《村上勉強堂》計画の資金調達のため、過去に制作した作品をオンラインで販売することにしました。《移住を生活する》※のなかで描いたものになります。日本各地の家のドローイングや、地図の作品もあります。価格帯は8,000〜280,000円です。
下記リンクから、なにとぞよろしくお願いします。
https://satoshimurakami.stores.jp/
※《移住を生活する》については下の動画をご参照ください
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二年前に決まっていた福島原発汚染水の海洋放出がとうとう始まってしまった。わざわざ貯めてあるものを、あえて海に流すとはいったいどういう了見なのか。
二年前のVIDEONEWSの大島堅一さんゲスト番組を見返して、海洋放出を決めた「有識者会議」に流れていたであろう雰囲気を想像する。
例えば「百年もつ建屋タンクを作り、あるいはコンクリートで固めて、汚染水は1ccも外界に漏らさない」といった、「大変な事故を起こしてしまったので、腰を据えてちゃんとやります」という態度を見せてくれれば支持できるし、そのための税金なら使ってくださいと言えるのに、とりあえず黒いタンクが並ぶ見た目が「風評被害(これも加害者側が言うワードではない)」であるからといって、その数を減らすために海洋放出をする(放射性物質は薄まるから問題にはならないと言い訳までして)という結論に至った、この流れ。恥ずかしいほどに格好が悪い。とりあえず目の前に見えている問題だけを見て、「作業」として処理し、当面をやり過ごすことしか考えず、歴史に残る事故を起こしてしまった国として、国際社会に対して良い格好をするせっかくのチャンスだったのに、目指すべき理想というものがない国なので、それができない。この「理想がなく、作業でしかない」雰囲気、行政主導の芸術祭やアーティストインレジデンスに似たものを感じる。
夢日記を書くときに実感しやすい、言葉が持つ「固定作用」。夢に現れる風景やもの、人物には必ずしもはっきりとした輪郭があるわけではないのに、起きた後に夢日記として言葉にしようとすると、どうしてもそれらに輪郭を与えざるをえない。言葉は茫漠とした夢風景の印象を、ある仕方で固定化してしまう。本当はそうでないのに、そういうこととして固まってしまう。そして、この作用は夢日記に限らない。
そこで思い切って三次元にしてみること。言うなればフィクション(夢)を「模型化」すること。三次元にすると一気に、その風景の現実味が増す(絵画よりも彫刻のほうが「世界に存在してる感じ」が強いのと同じように)けど、しかし同時にそれは真っ赤な嘘でもある。夢は三次元ではなく、いわば二次元の映像に近いものとして体験されるので、三次元にしたとたんに絶対に無理が生じる。
だけどそこにはなにかリアルなものがある。その「事実」と「創作」の境界がぶっこわれたときに現れる風景に、(大袈裟かもしれないけれど)芸術の未来がある。
「BLACK LIVES MATTER」と書かれたTシャツを着た、紫色の髪の女性を渋谷で目撃したとき、「東京に来た」という感じがした。大町市では見かけない
気温は高いのに湿度だかのせいでとても涼しく感じる昼間、「寒いんだか暑いんだか注意報(携帯で見たら「さむ意味注意報」と書いてあった)」というのが出され、それからめちゃくちゃでかい地震が来る、という夢。
「村上勉強堂」は定住型プロジェクトであることは間違いないのに、「移住を生活する」同様に「動いている」感じがある。ひとつ考えられるのは「移住を生活する」は、体は物理的にめちゃくちゃ動いているが、土地から土地へ渡り歩くので、その分緊張を強いられる。それをやっている最中の「気持ち」は、頑として微動だにせず、という感じ。だが、「勉強堂」のほうは、確かに場所は動いていないのだが、舞台が「自分が購入した土地である」ので、気持ちとしては、「移住を生活する」よりも開放的に動き回っている感じがする。動き方が正反対なのである。旧い点から新しい点へ、という移動ではなく、「通う」という動き方もある、ということかもしれない。
