ある家電が使いたいのだけど、コードが見当たらないという話になったとき、別の家電のコードを分解して転用すること。素晴らしい。だけど、このようなわかりやすい問題がおきたときのみに発揮される創造性は、少々受動的なものに見えなくもない。この現象と、テレビで流れてくる映像を生活の中で見続けること、および外から送られてくる新聞を読み続けることとの近さについて考えること。
好きなアイドルや作家を追いかけて、自分からその情報を手に入れていく行為は、どこか奴隷根性みたいなものを感じなくはないけれど、能動的な態度には見える。良い意味でも悪い意味でも。そういうことにはあまり興味はなさそうだが、問題が起きた時には、工夫して創造的に手を動かすことができる。何かに似ている? 降ってくるものを待っているような。 消費あるいは労働者の社会になった結果?

郷原佳以さんに、僕の「ぜったいに学びのないゼミをやる」のステートメントに関連して思い出した、「ドン・キホーテと老人」という串田孫一の文のことを堀江敏幸さんが書いている、と教えられ、去年串田のほうは読んでいたけど、たまたま古本で買っていた堀江さんの本の中に当該の文をみつけ、二つの矢印がぴたりと重なったような正月。

・会社を立ち上げたら苦労があるという話を友人から聞いた。「4億請求するぞ!」と言われたりするという。まるで一人の人間が他の人間を威嚇するかのように。
会社を立ち上げるということは、個人が「法人格」に変態するということだ。集団を内面化して、会社への批判や賛辞を、自分のことのように喜ぶということ。これもミメーシスのひとつの形態なのか。ワールドカップで、「国」を「代表」している選手が活躍すると、自分とは何の関係もないのに喜んだりしてしまうのと同じことが起きている。

・男女の差異の話もした。どうあっても子供を実際に産むのは女性なので、出産という身体的なリミットの切実さを男は完全に理解することができず、それは不公平だよねという話をしたかったのだが、うまく通じなかった。彼は「子供を育てることに、男か女かなど関係ない」と言っていた。それにはまったく同意するし、僕はそういう話をしたかったわけではないのだが。それに「男女なんて関係ない」と、男性が言うことに暴力性はないのか、という点もひっかかる。そこには現実に差異があるのだという認識を共有したかっただけなのだが、男である僕がそういうことを言うこと自体が、彼にとっては不愉快だったのだろう。
その場にいた女性の友人は「子供を産みたいのかどうかわからない。こんな世界に送り出すことが、子供にとってよいことなのかもわからない」と言っていた。「そうだよね」と同意した。
彼は僕に対し「体にリミットがくることなんて、最初からわかっているじゃないか。それを理解した上で付き合いはじめるべきではないのか。いまさらリミットがどうのこうのというのは、違うのではないか」といったニュアンスのことを言った。人間はそんな単純なものではないと思うのだが。どうも「子供がほしいかどうかわからない」という感覚がわからないのかもしれない。

・そこから格差の話に発展した。「生まれた家庭に本が何冊あるかで、子供の大学進学率が変わってしまう」ことを示すリサーチがあるという話をした。生まれた時から格差がある状態を強いられており、たとえば家庭に本が少ない子供は、大学に進んで専門的な仕事をする、という選択肢自体が最初から考えられなくなってしまう、という問題を共有したかったのだが、彼は「勉強ができなくて、なにが悪いのか」と言った。「それは恵まれた側の意見ではないか」と反論したが、「そうではない。勉強ができないことは必ずしも悪いことではない」という主張を繰り返した。「勉強ができないことは悪いことではない」ということ自体を考える可能性が最初から排除されている問題について話したかったのだけど。酒が入っているせいかどうも噛み合わない。

