高速バスで東京に来る予定が、いろいろあって新幹線になった。新幹線は速かった。米原駅を通過する新幹線をホームから見たけど、その場にいたみんながちょっとぎょっとするくらいの速さだった。ホームのみんなが「そんなに速いの?!」って顔してた。

そんな新幹線を使った福井から東京までの3時間半は、歩く移動生活での1日よりも長く感じた。なんでだろう。こんなに長い3時間半は初めて味わったかもしれない。時間が歪んで感じられた。その歪みが、新幹線の窓から外を撮ったときの電柱の傾きに現れてる。アイフォンで窓の外を撮ると、何故か手前にあるものが斜めに歪んで写る。

今日は色んな展示を見てまわったけど、いま思い返すとギャラリーで見た展示の記憶以上に、電車移動してたときに感じた時間の長さが印象に残ってる。なんだろうこれは。あの、電車に乗せられて運ばせられている時のイライラする感じはなんなんだろう。
あと、東京の密度にも改めて驚いた。僕は1日で25キロ歩くこともあるけど、それは東京都文京区湯島から小金井市の東小金井駅まで行ける距離だった。地図上の山手線の輪なんかも狭すぎて、目を疑った。東京駅から新宿駅までは一時間半で歩ける。山手線にのると30分かかる。歩きの一時間半と電車の30分は感じ方が全然違う。

20141031-214201.jpg

今日から4日まで東京にいく。帰省する。家はファニチャーホリックさんに預かってもらう。

鯖江市はメガネの全国シェアが90%以上あるらしい。まさかそこまでとは。

長野県でまつしろ現代美術フェスティバルが終わったのがまだ1ヶ月前だなんて。インプットされた量が多すぎてずっと脳がオーバードライブしている感じだ。そしていまという一瞬にピントを合わせる力が少しずつついているような気がする。1日のなかで、ぼーっとしている時間がどんどん削られていく感覚。頭がアップデートされて、時間がどんどん伸びていく。不思議だ。僕は歩きなので、毎日の移動距離は普通の人よりもずっとずっと短いはずなのに、自分の生きるスピードが増している気がする。やっぱり車で動くよりも歩くほうがずっと早く遠くに行けるのだ。歩くってのは土地とのダンスだから。でももっといける。もっと今にフォーカスを絞らないといけない。時間は伸び縮みするから、今っていう瞬間への集中力をもっと高めていけば時間は伸びる。そのぶん考える事ができる。

いまこの生活をして7ヶ月目で、だんだん自分が違う社会に生きているような感覚になってきた。同じ空間にいるんだけど、違う社会を生きている。もっと自覚的にやっていけば、これまで僕がいた場所、いまは奴等のいる場所がどんな場所かよりよく見えてくるような気がする。そしてそれをちゃんと絵にしていきたい。

まるで別の社会のフィールドワークをするかのように、各地の家のスケッチを描きためていきたい。別の社会のフィールドワークをするように描く。これは多分大事なキーワードになる。たぶん今和次郎や南方熊楠のことをもっと知らないといけない。僕がやっていることにはまだまだ不純物が多い。まだまだ甘い。もっと濾過できる。無色透明で無味無臭の猛毒のような。

今日は家を動かす。先日ツイッターで

「越前市を通る事があれば敷地お貸しします!」

っていう連絡をくれたオーダーメイド家具屋さんの「ファニチャーホリック」に行く。

お昼ごろ山口君の家を出発して歩いてたらスーツ姿の男性から

「こんにちは」

と声をかけられた。僕は結構急いでいたので

「こんにちは」

ってだけ返して通り過ぎようとしたら

「この辺りに保育園てあります?」

と言われた。家を背負って歩いてる時に道を聞かれたのは初だ。僕は

「この辺の人じゃないのでわかりません」

と答えた。でも答えた後で「この辺の人じゃないってのは嘘だな。今朝まで2日間このへんに住んでたし」と思った。男性は笑って

「そうですかありがとうございます」

と言って去っていった。

 

夕方頃、越前市のファニチャーホリックに着いた。ここの人も山口さんという人で、河和田の山口君とも知り合いみたい。僕は小学校の同級生だった山口君のことを思い出した。山口さんはもともと香川で会社に勤めていたけど7年ほどで辞めて、家具職人になるため学校に入り直し、今は独立して3年らしい。店舗は持っていなくて、個人やショップからのオーダーで家具を作ってる。昔から越前箪笥という箪笥がこのあたりにあるらしく、そういった古い箪笥の金具だけ再利用したりして、現代向けに作りなおした箪笥等をつくっているらしい。
「昔からあるような桐の箪笥は今はあんまり売れないからねえ」
って言ってた。受注から家具製作まで全部一人でやってる。すごい。