側溝を流れる水の音がする。水の音には、意識を今この瞬間に集中させる力がある。過去や未来の、後悔や心配ごとについてあれこれ考えてしまうわたしを、いまこの場所という現実に引き戻してくれる。この、体をもつわたしに帰してくれる。(08051547)
夜あかりをつけて部屋で作業をしていると、網戸に蛾やらカナブンやらカメムシやら正体不明の羽虫やらが張りついてくるが、蜂はそうはしない。蜂はどこか知的に、自分が自由であることを知っているかのように飛ぶ。その自由は英語でいうと「フリーダム」より「リバティー」に近い。多くの蜂は社会的な動物で、各自が役割を持って働いており、その責任感のようなものが飛行の仕方に滲み出ている。探るように、警戒するように、探すように飛んでいる。ただ光へ向かっていったり、高いところへ向かっていったりはしない。蜂の自由さは、人のそれに近い。07311320
例えばボブ・ディランがホームセンターで、数ヶ月ぶりの新しいシェーバーと、店頭で気になって手に取ったシェービングフォームを買ったとして、家で昼ごはんなどを食べているとき同居人に「明日ひげ剃るの楽しみだなあ」なんてことを漏らすかということを考えてみるといい。漏らすに決まっている。一万通のファンレターを受け取ったり、コンサートホールでライブをして多くの人を感動させたりすることと、新しい髭剃りを試すのが楽しみなこと(新しい服を着ることでもいい)のあいだには、サイズの大小も質の良し悪しもない。それらはまったく同じ地平上のものである。
警視庁関係の人というのは、なぜこうも人の話を最後まで聞かないひとばかりなのか。この間は、別々の二人から「裏面の地図を見てください」という同じ台詞を繰り返し言われた。こちらが一言二言話すと、彼らは頭の中で自分の物語を作り上げてしまい、電話口の相手は、その物語の住人かのように考え、その物語にしたがって話を進めようとする。こちらはとっくに知っている情報を、さも無知な人間に教えてあげるかのように提示し、それは知っています、僕が聞きたいのは、と、こちらが続けようとした話さえも途中で「ああ、はいはい」と遮り、想像の話をし始める。途中から僕は面白くなってしまった。
友人の紹介で、朝6時から3時間くらい、ブルーベリー摘みの仕事をしている。たぶんブルーベリー畑としては小規模なその農園は湖が見える道沿いにあって、朝着く頃には向こう岸の山に筆で描いたような雲がかかっていたりする。ブルーベリーの木は等間隔に並んでいて、道路向こうの「南」と「北」とか、エリアがいくつか分かれていて、朝三人でそれぞれの担当区域を決め、竹籠を紐で腰に巻き、自分が担当することになった地区の端の通路から、一列ずつブルーベリーを摘み取っていく。茎の近くまでちゃんと黒く熟したもの(赤味が残っていないもの)で、かつ小さすぎない実、を選びながら摘み取る。これからこの通路をやっつけるぞ、と決め、作業を始めるのだけど、条件に当てはまる実を探すのは、慣れていないとなかなか時間のかかるもので、太陽が逆光だったり、葉っぱの裏や梢の真ん中あたりに実が隠れていたりして、この木で収穫すべきものは全て摘み取ったと思っていても、ふと目についたところで、それまで見逃していたことが信じられないほどわかりやすいところに、真っ黒に熟した大粒のそれが目に入ったりする。一本の道を手前から順番に進んでいって、最後まで行って突き当たり、戻ってくるときにも、さっきは目に入らなかった実が次々と現れたりする。この収穫作業において、同じ道は一本もない。同じように見えて、すべて違う道を歩いているみたいだ。その時の自分の気力や、光の差し方、風の塩梅などで、すべての道が一度きりのものになってしまう。この作業は、昔やっていたパチンコ屋の清掃バイトに似たところがある。パチンコ店におけるパチンコ台は、シマと呼ばれる区域ごとに固まって並んでいて、ぼくたちはシマとシマのあいだの通路を、手前の台から順番に拭いていく。