いま期間限定でネット公開されている、フィンランドの「オンカロ」と呼ばれる放射性廃棄物の最終処分場を扱ったドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」をみた。そうだった僕たちは、永遠を相手にする気持ちで、すべてのことに臨まなくてはいけなかった。これはたとえ話ではなく、放射性廃棄物という、具体的な物質がこの世界に存在してしまっていた。オンカロは、建設が終わり、廃棄物を収納した後埋め戻されるらしい。その後は少なくとも放射性廃棄物が人体に無害になるとされる10万年間は、誰も開けないことを祈るしかないという。そこで地表に「マーカー」と呼ばれる石碑のようなものを作り、"この場所は危険である""この地を掘り返してはいけない"というメッセージを、あらゆる言語や図で表示するらしい。10万年後の人類が、ここを掘り返さないように。これが現在「最先端」で「世界唯一」の廃棄物を処分場らしい。10万年間という時間を超えるために"石"に"言葉と絵"を刻み付けるという方法しか考えつかない。それは多分僕たちがこれまでに、石に刻まれた古代の文字や洞窟の壁に彫られた古代の絵を発見したからだ。その方法しか知らない以上、それに頼るしかない。あまりにも長い年月。放射性物質が発見されてからは、まだ100年ほどしか経ってない。ラスコーやアルタミラの洞窟壁画が描かれたのが今から1万5千年くらい前、エジプトのピラミッドが作られたのが5000年くらい前、キリスト教が起こり西暦が始まったのが2014年前。10万年間は。。うまく想像できない。でも僕たちはそれを相手にしなきゃいけない。放射性廃棄物という具体的な物質が現実に存在している以上は。いきなり10万年は無理でも、せめて1000年くらいの単位で考える癖を。いつも、前後千年間くらいは意識しながら今に挑まないと。簡単なことではないけど。1000年や2000年を、軽く飛び越えるくらいの気持ちでいないと、10万年には太刀打ちできない。放射性物質に太刀打ちできない。

信号機や歩道橋に、時々うんざりする。意識的に正気を保ちながら職場に向かって歩いている。ニーチェやショーペンハウアーの言葉を反芻して、ウディガスリーやボブディランの歌を聞きながら。やっぱりこの、生活をさせられている感じが息苦しい。僕が家の絵を書いている最中、僕と家の間を無数の車が、その多くは貨物を積んだトラックやコンクリートミキサー車などだった。絵を描いている最中に1000台以上は通っただろう。このときの時間の流れが、彼らと僕とでは明らかに違う。囲われた海に放たれて「自由に泳いでいいですよ!」といわれて、多くの人が喜んで泳いでいる。25過ぎたら仕事が楽しくなってくるもんなんや、という人がいたけど、それは自分を納得させるために言っているようにも聞こえる。まわりに対してそう伝えることによって、この世界にそういう自分を定着させようとしている。自由は意志のあとについてくるものだ。あらかじめ与えられた自由は存在しない。「自由」を与えられた時点で、そこから自由が奪われる、自由が逃げて行く。「あなたは何の宗教ですか?」という質問と同じだ。自由に答えられるように見せかけて、この質問は、自分が信じているものを「宗教」のひとつだと考えることを強制する。「それ面白いね」っていうせりふも同じようなもんだ。使い方を注意しないと、これはすぐに侮辱の言葉になる。「面白い」という言葉のなかに、状況を回収してしまう。
あらかじめ決められた振り付けで、ながいあいだ踊らされ、それが楽しいと思えるようになっていくこと。それはオーウェルの「二重思考」とどう違うのか。いつか映像で見た、学生団体のダンス合宿のことを思い出す。何十人かで泊り込み、共同生活をして、ひたすらダンスの練習をする。どこかの大会に出る練習をしているのかと思いきや、違う。合宿最終日に、その合宿メンバーだけで「本番」を踊る。観客は一人もいない。本番が終わったら、何故かみんな感動して泣いている。これが馬鹿にできない。僕たち自身がそんな状態の真っ只中にいるかもしれない。この世界でのべつのありかたを想像する。一番冴えた正気は、発狂の直前にあるのかもしれない。そのぎりぎりの正気を。問題を、救いを、夢を、来世や、次世代や子供に託すな。天国や極楽浄土に求めるな。別の世界ではなく。この世界での別のありかたを想像する。