 

「床は冷たいだろうから」と言って、山口さんが工場にあった合板とイスとシンナーの一斗缶と梱包用の毛布を使って簡易ベッドをこしらえてくれた。家具職人だ。

20141030-103833.jpg

20141030-103804.jpg

20141030-103819.jpg

勿来町のおばちゃんから久々に電話がきた。ポカリを薦めてくれるあのおばちゃん。昨日のテレビのニュースで僕を見たらしい。

「元気そうで安心したよ」

と言われた。

 

お昼頃、外を歩いてたら道ばたで話しこんでるおばあちゃん2人組がいたので

「こんにちはー」

って挨拶したら

「はい。どこの、ぼっちゃん?」

と言われた。やっぱり見ない顔の人がいたらわかるのだな。ここはそのくらいの規模の町だ。そのあと山口君の家の絵を描いていたら、向かいの家から、やっぱりおばちゃんが出てきて話しかけてきた。この町はおばあちゃんがたくさんいる。

「ここに引っ越してきた人?ええ人がきたわあ」

「いや、僕は友達です。向かいに住んでる方ですか?漆器店っていう看板がありますね」

「ああ、友達の方ね。いやあどんな人が引っ越してきたのかよく知らんかったからなあ。漆器はいまはやっとらん。今はもう買う人がおらんでな。ここは空き家だったんでなあ。ああ。ようこそようこそ。隣が空き家だとな、さみしくてなあ」

「そうですよね。いつから空き家だったんですか?」

「ん?ああ、最近やなあ。おばあさんとおじいさんと息子さんと3人で住んどってな。じいさんばあさんが亡くなってな、息子さんひとりでどうしようものうなってな。広い家やし、働きにいくのにも不便やしな。ほんで隣が空き家だとな、さみしくてなあ。ようこそようこそ。楽にな。ここらは田舎やからな。みんないい人や。隣にも若い人住んどるしな。向かいの若い兄ちゃんが物知りでな。わからないことあったらなんでも正確に教えてくれるでな。嫁さんも物知りでな。」

「そうですかー」

「そうやな。向かいの若い夫婦は何でも知っとる。ほんで隣にも若い人おるしな。」

この『向かいの家の若い夫婦はなんでも知っているからなんでも聞くといい』っていうセリフは会話の中に6回くらいでてきた。よっぽど色々教えてもらったんだろうな。そして多分このおばちゃんは、僕がこの家の人の友達ってことを忘れている。多分、僕が引っ越してきた当人だと思って話している。

「そうですか。ありがとうございます」

「うん。ようこそようこそ。楽にな。あの柿の木はおたくの木や。冬柿っていってな。甘いんや。食べてみるとええ。」

そしておばちゃんは帰っていった。

後で山口君に聞いたところ、何度も挨拶してるけどおばあちゃんは忘れてしまうらしい。そして「物知りの若い夫婦」は、全然若くないらしい。おばあちゃんとたくさん話した日だった。

雨が降ってたのでずっと屋内にいた。絵を描いたりしてた。夕方、藤田さん家族と別れて西山公園というところに行って、そこで河和田という地域に住んでる山口君という人と合流する。昨日のものづくり博覧会で出会った人。軽トラに家ごとのせてもらって、河和田に向かった。

 

河和田にはいわゆるIターンで住み着いた若い人たちが10数人いて山口くんもその一員らしい。メンバーの半分くらいは京都精華大学の美術系専攻の卒業生で、それぞれ空き家を借りて仕事をしながらくらしている。結構な山奥の町で、やっぱりたくさん空き家がある。みんな安い家賃でひろい家に住んでる。住み始めたきっかけはそれぞれあるみたいだけど、多くは数年前に豪雨の災害があって、そのボランティアで京都から来た人たちが気に入って住み着いたという感じらしい。たぶん鯖江市がそうやって若い人を招いて、定住を促進するような受け入れ体制をある程度整えようとしているんだと思う。

今夜はたまたまそんなメンバーの会議があるらしいので山口君についていってみた。彼らのモチベーションはどっからくるのか気になる。今回は7人くらい人が集まってた。環境系のNPO法人で働いてる人とか市役所で働いてる人とか、木工の工芸品をつくる会社で働いてる人とか眼鏡職人とか職種は様々だけどみんな20代後半だった。結婚して夫婦でくらしてる人もいれば、この町に昔から住んでるおばあちゃん(ぜんぜん親戚とかではない)となぜか二人で一軒家に暮らしてる人もいた。議題はいくつかあって聞いていてわかったのは、彼らは今は使われなくなった眼鏡工房を改装して、木工や漆器や眼鏡制作の作業が出来る共同のスタジオを「PARK」という名前でオープンすべく準備してることと、そのオープンを皮切りにこの河和田を盛り上げていくためにメディアや行政や大学と手を組んで動こうとしていること。

