グミを書いにコンビニ入ったけど釣り用のワームばかり売っていてグミがぜんぜん置いてなくて諦めて車に戻る、という夢
0417
お昼前、車で二人でコインランドリーに行って洗濯機に洗濯物を入れて、一度閉じたらなかなか開かない踏切を渡らないようにするため駅前の駐車場に車を止めて、でも車を止めた瞬間に踏切が開いた。涼ちゃんに「踏切、渡れたね」と言われ、「でもこれで踏切を渡りに行ってたら、未来は変わったかもしれないから」と返したら、「君はすごいね、普通の人はまず地図があって、その上でこうしようとかああすればよかったとか思うけど、君は地図が描きかわるからね」と言ってくれた。
車をわざわざ駐車場に停めたのは「見聞録」のつけ麺を食べるためだったのに、「見聞録」が開いてなくて「どうしよう」となり、一応落ち込んだ顔をして、日高屋にいこうかと言ったら涼ちゃんが「弁当を買って車で食べれば20分(駐車場料金1周分)で食べられるんじゃないか、ちょうど水ももってるし(コインランドリーで小銭を崩すために自販機で買った)」と言い、「パズルがつながっていく!」と僕は盛り上がったけど「そんなに繋がってない」と笑われ、弁当を買って車に戻って食べた。弁当を買って車に戻る途中「これで見聞録が開いてたらすごいね」「そうだね」「開いてたら嫌だから、見ないようにして車に戻ろう」という話もした。
弁当を食べながら、人生のほとんどのことは「作業」のフォルダにいれることができるという話をした。ご飯を食べること、寝ること、トイレや風呂など、下手したら映画を見たり居酒屋へ飲みに行ったり、美術館へ行くのも、ときには旅行すらも作業になってしまう。しかし「ギリシャへ行く」は作業ではない。台湾やインドネシアに行くのは、時として作業的な意味合いが出てしまうが(なぜだろう)、しかしギリシャに行く、というのは、なぜか作業という感じがしない、という話。なぜだろう。
しかし旅行も細かい作業の積み重ねと言える。そこで「旅行」を、「作業か作業でないか」という考え方で組み立てるという方法を提案する。ホテルを予約して、移動して、チェックインするまでは作業として、そこから晩ごはんをどうするかは現地で決める、とすれば、晩御飯だけは作業という魔物から逃れられる。晩ごはんまで前もって調べてしまうと、すべてが作業になってしまう。
03302349
学生の時に先生や先輩から「作家は食えるよ」と言われて、「ぜんぜん食えないじゃないか!」と後に怒り出すようなひとは論理的に存在しない。制作が人生にもたらす恩恵は、食えるか食えないという俗な基準を後ろに押しやる(はず)。制作を続けていればそんなことは問題にならなくなる(はず)。しかしこれは、やってみなければわからない。やってみなければわからないことを、やる前から教えることはできない。だから世の先生や先輩たちはみんな、作家は食えると言ったほうがいい。それは必ず、かつての想定を超える大きさでやってくる。
04131304
初めて内視鏡検査をした。口からカメラ、右手に酸素計、右腕には血圧計、左腕に点滴みたいな注射針、計3本の注射針が刺され、わずか30分でHPがゼロになった。涼ちゃんが一緒に来てくれて助かった
《村上勉強堂》報告書第十一号発刊のお知らせ
03280551
星のカービィみたいなギャグ漫画。何も考えずに読めるギャグ漫画が読みたいのかもしれないなあ、と駅のプラットホームで友達に話していた。そのとき僕は自分で書いたカービィの漫画を1冊の本にしたばかりだった。とても好評だった。それから突然イタリアの路上にいて、一緒に来ていた日本人のおじさんと歩いていて、おじさんはとても慣れている様子でずんずん住宅街を進んでいって、僕は後ろから早足でついて行った。おじさんは路上に落ちているドライバーとかインパクトのビットとか、様々なものを拾いながら歩いていた。道の向こうからこっちに進んでくる人がいて、突然手元のカセットコンポを空高くぶん投げた。それは道の上に落ちて壊れた。おじさんは後ろを歩く僕に、そのコンポには触らないようにして、と言った。 こうやって壊れたものを路上に投げ、気になってそれを触ってしまった人を捕まえて、濡れ衣を着せ、修理費をぼったくる詐欺師みたいな人がいるのかな、と思った、という夢。
03271252
父親、お礼を言うときに絶対「サンキュー」という。「ありがとう」という言葉を、そういえば聞いた記憶がない。
03252516
10時に六本木ヒルズ森タワーLLフロアのスターバックス前に集合、という約束を守るために8時前に起きて、とりあえずなにかお腹に入れておこうと昨日のカレーを火にかけた。冷蔵してあったご飯をレンジで温め、器に盛るとき、全部食べ切ってしまいたい気持ちと、さすがにそれは多いのではないかという気持ちがせめぎ合った。しかし時間は差し迫っていた。しばらく考えて、結局すべて器に盛ることにした。そこにカレーをかけて、かきこむように食べて、いそいで洗い物をして車に乗った。途中の道路は混んでいた。この混雑はある程度予想していて、早めの8時35分くらいに出発したのだけど、だんだん不安になってきた。ラジオの収録なので遅れることはできない。
