ちょっとね〜
失礼なんだ〜けど〜
・・・
どんなに〜
どんなに〜
待ってても〜
・・・
も〜の〜が〜た〜りは〜死なな〜い〜
・・・
E企画の〜・・・には〜
・・・
で〜き〜るか〜ぎ〜りの〜贅沢〜
・・・
などのフレーズが出てくる歌を、けっこうな大人数で、屋外で、しかも各自が方々に散った状態でマイクを持って録音しようとしている、という夢を見た。僕は「ちょっとね〜」から始まる部分を伴奏無しで、しかもなぜかここだけソロパートで歌うことになっていて、何度も何度も「ちょっとね〜」と歌い出すのだけど、どうしてもすぐに歌詞が分からなくなってしまって全然うまくいかない。あまりにも失敗が続くので橋本くんが呆れた様子で「次で最後だから」と言ってきて、僕も絶対に失敗しないぞと意気込んで挑んだのだが結局またすぐに歌詞がわからなくなってしまった。
起きてすぐに録音した。さだまさしみたいなメロディーの歌

涼ちゃんが10日ほど前に体調を崩し、朝から晩まで咳が止まらず、夜も咳のせいでろくに眠れないという日が続いていた。熱はないがとにかく咳が辛そうで、病院に通って六種類も薬をもらっていたし、私も喉に良さそうな料理をつくったり友人に薦められたものを自然派食品の店に買いに行ったり、あれこれやってみたが、なかなか症状は改善しなかった。これだけ長いあいだ、誰かが調子を崩している様子を間近で見るのは初めての経験で、心配だったのだけど、7日目くらいから、もしかしたら快方にむかいつつあるのかなという兆候がみられてきて、このまま快くなるといいなと思っていた。
そして昨晩、不思議な夢を見た。私は自分の家の寝室で横になっていた。隣で寝ていた涼ちゃんが「蛇がいる!」と、布団から飛び起きた。「蛇の匂いがする」と言う。見ると、涼ちゃんの枕元から茶色い蛇(ヤマカガシのような模様をしていた)がにゅるにゅると出てきた。蛇はいったん窓から外へ出ていったが、急に踵を返して窓に向かって突進してきた。窓はもう閉まっていたので攻撃は届かなかったが、蛇はすごい剣幕で、明らかに怒っていた。次に黒い鳥が飛んできて、こちらも攻撃的な様子で睨みつけてきた、というところで目が覚めた。
そして今日、涼ちゃんはだいぶ調子が良さそうだ。昨日まではほとんど空気みたいな声しか出せなかったが、今日ははっきりと声に音が伴っている。この夢の話をしたら、「もしかしたら、蛇は喉の不調をあらわしていたのかも」と言った。

渋谷公園通りギャラリーの撤収がひとまず終わった。 明日アトリエに荷物を降ろして車を田原さんの家まで返しに行き、ファントムに荷物を積めばひと段落。
昨日ダメ元でTwitterで「明日お手伝いできる方いませんか?」と呼びかけてみたら、酒井貴史さんが反応してくれて嬉しかったのだけど、そこで酒井さんがなにかの漫画の一コマ画像(「いるさ!ここにひとりな」というセリフ)を貼り付けていて、昔良かったころのTwitterの雰囲気を思い出した。突然、ここにいるよ! と誰かに呼ばれる感じ。

リモートミーティング中にスズメバチが部屋に入ってきた。あわてて一階に降りて虫網を持ってきて捕まえようと一度網を振るった瞬間、それまで室内を物色するように飛んでいたスズメバチが一直線に窓のほうへ飛んでいき、あっというまに外へ出ていった。まるで人間が、網を持ってくるまでは蜂に対して何もできないことを知っているかのような動きだった。

ランシエール「無知な教師」の、教師と生徒は意志対意志の関係であるべきだという普遍的教育の方法は、編集者と作家の関係に似ているかもしれない。編集者は作家より知識を持っていなくても締め切りを設定し、原稿を書かせることによって、作家をある意味で教育することができる。そこには意志のぶつかり合いがある。一冊の本という知性を通して。