「永住する覚悟をきめているんですか?」

ってみんなに聞いてみたら

「自分たちで永住したい場所にしていく」

って答えが帰ってきた。そうだよな。なんか瑞々しいエネルギーに溢れてて良い。生まれた場所ではないけど、面白くなりそうなこの町をどうしていきたいかっていう公共のことと、それぞれ個人的にやりたいことを自然に結びつけながら生活してる。すごい。こういう生き方ってもう普通になってるのだな。話を聞いていて、なんとなく仲間のような気持ちになった。僕は僕の仕事がある。それをやればいいのだ。各々が各々やっていれば、各々の仲間に出会うのだ。

20141028-225930.jpg

20141028-225912.jpg

20141028-230005.jpg

昨日まであんなにいい天気だったのに、今日は朝から雨が降ってる。さっき家のドアの蝶番を交換し た。これで、足を出す窓以外の蝶番は全部1回ずつ交換したことになる。とりあえず東京に着くまで の半年はこの蝶番でいけるはず。6ヶ月半あの家と一緒にくらしていて、色々と改良案が浮かんで る。早く2軒目の家をつくってみたい。より快適に持ち運び、より快適に眠れるようなつくりにした い。 昨日は疲れもあったし「ものづくり博覧会」というイベントにも行ってみたかったので、藤田さんに 家をもう1日置かせて下さいとお願いして鯖江の町内を散策した。ものづくり博覧会は鯖江市内のい ろんなメーカーが集まってブースごとに展示をしていて、ちょっと疲れた。眼鏡のメーカーや、眼鏡 洗浄機のメーカーがいくつかあった。やっぱり眼鏡の町なのだ。坂井市の牧井先生も来ていて、ちょっとだけ一緒に見て回った。制作に数千万円かかったらしい漆塗りの山車が展示してあって、これ使うの勿体ないくらいだなあと思ってたら、やっぱり普段は使わないで保管してあるらしい。それも勿体ないな。
博覧会で知り合った河和田町という町の若い人と意気投合して、明日そこに行く事になった。軽トラ で迎えにきてくれるらしい。ここ数日でどんどん知り合いが増えていく。
お昼に「サバエドッグ」なるものを食べたのだけど、これがおいしかった。ご飯と肉に衣をつけて揚げたものに割り箸がささっていて、ソースで食べる。キャッチコピーが「あるくソースカツ丼」だっ た。「鯖江名物」を名乗っていた。

夜は、福井駅の近くの現代美術のギャラリーで角文平さんという人の展示をやっているということを 知ったので行ってみた。福井駅近くの狭い範囲はお店がたくさんあって、女子大生たちがたくさんい て賑わってるけど、駅からちょっと離れるとすぐにお店がなくなってただの大通りになる。散策ができない。

20141027-114455.jpg

このお寺には小さい女の子が二人いて、僕が絵を描いてる最中ずっと境内で遊んでた。どんぐりを拾 ったりかけっこをしたり。妹の子が僕にどんぐりを3つと、傘付きどんぐりを1つと、どんぐりの傘 だけのやつを1つくれた。完全なる無邪気さで
「はい。」
って渡してくるので、僕も笑顔になって受け取っちゃう。とてもいい。純粋すぎて眩しい。木の幹に くっついた蛾のサナギの跡をみて
「これ誰の家や」
って言ったりするかと思えば、前の道路を通る車を指差して
「あれスペーシアカスタムや!」
と言ったりする。最近家の車を買い替えたらしく、そのとき色々な車の名前を覚えたらしい。あと挨 拶がやたら元気。
「こんにちは!こんにちはー!」
って道を通る人とか停まった車とかみんなに叫びまくる。された方も挨拶を返さざるをえない。素晴 らしい。

