165×115(mm)
ラミネート紙にマッキー、コピック/ラミネート加工
2012/11/22
「あなたから3番目の話 練習1」
120×160(mm)
ラミネート紙にマッキー、コピック/ラミネート加工
2012/11/20
art itの「連載 田中功起 質問する 7-6:片岡真実さんから3」
http://www.art-it.asia/u/admin_columns/TH0tOK4LpPr1fkQDhW7J/
というところを読んでいて、キュレーターの片岡真実さんが"均衡"という言葉を使っていました。
「均衡」について
僕はいつも作品をつくったり、アクションを起こす時に"主体を複数化したい"という欲求があることに最近気がつきました。それはどうしてなのか、考えてみたら、それはもしかしたら1つの理由として
僕は小学生の頃、寝る前に布団で、自分が死んだときのことをイメージしていたら、(いま生きているという実感も、いまどこにいるという認識も、自分がなにものであるという意識も全部なくなって、永遠の暗闇のような"無"の中に放り出される感覚)その事実に耐えきれなくなって「死ぬのがこわい」と母親に泣きついたことがあります。最初にこれをやったときの恐怖は、いまでも覚えています。
そして死ぬときのことをイメージするのは、いまでもときどきやっています。
それをすると「生きている自分」というものが相対化され、「いま生きている、これからも生きていくという意志」につながってくるから。ともするとだらけてしまいそうになる自分を、相対化するために「死」に対抗しうる唯一の手段としての「生」を、「生者としての自分」を「死者としての自分」と"均衡させる"ような感覚です。
それがもしかしたら、相対化とか、相対化をもっと推し進めた"複数化"というかたちにつながってくるんじゃないかなと思った。暴論かもしれないけども。
“生"を複数化させるには、"死"を提出することに加えて、他の「"生"たち」と相対させないといけないような、それがお互いに均衡しあうような。そんな感覚。
先日アトレ吉祥寺でやった作品「家主リレー」のpart8の映像を公開します。
これは「テラトテラ祭り」の参加企画として行われました。ぜひ観てください。
セラの「行為」と「もの」の関係
と
リクリットの
「人間」と「人間」の関係と、加えて、横浜トリエンナーレ08の「demo station」のような「時間」の扱い方
が、「家主リレー」に影響として表れている。ように思う
あと、最近みたいくつかの演劇と
もちろん10月24日の記事に書いたような、伊勢神宮の式年遷宮が基底のような気がするけれど。そんなことがあるかもしれないなあというメモ
チョコバナナパフェを食べながら、メロンソーダを飲みたいです。
こういう"喫茶店アイテム"的なもののリアリティというか、共通認識っていつから定着したのだろう。
日本的なもの。とか、わたしたちのリアリティ。とか
昨日地点の「光のない。」を観て、「わたしたち」とは誰かを考え直さなくちゃいけないなと思った。
“アート"とは、西洋で生まれた1つのジャンルで、言ってしまえばヨーロッパの人達の「私達が世界の中心であり、価値基準である」というような態度のもとに普及しているものです。これまではそう思っていました。
これに対抗したのがスーパーフラットという運動だったと認識しています。村上隆さんは、「もう欧州中心の世界ではない」という言説を唱えるのも、結局ヨーロッパの人達であるという事実。結局世界はある一定の方向に進歩しているもので、その最先端に居るのが私達であるという、結局ヨーロッパが世界の中心である、という考えから離れられない、救いようのない病的な体質に対しての怒りを、「私達日本人は、彼らからしたら人間扱いされていない、怪物である。怪物であるが故の表現者であるということを提示する」という衝動がスーパーフラットであったと思っています。
それは、"彼ら"のアートワールドの中に自らを投げ入れて戦う方法。そうして"西洋の美術の文脈に日本的なカルチャーを投げ入れることによって、ヨーロッパの美術を(逆説的に)相対化する"というやりかた。
それは例えば、日本の相撲界にモンゴルやらロシアやらの力士がたくさん入ってきて、彼らが国内で(時に日本人以上に)力を発揮する。というようなこと、を狙ってのこと。のような気がします。
そうして生まれたものは「わたしたち日本人のリアリティ」ではないかもしれませんが、1つの存在証明のかたちであったような気がします。
あと、他に、うまく言えませんが「そこから逃げる」ような態度が考えられるかなあと思います。それは、"わたしたち日本人には、わたしたちにとってのリアリティがあればよいのだ"という考え方。純粋に"面白いもの"を探していけば良いのだ、という態度。そこまで振り切ってしまうと、それまでの歴史によってその存在が担保されて、ここまで発達して来た"美術"に対しての背信行為のような気もしていまって、僕はどうにもそこに振り切る事ができません。あと、それはひとつの引きこもりのような態度にも見えてしまっていました。
それは例えばモンゴルとかで、相撲から発展したような"なんらかの競技"が生まれたとして、それをモンゴル国内でどんどんレベルを高め合っていくような。感じですか。ちょっと違うかな。考えてみれば、わざわざ"相撲"というルールに乗っ取って、日本の中に飛び込んで戦うようなことはしなくても良いのではないか。とも思います。"そこに迷いがでてきてしまったのであれば"
でも、昨年、地震があって、津波がきて、原発の事故が起きてしまって、放射能という、見えない不安がまき散らされてしまったこの世界において、そもそも"わたしたち"って誰なのか。ジャンルとか国籍とか、そんな区分けとは無関係にあちこち飛び回る"見えない不安"が現実の世界に表れてしまった以後の、この世界において"わたしたち"とは誰を指せば良いのか。それが分からなくなってしまったというか、"わたし"とか"あなた"とかっていう区分け自体、最初から存在しなかったんじゃないか、と思いました。
