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何も思い出さなければ灰色のままで輪郭も何もない。沼の中の水みたいに。思い出したときに灰色は混ぜた絵の具の時間が戻るように白と黒になり輪郭をつくる

三鷹scoolでスペースノットブランクの「ささやかなさ」を観た。映画美学校の「ことばの学校」のチラシをもらった。受講しようか考えている。

下高井戸シネマで井筒和幸監督の無頼を観た

家の前の路地で大きなヒキガエルを見つけた。車に轢かれそうだったので、カエルの脇に手を入れるようにして持って前原公園まで運んだ

ノマドランド2回目を立川のシネマシティで観た

5月末でシャルルがつぶれたらしい。つつじヶ丘で飛び抜けて美味しいケーキ屋だった。あのショートケーキとレアチーズケーキが食べられないのは本当に悲しい。トミナガサイクルも閉店したし、山田屋もいま休業中だしつつじヶ丘大丈夫か。もう見聞録くらいしか残っていない。

ノマドランドを静岡のMOVIX清水で見た。エンディングの歌まで含めて体にズシンと響く映画だった。全体的に、主人公の気持ちわかるわあ、と感じるシーンがたくさん。知り合った人から与えられた部屋とベッドが全然落ち着かなかったりするところとか。
この生活には最後のさよならがない。いつも、またどこかで、と言って別れる。そして実際にまた出会う。だから、死んだ息子にも出会える気がする、というセリフ。素晴らしかった。
また詩の中で夏が生き続ける。という言葉。作品の中で老けずに、永遠に輝き続けるという言葉。自分の小説もそう思って書けばいいのだ。書いているときの想像力が全然足りてないじゃないかと思えた。これは大きい。言葉遊びではなくて、想像を先にすること。こまかく頭の中に描くこと。それが大事なのだ。言葉はその後についてくる。人と風景を作品の中に閉じ込めるように書く。
車中泊生活中に見られたのはボーナスだ。

自動販売機で麦茶を買おうと財布から小銭を取り出すときに指の隙間から100円玉が滑り落ちた。ちゃりんと地面に落ちた音は聞こえたのだけど姿を見失ってしまい、下を向いてきょろきょろしていたら、気がつけば小さな子供を抱えた女性が隣に立っている。なにか言っている。僕は奥田民生が流れる耳のイヤフォンを外した。
「すっごいあっちの方に転がっていきましたよ」
と女性の声が聞こえた。右の、食堂のようなスペースの方を指している。そちらでは、割烹着姿のおばちゃんが、腰をかがめて下を見ながらうろうしている。ああ、多分ぼくの小銭を探してくれてるんだなと思った。
「あ、そうですか」
と僕は女性に言って、そちらに歩いた。5秒後、「ありがとうございましたって言えばよかった」と思ったのだけどもう僕数メートル歩いてしまっていて、機会を逃した。女性はこちらを見ていた。割烹着姿のおばちゃんはすぐそこにいて、他の従業員にも「ころころ〜って、こっちの方に来たんだけどなあ」と説明してくれている。僕を含めて四人で地面を凝視するけど見つからない。一人は棚を動かしてくれた。
「ありがとうございます。見つからないので大丈夫です。」
と僕は三人にお礼を言った。
「五百円とか?」
とひとりのおばちゃんが笑いながら言う。
「いや、百円です」
「百円かあ」
「でも大丈夫です。ありがとうございました」
と言って僕はその場を去った。あの百円が見つかるのはいつになるんだろうかと考えている。もう今頃すでに誰かが見つけて拾っているか、年末の大掃除の時とか、それかこの道の駅が潰れて解体されるときに、業者が見つけるか。

車で何時間も走って三重県鈴鹿市の満喫の駐車場に止めて目の前の温泉に入って、いまかつやにいるが、体がまだこの街に受け入れられてない気がする。まだ魂がここに来てないというか。あるいは体のほうが受け入れてないというか。なんとなく居心地が悪い。街の通行人や店員の知らない人が、ものすごく知らない人のような感じがする。移住を生活するの中で敷地を借りて店に入ルノと全然、受け入れられてる感じが違う。この感覚は車ならではかもしれない。

銭湯。おなじところに通うほどにルーティンになっていく。二日目にしてボディソープやシャンプーを持たなくなり、ドライヤーへ向かうときに持つコインの枚数に確信がある。昨日は、少し考えてから10円玉を2枚持った。今日は考えずに持つ。そのうち、ここに来るのに財布を持たなくなり、490円だけ持つようになるのか。

「イメージと正体の落差」の最たるものは、たまごっちかもしれない

ゴールデンウィークに開催される「ストレンジシード静岡」にて《清掃員たち》という作品を発表します。参加できるパフォーマンス作品です。参加者の募集が始まっております!よろしくおねがいします!