お昼頃三十八社町のお寺を出発して、鯖江のほうに向かう。6キロくらい歩いたところで商店街っぽ いところに入った。鯖江市というところは眼鏡が有名だって、牧井先生から聞いていたけど、その通 りで店とか道のあちこちに「眼鏡」の文字がある。商店街はなんとなく寂しくなりかけてる感じはあ るけど面白そうなバーとかがたくさん目について住んだら楽しそうな町だなと思った。 歩いてたら自動販売機で飲み物を買おうとしている母娘から
「これは、どういうことですか!?」
と話しかけられて、家を背負って生活してることを軽く説明したら
「気をつけてください!」
と言ってくれた。そんでまた歩きだしてしばらくしたら後ろから
「村上さーん!!」
っていう大きな声が聞こえてふり返ったらさっきの自動販売機の前にいたお母さんだった。ものすご い勢いで走ってきて、息を切らしながら
「いま、ご飯たべてるんですけど一緒にどうですか!」
と言うのでついていった。
さっきの自動販売機の向かいに4階建てくらいのビルがあって、その脇からビルの裏に入っていった ら、折りたたみ式のキャンプ用の屋根の下にテーブルとイスが並べられてて、4人くらい人が座って コーヒーを飲みながら話していた。ビルの他に木造の10畳ぐらいの小屋があって、やたら薪がたく さんあって、薪ストーブとかピザを焼く鉄製の窯とかもある。商店街のど真ん中にあるビルの裏にこ んなどっかの山小屋みたいな世界が広がっているなんて思いもしない。すっごく楽しそう。
このビルのオーナーが藤田さんっていう人で、本人いわく「仕事は印刷屋で本業は遊び人」らしい。 なんでも今日は「穴子のさばき方講座」を藤田さん主催で少人数でやったらしく、その後いろいろ魚 を焼いて食べたりしてたところ、たまたま通りかかった僕を見つけた。 そこでピザ窯で焼いためちゃ美味しいパン(薄く切ったジャガイモとトマトとチーズ等がのっている トースト)と、火で湧かしたお湯で淹れたコーヒーをいただいた。火で湧かしたっていうだけでより 美味しく感じる気がする。藤田さんも
「火で湧かすと違う。柔らかくなる」
って言ってた。火をたいて美味しいコーヒーをのんでるけど、ビルの向こうは車の通りの多い商店街 だ。ここはゆるやかに開かれたプライベートな公共空間なのだ。とても良い場所。なかなかできることじゃない。

そのままそこで泊まらせてもらうことになって晩ご飯まで一緒に食べた。福井では「アコウ」と呼ばれるキジハタの煮付けがとても美味しかった。それが盛られたお皿に魚の絵が描かれていて、良いお 皿だなと思っていたら、藤田さんが
「もともと僕は魚をそんなに食べる人ではなかったんだけど、骨董が好きで昔骨董市に行った時にこ のお皿に一目惚れして、値切って買ったんだ。そしたら、そのころ結婚した知り合いの旦那さんが釣 り好きで、彼から大きなスズキをもらったんだ。僕はさばき方がわからないからYouTubeで見なが ら勉強してさばいて、みんなを呼んでスズキを食べた。それから魚が好きになったんだ。このお皿を 買ってからそういうことが起こるから、大事にしなきゃなって」
と話してくれた。この皿には魚を盛りつけたい。そんな皿なのだ。

20141026-163931.jpg

20141026-163954.jpg

20141026-164008.jpg

いま10月25日の朝だ。僕はお寺にいる。境内が広いお寺。パソコンが電池切れで、iPhoneをソーラーパネルにつなげながらコンクリートブロックに座ってこれを書いている。景色に朝もやがかかっていて、空は雲が一つもない。鳥の声と、遠くの県道からの車の音がする。時々目の前の道路を、犬の散歩をするおばちゃんやおじちゃんが通る。自転車に乗った高校生も通る。大抵の高校生は携帯をいじりながら自転車を漕いでいる。危ないと思うけど、僕もよくやってた。

昨日はお昼前に牧井先生のところを出発して、「ふくい夢アート」なるものをちょっと見た。見てる時に、会場の前に置いてある僕の家を見て、小さな子供を連れたお母さんが
「これどこでみたんやったっけなあ。これどっかでみたなあ。」
って言いながら僕に話しかけてきた。最近福井県内で、僕の家がうつってる何かの番組が放送されたらしい。聞いてみたら、半年前に東京の花屋の前で取材されたやつが最近放送されたらしい。そんなに遅れるんだな。夢アートは、けっこういろいろな会場でやってた。紙からロボットを作りまくってる高校生の作品がよかった。

