人にたいする期待はどんなかたちであれ、そこには必ず嫉妬心、自分のことを見てほしいというエゴイズム、あるいは自己投影が少なからず含まれている。

酒の席で男の友人が、彼に特有のユーモラスな雰囲気を湛えながら、しかし皮肉っぽく、あるアーティストのことを「フェミニストでしょ?」と言った。僕からすれば彼ほどフェミニスト的な態度を大事にしている人も珍しいと思うのだが、人をなにかで定義することの怖さや、それでこぼれ落ちてしまうものに対する愛が彼の中に強くあるので、そう名乗っている人に対してなにか思うところがあるのだろう。その言葉はある種のボケとして機能し、ボールは我々に投げかけられていた。いま思えば、あの問いに対してどう答えるかは、ささやかながらも大事な瞬間だった。僕は「フェミニストなのかなあ」と言ってしまった。口にしてすぐに、なにか別のことを言うべきだったと思ったが、かなり酔っ払っていたのでそれ以上考えは進まなかった。それからもう一人の友人が、「フェミニストでしょ」と断言し、「俺もフェミニストだから」と付け加えたのだ。しびれた。「私はフェミニストです」という文章は、「私は日本人です」に近い違和感があるにはあるのだけど、たぶんいまはそこで立ち止まっていいフェーズではなく、どんどん使って、もっともっと軽い宣言にしていったほうがいいんだろうということは、わかる。自分もそう明言できる人間になりたいと思った。次からはもう、ひとまずそう名乗ることに決めた。

ルノアールでパソコン仕事をしているのだが、隣の男女の若いカップルが席に座るなり早々に、帰り送っていこうかだの、こんなところまで来てもらってごめんねだの、よく場所わかったねだの、いままで付き合った彼氏たち、みんなブロックして音信不通になってるだの、二人で携帯の画面を見ながらこいつキラーイだのといった、話題の上滑りを延々と続けている。近いうち別れて、この男も女にブロックされるだろう。

BSSMのめぐみあゆさん、ポッドキャストでめちゃいいこと言ってた。マイナンバーカードはともかく、個人番号的なものは必要な気がしてて、なぜなら導入したほうがネット選挙とかもやれるようになり、若い人が政治に参加しやすくなり、投票率が上がるんじゃないか、と。番号の必要性は僕も感じていたが僕の場合はそんな高尚な理由ではなく、単に確定申告とか納税関係の手続きのときに、どう考えても番号が割り振られていた方が役所の人も処理がしやすいからなのだが(だから僕はマイナンバーカードを持っている。いやだけどもっている)。個人番号を振り分けられること自体ぜったいに嫌だと言いそうな、アート界隈の人たちがたくさん目に浮かぶ。

自分という人間に番号が振り分けられること自体がいやだというのは痛いほどわかるが、めぐみあゆさんは、そういう個人的な好き嫌いを超えて、番号が割り振られた方が選挙全体の投票率があがって、それはいいことなんじゃないかと言っている。すばらしい…。

会話は、「まあその番号を統括する政府がクリーンじゃないといやだよねえ」という結論になっていったしそれはぼくも100%同意なのだが、めぐみあゆさんの言葉は刺さった。

真夜中、コンビニで買った187ml入り白ワインの小瓶を開け、道路脇に立っている赤いポールの頭に置く。そのまま歩いていく。住宅街をぐるりと回り戻ってきて、さっき自分で置いた白ワインの小瓶をつかむ!あ、こんなところに酒が!サンキュー!と口に出しても出さなくてもいいけど、歩くスピードはゆるめないように。過去の自分とハイタッチする感じで。(07160213)

『お金の向こうに人がいる』田内学

近所の書原で注文して手に入れ、あまりの面白さにその日のうちに読み終わってしまった。『広告看板の家』をやるにあたってずっと感じていた違和感、例えば「ぼくたちはお互いに支え合って生活を成り立たせているはずだが、分業が複雑になりすぎているせいでそのことが意識できなくなっている。野菜を買う時に、野菜を育てた農家を助けるためにお金を払おうとは思えなくなっている」「なぜお金を払う人のほうが、お金を受けとって商品を提供する人のほうが偉そうにするのか」といった疑問をじっくりと解いてくれている。僕が感じている違和感は「子供っぽいこと」でも「道徳的」な話でもない。すべて経済学ど真ん中の話だったのだと言ってくれているようで、読んでいてたびたび鳥肌がたった。うれしかった。