実家にいるが、母親だけがてきぱきと働いていて父親や祖父や弟はソファに座りっぱなしという状況を見せつけられるのはきついものがある。今日は朝、父親が食卓のテーブルに広げたままにしていた年賀状を、ご飯の準備があるからと母親が「年賀状広げっぱなし〜」と、片付けるようお願いしたことに対して、父親は「すみっこに簡単に寄せられるだろう。やればいいじゃないか」と、なかなか威圧的な感じで言い返していた。その後自分で片付けていたが、「なんでいちいち…」と愚痴りながらやっていた。母親も「なにいってんだか、自分でひろげておいて」とぼやいていた。まったく正論だと思った。普段はとても仲がよいぶん、こんな例は珍しいので、結構なショックを受けてしまった。実家で家族社会学とか文化人類学のフィールドワークをしているような気持ちになっている。母親が働くことが、父や祖父はもちろん、母にとっても当たり前なことになりすぎていて、母が作った煮物や黒豆や紅白なますやお雑煮を食べて「おいしい」と感想を伝えることは誰もしないし(これは、かつて僕もそうだったのだろう)、感想がないことにたいして母親も何も言わない。ただ淡々と、手が4本くらいあるのかと感激するほど、家族から寄せられる複数の要望を同時並行でこなし、一人で機転を利かせまくっている。たぶん、母親はまわりの人間がなにを求めているか察知することと、それを先回りして手を打つことに関して、相当高いスキルの持ち主になっている。家族仲はよいし、みんな全然悪い人ではないからこそ、この状態はきつい。誰かが悪いだとか、そういう話ではない。僕もここにいたのだ。みんなと同じように、母親が毎日のご飯をつくっていること、「おいしい」とか「ありがとう」と労われなくてもつくり続けていることに、なんの疑問も持っていなかった。
また父親がなかなか謝らないところに、自分と似たものを感じる。同じ食卓の席で、口に絡んだ痰を出すような、結構な大音量の所作を、僕や母親がご飯を食べているすぐ隣でしており、母親が「ご飯食べてるとなりでやんないでよ〜」と、角が立たないような口調で言っていたのだが、「咳をするよりはいいだろ。咳を止めようとおもってやってるんだから」と、瞬時に言い訳をしており、その反応速度の速さにちょっとびっくりしつつ、普通に謝ればいいのに、と普通に思った。日常生活の中で「謝る」ことに対して抵抗を感じることはある。僕はたぶん、自分が完全に悪いと納得できないと謝りたくない癖がある。実家の雰囲気に影響を受けてのことかもしれない。

・薪を背負いながら本を読んでいるひとが小学校の校庭にいたような気がするのだけど、あれはいったい何者なのか。みんな「一生懸命勉強している人」ということまでは知ってると思うのだけど、それ以上のことを知っているひとはどれくらいいるのか。「勉強を頑張ってるひと」というだけでは、その人となりの説明にはなっていないような気がするのだけど、その説明だけで十分ではないかと、仮に誰かに詰め寄られたら、たしかに、と思えてしまう気もする。ふしぎだ。
あのような、「勤勉さ」だけが一人歩きしているような例は、ほかにあるのだろうか。ほかの国にも、にたようなひとがいるのだろうか。
いま《勉強すること》に関する小説を書いているので、すこし気になる。あの「勤勉さ」を称賛する風潮には、なにか危険なものが潜んでいるのではないか。

 

・郵便局。荷物の発送手続きをしていたら、隣の窓口におばさんが勢いよく飛びこんできて、「これ送るといくらですか?」と、職員に封筒を差しだした。職員は封筒を秤にのせ、「これは94グラムなので、100グラムまでなら140円になりますので」と答えた(正確にこう言ったわけではないが、こういったニュアンスだった)。するとおばさんは「どういう意味ですか?」と聞き返した。その声色はなぜか威嚇するような響きがあった。刃物みたいだった。その一言で、ぼくの対応をしてくれていた別の職員も含め、場の空気がぴりついた。聞き返された職員が「100グラムまでは140円なんです。切手は、どうしましょうか」と、言い切るまえにおばさんが「自分で貼ります」と遮った。それからおばさんは突然「その言い方、おかしくないですか!これがいくらかって聞いてんのに、100グラムまでは140円だとか!」と大声を出した。職員が「すいません、これは140円になります」と謝ると、おばさんは「はい」と吐き捨てて、ものすごいスピードで郵便局から出て行った。僕はよっぽど、「あなたは悪くないです」と声をかけようかと思ったのだけど、ためらってしまった。言えばよかった。それにしてもおばさん、大丈夫か。心配になる。家とか職場で理不尽な目にあった腹いせとか、そういうのでないといいのだけど。

今日は朝から黒豆を三時間煮て、バスク風チーズケーキを焼き、車に乗って世田谷の練り物屋まで、アトリエのクリスマスおでん会の買い出しついでに美味しいたこ焼きと台湾肉まんを食べ、アトリエで12ヶ所宛の作品を梱包して発送準備を終えた。実に色々なことを終わらせた。こういった物事に比べて、「制作」のスピード感の鈍さよ!一日で何かが進んだと思えることなど、ほとんどない!遅々とした歩み!なんと尊いことよ!