そんでまた歩き始めて、3時くらいには「もう歩きたくない」って思って敷地を探し始めた。
でもなかなか見つからなくて、5軒くらいあたったけど2軒には断られて3軒は留守だった。うまくいかないのが続くと敷地交渉への自信がなくなってくる。ツイッターで敷地を探していると呼びかけてみたら、何人かが協力してくれた。でも遠かったりして、やっぱりなるべくこの近所で探そうと思った。
福井市の三十八社町っていう面白い町にある6軒目のお寺でチャイムを鳴らしたら、優しそうなおばちゃんがでてきた。手には細かい野菜とか肉とかがついてる。多分ハンバーグをこねていたのだ。そこでオーケーをもらえた。もう暗くなり始めてた。

そしたら、なんだか僕のことをここ数日追跡しているという金沢の人からメールがきて、夜一緒にラーメンを食べた。その追跡者曰く、放浪癖がひどくて、昔は世界中を旅していたらしい。
「親不知という土地を通った時が危なかった」
って話をしたら、親不知という土地の由来を教えてくれた。かつて道路が整備されてなくて海岸沿いを歩いて通るしかなかったころ。激しい波の合間を縫って渡っていた親子がはぐれてしまって、そのまま親が行方不明になってしまったっていうエピソードからきてるらしい。昔から危ない場所としてしられていて、道路が整備された現在もいまだに危ない場所なのだ。追跡者は
「明日また家を見に来ます」
と言って何処かに帰って行った。
お風呂は近くになくて電車に乗るのも面倒なので入らなかった。昨日はそんな一日。

自分になんども言い聞かせていることだけど、いま僕は制作をしているのであって、発表をしているのではない。僕にはある 展覧会のビジョンがあって、そのために作品を描きためているだけ。今は制作プロセスの最中で、絵かきがアトリエで絵を描いてるのと同じことをやってるつもりなのだ勘違いしてはいけない。
僕の頭は既に未来で待っていて、僕の体はいま過去にいる感じがする。あとはその未来に向かって体を持っていくだけ。絵を描きためていくだけだ。当面の目的は移動生活をベースにしてしまうこと。人々が家賃を払って家で生活しながら仕事をするように、僕は移動をベースにした生活をしながら仕事をするのだ。そして展覧会を何度もひらくこと。そうしないとみんなわからないみたいだ。みんな「いつまでやるの?」って聞いてくる。何度説明してもわからないのだみんな。だからやるしかない。そんでたまにだらだらもする。なにもしないでいられるのが一番幸せだ。本当は何もしないでいたいけど体が勝手に動き始めるからめんどくさい。マヒトくんは「沈黙の次に美しい日々」って歌ってた。フィッシュマンズも「目的は何もしないでいること」って歌ってる。何もしないでいられるのはどれだけ幸せなことか。

20141025-115329.jpg

20141025-115343.jpg

「It’s time to get up!Mr.Murakami.You have only 30 minutes …!!」
っていう大きめの声が聞こえて、ふすまがあけられて一気に起こされた。旦那さんは昨日の夜から全 くテンションが変わってない。朝からすごい。イギリスに長く暮らしていたことがあるらしく、向こ うのB&Bの民宿は、こうやって乱暴に起こされて家を追い出されるらしい。朝ご飯を食べながら も、いろいろと説教を頂く。
「甘えてたら伸びん。歯食いしばっていかんと。」
「あんたがやってることは否定はせんが、ただの手段や。手段に溺れてたらいかん。自分の夢に溺れ んと。もっと夢をみなさい。ビジョンを語りなさい。」
などなど。そんで朝ご飯食べてすぐ加藤家を出発した。今日は、この加藤家を紹介してくれた牧井先 生の家の駐車場に行く。ここから15キロくらい南下したところにある。出発するとき奥さんから棟 方志功の弟子の版画がパッケージになったせんべいをもらった。

今日も職質された。「美術家」とか言っても全然通じない人だった。
「美術家です」
って言ったら
「なるほど、じゃあお仕事とかされてるわけじゃないんですか?どこかに勤めていらっしゃるとか」
「いや、美術家です。自営業。個人事業主です。」
「デザインとかをされてるってことですか?」
「いや、だから美術です。現代美術」
「げんだいびじゅつ…」
みたいになった。反論するのも説明するのもめんどくさい。たいていの警官は職質のとき、なんか親近感を得させるためかなんだか知らんけど、僕の活動の説明をさせたり、世間話をふっかけてきたり する。東京で職質されたとき
「ここは美術館じゃないんで。」
とか言ってきた警官がいたのを思い出した。笑えてくるな。なんなんだこの現象は。