松村圭一郎さんの『くらしのアナキズム』のことも少し思い出す。国家は、国の制度を作ることはできるが、国を動かすことはできないということが書かれていた。実際にものごとを動かすのは、現場の一人一人の人間たちである、と。この点と、『お金の向こうに人がいる』の中で書かれていた、国立競技場は1500億円の「予算」があれば建てられるのか?という問いは同じだ。競技場を建てているのはお金ではなく、一人一人の人間たちである。お金で建物が建てられるのは、「人々に労働をさせる力」がお金にあるからである。お金とは「人を働かせるチケット」のことであり、すべてのものは人の労働によって作られている。

自分の財布だけではなく、社会全体の財布のことを考えること。お金とは人を働かせるチケットのことであるから、お金を払うことは、誰かに問題解決を頼むことである。お金を受け取ったとき、誰かを助けている。お金を払った時、誰かが助けてくれている。お金の向こうに人がいる。これを忘れずにおくこと。「経済」のそもそもの目的とは、みんなで幸せになることなのだという直球のど正論を、専門用語を使わずに書いてくれている、著者の誠実なオーラが伝わってくるような本だった。いつか、こんなふうに本を書きたいと思った。書くことへの向き合い方として。

ヘッドフォンでバスクのスポーツ聴きながら歩いてたら、光る円がものすごい速度でお互いに触れ合いながらそれぞれの方向に進んでいき、そこに時々流れ星のような光も走っていくようなイメージが浮かんだ。それは啓示のようなものに思えた。急に気持ちが楽になり、そうか生きるとはこのようなことなのだと思えた。僕たちは一人一人が円のような存在で、それぞれにあちこち方向転換しながら高速で動いている。他の円と輪郭をぶつけ、時々それは大きく重なり合い、そしてまた離れていく。すぐちかくを併走していくものもあり、その存在は感じることができる。

そして僕にとって一番身近な自然は音楽だと気がつく。聴くという受動的なことが能動性を生み出すという魔法。選択も意思もない、フュージョンの感覚。自分の境界が消えて、主語が消えて、動詞だけになる感覚。音楽が一番身近なそれかもしれない。音楽を聴いているあいだは、なんの選択もしなくていい、効率とか価値とかを考えなくていい。

先月一人でコンビニ弁当を食べているおじさんを見つけた公園で、今日は東屋で一人コンビニ弁当を食べている、僕よりも年下かもしれない青年を見かけた。あのおじさんと同じくらい堂々としていた。ぼくもあんな風に夜一人の公園で背筋を伸ばしてコンビニ弁当を食べられる人になりたい。でもぼくの鼻にはにきびができている。

自然。外ではなく、私の自然。この私の中にある地面、そこに詰まっている土、みみずたち。私の中で満ちる海。私の中の、高いところから低いところへ流れる川。私の中のなだらかな山、深い森、暗い沼。私の火、雷、雨、雪、風、太陽、に飛び込むイメージ。私は場所。私という場所

(07132249)

昨日の夜、土砂降りのなかヘッドフォンでレッドホットチリペッパーズを聴きながら歩くのが気持ちよすぎて、ときどき傘も閉じてみたりして、シャワーを浴びているみたいだった。いろいろなことがどうでもよいものに感じられて、解放されていた。しかし携帯電話がじゃまだった。目の前の景色や自分の感情を全感覚で受け止めることを阻害しているように思われた。人から連絡が来ることを病的に気にしてしまうたちで、いまもこうして書きながら、先日送ったメールに、ある行き違いがあったことを思い出し、返事を書こうとメールアプリを開くところまでやって、いや、やっぱ書かなくても大丈夫か、と思いなおしてうだうだやってしまっている。昨夜は勢いあまって川に携帯電話を投げ捨てそうになったが、過去のライン履歴とか写真が消えてしまうのは嫌だと思い、踏みとどまった。なにか、音楽だけを聞くデバイスが欲しいと思った。地図やカメラや音楽や計算機やメールや電話など全ての機能がスマートフォンに統一されているなかで、iPodやMDプレイヤーがなつかしいと思った。そこで先程、近所のゲオで中古のiPod touchを買った。これがなかなか良くて、Apple MusicにもBluetoothイヤフォンには対応しつつ、メールや電話はできない。夜、散歩に出る前にアルバムを一つ選び、その一枚を大切に聴きながら歩いていたかつての自分を再び召喚したい。