1時間以上休まずに車を走らせた。途中大きく道を間違えることもなく、六本木ヒルズの建物内に突入した時点で9時53分だった。指定されたP2駐車場に入り、地下2、3階は満車だったので、4階までおりていった。あいているスペースを見つけ、車を停めた時点で9時57分。車を降りて「北エレベーター」に向かい、乗り込んだ時点で9時59分。これはもしかして、もしかするのかと気持ちが昂った。そしてチーンと音がなり、LLフロアでエレベータの扉が開いたとき、10時ジャストだった。私は間に合った。それも時間ぴったりに。世界が私を祝福してくれているような気持ちになった。フロアにはたくさん人がいたけれど、主役は私だった。まったく初めて通る道を1時間以上走り、電車でしか行ったことのない森タワーの駐車場に車を停め、時間ぴったりにフロアに到着。こんな奇跡はめったに起こるものではない。仮に1分でも早く着いていたら「間に合った〜」と感じただろう。ところが時間ぴったりに到着すると、不思議なことに「間に合った」ではなく「祝福されている」と感じる。途中、信号に一度でも多く引っかかっていたら、こうはならなかった。地下2階の駐車場に停めていたら、こうはならなかった。
他の人間にとってはとるにたらない、なんでもない出来事。自分ひとりだけが、自分にとってのみ、よかったと思える出来事。それだけが、世界からの祝福となる。君が一人になったそのときだけ、現れる世界がある。他人からみたときに、どうでもいいことほど大切。それを祝福と呼ぶ。
0323
よかったこと。今日は、駅前の日高屋でラーメン食べたあと、会計中にトイレに行きたくなったのだけど、店を出てすぐに公衆トイレがあったのがよかった。
自分自身に触れるのが一番難しいし、本当のことを言うといつも涙ぐんでしまうが、やっていこう
03231152
喫茶店。隣の席で女性二人が「自分に好意がないのに好意を向けられるのって、すっごい疲れない? なんでか知らんけど」という話をしている
03200642
東大の学校図書館みたいな家にいて、外は夜で、かなりの雨が降っている。訪ねて来ていた友人が自転車で帰ろうとしているので、すごい雨だから車で送っていくよ、と何度も提案するが断られる。私は諦めて、雨の中家に帰っていく友人を見送る、という夢。私は謝った。向き合って、頭を下げて、ごめんなさいと言った。友人は、あなたは大きすぎて、一緒に仕事をするのは難しかった、と言った。
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お金がある時にしかできないことはあるが、お金がない時にしかできないことも多い。そのときに固有の体があるから。同じように悲しい時にしかできないことと楽しい時にしかできないことがあるし、体調がよい時にしかできないこと、悪い時にしかできないこと、自分にはできると信じられる時にしかできないこと、自信がない時にしかできないことがある。どうしてもできないときにしか見えない景色もある。なぜできないのかと落ち込むのではなく、そのときにできること、見える景色を肯定的にとらえること
03121236
予定していた愛知行きが雨予報で延期になったので、清原惟『すべての夜を思いだす』をユーロスペースで観てきた。お昼過ぎからひどい雨とのことだったので、朝起きてすぐに家を出て10時の回。他に客は10人くらい。そういえば昨日も渋谷に行った。映画館を出て、このあいだリサイクルショップで買った帽子を被って街を歩いた。視界の上のほうに帽子のつばが広がって、屋根みたいになっている。そんなふうに風景を見ていてふと、この帽子の前の持ち主もこんなふうに、帽子のつばごしに世界を見ていたのだ、と気がついた。同じ家の窓から外の景色を見る別の人のように。自分の目で世界を見るとき、その視界に自分は入らない。誰にとっても。とすると、仮にいまここにある私の視点が、以前の持ち主の視点にすりかわったとしても、映像としては特に何かが変わることはない。自分以外の誰かがその切り替わりを映像として眺めたとしても、帽子を被っている人間が変わったことには気がつかない。『すべての夜を思いだす』のなかで多用されていた風景を映している長回しのショットは、誰かの視点を思い起こさせた。ただ、誰がその主体なのか、さっきのショットと今のショットで主体は切り替わっていないのか。映像だけを観ている自分にはわからない。画面の中で進むストーリーと同じくらいに、これは誰の視点なのかを考えてしまう映画だった。だから観おえたあと、ロビーでパンフレットを買おうとスタッフのひとに声をかけたとき、自分の視界の「後ろ」から(自分の)声が出てきたことにちょっと驚いてしまった。映画のなかでそんなことは起こらなかったから。加えて、スタッフの人が私に向かって金額を告げたときは、画面の中にいるひとがカメラに向かって話しかけてくるような奇妙さもあった。そんな場面が映画の中でも一度だけあった。このカメラ自体が人の視点みたいだと思い始めたころ、いきなり画面の中にいる二人から話しかけられ、鳥肌が立った。『すべての夜を思いだす』を二時間みたことによって、映画の視点が現実の自分の視界に重なってしまうような感じ。奇妙だけど、不思議と嫌な感じはしない。ふだん私は自分の視界のことなど特に意識せず、そこに映っている人間に向かって話しかけ、自分の声を視界の「後ろ」に聞きながら会話をしている。当たり前のことだ。でもいっぽうで私は、以前別の人間がかぶっていたリサイクルショップの帽子を被り、同じ窓から世界を見てもいる。