たぶんイライラしながら歩いてるのがまわりに伝わったのか、今日は話しかけて来る人がいなかった。ただ夕方に一組だけ土方っぽい雰囲気の男性2人が
「ほんわかテレビみたで!」
って話しかけてきた。
「今日はどこ泊まるん?」
「この近くで駐車場を貸してくれるっていう人がいて」
「あ、今日はもう決まっとるんや。」
そうだ彼はテレビをみているので、僕が敷地を探していることを知っているのだ。それが面白い。こ ういうことをおこせるのはテレビの力だな。そういえば今度宇川直宏さんがDOMMUNEで「THE 100 JAPANESE TV CREATORS」っていう企画をやるらしい。これは企画名を見ただけで鳥肌立 つ。インターネットの番組が、テレビ番組のクリエーターを扱うってのはすごい。テレビっていうメ ディアが一気に相対化される。宇川さんは偉いな。

夕方、小便の我慢が限界に近い頃に牧井先生の家に着いた。しかし牧井先生はまだ仕事で家に帰っていない。とにかくトイレを探そうと思って家を駐車場に置いて歩き出したらすぐに大きな芝生の公園
を見つけた。大きな公園にはたいていトイレがあるのだ。助かった。嬉しすぎた。なかば駆け足でトイレらしき建物に向かっていったら小さな女の子がお母さんと一緒に「だるまさんがころんだ」をやってた。本当に素直に
「だーるーまーさーんーがーころんだ!」
と言ってやってた。これをやってる子供をとても久しぶりに見た気がして無性に嬉しくなった。

20141024-112914.jpg

20141024-110334.jpg

朝、絵を描きおわったあとで絵のコピーをしようと思ってコンビニに行った。途中で財布を忘れた事に気がついて、とりに戻ったら牛乳を集める車が来ていた。これは毎日2回ずつ行われていることだって、常陸太田市の牧場で教えてもらった。牛は乳をどんどんつくっちゃうから、毎日絞らないといけ ないのだ。ここも同じだ。そんな牧場と、財布を忘れた僕の日常がそのとき交わったような気がした。

昨日の日記を書いてたら、牧場のお母さんが蜜柑と柿を持ってきてくれた。かつて加賀市には30軒くらい牧場があったけれど、いまはここ1軒しかな いらしい。
「酪農って他のお仕事よりもちょっとキツい仕事だからねえ」
「ああ、汚いイメージがあるかもしれないですね」
「そうでしょ。女の子が興味を示すの。男の子は続かないの。2年くらいで辞めちゃったり。男の子もっとがんばれって思うんだけど(笑)」
「なんでですかねえ」
「なんででしょうね。震災後に福島から移住してきた家族の娘さんが働きたいって言ってくれたり、ここで体験学習をやった子で学校出たら働きたいっ て言ってくれる女の子がいたり。みんな女の子なのよ」
「僕が通りかかった茨城県の常陸太田市でも酪農家が減ってるって聞きました。酪農だけじゃなくてどの地域も高齢化してて、空き家ばっかりですね」
「切ない場所もたくさん見てきたのね。でも金沢なんかに行くと、人がたくさんいて全然違うでしょ」
「そうですねえ」
このあたりでは都会といえばやっぱり金沢なんだなあと思った。
「そうなのよ。東京に向かって商売してる人たちはどんどん大きくなっていくんだけど。地域で真面目にやってる人たちはねえ…」
なんて話をした。 そのあと、お昼ご飯に招いてくれた。家に入ったら猫と犬がいた。ヤギとロバとポニーとウサギと犬と猫と鶏がいるっぽい。動物が好きでいろんな動物 を飼っていて、それと同じように仕事として牛も飼っている感じがとても良い。

お昼ご飯のスパゲッティを頂いてから出発した。今日は目的地が決まってる。金津創作の森っていうところに向かう。金沢21美の黒澤さんから福井県 の牧井先生という方を紹介してもらって、その牧井先生から金津創作の森というところを紹介してもらった。このところずっと町中を歩く事が多かった ので、久々に山の間に作られた太い道路の歩道を、誰ともすれ違わないで歩くと「日本に戻ってきた」ような気がした。僕の頭のなかの日本の風景がい つのまにかアップデートされている。これまで「故郷」とかって言葉を聞くと、山と川と森と民家や田んぼや畑のイメージが頭に勝手に浮かんでいたけ ど、最近の僕にとって日本の風景といえば、片側2車線の太い道路と誰もいない歩道だ。道路は山と山に挟まれていて、脇には雑草が茂っている。そん な日本の風景が浮かぶ。歩いてきた印象として、圧倒的にそういう景色が多い。
今日は風が強い。ドアの蝶番がはずれてドアごと壊れかけた。急遽持っていたテーピングテープ(前に津南の高橋さんからもらったやつ)でドアを家に 固定して乗り切った。ちょっと近いうちに修理が必要だな。歩く速度も遅くなるし風にイライラしてたけど、風なんか関係なく走る車たちを見ていた ら、風に左右されながら生活が変わっていくのはとっても良い事なんじゃないかと思えてきた。風によって生活が変わっていくって素敵なんじゃない か。歩ける距離が変わるから、当然その日寝る土地も変わるのだ。これは贅沢なことなのでは。