夜の歩道で、中学生くらいの女の子たちが背くらべをしていた。二人が横並びになって、一人がそれを正面から見て。

ぼくはストロークスの昔の曲を聞いて泣いている。

参院選投票の帰り道、街路樹の木陰を珍しく音楽も聞かずに歩いていたら、なぜだか唐突に、むかし付き合っていた人のことが思い出された。ぼくに面と向かって「あなたの活動には興味がない」と言える人だったので、すぐ近くでぼくが展示をしているにもかかわらず、そちらには寄らずに地方の花火大火に行ったことや、小豆島で酒を飲みすぎた彼女をトイレで介抱していて、一緒に飲んでいた人たちが心配して、救急車呼びましょうと話していたので、ぼくはことを大きくしたくないという心理が働いてしまって、大丈夫だと思いますと言ったのだけど、救急車呼んで、大丈夫だったらそれでいいじゃないですか、とりあえず呼びましょうと誰かが説得してくれた。あとで冷静になってからわかったことだが、彼女はかんぺきに急性アルコール中毒になっていた。あぶないところだった。あのとき救急車を呼んでいなかったら一生後悔する事態になっていたかもしれない。生きていけなかったかもしれない。餃子五十個とパエリアとケーキを同時につくったことや、アパートを一緒に探したこと、学校帰りに彼女の家まで歩いた夜道のこと。一度破局の危機があり、ぼくは彼女の実家まで行ったのだが、玄関口で彼女の妹に「もう会わないって言ってるから」と拒まれて家に入れてもらえなかった。けどぼくは「残念ながら、諦めが悪いので」と言って、近くのベンチに座って何時間も粘った。暗くなる頃に入室を許してもらって、どうにか関係をもちなおした。四年ほど付き合って、八年前に別れた。三年前に突然電話をくれた。こっちの美術館で展示やるんでしょ、ポスターみたよ、よかったらうちのバイト先の店にも寄って、と。行くよと約束したが、会えなかった。店のすぐ近くまで行って、ビルの影から店内を覗いて、その後ろ姿らしきものを確認したのだが、そこに突入して話しかける勇気がでなかった。前の道を何往復もしたけど、とうとう中に入ることはできなかった。そのまま連絡もできていない。

加藤巧氏の展示を観にギャラリーαMに来たが、暑さのせいか、なんだが眠いし、気持ちも辛いし体もだるい。やはり夏は活動する季節ではない。昨日からのニュースも影響しているのか。身近なところから、遠くから、いろいろな情報、憶測、不安、記憶の直撃を受けすぎている。なんらかの精神疾患にかかりそう。なにか、笑い、が足りないのかもしれない…何も考えないで絵とか描いたほうがいい。このままではちょっと危ない。人と話をしよう。

<加藤巧・千葉真智子トークatギャラリーαM>

加藤氏「自分が発した動詞を自分で観察する。」
「チューブ絵の具ではなく、粉と卵で練った顔料をつかうことで、前提が遡られていく。例えばバーミリオンは重たい。観念的に「赤」とか言えなくなってしまう。赤を塗った過去の自分と、いまこのバーミリオンを置いている自分は、違う。」

「水彩でひゅひゅひゅと、紙にストロークする。モチーフを作る行為。それをみながら、顔料をおいていく。点描だったり線描だったり。自分が数秒で描いたものをあとで時間をかけて観察する。どこに絵の具がたまるかなど。そして、ストロークのときの手の動作の「感じ」も覚えているので、それも参考にする。しかし、顔料をおいているといろいろなことがカットインしてくる。この色は、モチーフのあの色とは少し違うけど、おいてみたらどうなるか、とか。なので、モチーフと、作品は、図は同じでも変わってくる」

考えたこと

・前提を遡っていくこと。最初にチューブ絵の具で描いたモチーフを、分解された絵画材料をつかってあとから追随する。そのときに”良い意味で”こぼれおちるもの)・例えば靴を買うときに、その場で100点の靴を探していたらいくら時間があっても足りない。気になる細かい点はあるが、とりあえずこれでいってみようという判断。いわば「判断の緩衝地帯」を作って、80点くらいを探す。さもなければ「選択の袋小路」に入ってしまう。とりあえず「この一足」に決めて、それを買って歩きはじめる。それで、あの靴の選択は妥当だったのか、ということをあとで吟味する。先程の自分の行為をあとから観察する。靴屋で履いた時の感じと、買ってから外で実際に履いているときの感じは、おなじ靴なんだけどどこかちがうような気がする。あのときの、歩く感じを体が覚えているので、比べることができる。そこを遊ぶ。これが加藤巧さんの態度。
そして「新しい靴をはいて歩いてみたら、店で選んでいたころの苦悩は吹っ飛び、ただ新しい靴をはいている気持ちの良さでいっぱいになる。それが高柳恵里さんの態度。いわく「解放」。