詳細は以下から

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeZX6ZeEDhwkUYZIhnQ85yViwhEbh0JKq7039m4It81v5AjmA/viewform

 

先週の土曜日、金沢21世紀美術館から村上に電話がかかってきて、
1.鳥越アズーリという台東区のコミュニティラジオから美術館に電話がかかってきた
2.井筒和幸監督が番組の中で村上さんの新聞記事を紹介し、興味を持っているらしい
3.明日、井筒監督の番組に出演してほしいと言っている。電話番号を伝えて良いか?
 という内容を伝えられた。村上は
「え、井筒さんと話すんですか。すげえな。はい。伝えて大丈夫です」
 と答えて電話を切った。すぐに「鳥越アズーリ」から電話がきた。
「明日の13時からの番組なんですが、電話で出演してもらえませんか」
「はい、いいですよ」
 村上は新作のZINEを作っている真っ最中で、作業をしながら「井筒監督の映画、なんか見とこうかな」と思ったので、Amazonプライムで検索の一番上位に出てきた「ゲロッパ」を見た。はじめは片手間に見ていたが、終わる頃にはすっかり引き込まれ、村上のZINE作りの手は止まっていた。とても面白いと思った。なによりラストのモノマネショーのシーンを通して、ここに本物のJBはいないかもしれない、たしかに猿真似かもしれない、それでもすごいものはできるんだ、という井筒和幸の価値観が見え、感動を覚えた。
 翌日曜日。朝ご飯は食パンと目玉焼きとサラダほうれん草だった。焼いたジャガイモかウインナーも少しあったかもしれない。パンは腹持ちが悪いけど好きなので、週に4、5回の定番メニューになっている。食べてすぐ内田と一緒にアトリエへ向かった。村上がアトリエに着く頃にはもうラジオ番組の件は半ば忘れていたが、内田が「一時からだっけ?」と言ったことで思い出した。自分の部屋に行き、午前中は溜まっていたメールをとにかく返しまくろうと決意し、11通ほどを2時間ほどかけて書いて送った。気がついたときには12時を過ぎていた。「鳥越アズーリ」から電話がかかってきた。
「13時からの番組が始まったら電話をかけますので、お願いします」
 と言われた。空腹を感じたけれど、ご飯を食べている時間はなさそうだなと思ったのでそのまま出演することにした。
 13時になり、村上は「鳥越アズーリ」のウェブサイトを開いた。「鳥越アズーリ」は、コミュニティFM局のようなのだけど、動画のネット中継もしていて、台東区にいなくても番組を見ることができる。「鳥越アズーリ」の内部の人物らしき男と、井筒和幸が画面の中で話していた。「うわーこの人と話すのか。こわいなあ」と村上は思った。
「鳥越アズーリ」から電話がかかってきた。
「まもなくですので、このままお待ちください」
 と言われた。
 井筒和幸はアメリカ版ゴジラについて、アメリカの水爆実験によってゴジラが生まれたという設定が無くなっていることが気に食わないという話をしていた。「魂を売るな!」と何度も声を張り上げていた。ゴジラの話をしばらくしたあと「自分で面白い人を見つけたいと思いましてね」と井筒和幸が言い、村上の出番がきた。
 村上は、井筒和幸から奇人変人扱いされないか心配だった。新聞やテレビに何度か出演し、ひどい扱いをされた経験があった。メディアの人間は自分のことを人間扱いしてくれないと考えていた(民放のテレビ局からは、今でも信じられない内容のオファーがよく来る。村上は全て無視している)。しかし、電話越しに最初に聞こえてきた「井筒です〜」という声を聞いて村上は「あ、この人大丈夫だ」と思った。
 来週には「鳥越アズーリ」のウェブサイトに、放送のアーカイブがアップロードされるはずなので、話した内容については詳しく書かないが、井筒和幸が「こういう若い芸術家が、絶対どこかにいるはずだと思っていた。そしたらいた。新聞で最初見つけた時、1日うきうきしてしまった。村上さんのような芸術家がいてくれた。いてくれただけで、本当に嬉しい」や「ものすごいキャリアですよ」と言ったことに村上はえらく感動し、少し涙目になっていた。やってて良かったと思った。井筒和幸は「映画撮りたいですよ」とまで言ってくれた。村上は、6畳の自室の畳の上をうろうろ歩きながら井筒和幸と30分くらい話した。

