。いまペットボトルの飲み物が3本、菓子パンが2個、食パン が1斤ある。さっきまでこれに加えておにぎりが2個あったけどそれは食べた。消費するのに忙し い。東北すごいな。

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今日久々に人からたばこをもらって思ったのは、喫煙も労働のひとつだということ。僕は去年までタバコを自分で買って吸っていたのだけど、ある日 嫌になってやめた。お金がかかるというのも理由のひとつだけど、あるとき突然自分の体が日本たばこ産業によってコントロールされている感じがし て「コントロールされてたまるか」と思った。タバコを吸い始めたらそれが日課になる。そうすると毎日毎日自分のお金をたばこ業界に支払ってその 煙を享受することになる。タバコ産業からしたら、喫煙者はとても勤勉な労働者になる。ちゃんと煙を毎日吸ってお金を稼いでくれるのだ。僕は尊敬 できない人の下で働くのは嫌だからバイトが嫌いなのだけど(だから3月までバイトしてたのだけど)、考えてみればタバコを吸う事も人の下で働く ことと同じようなもんじゃないか。だからやめられたのだな。タバコ産業に辞表を出すみたいなものだ。あぶないあぶない。

僕が小さいころもそうだったけど、4世帯もいるとそのなかに小さな社会ができて人間関係がすこし複雑になる。家族とはいつも一緒にいるのが基本 で、そうするとそのなかでうまくやっていかなくちゃいけないから、そういう環境で育った人は人間関係に対して感覚が鋭くなると思う。日々家で過 ごすことがすなわち社会勉強のひとつになってしまう、というか。というようなことを、久々に4世帯家族の一家と過ごして思った。今日は11時頃 にそこを出発。南三陸町に向かう。20キロくらいか。あるいている途中、登米市の一家がわざわざ交通安全のお守りを買って車で届けにきてくれ た。嬉しい。また会いたいな。次会うとしたら来年か。小学生だった長女も中学生になっているはず。それまで生きのびないと。
南三陸町もまた津波の被害が凄まじいところで、波にごっそりさらわれた海沿いの町は今では瓦礫が撤去されて、まっさらで見晴らしがやたら良くな っている。あちこちで重機が動いていた。海が全然見えないところに「ここより過去の津波浸水地域」っていう標識が掲げられていて、当時の町の人 たちの混乱が目に浮かぶようだった。歩いて移動する人が少ないためか、歩道はぼこぼこのままだった。でも人はとってもやさしくて、工事のための 交通整理のおじちゃんたちはみんな笑って声をかけてくれて、車道を横切るのを手伝ってくれたりした。ここでも警察に声をかけられて身分証を求め られたけど、その警官は「あなたのことは署に言っておくから。こんな人がいても怪しい人間じゃないって」と言ってくれた。
「南三陸町は小さい町なんだけど、最近立て続けに死亡事故が2件あったからくれぐれも車には気をつけて」
とも言ってた。
南三陸や気仙沼で事業を展開してる、ある会社の人に声をかけられて事情を説明したら。 「うちが前使っていたプレハブの小屋がまだ残ってるからそこでよかったら泊まっていいよ」 と言ってくれた。
行って詳しく話を聞いてみたら、どうやら震災で会社の事務所がだめになり、山の上の敷地に仮設のプレハブ小屋を建てて事務所に していたけど、そのそばに新しく事務所を建てたからいまプレハブの方は解体途中で、電気は通ってないけど和室の部屋なんかが残ってるからそこに 寝ていいとのこと。ちょうど雷が聞こえて雨が降り始めたところだった。嬉しい。その会社の何人かの人は2、3日前から家が歩いてるのを各地で目 撃していたらしい。そういえばツイッターで「歩く家がいるらしいよ」という写真付きの呟きを見つけた。「家を被って歩いている人がいるらしい」 ではなく「歩く家がいるらしい」っていう発想になっちゃうのは、これはゆるキャラに毒されすぎなんじゃないか。