もしかしたら、これから先何か1つのものが"わたしたち日本人としてのリアリティ"として提示されるなんてことはないのかもしれません。例えば宇川直弘さんとか、坂口恭平さんがやっていることは、いわゆる西洋発祥のアートワールドとしての"美術"の範囲には収まらないかもしれないし、"わたしたち日本人にとってのリアリティ"とは言い切れないけれども、とても面白いと思うし、新しいと思うし、歴史に対して目をつぶっているような態度にも見えない。それは、彼ら本人のキャラクターによるところが大きいと思いますが。
うん
オーストリアの作家イエリネクが昨年の東日本大震災をうけて、書き下ろした戯曲を地点が演出した「光のない。」を観てきました。池袋芸術劇場。
凄まじい衝撃をくらってしまいました。いま見終わってから3時間半経っているのですが、まだ頭の体勢が崩れていて、うまく感想を書けるか分からないのですがやってみます。
まず、席について、ちょっと「おかしいぞ」とおもったのが、舞台の幕が、鉄みたいな重い質感をしていて、あれはなんだ。と思い、その時はあんまり気に留めなかったのですが。。これは後で書きます。
基本的に5人の役者(うち2人はダイビングスーツを来てヒレを付けてぺたぺた歩いてる)が身振りと言葉で劇を進めていきます。なにか筋道のたったストーリーがあるわけではありません。
「わたしたちー」という呼びかけから舞台は始まりました。「みなさーん」と呼びかけるかのように。「わたしたち−」と。もうこの瞬間から、ほぼ終幕まで鳥肌がたちっぱなしでした。
そこで、この演目で大切なテーマの1つは「当事者性」とか「主体」「客体」ということだと。わたしはあなたであり、あなたたちはわたしである。
放射能は目に見えないもので、耳にも聞こえないもので、味もしないし、匂いもしないけど、わたしたちはそれに"時間"を奪われてしまいました。とおい未来まで、ながい時間を奪われてしまいました。"その瞬間"から、わたしたちの過去も、現在も未来も、何か違う世界に連れて行かれてしまいました。
この放射能の問題は、いま、言ってしまえば"ホット"な話題であり、下手に扱うととんでもなくシラけたものになってしまう危険があると思うのですが、扱わずにいるのも難しいというか、かなりジレンマがあると思うし、そもそも「これはこういう問題である」と1から10まで認識するのも不可能なことだと思います。それを舞台に"あげてみせた"という感じがしました。
いや「あげられてしまった」と言う方が正しいかもしれません。そして「迷うことを迷わない」という意志を感じました。
全編にわたって、アクセントをズラされた言葉と、傾いた舞台と、ダイビングスーツとで演出された舞台は、「宙に浮いている」ようでした。そこでは、敵とか味方とか正義とか悪とか、"あなた"と"わたし"の区分けもなく、何があるか強いて言うと"時間(音楽)"と"運動"だけが現前して、舞台にたっていた5人の役者は、もはや"人間"ではなく、ではそれは"放射能"だったのかあるいは"他者性そのもの"だったのか、わかりませんが、ただあれは間違いなく、"人間"ではなく、最後の方なんか特に。「あれはなんだ」と目をこらしてみてしまうほどに。役者と、舞台と、演出と、戯曲と、音楽が、もはや奇跡的に舞台上で結晶していて、演劇が可能な表現の射程距離の広さを見せつけられた、というか。
そして最後、ものすごい空気が高まって最高に気持ちの良いときに、ゆっくりと幕が(気がついたら半分くらい降りていた、という感じに、静かに、でも容赦なく)おりて、舞台は終わります。あとで調べたら、このカーテンは、鉄製の防火シャッターだったのです。
僕と言う観客にとって、もはや"希望"にも見え始めた、舞台上の輝く(綺麗な光が満ちて、本当に輝いていました)"世界"が、防火シャッターによって隔たれてしまい、会場は真っ暗になり、人々の声(歌)がしばらく余韻のように響き、閉幕します。
凄まじい体験をしてしまった、という感じです。なんというか、デザインの力に頼りすぎず(例えばチェルフィッチュは、舞台上の空間を"デザインする"ような作風だと思います)、演出によって役者の個性が奪われてしまうようなこともなく、"奇跡的な"作品(あるいは"奇跡的に成り立っていると見せるような")だった。そんな気がします。
ああ、すごかったー。
アトリエの前に転がっていた缶に「収集できません」のシールが貼ってあった。たまたまゴミ収集場所に転がって来ただけで、こんな結果になるのか!と思いました。
このあいだ、F/Tの
「たった一人の中庭」/ジャン・ミシェル・ブリュイエール
を観てきました。もともとフランスで敢行されたものを東京用にすこしつくりかえて持ってきたもののようです。ヨーロッパにたくさんあるけどマスメディアからは"ないものとされがちな"「移民キャンプ」を再現しているような展示/パフォーマンスです。
まず、ものすごいお金がかかったことが予想される大規模な展示でした。あと、「移民」や「強制送還」というキーワードがたくさんでてきました。もともと"アクティビスト"であったという作家の思想的な背景がよく反映されていました。
とても新鮮な経験でした。いま僕が住んでるこの国の表現は、この場合でいう移民キャンプや、中国でいうと天安門事件や共産主義に対するシニカルな視点なんちゃら、のような、とりあげるべき大きなテーマを正面から扱うことをあまりしない(というかできない?)ような状態にあると思います。そんなテーマ見当たらないのかもしれないけど、3月11日の震災以降も、それを語ること自体も、なんていうか「日々」みたいなものに回収されてしまっているように感じていた僕の目には、この作品はとても新鮮に映りました。