爆撃によって焦げ茶色の骨盤と背骨だけになってしまった人間の「遺体」をSNSでみかけて以来、自分の中の、なにか大切なものが壊れてしまったような気がする。いまパレスチナで行われていることは、シオニストたちが、その土地に先だって住んでいたアラブの民を飢餓と爆撃で追い出し、自分のものにしようとしているという、とある土地で起きている個別の話であると同時に、これまでいくつもの戦争や差別を経験しつつも、私たちはすこしずつ良い方向に向かっているはずと信じてきた、世界をなんとか束ねてきた矜持のようなものを無に帰す行為で、つまりこれは私たちが守ってきたものへの攻撃で、私はいま攻撃されている。シリア危機が起きたときはあれほど心強く、ヒューマニティの最後の砦にさえ見えたドイツ政府がパレスチナに関しては完全に二枚舌になってしまっている。こんな、誰の目にも明らかに見える殺戮行為に対しても、世界は連帯できない。アメリカではトランプを支持する福音派の人たちは、エルサレムがユダヤのものになったらイエスが復活するというカルトを信じているという話も聞いた。本来は、イエスが降臨したら統一される、という順番なのだが、教義を変えてその順序を逆にしたという。いまやどこを見渡しても、私たちに共通する、よりよい世界に向けての指針のようなものがひとつもなくなってしまった。
これまでも、私たちが何も知らずに日々の商品やサービスを享受することによって、どこかの誰かを苦しめているかもしれないという、サプライチェーンの問題に関してはずっと感じていたことだったが、いまではそれに加えて、殺されるべきではない人が殺されているという、より重たい、鉛の塊のようなものがいつも、毎日何をしていても、洗濯をしていても、友人たちとファミレスで楽しく話していても、私の魂にのしかかるようになってしまった。世界が生きるにきつすぎる。私は私を守る

グミを書いにコンビニ入ったけど釣り用のワームばかり売っていてグミがぜんぜん置いてなくて諦めて車に戻る、という夢

お昼前、車で二人でコインランドリーに行って洗濯機に洗濯物を入れて、一度閉じたらなかなか開かない踏切を渡らないようにするため駅前の駐車場に車を止めて、でも車を止めた瞬間に踏切が開いた。涼ちゃんに「踏切、渡れたね」と言われ、「でもこれで踏切を渡りに行ってたら、未来は変わったかもしれないから」と返したら、「君はすごいね、普通の人はまず地図があって、その上でこうしようとかああすればよかったとか思うけど、君は地図が描きかわるからね」と言ってくれた。
車をわざわざ駐車場に停めたのは「見聞録」のつけ麺を食べるためだったのに、「見聞録」が開いてなくて「どうしよう」となり、一応落ち込んだ顔をして、日高屋にいこうかと言ったら涼ちゃんが「弁当を買って車で食べれば20分(駐車場料金1周分)で食べられるんじゃないか、ちょうど水ももってるし(コインランドリーで小銭を崩すために自販機で買った)」と言い、「パズルがつながっていく!」と僕は盛り上がったけど「そんなに繋がってない」と笑われ、弁当を買って車に戻って食べた。弁当を買って車に戻る途中「これで見聞録が開いてたらすごいね」「そうだね」「開いてたら嫌だから、見ないようにして車に戻ろう」という話もした。
弁当を食べながら、人生のほとんどのことは「作業」のフォルダにいれることができるという話をした。ご飯を食べること、寝ること、トイレや風呂など、下手したら映画を見たり居酒屋へ飲みに行ったり、美術館へ行くのも、ときには旅行すらも作業になってしまう。しかし「ギリシャへ行く」は作業ではない。台湾やインドネシアに行くのは、時として作業的な意味合いが出てしまうが(なぜだろう)、しかしギリシャに行く、というのは、なぜか作業という感じがしない、という話。なぜだろう。
しかし旅行も細かい作業の積み重ねと言える。そこで「旅行」を、「作業か作業でないか」という考え方で組み立てるという方法を提案する。ホテルを予約して、移動して、チェックインするまでは作業として、そこから晩ごはんをどうするかは現地で決める、とすれば、晩御飯だけは作業という魔物から逃れられる。晩ごはんまで前もって調べてしまうと、すべてが作業になってしまう。

学生の時に先生や先輩から「作家は食えるよ」と言われて、「ぜんぜん食えないじゃないか!」と後に怒り出すようなひとは論理的に存在しない。制作が人生にもたらす恩恵は、食えるか食えないという俗な基準を後ろに押しやる(はず)。制作を続けていればそんなことは問題にならなくなる(はず)。しかしこれは、やってみなければわからない。やってみなければわからないことを、やる前から教えることはできない。だから世の先生や先輩たちはみんな、作家は食えると言ったほうがいい。それは必ず、かつての想定を超える大きさでやってくる。