・いかに、自分だけの、自分に固有な「判断の尺度」がつくれるか。自分だけのルールに従い、自分だけの良し悪しを判断すること。土屋公雄が言った「村上、お前はスーパースターだ」を何度でも思い出す。こんなに元気の出るものはない。あの時の土屋さんの笑み、表情、声色、目つき、声から飛んできた波動を思い出せ。お前はスーパースターだ。土屋さんにとってはさして意味のない軽口の一つだったのかもしれない。しかしそれは問題ではない。

千葉氏「絵画にまとわりついてくる絵の見方みたいなものからどうしたら逃れられるか。絵画の平面性を考えて、図と地の関係とかレイヤー構造とか(これらは「観念的な赤」みたいなものを前提にしてる)。そこからどうやって逃れるかを考えた時、加藤さんの作品は気になる」

加藤氏「『動作』を組み合わせるときに、間にはいってくるのが『材料』。ミクストメディアとしての作品。それが平たいものなので絵画と呼ばれる」
「例えば地層に生き物が動いたあとが残っていて、それが化石と呼ばれ、人間以外の生き物が動いたあとを見ることで、時間を想像する」

加藤さんの作品の政治性とは?

「『毎日やること』『展覧会があってもなくても、日々のこととしてやること』それは態度表明。それを観察するときに、日々やって、いっこいっこ一緒のように見えるけど違うこと、それを大事にすること」

「モチーフを自分でつくること。自分の動作を自分で振り返ること。それで自分一人の責任をとりたい」

「自分で自立した状態でタブローを作り、鑑賞者が一対一でそれを見ること。」
「絵画技法の話。技法とは再現性であるが、それが正しすぎることがある。それが気になっている。正しすぎない技法を考える」

考えたこと
・モチーフを自分でつくること。自分の動作を自分で振り返ること。いわば「閉じること」。これは「芸術をやる者」の政治性である。そんな作品をみること、作者のルールや時間に触れること。それだけでなにか、魂が喜ぶ。最近暑さとニュースで非常に参っている自分には、「毎日やること」という言葉はそれだけで救いになる。それが芸術を見る側の政治性である。

モンゴルに行っているジョンさんから「Wish you were here!(君がここにいたらいいのに)」というタイトルと、昔二人で行ったパブでの写真が一枚添付されただけのメール。うれしすぎて。最強の元気与えワードではないか…

 

 

文化村ル・シネマで『リーマントリロジー』を観た。
途中休憩を2回挟む、3時間以上もある作品だけど、この長さが重要だと思った。休憩中に映画館の外に出る体験含め、ものすごくいい時間だった…。回転するガラスボックスのなかで、三人の役者だけでリーマンブラザーズの3世代ぶんの会話劇。昔ロンドンで『バベル』を観たときのことが、やっぱり思い出される。まだまだできることはある…できることはあるのだ…。

おかげで途中休憩で入った喫煙所で、ハラスメントにならないように気をつけながら異性の部下と話をするのは大変だという愚痴っぽい会話が聞こえてきた体験もいい時間になった

男「髪切った?とかって質問も、それが相手に不快感を与える場合があるから、聞けないんですよ」
女「でも相手の子、慕ってくれてる感じじゃないですか?」
男「でもそれは、慕ってくれてるって自分が思ってるだけかもしれないじゃないですか。だから、とにかく自分からは踏み込めません。話しかけてくれたら、答えることはできますけど。性別を意識した発言はできない。同じように接しないといけない。かといって男の部下と同じような体育会系気質なことも言えないし、難しいっすね」

