大きな家の目の前には、小さな家がないと、大きな家は大きくあれないし、速く動くもののそばには、停まっているものがないと、その速さはわからないように、本当はないはずの客観性とか、本当はないはずの安心とか、本当はないはずの悪の定義とか、当たり前すぎて分りにくくなってしまった過剰な需要と供給とか、そういうものが、そういうひとつのものに過ぎないということを見せるには、それらをなんとか相対化して、複数のうちの1つにしてしまう方法を探すしかないのだ。制度を脱臼する方法をいくら探しても、それは終わりのないゲームみたいなもので、実は表面的な取り組みに過ぎないのだ。坂口恭平さんや、宇川直宏さんがやっていることは、ジャンルを抹消して、個人のレベルまで落とし込んでしまうことだと思う。宇川さんの取り組みをみると、それは鏡のように、宇川さんでない人たちの取り組みを教えてくれると思うのだ。それは、「宇川 vs 宇川以外の人類全部」みたいに、この世界をとても大きく相対化していると思うし、これほど攻撃的なことはないなあと思う。

隅田川まで歩いていくと、僕の家がある台東区側にはビニールシートでできた家が並んでいて、そこにすむおじさん達は、アルミ缶を集めたりして生活している。川の反対墨田区側には、首都高速が通っていて、そこを走っている車が、台東区側からはよく見える。大体いつ見ても(中でも夜は特に)ほとんどがトラックで、いろんなものを、いろんな運搬業者が運んでいる様子がよくわかる。高速の向こう側にはアサヒビールのビルがある。墨田区側の川のほとりからみたら、台東区側のビニールハウスの家が並んでいるようすがよく分かるだろうと思う。ここの景色は、川を挟んでお互いを相対化している。でも、高速道路を走っている車からは、まずこちらがわのビニールハウスは認識できないだろうと思う。彼らはものを運ぶのに夢中で、景色を見るにはあまりにも速く走りすぎているから。とまっている側からは、動いている人達がとてもよく見える。100kmで走っている4トントラックの対岸に、まちで拾ったアルミ缶を集めたビニール袋を管理しているおじさん達がいるのだ。でもどちらも、それぞれの事情を抱えて、たぶん精一杯生きているのだ。

昨年のおわりごろ、桜橋中学校という近所の学校の美術部の子たちと一緒に、ブロック塀に壁画を描くという機会があった。そこでは、スプレーによる「落書き」が中学校の印象を悪くしているとして、創立十周年記念の一行事として、ちょっとした縁で、僕(とあと女の子二人)と美術部の子たちが壁画を描くということになったのだ。僕達は中学校の塀に、北斎の浮世絵をペンキで大きく模写したりした。「落書き」が「壁画」になったというわけらしい。その塀は隅田川沿いのランニングコースに面していて、コースの反対側の壁にはスプレーで描かれた誰かのサインがたくさんある。そのスプレーの壁と、北斎の壁がランニングコースを挟んで向かい合っているという構図である。ここでも相対化がなされている。言ってしまえば、これはどちらも「落書き」だし、「壁画」だと思うのだ。スプレーでグラフィティを描いている人達は、彼らなりの切実さからそうしているし、中学校のほうも、地域のイメージアップという切実な目標があってそうしている。どちらかを「だめ」とか簡単に言えない。

僕は何かを「だめ」と決めつけるのがひどく苦手だ。自分のことを棚に上げて言ってみると、美大生はもっと自分の作品を、多くの色んな種類の人の目に耐えうるかどうか、歳月に耐え得るかどうかをもっと切実に考えて作品を作った方が良いんじゃないかと、卒業制作展後のゴミの山をみて思ったのだけれど、彼らはそもそもそれを望んでいないのだったら、「わたしがんばった!おいしいもの食べたいー」とか言うんだったら、それはそれで良いと思うし、僕もみんなと一緒においしいものを食べにいきたいと思うのだけど。それを批判できたら、それとおなじように世の中のいろんなアレをアレできたら、もっと楽なのかもしれないなあ。どこにも行き場がない怒りとかもやもやを、「おまえこのやろう!」という感じでぶっ放したいのだけど「でも、事情があるんだよなあ」とか思ったり「がんばったんだよ!」と言われると、「ああ、よかったなあ。おいしいもの食べにいこう」という感じになってしまうのだなあ。

チャールズ・ブコウスキーは、2時間を活かすために、10時間は潰さなくちゃいけない。用心しなければいけないのは、全ての時間を潰してはならないということだ。と書いていた。ちょうど21年と5ヶ月前の、このくらいの時間に。