初めて内視鏡検査をした。口からカメラ、右手に酸素計、右腕には血圧計、左腕に点滴みたいな注射針、計3本の注射針が刺され、わずか30分でHPがゼロになった。涼ちゃんが一緒に来てくれて助かった

《村上勉強堂》報告書第十一号を発刊しました。
現在、現場作業(総武本線「日向駅」近くを手伝ってくれる方を探しています。特に4月18日ごろ〜25日と、29日からのゴールデンウィーク期間中は人手が必要になりそうで、来ていただけるとたいへん助かります。型枠に入れた土を突き固めて壁をつくる「版築」の作業を行う予定です。興味のある方はぜひ satoshimurakamiinfo(@)gmail.com までご一報ください。よろしくお願いします。
※テントがいくつかあるので、寝袋を持参いただければ泊まることもできます。ちょっとハードな環境ではありますが、楽しめる方はぜひ…。ちなみに山武市にはスリランカコミュニティがあり、おいしいビリヤニが食べられるハラルフードレストランが近くに3軒もあります。ビリヤニ好きの方もよければぜひ。

星のカービィみたいなギャグ漫画。何も考えずに読めるギャグ漫画が読みたいのかもしれないなあ、と駅のプラットホームで友達に話していた。そのとき僕は自分で書いたカービィの漫画を1冊の本にしたばかりだった。とても好評だった。それから突然イタリアの路上にいて、一緒に来ていた日本人のおじさんと歩いていて、おじさんはとても慣れている様子でずんずん住宅街を進んでいって、僕は後ろから早足でついて行った。おじさんは路上に落ちているドライバーとかインパクトのビットとか、様々なものを拾いながら歩いていた。道の向こうからこっちに進んでくる人がいて、突然手元のカセットコンポを空高くぶん投げた。それは道の上に落ちて壊れた。おじさんは後ろを歩く僕に、そのコンポには触らないようにして、と言った。 こうやって壊れたものを路上に投げ、気になってそれを触ってしまった人を捕まえて、濡れ衣を着せ、修理費をぼったくる詐欺師みたいな人がいるのかな、と思った、という夢。

父親、お礼を言うときに絶対「サンキュー」という。「ありがとう」という言葉を、そういえば聞いた記憶がない。

10時に六本木ヒルズ森タワーLLフロアのスターバックス前に集合、という約束を守るために8時前に起きて、とりあえずなにかお腹に入れておこうと昨日のカレーを火にかけた。冷蔵してあったご飯をレンジで温め、器に盛るとき、全部食べ切ってしまいたい気持ちと、さすがにそれは多いのではないかという気持ちがせめぎ合った。しかし時間は差し迫っていた。しばらく考えて、結局すべて器に盛ることにした。そこにカレーをかけて、かきこむように食べて、いそいで洗い物をして車に乗った。途中の道路は混んでいた。この混雑はある程度予想していて、早めの8時35分くらいに出発したのだけど、だんだん不安になってきた。ラジオの収録なので遅れることはできない。
1時間以上休まずに車を走らせた。途中大きく道を間違えることもなく、六本木ヒルズの建物内に突入した時点で9時53分だった。指定されたP2駐車場に入り、地下2、3階は満車だったので、4階までおりていった。あいているスペースを見つけ、車を停めた時点で9時57分。車を降りて「北エレベーター」に向かい、乗り込んだ時点で9時59分。これはもしかして、もしかするのかと気持ちが昂った。そしてチーンと音がなり、LLフロアでエレベータの扉が開いたとき、10時ジャストだった。私は間に合った。それも時間ぴったりに。世界が私を祝福してくれているような気持ちになった。フロアにはたくさん人がいたけれど、主役は私だった。まったく初めて通る道を1時間以上走り、電車でしか行ったことのない森タワーの駐車場に車を停め、時間ぴったりにフロアに到着。こんな奇跡はめったに起こるものではない。仮に1分でも早く着いていたら「間に合った〜」と感じただろう。ところが時間ぴったりに到着すると、不思議なことに「間に合った」ではなく「祝福されている」と感じる。途中、信号に一度でも多く引っかかっていたら、こうはならなかった。地下2階の駐車場に停めていたら、こうはならなかった。
他の人間にとってはとるにたらない、なんでもない出来事。自分ひとりだけが、自分にとってのみ、よかったと思える出来事。それだけが、世界からの祝福となる。君が一人になったそのときだけ、現れる世界がある。他人からみたときに、どうでもいいことほど大切。それを祝福と呼ぶ。