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どうも「世間のしがらみから解放されたい人」みたいに見られがち。この前の授業でもそんな感想がいくつかあった。「自由になりたい 人」みたいな。そうじゃない。ていうかこの生活に自由はない。強く縛られている。家から目を離せないから行動が制限されるしずっと同じところには居られないから、歩かなくちゃいけないし絵も書かなくちゃい けない。この社会から逃げたいわけではない。悪く言いたいわけでもない。世界をまわしてるこの大きな大きな装置を悪いなんて簡単に言 えない。縄文時代に戻りたいとか、荒野に行って一人で狩猟採集しながら暮らしたいとか、田舎にこもって畑でもやりながら自給自足生活 したいとか、全然まったく思わない。お酒をのみながら人と話したりするのが好きだし映画館とか劇場とかライブハウスとかクラブとか美 術館が好きだしお金も好きだ。そのためにこの装置は必要なものだ。敵にまわそうなんて思わない。選挙にも行く。「自由」対「社会」み たいな二元論で考えがちなのかな。何が誰が悪いって簡単に言えないから難しいのだ。ライムスターだって歌ってる。誰もがお互い指差し てばっかりだって。あらゆる事は他のあらゆる事と関係していて、自分もそのまっただ中にいるのだ。問題を自分が引き受けないといけな いのに。人に指した指は自分にはね返ってくる世界になってるのに。家において基礎と上の箱の部分は分けて考えるべきだってことに昨日 気がついた。そう考えると現代の人にとって家がどういうものなのかとても見えやすくなる。

今日こそは登米市に向かう。石巻の人は登米のことを「とても良いところ」という。そういえば水戸の人は常陸太田市のことを「とても良 いところ」って言ってた。良いところいっぱいあるな。
石巻から北の内陸のほうに20キロくらい進むと登米市に入る。言われてた通り、 すごく景色の良いところ。道路の左側を見ると山と湖と川がダイナミックに関係しあいながらずっと続いている。そしてうっすら霧がかっ ていて神秘的。
途中にあったデイサービスセンターの職員さんに声をかけられて、1時間半くらいそこでおばあちゃんおじいちゃんたちと 過ごした。職員さんがあるおばあちゃんに「東京から来たんだってー。すごいね」と言ったらそのおばあちゃんは「かわいそうだ。かわい そうだからあんまりかまうな」みたいなことを言ってた。そういう見方もある。そういう見方もあるな。デイサービスセンターの独特の時 間の流れ方を久々に目の当たりにした。どんな時間でもみんなでつぶせば怖くない。

先日道路で会った登米市在住のご家族の家に着いたのが19時ごろ。僕が小さいころの家族構成とほとんど同じ4世帯同居のにぎやかなお うちだった。わんこもいる。わんこも含めた皆さんとても暖かく歓迎してくれた。まだほとんど初対面なのに。すごい。奥さんとおば あちゃんの「どうぞどうぞ」っていうせりふの言い方が似ている。良いな。だんなさんが仕事帰りに石巻のお酒を買ってきてくれてみんな で飲むなど。旦那さんのお父さまは油絵をやる人だった。夜はその家の離れの一室で寝かせてもらう。

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このあいだ石巻に向けてバイパスを歩いているとき、車が一台近くにとまり家族連れが降りてきて

「何やってるんですか」

と声をかけてきた。説明するとお父さんが「すげえ」と感動して、登米市にあるそのご家族の家の敷地に僕の家を置かせてもらうことに。今日石巻を出てそこに行く予定が、いろいろ人と会ったり紹介してもらったりしているうちに昼過ぎになってしまい、もう出発するには遅すぎる時間になってしまった。暗くなってから山道を歩くのはこわい。なので今日も石巻に滞在することに。こんなこともある。

今日石巻新聞の取材をうけながら「『家』において、基礎部分と上の箱の部分は分けて考えるべきだ」という話が口をついてでてきた。そうかそうだったのかと、話しながら感激していた。