この作品は、社会問題をかなり正面から扱うことからスタートしていました。そして、それがその社会問題の枠を超えて、リアリティに訴えかけて来ました。たとえば、移民キャンプで黒人の生活を管理している(役を演じている)人達が来ている白衣が、最初の瞬間「防護服」に見えてしまいました。それに気付いてから、この作品は、移民キャンプを一義的に扱っているのではなく、おおきくこの社会というか、人の営みを捉えようとしているのだと思いました。
「明らかに社会問題ですよ」みたいな題材で、ある種の「弱者」に属している人たちのことを"使って"、このように"表現"するのは、いかがなものかという疑念も沸きました。
この作家は、アクティビズムと芸術について、インタビューでこんなふうに言っています。
ア ク テ ィ ビ ス ト は 、『 何 も し な い と い う こ と を 拒 絶 す る 』 目的 に達 す る た め に 行 動 し ま す 。ま た ア ク テ ィ ビ ズ ム に お い て は 、終 わ り な き 行 為 、 行為そのものの本質的価値が重要であり、それ以上の目的 はありませ ん。アクティビズムはこうした観点からすればすでに成功した行 為の 総体なのです。問いと結果の乖離によって、アクティビズムを的確に 区 別することができるでしょう。もしも、ある行為が具体的な目的を 持 っ て い た ら 、そ れ は ア ク テ ィ ビ ズ ム で は あ り ま せ ん 。 例 えば シリア の 反 体 制 派 を アクティビスト と 見 なす 人 はいないでしょ う。彼らは、独裁者 を退け自由を取り戻すという、極めて明確な目的 のために行動しているので す。彼らは目的に到達するまで絶え間ない 危険に身をさらしながら行動しま すが、彼らはアクティビストではあ りません。
一方、今年のアヴィニョン演劇祭では、アサド大統領の独裁と 犯罪に対す る抗議のために何人かの演劇関係者が集合しました。感 動的な告発文を作成 した者もいれば、それにいち早く署名した者も いました。そのうち最も栄養 状態の良い 4、5 人は、炎天下のもとハン ガ ー ス ト ラ イ キ を し て プ ー チ ン や イ ラ ン 、中 国 に 対 し て の 嘆 願 を 行 な い ました。こうした行為が 具体的な結果に結びつく確率は遥かにゼロ以下 で し ょ う が 、誰 が そ ん な こ と を 気 に す る で し ょ う か ? 芸 術 は 、終 わ り な き 手 段 、ま さ に そ の も の で す 。 芸 術 に は 終 わ り が な く、芸 術 をするということ 以 外 の 目 的 はありません
これを読んで、「"結局のところ芸術はお金持ちの道楽だ"という見方をされてしまう事から逃れられないな」と思いました。これを考えはじめると、いつも落ち込む一方になってしまうのですが。アーティストは、世界を変えるために活動するけど、世界が本当に変わってしまう事は望まない、何か目的をもった途端に芸術ではなくなってしまう、という矛盾の中で活動しなきゃいけない、と思います。
そして美術の役割は、僕達の社会やあなたという個人をなんとか相対化する。相対化する事で多様性を認め(同時に相対化した対象を批判して)ていく。ということだと思いました。
あと今日、AI KOWADAギャラリーに丹羽良徳さんの個展「時代の反対語が可能性」を観に行きました。
映像作品「首相官邸前から富士山山頂までデモ行進する」がものすごい良かったです。鳥肌がたちました。夜、風の強い富士山の山道を、「反原発」と書かれた赤い旗をもってもくもくと歩く丹羽さんの後姿は、同時に僕自身や、官邸前でデモ行進している人達の後姿でもあるように思えました。
あと映像の編集と見せ方が良くて、参考になりました。
僕がいま生きてる社会は、社会そのものにとって必要な役割がたくさんあって、その役割を人が交代して務めつづけることによって存続すると、ふと思いました。コンビニのバイト店員とか総理大臣とかアイドルとかもそうかも。もちろん新たな役割を作る人もいるかもしれないけど。僕たちの社会を存続させるために僕たちは日々予定をこなしてると思うと、やるせない気持ちになったり。
社会を存続させる、というか、例えば東京から熊本まで2時間で移動するためだったり、コンビニで24時間レッドブルを買えるようにするために、時間を割いて働いて、日々の予定をこなして年老いていく僕たちのこんな生活を相対化するためのリレーです。
来年は伊勢神宮の式年遷宮があります。式年遷宮は20年おきに全ての社殿を新しく建て直すものです。そうやって、建築の技術が後の世代に受け継がれていきます。「保存するために壊す」儀式です。
この話を知ったとき、歴史を繋げるためにモノを残すのではなくモノを壊す姿勢にえらく感銘をうけました
「家主リレー」の仕組みは、半分はこの式年遷宮から発想しました。成立するためには人がバトンタッチしないといけない作品です。リレーがとまると作品は崩れます。だからたくさんの人に来てもらいたいのです。。
来てくれた方同士が交代することで成立する「家主リレー
10月27日(土)、28日(日)に吉祥寺駅ビル「アト
皆様何卒ご来場の程よろしくお願い致します。
日時:10月27日(土)、28日(日)12:00〜2
テラトテラ:http://teratotera.jp/
村上慧:1988年東京生まれ。武蔵野美術大学造形学部
人間が交流した記録を、映像やパフォーマンス、立体作品
主なプロジェクトとして、発泡スチロール製の家を担いで
http://
Date/Time: October 27th,(sat) 28th(sun) 12:00〜22:00
Place: 1-1-24″Hanabi No Ma" first floor of “Kichijoji Atre"
Minamicho Kichijoji Musashino-shi Tokyo Japan
No reservation needed, please attend anytime you wish.