 問題はその後におこった。電話を切ったあと、お腹がものすごく減っていることに気がつく。もうぺこぺこだった。電話しているときは空腹など全く感じなかったのに、終わった途端ストーンと底の底まで落ちていく感じ。よほどアドレナリンが出ていたらしい。秒ごとに空腹がひどくなり、辛くなっていき、ご飯を食べないとまずいと思った。アトリエの母屋にいる内田のところへ行くと「おつかれ!」と言ってくれた。内田も携帯で番組を見ていたらしい。ご飯を食べにいこうと提案し、出かけることにした。そう声をかけて、実際にアトリエを出るまでの1、2分が辛かった。もうその頃には空腹は痛みに変わっていた。胃がきりきりとする感じ。背を伸ばして歩くことができず、背中を丸めながら4分ほどふらふらと歩いて(途中横断する甲州街道の信号がちょうど青だったのが心からありがたいと思った)、中華料理屋に入った。とにかく早くお腹に何か入れなくてはと考えての中華だった。内田は「お腹痛いのに食べて大丈夫か」と助言をしたのだけど「いや、とにかく何か入れたい」と言う村上の意思は固かった。二人とも春キャベツ回鍋肉定食を頼み、運ばれるのを待った。待っている間もどんどん胃痛は加速して、村上は店のソファにほとんど倒れるようにして座っていた。胃に穴があいているのかと思うほどだった。
幸いにも春キャベツ回鍋肉定食は数分で来た。村上は、猛烈な胃痛を我慢しながらも冷静に「いきなり肉をたくさん食べてはまずい」と考えた。「まずはスープから」と決意し、中華スープを飲む。次に水、漬物、そしてキャベツを少し、そして白米、という順番で少しずつ食べた。食べても胃痛は一向に治らなかった。村上は、何かがおかしいと感じ始めていた。空腹での痛みなら、お腹に何か入れればすぐに治るはずだ。でも、そうはならない。いくら食べてもお腹が痛い。しかしお腹が減っていることは間違いないので、食べ続けた。慎重に、ゆっくりと時間をかけて食べた。これがのちに村上を救った。
 回鍋肉を1/4ほど食べたころから、様子が急変した。村上は、先ほどまで熱かった手足の先端がいつのまにか冷たくなっていることに気がついた。自分の頭から血が引いていくのを感じた。そして、お腹の中心から脳に向かって吐き気が侵食してくるのを感じた。シーソーがゆっくりと傾くように、吐き気はじっくりじっくり強まり、相対的に胃痛はどこかに飛んで行った。村上は箸を置いて、
「気持ち悪い」
 と言った。
「そりゃそうでしょうよ」
 内田がスープを飲みながら答える。
「トイレ行ってくる」
 と村上が言う。
「大丈夫か・・いってらっしゃい」
 村上が自分と戦っている間にも内田はもりもりと回鍋肉を食べ続け、もうほとんど平らげていた。