20世紀少年を全巻読み終えて携帯開いたら安倍さんが銃撃されているというニュース、20世紀少年かよ

アトリエの近くにラーメン屋があり、月に1度くらいのペースでたぶん3年以上通い続けているのだが、先日ついに、そこの大将と初めてちゃんと話をした。
この店で僕は毎回必ず「温かいつけ麺」の「醤油味」を頼んでいる。これがうますぎて他を選ぼうという気持ちにならなくて、「ラーメン」も頼んだことがない。記憶しているかぎり、他のものを頼んだことは一度だけ。同じく「温かいつけ麺」の「南蛮味」だけである。つけ麺には、醤油味と南蛮味の二種類あり、南蛮の方をそのとき初めて試したのだ。そしてそれは、自分にはすこし辛かった。その一度以外は全て同じものを頼んでいる。まず、これが前提である。
記念すべきその日はものすごく暑くて、しょっぱいもの食べたい、ああ、そうだあの味が食べたい…となり、つけ麺をキメることにし、アトリエを出た。たぶん、2ヶ月ぶりくらいだった。
店に入ると、お昼どきをすぎていたからか、他に客は一人だけだった。大将はカウンター席に座り、チャーシューをこまかく切る作業をしていた。
大将のカウンター作業はいつみても惚れ惚れしてしまう。大将自身はなかなかごつい見た目である。見知らぬ客に気安く話しかけそうな感じではない。常連と世間話をしているのはよく見かけるけど、その言葉遣いも江戸前というか、発語に覇気がある。ダミ声だし。細かいことは気にしねえ、という感じなのである。しかしカウンターに座っているときの大将は、その風貌からは想像しがたいほど、たいへんにこまやかな動作で几帳面な仕事に没頭している。ミリ単位で仕事をしているところも見たことがある。大袈裟に書いているのではない。ネギを一本、左手で持ちながら、普段はかけないメガネをかけて、包丁の刃元の部分で、ネギの表面を数ミリずつ削っていた。「うそだろ」と僕は思った。この細かすぎるほどの作業が、あの味を作り出しているのかと、心が震えた。
さて、僕が店に入るなり大将はこちらを一瞥し、「らっしゃい」と言って、すぐに目線を手元に戻した。僕は大将からふた席ほど離れたカウンターに座り、ほんの数秒逡巡した。なにしろ暑い。そして、ぼくは(たぶん)人生で初めて「温かいつけ麺」ではないものを頼んだのだ。
「冷たいつけ麺の、醤油をお願いします」
すると大将はにやりとして、こう言った。
「いま、あったかいつけ麺頼むのかなって、考えてたんだよ」
なんと大将は、ぼくがいつも「温かいつけ麺」を頼んでいることを覚えていたのだ。ぼくは天にも舞い上がるような気持ちである。
「いや、今日はちょっと暑いんでね…冷たい方を、試させてください」
「冷たい方も、うまいよ」
大将は厨房に入り、ぼくの前に二種類のつけ麺の出汁を置いた。醤油っぽい黒と、胡麻色のものだった。
「ごまのほう、けっこううまいと思うんだよな」
大将は自信たっぷりだった。そして、それはほんとうにうまかった。
うまいっす、うまいっす。これもうまいっすねえ。僕はもう泣きそうだった。
「うまいよな。やっぱ、自分が好きなもんしか作れねんだよ」
つけ麺の提供を終えると、大将はまたカウンターに座って作業を再開した。だけど、しばらくしてぼくの方に顔を向け
「お仕事は、物書きかなにかやってんですか?」
と聞いてきた。僕はまたもや衝撃を受けた。なんでわかるんだろう。自分の仕事が「物書き」だと言えるかどうかはともかく、さほど外れてはいない。
「こういう商売してるとさ、客の観察するのが好きなんだよ。どんな商売やってるか、とか。で、このあたりは音楽家もよくきてくれるんだけど…たぶん音楽家ではないよな、って思ってたんだよ。かと言って、雑誌のライターでもないだろうなって」
それで「物書き」という推測に至ったという。ぼくは自分の仕事を軽く説明した。そして、よくわかりましたね、と言った。
「ぜんぜん見当がはずれることもあるけどね。好きなんだよ」
大将がぼくの注文を覚えていたことだけで舞い上がっているのに、まさか仕事まで推測されていたとは、生きててよかったと、マジで思った。人は、こんなささやかなことでも自信を取り戻し、生きている意味を見出すことができる、すごい動物なのである。こんな奇跡が一度起こってくれれば、たとえそれが数分の出来事だったとしても、この先どんな困難が待ち構えていようと大丈夫だと思える、すごい動物なのである。
大将はまた「最近暑すぎるよな」という前振りの後で、こうも言った。
「毎日40度超えるような日が続いたら、俺は店休むよ。暑いと客も来ないから」
どうか地球温暖化よ、これ以上進まないでくれと僕は心の中で手を合わせて祈った。