event page of Atre:
http://www.atre.co.jp/
teratotera:
http://teratotera.jp/
Satoshi Murakami: Born in 1988. exhibiting the records of communications in between people in form of films, performances and 3 dimentions. His main works are : “Life of moving and settlement(temporary)" (2011) in which he carries a house made of styrofoam and lives inside of it for several weeks by changing the place to stay, or project “Batsukamachi" (2012) in which a group of artists build houses for each and immigrate there for several months.
http://www.atre.co.jp/
www.atre.co.jp
「やってきたことをまとめてみる」が終わってませんが、新潟から帰って来て2週間くらいがたってしまいました。
イベントとてんらんかいのお知らせです
☆10月21日に、僕もメンバーに入ってるシェアアトリエ空鼠にて
「×日町に滞在した③ヶ月を⑥時間の映像で振り返りながらできるだけ多くのことを喋る⑦時間 」
というイベントをやります。7時間もあります
http://soranezu.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html
☆10月27、28日に吉祥寺駅ビル「アトレ吉祥寺」の「はなびの広場」にて「家主リレー」という作品をやります。中央線沿線で行われているアートプロジェクト「テラトテラ祭り」の一環として行います。
以下詳細
日時:10月27(土)、28日(日)12:00〜22:00
場所:アトレ吉祥寺一階「はなびの広場」
※予約などは不要です。ご都合のつく時間にいらしてください。
これは、来てくれたお客さんがそこに居ることによって、成立する作品です。皆様何卒ご来場の程よろしくお願い致します。友人知人にもひろめてもらえると嬉しいです。お願いします。
アトレのイベントページhttp://www.atre.co.jp/admin/oshirase/pdf/14_event201210.pdf
テラトテラのページhttp://teratotera.jp/event/fes2012kichijoji_art/
よろしくお願いします!
×日町って一体なんだったのか。
まず僕がチラシに書いた「×日町について」という文章をここに引用してみる。
『田舎を訪れたときに電車に乗って外を見ていると、とんでもない山奥に家が並んでいたりして、こんなところにも生活があるんだなと感心することがあります。
この国にはいろんな土地があって、いたるところに人が住んでいます。そして、各地にはそれぞれに受け継がれてきた土地の雰囲気とか、ルールがあるのだと思います。
去年の震災のあと、僕のまわりで人が引っ越したという話をよく聞きました。テレビのニュースでも、たくさんの人が移住しているというニュースをよく見ます。
それぞれの引越し先で、人と出会ったり、それまでの生活とのギャップを感じたりするのだと思います。そして引っ越した人達と、それを受け入れる人達とが影響を与え合いながら、お互いに歩み寄っていくのだと思います。(中略)
そんな折に、新潟県十日町で新しくオープンする特別養護老人ホームで、芸術祭に合わせてなにか企画をやってくれないか、というお話を頂きました。
老人ホームとは、僕たち若者(!)にとっては全く未知の世界です。
移住して、新しいルールの中に入っていき、影響を与え合うこと。この機会を活かして、それを形にしてみたいと思いました。
そこで僕たちは、3ヶ月ほど移住してみることにしました。
ただし部屋を借りて引っ越すのではなく、自分たちが住む家から作って、住むことにしました。人が越してきたということを分かりやすく見せるためです。
これは僕達自らが移住者となり、十日町の特別養護老人ホームのそばで生活し、地域と関わっていく過程を記述しながら、6人のメンバーがそれぞれの方法で制作発表を行っていくプロジェクトです。』
ちょっとテキトーに簡単にして説明してみるとこれは「人が移住し、そこに馴染む過程で相互に与えあう影響を記録しながら、作品を制作していくというプロジェクト」で、一番大切なのは「地域」と「特別養護老人ホーム」の間に「×日町」が出現するということ。
×日町は 期間限定で出現して、複数の人が「地域」と「老人ホーム」の間に住むところ。
期間限定なので、「それまではなかった」→「それが出現し、しばらく存在した」→「それがなくなった」という段階がある。そこで生まれるのは「対比」であって、「相対化」だ。「地域」と「老人ホーム」と「僕達」の、相対関係がそこで生まれる。そこで生まれる一番大事なものは「生活形態の相対化」。
とここまで書いたところで、ちょっと頭がからまってきたので、いったんやめます。また明日以降に書きます。。ちょっと上の話は飛躍しすぎたかも。
村上
僕が大学3年生くらいのとき、それまで受けて来た建築学科での授業や「建築」の考え方や、まわりの人達に対する違和感に我慢できなくなって、現代美術のジャンルを借りて作品をつくろうとしたり、いろいろと文章を書きはじめた時期があった。
作品をつくろうとしたときの、最初のモチベーションは「これまでに一度でも、ちゃんと"他人と話せた"ことがあったか」ということだった。