そのときに重要なのは、丸い金属製のハンドルや、玉の受け皿や、ガラス面についている指紋の跡を消すことである。指紋がついていると、他がどんなに綺麗でも、その台は汚れている、とみなされる。しかし、いくら指紋をすべて拭きとったと思っても、通路を引き返してくるときに、光の角度によって思いもよらないところに指紋が残っていたりする。その感じがブルーベリー摘みに似ているといえば似ているのだけれど、パチンコ店の掃除は時間との勝負で、開店前の2時間ほどで、少数のチームで店内の全てを掃除しなければならない(パチンコ台の拭き掃除だけでなく、床のモップがけや、床にこびりついたガムをヘラでこそぎ取る作業など、いろいろある)ので、1台の台に何分もかけているわけにはいかない。ブルーベーリー摘みは、基本的に一本の木にかける時間はその人に委ねられている。つまり、ぼくに。パチンコ屋は白い蛍光灯に、白いリノリウムの床だけど、ブルーベリー畑は太陽光で、地面には草が生えていて、毛虫もいるし、蜘蛛もカエルもカミキリムシもいる。環境はぜんぜんちがう。でも、人間が自分の所有する土地のなかで行っている商売という点では同じだし、ものの並び方や、作業の進め方に共通するものがある。その共通項を抽出して、書き起こしてみることはできるだろうか。
吉原さんの言葉「ボロは着てても心は錦」
高速バスにて、通路を挟んで隣の席に小学生くらいの男の子と父親の親子が座っており、いろいろな熟語の意味を問う学習教材のような本を開いていた。
父親が「玄人」って、わかる? と息子に尋ね、それからこういった。
「素人ってのはわかるでしょ? 素人ってのは、何にもできない人のこと。やったことがないから。玄人ってのは、ずっと何かをやってきたから、それが上手なひとのこと」
ぼくは衝撃を受け、あゆうくツッコミを入れるところだった。なんにもできない人。なんというパワーワード。
なんにもできない人。
聞いたことがない「素人」の定義だと思ったが、むしろこれが世間一般的には通りがよいのだろうかと考えると恐ろしい。僕はアマチュアリズムはものすごく大事なことだと思っている。素人だからできることというのはあるし、玄人になってしまうとできなくなることだってある。むしろ「なんにもできない人」それは玄人なのではと言いたくなるような雑さだ。日本の美術教育の闇を感じてしまう。絵が描ける人というのは、絵が「上手」な人であり、歌が歌える人というのは、歌が「上手」な人をさすのだという価値観に染まり、それ以外に「絵のよさ」というものをはかれない。すべての絵を「写真みたいに上手かどうか」で考えてしまうような浅はかさが……
キッチンさとし
より
キッチンむらかみ
のほうが美味しそう。苗字の方が美味しそう。なぜ?
昔、友達と散歩していて、酒を飲もうということになった。空はまだ明るかったが、僕たちはお互いに酒好きであるということを知っていた。コンビニに入り、安いウイスキーの小瓶とプラカップと袋入りのロックアイスをカゴに入れ、レジに向かった。すると店員のおじさんがレジを打つ前に「これ、ロックで飲むの?」と聞いてきた。「はい、そうしようかと」と僕が答えるとおじさんは「そこのアイスの棚のところに、カップ入りのアイスがある。そっちのほうがいいよ」と言って、にやり、という言葉がぴったりの笑顔を浮かべた。思わぬ提案に驚いたが、気がつけば僕たちもおじさんに触発され、にやり、と笑みを浮かべていた。特に友達のほうは、絵に描いたような悪い顔であった。
たしかに袋入りのロックアイスは量が多すぎるし、プラカップも五個入りしか売っていなかったので、二人では余ってしまう。最初からカップに入っているアイスを買えば、買い物もひとつですむ。
僕たちはおじさんに、この素晴らしい提案のお礼を言って、袋入りのロックアイスを商品棚に返し、彼のいう通りカップ入りのアイスをふたつ手にとり、お金を払ってコンビニを出た。店の前ですぐにカップを開けてウイスキーを注ぎ、乾杯をした。夏の夕方。どこからか蝉の声も聞こえてくる。まさかコンビニで、こんなにマジカルで素敵なことが起こるなんて思っていなかった僕たちは、店員のおじさんの半生を想像しながら、それを肴にウイスキーを煽り、坂道を下っていった。