家の基礎とその上の箱は別々のものとして考えるべきなのだ。僕は上の箱だけ持ち歩いているから敷地の交渉が必要になっている。本来人が生きるための家の機能として必要なのは屋根と壁だけなのだ。基礎なんてうつ必要ない。じゃあなんで基礎をうつのかというと、この社会のシステムのためだ。基礎をうって家を固定することによって誰がどこに住んでいるのかが整理しやすくなる。より円滑に経済をまわして行政を機能させるために家は基礎によって地面に固定されていなければいけない。先日のトレーラーハウスに住んでいる人の話によると、トレーラーハウスでは住民票が普通とれないらしい。動かせるから。家を動かされちゃ困るから車輪がついていたら住民票登録できない。そして住民票がとれないと、保険にも入れないし仕事もできない。

さらにその人は、仮設住宅に引っ越したとき「住民票はうつさないでいいです」と役所に言われたらしい。なぜなら家の基礎はまだ残っているからだ。津波に上の箱が流されても、基礎が残っていたらそこに住民票があるということになる。基礎が残ってれば住民票はそこにある。これは不思議と自然なことのように思える。そうだったのだ。

それに気がついた上で、今日石巻で津波の被害がもっとも酷かった一帯に行ってきた。だいぶ奇麗になっているけれど、基礎や塀が残っている家はまだまだある。一度これを見てしまったら、これを絵に描かずに町の方にいって普通に建ってる家だけを描く気にはなれない。それはとても不自然なことのように思える。だからそこで絵を一枚書いた。基礎しか残ってない家。描いていて突然涙がにじんできた時間があった。基礎。この基礎。愛と憎しみを込めて「基礎。基礎。」とつぶやきながら絵を描いた。

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プレセティア内康さんは、もともと魚屋さんだったらしい。それがだんだん仕出し(料理を作って家まで出前する)もするようになっていき、そのうち「おたくの魚屋の二階で宴会やっていいか」という話になり、宴会場になりはじめる。そうしたら、料理も出るし結婚式なんかもここでやるといいんじゃないか(当時結婚式は公民館などで行われることが多かったらしい)という話になってきて、結婚式もやりはじめる。そうこうしているうちに魚屋を切り離し、だんだんいまの式場のかたちになっていったらしい。時代に合わせて商売を変えて、その都度建物を作り替えて、規模を大きくしてきたのだ。だからいま式場をやっているのはとても自然なことのように感じる。良いな。

今日は、東京で知り合った人が紹介してくれた石巻にあるシェアハウスに向かう。そこに家を置かせてもらうよてい。歩いていて思った。昨日と同じだ。これは冒険でも旅でもなんでもない。全てが淡々とした日常に回収されて行く。今日も昨日と同じように敷地を出て、笑われたり話しかけられたりしながら家と一緒に歩いて次の敷地に向かう。着いたらお風呂かシャワーに入ってどこかでご飯を食べて、人と話すかもしれないし話さないかもしれない。日常ってのはそういう揺り戻す力のことかもしれない。どんな冒険者も探検家もその日々の生活はその力によって日常に回収されていく。だから常に誰かにとっての日常は、他の全ての人間にとっての非日常なのだ。そういう目で自分の日常を、あのうんざりの日常を見られたらいいのに。

石巻の路上で、トレーラーハウスに住んでいるという人に出会った。家が被災して仮設住宅に住んでいたのだけどもういい加減出て行こうと思い立って、仮設を出てトレーラーハウスに住み始めたらしい。僕が「住所と生活は必ずしも一致しなくてもいいんじゃないかと思ってる」っていう話をしたら、仮設住宅に住んでいたとき、住民票をそこに移さなくて良かった、という話をしてくれた。そうだったのか。それが仮設たるゆえんか。住民票をそこに移せたら、住んでいる人の気持ちもすこし違ってくるんじゃないか。

夜、シェアハウスの人たちとすこし話す。みんなそれぞれ復興のために忙しく働いているひとたちだった。僕と同年代くらいなのに、彼らは他者のために立ち上がっている。すごい。