同じ家の窓から違う人が風景を見るみたいに、自分も世界を見ているのだとしたら、そこでいう家ってなんなんだろう。
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「自分にもっとも近くて、崇高で、大切にしている「自分」というイメージが、ガザのことで傷つけられてしまった」
03070723
学校のようなところで、好きな料理をミニチュアでつくる、といった授業を大勢で受けている。僕は最初小さな望遠鏡(小指くらいのやつ)をつくって、それがなぜ料理なのかということを一生懸命考えていた。そのあとサラダのミニチュアを二つ作り、できあがったころにはみんなとっくに完成していて、僕は遅れて自分のものを並べにいく、という夢
news
渋谷公園通りギャラリーでの展覧会「共棲の間合い」に参加しています。落ち葉に付着している微生物の熱を足湯などで体験できる作品です。
展覧会名 | 共棲の間合い -「確かさ」と共に生きるには- |
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会期 | 2024年2月10日(土)–5月12日(日) |
開館時間 | 11:00~19:00 |
休館日 | 月曜日(2月12日、4月29日、5月6日は開館)、2月13日、4月30日、5月7日 |
会場 | 東京都渋谷公園通りギャラリー |
入場料 | 無料 |
出展作家 | 折元立身、酒井美穂子、スウィング、村上慧 |
主催 | (公財)東京都歴史文化財団 東京都現代美術館 東京都渋谷公園通りギャラリー |
https://inclusion-art.jp/archive/exhibition/2024/20240210-178.html
I’m participating in the exhibition at Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery
Title | Space in Symbiosis -How to live with “certainty”- |
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Period | Saturday, 10 February – Sunday, 12 May 2024 |
Opening Hours | 11:00 AM- 7:00 PM |
Closed on | Mondays, 13 February, 30 April, 7 May *except 12 February, 29 April, 6 May |
Venue | Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery |
Admission | Free |
Artists | ORIMOTO Tatsumi, SAKAI Mihoko, Swing, MURAKAMI Satoshi |
Organized by | Tokyo Shibuya Koen-dori Gallery, Museum of Contemporary Art Tokyo, Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture |
https://inclusion-art.jp/en/archive/exhibition/2024/20240210-178.html
02250955
霞が関用語で現金のことを実弾というらしい。このネーミングセンスも、それをメディアの人間がよしとして使っている雰囲気もすべてがキモい。特にパレスチナで行われている大量殺人の惨状を日々SNSを通じて思い知らされている現在においては鳥肌が立つほどキモい。この名付け方だけで、いかに霞が関がホモソーシャルでマッチョな空気に支配されているかがわかる。
02242120
つつじヶ丘アトリエを出て左に進むとそれなりの上り坂になっていて、しばらく進んで振り返るとけっこう感動的な見晴らしが広がっている。しかしなぜそうなっているのかは考えたことがなかった。アトリエの庭にはおどろくほどの蚊が沸くし、「東京にそんな虫はいない」と人に言われてしまったこともあるムカデやブヨもけっこういて、特にブヨには春〜夏にかけて、畑仕事をしている誰かしらが必ず刺されてしまって痛い目に遭う。でもこんな都内住宅地の真ん中にブヨなんかがいる背景については考えたことがなかった。