よかったこと。今日は、駅前の日高屋でラーメン食べたあと、会計中にトイレに行きたくなったのだけど、店を出てすぐに公衆トイレがあったのがよかった。

自分自身に触れるのが一番難しいし、本当のことを言うといつも涙ぐんでしまうが、やっていこう

喫茶店。隣の席で女性二人が「自分に好意がないのに好意を向けられるのって、すっごい疲れない? なんでか知らんけど」という話をしている

東大の学校図書館みたいな家にいて、外は夜で、かなりの雨が降っている。訪ねて来ていた友人が自転車で帰ろうとしているので、すごい雨だから車で送っていくよ、と何度も提案するが断られる。私は諦めて、雨の中家に帰っていく友人を見送る、という夢。私は謝った。向き合って、頭を下げて、ごめんなさいと言った。友人は、あなたは大きすぎて、一緒に仕事をするのは難しかった、と言った。

お金がある時にしかできないことはあるが、お金がない時にしかできないことも多い。そのときに固有の体があるから。同じように悲しい時にしかできないことと楽しい時にしかできないことがあるし、体調がよい時にしかできないこと、悪い時にしかできないこと、自分にはできると信じられる時にしかできないこと、自信がない時にしかできないことがある。どうしてもできないときにしか見えない景色もある。なぜできないのかと落ち込むのではなく、そのときにできること、見える景色を肯定的にとらえること

予定していた愛知行きが雨予報で延期になったので、清原惟『すべての夜を思いだす』をユーロスペースで観てきた。お昼過ぎからひどい雨とのことだったので、朝起きてすぐに家を出て10時の回。他に客は10人くらい。そういえば昨日も渋谷に行った。映画館を出て、このあいだリサイクルショップで買った帽子を被って街を歩いた。視界の上のほうに帽子のつばが広がって、屋根みたいになっている。そんなふうに風景を見ていてふと、この帽子の前の持ち主もこんなふうに、帽子のつばごしに世界を見ていたのだ、と気がついた。同じ家の窓から外の景色を見る別の人のように。自分の目で世界を見るとき、その視界に自分は入らない。誰にとっても。とすると、仮にいまここにある私の視点が、以前の持ち主の視点にすりかわったとしても、映像としては特に何かが変わることはない。自分以外の誰かがその切り替わりを映像として眺めたとしても、帽子を被っている人間が変わったことには気がつかない。『すべての夜を思いだす』のなかで多用されていた風景を映している長回しのショットは、誰かの視点を思い起こさせた。ただ、誰がその主体なのか、さっきのショットと今のショットで主体は切り替わっていないのか。映像だけを観ている自分にはわからない。画面の中で進むストーリーと同じくらいに、これは誰の視点なのかを考えてしまう映画だった。だから観おえたあと、ロビーでパンフレットを買おうとスタッフのひとに声をかけたとき、自分の視界の「後ろ」から(自分の)声が出てきたことにちょっと驚いてしまった。映画のなかでそんなことは起こらなかったから。加えて、スタッフの人が私に向かって金額を告げたときは、画面の中にいるひとがカメラに向かって話しかけてくるような奇妙さもあった。そんな場面が映画の中でも一度だけあった。このカメラ自体が人の視点みたいだと思い始めたころ、いきなり画面の中にいる二人から話しかけられ、鳥肌が立った。『すべての夜を思いだす』を二時間みたことによって、映画の視点が現実の自分の視界に重なってしまうような感じ。奇妙だけど、不思議と嫌な感じはしない。ふだん私は自分の視界のことなど特に意識せず、そこに映っている人間に向かって話しかけ、自分の声を視界の「後ろ」に聞きながら会話をしている。当たり前のことだ。でもいっぽうで私は、以前別の人間がかぶっていたリサイクルショップの帽子を被り、同じ窓から世界を見てもいる。

同じ家の窓から違う人が風景を見るみたいに、自分も世界を見ているのだとしたら、そこでいう家ってなんなんだろう。

「自分にもっとも近くて、崇高で、大切にしている「自分」というイメージが、ガザのことで傷つけられてしまった」

学校のようなところで、好きな料理をミニチュアでつくる、といった授業を大勢で受けている。僕は最初小さな望遠鏡(小指くらいのやつ)をつくって、それがなぜ料理なのかということを一生懸命考えていた。そのあとサラダのミニチュアを二つ作り、できあがったころにはみんなとっくに完成していて、僕は遅れて自分のものを並べにいく、という夢