 トイレに入り、便座に突っ伏して、口からいつ何が出てきても大丈夫な体勢をとった。酒を飲みすぎたあとの吐き気に似ていた。「コロナのこんなご時世に、店で吐かれたら迷惑だよなあ」と村上は思った。それが吐き気と目眩の中で、頭を絞って考えられる最大限のことだった。
何分そうしていたかわからないが、しばらく経っても口からは何も出てきそうにない。かといって、おさまる気配も一向になかった。村上は、処理能力が大幅に低下した頭で精一杯、「店のトイレは一つしかないから、これ以上自分が籠っていたら不審がられる・・」と考えた。そして思い切って立ち上がった。立ち上がっても大丈夫か確かめようと思った。しかし数秒でうっ・・となり、再び便座に突っ伏した。
 これを何度か繰り返すうちに村上は、吐きそうで意外と吐かない自分がいることに気がついた。「耐えきれるかもしれない」と考えるようになった。再び立ち上がり、思い切ってトイレのドアを開け、席に戻った。内田は当然のように食べ終わっていた。
「大丈夫か」
 と内田が言った。
「大丈夫じゃない。帰ろう」
 と村上は答えた。村上は財布から必要なお金を取り出す能力がもはやなかった。村上の無言の訴えを感じとったのか、内田が一人で会計を済ませた。それから村上は内田の肩を借りて、外へ踏み出した。「このコロナの状況で、路上で吐くわけにはいかない」という強い意志を働かせて歩いた。
ひなたに出ると、世界が異常に眩しいことに気がついた。太陽が当たっているところは全て、シャッタースピードを下げすぎた写真のように白く飛んでしまっていて、かろうじて日陰の部分が認識できた。目の露出補正機能が壊れていた。目を開けていられず、内田の肩に頼った。眩しすぎる世界の中で、吐き気を堪えながら村上は「川内倫子の写真みたいだなあ」と思った。
 実際にアトリエに戻るまでに要したのはせいぜい5分程度だったと思われるが、村上にとっては厳しく長い時間だった。内田がいなければ帰ることはできなかっただろう。
 どうにか自室にたどり着き、畳の上に仰向けに倒れ込み、そのまま寝た。
そして数十分後か数時間後かはわからないが、村上は寒さで目が覚めた。吐き気は治っていた。村上は「お腹を空かせた状態で井筒和幸と話してはいけない」と思った。

アトリエの庭に単管パイプで倉庫を作っているのだけど、作業が面白くない。二人でやっているとまだ楽しいのだけど、一人だと本当にただの作業で、集中が持続しない。僕の活動全体にそういうところがあるかもしれない。というか、美術の制作全般にそういう面があるんじゃないか。アイデアを出したりプランを練ったりするときが最も刺激的で、力が問われるが、その実制作は、地味で面倒な作業になってしまう。その点、文を書くのは違う。書くということが一つの旅であり、行先の見えないところに冒険することで、その刺激的な時間が制作行為そのものと一致する。僕はもしかしたら美術制作に飽きているところがあるのではないか。文を書きたい。ただ文を書くことだけに時間を割きたいという思いが少しずつ強まっている。先日は、早稲田大学の文学系の大学院の学費などを調べていた。すこし、集中してそこに打ち込みたいと思っている。小説を書きたい、文を書く仕事をもっとやりたいという意思が固まりつつある。

ランダムアクセスの魔法は、4月でなくても四月の風を感じるように、ユー・チューブで色々な時代の音楽を聞けるように、過去の評価も高めることもできるし、未来も変えることができる。まるごとアップデートできる。それは作ることができる。それは楽しいことだ。マイナスの出来事をマイナスで終わらせてはいけない。暗黒面に落ちてはいけない。

気のせいかもしれないが電車内で本を読んでいる人がいつもより多い。みんなが新年開始をきっかけに読書でもするかと励んでいるのか?

はっきりとした表情は見えないが細まった目元から、このおばちゃんのマスクの下には笑顔があるんだろう。自分の孫の成長を喜んでいるかのような、とても柔らかい目線。視線を上下に忙しなく動かして右手に持った文庫本の文字を追っている。ここからでは何が書かれているかまでは読み取ることはできないけれど、文は頻繁に改行されていてその頭と尻にはかぎかっこに見えなくもない記号がついているので小説か何かだろうな。あるいはノンフィクションの暴露本とかである可能性もなくはないけれど、こんな菩薩のような表情にはならないだろう。反対側では若い男性が、赤ん坊の寝かし方を図解したページを凝視している。

10月17日に展覧会が21世紀美術館でオープンしてからもう三週間以上経っていることに戦慄している。なんだかずっと、ずーっとばたばたしていた。なんだか働かされている気分だ。自分に。東京や名古屋や甲府からお客さんがきたり、書き物をやったり、東京に数日間行ったり、美術館で人に会って話したり、「テーブルトーク」というイベントをやって展示会場でお客さんやヤマト醤油の山本さんとお話したりしているうちにもう11月11日になってしまった。そして数日以内にはもう美術館から家を出撃させて能登半島で移住を生活する。ここ3日間は美術館の荷解き場で屋根を直す作業をしていた。今年の3月の東京での移住生活で僕の3代目の家の屋根はばらばらになってしまってガムテープとボンドで補強している状態だったので、風が強いであろう能登半島での移動に不安があった。その作業が今日終わった。