山梨県立リニア見学センターを見学した。まさか実際に500キロで走っているリニアモーターカーが見られるとは思っていなかった。だけど不思議なことに、そのスピードを目の当たりにしてもあまり驚けなかった。たしかにものすごく速いのはわかるのだけど、どうにも現実味に欠けるというか、なにが通り過ぎて行ったということはわかるのだけど、それが「速さ」であるという認識ができないというか。スターウォーズの見すぎで目の感覚がいかれているのもある。

リニアシアターという、リニアに乗ったときの振動やスピード感が体験できる部屋に入って8分位の映像も見た。東京大阪間を最速67分で結び、都市と都市はもっと近くなるでしょう、明るい未来が待っているでしょう、というナレーションなのだが、こちらもまた驚くほどワクワクしない。東京大阪間が短くなるから、だからなに?という感想が漏れてしまう…。
リニアの歴史を表す年表を見てびっくりしたのだけど、このプロジェクトはもう40年以上前から始まっていて、1980年頃には500キロでの走行に成功している。そのころは、スピードを速くすることが絶対的に善いことだったのかもしれないが、いまは、頼むからこれ以上生活のスピードをあげないでくれとしか思えない。完全に過去の遺物。「高さ」と「大きさ」さえあればなんとかなると思っていたピラミッドの時代よろしく、速さをバカみたいに追い求めている。しかし2027年には東京名古屋間が開通予定らしい…。乗る人いるのか…?これに乗る人が殺到するような雰囲気なら、この世界がそんなゲームなら、ちょっとぼくはゲームを降りたい。

まず庭のレモンに蕾がふたつなっていることを発見。歓喜する。しかしそれは一番ほそくかよわい枝の先端についていた。なので明日以降の台風に備え、添木をつくった。レモンの木全体を支える支柱(30mm×40mmの角材)を5本地面に打ち込み、しゅろ縄で枝にしばって固定。さながら耐震補強工事を終えた古い小学校校舎のような見た目になった。
それからコンポストをかき混ぜた。微生物による分解が進んでいるのか、作った当初よりも水位(地位?)が下がっていたので、最初はコンポストの箱に入りきらずビニールに包んで保管しておいた落ち葉の塊を新たに加えた。蠅はそれなりにわいているが、以前よりはだいぶ減っていた。
その後、昨日の内装工事バイトの荷物を車からアトリエの3人でおろした。使い切れなかったクッションフロア・ロールのあまりを、日頃邪魔にならない壁の高い位置に置くための台もつくった。
蒲田の搬出で散らかったままの工具や木材も然るべき場所に戻した。
昼ご飯を食べたあとメールを3通返し、版築レンガの試作に取り掛かった。
夜10時ごろに終え、その版築レンガ試作の日記を2000字書いた。

こんなに働いた日はない。だらだらすごす時間がほとんどなかった。極めてまれな現象である。

幼い頃に「調子にのるな」と言われ続けた呪いがいまだに解けていないように思う。
おそらく、この呪いを受けたのは小学校から中学校のころ。いま思えば小さなクラス内社会の、しかし強力なヒエラルキーの中にどっぷりと浸かっていたとき、この言葉は最も強い呪いだった。体をこわばらせ、思考を奪う力を持っていた。
例えば休み時間に友達と話しているとき。僕自身はそんなに話すのが得意ではなかったのだけど、珍しく気持ちが乗っているようなとき、自分が話していること自体が楽しくなってきて、それに笑顔で答えてくれる友達も少しはいて、このままクラスのみんなを笑わせることができるんじゃないかとすら思えてきて、自分の話に自信が持てている最高潮の瞬間に、この言葉はどこからともなく、主にヒエラルキー上位の男の口から飛んでくる。さっきまで滑らかに動いていた僕の口はかたまって、心臓をぐっと握りつぶされるような恥ずかしさで体がいっぱいになり、僕はごめん、と謝る。調子乗ってたわ〜と、笑顔を作ってごまかす。僕には人を楽しませるような資格はないのだ。すみっこで黙っているほうがよっぽどよかった。変なこと話さなければよかったと、全身が闇に飲み込まれていく感じ。
この言葉は一度言われてしまうと、本当に呪いとして機能する。日々のあらゆる瞬間に、自分はいま調子に乗ってやいないかと、すくなくとも調子に乗っているように見えてはいないかと、自らの言動を厳しく監視する目が生まれてしまう。軽い吃音症になっていた時期があったのも、この影響かと思われる。
あれから20年以上経ち、吃音も治り、30を過ぎた大人になった今でも、この「目」の名残のようなものが僕の中で生きているのを感じる。調子にのってはいけない。調子に乗っていると思われてはいけないと、どこかで思ってしまっている。それは僕に自信を失わせる。いい加減、解けてほしいのだけど。僕はもっともっと調子に乗りたいのだけど。
しかし「調子に乗るな」って、すごい言葉だな。めちゃくちゃだ。「調子に乗ってる」って、良いことじゃないか。「調子いいね」だと褒め言葉なのに、「調子乗ってるね」だと罵倒になる。調子に乗ることの、いったい何が悪いのか。ある意味では怖さの表れなのかもしれない。ヒエラルキー上位の人間による、みんなを横一線に並ばせておきたいという欲望の現れ。自分の劣等感や自信のなさを、他人を黙らせておくことで表出するのを防いでいるのか。(07041953)