「わたしは概念の中に入り、概念を掘り返すことができます、概念はすべてわたしにとって使うことのできるものです、そのほとんどをわたしはこれまで知ることがなく、すべてが結果のないままになっています、まるでほしいものはすべて見つけられるけれど、まだなにがあるのかわからない店のように。」「…自然はわたしたちの概念の能力を逃れ、わたしたちには理解できない言葉で話します…カタストロフィの発生はまた、いかなるコントロールをも逃れます、それどころか言葉と思考によるいかなる分類をも逃れます。カタストロフィは起きます、同時にカタストロフィは起きませんでした、なぜならわたしたちにはそのための言葉が欠けているからです。」(イェリネク『光のない。』自作解説)

「カタストロフィは起きます、同時にカタストロフィは起きませんでした」

この言葉には、一見対立しているように見える、散文的でロジカルなものと詩的なものとのあいだを埋める橋が隠れている。世界を言葉として捉える、ではなく、むしろ言葉の世界に住まうこと。言葉に包まれながら、同時にそれを包み返すこと。言葉に翻弄されながらも、粘土のように可塑的なものとして扱うこと。常に言葉に対して先手を取りつつ、言葉を使った途端にこぼれ落ちるものについても考えること。

 

この世には、自立するパプリカと自立しないパプリカがある。君はそのどちらかを、知らず知らずのうちに選んでいる。

9時51分。携帯で夢のなかを撮影することに成功し、その動画を見ていたのだが、それも夢だった。

午後、地点の『ノー・ライト』を観に行った。『光のない。』のマルチリンガル版なのだけど、超えていたように思う。観る前は正直、あれ以上のものが可能だなんて思っていなかった。
『光のない。』の記憶が、あの演劇の凄みを見せつけられた衝撃が、開幕しょっぱなの「わたしたち〜」という役者から観客への呼びかけで鮮明に蘇ってきて、そのあと「わたし、たっち?」という、イントネーションをずらした発語で、ああ、僕は今こういうものを必要としていたのだと、またあのときと同じように思えた。とんでもないことを、現実の空間で実現させようとしている、という気概を感じただけで、なんだか涙がでてきて、最初の10分くらいはずっと涙ぐんでいた。
放射能という、見えないけどそこにあるもの、あるいは情報としては見えるのだけど、どうしても現実的な存在を感じられない遠くのニュースのこととか、被災者や、最近だと戦争やウイルスのことなど、「みえる みえない」「きこえる きこえない」にまつわる具体的なものごとから、空に舞い上がるように、抽象的なものへと書き換えていく手つき。
あれだけ印象的なセリフがたくさんあったのに、終わってみるとほとんど思い出せず、ただ、ものすごいものを見たという感慨だけが残るような。そして、それが大事なんだと思えるような。字幕として投影されたテキストを追いながら、わかる↔わからないを無数に反復し、その果てに、理解できるできないとか、そういう問題ではないところまでつれていってくれて、最終的に「完全になにかがつたわってきた」と感じられるような、それもわたし一人に伝わってきたと思えるような、私を信じてくれてありがとうと思えるような、魔法の時間。大砲にこめた抽象概念そのものをくらったような。途中何度も正体不明の感動で涙がでてきた。人間は表現を通してここまでのことができるのかと。バイオリンケースの使い方も、役者の配置やポーズ(特に片手を上げて、わたしたち〜と呼びかけるポーズ)や舞台の空間や衣装もよかった。主演の人たち、同じ人間、同じ空間を占めている動物とは思えないほどだった。なにかがおりていた。足だけ出して上半身埋まって声だけ出してた声楽のみなさんもほんとうに素晴らしかった。マルチリンガルという、役者の発音のつたなさがマイナスになってしまいそうな手法が、母語である日本語もイントネーションをずらしているこの劇のなかではむしろプラスに働くことも発見だったし、そのような技術を、観客を信じてきっちり、でもさりげなく使うこと、演劇の魔法をかけ続けることに注力されていた。この、抽象的なことを観客を信じてやり遂げる気概は「誰かいませんかー」と呼びかけるセリフにも象徴的に現れていたように思う。今年を締める作品としてはこれ以上ない。芸術は、やる価値があるものなのだと背中を押してくれる、消えない炎みたいな記憶。
加えて、鑑賞後に内田と話していて出てきた話題。マレーヴィチの『太陽の征服』という舞台美術のスケッチと、今回の美術の精神が似ている。
太陽を消すこと→光がないこと
遠近法への抵抗→窓(テレビ)の向こうに映る世界とこの場所との、遠さと生生しさの共存(→つまり、抽象と具象の共存。テキストは抽象が可能だが人間の体は具象なのでテキストを上演する演劇は、その融合というか乗り越えを前提として引き受けている)
奇跡的な一致に思う。舞台美術の木津氏は『太陽の征服』を知っていたのか?知っていてもいなくてもおもしろい。