いままで「なんでこういう表現をしているの?」という質問受けるたびに「僕は"人と話すのが苦手"で、「どうやったら人とコミュニケーションが取れるかを考えてみた」みたいな(ちょっと適当な)答えをしてきたけど、それは正確にはすこし違う。僕は、たぶん小学生くらいのときから「いままで"ちゃんと人と話せた"事がない」という感覚があった。僕は人と話していて、自分が話すタイミングの時に、「もっと良い言葉があるんじゃないか」とか「明日になったら事情が変わってるんじゃないか」とかいろいろ考えてしまって、テンポよく話すことができなくて相手をイライラさせることが多々あって、いつも「今回もちゃんと話せなかった」とか「あのときこう言っておけば良かった」とか、細かい事で後悔する事が、ものすごくたくさんあった。一日に何回も。
それで「自分は人と話すのが苦手」って、自分自身で思い込んでしまった部分がある。
そこから「他人と"ちゃんと話す"にはどうしたらいいのか」って考えはじめた。僕は、他人と最初に話す時に相手が「自分より社会的身分が高い人か」「どんな友人と付き合っているのか」「~のリテラシーがありそうかどうか」みたいなことを意識せずにはいられないことに気がついた。そして、そのせいで言葉が詰まってうまく話ができないことに気がついた。
というか、僕達という主体は誰しもが、生まれて、成長して、今に至るまでに、交流する相手を(無意識も含めて)選択してきていると思うし、自分が所属していて心地よいクラスタを選んでいると思う。
そうやってそれぞれの主体(人)は自分が所属するクラスタの中で仕事や友人をみつけて、生きていくのだと思う。国が違ったり、文化が違ったり言語が違っても同じだと思う。そうやって人にはそれぞれの仕事に伴う社会的な責任が伴ってきて、その口から出る言葉は、その主体の完全オリジナルのものではなくて、いろんなしがらみや、責任や人生や文化の背景から出てくるものだと思う。
(ちょっと話が逸れるけど、僕達は人と相対して話すとき「相手を選ぶ」ということを絶対にする。相手を見て言葉や話題を選ぶ。でも例えば「ツイッター」は、相対した相手に発言するものではないから、話題や、選ぶ言葉に"その人らしさ"みたいなものがでやすい。ここにツイッターの面白さがあるような気がする)
そんなことを考えてるうちに、「それぞれの社会的背景や責任は全部どっかにおいといて、フラットな関係でみんなと話す場」ができないかと考えはじめた。それで
・「知らない人飲み会」/2009年:知らない人だけで一晩飲み明かす会。これは"オフ会"とか"合コン"とは違って、夜に10人くらいで集まるんだけど、全員が、自分以外の9人が全員初対面という状況で朝まで飲む、という、かなり無茶な飲み会。
・「自分の事は棚に上げて、翌日には全部忘れる飲み会」:僕は「こいつにこう言いたい」と思った時に「自分はどうなんだ」と考えてしまい、それで発言がストップしてしまうので、この場限りでは、みんな自分の事は棚にあげて、何かを批判したり、悪口を言うことを積極的にやっていこうという飲み会。
等を企画したのだけど、どれもうまくいかなかった。なぜなら、どちらも「居酒屋」で行ったから。居酒屋にいったら、そのお店の雰囲気にみんな包まれてしまうし、「居酒屋で出やすい話題」という"話題のヒエラルキー"もあって、うまくいかなかった。(あと「知らない人飲み会」は、人がうまく集まらず「2人1組が4~5組」という状態になってしまった。だからこれはもう一回やってみたいと思ってる。「表現」として。)
既存の空間でやると、そこの雰囲気に少なからず影響してしまうので、「人が集まる場所」からつくらないといけないと思った。そこでやったのが2010年の松戸アートラインプロジェクトの中で行った「松戸家」という作品だった。
http://satoshimurakami.net/project/松戸家/
これは1ヶ月間、僕自身が滞在しながら"持ち寄り形式の鍋"を朝から晩まで行うというもの。ここでは僕はホストのような役割で、新しく来たお客さんに既に居たお客さんのことを紹介したり、みんなに鍋をよそったりする係だった。
初対面の人が集まって、鍋を食べながらお互いの自己紹介をする場面を何度も見ているうちに「これは良い場になった!」と思った。日が経つにつれて常連さんができて、普段の生活では話すことのない人同士が、松戸家で何度も再会して近況報告をしたりするのを見ているのも楽しかった。
これをやっているころに"フェスティバルトーキョー"の「パブリックドメイン」という演劇を観た。
それは広場に集められた観客にヘッドフォンが渡されて、そこから「あなたは東京生まれですか?そうなら、"右"に5歩進んでください」という個人向けの質問がいくつも出されて、観客がグループ分けされて、最終的に演出家のつくったシナリオの中に組み込まれていくという"演劇"で、体験して衝撃を受けた。
その演出家Roger Bernatがインタビューで「劇場とは、そのコミュニティがお互いの関係性について意識的になる場」と話していた。
僕は彼が、「松戸家」でやりたかったことと事と同じような事を言っていると思った。それは「自分は人からどう見られ、自分は人のことをどう見ている」のかを見つめなおすということで、"社会の中の自分の立ち位置を自覚するための場"ということだと思った。
「社会の中の自分の立ち位置を自覚する場」ということはつまり、「同じ質問をされた時の自分の答えと、みんなの答えの違い」とか「見ず知らずの人と同じ環境に置かれた時に、切り出す話題の違い」「振る舞いの違い」などを自覚する場を演出するということだと思った。
その演出をするために、松戸家で大切だったポイントは『"村上慧"という、外から来た人間によって(半ば無責任に)用意された場である』ということ。
つまりこれは、松戸のコミュニティに属していない村上慧という人間だから成立した作品だった。