もうすっかり暗くなったころに金津創作の森に着いた。けっこうな森の中にあって、あたりは真っ暗で、物音に過剰にビビりながら着いた。ちょっと情報の行き違いはあったけれど、そこに住んでるろうけつ染め作家の加藤さんというお ばちゃんと旦那さんが暖かく迎えてくれた。加藤さんは僕が大学で教わってた土屋公雄さんのことを知っていて会った事もあるみたいだ。嬉しい。創作 の森の中に土屋さんの作品があるらしいので明日見に行ってみる。旦那さんがなんだかすごい人で、いろいろお話というか説教を聞いた。君は面白いけ ど、まだまだやれる、変われる。まだまだ甘えていると。
「自分の未来が描けない奴に、絵が描けるか。自分の未来を、鋭い眼光でビシーっとやったときに、絵が、はじけるんやっ!」
「change is growth。変化は成長です」
「さとしくんはまだまだ変化できる。まだまだいける。まだ甘えてるとさえ思う。君のような人はごまんといる。やってることじゃない。生き方の話 や。そういう生き方をしている人はたくさんいる。まだまだいける。タケノコや」
「岩登りしてるとして、岩の端をつかんでるんかっちゅう話や。岩をつかんで、ぐーっと自分にひきよせるんや。待ってたら来ると思うのは、やめたほ うがいいですよ。」
名言がたくさんだ。でもすごい勢いで言われると、こっちも怯む。確かに僕にはある種の「がめつさ」みたいなものが無い。仕事をとってきたりする野 性みたいなものがないのが弱点だと思っている。そういうのはちょっと考え直した方がいい。意識してみよう。僕はまだまだ変われるのだ。と思った。
「こうやって説教して、悔しいーって思わせるのが私なんです。今日は晩飯がうまい。さとしくんのおかげやな!」
とも言ってくれた。

20141023-133935.jpg

20141023-134000.jpg

一昨日と昨日は金沢で休んで今朝、下柏野町にもどってきた。

お寺のおばちゃんに改めて聞いてみたら、5人じゃなくて7人家族だった。住職さんは顔を見るだけでほっとしちゃうような、すごく人の良さそうなおじちゃん。僕は、独り言を言いまくってる職人さんが御堂の中で作業する近くで絵を描いてた。職人のおじさんは常時「うわ、ここは…やなあ」「よし。これでまた…」なんて言ってて面白い。西に行くほど、関西弁ぽい話し方をする人が増えていく。とても分かりやすい。絵を描いてたらおばちゃんがお茶とお菓子を準備してくれた。

「昨日も葬式で人が出たり入ったりして慌ただしくてなあ。ここのことを村上さんに道ばたで教えたって人と、その話したで」

と言ってた。そういえば18日にも「これからお葬式がある」って言ってた。お葬式ばっかりだな。

 

絵を描き終わったところで独り言の職人さんが

「絵だけ、ちょっと見せてくれるか」

と言ってきた。

「ああ、細かいんやなあ。ありがとう。お名前なんちゅうんやったっけ」

「村上です」

「村上さんな。さとし、やったっけ?」

「え。そうです!さとしです」

「なんか、テレビにもでてたらしいな。ありがとう」

そういえば昨日テレビで紹介されたらしい。僕は見てないけれど。テレビ金沢のウェブサイトを見たら「家男」って紹介されてた。これはまた新しい呼びかたをしてくるなあ。べつにいいんだけど。僕を「家男」と呼ぶことによって、彼らはなにかを隠蔽してるような気がする。「変人」とか「ホームレス」とかって呼んで人を括ることによって、そうやってある種の差別をすることによって何かこころのスイッチを切っている。どこまでいっても他人事なんだろうな。池田卓馬さんが「アーティストが作品つくるのだって余計なお世話ですよ」って言ってたのを思い出した。

 

9時半ごろ出発して引き続き8号線を西に進む。朝から歩くのは久々。朝はあんまり声はかけられない。だいたいお昼以降になって「写真とってもいいですか」とか聞かれる。今日は明らかに年下の男に