これらの理由が、「つつじヶ丘」になる前はなんという地名だったのかふと気になってネットで調べていくうちに思いがけず解けていった。まずブログhttps://umemado.blogspot.com/2020/11/57.html?m=1を見つけ、70年ほど前まではこのあたりは金子という地名で駅名も「金子駅」だったが京王電鉄の開発事業の影響でつつじヶ丘駅という名前に変わったことがわかった。ここで紹介されている写真のキャプションに「国分寺崖線」という言葉を見つけ、これなんだっけかなと調べてみるとhttps://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/010/003/001/d00004905.htmlこのページを見つけた。要するに今アトリエがあるあたりに10万年前に流れていた多摩川が徐々に南下していく過程で台地を削り、削られた土地は崖になって残った。その崖の跡が国分寺崖線である。土壌が豊かで水を多く含み、世田谷区にはある百の湧水のほとんどもこの崖線沿いにある。等々力渓谷もこの崖線の一部である。
アトリエの北にある坂道はこの崖線そのもので、ここを登ることは立川台地から武蔵野台地へ上がることを意味している。甲州街道を仙川方面に進むとぐっと上り坂になっているのも同じこと。さらに言えばブヨが多いのもなんらかの影響があるだろう。もしかしたら建物内が底冷えするのもなにかしら影響があるんじゃないか。
この話をアトリエの田原さんにメールしてみたら、さすが田原さんは以前から崖線の土地利用について自転車で走りがてら観察していたらしく、府中からつつじヶ丘にかけての「野菜の無人販売所」の多くは崖線沿いにあるという。きっと河川が養分を運んで肥沃な土壌になったことや、水の流れで開けた土地が確保できたことなんかが影響して、洪水の心配がなくなった頃から農業が盛んになったのかもしれないと言っていた。アトリエ近所の野川沿いには出山横穴墓群という遺跡があり、古くから人が住み着いてなにかしてたんじゃないか、とも。
とすると、つつじヶ丘駅の南側は「つつじヶ丘」という地名ではあるが、実のところ全然「丘」ではなく、崖の下にある土地ということになる。
01221345
カフェにてなかなか歳のいったおじさんと大学生くらいの女性が隣の席でランチを食べていた、という流れを踏まえて店を出る時に女性が放った「お会計は別々で」の衝撃
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私は技術を持っている、と私は思っていない。私は技術を持っている、と思うためには、私以外の人間が持つ技術と、私が持つ技術とはおなじ地平にあり、それぞれに優劣をつけることができる、と信じる必要がある。私はそれができない。どうしても、人間はそれぞれに固有の「場所」のようなものの上にいて、たとえばある土地の地名の由来に関する昔話と、まったく別の土地の昔話とを、どちらが優れているかと考えるのがナンセンスであるのと同じように、あるいは異なる言語同士に優劣をつけることができないのと同じように、人間と人間は最初から最後まで、何一つ比べられるものを持っていない、という認識から逃れられない。
なので私は、人になにかを教えるということがとても苦手であるし、人から教えられることもあまり得意ではない。
しかし、そうも言ってられない現実もあり、わたしが感じたことやわたしなりの技術を、人に教えるべきタイミングは存在する。そのような機会がこの歳になって増えてきたように思う。私は技術を持っている、と私は考えを改めるべきなんだろうか。
02071008
家を長期間留守にして久々に帰ってきたポストに溢れている封筒や広告チラシなどを見て「お便りたくさん届いてる」と言うひと
01202304
じいちゃんの言葉。実家の近所のハンバーグ屋「ポパイ」にて、席についてしばらくして、なにやらきょろきょろしてから、もの言いたげに口をもごもごして
「はつみさんは?」
と、はつみさんに聞いた。はつみさんが「わたしここよ、はつみ」と答えると、こんどは
「ここにいない人は?」
と聞いた。すごい質問だと思った。ここにいない人は? 当然ここいる人はみんなここにいて、ここにいない人はいないのだから、この質問には誰も答えられない。
01092351
「付き合ってもいいかなー、みたいな感じなの! で、やべー嫌われたかなと思ったのは、クリスマスマーケットで、北欧の小物みたいなのがいっぱい売ってて、それ見てて、ちいさいぬいぐるみがあって、値札見たら二万三千円で、たっけ!て思って。それで帰り道に、あのぬいぐるみの値段みた?って聞いて、見てないっていうから、めっちゃ高いよ! いまから店戻って確認してみる? って言ったら、店入って値段だけ見る客いたら嫌でしょ、って言われて、やべー嫌われたかなって思った!」
アトリエ近所のスーパー銭湯の露天風呂。
「なんでこんなにカップルいるのに、俺に居ないの?」
「わはは。わかるわかる」
「こいつにいんのに!? みたいな」
「ぎゃはは」
01061117
パスモのチャージ画面で10,000円のボタンを初めて押した日。大人になったなあ、という実感がある