彼は50歳を過ぎてから作家業に専念し始めた。それまで、日本でいうところドヤ街の日雇い労働者のような生活をしたり、郵便局で働いたりしていた。その歳月は、彼にとってとても苦しい時間だったけれど、彼は、自分が苦しい状況に居るということに対してとっても自覚的だった。そしてその歳月が、彼が作家になると覚悟を決めたときに「たわごとでお茶を濁してはならない」ということを教えてくれたと書いている。

僕は、誰かに何かを伝えるためとかではなく、自分を救済するために作品をつくりはじめたのだった。ちょっと忘れていたなあ。さいきん、再びそのことに気付くことができた。自分を救済できないことは、たぶん死ぬことよりも辛い。美術は表面的な実践だと思う。それを使って、地域に産業を根付かせようとしたりするのは、無理があるし、無責任だと思う。そのことを再び確認する事が出来た。

いま、ある地域に、ある種のお祭りを定着させようと頑張っている一人のアーティストを知っている。ある地域での日常を研究して、それを俯瞰するような、別の営みをその地域に定着させる作風を売りにしているアーティストも知っている。それはそれで勝手にやってくれればいいと思うけれど、それは表面的実践に過ぎないということを、当人は自覚しているのかな。それを忘れてしまったら、その地域に住んでいる人間が、素材として使われているだけのようで、なんだかなあ、と思う。もちろん、アーティストはある意味で詐欺師でなければいけないとも思うから、自分の価値を自分でつくっていかなくちゃいけない人種だと思うから、別に構わないのだけど。。

このあいだ武蔵野美術大学の卒業修了制作展に行った。そこで百瀬文さんという人の作品が結構話題になっていた。僕も観た。それは、とても「よく出来ていた」。時間を区切って、ちゃんと最初から最後まで見せる展示方法も考えられていたし、作品のアイデアもシンプルで分りやすかった。(アイデアが先にあったんだろうな、という感じもしたけれど)。そして、観た後にそれまでと世界が違って観えるような気さえした。でも、それでも、なんだか「嫌みな感じ」が拭え切れなかった。(僕と歳も近いせいもあって)作家への嫉妬心とかもあったのかもしれない。でも、それを考えても、なんだか素直に絶賛できないところがあった。たぶんそれは、ある意味で「よく出来すぎていた」からで、さっきの話を持ってくると、作家が「自分を救済するためにつくられたもの」というよりは「作品を置く」ということに執着した結果生まれたものだからかもしれない、と思った。

まあいいや。今日は高松から来たなタ書(古本屋)のキキさんと、香川出身のふじさわさんと、中塚と飲んできた。ふじさわさんの家で。

あいかわらず、どこまでが本当の話でどこからが作られた話なのかほとんど分らない、ちょっと天才的なキキさんの話法は健在だったけれど、僕が前に会ったときと比べると、今日はキキさんの話を「よく聞いて観察することができた」気がする。観察しようと思えば、どんな人が相手でもできる。そのとき、自分のアタマがちゃんと冷えていたらのはなしだけれど。

路地裏とかで、なんかわけのわからないイカれたおっさんにナイフで脅されたりしたら、観察とかできる自信はない。

あと、今日うちのアトリエにみかんがたくさん届いた。吉原神社の吉原さんが届けてくれたものらしい。僕もいまそれを食べながらパソコンに向かっている。

同居人の阿部君が

「このみかん、くそうまい」と言っていた。漢字で書くと「糞美味い」だ。糞うまい。

そして阿部君は、小山君に向かって

「みかんの面白いむきかたやってる人知ってるー?」

と言う。その「みかんの面白いむき方やってる人」を、インターネットで調べて小山君に見せている。それを見て2人は笑っている。

僕はそれを聞いて「なんてこった!」と思う。

あと今日、建築現場の資材運びのバイトを募集していた会社から電話がかかってくる。

電話口の彼女は「まだ仕事さがしてる?」と聞いてくる。タメ口であった。

僕は「はい。一ヶ月くらいの短期ですけど」と言う。

「一ヶ月でどれくらい入れる?」と彼女

「7〜10日くらいなら」と答える。

「いま、現場がきびしいところだから、経験者じゃないと使い物にならないんだよね〜。現場はいったことある?」

「あります」

「石膏ボード何枚持てる?」と彼女。

(おお!「石膏ボードを何枚もてるか」が、その世界ではその人の力量を表すのか!と、ちょっと新鮮な発見をした気持ちに。)