終わってすぐに鬼滅の刃の映画を見に言った。全然知らなかったのだけどここ数週間でアニメを見て、ちょっと続きが気になっていたので行ってみた。金沢駅前フォーラスのイオンシネマで。短い時で25分ごとにやっているくらい、ものすごく上映回数が多い。さすが全国的に社会現象になっているだけある。このあいだ行ったスーパー銭湯にあるUFOキャッチャー数台のうち、8割くらいは鬼滅の刃のグッズになっていた。9割かもしれない。とにかくどこを見ても竹を咥えた少女がいる。ラジオの情報によると、全世界の映画館で上映されている全ての作品の観客動員数より、日本国内の鬼滅の刃の観客動員数の方が多いらしい。どうかしているぞ。しかし映画はすごかった。なんかチケット買うのも劇場に入るのも恥ずかしかったけど面白かった。ものすごく社会批判的な作品だと思ったし、でもものすごくポップで楽しめる作品で、最後には大泣きしてしまった。人として立派であるとはどういうことか、をストレートに伝えてくれる。

特に煉獄さんの「俺は炎柱。煉獄杏寿郎」で締め括られる一連の台詞、しびれた。他にも竈門炭治郎の「僕が死んだらこの人は人殺しになってしまう、だから死ぬわけにはいかない」という台詞(なんて台詞だ)など色々突き刺さるものは多かったけど、特にこの煉獄さんのは刺さった。

二年半前の日記に書いた、『花の慶次』の漫画の中で、佐々成政が慶次に追い詰められたときにいう台詞「よかろうこの首を打ち取り、末代までの武功とせよ」を思い出した。彼らは、自分という一人の人間を超えた何かによって動かされていて、それに誇りを持っているのだ。杏寿郎と炭治郎を見てわいちさんのことも思い出した。これはフィクションの話だけど、世の中には自分のことを勘定にいれない、まるで世界には他者しか存在していないかのように振る舞える人が実際にいる。

不思議なのが、一連のものすごくクサイ台詞が何故か心に刺さることで、それはたぶん全編を通してずーっと誰かが何かを喋っている(実際に声に出しているか、心の声かに関わらず)ような映画だからだと思う。ちょっと喋りすぎだけど。最後に炭治郎が逃げる鬼に対して「卑怯者!」と叫びながら話すシーンも、それまでずっと心の声、実際に話してはいない言葉をずーっと聞かされてきたから、このタイミングでこの長い、実際に口から出している言葉が刺さるような準備が、観客側にできている、言葉が刺さるように構成されている。一緒に見た人たち(平日の昼過ぎの回だったせいか全部で10人もいなかったけど)も多分全員泣いていた。

こんにちは。まだ生きております。

10月17日から石川県の金沢21世紀美術館で展覧会(初の美術館個展です)が始まりました。縦横15m×高さ6mの展示室13と周辺の廊下を使って、僕が2014年4月から始めた発泡スチロールの家を背負って移動生活をする「移住を生活する」プロジェクトの中で制作した作品や色々な記録を総動員し、一つの展覧会として結びました。このプロジェクトは「展示」にするのが難しく、今までもずっと機会があるたびに試行錯誤してきましたが、今回は多くの人からの協力にも助けられ、そのなかでも飛び抜けて良いものになっています。来年の3月までやってますので、もしよろしければ金沢への旅行がてら観ていただけると幸いです(同時期にやっているボレマンス/マンダースの展覧会も最高にかっこいいです)。よろしくお願いします。

会期中、お客さんも混ざって色々な話をするテーブルトークや、ゲストを招いてのトークイベント、落ち葉の温床作りワークショップなどを計画しています。詳細決まり次第美術館のウェブサイトやこのサイトでもお知らせいたします。

デザインは阿部航太さん。

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村上慧 移住を生活する

2020年10月17日(土) – 2021年3月7日(日)

期間:2020年10月17日(土) 〜2021年3月7日(日)
10:00〜18:00(金・土は20:00まで 1/2、3は17:00まで)
会場:金沢21世紀美術館 展示室13、交流ゾーン、広場
休場日:月曜日(ただし11月23日、1月11日は開場)、11月24日(火)、12月29日(火)〜1日(金) 、1月12日(火)
料金:無料
お問い合わせ詳細:金沢21世紀美術館 TEL 076-220-2800
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イベント:テーブルトーク