「何してんの?写真とらして。ちょっと停まって停まって」

みたいに言われた。なんだこの野郎とおもって中指たてて写ってやろうかと思ったけど家壊されたらやだなと思ってやめた。写真を撮られると撮りかえしたくなる。写真を撮ってるところをこっちから撮りたくなるこの気持ちはなんだろう。撮られると、僕は結構オンラインに「居る」んだぞって言いたくなる。この生活はインターネットがないとできない。発表の場がネット上で作れるからっていう事以上に、精神的な重心をネット上に置けるから、目の前で起こってることに揺るがないようなバランスが保てる。これは大学3年の時に排他的内向馬鹿について書いたレポートと同じ事が起こってるな。この生活の前まではツイッターとかフェイスブックとかに自分の居場所を持っちゃう感じが嫌だったけど、いまはそういう気持ちはほとんどない。身体感覚がアップデートされてる感じ。

 

24キロくらい歩いたところで「平松牧場」っていう看板が国道沿いに出ていた。「milk&dessert」っていう文字につられて入っていった。このへんをグーグルマップで見てみたら面白い住所表記になってた。「分校町」っていう町なんだけど「分校町る」とか「分校町ぬ」とか「分校町タ」とかって書いてある。いろは歌からとってるのかな。牧場に併設されたカフェでソフトクリームを食べて、そのまま敷地交渉してみたら快諾してくれた。

「明日はお休みだから、雨降ったらカフェの軒下使ってください」

って言ってくれた。家を置いて牧場内を散歩したらご近所の家族も遊びに来た。そこの奥さんも

「寒かったら泊まりにきてくださいね!」

って言ってくれた。なんかいい人ばっかりだな。牧場には牛のほかにヤギとかロバとかウサギとか犬とか色々いて楽しい。ヤギがかわいくてたまらん。

 

夜は30分くらい歩いたところにある温泉にいって、国道を歯を磨きながら歩いて帰ってきた。歯を磨きながら国道をあるくのはなんだか刺激的だった。

20141022-131644.jpg

20141022-131714.jpg

朝ご飯を家族の皆さんと一緒に頂いたんだけど、そこに茶色くて平べったい見たことない料理が並べ られてた。「薄焼き」って呼んでるオリジナル料理らしく、余ったご飯と卵と牛乳と小麦粉を混ぜて 練って焼いたもの。蜂蜜をつけて食べる。これがうまかった。そしてすごく贅沢な気持ちになった。 家庭で作ってるオリジナル料理はその家庭でしか食べられない。

ご飯のあと中3の長男が近くの銭湯までの地図を描いてくれた。地図を描くのは難しい。描き方とか お店の位置に関しておばあちゃんと言い合いになってた。お母さんは
「出かけるとき、いつもこうやって喧嘩になるの」
と笑っていた。なんか僕も笑ってしまった。
地図って家が動かないから描けるものだ。ヒトが住居を固定しはじめたころ地図も描 かれはじめたんだろうなってイメージできる。大竹伸朗さんがドクメンタで作った移動できる小屋の 作品は、津波で家がまるごと流されてるニュースを見て衝撃を受けたことによって生まれたらしいで すよって21世紀美術館の人が話してくれた。ますます大竹さんに会いにいかなきゃって思った。

何人かの人たちが金沢のことを「二つの川に挟まれた町」って言ってた。富山の人たちが「立山に囲 まれた土地」っていうのと同じように。頭のすみに「自分はいまこういう地形のところに住んでい る」っていう感覚を持ってるのだ。これは僕にとって新鮮だった。

金沢から16キロくらい歩いて、夕方ごろ白山市の下柏野町っていう国道沿いの小さな町に着いた。 お寺を探して国道から町の中に入っていったら道ばたで話し込んでるおばちゃん二人に出会った。
「あら、新聞で見たわよ。家背負って歩いてる人でしょ」
と言われた。もう新聞にでているのか。これは嬉しい。話が伝わりやすい。
「いま敷地を探してるんですけどこのへんにお寺ないですか」
「あるある。二つ。こっちのお寺よりこっちのお寺の方がええわ。おばちゃん親切やわ」
と教えてくれた。僕は「親切なおばちゃん」がいるお寺に向かった。ドラクエみたいだ。チャイムを 押したら本当に親切そうなおばちゃんがでてきた。そのおばちゃんも新聞を見て僕のことを知ってい て、すんなりオッケーしてくれた。裏口にあるトイレも使っていいと言ってくれた。 おばちゃんの他に若い夫婦2人と小さな子供が2人住んでいるお寺で、みんな親切だ。夜は僕の家までお弁当を持ってきてくれた。刺身なども入っている。

20141019-064704.jpg

20141019-064735.jpg