ある手紙に対する架空の返信

あなたは、やりたいことをして生きていける人間は一握りだ、と言いました。多くの人間は、やりたいことをやりたいと思いながらも、それでは生活できないので、本当は嫌な仕事をして、生活のために、家庭のためにがんばっているんだ。という言い方をしました。あなたの目には、彼女が"安定した仕事"について生活をための我慢•努力をしていない、将来の計画がたてられない能天気な落ちこぼれのような存在に見えるのかもしれませんね。しかしおそらく彼女は"将来の心配をしていない"ことはないと思う。彼女には、どうしても見過ごせない何かがあった。このままでいいのだろうか、私は。という疑問が、歳月を経て耐えられないくらい大きなものとなり、ついには大学をやめるまでになってしまった。彼女のほうこそ、不安でいっぱいなのだと、どうして思えないのか。あなたは言った。日本はどん底だと。ならばなおさら、いままでと同じ方法ではだめかもしれないと、どうして思えないのか。いま、僕たちの生きるこの社会の軋む音が至る所から聞こえてくる。この音を聞きとることができる人は、「大学を卒業し、定年まで雇ってもらえる企業に就職して、定年から死ぬまでの20年間ぶんのお金を、働けるうちに貯めて、そして老後を迎える。迎えられる。」なんてことを考えられるはずがありません。仮にあなたのいう生き方を遂行できる社会だとしましょう。だとしても、"就職するために"大学に入り、"将来のために"就職し、"老後のために"定年まで働いて、それで退職し、死ぬまで貯金で生活する。それでどうなるのですか?いったい、そこになにがあるのですか。寿命まで生きるための暇つぶしのようにしか思えない。それは幸せな人生だと本当に思えますか。あなたは「みんな我慢しているんだから、お前も我慢しなさい」と言っているように聞こえる。やりたい事をできるのはほんの一握りだ、と彼女にいうという事は、お前はその一握りではない、やりたいことをできない人間だ、と言う事とどう違いますか。あなたは彼女に、やりたくない事を我慢してやりなさい、みんなやっているんだから、と言っている。
そもそも「やりたいこと」とかいっている時点で既に終わっている。あなたの言う「やりたいこと」はいつまでたってもできない「やりたいこと」です。「やりたいこと」というのは、常に私たちの前から逃げていきます。なぜなら、僕たちはある満足な状態を持続させることができない。何かに満足したら、また次の欲望をもってしまうようにできている。あなたの言い方では、「やりたいこと」をやれる日がくることは永久にありません。「やりたいことをやる」のではなくて、「あなたがやったことが、やりたかったことになっていく」のだとどうしてわからないのか。やりたいことをさがしてから、やる意味をさがしてからやるのでは、永久にできない。そうではなくて、やったことが意味になっていく。(これは「やることに意味がある」とは違います。それは慰めにすぎない。)繰り返しただ消費していくだけの日々の中に、人間の生の輝きはありません。あなたは、将来の展望が見えないと不安で仕方が無いのでしょう。働きながら年老いて、退職して老後を迎えて死んでいく。その道筋が見えないと不安なのでしょう。「60歳まで雇われる」。しかし、そんなの牢獄でしかないじゃないですか。この世界はなぜこのようなあり方をしていて、別様のあり方をしていないのか、考えたことはありますか。僕たちは、昔から様々な生活のヴァージョンを経て、今の生活のヴァージョンの中でとりあえず生きているにすぎない。今でも、世界には別様の暮らしがたくさんあります。あなたがメールで書いてくれたような"幸せのありかた"は、ほんのひとつの、小さな小さな考えに過ぎないかもしれないとは思えないのか。もっというと「あなたが彼女のいまの生活に対して不安を抱いてしまうこと」それ自体が、「この競争原理的な資本主義社会を加速させるために仕組まれた巧妙なトリック」であるかもしれないと考えたことはありますか。かつて団地で澄む事がトレンドなのだとされていたころ、あるいはマイホームを買うことが幸せだと奨励されていたころ、"現代の理想的な生活スタイル"なるものがプロパガンダされたころの名残が、あなたのような思考を生むのかもしれない。
話がすこしそれてしまったけど、要するに、娘の不安をわかろうという気持ちが、よりそって一緒に考えようと言う気持ちが文面から感じられない。自分の価値観を相対化できない。押し付けていると気づかずに、押し付けている。視野狭窄に陥っている。手紙では埒が明かない。とにかく一度会って徹底的に話をするべきだと思います。