以下の日程で、展覧会場で5名ほど(先着順)でお話しするイベントを予定しています。参加希望の方は「村上慧 移住を生活する」会場(展示室13)へ直接お越しください。時間は決まり次第お知らせします。14時くらいかと。

12月19日(土)14:00~15:30

116日(土)14:00~15:30

3月6日(土)14:00~15:30

3月7日(日)14:00~15:30

☆テーブルトークスペシャル☆

1月30日(土) 14:00~15:30 ゲスト:川瀬慈さん(映像人類学者)

2月13日(土) 14:00~15:30 ゲスト:辻琢磨さん(建築家)

会場にて、1/30に映像人類学者の川瀬慈さんと、2/13に建築家の辻琢磨さんを招いてのトークイベントを行います。密にならないように気をまわしつつ・・。参加希望者は「村上慧 移住を生活する」会場(展示室13)へ直接お越しください。(1月23日現在。最近の金沢21世紀美術館は基本的に閑散としております)

https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=25&d=1945

朝10時半新宿発の京王線。帽子に眼鏡の女性が電車に乗り込もうとしてホームとの隙間に片足を入れてすとんと落ちてしまった。「大丈夫ですか!」とホームにいたおばちゃんが声をかけた。その声が大きくて車内に座っているみんながそっちを見る。女性はすぐに起き上がったけれど、線路になにか落としたらしい。多分靴。電車内にいた男性が外に出て「そこに駅員さんいるんで呼んできます」みたいなことをおそらく言って、右に駆けていった。女性は電車とホームの隙間を覗き込んでいる。携帯は持っているのでやっぱり靴が落ちだんだろう。駅員さんがやってきて「すいません、電車でちゃうんで、電車出てからになります」と女性にいう。声が車内まで聞こえる。いつのまにかおばちゃんも男性もいなくなっている。女性が一呼吸おいて「電車乗らないといけないんですけど」と言い始めた。僕はびっくりしてしまった。駅員さんは「それはちょっとお客様の方で・・」みたいなことを言っていたが聞き取れない。女性はおそらく駅員さんに特に返事をせず、左に歩き出した。開いたドアからちらっと見えた左足が靴下だった。女性は自分が落ちた場所の目の前のドアから入って目立つことを避けたのか二つ左のドアから左足が靴下のまま乗車した。わからない。靴を片方犠牲にまでしてこの32分発準特急に乗らなくてはいけない理由とは・・・。

僕は千歳烏山で乗り換えのために降りたのだけど、その女性は降りずに、靴下だけの左足を右足の後ろにまわして座ったまま携帯をいじりながら八王子方面に運ばれて行った・・・。

匿名の恥ずかしさ。僕は匿名でSNSなどであらゆる物事に対して意見を述べたりすることは、恥ずかしくてできないと感じる。その前段階でものすごくは大きなブレーキがある。

美術制作は現代のオーディエンスだけを相手にしているわけではない、という事実が作者を苦しませることがある。その事実がエキュスキューズというか、保険のように働いてしまう。

家にテレビがないので、銭湯はテレビを見る良い機会だなということを銭湯に来ると毎度思う。アトリエの近所にあるスーパー銭湯は誕生日と前後1日は無料で入れるということで今日来て、「新型コロナウイルス対策のため、入場を制限しています。サウナマットが敷かれているところ以外は利用できませんのでご了承ください」みたいなことが書かれているドアを開けてサウナに入って、腰をおろしたら斜め右上にテレビがあり、久々だなと思って見たら俳優の人が一人、大麻所持で捕まったみたいな心底どうでも良いことを全国に向けて放送していて、なんだか一瞬で絶望的な気持ちになって5秒も座らないうちに立ち上がって出た。

露天風呂で同じ湯船に茶髪の若い男性が座ってまして、その人が周りを結構見る人だった。たまにいる感じの人。

昨日焼肉を食べてからくしゃみが出なくなった。

今日も肉を意識的に食べているが、出ていない。

以前働いていたアイリッシュパブ。「売り上げマイナス80パー。10月の契約更新で殆どのバイトいなくなるんじゃないか」