「石膏ボード3、4枚くらい持てないと、ダメかもねえ」と彼女。

「3、4枚くらいなら持てると思いますけど。。うーん。ちょっと考えさせてください〜」という感じで電話を切る。

こういう感じの一日。僕はいま、「さかい珈琲」のショップカード作成依頼のサブワーク「吉原神社にたてる看板作成」という仕事に取りかかりはじめている。明日から五日間くらいは、それに集中しようと思っている。ただし、26日になんだか面白そうな対談企画の打ち合わせひとつ、27日には英検の試験監督のバイトがあるのだ。これは、今月末にいく、ここ数年の僕に取っての唯一と言ってもいい娯楽「大学の友達との乗鞍山小屋一泊ツアー」のお金を稼ぐために。僕はなんだかんだ今月は10万円くらい収入があったのだけれど、3万2千円は二ヶ月分の奨学金返済に、2万3千円は先月のクレジットカード利用の引き落としに、2万5千円は今月の家賃に消えてしまうのだ。なんでこんなにお金がかかるんだ。そのうえ情けないことに、現在はまだ健康保険と携帯電話の利用代金は、親のお世話になったままだし、国民年金とかは一切払ってない。。空鼠を出るタイミングで、こんな情けない生活ともオサラバしなければいけない。もっと一人で生きていかなくてはいけない。僕はもっと、自分を追い込まなきゃいけないのだ。くそうまい蜜柑を食べて寝る。

(日付と時間をタイトルにした文章は、自分を鎮めるために書いています)

あまりにもお金がない。お金がない状態が続きすぎている。

今日の晩ご飯は「米のみ レシピ」で調べてみた。すると、仲間達がたくさんいることがわかった。みんな米と調味料しかない状態で、素敵なご飯を作っていた。感動した。

「ちょっと相談してみるか」と思って、今日の昼、山谷の労働センターに行ってみた。労働センターは山谷のドヤ街の真ん中にあって、そこには朝早く行くと、たくさんの日雇い労働者達が列をなして仕事をもらいにきているところである。僕は昼間に行ったのだけれど、それでも労働センターに近づいていくうちに、路上で立ち話しているおじさんや、道ばたに座り込んでいるおじさん、道路にチューハイ缶と共に倒れているおじさんなんかがたくさんいて、覚悟はしていたけど、かなり特殊な雰囲気のところだった。

僕は事前に「労働センターの3階にいって名前等を登録すれば、"利用者カード"なるものを手に入れ、日雇い労働者の仲間入りができる」というところまで調べていたのだが、情けない事に、労働センターの中まで入る勇気がなかった。外から眺めるだけで精一杯であった。あまりにもアウェイだった。

情けないという気持ちだったが、同時に「僕にはまだここで働く資格がないような気がする」とも思った。かれらおじさんたちは、もう人生をかけて日雇い労働をしている。彼らからしたら「他に方法がない」のだ。僕は、そうでもない。山谷に来たのは、半分は好奇心だ。そんな人間が、ここで働いて言い訳がない。もちろんこれは言い訳だ。どうしようもない人間だ。

本当にどうしようもない。今朝一日が始まるのが憂鬱だった。ここ最近毎日そうだ。僕はなにがやりたいのだ。

今日は、あるプロジェクトのプランをもう一度練り直し、模型を作り、写真を撮って、ディレクターにメールを送ったらこんな時間になってしまった。といっても、起きるのが遅すぎるのだ。僕は10時か11時くらいに起きた。

起きるのが遅いと言えば、今日同居人の小山はさっき起きて来た。0時すぎくらいに起きてきたのだ。今日の朝に眠ったとかそういう理由じゃない。彼はたぶん16時間以上寝ていた。それはそれですごい。逆に「なんでいま起きてくるんだ」と思ってしまったほどだ。昼夜逆転とかそういうレベルじゃない。眠っている状態と起きている状態が逆転する感覚。いま僕は小山の夢の中にいるのかもしれない。

しかし、同居人だちの、日々の暮らし方、のんびりさには、ほとほと飽きれるというか、やれやれ、というか。僕が一緒に住んでいなければ、彼らがどんな毎日を送ろうが知ったこっちゃない。何時間寝ようが一日中パソコンで映画を観ていようが知った事か。僕は僕で生きていくのだから。

でも一緒にいると、何故か、ここに居ると腐る、と強く思う。もう毎日、というか毎分思っているかもしれない。ここにいると腐る。と。でもこんな生活ともあと2ヶ月ちょっとでおさらばだ。僕はここ空鼠を出て行くのだ。でも彼らが悪いとか、どうしようもない人間だとか言いたいわけではない。どうしようもないのは僕だけだ。みんながみんなそれぞれの人生を歩んでいるのだ。どうしようもない、と言う資格があるのは、人生の当人だけだ。

辛抱だ。いま手がけているプロジェクトが一段落したら、僕は遠くに行くのだ。西へ行くのだ。

思えばこれまでもずっと、「もうここにはされたくない」という原動力で動いてきたような気がする。僕はどこにいても、すこし期間がたつと、その場所がつまらなくなってしまう。病気だ。これまで何千回「ここにはいたくない」と思っただろう。病気だ。本当に面倒くさくてどうしようもない。