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朝9時に塩竈のお寺を出発。とりあえず石巻方面へ。ここから石巻までは35キロくらい。
松島あたりでパトカーが僕の前に停まって、警官が二人おりて近づいてきた。「お。久々にきたな」 と思った。
事情を説明したら 「今までこれで歩いてて、通報されたこととかないの?いまはすぐに通報されちゃうから。」 と言われた。そうかな。応援してくれたり面白がる人の方が多いけどな。リュックの中身も確認され た。ここまでされたのは永田町以来だ。当たり前だけどおまわりさんの対応にも個人差がある。いつだっか忘れたけど、バ イパスを歩いてたらパトカーからおまわりさんが降りてきて、超笑いながら「なにやってんだー。気 をつけてなー!」と声をかけてくれた人もいた。かと思えば身分証確認と荷物検査をする人もいる。 その個人差のある行動が、制服を来ているだけで公共の振る舞いであるかのようになるのだから面白 い。
松島は観光客ですごく混み合っていた。やっぱり観光地だな。こういうところは苦手なのでそそくさ と通り過ぎた。しばらく歩いて下を見ると芋虫がたくさんいることに気がつく。芋虫とか毛虫の多い 時期になってきた。踏まれて死んでいるやつもたくさんいる。僕は踏まないように歩く。彼らのクネ クネした歩き方があまりにも一生懸命なので絶対に踏みたくない。とても速いスピードで体をくねく ねするんだけど、その「1くねくね」ですすむ距離は5mmくらい。僕は一歩で彼らの「150くね くね」ぶんくらい進む。この圧倒的なスピードの差。でも彼らはそんなこと関係ないかのようにすご く一生懸命動いている。見ていてなんか元気をもらえる。そういえば昨日から右足にマメができてい てとっても歩きづらいんだけど、ともするとマメができているせいで歩きづらいということに腹が立 ってきて、ますます歩いてやろうかという気持ちになる。からだは安静にしすぎてはいけない。いつ もちょっとずつ負荷をかけていた方が丈夫になれる。からだをあんまり気遣いすぎたら不健康になる と思っている。
夕方ごろに東松島についた。もうけっこう体が疲弊している。25キロくらい歩いた。ダメもとでツ イッターから
「東松島か石巻あたりで家を置かせてもらえそうな場所を探しています」 って発信してみたら、しばらくして
「会社の駐車場でよかったらどうぞ」
というリプがきた。この時の喜びは何にも代え難い。行ってみたらそこは「プレセティア内康」とい う式場•宴会場のお店で、大きな駐車場があった。社長さんが暖かく迎えてくれてその日は駐車場で 寝る事に。
東松島は2年前に一回来た事があって、そのとき海沿いはまだ津波の海水が引いていなくて、かなり ひどい状態だった記憶があるのだけどいまはもうほとんど奇麗になってるという。このお店は海から 2、3キロくらい離れているけど腰から上くらいの高さまで波が来たらしい。

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時々福島県の勿来町のおばちゃんから電話がかかってくる。
「ポカリ飲みな、ポカリ」
というアドバイスをくれる。昨日もかかってきた。仙台ですこし休憩して元気になったと聞いて安心したらしい様子。気にかけてくれる人がいるのはありがたい。時々面倒なこともあるけれど、それはその人が気にかけるペースと僕のペースが違うから起こることだ。生活のペースが違うから起こる。その人からしたら「もう連絡しないとやばい」みたいな心境になっているのかもしれないのだ。