12時35分

京王線のポスターにでかでかと「冬の高尾山は、富士山だ」と書いてあったが、さすがに違うのではないか。

山を山で例えるなんてありなのか?高尾山への観光斡旋ポスターなのだが、作り手の「高尾山は富士山に負けている」という意識が見えてしまっているのではないか?

14時2分

オペラシティの丸亀製麺にて、出口専用のドアからムクドリがぱたぱたと音もなく入ってきて、わずかな風をまきおこしながら、僕の上を飛んで店内を横切り、とんとんとんと着地したかと思ったら、入口専用のドアから外へ飛び立っていった。ほんの3秒ほどの出来事。店内で僕の他に気がついた人は、たぶんいなかった。あまりにも音がなくて幻覚かと思うほどだったけど、たしかに風を感じた。それも一瞬のことだったが、はっきりと、これは違うものだと感じた。自然の風、野の風だった。

本来、ひとは「場所」なのである。そのなかに潮が満ち引きする海があり、海へと流れる川があり、山や谷が連なり、朝日に照らされた湖畔の水面を風がなでて、ときには繁華街のビル陰であやしい取引をする人々が住まう場所なのである。大きな家を借りたり、アトリエを持つことは、その場所を現実という三次元空間に翻訳することなのである。その空間が都会にあるのか、山にあるのかというような、座標的な情報は重要ではない。ただ、翻訳できる場所がある、ということが一義的に重要なのである。

「小さなガラス瓶に入れた、直径1cmくらいの、乾燥したみかんの皮の切れ端を、船便でドイツに送りたいのですが、郵便局に行ったら『どうしても植物扱いになってしまうので、いちどこの電話番号にご自身で電話をしていただいて、そもそも送れるのか、送れるとしたらどのような書類が必要なのかを確認していただけますか』と言われたので、電話をしています。どのようにすればいいのでしょうか」と、『横浜植物防疫所業務部輸出検疫担当』に電話をかけ、「それはどういった意図で送るものなんですか?」と聞かれたので、どこから説明すればいいものか迷ったのだが「道で拾った貝殻とか石を小さな瓶に詰めて展示をする、ということを昔、芸術祭でやっていたのですが、それを知ったドイツの知人から『これが欲しい』と、言われたのがたまたまみかんの皮だったので、こうして電話をしているのです」と答えた。すると電話口の女性は「なるほど」と、非常に心強い相槌(ついさっきまで郵便局で『なんでこんなものをドイツに送るんだろう』といぶかしげな対応をされていたので、この女性の『よくわかりました』と言わんばかりの相槌は無性に嬉しかった)をうち、「植物を送る際は、送り先の国のルールに従わなければならないので、これからドイツのルールを調べて折り返しお電話いたします」と言った。電話を切り、僕はいま折り返しを待っている。たかだか1cmのみかんの皮を送るのになぜこんなに煩雑なことをやらなければならないのか、お金にもならないのに…いやそもそもなぜ自分はみかんの皮をドイツに送ろうとしているのか、こんな人生になるとは予想していなかったな、予想できようはずもない、などと考えながら心底めんどくさい気持ちで郵便局から帰り、僕はきただにひろしの「ウィーアー!」(テレビアニメ『ワンピース』の初代主題歌)を聞いていた。「船便」という響きから、なんとなく連想したのかもしれない(航空便の方が速いし、「SAL便」を使えば安く送れるのに、なぜ船便なのかというと、航空便がなぜか取り扱いを停止していたからである。理由はわからないが、きっと戦争とかコロナとか物価高とかそんなのだろう)。とにかく、すごくめんどくさいのだが、この、小さなみかんの皮の切れ端が船に乗せられ(ヨーロッパへの船便は二ヶ月程度かかるらしい)、どんぶらこ、どんぶらこ、と海を渡る姿を想像すると、なんだか愛らしいし、無駄なものが省かれ合理的に過ぎる世界のなかで、こうやって謎の物体が運ばれるのは、かけがえのないことなのだ、これは抵抗なのである(わずか数グラムの抵抗ではあるが)、と自分に言い聞かせ、とにかくこの小さなみかんのワン・ピースだけはドイツに届けてやるぜと決意を固くした。「二ヶ月くらいかかる」と先方に伝えたら、「That will teach me patience」という素敵な返事が返ってきた。僕もこのくらい心の余裕を持ちたいものだ……