髭とBrother Sun Sister Moonが新代田でツーマンライブをやるという衝撃的なニュース。髭。なつかしい。青春の髭・・・大学生のときは須藤寿の髪型を真似したこともあった。そして人生で最初にできた彼女が、二十歳くらいのときに行った髭のワンマンライブで、腕と後頭部がぶつかったことがきっかけで知り合った女の子だったことが、海底から水殿がざぱーんみたいな感じで蘇る。いま思うと最初で最後のナンパだった。当時の僕は4年間の片思いの末の3度目の玉砕をくらったあとで、ほんとうに病気みたいに参っていたので、あいつを断ち切るためにはなんでもやってやるぜという危険な精神状態であり、なんなら前で踊っていた女の子の頭に腕をぶつけにいったように記憶している。ほんとうにごめんなさい。普通に話しかければいいものを、それをする勇気もなく、なにかきっかけがほしかったんだろう。それで腕をぶつけにいくとは、頭がおかしい。許してください。20代前半というのは小さな思考に囚われてとんでもない間違いを犯しやすい年頃とデカルトが言っていた気がする。かんべんしてください。ぼくは鼻の調子が悪くて、ライブが終わったあとにその人にティッシュをもっていないか訊いたのだった。彼女は、あるかもしれないですと言って、小さなポーチからポケットティッシュを出してくれた。なんて優しいんだ。それからどうやって連絡先を交換したのか、次に会ったのはどこで、どうやって仲良くなっていったのかは忘れてしまった。当時はラインもSNSもない。mixiはあったが。だけど僕たちはそれなりに距離を縮め、お付き合いを始めた。しかしおどろくべきことに、名前が思い出せない。ひどい話で、自分はなんてクソ野郎なんだと思うけど、本当に思い出せない。なんだっけ。そんなに長くはなかった気がする。三文字とか、そんくらい。元気だろうか。人とお付き合いをしたことがなかったうえに、ものすごく好きで付き合い始めた相手でもなかったので、どうやって相手のことを思えばいいかも、どうやって親睦を深めればいいかもわからず、すぐに別れてしまったように記憶している。ひどい。ひどすぎる。魂のランクが二段くらいさがるレベルではないか。僕の魂のランクはいまどのくらいなのだろうか。2段下がれば松も梅になる。梅でとどまっていることを願う。カラオケに行ったことは覚えている。写真を撮り、その写真を何度か見返したから。顔も覚えている。でも名前がどうしてもでてこない。一文字もかすらない。どうか元気で生きていてください。

6万円貸していた人がお金を返してくれることになり、いくらだっけ、20万円くらいだっけというので、いや6万円だよ何いってんだよ、と答えたのだが、念のために携帯で過去の振込明細を確認したら22万円貸していた。ブルーハーツかよ。