きっとおじさんはこの方法を自分で編み出し、時々そうやって酒を飲んでいるんだろう。おじさんの口調からは、そんな姿が容易に想像できた。
例えば家父長制はクソだとか、ジェンダー平等を実現しなければいけないという言説はたしかに正しく、そのような社会を実現しなければいけないという点に関しては僕もまったく同意するのだけれど、しかしここ数年で急に盛り上がってきた運動であることも事実で、私たちはそれより何十年も前から生きている。人生をかけて、専業主婦として夫や子供を支えることに、あるいは優しい母親として生きることに徹して(あるいは「演じて」)、わたしは立派にやってきたと自負することに幸せを感じる人も、働いて家族を養うことだけを生きがいに頑張ってきた人もいる。その誠実な重さに対して、あなた(の演技)は間違っていた、と言う権利が誰かにあるのか。その糾弾は「あなたの幸せは間違っている」と言っているに等しい。それこそ全体主義的で、「多様な社会」からは程遠い考え方ではないか。宮本はそのような糾弾はしなかった。「魂すり減らして目指した物語はどこへ行った?」と寄り添い、歌ってくれた。そして寄り添ってもらったほうが、人は変われたりもする。難しい問題だが。
「タケイマコト」という名前のF1ドライバーが、若いインスタグラマーの人に説教をしているのを隣で見ている夢。「会社に入ってるひとなら辞めちゃえばすむ話なんだけどさあ、そういうわけにはいかねえんだもんな」と言っていたことだけ覚えている。
アリちゃんとか、ミヤタとか、主に大学生前後のころに知り合って一緒にプロジェクトに参加したり、ワークショップを企画したり、泊まり込みで遊んだりして、当時は毎日のように会っていたのに今では疎遠になってしまった人たちが勢揃いでなにかをやったあとの打ち上げのような雰囲気のなか、ぼくはすごく懐かしくて楽しくてテンションが上がりきって振り切っていて、みんなで道を歩いてお店に入ろうとするのだけど、わりと深いビニール製の軒が建物の側面から出ているお店で、「その軒下を一歩でも超えてタバコを吸うと、なにかとても良くないことが起こる」とされているところだった。何人かはそれをはみ出しているように見えた。店に入るといつの間にか人数が6-7人に減っており、そのメンツでこれから酒を飲むところなのだが、雰囲気としてはもう二次会を終えたけどまだ飲みたりなくてこうなったら朝まで飲むと決めた人たち、という感じで、残りのみんなどこかにいなくなってしまっていた、という夢。
制作で、パテを塗ったスタイロフォームをサンダーで削る作業をしていたら、隣のおばちゃんが敷地境界のフェンスに両手をかけて、ものすごく興味津々な様子でこちらを見ていた。目があったので挨拶をすると「それは、なんですか?」と。なんと言おうものか少し迷って、「作品を作っているんです」と答えたのだが、おばちゃんはまったくわからない、という様子で首をかしげた。遠くて聞き取れなかったのかと思い、すこし近づいて「彫刻作品をつくってるんです。展示会用の」と説明したのだが、それでもおばちゃんはぽかんとしている。ほんとうに「ぽかん」としていた。人があれほど素朴に、ぽかんとした表情を浮かべているのを見たのは初めてかもしれない。まさに「ぽかん」としか言いようのない顔だった。
作っているものの形についてのほうが通りがよいかもしれないと思い、「カラーコーンを作ってるんです」と、ジェスチャーをまじえて説明した。しかしそれでもおばちゃんはぽかんとしたままで、そればかりかすこし困った顔をして「何も知らなくて・・・」と申し訳なさそうに、自分の無知を心底恥じるように言った。僕も申し訳なく思ってしまった。「道路に、赤い三角形のあるじゃないですか」と、僕は両手で必死に三角形を作り、カラーコーンを想像させようとした。するとおばちゃんの表情がぱっと明るくなって、「ああ! あの、危ないところに置いてあるやつですか」と言った。
「そうそう。あれを作ってます」
「まあ、なんでもできて・・・」