友人のドラマーTPOGalaxyのドラムソロ公演を観に行った。椅子やお菓子が載ったテーブルや、この映像自体の構成らしきものを紙に手書きしている様子などを撮影した動画に、詩をたしなむという彼の母親の朗読をのせた映像がプロジェクションされるところから始まり、それがけっこう長く、その長さになぜか元気をもらった。朗読音声を4回も繰り返していて、これは俺にはできない、当たり前だけど観客が飽きないかなどで映像を編集するのではなく、まず自分がこうしたいというところから構成していくべきであるという態度が。観てよかった。

かもめマシーン『俺が代』を観てきた。ぽたぽたと水が滴り続ける、雨漏りしているような舞台。雨漏りって不安になるし、どこが漏れてるか見つけにくくて嫌だよな、たしかに雨漏りの時代かもな、と思った。アフタートークで永井玲衣さんが、人と人の対話を外から見ることについて、この人大丈夫かなとか、私はこう思わないなとか、そういう仕方で参加させられてしまう、身体が一緒にそこにいることで、実際に話をしていなくても関係させられてしまうところが好きだと言っていたことに関連し、かもめマシーンの萩原さんが、今回の演目も開演前に70〜75分です、と言ったと思うんですけど、5分くらいはブレがあるんですよ、なぜなら間の取り方とか、お客さんの反応を見て変えたりするから、それがリアルで見ることの面白さだし、対話に参加させられていることに似ているかもしれないと言っていて面白かったのだが、たとえばこの演目が商業的なものになっていき、舞台の規模が大きくなって観客との距離が遠くなっていくと、上演時間のブレはどんどん小さくなっていき、作品は良くも悪くも一つのパッケージとして完成されていくんだろうなと思う。どこでやっても、いつやっても同じ時間で終わる、みたいな。だとしたら、この、客と役者の対話、人と人との対話、ひいては憲法との対話も、規模の「小ささ」が大事なのかもしれない。哲学対話も、500人とかでは成り立たないだろう。その規模はどのくらいの人数で破綻してしまうのか。人と人が舞台上で話しているのを見て、この人たち大丈夫か、と思えてしまう観客席のキャパはどのくらいまで大きくできるのか。

針葉樹合板を買いにホームセンターへ来たはいいものの、一枚2500円という価格の高騰に驚愕し、代わりの方法を考えることにして購入を諦め、そういえば油性マジックが買いたいのだったと思い出して店内を歩いていると、腰袋コーナーが目に入り、あったら便利なんだろうなと思いつつずっと買ってないな、この機会に買っちゃうかと、そのあたりをうろうろしていたら、腰袋コーナーの後ろにある工具箱コーナーに意識が移り、工具箱があとひとつあったら手持ちの工具が全部入るんだよなと思って物色しはじめてしまい、最終的にめちゃくちゃ大きな工具箱とウエストポーチと、マジックを買ってホームセンターを出た。なんだか人生もこんなふうにやってきた気がする。

ふりかけは小学校のときに合法で持ち込めるおやつだった/11月26日

11月16日。魚べいという寿司屋に来た。
出てくる寿司のしゃりは毎回、きっちり同じ形、同じ大きさをしている。型抜きされたものらしい。つまり握る作業は、ロボットがやっているということだ。だがテーブルの片付けは、さっきから人間がやっている。
これは、人々の思う「ロボットが人間から奪う職業」のイメージとは逆のことが起きているのではないか?
真っ白な内装の、ディストピアSFみたいな店内で、壁のスピーカーが「セーフティ・タイムです。ホールの従業員は手指のアルコール消毒をしてください。それでは、今後も丁寧で清潔な作業を心がけましょう」と指示する。ホールのスタッフたちはそれに従う。システムが人間に命令している。
この光景を見ていると、先ほどから流れている「ゲンキズシ♪グループ♪」という店内の音楽が「デンキズシグループ」に聞こえる。