お昼に仙台を出発し、塩竈市に向かう。13キロくらい。午前中は話しかけられにくい時間帯なのかもしれない。みんなお昼を過ぎてから、夕方になればもっと話しかけてくるようになる。午前中はどこもみんな忙し いんだな。塩竈市に入ったあたりで話しかけてきたおじちゃんに「息子が自転車で日本をまわった」 という話をされた。最初かなり強い方言で話されて全く何を言ってるのかわからなかったけど、僕が東京から来たと知ると話し方を変えてくれてだいぶ聞き取り やすくなった。 「ずっとこぎっぱなしって訳にもいかないんだよなあ。疲れちまうからな。どっかで野宿しないといけねえんだなあ。息子は帰りがきつくなったみたいで、トラ ックで自転車を運んでくれって言うんだよ」
その通りだ。人はずっと活動できない。いつかはどこかで眠らないといけないから家が必要なのだ。
塩竈でお寺を探して、今日一回目の敷地交渉。チャイムを押すと住職の息子さんらしき人が出てきてくれた。僕の身なりをみて、一瞬不審な目を向けたのがわか った。しまった髭をそっておけばよかった。と思ったけど一生懸命説明する。説明の仕方としては
「ちょっと複雑な説明になるんですが。あそこに白い小さな家が見えるじゃないですか、あれを担いで歩いて移動生活をしている画家の者です」 (反応を伺う) 「東京からスタートしていま2ヶ月くらい経っていて、基本的にあの家の中で寝泊まりしながら移動してるんですが、今まで夜眠る時に路上や公園では勝手に寝 られないので、一晩ずつ敷地を借りながら移動してきたんですよ。おうちの庭先とか、駐車場とか、神社の境内とか。とにかく『ここに一晩置いといていいよ』 という許可をもらえる場所を探しながら歩いてきました」
(反応を伺う) 「で、もしよろしければこのお寺の敷地内、隅っこでもどこでもいいので、一晩家を置かせていただけると助かるんですが」
だいたいこんな風に説明する。手には今まで描きためた絵のファイルを一応持っておく。
「少々おまちください」
と、奥で話し込む声が聞こえて
「じゃあ下の駐車場に」 と言ってくれた。この瞬間のほっとする感じ。久々だな。こういう交渉はここ10日間くらいやってなかった。無事に家を置いて、家の中に銀マットを敷いてあ れこれやってたらさっきの方が来て、シャワーとトイレを案内してくれた。このあたりも銭湯が無いみたいだったので助かる。
後でお寺の住職さんも来て 「私は歩いてないんだけど、父が昔行脚っつって日本中を歩いてまわったことがあってねえ。私はいま出先から帰ってきたばかりで仕事がたまっていて、相手が できずに申し訳ない。」
と言ってくれた。
「ここから北へ行けば行くほど、大型車両が通ってるから気をつけて」
大型車両と聞いただけで土煙と風圧と轟音が鮮明にイメージできる。嫌だなあ。

ある人から、人に超嫌われてしまったという話を聞く。
同じ人とずーっと近くにいると、うっとおしくなって嫌いになってしまいやすくなる。かつての仲が良ければ良いほど、関係が悪くなった時にひどい状態になりやすい。そんな時は動くに限る。自分をそこから離すに限る。でもそうもいかない事情とかいろいろあるところが難しいんだなあ。

先日飛んだ分の瓦を急遽作っていた。

泊めていただいてる方に車でホームセンターに連れて行ってもらい、発泡スチロールを買ってきた。スチロールカッターは無いので、普通のカッターで彫刻を作るように瓦を作った。作っていて3月のことを思い出した。あの小さな家を香川県の一軒家の3畳間でつくっていたときのこと。中塚と一緒に住んでいた家では、個室はそれぞれ3畳しかなかった。狭い部屋で発泡スチロールを削りながら、あるいはペンキを塗りながら、自分の船を造るような気持ちで家をつくっていた。追い込まれたような気持ちだった。2ヶ月くらいかけて家をつくり、家を出て行く日に二人で高松市内を散歩した。公園で、雑誌か何かのモデルの撮影をしていた。その人たちをみて「あの人たちの生活と私たちの生活には違いがあるなー」とか話していた。今も中塚はあの家で暮らしているし僕の住所も一応そこにあるのだけど、香川で作った自分の家と一緒にいま宮城県にいるのだ。不思議な気持ち。

いま朝の9時だ。今日ここを出て塩竈までいく予定なのだけど、僕は今夜どんなところに寝ることになるのか、誰と会っているのか。全然想像がつかない。これも不思議な気持ち。仙台に1週間くらい滞在した。相変わらず時間はとっても早く過ぎてあっという間に出発の時だ。6月も半ばになった。

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昨日の授業で「テントと家の違いはなんですか?」という質問があった。テントは目的地と出発地があって、その目的地の方に仮設でつくるものだと思う。目的地と出発地という概念を消そうとしているので、この生活はテントじゃだめだ。テントでは仮設の繰り返しにしかならない。地面に置いた時に、「いつの間に家が建ったの?」っていうリアクションができないと。 地面に置いた時に、まさか歩いて持ってきたとは思いもしない形をしていないと。

 