ちょっと話が飛ぶけど、現代美術家のイリヤ・カバコフは蝿の研究をしていて、蝿の生態を作品にしたりしている。カバコフが蝿に興味を持つのは「汚いものにも綺麗なものにも平等に停まるから」。つまり、僕達人間にとって例えば「食べ物」と「糞」は「綺麗で大切なもの」と「汚くて不要なもの」だけど、蝿にとっては「食べ物」も「糞」も同じように視界に移るし、同じように停まる。そうやって人間の社会システムの様々な階層を突き破って縦横無尽に飛び回る蝿という生き物に対してとっても興味があるらしい。
僕は松戸家を経て「僕自身が、この"カバコフの蝿"のような存在であらなければ」と思った。「ある種、誰にとっても外部の存在」であって「誰にとってもパブリックな存在」であらなければと思った。
そんなことを考えて次のプロジェクト作品「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」をやった。(ここまでにいくつか作品はあるのだけど割愛する)
http://satoshimurakami.net/video/
この生活の記録は映像作品になっているのだけど、その編集で大切にしたことは「僕自身の物語にするのではなくて、僕を通して、僕が関わった人たちの物語を垣間見るような映像にすること」だった。それはつまり、僕が関わったそれぞれの人たち(主体たち)の個人的な物語を、他のみんなの物語とおなじ土台に並べて眺める映像にするということ。僕が家を移動させて生活したのは、僕自身が"カバコフの蝿"のような存在(あるいは各地を訪ね歩いていろいろな土地の物語を語り歩いた琵琶法師のような存在)になるためだった。
このころの作品にもうひとつ「部屋のめがね」というのがある。
http://satoshimurakami.net/artworks/部屋のめがねシリーズ/
(関係ないけど、このシリーズの新作を7月に一個、かなり良いやつを作ったのだけど、それは写真を撮影する前に売れてしまって、見せられないのが悔しい。いま見ると、ここに載ってる作品はどれもちょっと、「もうちょっとやれよ」って思ってしまいますw。そんな感じです)
これはいろんな人の部屋を模型にして、それに眼鏡の眼鏡の柄を付けて「その部屋の窓から外の景色を見るようにする眼鏡」だ。これも上に書いた「自分は人からどう見られ、自分は人のことをどう見ているのか」をモノでやってみた作品だった。
そんなこんなを経て、またこのあとにいくつか作品をやったのだけど、それは割愛して、「×日町」について書いてみる。
と思ったのだけど遅くなってしまったので続きはまた明日書きます。
×日町に関しては、アーティストの松下徹さんから×日町の感想を聞いたのが助けになって、考えを言語化することができました。トーリーさんに感謝致します。
×日町のポイントはやっぱり"カバコフの蝿"と、そして"ある生活形態を相対化させる"こと。
8月5日にキナーレに行って観てきた作品について書いてみたいと思います。
今は×日町についてと、メンバーの紹介、「余っていたら譲ってください」リスト等がはってあります。フライパンと食器を募集中なのでどなたか譲ってください。。かわりに、僕達から素敵なグッズをプレゼント致します。
×日町日誌より抜粋
いよいよ竣工式までの日が迫って来ました。とても楽しいプログラムになっていると思います。ぜひお誘い合わせの上、ご参加ください。簡単な飲み物、食べ物、お酒も用意しております。差し入れ歓迎です。
『竣工式のお知らせ』
プログラム:
7月28日(土)
・朝の部
10:30〜11:00 竣工式式典(挨拶・ライブペインティングパフォーマンス等)
11:00〜12:00くらい 直会(懇親会)
・昼の部
12:00〜18:00 展示(×日町の6つの家で展示を行います)
・夜の部
18:00〜19:30 ×日町祭(サマーパーティ・盆踊り等)
場所:×日町(まほろばの里川治 駐車場)
お問い合わせ:村上慧(08030221778)
今日は自分の家のドアをつけて、天助の雨漏りの穴を塞いで、屋根に絵を描いておりました。屋根の絵は完成したらのせます。
こちらに越して来て一ヶ月近く、いよいよ、いよいよです。
みんな結構疲れがたまっていまして、その"元気のない感じ"が、まほろばの里の職員さんにも伝わっていることを痛感する出来事がありました。
移住して来て、毎日思うことや起こった事を記録して、編集してインターネット上に乗っけているだけでいろんな反響があります。
「毎日日記を書く」という仕事を自分に与えると、日々を「ネタにできるものや、考えるトリガーを探す」目で過ごすことになります。そして、語られていないだけの物語達が、いつもそこら中に転がっていることに気がついてきます。
先日の打ち合わせで書記を橋本君が担当していたのですが、to doリストをつくってみんなの見える所に貼ろうという話のときに彼が
「『"to doリスト"をつくる』って書いた方がいいかな?」と言っていました。
その後
「そのまえに『"to doリストをつくる"って書く』って書かないとダメだなあ」と言っていました。
もちろん冗談ですが、仮に本当にその理屈でいくと、ずーっと「to doリスト」はつくれず終いだし、ましてto doリストに書かれた項目をする日など永遠に来ません。
to doリストを本当につくるには、必ずどこかで頭に入れて覚えないといけません。
ことをおこすには、記憶→記憶のプロセスじゃなくて記録→記憶のプロセスの方が大事です。
そして「なにかをやる」とか「なにかをやった」という"記録"だけ残ってもしょうがなくて、どこかで記憶に刻まれることによって、はじめてその"何か"に命が宿るのだと思います。"記録"は色あせるし、それだけ残っても仕方の無いものだけど、"記憶"は、人が語るかぎり、永遠に受け継がれていくものだと思います。
このプロジェクトで皆がやっている「日記を書く」「ブログを書く」という行為は、日々の編集と、それを表現することです。そうやって日々たまっていく表現は、ただ「どこかに保存しておきたい」思い出がたくさんつまった箱をつくりたいのではなくて、この記録→記憶のプロセスを促しつづけることを狙っています。