手についたぬかの匂いはまったく気にならないどころかむしろ好きだけど、手がべたつくのは嫌なのでよく洗っている。僕は匂いよりも触覚の快適さを重視しているかもしれない。服の肌触りとか、汗をかいたり庭仕事をしたあとはまず顔を洗いたくなったりとか。

広島平和記念資料館で感じた、上空から見る「地図」の恐ろしさ。人、家、生活がデータと数字になることのこわさ。これはものを見えなくさせる技術であり、上から見下ろす視点がもつ「重力」という名の暴力と、花火や折り鶴や噴水や慰霊塔など、戦争に反対するものが持つ「上昇」の力、重力に抗する視点。見上げる力と見下げる重力の対比。

数年ぶりに平和資料館へ行き、ふたたび食らってきた。全人類が五年に一度は見た方がいいと思える。展示は以前よりも綺麗な印象にまとめられていたけれど、それでもまだ強い「怒り」を感じるものになっていた。人間ならば、ヒトならば、この展示を見れば、核兵器を存在させてはならないと、皆が思うはずだと感じた。

恐ろしい怨念がこもった小銭があり、正確に二人で分けなければなにか悪いことが起こるかもしれないという状況で、僕を含めた人間三人で計算をしているのだが(くわえて、霊らしきものも2体ほどそこにいる)400÷2がどうしてもできない。135になったり275になったりして、筆算してみても間違えてしまうし、携帯で計算しようとすると携帯が固まったり、どうしても操作ミスをしてしまう怖い夢。6時に目が覚めてしまった。

今日実家近くの店で買い物をしたとき、レジで店員が、客の年代を打ち込むボタンで僕のことを20代と押していて、無性に嬉しくなってしまった。

さくらいさんが言っていた「人前で、"ここに来た目的"について話すときに、ひとつかふたつしか言えない。本当は三つも四つも五つもあるのに、人に話すときはそれが絞られてしまう」という話は、歴史を語るときにこぼれ落ちるものと似ている。
たとえば今つくられている芸術が数十年後に誰かにまとめられたとして、きっとそれはいま僕が見ている景色とはだいぶ違った、単純化されたものになっている。
「このマックっていつからあったっけ?」という質問に、「まずビッグバンていうのがあって…」とは説明しないこととも、なにか通じるものがあるかもしれない。

《村上勉強堂》計画の資金調達のため、過去に制作した作品をオンラインで販売することにしました。《移住を生活する》※のなかで描いたものになります。日本各地の家のドローイングや、地図の作品もあります。価格帯は8,000〜280,000円です。

下記リンクから、なにとぞよろしくお願いします。

https://satoshimurakami.stores.jp/

※《移住を生活する》については下の動画をご参照ください

いつもは自転車で向かうアトリエへの道を、今日から始まる「ぜったいに『学び』のないゼミをやる」のアイデアを練るために歩いていたら、反対側の歩道で、茶髪でロン毛のにーちゃんが犬を抱きかかえていて、道路脇の、通常の犬の目線では見えない高さの畑を見せながら、すごいねえ野菜いっぱいなってるねえ、と話しかけていて笑っちゃった。すこし気持ちが楽になって、ゼミで積み木でもやりながら話したらいいかなとおもいついて、百均で積み木を探すためにいつもとは違うところで角を曲がったらハナミズキの葉っぱが歩道に落ちていて、それがとても綺麗で、何かのチケットみたいだった。綺麗なものを7枚くらい拾って歩いているうちに、百均には寄らなくていいなという気持ちになった。この葉っぱをみんなに配ればいいなとおもったのだ。大きな白い布を持っているから、それを広げて葉っぱを置いて、みんなに見せればいいとおもった。そうしたら甲州街道を曲がったところで、男の子とお父さんが手を繋いでいて、男の子が道端にたまっているケヤキの落ち葉の山を、両方のくつでしゃこしゃこ蹴りながら歩いていて、お父さんが笑いながら、はっぱそんなふうにするの?と聞いて、そしたら男の子は、だって葉っぱが好きだから、と答えていた。今日はすごくいい日になりそうだな。

コンビニで売ってる、ホイップクリーム的なものがサンドされた細長い系のパンの包装ビニールの中に、なぜかもう一層あるビニールの膜に、われわれの病が現れている