今日、たまたまお昼ご飯を食べながら人と話す機会をもった。いまやっている学問や仕事に対して「本当にそれをやりたいのかわからない」という悩みは多くの人がもってると思うけど、やったことが無いことをやりたいかどうかなんてわかるわけがないしとにかくやるしかない。そしてやればやるほど自分が「それをやっている」とか「それができている」とは思えなくなる。だから「これは本当にやりたいことなのか」っていう気持ち悪さは一生持ちつづけることになる。そこに答えをだしちゃいけない。だから東京モード学園の広告が嫌いだ。あれは「やりたい奴は集まれ」じゃなくて「ちょっと試してみたい奴は集まれ」くらいでないといけないはず。

 

今日は先日のご夫婦の家に、今度は家ごと泊めてもらうことに。夜自分の過去の作品を紹介するなど。

 

たくさんの人に憧れを持ちたい。憧れるということはその人を自分の中に取り込むこと。取り込むためにはその人のことに出会わないといけないし、知らないといけないし、すくなからず衝撃を受けないといけない。そして出会うほどに別れがきつい。また会えるだろうとはわかっていても、あるいは時間が経てばこの感情も消えてなくなるということがわかっていても、その感情の渦中にいるときの苦しみとかさみしさとは無関係だな。そんなことは慰めにならない。感情はその瞬間だけにわき起こるものだから、その瞬間にしか考えられない。お腹が痛い時に、お腹が痛くない時のことを考えられなくなるのと一緒だ。「いつか痛くなくなるよ」なんてことは、お腹が痛いその時に言われても慰めにならない。

今日は授業の二つ目。留学生が多い。普段英語での授業らしく、先生が僕の話を通訳してくれた。始めて通訳を介して話をしたのだけど、すこし話すと通訳を待たないといけないので話が途切れる。そうすると通訳をまっている間に、何を話していたのか忘れる。英語話せるようにならねばと痛感する。

 

ちょっと温泉に行きたいと思い、夕方秋保の日帰り温泉に行ったのだけど、そこに

「この露天風呂には自然界から虫さんがお邪魔することがあります。そんなときは網でそっと逃がしてあげてください」

と書いてある張り紙があって、そばに虫網が置いてあった。良い。虫が好きなんだろうな。殺されるのは嫌なんだろうな。お風呂は川沿いにある露天風呂で、連日の雨で川は水位が増して見てて怖いくらいの濁流になっている。その川を見ながらお風呂で考える。この移動生活をしているということが、自分をとりまく人たちにちゃんと定着しないと意味がないんじゃないかと思いはじめている。自分がその生活をなんの疑いもなく、普通に営めるようになるまでやらないと意味がないのでは?それが定着してしまえば、例えば同じところに1年くらい滞在していたとしても、移住を生活している途中っていう認識でいられる。そういう認識になったときに、本当に成功したと言えるのでは?そのためにはもしかしたら、一年やって展覧会をするだけでは足りないのでは?住民票はどうしようか。例えば住民票を毎日とか1週間ごとに移す事は可能なのか。そういうとき、健康保険料とか住民税の計算はどうなるのか。役所の人が物凄くややこしい計算をしないといけなくなるな。引っ越してから14日以内に住民票を移さないと、住民基本台帳法違反で罰則があるという決まりがある。その逆はどうやらないらしい。毎日住民票移すとそれはそれで小さなテロになりそうで、あんまりひどいと捕まりそうな気もする。住民票なんて普通そんな頻繁に移すものではない。土地の力はやっぱり強い。その土地でまた何か大きな震災があるかもしれないという程度の不安は、ずっと住んでいる土地にこれからも住むという考えを揺るがすほどにはなりにくい。三宅島でも福島でも岩手でも思ったこと。

 

そういえば秋保に行くバスの中、突然大声で知らない女性に話しかけていた男性がいた。とても大きな声で。恥ずかったと思うし内心どう思っていたのかはわからないけれど、女性はやさしく答えていた。男性がバスから降りるとき

「話をしてくれてありがとう」

と言ってた。こういう感じでしか女性とコミュニケーションできない自分にどこかで気がついているような、そんな「ありがとう」だった。