この一週間はとてもたくさんのことがあって、思い出せる印象的なシーンがたくさんある。昨年は本当に毎日が同じことの繰り返しだった。そのためか、一年がおそろしく早く過ぎてしまって、もう去年の元旦から一年が過ぎてしまったのかと思うとぞっとする。生活は"いつも•既に"ここにある。僕が歩くとき、動いているのは僕ではなくて地面の方だと言う事と同じように、たとえ国家が解体したとしてもこの退屈な生活はここから動くことがない。必要なのは、この退屈な生活の、その場しのぎを繰り返すだけのこの生活の、日々の「違い」を見い出すこと。そして僕たちの生活を対象化•客観化すること。もっと言うとその対象化•客観化の地点でふみとどまる事。「違いを見い出している状態」にとどまり、変化している状態の物事に絶えず名前をつけ続けること。
そのとき。過去を振り返るときに注意しないといけないことがあって。それは「思い出す」ということは、過去に"逃げる"なんて後ろ向きな事ではなくて、いま生きている自分と"過去が共に在る"ということ。土屋先生も話していたように。思い出すという事は、過去が今この瞬間に出現するということ。そして、何かに取り組むたび、その終わりを想像して、その取り組みが終わったとき、取り組む前に終わりを想像したときのことを思いだすことで、ようやく行為が完了する。そうすることによって、過去のその出来事が「ひとつ」と数えられるようになる。そうやって対象化された過去のことは、いつでも現在の僕の前に出現させられる。時間が操作できる。同じように空間も操作できる。無音も音の1つだと、ケージが発見してくれたおかげで、静かな夜に耳をすませていると、この島でがんばっているみんなの声が聞こえてきそうな気がする。というか、どれだけ長い距離が互いを隔てていても、その距離のせいで、声がかき消されてしまったとしても、そのかき消された無音が僕の耳元まで届いているということになる。みんなの声が聞こえているということになる。距離が消え去る。そう考えるだけで静かな夜が、賑やかになってくる。そんなことを思いながら、二ヶ月前のオープニングのときと同じ道を辿って、吉備サービスエリアから備前一宮駅までの道を歩いて帰った。またあの道を歩く事もあるだろう。こわがることは何もない。ただあの道を夜に通るのは怖かった。そういえばこの正月で、レジデンスのお誘いもいただいた。それはとても"いい話"で、すこし前だったら迷わず飛びついていたけれど、いまは自分の計画があり、かつレジデンスの企画者が同世代で、すごく良いやつだったので、ぜひ仲間として一緒にがんばりたい、という意志を伝えた。彼女にもまた会うだろう。今日も静かな夜なのでみんなの声が聞こえてくる。がんばる

東京駅前の真っ黒な高層ビル群。見上げると何かにくじけそうになるな。大きな権力と、無力感。しかしくじけてはいけない。1人でつくる、素人としてつくることを諦めてはいけない。首に負荷がかかるほどにビルを見上げないといけないなんて。
僕らはやらなければならない。嫌になることは数えたら切りが無いほどあるし、どうしようもない奴もたくさんいるけれど、僕らはやらなければならない。2009年の特別講義でのディーターラムスの言葉が思い出される。「君たちはやらなければいけない」。幸い多くの同志がいる。今日彼らと話ができた。いまも多くの顔が思い浮かぶ。彼らと共に。しかし1人で。

2014年賀状