要するに何が言いたいかというと、みんなの記憶に強く刻まれるような竣工式を行いたいと思っているので、よろしくお願いします。
その他にも、いろいろとありますが、とにかく、竣工式ではぶっとばしていこうと思っていますのでよろしくお願いします。
毎日、1人で音楽を聞いて散歩する時間をとっています。ほんの数十分間ですが、この時間が、自分が今置かれている環境を、俯瞰して眺めるチャンスをくれます。
音楽の構造に憧れています。銀河くんは夜、ひっそりとギターを弾いています。かっこいいです。
村上
僕は一日銀河君の手伝いをしていました。
ちょっと×日町制作にあたる僕たちメンバーの雰囲気について書いてみたいと思います。
僕はこの×日町づくりに、浅草で体験したお祭りと似た雰囲気を感じてます。
http://satoshimurakami.net/未分類/869/
上の記事にも書いてましたが、お祭りは"全体が全体としてぬるっと進んでいく感じ"。
今回の僕達には、実質リーダーがいません。作業工程を誰かが仕切っていくわけでもなく、全体の意思決定をするための"会議"というものがそっちゅうあるわけでもないです。どこに誰の家を作るというのも、最初に全部決まっていたわけでもありません。小山と村上が最初に場所を決めて、そのあとに島田と阿部が決めて、最後に橋本と銀河が決めました。
そしてそれぞれが、自分の家は今の場所がベストだと考えていると思います。
僕や、多分他のみんなも、×日町づくりにあたって意識していることは
・自分1人でできることを、あえて人に振ってみる
・掃除とか生活とかをあえて(なのか?)完璧にこなさないようにして他者の入る余地をつくっていく
・あまり先のことまで考えすぎないようにして予想外の出来事を積極的に引き起こしていこうとする
・基本的にぜんぶ受け入れる
みたいなことです。ここに書いていいのかわかりませんが書いてみました。
これは、浅草で参加したお祭で見た"みんなから慕われている人"の態度を見ていて思ったものと似ています。
大げさで、ちょっと恥ずかしい言い方ですが、いま×日町をつくっていて、6人と、それに積極的に関わってくれている人達ひとりひとりは、なんというか"輝いている"と思います。
それぞれが、何かにしばられつつ、自由になりつつ、1人の人であろうとしている。
さて、銀河くんの家はお昼の時点でここまでできました。
屋根の上に登れます。気持ちよい!
ほらー気持ちよさそうでしょ
銀河君は、トラックの運転が板についてきました!かっこいいです。
僕は軽トラックに乗っていると、奈良県で出会った庭師のおっちゃんを思い出して、たばこのECHOを吸いたくなります。
夜。まどをつけるところまで行きました!
作業終了後。共用スペースをみんなで掃除しました。
一人残らず掃除に参加していました。
むらかみ
昨日、テレビの収録に行ってきました。とっても面白かったです。
8月4日深夜2時50分〜3時50分のフジテレビで放送される「アーホ」という番組に出ます。若手の作家を千原ジュニアさん、しょこたん、未術手帳編集長の岩渕さんのMC+ゲスト数名で紹介する番組です。僕は「部屋の眼鏡」の新作と「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」についての話をしました。
僕は普段「バラエティ番組ってしょうもない内容ばっかりだよなあ」と思っているクチなのですが、この日、13時間近くの収録を当事者として体験して、ジュニアさんやその他タレントのみなさんの頭の回転の早さ、MCとしてのスキル、制作スタッフのみなさんの気配り、「良いもの」をつくりたいという思い。など、いろいろと見させてもらい、大変刺激的でした。
最後、全ての収録が終わってからの「お疲れさまでした!」という挨拶がとっても気持ちよかったです。参加してよかったなあと思いました。
よかったら見てください。
村上です。今日は日曜日です。
午前中は、制作お休みの時間にしようということで、×日町のメンバー6人で大林宣彦監督が新潟県の長岡を舞台にして撮った映画「この空の花」を、長岡の映画館まで行って観てきました。
長岡の花火大会が観光誘致のためではなくて、長岡空襲の慰霊のためのイベントだということ("全ての爆弾を花火に換える"というコンセプトがある)と、(毎年曜日の関係なく8月2、3日に行われる。)東日本大震災が起こったことを受けて、事実にもとづきながら、長岡を訪れた女性記者の目線で脚本が作られていました。
3時間近くある映画で、全体の感想としては、すさまじい台詞の洪水と大量のテロップ。映像が過去を飛びまくって、違う時代の人物や物語が、何の前置きも無しにどんどん挿入されてくる映像。監督の、映像に対する情熱。ものすごかったです。
「まだ戦争には間に合いますか」という台詞が印象的でした。
まだ戦争には間に合いますか という言葉には、”まだ戦争は続いていることに気がつきました。今からでも参加できますか?”という読み方と"いまからでも戦争を起こすことはできますか?"という読み方ができると思います。
日本は敗戦国であって、敗戦後、戦勝国の真似事を理由も無く続けてきた。と、映像の中で言われていました。
原子力発電所や、資本主義や、もっというと個人主義という考え方や、美術と呼ばれているものも、戦勝国からの借り物でしかない、という"気持ち悪い感じ"は僕の中にもずっとありました。
戦争に勝った国が"正義"であって、戦争に勝った国が"平和"になれるのだと思うと、戦争に負けてしまったから原発事故が起こったのかもしれない、と考えてしまいました。
しかし、僕は日本人として生まれて来てしまいました。
怒りとも、悲しみともつかない、強くやるせないような、複雑な気持ちになりました。