「ははは。いえいえ」
「すみませんねえ、お邪魔して」
「いえ、とんでもないです。今日、暑いですね」
「暑くなりましたねえ。・・・なんでもできて。お邪魔して申し訳ありませんでした」
「いえいえ!」
というような短いやり取りだったのだけど、しばらく経ったいまでも、この出来事が体にまだ残っている。このおばちゃんはすばらしい菜園家で、毎日作物の面倒をきちんと見て、しっかりと手入れをし、ネギやシソや、色々な野菜をたくさん実らせている。「何も知らない」わけがない。庭をちょっと見るだけでも、僕が知らないことをたくさん知っていることが一目瞭然だし、とても腰が低くて、目があったときすぐに挨拶ができるようにさりげなくこちらに気を向けているし、挨拶する時もきちんとこちらをむいて、頭を下げてくれるような、やさしいおばあちゃんなのである。おばちゃんとは挨拶程度の言葉しか交わしたことがないが、菩薩のような佇まいから、僕はいつも何かを学ばせてもらっているのである。
しかし、おばちゃんは「何も知らなくて」と言った。まるで柳田國男の本に出てくる、田舎村の農民のような謙虚さで、自分が無知であることを恥じていた。僕はなんと答えたらよかったのか。「いえいえ」なんて言葉ではなく、「とんでもないですよ。畑の野菜だって立派に育てているし、僕が知らないことをたくさん知ってるじゃないですか」と言えばよかったのだろうか。あるいは、何かを知らないとしても、それはおかあさんのせいじゃありませんよ、とか言えばよかったのだろうか。後者はちょっと偉そうだ。でも何かを知らないとしても、それはこのおばちゃんのせいではない、ということは、おばちゃんが僕に向けてくれる常日頃の誠実な動作から窺い知ることができる。それに、何かを知らないことを宣言できるのはとてつもないことだ。
「アンパンマンは君さ」と「君はアンパンマンさ」では意味がまったく異なる
土地を所有するとはなんなのか/『建築雑誌』23年7月号 岡部明子さんのインタビュー概略
近代的な「所有」概念を初めて唱えたジョン・ロックの念頭には、「王権が強すぎる、つまり王権神授説に対する疑問」があった。神の信託によって地上の土地が王様のものとされることによって、人々の自由な活動が行われていないという問題意識があった。それで、土地は誰のものでもない。というところからスタートするが、とはいえ人が土地を利用するときに、今日耕した場所で明日には違う人がなにかをやっているという状況では困るわけで、そこで汗水たらしてやったことが報われるような仕組みを作るところから始めよう、という文脈があり、「労働価値説」が出てくる。
(これは後にマルクスの「労働価値論」へと引き継がれ、対資本家の労働者の権利闘争へと歴史的には展開していく)
つまり自分の労働力を費やして耕したり家を建てたりした土地には、その人に所有権が生じる。これが所有権のルーツ。
ロックは『統治二論』のなかで、所有権には二つの制約があると述べている。それが「十分性」と「腐敗」。十分性とは、自分が生活していくために十分な量に限定して土地を耕すことで所有の正統性が認められると言うこと。腐敗性とは、土地を抱え込みすぎて、結果的に腐らせるようなことがあれば、それは所有の範囲を超えているということ。
しかしやがて社会は、労働価値説ではなく、法的に所有権を保証する、という方向に流れていった。それが生活に必要かどうかとか、無駄に遊ばせていないかとか、そういうことが問われなくなってしまった。
法社会学の分野で「権利の束」という考え方がある。所有権は、不可分ではなく束になっていて、切り渡して譲渡することができる。(近所にマクドナルドができるとき、街のシンボルだった桜の木が切られるということがあったが、それはマクドナルドが所有権を持ったのだから桜の木を切るのは自由である、という「絶対的な所有権」に基づいて行われた行為だが、そうではなく、桜の木に普段から親しんでいた近隣の住民にも、木が生えている土地に関してそれなりの権利がある、という考え方)
