04251442
作品素材を買うためにホームセンターに行ったら、何人か、普段ホームセンターではみないような、春に似合う洒落た服をきて、綺麗な色合いのバッグを肩から下げた、若い女性の一人客がいて、もしかしたら、外出する予定がないから、ちょっとした買い物にも服に気を使っているのか。こういうお出かけ先があるのは、みんなにとって良かったなと思った。
04210206
小さい頃の記憶、祖父がテレビのリモコンを握っていてNHKから他の局にはチャンネルを変えられなかった家庭の空気感がいつから変わったのか考えてみたら、父親と祖父とのちょっとした口論の記憶にあたった。確か、僕がなにかおもちゃのようなもので遊んでいるときに弟がそれを取り、取り合いになり、喧嘩になっただけど、父の「先に遊んでた方に権利がある」という主張と、祖父の「お兄さんなんだから譲るべきだ」という主張がぶつかった。あの価値観のぶつかり。あれは時代の移り変わりが端的に表れていたかもしれん。
04191654
COCK ROACHの4枚目のアルバムMother。ひさびさにこのバンドを聞いて、歌詞を追いながら聞いてたら気がついたらアルバムが終わっているみたいな体験の懐かしさ。特に二曲目のMotherが凄い
生き死にを繰り返し
辿り着いた街の
真ん中に聳え立つ
巨大なる母神像は
総てを閉じ込めた
蒼く澄んだ瞳
これがこのアルバムを表してるようだった。生き死にの繰り返しというのは、COCK ROACHを聞いてきて感じたことだった。死を歌った1枚目と、生きる欲望を歌った2枚目と、命を歌った3枚目、そして「母」について歌ったこの4枚目。
04060153
芸術が生活に必要かみたいな質問は、ドリアンは生活に必要かとか、秋刀魚は生活に必要かとか、マグロは生活に必要だけどサバは必要ではないとか、そういうことを考えるのと同じくらい意味がない。
04011305
数日前東京に大雪が降った日は桜も満開で、雪と桜といったらCOCK ROACHの赤道歩行だろうと思って久々に聞いてグッときて、それ以来よく聞いているのだけどさっき彼らのことを調べたらなんと昨年秋に再結成していて、4枚目のフルアルバムを出していた。すぐ調べたがどこで買えるのかわからなくて、applemusicにはもちろんないし、タワレコとかアマゾンのサイトを見ても売ってなくて、一瞬困ったが彼らのウェブサイトに行ったら直取引の通販のみでCDを販売していた。あんまり買えないCDを足と電話で探してどうにか買っていた高校時代を思い出した。受注生産で希望者は誰でも買えるとのことだったけれど、今年の11月には一旦生産を中止するらしい。速攻で注文した。こんなに躊躇なく買い物をしたのは久しぶりだ。3000円だったけど、なんて安いんだと思った。こんなに安くていいのかと。彼らの新作だったら3万円でも買いたい。
03311807
新型コロナウイルスの影響で自粛要請という謎のワードが連呼され、仕事がなくなっている友人達がたくさんいるけど、仕事がなくても家賃は払わないといけない。なぜ仕事がないのに家賃を払わないといけないのか。家賃を払う以外のお金の動きが止まってしまっているのだから、家賃を払うことも止めないと辻褄が合わなくなる。こういう時に税金を投入するべきだと思うのは普通のことだと思うのだけど。これだと国がお金の動きを止めていることになるんじゃないか。
03242333
二人の友人をラインで花見に誘ったところ「今は人が集まるところは嫌だ!」という返事を一言目に返されて面食らった。人が集まらないところでやればいいんじゃない?とは言えない空気だった。威圧感さえあった。普段から顔を合わせて話してる友達なら、人が集まらないところ、とか、外でやるとか、歩きながら飲む、とか、そういう話が自然とできるんだけど、ラインやネット上ではそういう話の仕方ができない距離感の友人がいて、そういう人との距離が今回の騒動でよくわかるようになった。これは僕がSNSをやっていて嫌だったことに通じる。メールやネット上でやりとりすることの方が、顔を合わせて会うことよりも多い友達(というか今の時代、そういう友達の方が多いと思うんだけど)が何か明らかに間違ったことを拡散していたり、賛同しかねることを言ってたり、過剰になっているところを見たくない(見たら言いたくなってしまうし、顔も合わせずに言ったらぎくしゃくしてしまうから)という嫌さに似ている。「まあとりあえず一旦会って話そうや」みたいなことを普段はネット上のやりとりでも言えるのに、この新型ウイルス騒動で、いわば変性意識状態みたいになってしまった友人たちとの距離が遠くなってしまった。面白いのは「移住を生活する」をやっているときはこういうことが特に気にならなかったことだ。
03242250
ニュースニュースって言うけど「ニュース」ってなんだ。nowと同じでギリシャ語で新芽を意味するnéosが語源らしいので、基本的には新しいことという意味なのだろうけど、オリンピックのニュースを見てると、新しく起こったことというよりも、話題にしてほしいことをニュースとしている感が強い気がする。オリンピックがニュースになるのはいわば消去法の結果に過ぎなくて、多くの人が興味を持ち“そうな“ものが他にないから取り上げているだけで、それは「ニュース」という言葉の意味の逆をいっている。本当はほとんどの人は「本当の興味」なんてないんじゃないか。オリンピックのことなんて、「ニュース」で言わなくなったら誰も話題にしなくなるんじゃないか?興味もないし特に楽しみでもない人も、ずっと「ニュース」でやってるのを見ているうちに、オリンピックが楽しみになってしまうという刷り込みがあちこちで起こっているけど、それは「ニュース」ではない。ニュースに接するときにはそのことを考える必要があるな。
