僕はビルヴィオラや、デミアンハーストが作る作品をかっこいいと思ってしまいます。でも、自分は敗戦国の日本人であり、"美術"は戦勝国からのコピーでしかないのかもしれない、とも思います。これを考えはじめると、とても苦しいです。なぜ日本人なんかに生まれてきてしまったんだ、とも思います。
今の僕の薄皮一枚の下に、僕が本当はそうあるべきだった、別の姿が隠れているのかもしれません。
この映画をみて、
『戦争には負けてしまったけど、まだ戦争は続いていて、まだ、僕の薄皮一枚の下へと向かう戦争には、まだ間に合うのだ』と、そう考えることにしました。
映画を観た後、マクドナルドでお昼ご飯を食べました。フライドポテトも食べました。長岡のマクドナルドのフライドポテトです。
かつてジャガイモは、長岡の供出品だったそうです。供出とは、戦争のために、国民が貴金属などの大切なものを差し出すことです。水害で畑の野菜がほとんどダメになってしまったときでも、ジャガイモは取れて、それを「お国のために」と喜んで供出したそうです。そんな長岡のマックのフライドポテトを食べました。
長岡のマックは、日曜日のお昼ということもあって、とてもたくさんの人が居ました。注文するのに5分くらい並びました。たぶん、多くの人はフライドポテトを食べたと思います。長岡のマックのフライドポテトは、東京のそれと味は変わりませんでした。だからなんだという感じですが。。
懐かしくて恥ずかしい
嬉しいけど不安
昼に絶望する
悲しいけど満たされている
生まれた感情と、それを言葉にしたときに生まれてしまう感情。感情の持続時間
それはそうかもしれないし、それはそうじゃないかもしれない
断定はできるけど確信は持てない
居ても困るし居なくても困る
違和感
・
5月の浅草は、週末どこかしらでお祭をやっています。
それで僕も先々週末は三社祭、先週末は石浜神社例大祭に参加しました。
僕が住んでいる町会は三社祭の対象範囲(というものがあるらしい)ではなかったので、別の町会に混ざって参加したので、朝から晩まで神輿だけ担いで帰ったような感じでした。
対して先週の石浜神社の方は、住んでいる町会が直接関わってるお祭りなので、どっぷりと参加できました。
町会内で青年部とか婦人部とか役員とか、いろいろとグループ分けがされていて、青年部は神輿を担いだり人を集めたり、準備・進行・撤収全般の担当で、婦人部は期間中のお料理やお酒やおつまみの用意に奔走していました。「役員」と呼ばれている人達の役割がいまいち掴めませんでしたが。。
そして、それらのグループに参加する条件はただひとつで「みんなと顔なじみになる」という事です。
お祭りに参加するということは、地域社会の一員になりきるということです。祭の三日間は、日頃営んでいるそれぞれの日常を抜け出して、「守られてきた地域のルール」に縛られながらそれぞれが役割をこなす、というスイッチにみんなが切り替わります。そこで、自分は1人の人間であって、それ以上でもそれ以下でもないということを痛感しました。
最初はそれが辛かったのですが、終わってみると「どうしようもなく1人の人間であるということ」を強烈に実感できた三日間だったなと思います。それは、参加した一人一人みんなが輝く日々でした。
飲み会の席で、若造の僕たちに「きみたちはただ座ってるだけじゃだめだぞ(他のテーブルに挨拶まわれ)!」というおじさんもいれば、他のテーブルに挨拶してまわっている僕たちに対して「いいよ!自分のとこ戻れよ!気にすんなよ!」と、別のテーブルから叫んでくるおじさんもいました。みんながみんな、愛をもって接してくれているのを感じました。
「守られてきた地域のルール」に縛られながらそれぞれが役割をこなすというのは、個人主義とはかけ離れた雰囲気です。「全体の雰囲気を読みながら、全体が進行していく」という雰囲気です。
そのせいか、時間の区切り方が「ぬるっ」としてました。期間は三日間だと書きましたが、このあいだに僕たちがやった事は、極端に言うと「神輿を担ぐこと」と「神輿を担いだ後に休憩したり、挨拶したりする」の二つしかありません。神輿は一日3〜4回担ぎますが、一回40分〜1時間くらいです。なので、待ち時間がとても長くなります。僕はその時間を気持ち悪く感じてしまったのですが、この祭はもう千何百年もこの雰囲気でやっているのだと思うと、気持ち悪く感じる自分、大丈夫かな、と思ってしまいます。
何時何分から〜をやるらしいから、何分に集合ねー。
みたいな約束は有効じゃないことが多いです。時間ではなくて、「誰々が来た」とか「人が集まって来た」とかっていう雰囲気で、プログラムが進行します。「全体の雰囲気を読みながら、全体が進行していく」と書きましたが、「"個"がどうでもよくなってしまって、全体にぬるっと吸収される感じ」です。
また、お神輿は「神様と人間関係と重力の美学」です。お神輿の渡行(とぎょう:担いで歩く事)に参加するということも、「"個"がどうでもよくなってしまって、全体にぬるっと吸収される感じ」です。足並がそろわないと前後の人を妨害してしまうし、身長が高い人は屈まないといけないし、低い人は、肩に何かはさんで担いでいました。みんなに合わせて声も出さないといけません。これは強烈な体験です。
こんな雰囲気が嫌だったり、細かいルールに従うのを嫌って、お祭りに参加しない人もいるのだと思います。
また、参加したくても参加の仕方が分からない人もいました。
最近できたばかりのマンションの5階に住んでいるという夫婦は
「祭やってるなんて知りませんでした。私達も毎月家賃と一緒に"町会費"というのを払っているのに。。この祭にはどうやったら参加できるんですか?」
と話していました。これは町会の広報や人の集め方の問題だと思います。また、"マンション"という住まいの問題なのだと思います。
顔なじみが世代交代しながら祭を運営していく以上、どうしても、地域の人の輪は閉じてしまいがちなのだと思います。地上から離されたマンション住まいの人はなおさら、地域に入っていくのは難しいです。仲立ちする人が必要です。
むらかみ