もう一つ、時間軸で所有権を考えるという方向もある。所有権は遡行的にしか存在しないという考え方で、人類学のなかで出てきている議論。何年もその土地で草を刈ったり、畑をやったり、家の手入れをしたりしてきた人には、たとえ法的な所有者でなくても、「この土地の将来をちゃんと考えなくてはいけない」「未来に責任を持たなくてはいけない」という意識が芽生える。「遡れば所有している」という考え方。遡って見えている権利というものがあるから、その先に責任と義務というものが見えてくる。
いずれにしても、「所有」と「行為」は、本来分かち難く結びついている。土地に価値があるのではなく、土地と関わる行為そのものに価値を認めていくこと。さらに、デヴィッド・グレーバーは「価値」は「行為」に根ざしている、と言った。人が土地(自然)と付き合うことに価値がある。
岡崎乾二郎「あらゆる表現は、人為的、恣意的な約束事にすぎない(絵画の形式、彫刻、映像の形式は、歴史として語られることで正当化されていくが、それは恣意的なものにすぎず、いわばそのつどつどに正当性を暴力的にでっちあげるような営み。法律とおなじく)ということを、ダダイズムは告発する。ゆえにダダイズムは実体性をもちえず、破綻せざるを得ない」
対してシュルレアリスムは現実を解体し、夢と同化させることによってこのジレンマを回避し、実体を保とうとする。「夢の方が本当なのです」と言うことによって、生と死も時間の概念も飛び越え、開けた場所を目指す。
いま自宅のトイレの改装工事をしていて、13時ごろに休憩を挟んだのだが、お腹は多少減っていたけどお昼ご飯は食べずに、まんじゅうをふたつだけ口に入れてお茶を飲み、一服して作業を再開した。昼ごはんを食べてしまうと、そこで気持ちが一旦リセットされてしまって、続きをするのが難しいと思ったし、炭水化物が入ると眠くなってしまうので、ここは最後までやり切ってしまおうと思った。
もしこれが賃金を得ながら集団で作業を進める「労働」だったならば、ぼくは12時のタイミングで作業を中断して昼休憩を強要されていただろう。しかも、そこでちゃんと「昼ごはん」を食べなければならない。そうすると、ぼくは眠くなってしまう。ひとりひとりが担当の仕事を持ち、昼休憩のタイミングなども自由な職場だったらいいのだけど、こういう肉体労働系の仕事でそんなフレックスタイムみたいなやり方はあまり聞かない。みんなで働き、同じタイミングで休憩を入れる、という現場は、個々の人間の「空腹との付き合い方」や「休憩のとりかた」を画一化してしまう。全員が1日3食ご飯を食べるという前提に立っており、おやつを食べながらの方が仕事が捗る人がいる可能性や、すこし寝てからのほうが効率よく作業を進めることができる人がいる可能性を潰している。すべて、成果ではなく労働時間で賃金を決めていることの弊害。
あるおばあちゃん(92)との会話
歳のせいで喉が弱っているのか、一歩歩く事に立ち止まるような話し方で言葉をつなぎながら、大切な言葉を沢山くれた。
おか ねは あった り なかった りで いいの。
ちょうど いいの が いちばん
(友達が自分を手伝ってくれたことを)ずっと おぼえておき なさい
やさい が すきで さか なもす き! さいこ うじゃ ない!
しょうがっこう にねんせいの ときに だいとうあせんそう が はじまった
むかしの ひとは ばかだった のよお! がっこうへ いくと B29が しょうがっこう の うえをとんでた そうしたら かえらなくては いけないの ぼうくうごうに
べんきょうなんか ぜん ぜん
わた しはね そうさく が やりたかったんだけど かなわ なかった
(読書が好きな自分に対し、「女は本なんか読まなくていい」と言っていた父親に対して母親が「女も読書をしないといけません」と言ってくれたことについて)わたしの ははおやは せかい いちりっぱ な ひとだった
この最後の言葉には涙ぐんでしまった。まっとうなことをまっすぐにいわれることがほんとうになくなったから。あるいは、いうひとがいなくなってしまったから、心の奥の奥まで突き刺さるものがあった