「僕は乗り遅れてしまった」とときどき思う。

今日インターネットでパティスミスのトークショウをちょっとみたのだけれど、彼女は「フルパッケージで人生を楽しんで」と言っていた。この上ない救済。フルパッケージ。生まれてから死ぬまでの自分の時間をひとつのパッケージとして考える。そうしたら、ひとつの方向に進むと思われていた時間が、量としての時間に変わっていくような気がする。基本的にアーティストとか作家とかいう人種は、朝起きてから寝るまでの時間(あるいはもっとながい人生の時間)の使い方を、自分で考えて、制作に向かわせる体質づくりをしないといけない。自分のリズムを自分で作って、自分の背中を自分でおしていく。こんなきつい事はないと思うけれど、上から振ってくる予定に振り回されている人達からしたら、気楽で楽しそうに見えるらしい。

たぶん、みんな暇を毛嫌いしすぎるのだ。予定がない事の不安に耐えられない。その不安を安直に埋めようと、どっかの会社の面接に行ったりして、その先何年間もの予定を埋めてしまうのだ。結婚を焦ったりするのもそうだ。予定が決まってないことへの不安。僕は最近、ひたすら作品のプランを練ったり、絵を描いたりする時間がほとんどだ。たまに、ちょっとした制作の依頼を受けたり、人に会いにいったりもするけど。それは僕の最近の日々では「ハレ」の時間になる。

最近の僕はもう笑っちゃう程お金がないし、外に出るとお金がかかる事を知っているから(人に会うのも美術館にいくのも映画を観るのも、まして演劇なんか。。)机に向かってひたすら作品のプランを練ったり、絵を描いたり、本を読んだりするしかないのだけど、この時間はこの上ない贅沢な時間だと思っている。はたからみたら、お気楽で楽しそうな生活に見えるらしい。でもこれは、絶望とか死とか鬱とかと隣り合わせ(だけど、贅沢な)の時間なのだ。眠っているあいだだけは気楽だと認めるけど。明日は、ちょっと、山谷の労働センターに行って僕でも仕事を紹介してもらえるか聞いてみようと思う。半分は好奇心、半分は切実さで。

今日まで、お台場のフジテレビで「お台場合衆国」というイベントが行われていました。そのなかで、僕が以前出演させていただいた「アーホ!」という番組が「アーホ展」としてブースを出展していました。僕もそこに参加させてもらっていました。すいません、ここに告知するのを忘れていました。。

http://www.fujitv.co.jp/uso2012winter/area2.html

僕はこの企画として、フジテレビで「似顔絵屋さん」をやらせてもらいました。「屋さん」といっても、書いた似顔絵は無料でプレゼントです。

ただし「最初に断っておきますが、僕は似顔絵屋じゃないので、あんまり似てなくても文句言わないでください」という挨拶から始まる似顔絵屋さんです。そうすることで、「似顔絵屋」という表向きはつくりつつ、「 客」と「自分」ではなく「主体」どうしの関係をつくれるかと思ったからです。書いた似顔絵をプレゼントする時の映像を撮らせてもらい、それを似顔絵のレプリカと一緒に展示しました。

さてぼくは、最初はフジテレビに居るだけで「なんかどろどろした消費欲が充満している空気」みたいなものにアてられそうになりました。EXILEの曲が一曲ループで流れつづける館内に「こんなに来るのか!」と思うほどたくさんのお客さんがいました。似顔絵屋さんで話したお客さんのうち9割は、東京都以外から休日を利用して遊びにきている人でした。

なにより驚いたのは、朝、入場チケットを買うために並んでいる人の数です。ディズニーランドにも劣らないような数の人が並んでいました。

それを見て僕は、「大衆」の存在みたいなものを痛感させられました。フジテレビという巨大な鉄の電波棟と、そこにならぶ大勢の人達、という構図が、現代を象徴しているようでした。

ちょっと話は飛ぶけれど僕はさきの衆議院議員選挙で、自民党が圧勝したことにショックを覚えました。うちにはテレビがないので、いまはツイッターとネットのニュースを主な情報源にしているのですが、そこで僕が選挙前に目にした情報の多くは、自民党や民主党には任せない未来を期待させるものでした。

2011年の震災以来、原発事故以来、国政に関わる大きな最初の選挙で、この国は変わるかもしれないという期待感がありました。それは必ず選挙に表れる筈だと思い込んでいました。しかし結果は自民党の圧勝で、僕は事態を理解するのに数分かかりました。

そんなことがあったから、今回のフジテレビで感じた「大衆の存在感」は、とてもタイムリーでした。視覚的に「社会の多数派」を見せつけられた気持ちでした。「ああ、自民党に入れたのはこの人たちかあ」と。