結婚することは、自分を定義することである。ただし結婚のときに定義しなかった場合、離婚によって自分を定義することになる。

内田さんの友人Tさんが絵画教室を開業するということで、テナントの壁のペンキ塗りと床にクッションフロアを敷く施工の仕事を、アトリエメンバーの田原さんを入れた三人で引き受けた。
二日目の夜。全ての作業が終わり、掃除をしてゴミをまとめ、さっぱりと綺麗になった部屋をみんなでチェックして回っているさい、敷いたばかりのクッションフロアが壁との境界付近で一部欠けているのを発見した。壁と床の境界の隙間に分厚いクッションフロアを差し込むように貼るのは、すこし難しいのだ。傷としては数ミリ単位の小さなものだが、茶色いクッションフロアと壁とのあいだにできた影に浮かぶ白い切れ込みのようなそれは、目立った。
僕は床に道具を広げて座り込み、クッションフロアの余った切れ端を傷の形に合わせてハサミで切り、ボンドで貼って修復する作業を始めた。ちょうどそのタイミングで、工事の完了を確認するために施主であるTさんがやってきた。Tさんはまさにこれから自分の絵画教室の舞台となるテナントに、初めて対面するのである。その喜ばしい瞬間を、我々は完璧な施行で迎えたい。このちいさな傷がTさんの心にささくれを残すような事態は避けたい。
我々は暗黙のうちに団結した。内田さんは、このテナントに上がる階段の下でTさんにゴミの処理についての説明をし、時間を稼いだ。田原さんは部屋にゴミが落ちていないかを再三チェックしつつ、窓から下の様子をうかがって、「そろそろ上がってきそう」と僕に伝えた。僕はギリギリまで修復作業を行った。そして「終わりました」と僕が口にした瞬間、田原さんは僕のまわりに散らばっていた道具や材料を素早く回収し、床をまっさらな状態に戻した。それとほぼ同時にTさんがドアを開けて入ってきた。Tさんは大変感動して、頼んでよかったと言ってくれた。
そこで不思議なことに気がついた。我々は、Tさんが気持ちよく絵画教室を始められるようにという、ただその一心で傷を隠す作業を行なっていた。しかし仮にこれと同じことを時給で働いているだけのバイト先でやったとしたら、それは自分のミスを隠すための利己的な行為になっていただろう。同じことをやっても、その相手が友人であれば「気持ちよく自分の店を始めてもらいたいから」という、優しさに基づいた利他的な行為に変わる。同じ行為が対象によって反対の意味になるのだ。

自分のためか、相手のためかという境目は、あのときどこに浮かんでいたんだろう。はたから見れば、それがどちらのためだろうとやっていることは同じだし、なんなら相手にとっても(この場合はTさんにとっても)、その隠された傷を発見しない限りは利他だろうが利己だろうが見えている景色は変わらない。その境界線は我々のなかにあった。特に話し合ったわけではないけど、あのときの我々は「相手のため」という思いで間違いなく一致していた。

15時9分

NITOの展示の搬出作業中、カルピスを買いに自販機に行った帰り、小さな店舗のシャッターにペンキで書かれた「THE WORLD IS YOURS」という汚い文字に、自分でも驚くほど勇気づけられる。そして自販機から徒歩3分の現場に戻り着いたときには、さっき買ったばかりのカルピスをほとんど飲み干している自分にも驚いた。

 

21時41分

二週間後に友達四人で会う約束があるのに、そのなかの女友達一人とサシで飲んだあとにホテルまで行ってしまい、お互いにシャワーを浴びて、ベッドの上で「やる?」「やらない?」みたいな珍問答を一時間くらい繰り返し、でもお互いにやりたい気持ちがあるのは二人ともわかっているという"キモい"状況で、しかし後で気まずくなってもいやだから「この夜のことは夢ということにしよう」「明日起きたら忘れています」という合意をして結局セックスした、という話を、三人組の大学生らしき男の子たちが露天風呂で、おれのすぐ隣で、それなりに通る声で話している。話を聞いていた残りの二人は「きもい」「きもい」と言いつつ、最後には「羨ましいわあ」と漏らしていた。そのうちの一人は、明日意中の女の子が参加する飲み会があるらしく、二人きりになるにはどうしたらいいか、という会議も始まった。
露天風呂から戻って体を洗い始めたら、隣に太った男が座った。顔や耳を洗う仕草、ボディソープに手を伸ばす挙動、シャワーボタン操作など、すべてのevery single 動作を一般人の1.5倍速くらいでこなしていて、おれはびっくりしてしまった。右耳を洗う指などは目で追うこともできないくらいに速かった。
体の洗い方に関して、人はみなそれぞれガラパゴス諸島みたいなもんである。他の人から注意されたり、なにか正しい洗い方があるわけではない分野なので、人生の長い時間をかけてそれぞれの方法論が確立されていく。結果、銭湯みたいな公共スペースでそれが日の目を浴びた時に他の人が驚いてしまうような独自の進化を遂げる。それはわかってはいるが、しかしここまでのものはなかなか珍しい。男は高速で体を洗い終え、去っていった。おれはこんなことを思った。他人が体を洗う仕草は、同性の友達と温泉に行った際などには見ることができるが、異性のそれはこの先、それがたとえパートナーや夫婦でも、ほとんど見れないまま一生を終えるのではないか。