渋谷公園通りギャラリーでの展覧会「共棲の間合い」に参加しています。落ち葉に付着している微生物の熱を足湯などで体験できる作品です。

展覧会名 共棲きょうせい間合まあい -「確かさ」と共に生きるには-
会期 2024年2月10日(土)–5月12日(日)
開館時間 11:00~19:00
休館日 月曜日(2月12日、4月29日、5月6日は開館)、2月13日、4月30日、5月7日
会場 東京都渋谷公園通りギャラリー
入場料 無料
出展作家 折元立身、酒井美穂子、スウィング、村上慧
主催 (公財)東京都歴史文化財団 東京都現代美術館 東京都渋谷公園通りギャラリー

https://inclusion-art.jp/archive/exhibition/2024/20240210-178.html

I’m participating in the exhibition at Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery

Title Space in Symbiosis -How to live with “certainty”-
Period Saturday, 10 February – Sunday, 12 May 2024
Opening Hours 11:00 AM- 7:00 PM
Closed on Mondays, 13 February, 30 April, 7 May *except 12 February, 29 April, 6 May
Venue Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery
Admission Free
Artists ORIMOTO Tatsumi, SAKAI Mihoko, Swing, MURAKAMI Satoshi
Organized by Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery, Museum of Contemporary Art Tokyo, Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture

https://inclusion-art.jp/en/archive/exhibition/2024/20240210-178.html

村上勉強堂の報告書第10号を発刊しました。今回は番外編で、渋谷公園通りギャラリーで展示中の作品について書いています。

《村上勉強堂》(旧夏の家 冬の家計画)

霞が関用語で現金のことを実弾というらしい。このネーミングセンスも、それをメディアの人間がよしとして使っている雰囲気もすべてがキモい。特にパレスチナで行われている大量殺人の惨状を日々SNSを通じて思い知らされている現在においては鳥肌が立つほどキモい。この名付け方だけで、いかに霞が関がホモソーシャルでマッチョな空気に支配されているかがわかる。

つつじヶ丘アトリエを出て左に進むとそれなりの上り坂になっていて、しばらく進んで振り返るとけっこう感動的な見晴らしが広がっている。しかしなぜそうなっているのかは考えたことがなかった。アトリエの庭にはおどろくほどの蚊が沸くし、「東京にそんな虫はいない」と人に言われてしまったこともあるムカデやブヨもけっこういて、特にブヨには春〜夏にかけて、畑仕事をしている誰かしらが必ず刺されてしまって痛い目に遭う。でもこんな都内住宅地の真ん中にブヨなんかがいる背景については考えたことがなかった。
これらの理由が、「つつじヶ丘」になる前はなんという地名だったのかふと気になってネットで調べていくうちに思いがけず解けていった。まずブログhttps://umemado.blogspot.com/2020/11/57.html?m=1を見つけ、70年ほど前まではこのあたりは金子という地名で駅名も「金子駅」だったが京王電鉄の開発事業の影響でつつじヶ丘駅という名前に変わったことがわかった。ここで紹介されている写真のキャプションに「国分寺崖線」という言葉を見つけ、これなんだっけかなと調べてみるとhttps://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/010/003/001/d00004905.htmlこのページを見つけた。要するに今アトリエがあるあたりに10万年前に流れていた多摩川が徐々に南下していく過程で台地を削り、削られた土地は崖になって残った。その崖の跡が国分寺崖線である。土壌が豊かで水を多く含み、世田谷区にはある百の湧水のほとんどもこの崖線沿いにある。等々力渓谷もこの崖線の一部である。
アトリエの北にある坂道はこの崖線そのもので、ここを登ることは立川台地から武蔵野台地へ上がることを意味している。甲州街道を仙川方面に進むとぐっと上り坂になっているのも同じこと。さらに言えばブヨが多いのもなんらかの影響があるだろう。もしかしたら建物内が底冷えするのもなにかしら影響があるんじゃないか。
この話をアトリエの田原さんにメールしてみたら、さすが田原さんは以前から崖線の土地利用について自転車で走りがてら観察していたらしく、府中からつつじヶ丘にかけての「野菜の無人販売所」の多くは崖線沿いにあるという。きっと河川が養分を運んで肥沃な土壌になったことや、水の流れで開けた土地が確保できたことなんかが影響して、洪水の心配がなくなった頃から農業が盛んになったのかもしれないと言っていた。アトリエ近所の野川沿いには出山横穴墓群という遺跡があり、古くから人が住み着いてなにかしてたんじゃないか、とも。
とすると、つつじヶ丘駅の南側は「つつじヶ丘」という地名ではあるが、実のところ全然「丘」ではなく、崖の下にある土地ということになる。